札幌行きのバスに大粒の雨が叩きつける。水たまりに突っ込むタイヤから、窓まで水しぶきが飛んでくる。岩内からの帰り、まだ「画家になった漁師」のことを考えている。有島武郎は「芸術は実生活の上に玉座を占むべきもの」と書くが、今ここに、一家の生活がある漁師・木田金次郎には、そんなことでは解決できない悩みが「生まれ出づる」のである。芸術を玉座だと特別視してはいけない。漁とも農とも同じ列に並ぶ、人間の生き様の一つに過ぎない。
「次は余市駅前十字街」のアナウンスに、とっさに途中下車を決める。「十字街」という耳慣れない響きに、遠い街に来た思いになる。雨は幸い小降りになっている。私にとって余市といえばニッカウィスキーとなるのだけれど、正門には「完全予約制」の看板が立てられ、守衛さんが「今日はいっぱいでして」と申し訳なさそうに告げる。仕方がないから余市川を目指し、蒸溜所の石壁沿いを行く。ボランティアが清掃と美化に勤める、花壇が美しい歩道だ。
芸術は、とまだ考えている。少なくとも芸術家を特別視してはいけない。漁業や農業、酪農といった生きる糧を生産してくれる人がいなければ、芸術活動はそもそも成り立たない。工業や商業など社会を回す生業に就く人も不可欠だ。そうした世の中にあって、芸術の才に恵まれる人は少数である。その才をどう活かすかは本人にしか選択できない。芸術に憧れ、しかし才のない私のような者の羨望を受け、創作の苦しさを生きて行くしかないのである。
余市橋のたもとに着いて対岸を望む。ゆったりとした流れの向こうに、ポプラに囲まれて赤い屋根の建物が見える。町の図書館だそうで、北海道らしい美しい風景がカメラに収まった。余市町は人口17000人余、積丹半島の東の付け根にあって、三方を丘陵に囲まれ、北が日本海に向かって開けている。ニシン漁で栄え、現在はリンゴや葡萄の栽培が盛んだ。道内屈指の温暖な気候だということで、縄文人も暮らし良かったのだろう、遺跡が多い。
駅からこの橋の先まで続く道は「リタロード」と名付けられ、町のシンボルロードであるらしい。リタとはニッカの創業者夫人のことだ。スコットランドに学び、国産ウィスキーの創業の地に余市を選んだ夫妻に、町民が寄せる愛着は今も強いのだろう、夫人の故郷とは姉妹都市になり、若者の交流などが続いているという。余市は若者の活動が活発な街らしい。隣接する小樽へ、新幹線が延びて来る。余市を含めた新たな経済圏が生まれるのではないか。
雨は激しくなり、頭上で雷鳴が響き始めた。川の堤で雷を感じるのはあまり気分がよろしくない。急いで駅に向かう。幸い小樽行きの列車がやってきて、短時間の余市滞在を切り上げる。このあと小樽見物を楽しんでいる妻とその妹と落ち合い、寿司屋通りに行くことにしているのだ。ところが小樽駅に着くと様子がおかしい。天候が悪化して、今後の列車は運休になりそうだという。妻たちを急ぎ駅に呼び、最後かもしれない札幌行きに飛び乗った。
妻らを待つ間、小樽駅を見物する。国登録文化財で準鉄道記念物で、北海道遺産で都市景観賞も受けている。こんな駅がある小樽そのものが、いずれ文化財になるかもしれない。帰宅して写真を整理していると、バスの車窓から何気なく写した海の風景に、余市のシンボルだというシリパ岬が写り込んでいた。アイヌの言葉で「山の頭」の意味だという。その位置からして、日本海からの季節風を防ぎ、「余市の温暖」を守っているのだろう。(2023.10.5)
「次は余市駅前十字街」のアナウンスに、とっさに途中下車を決める。「十字街」という耳慣れない響きに、遠い街に来た思いになる。雨は幸い小降りになっている。私にとって余市といえばニッカウィスキーとなるのだけれど、正門には「完全予約制」の看板が立てられ、守衛さんが「今日はいっぱいでして」と申し訳なさそうに告げる。仕方がないから余市川を目指し、蒸溜所の石壁沿いを行く。ボランティアが清掃と美化に勤める、花壇が美しい歩道だ。
芸術は、とまだ考えている。少なくとも芸術家を特別視してはいけない。漁業や農業、酪農といった生きる糧を生産してくれる人がいなければ、芸術活動はそもそも成り立たない。工業や商業など社会を回す生業に就く人も不可欠だ。そうした世の中にあって、芸術の才に恵まれる人は少数である。その才をどう活かすかは本人にしか選択できない。芸術に憧れ、しかし才のない私のような者の羨望を受け、創作の苦しさを生きて行くしかないのである。
余市橋のたもとに着いて対岸を望む。ゆったりとした流れの向こうに、ポプラに囲まれて赤い屋根の建物が見える。町の図書館だそうで、北海道らしい美しい風景がカメラに収まった。余市町は人口17000人余、積丹半島の東の付け根にあって、三方を丘陵に囲まれ、北が日本海に向かって開けている。ニシン漁で栄え、現在はリンゴや葡萄の栽培が盛んだ。道内屈指の温暖な気候だということで、縄文人も暮らし良かったのだろう、遺跡が多い。
駅からこの橋の先まで続く道は「リタロード」と名付けられ、町のシンボルロードであるらしい。リタとはニッカの創業者夫人のことだ。スコットランドに学び、国産ウィスキーの創業の地に余市を選んだ夫妻に、町民が寄せる愛着は今も強いのだろう、夫人の故郷とは姉妹都市になり、若者の交流などが続いているという。余市は若者の活動が活発な街らしい。隣接する小樽へ、新幹線が延びて来る。余市を含めた新たな経済圏が生まれるのではないか。
雨は激しくなり、頭上で雷鳴が響き始めた。川の堤で雷を感じるのはあまり気分がよろしくない。急いで駅に向かう。幸い小樽行きの列車がやってきて、短時間の余市滞在を切り上げる。このあと小樽見物を楽しんでいる妻とその妹と落ち合い、寿司屋通りに行くことにしているのだ。ところが小樽駅に着くと様子がおかしい。天候が悪化して、今後の列車は運休になりそうだという。妻たちを急ぎ駅に呼び、最後かもしれない札幌行きに飛び乗った。
妻らを待つ間、小樽駅を見物する。国登録文化財で準鉄道記念物で、北海道遺産で都市景観賞も受けている。こんな駅がある小樽そのものが、いずれ文化財になるかもしれない。帰宅して写真を整理していると、バスの車窓から何気なく写した海の風景に、余市のシンボルだというシリパ岬が写り込んでいた。アイヌの言葉で「山の頭」の意味だという。その位置からして、日本海からの季節風を防ぎ、「余市の温暖」を守っているのだろう。(2023.10.5)
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