今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

272 岡山(岡山県)・・・丹頂が舞う後楽の鄙びかな

2010-03-22 07:36:15 | 岡山・広島

『街道をゆく』の中で司馬遼太郎氏は「日本には都鄙の差別というのが基本としてある。古来、日本ほど首都の居住者を貴しとし、田舎をばかにしてきた国はない。世界にも類のなさそうな文化意識といっていい」と書いている。なぜそうした意識が根付いたかは分析されていないが、その指摘は当たっていると私も思う。だから「岡山は鄙びた街だ」などと書くと誤解されそうで気になるのだが、岡山の街を歩いての印象はそうであったのだ。

差別としての「都鄙」を代弁する言葉を探すと、「洗練」と「野暮」とでもなろうか。洗練が野暮に絶対的に優っていると盲信する価値観が、都側に(自身が洗練されているかどうかは論外に置いて)奇妙な優越感を産みつける。それが「田舎者をばかにする」といった言動につながるのだろう。しかし野暮は、はたして本当に洗練に劣るのだろうか。野暮が含有する潤いや長閑さには、洗練に含まれる刺々しさや競争心とは無縁の価値がある。

新幹線を岡山駅で降りて、東へまっすぐ「桃太郎大通り」を行く。その突き当たりが岡山城跡で、姫路とそっくりな街の構図に驚いた。お城と武家街と商人町、そんな街割りをベースにすると、現代の町並みも似て来るということか。ただ、岡山の大通りは櫛の歯が抜けたようにシャッターが下り、店舗に替わって高層マンションが進出しつつある。何処も同じ地方都市である。


岡山市は人口70万人の政令市だ。山陽道の中ほどにあって、北の伯耆と南の四国をも結ぶ、瀬戸内の交差点と理解したらいいだろうか。備前28万石の城下町として繁栄した歴史が、街歩きに趣きを与えてくれる。その極めつけが後楽園であろう。芝は冬枯れていたけれど、梅園は見ごろであった。これほどの庭園をわがものとする岡山市民は羨ましい人たちだ。

大きな街ではあるけれど、歩いていてせわしなさは感じない。表町という、かつては岡山一の繁華街であったというアーケード街でもすれ違う人の数は少なく、若い女性のファッションに「あか抜けた斬新さ」はない。それは仙台の女性に通じるものがあるが、街は仙台より穏やかで鄙びているように思えた。

古道具屋で備前の安徳利を見つけ、土産にしようと思うのだが店には誰もいない。奥に声をかけても誰か出て来る気配はない。レジの前には無造作に万札が散らばっている。物騒だからしばらく店番をするつもりで座っていると、15分ほどしてようやくおばさんが帰ってきた。「盗られたらどうするんです」と注意したつもりなのに、「あらまあ、本当ですねえ」と吞気なものである。

お城と後楽園を中心に美術館や博物館が集中していて、そのあたりを岡山カルチャーゾーンと呼ぶ。最も感心したのは県庁前に建つ県立図書館で、ふんだんに取り込まれた外光で読書する、とても豊かなレイアウトだ。がっかりさせられたのは旭川に架かる「月見橋」。城に後楽園と、街のシンボルを結ぶ橋が無骨な鉄骨橋とは。
            
そんなこんなで、洗練より鄙びを感じる街だった。しかし繰り返すが、「鄙び」は大いなる魅力なのだ。そして山陽道は「陽のあたる回廊」である。白桃を実らせる穏やかな陽光が、素朴で飾らない鄙びた暮らしを包み込んでいる。岡山で感じたのは、そんな陽の光だったのかもしれない。われ先に人を押しのけて生きる「都」の暮らしに、この贅沢は望みようもない。(2010.2.22-23)
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