私が覚えた街の名で、「稚内」は最も早い一つではなかったか。小さな手で兄の地図帳を繰り、日本で一番北にある街を探して覚えたのだった。以来70年、何度も訪ねようとしたが叶わない。古希を迎えた幼なじみ三人組で、北海道(ほぼ)1周旅行を企画し、稚内のホテルも予約したのに、胆振地方を巨大地震が襲い、旅を自粛したこともあった。しかしすでに喜寿。最後の機会だと妻を誘ってやって来た。丘から街を見晴らし、私なりの感慨に耽る。
感慨に耽ったものの、帰宅後、どうも落ち着かない。稚内という街が相変わらず遠い異国なのだ。一度訪れただけでその街の何が判るというものではないけれど、一度でもその地を踏むと、それまでとは違った懐かしさや親しみが湧いてくるものだ。それなのに稚内は、1泊した後、礼文、利尻、サロベツを回って翌々日にまた立ち寄って、短時間ながら街を歩いたのに、相変わらず「知らない街」として私の内に謎めいて留まっているのだ。何故だろう。
好天無風の週末、街はシンと静まり、人通りは皆無に近い。家々の窓は閉じられ、並木が見当たらない殺風景な道路を、時折り車が行き来している。街の中もフェリー乗り場も、下手なはやり歌が流れていないことは心地よいのだけれど、いささか静か過ぎる。漁業の街だから、夜通しの漁から帰って皆さん休んでいる時間なのか。北海道ではつとに有名らしいコンビニ「セイコーマート」の前には数台の車が停まっているから、買い物客はいるのだろう。
稚内市は2028年までの10年間を計画期間として、第5次総合計画を推進中だ。「海と大地と風」が街の資源だとし、避けられないであろう人口減少に市民参画で立ち向かう「挑戦し続ける街」を目指すと宣言している。市の推計によると、現在31000人台の人口は、20年後には20000人を割り込んでしまう。その減少ペースにブレーキをかけるための計画で、涙ぐましいスローガンが並んでいる。興味深いのは資源としての「風」だ。
稚内は「風の街」だ。私は幸か不幸かその風を体験することはなかったけれど、300キロも離れていないシベリアから吹き降りて来る風の激しさは、気象台の「宗谷の四季」が詳しく語っている。街の名所で、確かに美しい「稚内港北防波堤ドーム」も、その風があればこそ生まれた名建築と言えないこともない。風にはさらにいろいろ役立って欲しいものだが、丘陵で回るたくさんの風力発電は、風を資源にする北の大地のごく新しい風景なのだろう。
稚内にはもう一つ、資源がある。「国境」だ。日本政府は旧日本領の南樺太と千島列島は「所属未定地」という立場だが、ロシアが連邦のサハリン州として実効支配している地域だ。稚内との定期航路はこのところ休止されているものの、稚内市はその州都ユジノサハリンスクに事務所を置き、友好都市の輪を広げている。ロシアによるウクライナ軍事侵攻で難しい局面だと想像するが、人口減に苦しむ街がよく頑張っている。ぜひ継続してほしい。
ロシアが軍事侵攻した時、私は「これはロシア連邦崩壊の兆しではないか」と瞬間的に思ったものだ。ロシアは敗北し、ウラル山脈以東の連邦構成州は分離独立する、という予測だ。そうなったら日本は「隣国」サハリン州とエネルギーや森林資源開発などで協力し、この北域に豊かな世界が築けるのではないか。「樺太・宗谷経済圏」である。そのとき稚内にとって「国境」は資源になる。そこまで考えて、「私の稚内」はようやく形を整えた。(2023.9.8/10)
感慨に耽ったものの、帰宅後、どうも落ち着かない。稚内という街が相変わらず遠い異国なのだ。一度訪れただけでその街の何が判るというものではないけれど、一度でもその地を踏むと、それまでとは違った懐かしさや親しみが湧いてくるものだ。それなのに稚内は、1泊した後、礼文、利尻、サロベツを回って翌々日にまた立ち寄って、短時間ながら街を歩いたのに、相変わらず「知らない街」として私の内に謎めいて留まっているのだ。何故だろう。
好天無風の週末、街はシンと静まり、人通りは皆無に近い。家々の窓は閉じられ、並木が見当たらない殺風景な道路を、時折り車が行き来している。街の中もフェリー乗り場も、下手なはやり歌が流れていないことは心地よいのだけれど、いささか静か過ぎる。漁業の街だから、夜通しの漁から帰って皆さん休んでいる時間なのか。北海道ではつとに有名らしいコンビニ「セイコーマート」の前には数台の車が停まっているから、買い物客はいるのだろう。
稚内市は2028年までの10年間を計画期間として、第5次総合計画を推進中だ。「海と大地と風」が街の資源だとし、避けられないであろう人口減少に市民参画で立ち向かう「挑戦し続ける街」を目指すと宣言している。市の推計によると、現在31000人台の人口は、20年後には20000人を割り込んでしまう。その減少ペースにブレーキをかけるための計画で、涙ぐましいスローガンが並んでいる。興味深いのは資源としての「風」だ。
稚内は「風の街」だ。私は幸か不幸かその風を体験することはなかったけれど、300キロも離れていないシベリアから吹き降りて来る風の激しさは、気象台の「宗谷の四季」が詳しく語っている。街の名所で、確かに美しい「稚内港北防波堤ドーム」も、その風があればこそ生まれた名建築と言えないこともない。風にはさらにいろいろ役立って欲しいものだが、丘陵で回るたくさんの風力発電は、風を資源にする北の大地のごく新しい風景なのだろう。
稚内にはもう一つ、資源がある。「国境」だ。日本政府は旧日本領の南樺太と千島列島は「所属未定地」という立場だが、ロシアが連邦のサハリン州として実効支配している地域だ。稚内との定期航路はこのところ休止されているものの、稚内市はその州都ユジノサハリンスクに事務所を置き、友好都市の輪を広げている。ロシアによるウクライナ軍事侵攻で難しい局面だと想像するが、人口減に苦しむ街がよく頑張っている。ぜひ継続してほしい。
ロシアが軍事侵攻した時、私は「これはロシア連邦崩壊の兆しではないか」と瞬間的に思ったものだ。ロシアは敗北し、ウラル山脈以東の連邦構成州は分離独立する、という予測だ。そうなったら日本は「隣国」サハリン州とエネルギーや森林資源開発などで協力し、この北域に豊かな世界が築けるのではないか。「樺太・宗谷経済圏」である。そのとき稚内にとって「国境」は資源になる。そこまで考えて、「私の稚内」はようやく形を整えた。(2023.9.8/10)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます