今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

276 日御碕(島根県)・・・・遂に来て沈みの宮に詣でたり

2010-04-25 13:47:31 | 鳥取・島根

「ミサキ」は元来、海上に突き出した(あるいは海中に没して行く)大地の「サキ」に、人々が特別な地霊の存在を覚えて尊称の「ミ」を付け、呼んだ言葉なのだろう。そこは地の果てであり、未知の世界の始まりである。現代人にしてもそこに立てば、幾ばくかの感傷から逃れられない。より素朴な心を持つ古代の人々にとって、ミサキは恐ろしくも神聖な、神宿る土地であっただろう。私も岬を目指す時、気持ちは決まって高ぶるのである。

「こうやって神社を見下ろすと、目が潰れると叱られたものでした」と、タクシーの運転手さんは言った。ここは島根半島の西端・日御碕。出雲大社から国ゆずり神話をたどるようにして北を目指して来た道が、山ひだに隠れた日御碕神社の社殿群を一望する高台に出た。格式高い神社を足下にするとは恐れ多い、ということなのだろう。しかし私はバチ当たりにも、神さびた風景を楽しみ写真に撮った。集落の先に日本海が広がっている。



この神社ほど、ミサキを意識して建立された例はないのではなかろうか。それほどこの出雲日御碕は意味がある土地なのだ、と私は思い込み、訪れることを願って来た。「意味がある」とは誰にとってか? 大和朝廷にとって、あるいは「この国の国産み神話」にとってである。そしてやって来た念願の地は、人の気配の薄い寒村であった。しかし遠い昔から、ここは人々の情念が激しく交錯してきた地なのだという思いがして、私は身震いする。

日御碕は珍しく「碕」と表記されるが、この地名のポイントは「日」であろう。大和を世界の中心に据えて考えた古代人とって、太陽は伊勢から昇り日御碕の海中に没する。伊勢には昼を司るアマテラスが鎮座する。だからここには夜を司るスサノオを祀らなければならない。しかしこの地の地主神はオオクニヌシである。スサノオだけでは心もとない。姉のアマテラスという重しが必要である。そうやって2神を祀る日御碕神社が誕生した。

以上は私が、神話の作者になったつもりで考えた由来であるが、空想はさらに拡大し、大和朝廷にとって国家統一への大成功例であった出雲併呑へと思いは飛ぶ。あくまでもマツロわぬエミシとは異なり、異民族集団であったかもしれないオオクニヌシ族の支配する出雲を、武力で威圧し、詐術を用いて、鉄とその技術ともども手に入れた天孫族。オオクニヌシは出雲大社の高楼に封じ、海上に通じるミサキはアマテラスによって押さえた・・・。



日御碕神社は日本海からの烈風を避けるためか、海岸までせり出した丘に囲まれるようにして建っている。「隠ヶ丘」と呼ばれる霊地らしい。社域を除けばわずかしかない平地に、数個の民家が軒を重ねてささやかな集落を形成している。その風景にあって社殿の豪華さは際立っていて、アマテラスを祀る「日沈宮」と、スサノオを祭神とする「神の宮」の二つの朱塗りの権現造りの神殿は、周囲の殺伐さによってより神寂びて鎮まっている。



海岸の岩場を穿った道を行くと、聖地なのだという「経(ふみ)島」が函状の巨岩を剥き出しにして波に洗われている。古代以来、ここに上陸できるのは神官とウミネコだけなのだという。さらに行くと、溶岩流が形成した柱状節理の断崖の上に出る。神々の荒々しい手が、岩を掻き砕いたかのようである。大陸から吹き付ける冬の季節風のころは、さぞや凄まじい光景であろう。そこに石積みの出雲日御碕灯台が建っている。(2009.12.10)
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