
ここは「ムジナ坂」という。坂の麓に小金井市が建てた標柱にそう書いてある。「昔、坂の上に住む農民が田畑に通った道で、誰いうとなくムジナ坂といい、暗くなると化かされると怖がられ、遠回りをした」のだという。この崖地は、多摩川が悠久の時をかけて形成した国分寺崖線で、高低差は20メートルほどある。水を担ぎ、汗して上り下りする人々が目に浮かぶ。今は階段が整備され、手すりまで付いているからムジナも出てきにくいことだろう。

この坂への道は、府中運転試験場の脇から続いている。今日の私は、そこに免許の更新にやってきたのだ。煩わしい手続きを全て終えて、更新されたばかりの真新しい免許証をポケットに仕舞う。帰りは中央線の東小金井駅まで歩いてみることにする。つまりムジナ坂を登って、東京農工大のキャンパスを通り抜けるコースだ。間もなく行く手に野川の流れが現れ、小金井新橋という小さな橋を渡ると「野川中洲北遺跡」の説明板が立っている。

橋の下流に広がる調整池造成の事前調査で、旧石器時代の石器や調理場跡が出土したほか、縄文時代から近世までの遺構も発掘された。1万年以上にわたる「野川のほとりに暮らした人々の歴史を物語る貴重な遺跡」だということだ。ムジナを気にしながら行き来した昔の農民も、この歴史の構成員である。調整池の緑地は、散歩を楽しむ保育園児たちが駆け回り、周辺の住宅地はいかにも郊外といった、ゆったりとした家並みが陽を浴びている。

そのまま道を進むと、崖に突き当たって「ムジナ坂」になるわけで、その麓に延びる道路は「はけの道」と呼ばれる。崖地は3段ほどに削って宅地が造成され、森の中の住宅地になっている。大岡昇平『武蔵野夫人』の舞台だというが、私は読んでいない。坂を登り切るとありきたりの住宅街になって、旧石器時代以来の歴史遊泳を楽しんでいた気分は消える。私もムジナに化かされていたのかと振り返ると、鬱蒼としたハケの緑が時空を区切っている。

マンションや幼稚園に埋もれるようにして、小さなお堂が建っている。江戸通り(連雀通り)にあった地蔵尊などを、道路整備のため移転し祀ったのだという。お地蔵様の台座には亨保元年(1716年)の銘とともに「左國分寺道 右須奈川道」と彫られているということで、追分に立つ道標であったらしい。須奈川は現在の立川市砂川町であろう。なにやら江戸時代のローカルな人の行き来が立ち上ってくるようで、私は再び歴史遊泳に迷い込む。

それにしても免許を更新するまでに試験場に2回、東小金井の自動車教習所に1回、通わねばならなかった。「更新時に75歳以上になる方は、まず認知機能検査を受ける必要があります」との案内が届き、それを済ませないと高齢者講習を受けられず、免許は更新できない。私は70歳時の高齢者講習も今回も、動体視力や適性検査での反応の速さと正確さが際立っていたらしく、驚いた係員が声をかけてきた。それでも手順は免除されない。
こんな年寄りいじめの制度はいつできたのだろうと腹が立つけれど、今日はたまたま元通産省高官の老人が起こした死亡事故の裁判がニュースになっている。昨今の高齢者による事故を思い起こすと、日本にも「日中のみ」「高速道路は禁止」といった高齢者免許の導入が必要かと思う。80歳でも運転したいというお方には「最高時速30キロ未満の車両に限る」とするのもいい。年寄りの生活テンポは、そんな車で十分だからだ。(2021.4.27)





この坂への道は、府中運転試験場の脇から続いている。今日の私は、そこに免許の更新にやってきたのだ。煩わしい手続きを全て終えて、更新されたばかりの真新しい免許証をポケットに仕舞う。帰りは中央線の東小金井駅まで歩いてみることにする。つまりムジナ坂を登って、東京農工大のキャンパスを通り抜けるコースだ。間もなく行く手に野川の流れが現れ、小金井新橋という小さな橋を渡ると「野川中洲北遺跡」の説明板が立っている。

橋の下流に広がる調整池造成の事前調査で、旧石器時代の石器や調理場跡が出土したほか、縄文時代から近世までの遺構も発掘された。1万年以上にわたる「野川のほとりに暮らした人々の歴史を物語る貴重な遺跡」だということだ。ムジナを気にしながら行き来した昔の農民も、この歴史の構成員である。調整池の緑地は、散歩を楽しむ保育園児たちが駆け回り、周辺の住宅地はいかにも郊外といった、ゆったりとした家並みが陽を浴びている。

そのまま道を進むと、崖に突き当たって「ムジナ坂」になるわけで、その麓に延びる道路は「はけの道」と呼ばれる。崖地は3段ほどに削って宅地が造成され、森の中の住宅地になっている。大岡昇平『武蔵野夫人』の舞台だというが、私は読んでいない。坂を登り切るとありきたりの住宅街になって、旧石器時代以来の歴史遊泳を楽しんでいた気分は消える。私もムジナに化かされていたのかと振り返ると、鬱蒼としたハケの緑が時空を区切っている。

マンションや幼稚園に埋もれるようにして、小さなお堂が建っている。江戸通り(連雀通り)にあった地蔵尊などを、道路整備のため移転し祀ったのだという。お地蔵様の台座には亨保元年(1716年)の銘とともに「左國分寺道 右須奈川道」と彫られているということで、追分に立つ道標であったらしい。須奈川は現在の立川市砂川町であろう。なにやら江戸時代のローカルな人の行き来が立ち上ってくるようで、私は再び歴史遊泳に迷い込む。

それにしても免許を更新するまでに試験場に2回、東小金井の自動車教習所に1回、通わねばならなかった。「更新時に75歳以上になる方は、まず認知機能検査を受ける必要があります」との案内が届き、それを済ませないと高齢者講習を受けられず、免許は更新できない。私は70歳時の高齢者講習も今回も、動体視力や適性検査での反応の速さと正確さが際立っていたらしく、驚いた係員が声をかけてきた。それでも手順は免除されない。

こんな年寄りいじめの制度はいつできたのだろうと腹が立つけれど、今日はたまたま元通産省高官の老人が起こした死亡事故の裁判がニュースになっている。昨今の高齢者による事故を思い起こすと、日本にも「日中のみ」「高速道路は禁止」といった高齢者免許の導入が必要かと思う。80歳でも運転したいというお方には「最高時速30キロ未満の車両に限る」とするのもいい。年寄りの生活テンポは、そんな車で十分だからだ。(2021.4.27)




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