今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

126 五浦(茨城県)・・・浦々を巡ればいつか絵の中に

2008-03-30 23:58:25 | 茨城・千葉

「いづら」はまるで呪文のように、不思議な「ときめき」となって私の心を波立たせる。それは岡倉天心という、日本美のカリスマにつながっていく地名だからなのだろうけれど、そうした神秘的な人格が身を潜め、潜めたがゆえに多くの若い才能を引き寄せた土地とは、いったいいかなる「場」なのだろうと、いつも「ときめき」ながら空想してきたのである。そして漸う訪ねてみて、いまは夢から覚めた心持ちである。

茨城県の北はずれ、大津港という駅で降りる。そこを過ぎれば福島県となって、もう勿来の関である。閑散とした駅前広場でタクシーに乗ると、いささか贅沢過ぎはしないかと気になるほどの道路が続いて、豪奢なクラブハウスらしき茨城県天心記念五浦美術館に着く。美術館脇から遊歩道が整備されていて、「日本美術院研究所跡」「天心邸」「六角堂」「天心の墓」へと続く。

五浦は、阿武隈山系の末端が海に落ちて形成した海岸線で、五つの入り江が連続するから「いつうら=いづら」と呼ばれているらしい。もろい地質なのだろう、入り江はいずれも波にえぐられ、高い崖に囲まれている。根を張った黒松が海原からの烈風を防ぐのかもしれないが、天心、大観、観山、春草、武山らが製作に励んだ明治40年代は、景勝の地ではあっても厳しい生活環境だったと思われる。

天心は海岸の別荘適地を求め、いわき市から沿岸を歩いて五浦までやって来て、この地を選んだのだという。なぜ、ここだったのか、そして40歳の元東京美術学校校長に、広大な邸宅を建てる資力があったものなのか。いつまでも解脱できない私は、美術史よりも関心がつい人間史に向いてしまう。

入り江の「絶景ポイント」を覗き込んだり、巨大なアンコウを看板替りに吊り下げた民宿の親父と話し込んだり、藪を潜り抜けて高台に出て、人気のない礼拝堂に驚いたりといった五浦散歩を続け、ようやく気がついた。「ここは日本画の中そのものではないか」と。

太平洋は雄大ではあるけれど、入り組んだ海岸線がその巨大さを忘れさせ、全ての景色が箱庭のように美しく、しかも小さいのである。どこを切り取っても、そのまま日本画の題材になりそうなのだ。「夏は五浦、冬はボストン」という生活を続けた国際人・天心も、この景観が日本的縮みそのものであるからこそ癒され、六角堂で思索に耽ったのではないか。

神秘的な「ときめき」を伴っていた五浦のイメージが、歩いているうちにすっかり人間くさくなって、身近に感じられた。多分、この感覚こそが正確であろう。天分と知性と才能を伴った男たちが、己の名誉と野心をかけて籠った梁山泊なのだ。神格化しては何かを見落とす。その人間くささこそ嗅ぎ取らねばならない。

五浦の「散策お薦めコース」を終えて大津漁港を目指す道端に、住宅団地開拓碑が建っていた。「荒廃と交通不便のこの地を、絶好の住宅地に造りかえた」ことを誇る組合の記念碑である。分骨した墓に眠る天心も、ご近所に住宅団地ができるとは予測していなかったのではなかろうか。(2008.2.26.)

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