今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

652 大館(秋田県)山中に床しくもあり秋田犬

2015-07-18 21:18:34 | 青森・秋田
大館を訪ねた6月30日は「花岡事件」の日だった。今年が70年目ということもあり、街ではいつにも増して厳粛な慰霊祭が開かれているようである。青森県境に近い山中の城下町。奥羽本線の大館駅では忠犬ハチ公の像が出迎えてくれる。大館はハチの故郷でもあるのだ。観光案内所で「中心部まで歩けますか」と訪ねると、係の女性が難しそうに私を見て、自転車を奨めてくれた.。だから私は初めての街で、慣れないペダルを漕いでいる。



花岡事件は戦争・植民地政策が、政治だけでなく民間企業の経済活動まで、いかにモラルを低下させるかを今に伝えている。中国から徴用された労働者400余人が虐殺されたこの事件は、戦後、賠償責任が厳しく問われ、長く裁判で争われたが、この種の訴訟では珍しく和解が成立したことでも知られる。旧花岡町と合併した大館市は、市主催の慰霊祭を長く続けており、このことが中国の遺族らの感情を和らげ、和解に影響したらしい。



徴用工にひどい仕打ちをしたのは日本人だが、自発的にその霊を慰めて来たのも日本人である。70年は長い時間のように思えても、それは加害者側の視点に過ぎない。被害者・遺族にすれば痛みは消し難いのであり、傷が癒えるにはまだ時間は不足なのである。日本と中国、韓国の国民感情が善く交わらないのは、70年という時間の短さでは当たり前のことであって、それは加害者側が十分に配慮する必要がある。私たちは加害者なのだ。



大館は、そうした優しい思いが沈潜した街だと思うと、風景がゆかしく見えるから、私という人間は単純だ。商店街の疲弊は能代と似たようなものだが、城下町だからだろうか、佇まいに落ち着きを感じる。能代には少なかったそこそこのホテルが多いのはなぜだろうか。この街を起点に、最近までいくつもの鉱山が結ばれていたことと関係があるのだろうか。花岡や小坂など、鉱山の閉鎖が相次いだのだから、街は寂しくもなるだろう。



まずはハチ公の後輩にご挨拶しようと、秋田犬会館を訪れる。この日は純血種の公開日に当たっているようで、檻の中の美しい1頭が私を見つけてワンと吠えた。なかなか凄みのある唸りであったが、夏子という名のメスなのだとか。耳は立ち、尾はくるりと巻いて、ほれぼれする日本犬である。ちょうど2歳になるという。退屈なのだろう、自分の尾を捕まえようとくるくる回って果たせないでいる。退屈でも、君は大切な《種》なのだよ。



ハチへの義理は果たしたから、私はある場所を探しに路地を曲がった。狩野亨吉の痕跡である。一高校長や京大学部長などに就いた教育者で、内藤湖南の才能を見出し、埋もれていた安藤昌益を発掘、その特異な思想を世に出した史学者でもある。大館藩士の家に生まれ、社会的栄達には徹底して無関心だったという。私にその学問的業績を語る力はないが、漱石と交流のあった亮吉が『猫』の誰かのモデルらしいという説には興味がある。



角を曲がると「石田ローズガーデン」の看板があり、その下に「狩野良知亮吉父子生家之跡」のプレートが埋め込まれている。顕彰会が組織されているらしい。庭園入口に「石田博英」の表札も残っている。自民党では珍しく脂ぎった感じが薄かった元労働大臣だ。希有な知性が育った土地を政治家が購入、好きなバラを育てて没後は市民に開放されている。土地にとっては幸福なリレーだ。庭を奥まで進むと街が見晴らせた。(2015.6.30)









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