新宿から伊香保を経由して草津に向かう高速バスを利用して、月に1、2度、群馬県西北部の山中に通っている。山での陶芸を愉しむためで、もう3年を超える。そのバスが伊香保温泉を通過し、榛名山を下って吾妻川に差し掛かると、「えも言われぬ風景」が車窓をよぎる。対岸の山麓に点在する集落が、南面する小さな扇状地の日溜まりに抱かれている、ただそれだけの眺望なのだが、自然と生活がしっくり溶け合って、実に美しい。
だがバスの窓に張り付いて見入っているのはいつも私一人だけで、他の乗客はウトウトしているかおしゃべりに興じているかで、窓外の「えも言われぬ風景」に目を凝らそうとはしない。見逃すのは余りにもったいないと教えてやろうか迷うのだが、私一人の「とっておきの眺め」にしておきたいという狭い了見も働いて、黙って見つめている。私のお気に入りは稲田が黄金色に染まったころの眺望で、数十秒間の眼福独り占めを満喫する。
珍しく車を運転してやって来たので、この憧れの地を探検することにした。冒頭の写真が、車窓によぎる「えも言われぬ風景」である。ただバスの方が視点が高くなるだけ、もっと眺めはいい。川は手前に大きく湾曲し、豊かに実った稲穂を包み込んで流れる。この辺りでは吾妻川右岸の県道を日陰県道、左岸の国道を日向街道と呼ぶらしい。榛名山北面の手前側に対し、確かに向こうの里は、こちら側より日照時間がだいぶ長いと思われる。
その対岸の「えも言われぬ」里を目指す。日向街道に出て山への登り口を探すのだがなかなか見つからない。ようやく細い上り坂を見つけて登って行くと、住宅が建ち並び、林に覆われた神社があった。坂を登り切ると陽光を浴びた明るい台地に出た。どうやら目指すエリアに入ったようである。さらに山側へ分け入ってみると、細い農道の先に農家が点在している。白壁の土蔵にコスモスが寄り添って、穏やかで豊かな暮らしが偲ばれる。
吾妻川の谷の向こうの、日陰県道の方向を振り返ると、確かにここが「えも言われぬ風景の地」であることが確認できた。勢いよく流れ下る細流があって、その周囲には棚田が稔りの時期を迎えている。刈り取った稲をせっせとハザ掛け(というのかどうか知らないが)している女性がいた。「いいところですね」と声をかけると、驚いたように手を休め、「ありがとうございます」と応えた。田んぼの脇の土手には、彼岸花が燃え盛っている。
「ここは何と言う所ですか」と訪ねると、「住所は渋川市村上ですが、土地ではヤノクチと呼んでいます」と言う。「谷の口」だろうか、小川に沿って山を目指せば豊かな水源に行き着きそうだ。合併して渋川市になったのだが、その前は小野上村といった。小野子山の南麓に営まれた小さな村だった。南から遠望すると女性の寝姿のように見える小野子山は、三つの峰からなっていて、この里はそのうちの一つ十二ヶ岳への登り口なのだった。
かつて吾妻川を遡る旅人は、この辺りの台地上の野道を往き来していたのだろう、野仏が、旅人を案内するかのように点在している。それが岩山を削り、川沿いに曲がりくねった国道が拓かれたおかげで、「谷の口」は喧噪とは無縁の里になった。あたかも隠れ里のようにひっそりと、しかし満ち足りた暮らしが続いているのだろう、至る所に花が咲き群れている。この日当り抜群の古道こそ「日向街道」を名乗るにふさわしい。(2014.9.19)
だがバスの窓に張り付いて見入っているのはいつも私一人だけで、他の乗客はウトウトしているかおしゃべりに興じているかで、窓外の「えも言われぬ風景」に目を凝らそうとはしない。見逃すのは余りにもったいないと教えてやろうか迷うのだが、私一人の「とっておきの眺め」にしておきたいという狭い了見も働いて、黙って見つめている。私のお気に入りは稲田が黄金色に染まったころの眺望で、数十秒間の眼福独り占めを満喫する。
珍しく車を運転してやって来たので、この憧れの地を探検することにした。冒頭の写真が、車窓によぎる「えも言われぬ風景」である。ただバスの方が視点が高くなるだけ、もっと眺めはいい。川は手前に大きく湾曲し、豊かに実った稲穂を包み込んで流れる。この辺りでは吾妻川右岸の県道を日陰県道、左岸の国道を日向街道と呼ぶらしい。榛名山北面の手前側に対し、確かに向こうの里は、こちら側より日照時間がだいぶ長いと思われる。
その対岸の「えも言われぬ」里を目指す。日向街道に出て山への登り口を探すのだがなかなか見つからない。ようやく細い上り坂を見つけて登って行くと、住宅が建ち並び、林に覆われた神社があった。坂を登り切ると陽光を浴びた明るい台地に出た。どうやら目指すエリアに入ったようである。さらに山側へ分け入ってみると、細い農道の先に農家が点在している。白壁の土蔵にコスモスが寄り添って、穏やかで豊かな暮らしが偲ばれる。
吾妻川の谷の向こうの、日陰県道の方向を振り返ると、確かにここが「えも言われぬ風景の地」であることが確認できた。勢いよく流れ下る細流があって、その周囲には棚田が稔りの時期を迎えている。刈り取った稲をせっせとハザ掛け(というのかどうか知らないが)している女性がいた。「いいところですね」と声をかけると、驚いたように手を休め、「ありがとうございます」と応えた。田んぼの脇の土手には、彼岸花が燃え盛っている。
「ここは何と言う所ですか」と訪ねると、「住所は渋川市村上ですが、土地ではヤノクチと呼んでいます」と言う。「谷の口」だろうか、小川に沿って山を目指せば豊かな水源に行き着きそうだ。合併して渋川市になったのだが、その前は小野上村といった。小野子山の南麓に営まれた小さな村だった。南から遠望すると女性の寝姿のように見える小野子山は、三つの峰からなっていて、この里はそのうちの一つ十二ヶ岳への登り口なのだった。
かつて吾妻川を遡る旅人は、この辺りの台地上の野道を往き来していたのだろう、野仏が、旅人を案内するかのように点在している。それが岩山を削り、川沿いに曲がりくねった国道が拓かれたおかげで、「谷の口」は喧噪とは無縁の里になった。あたかも隠れ里のようにひっそりと、しかし満ち足りた暮らしが続いているのだろう、至る所に花が咲き群れている。この日当り抜群の古道こそ「日向街道」を名乗るにふさわしい。(2014.9.19)
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