廃村、廃校、廃炉、廃鉱と、「廃」は実に哀しい文字である。世間の都合で消えて行く人の営みを、その文字面だけで冷徹に指し示す。なかには「廃線」のように、哀しみに甘酸っぱさが加わるものもある。暮らしに密着しながら街の匂いを運んで来た鉄路の記憶が、ひとしおの喪失感をもたらすからなのだろう。群馬県西北部の山間地・六合村を、わずかに街と繋いでいた太子(おおし)線も、廃線となって40余年が経過した。 . . . 本文を読む
《くれさかの森》の所在地は「群馬県吾妻郡中之条町赤岩」である。2年前に合併するまでは「六合(くに)村赤岩」といった。六合村は、上信越国境の白砂山(標高2139メートル)を源にする白砂川が、山系の流れを集めて穿った渓谷に張り付く六つの集落が合併して営まれた村である。明治までは、草津の旅館業者らが避寒のため冬期間を暮らす「冬住みの里」でもあった。人口規模はあくまで小さく、しかも美しい村である。 . . . 本文を読む
土を捏ね、形を作り焼く。作陶とは、人間が石を削って道具を創ることを覚えたころ、つまり新石器時代に分類される時代になって知った大発明であった。土が焼けると硬く固まることに着目した新石器時代知恵者が、粘土で型を作ってから焼くことを創案する。生活に大革命を起こしたことだろう。やがて集団の上手が選ばれ、よじった縄で粘土を締める術を編み出す。するとその文様に刺激され、様々な意匠が土器を飾って行く。 . . . 本文を読む
暮坂峠をやや西に下ると、南側の山の中に円錐型の独立丘が見えてくる。地図に記されるほどの嶺ではないのだろうが、土地の人々は天狗山と呼んでいる。その緩やかな裾野に、芸術村を建設しようと夢見た人がいた。様々なジャンルの作家たちの工房と研修生用のロッジが点在する制作エリアと、豊かな知性と感性の人々が集う別荘ゾーンで構成される、標高1000メートルのアート空間だ。眼前には、雄大な白根山の連なりが広がる。 . . . 本文を読む
蛦夷を平定したヤマトタケルが亡妻を想い、峠道で「アヅマハヤ」とため息をついたことから、そこより以東の地を《吾嬬》と呼ぶようになったと記紀は云う。ただ古事記がその地を「足柄(神奈川県)の坂本」とするのに対し、日本書記は「碓日坂(現・鳥居峠)」と記している。そこで群馬県は、延喜式の「上野国吾妻郡」を根拠に県北西部に《吾妻》を冠し、伝説をわがものとした。そんな吾妻山塊のなかほどに《暮坂》という峠がある。 . . . 本文を読む
逢魔が刻とかいう、街歩きを切り上げるべき時刻が近づいていたからかもしれない。館林の街を歩いていて、通りの静けさと、庭や外観に気を配った豊かな家並が、青森の弘前を思い出させた。メインの大通りから一つ中に入った住宅街が、弘前の城跡公園から禅林寺街に向かう道筋で見かけた、結構な住宅地に似ているように思えたのだ。街の規模は弘前の方が大きいのだろうが、城下街はどこか似通った風情になるのかもしれない。 . . . 本文を読む
緑の絨毯だけで十分に気持ちがいいのに、真っ青な空はさわやかな微風を運んで来る。「暑さ寒さも・・」の言い伝え通りに夏から秋へ季節が入れ替わった日、私は館林市郊外の多々良地区を歩いていた。広場にはターゲットバードゴルフを楽しむお年寄りの歓声が響き、水辺では孫と戯れる老夫婦が陽を浴びている。美術館に入ると自分の時間を楽しむ人たちがちらほら。世はすべて事もなしの昼下がり、ウサギも大喜びで空を跳んでいる . . . 本文を読む
桐生の目抜き通りなのであろう本町通りを歩いていると、ビルの前でおばさんが鉦を鳴らし始めた。何ごとかと覗き込むと、おじいさんが出て来て「さあどうぞどうぞ」と拉致せんばかりの勢いで招き入れられた。薄暗いホールの奥がステージになっていて、そろいの法被姿の集団がすでに並んでいる。「さあ、やるぞ」のかけ声とともに太鼓、笛、鉦がいっせいに響き始め、ステージ脇からは、スルスルといなせな女性陣が繰り出して来た。 . . . 本文を読む
町内全域を会場にした美術展が開催中だというので、群馬県北西部の山あいの町・中之条へと出かけてみた。2年に一度、内外のアーティストを招いて町内の空き店舗や公園、廃校跡などに作品を展示、今回で3回目になるという。こうしたBiennale形式の美術展は、おおむね前衛かつ観念過多の作品が登場するものだから、もとより理解不能は覚悟の上でやって来たのだが、その訳の分からなさが、寂れた街に奇妙な刺激を与えていた。 . . . 本文を読む
重なり合う山の、遠くなるに連れて青さが薄れて行くのは、光の屈折の関係ではなかったか? そうした科学的原理はとりあえずどうでもいいのであって、私はひたすら自然の美しさに魅了されている。標高1500メートル、上越国境・谷川岳の天神平に立ち、トマの耳を背に関八州を望んでいる(のだと思う)。もちろん自力登山ではなく、ロープウエーとリフトに引き上げてもらって山上の冷気を吸い、錦秋に染まっているのだ。
谷 . . . 本文を読む
ここは上州・渋川の駅前、日曜日の夕刻である。元気な赤子を背負った母親がスニーカーで足元を固め、後ろのお姉ちゃんが小走りでなければついて行けないほど、しっかりした歩幅で歩いている。腕には大きな育児バッグを下げ、着ているのはマタニティのようだ。このご時世に3児のママとは、頼もしい限りである。週末を実家で過ごし、家に帰るところか。上州のかかあ天下は、こうしたしっかり女性の多さを指しているのである。
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城址が公園となって、市民の憩いの場になっている街はいい。沼田もそうした街の一つだ。沼田城は五層の天守を構える本格的な城郭だったと絵図が伝えるが、明治を待たず破却され、いまは何も残らない。しかし往時を偲ぶ城内の古木に、市民はわが街の時の流れを感じているのだろう。この日はグランドで、市の消防団総出の秋季点検が行われていた。古風なラッパの響きに、いまはいつの時代かと戸惑ってしまった。
沼田は不思議な . . . 本文を読む
月夜野という美しい町の名は、いまは亡い。隣接する水上町などと合併して「みなかみ町」に町名を変えたからだ。「みなかみ」も十分に美しい響きではあるけれど、三十六歌仙の故事にちなんで命名されたという《月夜野》の幽玄なイメージが消えたことは惜しまれる。「奥利根ゆけむり街道」と名付けられたこの道沿いは、雑然として少しも美しくはないのだが、暗くなって月が昇れば、思わず「佳き月夜のかな」と見惚れるのであろうか . . . 本文を読む
上州は、狸の産地なのだそうだ。佐藤垢石というご仁がそう書いている。「私の故郷の村は、利根川の崖の上にある。その崖に続いた雑木林の中には、私の幼いときまで随分狸が棲んでいた」と。何でも浅間噴火の土石流が流れ下った河原が楢や椚の雑木林となり、ドングリを落とす。それが狸の大好物だというのだ。上州の野山を思い出すと、これはなかなか説得力を持つ話だ。榛名山麓・箕輪城跡などは、いまもタヌ公に出会いそうである . . . 本文を読む
関東の北域、現在の群馬県と栃木県一帯は毛野(けぬ)と呼ばれ、巨大な前方後円墳が築かれた東国の一大勢力圏であった。やがて上毛野(かみつけぬ)から上野へと地域支配の形が整えられ、現在の群馬県に至る。その県域のほぼ中央に、最近まで群馬郡群馬町という町があった。今は合併して高崎市の一部になっているけれど、《群馬》がこれほど重なるのだから群馬の中心地と考えて間違いない。だから国分僧・尼寺が造営されたのであ . . . 本文を読む