先日見た映画「13人の刺客」のリーダーは、老中土井利位(平幹二朗)に指名された目付の島田新左衛門(役所広司)、サブリーダーは、徒目付組頭の倉永左平次(松方弘樹)その次が小人目付組頭の三橋軍太夫(沢村一樹)です。 (写真はYahoo映画から)
旗本、御家人の監視、諸役人の勤怠や政務全般を監察する目付の定員は、10名、役料は1000石、配下に徒目付、小人目付がおかれ、後に大坂町奉行など遠国奉行に昇進するものが多かった花形役職でした。
また目付は、幕府最高権職老中の非違行為や政治失策まで摘発して、絶対権力者の将軍に上申できたといいます。
1701年、吉良上野介を切った浅野内匠頭は、即日切腹を命じられますが、その決定に喧嘩両成敗であると異を唱えたのも、当時の目付(多門伝八郎)でした。
多門伝八郎の意見は、結局却下されますが、目付として思う意見を申したのは職務に忠実で宜しい、と直属上司の若年寄から逆に褒められているのです。
旗本、御家人の総数は、22544人(1705年の記録)、このうち目付の下役となる下級官吏は4000人もいて、その権勢が強大だったことが想像できます。「江戸時代御目付の生活」
今の官僚組織に目付に該当するものはありませんが、警察組織に無理にあてはめれば、目付は警視監、徒目付組頭がたたき上げの警視正、小人目付組頭が警視クラスに該当するのかも知れません。
映画では、役所広司扮する島田新左衛門が魚釣りをしながら、きままな生活を送っているように描かれていましたが、実は現代の警視監同様かなりハードだったようです。
この映画は、1963年公開された映画のリメーク版で、47年前の映画の30分に及ぶ13人対53人の戦いが、50分間の13人対300人に拡大されていました。
この映画の時代設定から16年後の1860年、18名の刺客が桜田門外で60人の供に囲まれた大老、井伊直弼の暗殺に成功しているので、ストーリーは荒唐無稽とは言い切れないかもしれません。
参考文献:江戸時代御目付の生活 寺島荘二著、目付の基礎的研究 近松 鴻二著