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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



昨日の記事にも書きましたが、1923年の関東大震災で焼失した西本願寺築地御坊は、帝大教授の伊東忠太(18671953年)の設計で1931年に再建着手され、1934年に完成しています。

 1903年、中国ビルマを経てインドに入った伊東は、予定を大幅に超過する調査を続け、後のスケジュールが圧縮されたほどでした。本堂正面階段の両脇にある仏法を守護する聖獣、迦楼羅(かるら)の石像



江戸時代の草双紙で育ち、魑魅魍魎を愛した伊東は、この旅行でインド建築の装飾美に深く魅了されたようです。階段の上、本堂との間にあるホールの腰部分には、大理石がふんだんに使われています。



本堂内部は、椅子席が置かれた外外陣(そとげじん)の正面に金箔が張られた内陣(ないじん)が配置され、戦後再建された大阪の北御堂とよく似ています。



本尊が置かれた内陣の前に畳敷きの内外陣(うちげじん)がありますが、インド様式を徹底したかった伊東は、日本古来の空間配置に不服だったようです。


本堂入り口の上部には、キリスト教会にあるようなパイプオルガンが置かれ、仏前結婚式などで今も使われているとか


さてインド、サーンチー遺跡のモチーフが流用されている階段手摺の上には、伊東の牛の彫刻が置かれていました。


伊東の調査旅行の野帳を見ると、建築空間よりもそれに使われている装飾文様が数多く記録されていて、伊東の興味がそちらにあったことが判るようです。こちらは獅子と馬



ある対談で安藤忠雄氏が「伊東忠太の建築はやはり不思議です。私には歴史の正統な流れから、まるで一人だけポツンと抜けているように見える」と語っていました。猿もいます。


大阪にある西本願寺津村別院(北御堂)本堂は、この築地別院の影響を強く受けていると感じました。

参考文献:伊東忠太を知っていますか、鈴木博之編著

 



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