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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



270年間も続いた徳川幕府のガバナンス(不正行為・不祥事予防とその発生時対応)を担当していた御目付(定員10名)のことを昨日に続いて近所のアオサギの写真と一緒に紹介しましょう。

巨大な江戸幕府で広範囲の職掌があった御目付(昨日は目付としましたが、当時は御目付と呼ばれていました)の手足となって働いたのは御徒士(おかち)目付と御小人(おこびと)目付です。

御徒士(1組28人が20組前後=総数560名前後)は、御目見え以下の軽輩(70俵5人扶持以下)で、御徒士全体を監察するのが御徒士目付(3~4組、総数60~90名)、御目付が赴くところ数人が随行して助手を務めています。

御徒士目付は軽輩ですが、御目付の助手に上がれるため、御目見え以下第一の励み場とされ、平の御徒士はなんとかして御徒士目付に出世したいと願っていたようです。また優秀な御徒士頭(旗本)から御目付に抜擢される例も多かったようです。

御徒士よりもさらに軽輩(15俵1人扶持程度)の御小人(おこびと・450~500名)から選ばれたのが御小人目付(100名)で、御徒士目付には御小人目付が部下として2人ほど付いて隠密探索に従事していたそうです。

町奉行組織に例えれば、与力に相当するのが御徒士目付、同心に相当するのが御小人目付と言えるもかも知れません。

諸大名が城郭、城塁などの修繕について幕府に出願すると、御用部屋から御目付に調査方の下命があり、御目付は御小人目付をその大名の領地に赴かせ、実情を探索させています。御小人目付は、町人、八百屋、職人、巡礼などに変装し、身軽に遠国に出かけたようですが、身分の低い御小人目付の方が隠密として適任と考えられていたのでしょう。

なお、特に重要な隠密探索には、御小人目付二人を、当番御目付の前に呼び、功罪両方面の探索方を別々に命じたといいます。

また下級旗本を布衣以上(従六位相当の叙位者)に補任する際には、候補者の行状調査が御徒士目付とともに御小人目付にも命じられることがあったようです。・・・これはダイサギ

 参考文献:江戸時代 御目付の生活 寺島荘二著

 



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