江戸幕府譜代の旗本で、布衣(従六位)以上の身分があり、かつ家禄500石以上でなければならないと決められていた御目付についての続きを近所のアオアシシギの飛行写真と一緒に紹介しましょう。
御目付は、各種上書、布令、下達書などの書類作成を担当するため、文筆に堪能、頭脳明晰、判断力に富み、弁舌がさわやか、教養識見があり、身体強健であることが必須条件とされていました。
新任御目付は、江戸城で、筆頭御目付と同僚の前で誓詞に署名しますが、その中には「仮令(たとえ)、老中の事たりとも、非曲あらば言上すべし」という一文がありました。浅野内匠頭の即日切腹という幕府裁定の際、御目付多門(おかど)伝八郎重共が(喧嘩両成敗ではないとして)異を唱えたのが好例でしょう。
そのために御目付は、老中、若年寄の幕府最高首脳部、治政に参画する寺社奉行、江戸町奉行、勘定奉行の三重職、大名を監察する大目付に次ぐ重い役職とされ、尊敬されていました。・・・アオアシシギが小魚をキャッチ
御目付になると、旗本・御家人をみだりに訪問することは止められ、外泊もきびしく戒められ、人から進物贈与を受けることは厳禁、遊所盛り場への出入りも禁止、武士の典範となるよう清廉潔白を保ち、自らを厳しく律することが求められています。
直属の御徒士目付と御小人目付の他、江戸城本丸表と奥の火の番、太鼓役、貝役、玄関番、中の口番、膳所組、台所組、小間使、黒鍬組、駕籠者、掃除者、雑用中間、提灯奉行、伝奏屋敷留守居、浜御殿奉行などが御目付けの監督下にありました。
江戸幕府の旗本、御家人の数(1705年の御家人分限帳)は、御目見以上5331人、御目見以下17213人の合計22544人、このうち御目付の下役となる官吏は約4000人程度いたと考えられています。
従って御目付は、2万人を超える旗本、御家人の監視、政務全般の監察、4000人の部下を監督する管理職としての役割を持つ重職だったのです。
御目付の役料(1000石)は高禄ではありませんでしたが、その権勢は幕府の中で抜きん出ていて、優秀な旗本は、いつかは御目付になりたいと切に願ったようです。・・・アオアシシギとイソシギ
参考文献:江戸時代 御目付の生活 寺島荘二著