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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



江戸幕府御目付の仕事を、近所のイソシギの写真と一緒に紹介しましょう。

幕府御目付の伝馬町牢屋(今の刑務所)見回りは月に一度だけですが、配下の御徒士目付と御小人目付に命じて毎日牢屋見回りをさせていました。牢屋の施設から牢屋役人の勤務ぶり、入牢している囚人の状態など、隠蔽体質のある牢屋役人の過怠を監察する意味で、彼らは時間を決めずに随時見回をしたようです。

江戸時代の下級役人には賄賂がはびこっていて、町奉行所同心(同じ下級役人)の見回りには牢屋役人は平然としていましたが、御徒士目付の見回りには戦々恐々としていたようです。

御徒士目付は、牢内の囚人に「何か申し立てることはないか」と直接声をかけることがあり、その際に「お願いがございまする」と名乗り出る者があると、その囚人を呼び出し、申し立ての要点を聞くなど、牢役人から囚人を保護する配慮までしていたといいます。

幕府の組織を継続させる意味で御目付が杓子定規ではなかったという好例に「養子判元見届」という仕事がありました。

幕法によって旗本・御家人の家督相続は、当主が先に届を出しておく必要がありましたが、大病や急病死などでは届出をしていなくても養子願いが許されることが慣例となっていました。

養子願いをした病人がすでに絶命している場合、その家人や親族は病人が生きているように装い、枕元に屏風を立てて御目付を病人の座敷に招くことがありました。その際の御目付は、不自然であっても家族の演技をそのまま受け入れていたといいます。

親戚の代表が家督相続願書を差出し、当人(既に死亡している)が病気のために筆を取れないので押印だけで済ます許しを願い、屏風の向こうで本人が押しているかのように装いながら(親戚が実印を押し)願書を御目付に差し出します。

御目付は、当人がすでに病死していると判っていても有効な届(養子判元見届)が完了したとして、家督相続を認める処理をするのが習わしとなっていました。

 参考文献:江戸時代 御目付の生活 寺島荘二著



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