野鳥・旅行・観光・テニスなど趣味の写真ブログ
ROSSさんの大阪ハクナマタタ



靖国神社の英霊という言葉について国学院大学の大原康男教授が解説していますので、干潟のアカアシシギと一緒に紹介しましょう。<・・・>がその引用、(・・・)はROSSの注記

<靖国神社をはじめとして護国神社の御祭神は、一般的に「英霊」と呼ばれています。いったい英霊とは何なのかということが最近議論されています>・・・足の赤いアカアシシギ

<「さまよえる英霊たち」(田中丸勝著・柏書房・2002年)では「それまで戦没将兵の霊は「忠魂」「忠霊」と呼ばれていたが、より個性の薄い呼称として「英霊」が使われるようになった>・・・コアオアシシギとアカアシシギ

<「忠魂」「忠霊」は、忠の対象の存在を抜きにしては理解できない。忠の対象が藩主から天皇に移り、忠を誓う者が庶民にまで拡大したとき、広範囲の戦没者を指す語として用いられたと解釈できる>・・・コアオアシシギの体長はアカアシシギよりやや小さく、クチバシが細い

この田中丸氏の説に対して大原康男教授は<「英霊」という言葉がどこから来ているのか「国民国家」の観点から(歴史を)考えた時に「英霊」あるいは「忠魂」という言葉は二者択一ではなく、非常にからまって出てくる>・・・右のアカアシシギのクチバシはあまり赤く無いので幼鳥でしょう

<一般的に日露戦争(明治三十七~八年)の時に登場する言葉と言われているが、松本正純「近衛師団台湾征討史」(明治二十八年)にある(高島鞆之助南進軍司令官が「英霊」の語を含む祭文を奏上している)ように、すでに日清戦争の直後には「在天の霊を祭る」という意味で「英霊」という言葉が使われている>・・・アオアシシギとアカアシシギ

<明治二十九年の本(藤林正縁編)には、日清戦争の折に官民共同で神仏合同の臨時招魂祭がおこなわれ、「戦死病没諸士の忠魂英霊を吊祭」と英霊が使われている>・・・アオアシシギはコアオアシシギよりも大きく、クチバシがやや太いのが特徴

<昭和十五年、幼年学校の生徒監だった石川中佐が戦没したとき、幼年学校の生徒の追悼文集には「故石川中佐の英霊に捧ぐ」とあり、石川中佐が戦死した部下の遺族を訪れる場面を「英霊を慰めて」と表記している>・・・手前はコアオアシシギ

国学院大学の大原康男教授は、戦前でも「英霊」という言葉は、極めて親しい関係にあった戦没者に対しても使われていた例がある(没個性的意味の言葉では無い)と反論、御祭神は「英霊」と呼ぶのが正しいと考えるべきでしょう。・・・アカアシシギが上を見る際には、こんな姿勢をするようです

参考文献:靖国神社 神社本庁編



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )