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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



豊臣秀吉の大阪城は、1583年から工事が着手され、1585年には天守閣と本丸が完成、その後1586年二の丸の工事が着手、1588年にほぼ全体が完成しているが、1615年の大阪の陣で破壊されているので僅か27年という短命の城であった。

1931年に再建された大阪城天守



徳川秀忠(1579~1632年)は、破壊から4年後の1619年9月大阪城に滞在した際に大阪城の再築を決意し、翌1620年から3年間再築工事(1期)が実施されている。

1期工事で再築された外掘りと東側の石垣



1624年、2期工事で再築された大阪城本丸東側の石垣は、内掘り水面からの高さが24m、水深6m、堀底から根石まで2~3m、合わせて32~33mと推定されていて、豊臣時代の本丸石垣よりも遥かに高くなっている。

本丸東側の内掘りと高い石垣



この石垣は、大阪城梅林西の内掘りから極楽橋にかけて、朝日の当たる時間帯に散歩しながら見ると400年後の今もしっかりとしていて綺麗である。

本丸の石垣の上は高い



また2期工事で桜門枡形を担当した岡山藩主、池田忠雄(1602~1632年)は、蛸石(城内第1位130トン)、振袖石(城内第3位120トン)、碁盤石(第7位)、竜虎石(第14、15位)を運び込み、幕府に忠誠を示している。

桜門(門の下の左右は竜石と虎石)



一方、第2期工事に動員された美濃の高須藩(5万石)は、持ち場の工事が遅れたことで所領を没収され改易されているので、動員された諸藩は震え上がったようである。

蛸石(城内第1位130トン、左下に蛸の頭のようなシミがある)



家光は、本丸天守閣が完成した2年後の1628年、大阪城再築の最後となる3期工事の着手を西日本の57大名家に命じている。

振袖石(城内第3位120トン)



3期工事では、全長2,4キロの二の丸石垣が年内に完成し、翌1629年には櫓や大手門、玉造門も完成しているので、今回も凄いスピード工事であった。

3期工事で完成した南外掘り東側の石垣と1番櫓



このとき、大手門枡形を担当した熊本藩主加藤忠広(清正の子1601~1653年)は、幕府の覚えめでたきように大手見付石(城内第4位108トン)、大手2番石(城内第5位85トン)などの巨石を運び込んでいる。

大手門



実は、加藤忠広の涙ぐましい努力は幕府に全く評価されず、大手門が完成してから3年後の1632年に領地を没収されて改易処分となっている。

大手見付石と多門櫓



大手門枡形の多門櫓には、1783年に落雷があり、枡形の櫓が全焼しているが、永くそのまま放置され、やっと再建されたのは幕末の1848年なので、現在の多門櫓(重文)は建築から未だ160年という新しい建築物である。

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