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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



地下鉄千日前線の玉川駅から程近い場所にある野田の恵比須神社の社伝によれば、1113年にこの地に勧請されたというので、相当古い神社である。



「えびす」は、日本古来の漁業の神で、夷、戎、胡、蛭子、恵比須、恵比寿、恵美須などと書くことがある。

恵比須神社の境内



平安時代までのえびす神は、もともと仏教の毘沙門天や不動明王などを神格化した「荒々しい神」として信仰されていたという。

鎌倉時代になると、えびす神を日本神話の伊弉諾岐命(いざなぎ)と伊弉諾美命(いざなみ)との間に生まれ、葦の舟で流されたという蛭子命と結びつける説が現われている。

恵比須神社の摂社



えびす神社の全国総社、西宮神社の第一祭神である西宮大神は、舟で流され、西宮に漂着した蛭子命なので、中世の前期に社伝が創作された可能性がある。

一方、日本神話に登場する大国主神の子とされる事代主神は、国譲り神話において釣りをしていたことから中世後期以降に海と関係の深いえびす神と同一視されるようになっている。

拝殿



大阪今宮戎神社、神戸長田神社、野田の恵比須神社などでは、祭神を事代主神としているので、中世後期以降に社伝が創作されたようである。

雑魚場に近い野田の住民の多くは、古くから漁業に従事していたので、大漁を祈願して恵比須神社を勧請したのであろう。

本殿の裏



この野田の恵比須神社は、1533年(天文2年)兵火にかかり焼失しているが、1570年(元亀元年)三好氏によって祠が再建された記録があるので、500年近い歴史を持っているのは確実である。

本殿裏の鳥居



しかし、1578年には織田軍によって野田城が抜かれために三好氏が再建した祠も焼失、さらに1614年の大坂冬の陣でも野田周辺は兵火で焼失している。

野田城跡の石碑



徳川時代以降、漁業に従事する野田の住民が増え、彼らの寄進によって1717~61年にかけて恵比須神社の社殿が再建されたようである。

東鳥居の前にある狛犬の台座には、安永7年(1779年)「かち網中」(浅い海を歩いて網を引いて魚を取る漁法の従事者)36名の名前が記されている。

東鳥居



商業経済が発達した徳川時代には、一般庶民に「えびす様」が商売繁盛の神として信仰されるようになっている。

狛犬



野田の恵比須神社でも、1月10日の「10日えびす」では、今も多くの商売人の参詣で賑わうという。


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