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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



いつも御堂筋を歩いて難波から本町まで通勤しているが、さわやかな季節となってきたので、徒歩通勤のルートを変えてみた。

北西側から見た大阪城



ふだんよりも1時間ほど早く家を出て、7時前に地下鉄の森之宮駅で下車すると、目の前は大阪城公園の広場である。

大阪城公園の森



そこを北に向かって歩くと大阪城東外堀の南端に出るが、この東外堀は陸軍の砲兵工廠があった時代に一旦埋め立てられ、それを戦後になってから再度掘削して造った新しい堀である。



そこからルートを西に変えると上町台地に上る高い石段があり、上りきった場所が大阪城二の丸に入る玉造門である。



江戸時代の玉造門は、大阪城代(多くが京都所司代を経て老中に就任した)に協力する玉造定番(大名が任命される)が守備する場所で、明治維新までは立派な門があったが維新のどさくさで焼け落ちてしまったようである。

玉造門から本丸の桜門に至る道路



玉造門を入り、本丸を囲う内堀の東側、雁木坂までは玉造定番の守備範囲で、ここに広大な定番屋敷を構えていたという。

内掘と雁木坂(右)



本丸の玄関門である桜門までの道は、普段は観光客で一杯であるが、早朝のためか散歩している人がチラホラいるくらいであった。

桜門正面の蛸石(城内第1位の巨石)



桜門の枡形の西側にある城内第3位の巨石「振袖石」に朝日が当たっていたが、この石に太陽が当たるのは早朝の時間帯だけである。



夫婦連れが1組いただけで閑散としていた、天守閣の前を通り、西側から上町台地の北の端、天守閣の裏側となる山里丸まで下りてみる。



この場所は、豊臣秀頼、淀君母子が自刃した場所で、今も石碑が残っているが、大阪城裏門の重要な場所なので、江戸時代には大坂城山里加番(大名)が配置されていた。



山里丸から内堀を渡る極楽橋は、いつも混雑しているが、早朝の時間帯なので観光客は未だ来ていない。



内堀を北から西に廻るとすぐに京橋門があり、この門は戦前まで保存されていたが先の戦争のよる空襲で惜しくも焼失している。



京橋門の枡形には城内第2位の「肥後石」があるが、京橋門から内堀の東にある青屋門までは、京橋定番(大名)の守備範囲で、さらに現在の大阪ビジネスパークは、京橋定番下屋敷の敷地であったという。

京橋口を出た場所から見た大阪城外掘



ここまで一気に歩いたので、だいぶ汗をかいてしまったが、観光客が殆どいない静かな大阪城を見ることができたので、楽しい通勤散歩であった。


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