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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



686年に道明上人によって創建された最初の長谷寺は、今の本堂の西側にある狭い敷地に建立されているが、雄略天皇(在位456~479年)が皇居としていた場所は畏れ多いということだったのかも知れない。

下登廊の西側



その寺を「本長谷寺」と呼ぶが、その創建から41年を経た727年、聖武天皇(701~756年)によって現在の本堂の場所に「後長谷寺」が建てられている。

本長谷寺



この「後長谷寺」は、本堂のある南に開けた高台の広い場所で、そこが雄略天皇の皇居の場所だったと私は考えている。

本堂の舞台



聖武天皇は、724年に天皇として即位し、741年国分寺建立、743年東大寺大仏建立、745年平城京遷都を実施した活動的な天皇であったので、727年に生まれた嫡男のため、雄略天皇の皇居のあった広い場所に新しい長谷寺の建立を命じたのであろう。

本堂の内部



現在の本堂(国宝)は、観音菩薩を本尊とする寺に特有の懸造(かけづくり)となっていて、本堂の舞台から南を見ると、1550年前に雄略天皇が見た美しい景色が目の前に広がっている。



本堂は、徳川家光の寄進によって1650年に再建された巨大な建造物で、門前町にある橋の上から初瀬山の中腹にある大きな屋根が良く見える。



本堂舞台の西側には、「本長谷寺」の敷地に建ち自然と溶け合い、緑の山懐に抱かれた浄土というイメージにぴったりの五重塔が見えるポイントがある。



本堂から西に向かう参道を進むと、初瀬山の狭い斜面に御供所、弘法大師御影堂があり、御影堂の前をさらに南に進むと山の斜面の狭い敷地に本長谷寺と五重塔がある。

御影堂



この五重塔は、戦後間もない1954年に再建されているが、五重塔に正対する敷地跡にある三重塔の再建は未だ果たされていないようである。



五重塔から山の斜面にある石段を下りるとお茶所があり、若い僧の法話を参拝者が熱心に聞いていたが、寺での法話イベントは、リピーター確保のために必要なアトラクションの一つであろう。

自然に溶け込んだ石段



六角堂の前を通って西参道を進むと、ヨシズの日よけをした牡丹が多数植えられていて、すべての牡丹が満開であった。

中雀門からの本坊



中雀門の奥が長谷寺宗務の中心部である本坊、大講堂、護摩堂で、本坊の玄関の正面が谷を挟んで本堂と対面する配置となっていた。


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