遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



 

肉がだめということは 乳製品もだめでしょう。 アメリカとロシアが埼玉はOK といっているのが複雑な気持ち。

山菜は ×  きのこも

イスラエル 中東各国は47都道府県を規制

韓国 福島をはじめ茨木・群馬・宮城・岩手・栃木・千葉・青森の水産物 

EU 9都県(群馬県、茨城県、栃木県、宮城県、埼玉県、東京都、千葉県、神奈川県および岩手県)からの食品・飼料において、放射線検査分析報告書の添付が必要であった品目のうち、梨、カリン、ホタテ貝などが対象外となる見通し。また、同9都県からの放射線検査分析報告書が必要な品目に、そば粉、レンコン、牛肉が新たに加わる見込み。さらに、対象地域についても見直しが実施され、長野県、青森県、新潟県からのきのこ類については、今後、放射線検査分析報告書が求められることになる。


アメリカ
福島
米、ほうれんそう、かきな、原乳、きのこ、イカナゴの稚魚、アユ、ウグイ、ヤマメ、ゆず、キウィフルーツ、牛肉製品、クマ肉製品、イノシシ肉製品、畑わさび、ふきのとう、わらび、こしあぶら、ぜんまい、たらのめ等
栃木
茶、牛肉製品、シカ肉製品、イノシシ肉製品、クリタケ、ナメコ、タケノコ、シイタケ、さんしょう、わらび、こしあぶら、ぜんまい、たらのめ
岩手
牛肉製品、タケノコ、シイタケ、せり、わらび、こしあぶら、ぜんまい、マダラ、ウグイ、イワナ
宮城
牛肉製品、クマ肉製品、シイタケ、タケノコ、こしあぶら、ぜんまい、ヒガンフグ、スズキ、ヒラメ、マダラ、ウグイ、イワナ、ヤマメ
茨城
、シイタケ、イノシシ肉製品、タケノコ、こしあぶら、ウナギ、シロメバル、ニベ、アメリカナマズ、スズキ、ヒラメ、ギンブナ
千葉
、シイタケ、タケノコ
群馬
、ウグイ、ヤマメ
神奈川


ロシア
福島、群馬、栃木、茨城、東京、千葉(6都県)全ての食品



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→ こちら 

「オリンピックより命のほうが大事!」のプラカードが目立つ。9月7日昼、築地市場前は労組・市民団体の旗やのぼりが林立し、約400人が集まった。東京都は、築地市場を廃止し豊洲にある東京ガス跡地に移転しようとしているが、この秋にも新市場建設工事を発注しようと動き始めた。しかし、東京ガス跡地の土壌汚染は深刻だ。この日は、築地で働く人だけでなく、多数の市民が参加。ある女性は「お魚が大好きだから魚を汚染から守りたい。もう無駄なお金を使ってほしくない」と語る。パレードには、吉良よし子共産党議員などを先頭にスタート。官邸前でおなじみのドラム隊も「TPP反対」を掲げて参加し、にぎやかなデモとなった。「パレード実行委員会」は今後、猪瀬都知事に「移転計画撤回」を求めていく。(M)

動画6分(レイバーネットTV取材)

 

 

 

東京決定に 日仏の密約 → こちら

招致にかかった費用 → こちら   出張費をのぞいて6億円だそうです。

 



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映画 陸軍登戸研究所 → こちら

予告編 → こちら  日本の頭脳が集まっていた。殺人光線研究では 20M先のウサギを殺すことができた。

第一次世界大戦はそれまでの武力戦だけという戦争のかたちを変えた。空中から爆撃できる飛行機。塹壕を突破し構築物を破壊して突き進む戦車。押し寄せる敵兵を瞬時に多数殺傷できる機関銃。さらに生物化学兵器の禁断の扉を開けた毒ガス兵器の使用。こうした新兵器の登場により、非戦闘員も巻き込む無差別大量殺りく時代となったのだ。

 1919年、大戦終結直後、日本は遅れまいと直ちに毒ガス兵器の研究を開始。東京新宿戸山ヶ原に陸軍科学研究所を発足。8年後には「秘密戦資材研究室」を置き、諜報、防諜、謀略、宣伝的行為および措置に対応できる資材・兵器の発案に励んだ。1937年にはこれを担当する陸軍参謀本部第二部第八課が生まれ、初代課長に影佐禎昭が任命された。

この年の7月、中国では北京郊外の盧溝橋で〝発砲事件″が起き、これを機に日本軍は戦線を広げ12月13日には南京を攻略し占領。時同じくして神奈川県川崎市生田の丘陵地に陸軍の「実験場」が設立された。電波兵器の開発が目的だった。中国侵攻から太平洋戦争に突入した戦乱は拡大へ。資源なきニッポンに勝利をもたらすには独自の知恵と戦術が求められた。この「実験場」は、正式名称が隠され「登戸研究所」と呼ばれるようになる。やがて次々に研究棟を増やし所員も一千名に及んだ。

殺人光線、毒物や爆薬の開発、渡洋爆撃の代案としての風船爆弾、中野学校(スパイ養成所)と手を組んでのニセ札製造など、多種多様な秘密兵器、謀略兵器が発案された。実験中の所員の事故死。中国に出張しての生体実験による「殺りく」。-「登研」は戦場から遠く離れながら、その歴史に血の汚点を残した。

わたしは風船爆弾をつくっていた → こちら

国体護持、秘密厳守。研究所内外での言動は憲兵の監視下にあったが、将校以外は平服でサラリーマン生活と変わらなかった。加えて篠田鐐所長の指示により、勉学や専門技術の修得がそれぞれに時間を与えられ、戦後はその蓄積で専門職に就いた者は多い。

近隣の貧しい農村の人々にとって「登研」は憧れだった。就職できれば現金が入るからだ。中には徴用逃れのため入所した者もいた。一方、「登研」の傘下には多くの下請けが置かれブローカー的側面もあった。大学も命じられた国策研究を拒めば、一切の研究費も資材も与えられなかった。「自由で楽しかった」と懐かしむ所員は多いが、水面下では右向け右、の時代の風はここにも吹いていた。

伴繁雄集合写真

 秘密に閉ざされていた「登研」の実体験者が現れたのは二年前。生田の近隣に住んでいて「登研」に就職したのが18歳だったという太田圓次氏。伴繁雄氏の下で雑務を受けもったが、伴氏は上下差別のない優しい人だったと語る。その伴氏が南京や上海で人体実験を好んでやったという事実。誰もが「洗脳」を受けると「人殺し」も抵抗なくなるのか-。

中国で行われた人体実験 → こちら

 太田氏の千葉・一宮における風船爆弾放球試験は真冬の海岸でのこと。その後に肺浸潤の病にかかったのも「戦争のせい」だ。その点では、風船爆弾の気球紙づくりに動員された全国の少女たちも同様に“奴隷扱い”を受けた(東京はゆるかった)。こうした姿をカメラで追ううち、後ろでいい思いをしている化物たちが見えて来た。“原発ムラ”に似て、天皇を守ることで彼らは戦場でさえうまい飯と酒と女に溺れていた。彼らにとって戦争は長びいてほしかったとしか思えない。

以上

戦後の帝銀事件でつかわれた毒物は 登戸研究所製だった → こちら

同じく 《中国の経済を乱すため当時として45億円もの中国の偽札がこの研究所でつくられ、30億円もの偽札が中国で使用されたという。》

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日本も相当 悪かった.......



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ナオミ・クライン ダイジェスト版→ こちら

まとめ

① ドクトリンとは権力の理念

② 政治・経済の目的を達成するためには 大きなショックのあとが最善の時期である。ショックとは災害・経済の崩壊・テロ・戦争なんでもいい。 例 ソビエト連邦の崩壊

③ ショックで社会全体の抵抗力が弱まったとき 一気に国家の大改造をやる。過去には共産主義者やファシストもしたが現在の主要な思想は市場至上主義である。

イラク戦争後 なにが起きたか?

衝撃と畏怖を与えるということ 軍事インフラを叩くというだけでなく 社会全体へ刑罰を与える心理的なもの 電話回線の不通 停電 略奪 文化財流出の放置

                 ↓

膨大な人々の意識を遮断し国民全体の理性を奪う。

                 ↓

NYタイムス M・フリードマンは 国家建設ではなく国家創立(イラク)だという → 既存の文化・システムなどは邪魔になる

                 ↓

アラブ世界の中心に モデル国家を据える そしてつぎつぎに国家を改造してゆく(植民地主義)

現代の最大の神話 「資本主義と民主主義はなかよし」は崩壊した。

以上

政治の仕組みや 急進的市場改造改革は大きな衝撃を与えたあとにする これはそのまま今3.11以降の日本にあてはまる

国民の首をしめあげるあぶない法律が知らず知らずに可決され 違法選挙で反動自民党政権が勝利をおさめ

経済の仕組みを根っこから換えてしまう TPPが 国民の目から隠されたまま 粛々と参加 調印に向っている。

とすると 今の汚染水問題は TPP隠しにもなるし コレ自体が 二度目のショック・ドクトリンになり得るわけだ。

この猛暑 竜巻 くるかもしれない地震 ......  いつ何が起こるかわからない 衝撃と 畏怖をあたえつづけて

一気にやるつもりなのだろう。

 

 

 



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宮川さんからチケットをいただいたので 友人を誘い横浜みなとみらいホールで待ち合わせしました。無常にも目の前で湘南新宿ラインのドアはしまり 一電車乗り遅れてしまい、1曲目は映像で聴きました。

シューマンの子どもの情景 を聴いたときは まるで別の曲を聴いているようでした。ベースを四面の琴が受け持っています。琴もですが 和楽器の音色には 揺らぎ 唸りのような 爽雑音が多く含まれます。そのせいか 西洋音楽を和楽器で演奏するのを聴くとクリアーではないのです。元気なにぎやかな曲は祭のような雰囲気があっていいのですが 研ぎ澄まされた旋律のときは違和感を感じないわけでもありませんでした。

けれども 有馬礼子作曲の 「春の宵」 「春のラプソディ」はすばらしかった。琴の音がさざなみのようでした、それに笛 尺八 二胡 .... 鼓 太鼓 ..... 風のそよぎ 葉ずれの音 鳥の声 岩を打つ水の音...... 一幅の絵を見るよう...... そうか 和楽器は自然にある音色を模した音色なのかと得心がいきました。身体も心も飛翔していく...心地よさ 思わず涙がにじみました。 杏色といいますか伽羅色といいますか ベージュがかったオレンジ色の着物の方の琴の響きがことに胸に沁みました。

日本人は澄んだ声より 浪曲師のダミ声が好きだったそうです。(今はどうだか知らないけれど)倍音をたくさん含んだ声なんですね。自然のんかにも倍音がたくさんあります。生命の音です。

帰り ポンパドールでパンを買いました。昔 横浜に住んでいました。森永ラブという喫茶店があって 顔を白く塗ったメリーさんがときおりきていました。お化粧をしてロングドレスを着たメリーさんはちいさなお人形さんのようでした。

宮川さん ありがとうございました。音楽の響きとともにパンフレットのなかの「芸術品をみなが下でじっと鑑賞するという一方通行ではなくて音楽とみなさまの心の対話がはずむ演奏会にしたい 聴いていただくだけでは音楽は生き物にならない」という指導者のことばに頷きました。そうです 語りもおなじ 語るだけではさみしいのです。

 

 



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「本当の敵はアメリカ国内にいた!」

→ こちら

 

 


元動画 戦争のプロによる素晴らしいスピーチ
 こちら 

 



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