遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



....こんなに涼しくていいのでしょうか。リンリンと虫の音がすだきます。虫の音は外国の方には騒音としか聞こえないのだそうです。幾千の虫の声でしょう。虫の音は倍音そのもの.....だれもいない部屋で耳を清ませていると四方から虫の音が降り注ぎ音のシャワーを浴びているようです。身体やこころに絡みついたくさぐさのものがゆるみほどけて空気に滲んでとけてゆき、虫の音はますます深く沁みとおってきます。ものもたべず翅を震わせ歓喜のうたを、末期のうたを響かせる虫たちの生命の響きと私の生命の響きがとけあって天蓋のしたに生きているすべてのものと交流します。

  ずいぶんと無理や無茶もをしてきましたが、ほうーっとあるがままに 今ここにいます。以前に語りは聴き手がいてはじめて成り立つと書いたことがありました。芝居もそうでした。舞台も衣装も要らないけれど、観客がいないと成り立たない....と。....ところがウタはひとりでもいい....自分の歌う声が自分を癒してしまうのです。だれもがひとつしかないほんとうの声を持っている。そして声には力がある、自然と共鳴し、今のわたし、過去のわたしとも共鳴する.....響きであり光そのものでもあるのです。

  2年前、身体と心...その奥の魂と感覚を一体化させることに気づかされました。それはキャシーとRADAのニックさんやイランさんの教えであり、語るためにわたしはぜひともその目的を達成しなくては、と心に決めました。心よりも劣ったものであるとどこかで信じこまされていた身体、粗末にあつかって動かなくなった身体を最初はクリニックのセラピストさんの手にあずけ、次にとまどいながら向かい合い、自らの手で傷む足からさすり、ほぐし、今年、自力整体をはじめてゆがんでぼろぼろになっていた身体を抱きしめました。身体がわたしの気持ちに応えはじめました。

  朝、わたしははじめてわたしの左脚をうつくしい...と思った....健やかにすらりと伸びた左脚、そしてまだすこし撓んで彎曲している右肢もいとしいと思いました。そして一体化させるもなにも、身体も心も感覚もみな最初からひとつだったことに気づいたのです。身体は共鳴体です。ひとに共鳴し自然に共鳴する楽器です.......雷鳴が轟いています。....わたしは事務所にひとりいて とても孤独で恐怖もすこしありますがその孤独をたのしんでいます......ひとりでいてひとりでない、たくさんの存在がこの空間には木霊しています。

  今から2000年前は人類にとって大きな転機だったように思います。イエス、仏陀、マホメッド...聖者たちの機を一にしての出現はなにか大いなる意図を感じるのです。彼らは語りました。触れました。癒しました。そして亡くなってから100年単位の時間を経て 弟子たちの手で教えが記されました。それは大いなるものの影のような香りのようなものに過ぎなかったのでは....と思うのです。人類は刻印を受け取りました。人の手になる思い違いや書き違いや恣意的なものも含めて.....。一神教の教えはいつしか飽くなき自然の征服となり、人類は自我を知り、自然と調和する太古の教えは歴史の塵の下に忘れさられようとしていました。

  不思議なことに太古の教えをほそぼそとつないできたひとびとはおおかた文字を持たなかったのです。口から口へ長い長い時の流れのなかを聖なる教えがつたわってきたのは、それはとても深い意味があるように思われます。....喪ったものを取り戻す手立てはありましょうか? ..........わたしはあまり心配しません。古きよきものはわたしたちのなかにあったし、今もある、目覚めるのを待っている....そんな気がするからです。

  ....天の底が抜けたような豪雨が屋根を轟々と叩いています。すさまじい雨です。赤外線カメラに映る雨は光の洪水のように見えます。この世の終わりのように世界が金色に燃えあがっている......この2000年は勝者の歴史でありました。経済によって世界は動くようになりました。凍土は融けだして、南の島は波に沈みます。大気も大地も水も穢されました。これからもっともっとあり得ないことが起きてくるでしょう。けれどもそれは、わたしたちの目覚めのために必要なことのように感じます。わたしたちは来るべきものに怯えることはない、考える時は今をおいてない。ゆっくり考えて、微笑んで ただひとつの存在である自分をたのしみましょう...翅を震わせて鳴く虫のように....。

  ひとは不思議な生き物です。肩と腰と膝と足の指の関節が連動してるなんてわたしは知らなかった。どれかひとつをほぐせばどれにも響いてほぐれてゆく。身体と魂ともうひとつのものはかさなっている。身体と魂のあいだにはすきまがあるけれど そのすきまを埋める一瞬があります。芸とかアートとか今言われているもののはたらきはそのすきまを埋めること、人類が遠く忘れていた、星との絆、この宇宙を創造したものとの絆、過去の自分、遠い人類の祖先とのつながりを思いださせること、ひとの出自と宿命を知らしめることだと感じるのです。そのとき感動が生まれます。

  なにゆえか知らないが人類の文明は幾たびも滅びました。ホピの伝説によれば造物主....の教えをわすれ、快楽、物欲に走ったから.....といわれます。つながり....を取り戻す、それぞれの存在をあるがまま持ち寄って受け止めて....。星の降る夜ちいさな虫たちのひとつひとつの生命が響きあって波となってわたしたちの骨の髄の幾億年の記憶を甦らせます。虫たちにならって身体と魂とそのまま響きあう楽器になりたいと思います....風に鳴り、月光に響き、ひとのこころの喜びや悲しみに震え、宇宙と共鳴する楽器になりたい....ひとはそのようなものにできていると思いませんか。





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   昨夜 満喜子先生と片岡先生、奈良裕之さん、Overtone Breath Bandの”共鳴する身体”Resonance....に行きました。二部はワークショップでした。仕事に追われて、内幸町ホールに着いた時には舞台は青く染まり原初のうねりを思わせるようなウタと踊りが繰り広げられていました。奈良さんの音楽は倍音の渦で...わたしはその響きで向こう側に連れていかれそうでした。なかでも鈴....スレイベルのような巫女の持つ魂振りの鈴のような....あの音に身体が共鳴して身体と魂のすきまを響きが満たし わたしは振動する身体を抑えたものか解き放っていいものか一瞬迷いました。

   二部はワークショップでした。片岡通人さんは東京シティバレー団を経て創作舞踊に入った方です。意識を肩からゆびさきに向かってすこしずつ充たしてゆく...すると意識するだけで身体が反応しました。ひとはもともと身体と魂と感覚と一体のものだった....精妙な器だったのです。....そして宇宙でたったひとつの楽器でもある....150名の声の倍音はとよもす波となりました。

   そして、わたしはあっという間に境界を越えていました。変性意識といいます。非日常意識、ユング心理学の集合無意識の領域、いわゆる神懸り状態です。声は150名の倍音のはるか高みに飛翔してわたしはウタっていました。聞いたことのないうつくしい歌でした。どこから出ているのかわからない声でした。川瀬先生の個人レッスンで川瀬先生から求められていたものがその時わかった。宇宙につながること....わたしはクリスタルの結晶.天と地を讃える楽器でした。

   わたしはもしかしたらそうではないか...と感じていたもの......太古のシャーマンの末裔のひとりであることをあらためて自覚しました。今 読んでいらっしゃる方縁につながる方のなかにもそのような方がいらっしゃるかもしれませんね。....いつのまにか消え去ってしまったひとびとがいます。天と地のあいだで調和して平和に生きていたひとびとは、いつのまにか滅びてしまったように見えます。けれどもそのひとびとの血はわたしたちのなかに流れている....わたしが呼び覚まされたように、わたしはひとびとのなかに眠っているたいせつなものを呼び覚ましたい....ウタとカタリで...夕べ、扉が開きはじめました。その向こうにあるのはスピリチュアルであって”知”です。


オリオン星雲





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   今日は一日雨音のなかでパソコンに向かっていました。真夏とは思えぬ涼しさです。娘の拵えた朝のスープがたいそう滋味があり美味しくて夏に疲れたからだに沁みとおりました。わたしもパンケーキを焼きました。バタがなじんだところにメープルシロップをかけてこのパンケーキとバタとメープルシロップのハーモニーがくつろいだ日曜日の喜びを奏でます。そのうえに生姜紅茶にこれまたメープルシロップです。ジャムより蜂蜜よりメープルシロップは身体に溶け込んでゆきます。森を食べているんですものね。

   さて、今日はケルトの伝説、"一夜にして沈んだイスの都の伝説”あるいは赤き髪のダユーの再話のテキストをつくりました。きのう読んだ物部文書をまとめたいところですが、ちょっとひとやすみといったところです。古代日本と1500年前のケルト、そして500年前のアメリカ、クレイジーホースのものがたり、手がけているのは一見バラバラに見えますが実は共通しています。

   実は三つとも土着の神...とあたらしい神の相克のものがたりでもあるのですね。ケルトの自然の中の精霊、狂おしい波や炎と新興のキリスト教、やはり土着の縄文の神と大陸から渡ってきたあたらしい文化あたらしい神、そしてスピリットとキリスト教....といってもそんなに簡単な構造ではなくケルトの民が上陸する前今から3500年前にはすでに巨石文明があるんです。

.....それで吃驚なのはストーンヘンジ(4000年~5000年前)とか三内丸山遺跡(4500年前)、マルタ島の神殿(6000年前)、エジプトの神殿などには共通項がある。それは神殿ではその出入り口が、巨石では結ぶラインがたいてい夏至か冬至、あるいは春分秋分の日の、日の出の方向を向いているそうなのです。たとえば三内丸山遺跡の6本の柱を真上から見て、対角線の西と東を結ぶとちょうど春分・秋分の東西ラインに対応するそうです。金山巨石群のふたつの岩とストーンヘンジは夏至の日の出方向と冬至の日の入方向を示しています。太古の文明は太陽崇拝なんですね。

   語り手としてわたしは神話、昔話についてのちのちのキリスト教、ユダヤ教、仏教、イスラム教などに侵食される以前の原初に近いものがたりにちかづいてゆきたいのです。その底深い望に急かされて彷徨ったり走ってしているんですね...。すると道の傍に語りたい魅力的なものがたりが咲いていまして、とりあえず片端から再話しようというわけです。


これはケルトの渦巻き文様 (ニューグレンジ遺跡)
生と死、復活・再生の象徴..外輪の起点が生、中心の終わりが死を意味している

出雲大社、三本の柱を結わえてひとつにしている。ニサの神殿も同じである。ケルトの渦巻きにも似ている。古代3は聖なる数、そして6も聖なる数だった。


 ついでに芥川龍之介の最後の戀といわれる松村みね子のものがたりをまとめました。松村みね子は本名片山廣子歌人でもありましたが、フィオナ・マクラウド イェイツ ダンセイニの訳者としても有名です。訳文は平易でありながら高雅で薫るよう....わたしはとても好きです。

  松村みね子はクチナシ夫人という愛称で芥川龍之介や室生犀星に敬愛されていたようです。歌集”翡翠” カワセミのなかから.... 

  ことわりも教えも知らず恐れなくおもひのままに生きて死なばや
  よろこびかのぞみか我にふと来る翡翠の羽のかろきはばたき

帝大時代 芥川は翡翠に賛辞を寄せていました。いつ詠んだものか知りませんがこの歌はみね子が芥川に寄せたもののような気がします。大き都と読んだときケルトを愛したみね子の心に滅びしイスの都のことが過ぎったのかもしれません。

  つまづきし一人の人を惜しむかな大き都のほろびつる如

芥川はご存知のように漠然とした不安を抱いて自害しました。享年35歳でした。

  

  


  


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   ただいま”ホツマツタエ”にはまっております。ホツマツタエとは記紀以前の日本最古の叙事詩という説もあり、また江戸時代につくられた偽書であるという説もある問題の書物です。学会においては、中国より漢字が伝来する前にわが国は文字がなかった...ということを根拠に偽ものであるとされているのですが、近年ホツマツタエに惹かれる方は多いようです。

   ”ホツマツタエ”の意味は「真の伝説」..とでも言ったらいいでしょうか。日高見ヒタカミの国(東北地方にあったとされる)のものがたり、ヒタカミはまた高天原でもありました...その内容は記紀よりはるかにおおどかで豊か...古事記の登場人物もより具体的に生き生きとしています。それだけでなく宇宙の成り立ち、生死とはなにか 国家とはなにか、ひとの不幸の原因 皇室とはなにか 身体によい食べ物とは 男女のやくわりとは....などなど和歌 40章(アヤ)に目も綾に織り込まれているのです。

   イサナキイサナミは最初にヒルコ(のちに和歌姫となります)を生み、つぎに日神ウヒルキ(大日霊貴)またの名はアマテル(天照大神)男神を生みました。アマテルには12后神がいて..といっても後宮とはすこし違ったようです。この12人の后はそれぞれ12の地方についてアマテルがまつりごとをする補佐をし、1年のうち1ヶ月身の回りのお世話をしたとか...このなかの中宮(正后)が瀬織津姫でした。瀬織津姫は太祓詞に祓戸四神のひとりとして出てきますが記紀には登場しません。いはば隠された神のひとりです。天照大神が女神とされたとき、后としての瀬織津姫も消されてしまったのでしょう。アマテルのほかにツクヨミ、ソサノオが生まれますがこのソサノオはとんでもないことをしたのです。八叉?のおろちは12后神のひとりが怨念から変化ヘンゲしたものでした。

   アマテルの皇子オシホミミが皇子のホアカリとニニギを西方に遣わした後、ヒタカミは次第に衰え、西日本ではニニギの子孫である大和朝廷が勃興してきます。そして時は流れヤマトタケが東征にやってくるのです。ホツマツタエの後半の主人公はヤマトタケです。

   未開といわれた東北が実は豊かに縄文文化が栄えた地であったことは1994年青森郊外の三内丸山遺跡で約4500年前(縄文中期)の巨大木造建築跡が発見されたことで立証されました。下の写真は復元されたものです。縄文では最大級の集落跡もありそれは6000万年前のものだそうです。...ホツマツタエが真書なのが偽書なのか実際はわかりません。けれども 日本に漢字が伝わる以前に文字がなかったって....これだけ賢い日本人なのだからないわけないじゃん!と思いませんか? 学者の多くは神代文字は後世つくられたものといっておりますが、わたしは昨年神代文字展になにも知らずに友人に連れられていったときの衝撃を忘れられません。

   その文字からはエナジーが迸っていたのです。それは呪術めいたものでなくどこまでも明るい清い気でした。ほんものだと思いました。口から出る”ことのは”だけでなく昔は文字にも力があったんですね。....ただ悩ましいことがあるのです。オオクニヌシですが、ホツマツタエでは国譲りをしたあとヒタカミであたらしい都をつくります。出雲神社にいるオオクニヌシ ヒタカミの国にいるオオクニヌシ どちらがただしいのかどちらも正しいのか....考える時間はたっぷりありますから オオクニヌシのものがたりはのちのことにいたしましょう。






1本の柱の高さは20Mあったそうです。ざっと10階建てくらい!?
この6本...という本数には深い意味があったはずですが 忘れたので思い出したら書きます。


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   夏休みがおわりました。わたしの盆休みは15日の午後から17日までだったのですが....収穫がありました。ひとつはオオクニヌシの国譲りについてなのだが、どう考えてもおかしいのです。

   オオクニヌシはスクナヒコノミコトの力を借りて豊葦原中国(トヨアシハラナカツクニ;神々の住む高天原と黄泉泉根国..あの世のあいだの国すなわち人間の世界)をいっしょうけんめいつくった、ようやくできあがったところで アマテラスのお使いの神が、出雲国の伊那佐の小浜に降り立ち、剣を二振り波間に突きたててオオクニヌシに言った。あなたが治めている豊葦原中国は、アマテラスの子孫が治めるべき国である。

   ずいぶんひどい話だと思いませんか?恐喝同然です。オオクニヌシもすぐには承諾しなかった。オオクニヌシは使者の詰問に直接答えず、自分の子供のコトシロヌシノミコトに聞いてくれ、コトシロヌシがOKなら考えましょう...といいます。そして、(使者は海辺で釣りをしていたコトシロヌシノミコトに迫ります)コトシロヌシノミコトがOKすると、オオクニヌシノミコトはもうひとりの息子タケミナカタノミコトにも聞いて欲しいといいます。この力自慢の息子タケミナカタがアマテラスの使いタケミカヅチに相撲(これは比喩でしょう)で負けて承諾したあと、初めてオオクニヌシは国譲りに応じるのです。それも「国はあげるから、私が住むための大きな宮殿をたてて欲しい」と条件をつけます。これが出雲大社、その高さ48Mといわれます。

   2012年に出雲大社で古代の柱のあとが発見されました。下の写真巫女さんの前にあるのがその柱、もう一枚の写真は当時の出雲大社の復元図です。不安定なため幾度か倒壊したようです。




   
   オオクニヌシの国ゆずりのものがたりにはつづきがあります。コトシロヌシノカミは自害したという説もあります。タケミナカタノミコトは諏訪まで逃げてその土着の神と話し合って諏訪神社に祀られました。タケミカヅチに命乞いをして諏訪から二度と出ないならと許されました。これが諏訪の上社です。ところがその後朝廷は下社を立てます。御柱祭とはタケミナカタノミコトを封じこめる意味があるというのです。

   さて、話をもとに戻しましょう。オオクニヌシの国ゆずりの物語がまったくの作り話とは思えない。なんらかの史実があったとみなすのが妥当と思います。しかしアマテラスがはじめからここにいた、権限があったのなら恐喝する必要などないはずです。そこから....オオクニヌシのほう(出雲族)が先にいて国を整えていた。あとからきたアマテラスの一統(ヤマト)が力づくで奪い取ったのではと考えられます。

   古事記を編集させた当時の権力者が内外に伝えたいことひろめたいことはなにかというと「天孫降臨」と「オオクニヌシの国ゆずり」だろうと思うのです。すなわち自分たちの血統の由緒正しさ...天からくだった神...民たちを統治するのにふさわしい何代もつづいた一族である.....武力で制圧したのではなくもともとの権限を譲られた...というアリバイつくりが記紀の編集の底にあった。....そこで天皇の家系の途中までは屈服させた豪族たちの持つ伝承などをつなぎあわせた....のではないかと思うのです。天降る...のアマとは海のアマではないか、すなわちヤマトは海を渡ってきた一族ではないかという説があります。

   ところで伊勢神宮は古代皇室(ヤマト)の氏神で中世まで皇室以外のひとが参拝することは許されませんでした。(....しかし持統天皇以前、ちかごろでは明治天皇以前までは天皇の参拝はなかった...天皇の参拝は忌みごとだった。これも謎ですね。)なぜ、タケミナカタノミコトは信州に逃げたのか? 距離的に離れている出雲の方言と東北弁が似ているのはなぜか? ...信州、安曇野をとおるたびにバスのなかで目覚めてしまうのはなぜか? 安曇野になにかがあると感じるのはなぜか....いつか出雲に行ってみたい....

   こんなことを考えながらわたしは父のことに思いを馳せました。父は歴史が大好きで神社仏閣をよくたずねていました。父との最後の晩...話してくれたのは南朝正統論と歴史のうえで源氏と平氏が順番に政権を担っているという事実でした。わたしが歴史に首をつっこむようになったことを知ったら父はなんというでしょう。....父のような歴史好き、巷の考古学者やは大勢いらっしゃるようです。

   ある方は古事記の登場人物の動詞に目をつけました。そこで国譲りの前後でアマテラスのつかう動詞がすっかり変わっていることに気づいたそうです。ある方は出雲大社の近くに洞窟を発見しました。その洞窟は地元の方は決して近寄らない場所なのだそうです。出雲大社は虐殺されたオオクニヌシの一族の祟りをおそれて建てられたというのがその方の考えでした。今年亡くなった歴史学者吉野裕子さんは主婦でありながら、なぜ踊りで扇子をつかうかという疑問から古代史に夢中になり、さまざまな発見をされた方でした。

   歴史の真実がどこにあるか、それはかならずしも 学会の偉い方々の意見がどうであるかとは別のもののように思います。松岡正剛氏の本に歴史を意味する「ヒストリー」の語源には”物語る”(historia)という意味が含まれるとありました。歴史を知る、歴史をものがたる....ことには意味があります。それは過去を回顧するのでなく、今を考えること明日を考えることにつながってゆくのです。やすみのあいだに見つけたことはいくつかあって ひとつずつ書いてゆきたいと思います。






   

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  .....アベカズノリさんはおとこである。とてもいい男、顔が?いいえ 顔はごつい。エナジーがビンビンくる。電車であったら周囲 2Mはひとが引くだろう。語りを聴いていて 翻訳ものより和もの....それも任侠とか近松とか聴きたいなぁ...と思った。

   ごついけれど、透明感がある。この透明感はどこからくるの?アベさんはほんとに役者でいることがすきなんだ....たぶん名を売ろうとか金を稼ごうとか思っていないのかも......ちかごろ亡くなった赤塚不二雄さんの葬儀のタモリの弔辞の一節を思い出した。.....”あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折みせるあの底抜けに無邪気な笑顔ははるか年下の弟のようでもありました。......あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです.....”

   ”そして......その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかしあなたから、後悔の言葉や、相手を恨む言葉を聞いたことがありません。.....”

   日本にはそういう男が昔いっぱいいたんだと思う。自分の信じることのために向かっていくおとこ、強気をくじき 弱きをたすけ...子どものように無邪気にわらい.....帰りがけ.....アベさんに「......昔はあなたのような男がたくさんいた。でも今はいない。ずっと..... .....今日はありがとう」と話した。なにかに向かってまっすぐひたすら行く、ぐいぐい行く....すると余分なカザリとかアクみたいなものがはがれてすきとおってゆくのかも。意外とおんなには少ない。


   ......わたしにはわかっていた。わたしのすぐそばにそういうおとこがいたのだ。.....わたしの夫はであったころ、まさにそういうおとこだった。......わたしはそれだから一緒になった。人生には光と影がある。ひとには光と影がある。すべてのものに光と影がある。おとこについてゆくおんなには覚悟がいる。

   アベさんはもっと駆け上がるだろうな....ふとそんな気がした。ふたつの語りをとおしてわたしはまだ アベさんのなかのもっと暗い根源の闇を見せてもらっていない。それはあるだろうか....あったらすごい役者になるだろう。ワークショップがたのしみになった。.....それからついでに書いておくが、ネットカフェは推奨しません。場所にもよるだろうが あそこには煌々と白くひかるなかにしめやかにうごめくモノがある。あまりちかづかないないほうがよいモノの気配がある。





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.....昨夜 声の文化と文字の文化...についてまとめなおしました。これで声について考えるのはひとやすみして ものがたりを文字にとどめるというこれもまた苦しくも喜びにみちた作業にはいります。さきほど Sさんから聞き書きしたものがたりから「サイパンの青い灯赤い灯」構成しなおしました。語ってみるだけでなく、ものがたりのうらづけをとることは必要だなと思った次第.....。

....このまま、”名草姫伝説” ”今日は死ぬにはいい日だ”(ともに仮題)とつづけます。

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   しばらく声についてかんがえてきましたが、そろそろまとめようと思います。アメリカの学者ウオルター・オングは著書”声の文化と文字の文化”でこのように語っています。....人類のことばはながいあいだ「話しことば」だった。やがて文字を発明したがその文字は当初声を伴っていた。それがいつのまにか「書きことば」が社会文化の主流を占めるようになった。聴覚文化から視覚文化への切り替えがそこで起こった。.....書くということはことばを空間にとどめることである。これに対して声や音というものは、とどまることを知らない一方向性のものである。

   「声」の時代においては ことばは語り手と聴き手が共有する共同体のものでしたが、「文字」の時代においてはことばは文字として大量にストックされ、個として向き合うものとなりました。記憶から開放されて分析がはじまりました。自と他は明確に区別され、いのちとむすびついていたことばは解体され商品化され文字になりました。

.....オングは声の文化と文字の文化を比較しながら そこに東洋的なものと西洋的なものも対比していたのでしょうか。イエズス会士でもあったオングの耳は当然聖歌になじんでいた違いなく、聖歌の繰り返しや響きから声の文化、文字の文化に想いが至ったのかもしれません。(グレゴリア聖歌はモーツァルトの曲と同じような効果がありますが肉声ゆえに働きかける力が強いように感じます)声の文化、文字の文化のことばを変えれば聴く文化、見る文化といってもいいかもしれません。

   声のことばと文字のことばの圧倒的な違いはなんでしょう。口承の時代ことばが本来持っていた力..ものごとと直接むすびついていた呪力...声....呼吸....息...生きる....すなわちいのちとむすびついていた響き・パワーは文字になったとき、失われてしまったのです。


   そこで朗読や語りという行いがめざすものが見えてきます。「朗読」「語り」とは文字に固定されたことばに元々内在していた声・音を解きはなし、ことばの本来の力をとりもどす、ことばの身体性を回復することです。そして個として文字に向き合うことから、声をとおして共有するものに変えてゆく、視覚としてとりこむことから聴覚をとおして受け取ることに変換します。

. ..では朗読と語りはまったくおなじなのかといえば、そうではない。語りにはよりおおきな自由がある、と思うのです。ジャンルの自由....語るものがたりは無尽蔵です....ひとが生きているかぎり刻一刻と生まれている。そして方法の自由も....どんなスタイルをとることもできる。けれども もっと大きな自由は文字からの自由ではないか.....たしかに文字をまったく介さない語りはないけれど..カ語りは文字を見ません。文字を思い出して発語するのでなく、身体..感覚....心...想い....そしてイメージから直にことばを発語する....からだ こころ いのちからじかに発語する。

   身体と感覚と心の一体化とはこういうことだと思うのです。もう一度 オングのことばを借りるならことばにかって内在した”声”(の力)をどう取り戻してゆくか。かってひとがその声に持っていた「身体を通過する響き」をどう取り戻してゆくか......オングは西洋人の立場から考えました。オングについて紹介してくださったYさんありがとうございました。日本人として付け加えるならことたま...を甦らせることです。さらに ものがたりを響きにする 身のうちに魂に畳まれている自分のものがたり 一族のものがたり 種族のものがたりを響きにして聞き手に響かせる.... ......

   以上、一般的に述べました。プロアマを問わず圧倒的な朗読者、文字からのしばりから自由になった朗読者はいる...また朗読と語りとどちらが上か...というような見地ではないということを申し添えます。

   さきほど基礎講座二期の開催が確定しました。わたしの秋も決まりました。身体を通る響きを、ことばの力を取り戻すべく耳と声と感覚を鍛えなおします。。秋 原生林で語ってきます。日程があえば11月 遠野で瀬折津姫を語ります。....鎮魂のために。まだまだ暑い日々がつづきます。どうぞみなさま ご自愛くださいますように....。


声の文化 文字の文化




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   暑さ極まっておりますが、みなさまいかがお過ごしですか?今日は古事記について思うことをお話しましょう。....上つ巻、中つ巻、下つ巻のすべてが語れないという訳ではないのですが.....

.........太安万侶の序文によると第40代天武天皇が『古事記』編纂を思いつき、第43代元明天皇の時代にやっと完成したとされています。7世紀のことです。天武天皇の時代といえば、周囲を平定し律令国家の基礎ができた時代です。記紀編纂の目的は国の内外に大君=天皇家の由緒と正当性を知らしめるため...もともとは古事記も歴史書だったと言われています。

   それぞれの氏族がもっている言い伝えを集め編集し一つの神話にまとめたのはいいのですが、ここで正当性を誇るための創作や入れ替えが行われています。元来太陽神、天照大神が男神であったのを天照大神とその神に仕える日の巫女の長をすり替えてしまったのが最大の入れ替えでした。

   古事記を語ろうとするとき、天皇家のルーツならびに神の系譜を考えずにはおれません。なぜなら古事記は神話であり天皇家のものがたりであるからです。天皇家は一支族だったのではなかったようです。そして弥生時代、九州に上陸した渡来人(朝鮮・中国・或いは中央アジア諸説あり)であるというのがもっとも一般的な考えのようです。もうひとつ紀記に書かれているように天孫民族=シュメール人=セム人=イスラエルと同根であるという説もあります。

   では原日本人とは....縄文人は狩猟民族でした。蝦夷、熊襲、隼人と古事記上では蔑まれていますが、世界の他のネイティブとおなじように森 山 川 すべての生き物に神がやどると信じて暮らしていたひとびとでした。彼らの祖が果たして太古から日本にいたのかそれとも北方からあるいは南方からわたってきたのか。今DNAの解析が進められているようです。

   さて それはさておき わたしは語り手です。語り手はモノガタリ、見えないモノを語ります。ここで古事記が単なる夢のものがたりなら語ることはできる。文芸作品ならいとも簡単です。しかし、古事記には史実が含まれている...それが意図的に捻じ曲げられているとしたら....ふと考えてしまうのです。

   ことに神武東征....神武天皇は初代の天皇、海幸彦・山幸彦の山幸彦の孫にあたります。神武天皇=イワレヒコノミコト(本当はもっと長いなまえ)は最初太陽の昇る方向に向かって進軍します。そして幾多の困難をこえ、ネイティブジャパニーズを攻め滅ぼしてゆく。蝦夷や熊襲は背が高く彫りの深い顔立ちであったようです。神武東征のなかで最大の戦いが長脛彦との戦いです。しかしこれもだまし討ちにして、さんざんにバカにしている。後にでてくるヤマトタケルもそうなんですが策略でだまし討ちにすることが多い。勝てばなんでもいいのでしょうが....。

   ところで神武東征のなかで古事記にはなくてなぜか日本書紀にだけでてくるエピソードがあります。イワレヒコノミコトに殺される熊野の女王、丹敷戸畔(ニシキトベ)と 紀伊の国の女王、名草戸畔(ナグサトベ)の話、一説には丹生..水銀そして鉄として精錬する赤土を奪うために滅ぼしたといわれます。ふたりとも一族の首長であってシャーマンであったようです。

   わたしはこのふたりのものがたりを語りたい。語りには代弁....という深い意味がある。誰かの代わりに語る...それは鎮魂の語りです。わたしは自分が縄文人の末裔であると信じているせいもありますが、制圧者であるイワレヒコノミコトやヤマトタケルの代弁はしたくないのです。まつろわぬひとびと、うしなわれたひとびとの代わりに語りたい。

   ヤマトタケルは実在の人物ともいわれ複数の英雄がひとりのかたちをとったともいわれています。白鳥の伝説は美しい、けれども実は原日本人の伝説に白鳥伝説があるといわれます。ひのもとという国もあったようです。日の丸もあった。勝者はすべてを奪いました。土地も伝説も、そして古来の神もまたあたらしい神にその席を譲り渡しました。

   神話は単なる古代人の空想の産物ではありません。少年時代、イリアスが好きだったシュリーマンがトロイの遺跡を発掘したのは有名なエピソードですね。5000年前の神話・叙事詩ギルガメシュに出てくるギルガメシュ王は実在の王でした。またギルガメシュには旧約聖書のノアの箱舟によく似たエピソードが語られています。そしてノアの箱舟ではないかという遺跡も存在するのです。神話を語ろうとすることは編まれた正史の向こうにある真実の歴史に向き合おうとすることでもあります。常識を脱ぎ捨て こだわりのない明るい目で見ようとする視線を持ったとき、ものがたりの地平はかぎりなくひろがってゆくでしょう。

   わたしはかつて太陽神、天照大神が男神であることを、その后神である瀬折津姫に託して語ったことがあります。そのときのトランス状態ははんぱではなく怖しくさえなりました。それでも、歴史の断片をひろいあつめ、欠落を霊感でつなぎ、語ってゆきたいものがたりがある。それはわたしの語り手としての根幹です。他者が書いたテキストから甦らせ語るだけが語り手のつとめではありません。語り手は歴史の闇に対峙しひとの闇にも対峙する。語り手は手探りして隠されたモノガタリを見つけ出し、時には虚構のモノガタリをとおして目に見えないモノ、真実を語るのです。

   神武天皇とヤタの烏


   検索しておいでになった歴史好きの方がおられましたら、もし記述に疑問の点があったらご指摘ください。また日本のもっともいにしえの神々についてご教授ください。



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