遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。

 



   凭れていた窓から前触れも無くあかるい太陽の光が差し込んだ。日の光が目蓋をとおして赤く透けて見える。....あたたかくて気持ちよくて目をあけるとなつかしいあわいオレンジ色の光....子どものときそのままの太陽の光に包まれていた。こんなにしあわせだった子どものころ....。無垢はあった、ひとにも時代にも。....風が涼しくひたいにふれてゆく。足が床の下の大地を感じる....そのはるか下の水脈を流れている水を感じる。

   太陽と風と大地...そして水 ひとに必要なのはそれだけだった。草が萌え、木々がすっくりと天を射す。どこまでもひろがる草原...

   サマディボールの高く澄んだ響き、チベタンシンギングボールの深い響き、草原を吹く風のように咽ぶ笛、ビュンビュンと鳴る弓の弦.....大地踏む足音...ドルイドベルはシャララシャララ空からこぼれる....倍音が部屋の空気に波紋を描いてゆく....

   体内の血流がどくどくと脈打つ、音が韻きが身体を駆け巡り震わせる、太古のリズムに身体が揺れる、頭蓋が熱く燃える、火が背骨を奔る、頭頂のチャクラがひらく、胸腺のチャクラがひらく.....解き放つ....掌に受け止める.....今日 あかしの日 贄と差し出すただひとりのイニシエーション。土砂降りの雨、浄化の雨が今日でもう三日。





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....こんなに涼しくていいのでしょうか。リンリンと虫の音がすだきます。虫の音は外国の方には騒音としか聞こえないのだそうです。幾千の虫の声でしょう。虫の音は倍音そのもの.....だれもいない部屋で耳を清ませていると四方から虫の音が降り注ぎ音のシャワーを浴びているようです。身体やこころに絡みついたくさぐさのものがゆるみほどけて空気に滲んでとけてゆき、虫の音はますます深く沁みとおってきます。ものもたべず翅を震わせ歓喜のうたを、末期のうたを響かせる虫たちの生命の響きと私の生命の響きがとけあって天蓋のしたに生きているすべてのものと交流します。

  ずいぶんと無理や無茶もをしてきましたが、ほうーっとあるがままに 今ここにいます。以前に語りは聴き手がいてはじめて成り立つと書いたことがありました。芝居もそうでした。舞台も衣装も要らないけれど、観客がいないと成り立たない....と。....ところがウタはひとりでもいい....自分の歌う声が自分を癒してしまうのです。だれもがひとつしかないほんとうの声を持っている。そして声には力がある、自然と共鳴し、今のわたし、過去のわたしとも共鳴する.....響きであり光そのものでもあるのです。

  2年前、身体と心...その奥の魂と感覚を一体化させることに気づかされました。それはキャシーとRADAのニックさんやイランさんの教えであり、語るためにわたしはぜひともその目的を達成しなくては、と心に決めました。心よりも劣ったものであるとどこかで信じこまされていた身体、粗末にあつかって動かなくなった身体を最初はクリニックのセラピストさんの手にあずけ、次にとまどいながら向かい合い、自らの手で傷む足からさすり、ほぐし、今年、自力整体をはじめてゆがんでぼろぼろになっていた身体を抱きしめました。身体がわたしの気持ちに応えはじめました。

  朝、わたしははじめてわたしの左脚をうつくしい...と思った....健やかにすらりと伸びた左脚、そしてまだすこし撓んで彎曲している右肢もいとしいと思いました。そして一体化させるもなにも、身体も心も感覚もみな最初からひとつだったことに気づいたのです。身体は共鳴体です。ひとに共鳴し自然に共鳴する楽器です.......雷鳴が轟いています。....わたしは事務所にひとりいて とても孤独で恐怖もすこしありますがその孤独をたのしんでいます......ひとりでいてひとりでない、たくさんの存在がこの空間には木霊しています。

  今から2000年前は人類にとって大きな転機だったように思います。イエス、仏陀、マホメッド...聖者たちの機を一にしての出現はなにか大いなる意図を感じるのです。彼らは語りました。触れました。癒しました。そして亡くなってから100年単位の時間を経て 弟子たちの手で教えが記されました。それは大いなるものの影のような香りのようなものに過ぎなかったのでは....と思うのです。人類は刻印を受け取りました。人の手になる思い違いや書き違いや恣意的なものも含めて.....。一神教の教えはいつしか飽くなき自然の征服となり、人類は自我を知り、自然と調和する太古の教えは歴史の塵の下に忘れさられようとしていました。

  不思議なことに太古の教えをほそぼそとつないできたひとびとはおおかた文字を持たなかったのです。口から口へ長い長い時の流れのなかを聖なる教えがつたわってきたのは、それはとても深い意味があるように思われます。....喪ったものを取り戻す手立てはありましょうか? ..........わたしはあまり心配しません。古きよきものはわたしたちのなかにあったし、今もある、目覚めるのを待っている....そんな気がするからです。

  ....天の底が抜けたような豪雨が屋根を轟々と叩いています。すさまじい雨です。赤外線カメラに映る雨は光の洪水のように見えます。この世の終わりのように世界が金色に燃えあがっている......この2000年は勝者の歴史でありました。経済によって世界は動くようになりました。凍土は融けだして、南の島は波に沈みます。大気も大地も水も穢されました。これからもっともっとあり得ないことが起きてくるでしょう。けれどもそれは、わたしたちの目覚めのために必要なことのように感じます。わたしたちは来るべきものに怯えることはない、考える時は今をおいてない。ゆっくり考えて、微笑んで ただひとつの存在である自分をたのしみましょう...翅を震わせて鳴く虫のように....。

  ひとは不思議な生き物です。肩と腰と膝と足の指の関節が連動してるなんてわたしは知らなかった。どれかひとつをほぐせばどれにも響いてほぐれてゆく。身体と魂ともうひとつのものはかさなっている。身体と魂のあいだにはすきまがあるけれど そのすきまを埋める一瞬があります。芸とかアートとか今言われているもののはたらきはそのすきまを埋めること、人類が遠く忘れていた、星との絆、この宇宙を創造したものとの絆、過去の自分、遠い人類の祖先とのつながりを思いださせること、ひとの出自と宿命を知らしめることだと感じるのです。そのとき感動が生まれます。

  なにゆえか知らないが人類の文明は幾たびも滅びました。ホピの伝説によれば造物主....の教えをわすれ、快楽、物欲に走ったから.....といわれます。つながり....を取り戻す、それぞれの存在をあるがまま持ち寄って受け止めて....。星の降る夜ちいさな虫たちのひとつひとつの生命が響きあって波となってわたしたちの骨の髄の幾億年の記憶を甦らせます。虫たちにならって身体と魂とそのまま響きあう楽器になりたいと思います....風に鳴り、月光に響き、ひとのこころの喜びや悲しみに震え、宇宙と共鳴する楽器になりたい....ひとはそのようなものにできていると思いませんか。





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   昨夜 満喜子先生と片岡先生、奈良裕之さん、Overtone Breath Bandの”共鳴する身体”Resonance....に行きました。二部はワークショップでした。仕事に追われて、内幸町ホールに着いた時には舞台は青く染まり原初のうねりを思わせるようなウタと踊りが繰り広げられていました。奈良さんの音楽は倍音の渦で...わたしはその響きで向こう側に連れていかれそうでした。なかでも鈴....スレイベルのような巫女の持つ魂振りの鈴のような....あの音に身体が共鳴して身体と魂のすきまを響きが満たし わたしは振動する身体を抑えたものか解き放っていいものか一瞬迷いました。

   二部はワークショップでした。片岡通人さんは東京シティバレー団を経て創作舞踊に入った方です。意識を肩からゆびさきに向かってすこしずつ充たしてゆく...すると意識するだけで身体が反応しました。ひとはもともと身体と魂と感覚と一体のものだった....精妙な器だったのです。....そして宇宙でたったひとつの楽器でもある....150名の声の倍音はとよもす波となりました。

   そして、わたしはあっという間に境界を越えていました。変性意識といいます。非日常意識、ユング心理学の集合無意識の領域、いわゆる神懸り状態です。声は150名の倍音のはるか高みに飛翔してわたしはウタっていました。聞いたことのないうつくしい歌でした。どこから出ているのかわからない声でした。川瀬先生の個人レッスンで川瀬先生から求められていたものがその時わかった。宇宙につながること....わたしはクリスタルの結晶.天と地を讃える楽器でした。

   わたしはもしかしたらそうではないか...と感じていたもの......太古のシャーマンの末裔のひとりであることをあらためて自覚しました。今 読んでいらっしゃる方縁につながる方のなかにもそのような方がいらっしゃるかもしれませんね。....いつのまにか消え去ってしまったひとびとがいます。天と地のあいだで調和して平和に生きていたひとびとは、いつのまにか滅びてしまったように見えます。けれどもそのひとびとの血はわたしたちのなかに流れている....わたしが呼び覚まされたように、わたしはひとびとのなかに眠っているたいせつなものを呼び覚ましたい....ウタとカタリで...夕べ、扉が開きはじめました。その向こうにあるのはスピリチュアルであって”知”です。


オリオン星雲





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   今日は一日雨音のなかでパソコンに向かっていました。真夏とは思えぬ涼しさです。娘の拵えた朝のスープがたいそう滋味があり美味しくて夏に疲れたからだに沁みとおりました。わたしもパンケーキを焼きました。バタがなじんだところにメープルシロップをかけてこのパンケーキとバタとメープルシロップのハーモニーがくつろいだ日曜日の喜びを奏でます。そのうえに生姜紅茶にこれまたメープルシロップです。ジャムより蜂蜜よりメープルシロップは身体に溶け込んでゆきます。森を食べているんですものね。

   さて、今日はケルトの伝説、"一夜にして沈んだイスの都の伝説”あるいは赤き髪のダユーの再話のテキストをつくりました。きのう読んだ物部文書をまとめたいところですが、ちょっとひとやすみといったところです。古代日本と1500年前のケルト、そして500年前のアメリカ、クレイジーホースのものがたり、手がけているのは一見バラバラに見えますが実は共通しています。

   実は三つとも土着の神...とあたらしい神の相克のものがたりでもあるのですね。ケルトの自然の中の精霊、狂おしい波や炎と新興のキリスト教、やはり土着の縄文の神と大陸から渡ってきたあたらしい文化あたらしい神、そしてスピリットとキリスト教....といってもそんなに簡単な構造ではなくケルトの民が上陸する前今から3500年前にはすでに巨石文明があるんです。

.....それで吃驚なのはストーンヘンジ(4000年~5000年前)とか三内丸山遺跡(4500年前)、マルタ島の神殿(6000年前)、エジプトの神殿などには共通項がある。それは神殿ではその出入り口が、巨石では結ぶラインがたいてい夏至か冬至、あるいは春分秋分の日の、日の出の方向を向いているそうなのです。たとえば三内丸山遺跡の6本の柱を真上から見て、対角線の西と東を結ぶとちょうど春分・秋分の東西ラインに対応するそうです。金山巨石群のふたつの岩とストーンヘンジは夏至の日の出方向と冬至の日の入方向を示しています。太古の文明は太陽崇拝なんですね。

   語り手としてわたしは神話、昔話についてのちのちのキリスト教、ユダヤ教、仏教、イスラム教などに侵食される以前の原初に近いものがたりにちかづいてゆきたいのです。その底深い望に急かされて彷徨ったり走ってしているんですね...。すると道の傍に語りたい魅力的なものがたりが咲いていまして、とりあえず片端から再話しようというわけです。


これはケルトの渦巻き文様 (ニューグレンジ遺跡)
生と死、復活・再生の象徴..外輪の起点が生、中心の終わりが死を意味している

出雲大社、三本の柱を結わえてひとつにしている。ニサの神殿も同じである。ケルトの渦巻きにも似ている。古代3は聖なる数、そして6も聖なる数だった。


 ついでに芥川龍之介の最後の戀といわれる松村みね子のものがたりをまとめました。松村みね子は本名片山廣子歌人でもありましたが、フィオナ・マクラウド イェイツ ダンセイニの訳者としても有名です。訳文は平易でありながら高雅で薫るよう....わたしはとても好きです。

  松村みね子はクチナシ夫人という愛称で芥川龍之介や室生犀星に敬愛されていたようです。歌集”翡翠” カワセミのなかから.... 

  ことわりも教えも知らず恐れなくおもひのままに生きて死なばや
  よろこびかのぞみか我にふと来る翡翠の羽のかろきはばたき

帝大時代 芥川は翡翠に賛辞を寄せていました。いつ詠んだものか知りませんがこの歌はみね子が芥川に寄せたもののような気がします。大き都と読んだときケルトを愛したみね子の心に滅びしイスの都のことが過ぎったのかもしれません。

  つまづきし一人の人を惜しむかな大き都のほろびつる如

芥川はご存知のように漠然とした不安を抱いて自害しました。享年35歳でした。

  

  


  


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  デイケア 3ヶ所 幼稚園2クラス依頼がきました。あぁ 語りたいね。ワクワクします。いくら思索したって検索したって探索したって語る喜びにくらべたら.....。LTTAの授業そして発表会。うたおう 語ろう いっしょに遊ぼう もっと自分に種を蒔こう、水を注ごう。

  いよいよ始動です。東京大地震のうわさがありますが、この世の用事がすまないひとは死なない...ということばを信じ電車に乗って出かけましょう。地震の前は株価が動くことが多いようです。建設関連の株価の動きに注意しましょう。公開練習に参加します、満喜子先生のダンスと歌のコラボに申し込みました。仕事も動き出しました。一歩二歩踏み出して つぎからつぎと手を打ちます。今を嘆いても仕方がない。手をさしのべれば、とびらはかならずひらきます。みんなおいで 引き受けるから...


  仕事で来客とはなしているとき、Re-createということばがうかびました。RcycleではなくてRe-create......ものがたりもそうです。すべてがあった。あなたのなかに、わたしのなかに...そして世界に。わたしはそれを取り出して手渡しつなぐ。まなざしと意志と声の力で.....。すべてがあたらしく生々と湧きいずる。



  

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   ただいま”ホツマツタエ”にはまっております。ホツマツタエとは記紀以前の日本最古の叙事詩という説もあり、また江戸時代につくられた偽書であるという説もある問題の書物です。学会においては、中国より漢字が伝来する前にわが国は文字がなかった...ということを根拠に偽ものであるとされているのですが、近年ホツマツタエに惹かれる方は多いようです。

   ”ホツマツタエ”の意味は「真の伝説」..とでも言ったらいいでしょうか。日高見ヒタカミの国(東北地方にあったとされる)のものがたり、ヒタカミはまた高天原でもありました...その内容は記紀よりはるかにおおどかで豊か...古事記の登場人物もより具体的に生き生きとしています。それだけでなく宇宙の成り立ち、生死とはなにか 国家とはなにか、ひとの不幸の原因 皇室とはなにか 身体によい食べ物とは 男女のやくわりとは....などなど和歌 40章(アヤ)に目も綾に織り込まれているのです。

   イサナキイサナミは最初にヒルコ(のちに和歌姫となります)を生み、つぎに日神ウヒルキ(大日霊貴)またの名はアマテル(天照大神)男神を生みました。アマテルには12后神がいて..といっても後宮とはすこし違ったようです。この12人の后はそれぞれ12の地方についてアマテルがまつりごとをする補佐をし、1年のうち1ヶ月身の回りのお世話をしたとか...このなかの中宮(正后)が瀬織津姫でした。瀬織津姫は太祓詞に祓戸四神のひとりとして出てきますが記紀には登場しません。いはば隠された神のひとりです。天照大神が女神とされたとき、后としての瀬織津姫も消されてしまったのでしょう。アマテルのほかにツクヨミ、ソサノオが生まれますがこのソサノオはとんでもないことをしたのです。八叉?のおろちは12后神のひとりが怨念から変化ヘンゲしたものでした。

   アマテルの皇子オシホミミが皇子のホアカリとニニギを西方に遣わした後、ヒタカミは次第に衰え、西日本ではニニギの子孫である大和朝廷が勃興してきます。そして時は流れヤマトタケが東征にやってくるのです。ホツマツタエの後半の主人公はヤマトタケです。

   未開といわれた東北が実は豊かに縄文文化が栄えた地であったことは1994年青森郊外の三内丸山遺跡で約4500年前(縄文中期)の巨大木造建築跡が発見されたことで立証されました。下の写真は復元されたものです。縄文では最大級の集落跡もありそれは6000万年前のものだそうです。...ホツマツタエが真書なのが偽書なのか実際はわかりません。けれども 日本に漢字が伝わる以前に文字がなかったって....これだけ賢い日本人なのだからないわけないじゃん!と思いませんか? 学者の多くは神代文字は後世つくられたものといっておりますが、わたしは昨年神代文字展になにも知らずに友人に連れられていったときの衝撃を忘れられません。

   その文字からはエナジーが迸っていたのです。それは呪術めいたものでなくどこまでも明るい清い気でした。ほんものだと思いました。口から出る”ことのは”だけでなく昔は文字にも力があったんですね。....ただ悩ましいことがあるのです。オオクニヌシですが、ホツマツタエでは国譲りをしたあとヒタカミであたらしい都をつくります。出雲神社にいるオオクニヌシ ヒタカミの国にいるオオクニヌシ どちらがただしいのかどちらも正しいのか....考える時間はたっぷりありますから オオクニヌシのものがたりはのちのことにいたしましょう。






1本の柱の高さは20Mあったそうです。ざっと10階建てくらい!?
この6本...という本数には深い意味があったはずですが 忘れたので思い出したら書きます。


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   夏休みがおわりました。わたしの盆休みは15日の午後から17日までだったのですが....収穫がありました。ひとつはオオクニヌシの国譲りについてなのだが、どう考えてもおかしいのです。

   オオクニヌシはスクナヒコノミコトの力を借りて豊葦原中国(トヨアシハラナカツクニ;神々の住む高天原と黄泉泉根国..あの世のあいだの国すなわち人間の世界)をいっしょうけんめいつくった、ようやくできあがったところで アマテラスのお使いの神が、出雲国の伊那佐の小浜に降り立ち、剣を二振り波間に突きたててオオクニヌシに言った。あなたが治めている豊葦原中国は、アマテラスの子孫が治めるべき国である。

   ずいぶんひどい話だと思いませんか?恐喝同然です。オオクニヌシもすぐには承諾しなかった。オオクニヌシは使者の詰問に直接答えず、自分の子供のコトシロヌシノミコトに聞いてくれ、コトシロヌシがOKなら考えましょう...といいます。そして、(使者は海辺で釣りをしていたコトシロヌシノミコトに迫ります)コトシロヌシノミコトがOKすると、オオクニヌシノミコトはもうひとりの息子タケミナカタノミコトにも聞いて欲しいといいます。この力自慢の息子タケミナカタがアマテラスの使いタケミカヅチに相撲(これは比喩でしょう)で負けて承諾したあと、初めてオオクニヌシは国譲りに応じるのです。それも「国はあげるから、私が住むための大きな宮殿をたてて欲しい」と条件をつけます。これが出雲大社、その高さ48Mといわれます。

   2012年に出雲大社で古代の柱のあとが発見されました。下の写真巫女さんの前にあるのがその柱、もう一枚の写真は当時の出雲大社の復元図です。不安定なため幾度か倒壊したようです。




   
   オオクニヌシの国ゆずりのものがたりにはつづきがあります。コトシロヌシノカミは自害したという説もあります。タケミナカタノミコトは諏訪まで逃げてその土着の神と話し合って諏訪神社に祀られました。タケミカヅチに命乞いをして諏訪から二度と出ないならと許されました。これが諏訪の上社です。ところがその後朝廷は下社を立てます。御柱祭とはタケミナカタノミコトを封じこめる意味があるというのです。

   さて、話をもとに戻しましょう。オオクニヌシの国ゆずりの物語がまったくの作り話とは思えない。なんらかの史実があったとみなすのが妥当と思います。しかしアマテラスがはじめからここにいた、権限があったのなら恐喝する必要などないはずです。そこから....オオクニヌシのほう(出雲族)が先にいて国を整えていた。あとからきたアマテラスの一統(ヤマト)が力づくで奪い取ったのではと考えられます。

   古事記を編集させた当時の権力者が内外に伝えたいことひろめたいことはなにかというと「天孫降臨」と「オオクニヌシの国ゆずり」だろうと思うのです。すなわち自分たちの血統の由緒正しさ...天からくだった神...民たちを統治するのにふさわしい何代もつづいた一族である.....武力で制圧したのではなくもともとの権限を譲られた...というアリバイつくりが記紀の編集の底にあった。....そこで天皇の家系の途中までは屈服させた豪族たちの持つ伝承などをつなぎあわせた....のではないかと思うのです。天降る...のアマとは海のアマではないか、すなわちヤマトは海を渡ってきた一族ではないかという説があります。

   ところで伊勢神宮は古代皇室(ヤマト)の氏神で中世まで皇室以外のひとが参拝することは許されませんでした。(....しかし持統天皇以前、ちかごろでは明治天皇以前までは天皇の参拝はなかった...天皇の参拝は忌みごとだった。これも謎ですね。)なぜ、タケミナカタノミコトは信州に逃げたのか? 距離的に離れている出雲の方言と東北弁が似ているのはなぜか? ...信州、安曇野をとおるたびにバスのなかで目覚めてしまうのはなぜか? 安曇野になにかがあると感じるのはなぜか....いつか出雲に行ってみたい....

   こんなことを考えながらわたしは父のことに思いを馳せました。父は歴史が大好きで神社仏閣をよくたずねていました。父との最後の晩...話してくれたのは南朝正統論と歴史のうえで源氏と平氏が順番に政権を担っているという事実でした。わたしが歴史に首をつっこむようになったことを知ったら父はなんというでしょう。....父のような歴史好き、巷の考古学者やは大勢いらっしゃるようです。

   ある方は古事記の登場人物の動詞に目をつけました。そこで国譲りの前後でアマテラスのつかう動詞がすっかり変わっていることに気づいたそうです。ある方は出雲大社の近くに洞窟を発見しました。その洞窟は地元の方は決して近寄らない場所なのだそうです。出雲大社は虐殺されたオオクニヌシの一族の祟りをおそれて建てられたというのがその方の考えでした。今年亡くなった歴史学者吉野裕子さんは主婦でありながら、なぜ踊りで扇子をつかうかという疑問から古代史に夢中になり、さまざまな発見をされた方でした。

   歴史の真実がどこにあるか、それはかならずしも 学会の偉い方々の意見がどうであるかとは別のもののように思います。松岡正剛氏の本に歴史を意味する「ヒストリー」の語源には”物語る”(historia)という意味が含まれるとありました。歴史を知る、歴史をものがたる....ことには意味があります。それは過去を回顧するのでなく、今を考えること明日を考えることにつながってゆくのです。やすみのあいだに見つけたことはいくつかあって ひとつずつ書いてゆきたいと思います。






   

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   金メダルの影には名コーチがいる。北島選手を育てた平井伯昌コーチ、同じく田口信教選手他を教えた徳田一臣コーチ、荒川静香のモロゾフさん、その他日本のシンクロは井村雅代コーチなしには考えられないし、イチローに新井宏昌コーチがいた。

   役者を育てるには演出家が必要だし、歌手にも恩師と呼ばれるひとがいる。芸人はお客の力も借りるけれど ひとりでは育たない、やはり師匠が必要だと思う。

   ところが、たいていの語り手は、自分でものがたりをえらび、練習し、演出し全部自分でしなければならない。もちろん、仲間うちで講評はあるのだが、腹の底から身体を張ってことばにしてくれるひとは少ないし、なぜこうなったか、どうすれば良くなるか...という理論ではなく ここがちょっと...どまりなのだ。結局 「それぞれの語り口よね」、「ものがたりって語るひとでみんな違うのよね」シャンシャンシャンで讃えあっておしまい...の場合も多い。趣味のサークルならそれでいい、だがこれでは伸びようがない。

   なぜ 名コーチかといえば、”うつくしいフォームにするために身体的になにが必要か””技術とそこにいたる方法をどれだけ習熟しているか””選手の持っているものをどれだけ引き出せるか”の他に”精神的なささえ手”でなくてはならない。「人間をどこまで知っているか」ということと「相性」「お互いにどこまで信頼できるか」「おなじ目的に向かっていけるか」ということではないか。ゆえに名選手が名コーチになるとはかぎらない。そして語りの場合、コーチに近いひとがいるとして、コーチもまた現役の語り手であることが多い。これは非常にまずい。冷静に相手を見ることができない場合があるのである。それとコーチたるひとが自分の固有の世界の彼方に視線を持たなかったり、受けるひとの可能性に気づかなかったりするために、自分とおなじように育ててしまう....というリスクがつねにつきまとう。グループの語りはときに似てくる。

   わたし自身、さまざま師と仰ぐ方にであってきたけれど、実際の芸の部分でよいコーチを得るのはなまなかではないし...まして精神的なものを求めるのは不可能とわかっただけだった。たとえば発声やアクセントとか部分的なことでは多くを教わったのだが、まるのままともに手を携えて目指してゆこうとするのは無理だった。それはわたしとおなじ方向性を持つひとと今のところ出会っていないからでもあろう、目指すものがひとり芝居でなく、今までの語りとも違う、.....いはば先祖帰りの語りであるためかもしれない。

   一方 伝える側、コーチする側としてもむつかしいところにいる。初心者を語りに導くのは自信があるのだが、ある程度のところまで行ったひとをどう育てるか...という点については今一歩踏み出せない。カタリカタリでやる気があるひとがいれば育てたい、伸びてゆく手助けをしたい....と思う。しかしまだ一歩引いてしまうのは、果たしてそこまで求められているか...という躊躇がある、そして自分を超えてゆく語り手を育てるだけの器量が自分にあるか自信がないのだ。

   語り手ならだれでも感じたことがあるのではと思うが、ひとの語りを聴いて...やられた!と思う一瞬がある。実はカタリカタリでは年に何度かある。それは上手い下手もあるけれど、それ以上に神に愛された語り....という感覚がわたしにはあってわたしはそれに弱い。上手い下手ではなくて、天地を統べる存在....神でもエナジーでも......その御心にかなう語りがしたいのである。

   そういう語りを聴いたとき、雑念なく、妬ましいという感情が一滴もなく心の底から祝福できるか.....透明な水晶のような隈無き自信はない。技術なら持てるかぎりのことは伝えて悔いはない。だが.....。またメンタルなところでコーチの一言は重い。落ち込んだときのひとことは重い。わたしはもしかしたら不用意なひとことでたぐい稀な語り手の芽をひとつ摘んでしまったのではと危惧している。その悔いがあるから一歩を踏み出せないのかもしれないが....。

   
   桃を買いに外に出た。ブルーの西空に冴え冴えとまるい月が懸かっていた。....それでも 語り手を育ててみたいと思った。発展途上のわたしが言うのもおこがましいが、二人三脚でほんものの(...とわたしが思う)語り手と歩いてみたい....いつかは....。もっと度量のある器になれたときに....。

   ひさしぶりに「D」でコーヒーをたのんだ、炒り立てのコーヒーの甘いかぐわしい香り....クレィジー・ホースに心をかさねる。青い闇、草原にひとり腰を下ろし草を噛みながら 想いにふけるクレィジー・ホースの横顔.....静謐がわたしの芯におとずれる。不意に泣きたくなる。....とても静かで。.....風がさわさわ吹いている....名草姫の顔がかさなる....毅然と蒼ざめた顔にほつれた黒髪がふたすじみすじふりかかる.....




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   オリンピックから目が離せない。先日、オリンピックは国家の擬似戦争であると書いたけれど、それ以上にひとりひとりの人間の不屈のドラマがあってそれが心を振るわせる。北島康介さんの 平泳ぎ100、200の金メダルは素晴らしかった。挫折と栄光すなわち死と再生がそこにもあった。北島選手は「金メダルをとる」と宣言した。「とれなかったら帰ってきません」と記者にマジ顔で言った。公言することで自分を追い詰めてゆくひとだ。

   もうひとり気になったのは体操の富田選手だった。無口な富田選手はボソリ「(メダルより)自分の求める体操をしたい」と言った。こちらも勇気ある発言だった。体操は採点法が変わって、難度の高い演技に与えられるA点と完成度のB点の二本立てとなった。うつくしい完成度の高い体操をめざす日本にとっては不利である。(日本は政治的に弱いので、たいていの改正は日本の不利になる。スキーのジャンプのルール改正も日本にターゲットをしぼったものだった。)メダルをとることがすべてみたいな風潮のなかで自分の体操をつらぬくとさらり言ってしまうことは半端な気持ちではできない。ふたりとも”武士・もののふ”である。
 
   以前にも書いたがアスリートの戦いは見ていてとても参考になるし、勇気をくれる。アスリートに必要なのはストイックさである。自分の良いところも弱点も知り尽くすこと、分析そして努力。日々のメニュウをこなすこと。アテネのとき体操の仲間が「富田さんは練習しないんですよ」....と言ったそうだが、隠れた努力はする人だと思う。

   さて、オリンピックを観戦しながらわたしもハードルをひとつ越えた。8/10にこのブログで”宣言”したように”名草伝説”を書き終えた。2300字ほどのちいさなものがたりだが、日本書記では「神武天皇はナグサトベを誅した」とただの一行でかたづけられていることを、調べ想像しふくらませてゆくのは楽しかった。これはまだデッサンのようなもので、新しい発見があれば膨らんでゆくだろうし語るたびに豊かになるだろう。

   わたしも”魂の語り手”とか”本来の声を取り戻す”とか”天と地をつなぐ”とかむつかしいできそうみないことを口にして自分をのっぴきならない状況に追い詰めてゆくタイプなのだが、それだけではない。ことばを文字にすることで、ことばを口にすることで ものごとが動き出すということをよく知っているからでもある。ことばはことたまであるから、口にするだけで成就するつよい力が働くのだ。昔のひとが縁起がわるいと言ってまがごと(凶事)を口にするのをはばかったのもおなじ理屈によるのだろう。

   ほんとうは”わたしは魂の語り手である”と確定した言い方をするのがいいらしいのだが、さすがに100%の自信はない。そこでこのように公言しよう。「わたしは魂の語り手になる」......つぎに書くテキストはネイティブアメリカンの戦士”クレージーホースの物語”そして紀記その他の資料から国津神オオクニヌシの天津神アマテラスへの”国ゆずり”.....資料はほぼ揃った。ふたつ発見があった。ひとつは....なぜか知らないが、シャーマン的なるものと統領を兼ね備えた人物が今のテーマであること。クレージーホースも名草姫もともにシャーマンであって時代の流れ(運命)という巨大な力と戦う戦士....運命を知ってなお自分の道を往こうとする真の勇者であった....あとひとつは国譲りにはとても奥深い秘密があるらしいこと.....国津神が天津神に国ゆずりをする...その奥に隠れているものを知りたい。

   どん底でもがき苦しんで栄光を勝ち得たアスリートのことばはたいてい同じだ。「ここに立てたことに感謝しています」「支えてくれたひとといっしょにもらったメダルです」.....いつかそんな風に言ってみたい、すくなくともよくここまできたと自分を認められるところまでは!.....とにもかくにも自分の望む方向へ行けるところまで歩いてゆこう、直感を信じて。




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  .....アベカズノリさんはおとこである。とてもいい男、顔が?いいえ 顔はごつい。エナジーがビンビンくる。電車であったら周囲 2Mはひとが引くだろう。語りを聴いていて 翻訳ものより和もの....それも任侠とか近松とか聴きたいなぁ...と思った。

   ごついけれど、透明感がある。この透明感はどこからくるの?アベさんはほんとに役者でいることがすきなんだ....たぶん名を売ろうとか金を稼ごうとか思っていないのかも......ちかごろ亡くなった赤塚不二雄さんの葬儀のタモリの弔辞の一節を思い出した。.....”あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折みせるあの底抜けに無邪気な笑顔ははるか年下の弟のようでもありました。......あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです.....”

   ”そして......その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかしあなたから、後悔の言葉や、相手を恨む言葉を聞いたことがありません。.....”

   日本にはそういう男が昔いっぱいいたんだと思う。自分の信じることのために向かっていくおとこ、強気をくじき 弱きをたすけ...子どものように無邪気にわらい.....帰りがけ.....アベさんに「......昔はあなたのような男がたくさんいた。でも今はいない。ずっと..... .....今日はありがとう」と話した。なにかに向かってまっすぐひたすら行く、ぐいぐい行く....すると余分なカザリとかアクみたいなものがはがれてすきとおってゆくのかも。意外とおんなには少ない。


   ......わたしにはわかっていた。わたしのすぐそばにそういうおとこがいたのだ。.....わたしの夫はであったころ、まさにそういうおとこだった。......わたしはそれだから一緒になった。人生には光と影がある。ひとには光と影がある。すべてのものに光と影がある。おとこについてゆくおんなには覚悟がいる。

   アベさんはもっと駆け上がるだろうな....ふとそんな気がした。ふたつの語りをとおしてわたしはまだ アベさんのなかのもっと暗い根源の闇を見せてもらっていない。それはあるだろうか....あったらすごい役者になるだろう。ワークショップがたのしみになった。.....それからついでに書いておくが、ネットカフェは推奨しません。場所にもよるだろうが あそこには煌々と白くひかるなかにしめやかにうごめくモノがある。あまりちかづかないないほうがよいモノの気配がある。





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   カート・ヴォネガット・ジュニアは稀代の作家である。ニヒルでやさしくてペシミストでユートピアを夢見ている。奇想天外で冷静で、ぜんぜんドラマティックじゃない....ものがたりは高揚するとみえてシニカルなギャグで急旋回.....キリモミ状態で落下....これを語りにするって、ほとんど不可能だと思った。だから前回のアベさんの語りの会で「どうやって語りにするのですか??」と訊ねた。

   きのうはその”猫のゆりかご” の楽日だった。アベさんは見事に乗り切った。原爆の父ハイネカー博士の発明した世界を一瞬にして氷に帰るアイスナイン..とボコノン教のものがたり.....前回どうよう人物の造形と会話の妙もさりながら、歌の挿入がよかったし音楽がじつにマッチしていた。ほんとをいうとわたしはすこしうとうとした。.....たぶん10年ぶりに本箱から出して読みながらきたのがまずかったのだ。絶妙なカットとエピソードの入れ替えでわたしはアベさんの声でものがたりを追体験していた。....そうだ、そうだ うなづきながら海のなかを漂っていた。

   わたしの”猫のゆりかご”はS43年発行の初版本だったのでみんなから珍しがられた。見ると大好きなグレアムグリーンの賛辞がカヴァーに書いてある。突然思い出した。グリーンの”情事の終わり”のヒロイン・サラァはロンドン空襲のとき不倫の相手であるマイルスが死んだと思い込み神に祈る......”今まで私は神に祈ったこともなかったし、信じてもいなかった。―---私は信じます。彼を生かしてください。そうすれば信じます。でもそれだけでは充分でない。----彼を愛しています。もしあなたが彼を生かしてくれるなら、私はどんな事でもいたします。永久に彼をあきらめます。

   マイルスは生きていた!! サラァは彼をあきらめなければならない。サラァの心はふたつに引き裂かれそうだ。ふたりを引き離した神を憎む....憎みながら愛す.....マイルスも彼からサラァを奪った神を憎む....そして.....


   なぜ、この小説を思い出したかというとカート・ヴォネガットの小説に第二次大戦の連合軍によるドレスデン爆撃....美しい都市ドレスデンが壊滅し10万人の人が死傷したその場に一捕虜としていたことが深い影響を与えていると聞いたからだ.....思えば62年前の一昨日は長崎に原爆が落とされた日だった。戦争は理不尽である。戦争の目的は戦争そのもの。そして経済効果である。大義名分のある戦争などない。戦争を起こすのは国家である。わたしは少女のころ、ガールスカウトに所属していた。ガールスカウトには格好のいい制服とそれに約束と掟があって、少女のわたしは健気にそれを暗誦した。

   わたしは名誉にかけて神と国とに対する務めを行い、ガールスカウトの約束を守るようにいたします。.....けれども暗誦しながらこの神と国とに対する務め....というのがよくわからなかったのである。今でもよくわからない。神の名のもとにされる戦争とはなんだろう....キリスト教原理主義とは....国津神を追った天津神とはどこから降臨した神だろう....教えでも主義でもひとを圧殺し自分だけ良かれというものはほんものではない。


....オリンピックにみんなが気をとられているのを見越したようなロシアのグルジア攻撃は失った覇権を取り戻すため?....オリンピックを政治に利用するなと少数民族をけん制しながら、しっかり政治的に利用している中国....国際社会は国のエゴのぶつかりあい、早いもん勝ち強いもん勝ちだ。(これにより高くがはいればオリンピック!!オリンピックは擬似戦争なのだ)

   国家と国民はまったくの別物である。ひとりひとりの国民はたいてい親切だろう...善良であろう....しかし国となると話は違う。無節操に増殖するアミーバのようだ。国の名のもとでの戦争はおこなわれる...真に国民を思いたいせつにする国家などない。

   すべてのものに精霊がやどると信じた古代の教え...ネイティブアメリカン、ケルト、蝦夷......その教えをうつくしいとわたしは思う。そこにはここからここまではあんたのもの、こっちはわたしのもの....という大地の線引きはない。日光や風や花の香りに線をひくことができるだろうか....その考えが現実のまえに夢のように儚いものであっても。いやだからこそ儚いもの、弱いもの うつくしいものを語りたい.....天国はここにあそこにあるのではない。あなたの胸のうちにあるのです...という教えはうつくしいと思う。....

   朝を、始発を待ってネットカフェの一畳足らずの個室にいる。きのうあべさんのライブのあと、あべさんを囲み役者さんたちや脚本家さん、ペット吹きのヤマさんそれにわたしたちみたいなファンを交えたにぎやかな打ち上げに参加して終電に乗り損ねたのだ。一泊800円、このちいさな個室はパソコンセット、肘掛け椅子と足置き代ハンガーがひとつかかっている。ほぼ満員で20名ほどのひとが泊まっているようだ....やすらかな寝息が聞こえる。わたしのように終電に乗り遅れたひともいるだろうし いわゆるネットカフェ難民もいるのだろう....神さまはいらっしゃるとわたしはそれでも信じている。もし神さまがいらっしゃるのならどうか住む家を持たない孤独なひとたちにやさしくしてください。1個100円のカップヌードル 無料の飲み物 ネットカフェが提供してくれる一晩の安全よりちょっとマシなものを....お与えになってください。

   さぁ わたしもすこし寝ることにしよう....明日会社で仕事が待っている.....それにしたって ”猫のゆりかご”が語れるなら語れないものがたりなんてありはしない。


カート・ヴォネガット
   

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.....昨夜 声の文化と文字の文化...についてまとめなおしました。これで声について考えるのはひとやすみして ものがたりを文字にとどめるというこれもまた苦しくも喜びにみちた作業にはいります。さきほど Sさんから聞き書きしたものがたりから「サイパンの青い灯赤い灯」構成しなおしました。語ってみるだけでなく、ものがたりのうらづけをとることは必要だなと思った次第.....。

....このまま、”名草姫伝説” ”今日は死ぬにはいい日だ”(ともに仮題)とつづけます。

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   しばらく声についてかんがえてきましたが、そろそろまとめようと思います。アメリカの学者ウオルター・オングは著書”声の文化と文字の文化”でこのように語っています。....人類のことばはながいあいだ「話しことば」だった。やがて文字を発明したがその文字は当初声を伴っていた。それがいつのまにか「書きことば」が社会文化の主流を占めるようになった。聴覚文化から視覚文化への切り替えがそこで起こった。.....書くということはことばを空間にとどめることである。これに対して声や音というものは、とどまることを知らない一方向性のものである。

   「声」の時代においては ことばは語り手と聴き手が共有する共同体のものでしたが、「文字」の時代においてはことばは文字として大量にストックされ、個として向き合うものとなりました。記憶から開放されて分析がはじまりました。自と他は明確に区別され、いのちとむすびついていたことばは解体され商品化され文字になりました。

.....オングは声の文化と文字の文化を比較しながら そこに東洋的なものと西洋的なものも対比していたのでしょうか。イエズス会士でもあったオングの耳は当然聖歌になじんでいた違いなく、聖歌の繰り返しや響きから声の文化、文字の文化に想いが至ったのかもしれません。(グレゴリア聖歌はモーツァルトの曲と同じような効果がありますが肉声ゆえに働きかける力が強いように感じます)声の文化、文字の文化のことばを変えれば聴く文化、見る文化といってもいいかもしれません。

   声のことばと文字のことばの圧倒的な違いはなんでしょう。口承の時代ことばが本来持っていた力..ものごとと直接むすびついていた呪力...声....呼吸....息...生きる....すなわちいのちとむすびついていた響き・パワーは文字になったとき、失われてしまったのです。


   そこで朗読や語りという行いがめざすものが見えてきます。「朗読」「語り」とは文字に固定されたことばに元々内在していた声・音を解きはなし、ことばの本来の力をとりもどす、ことばの身体性を回復することです。そして個として文字に向き合うことから、声をとおして共有するものに変えてゆく、視覚としてとりこむことから聴覚をとおして受け取ることに変換します。

. ..では朗読と語りはまったくおなじなのかといえば、そうではない。語りにはよりおおきな自由がある、と思うのです。ジャンルの自由....語るものがたりは無尽蔵です....ひとが生きているかぎり刻一刻と生まれている。そして方法の自由も....どんなスタイルをとることもできる。けれども もっと大きな自由は文字からの自由ではないか.....たしかに文字をまったく介さない語りはないけれど..カ語りは文字を見ません。文字を思い出して発語するのでなく、身体..感覚....心...想い....そしてイメージから直にことばを発語する....からだ こころ いのちからじかに発語する。

   身体と感覚と心の一体化とはこういうことだと思うのです。もう一度 オングのことばを借りるならことばにかって内在した”声”(の力)をどう取り戻してゆくか。かってひとがその声に持っていた「身体を通過する響き」をどう取り戻してゆくか......オングは西洋人の立場から考えました。オングについて紹介してくださったYさんありがとうございました。日本人として付け加えるならことたま...を甦らせることです。さらに ものがたりを響きにする 身のうちに魂に畳まれている自分のものがたり 一族のものがたり 種族のものがたりを響きにして聞き手に響かせる.... ......

   以上、一般的に述べました。プロアマを問わず圧倒的な朗読者、文字からのしばりから自由になった朗読者はいる...また朗読と語りとどちらが上か...というような見地ではないということを申し添えます。

   さきほど基礎講座二期の開催が確定しました。わたしの秋も決まりました。身体を通る響きを、ことばの力を取り戻すべく耳と声と感覚を鍛えなおします。。秋 原生林で語ってきます。日程があえば11月 遠野で瀬折津姫を語ります。....鎮魂のために。まだまだ暑い日々がつづきます。どうぞみなさま ご自愛くださいますように....。


声の文化 文字の文化




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  早朝、一本のメールに気づきました。「語りはもともと口伝えであるから、テキストに頼る語りは語りではないという意見もわかるのですが....」というメールでした。そのメールを読んで、きのうのブログを読んだ方はそのように受け取られたのかな、伝えるのはむつかしいとつくづく考えてしまいました。気づかせていただいてありがとうございました。

  わたし自身は再々もうしあげているように”語り”にはどのような立場もあってよいと思っています。また今日、文字に全く頼らない語りはゼロに近いといってもいいでしょう。わたしにしても、文字によるところは大きい。....たとえば、地域の高齢者の方の戦争体験を聴きまず語ってみます。それから 一度テキストにして吟味し定着させておきます。そうしないと、最も相応しい生き生きしたことばがうしなわれてしまったりするからです。創作の語りにしても、即興で語ったものにしても テキストにたいていまとめておきます。情報量は古代よりずっと多いので灰色の脳細胞にとどめられるのはそう多くはありません。

  文字を得たためにわたしたちは自分をかえりみる目を持つようになり、共有化もできるようになり、文化をのちの世代に大量に保存できるようになりました。それは人類にとってすばらしいことでしたが、そのかわりうしなってしまったものもたくさんあります。

  ことばの本来の力もそのひとつです、荒俣宏氏は「800年前の人間はハナというだけで色やかたちなどを聴き手に伝えることができた」と言っています。その力はほんとうにうしなわれたのでしょうか? 語り基礎講座で実験したところ かなりの確率で 色を伝えることができました。これは聴き手の聴力と語り手のイメージの力でしょうか? わたしたちはまだまだことばの本来の力をとりもどすことができるのです。

  文字にたよって音声化・発語することから イメージや感覚をそのまま発語することへ...どれだけシフトを移せるか。

  そしてもうひとつは書かれたものを100%信用しないこと。ただ文字から覚えるのでなく自分で確認し、せめて時代背景やその場所について調べる、絵に描いてみる、そのような地道な努力も必要だと思います。ひとが語りたいものがたりを選ぶのは意味があります。それはそのひとの深奥に根ざしていることが多い。その奥にあるものとものがたりががかさなったとき、ものがたりは奥行きと深みを増し聴き手のこころを震わせる。

  テキストのまま、本のまま、それもいいのです。先日聴いて揺さぶられたおはなしも、そして昨年でしたか柏で聞かせていただいたおはなしもそうでした。わたしは3回くらい泣いてしまいました。......それにプラスして、ひとにはそのひとにしか語れないものがたりがある、誰かが書いていましたね。”ひとはそれぞれ語るべきものがたりを持っている”....それは本当です、白鳥の歌のように一度きりかもしれません。そのオリジナルのものがたりを自分のことばで語っていただけたら...と思う。そういうものがたりを聴きたいと思う。...あ、これはパーソナルストーリーということではないのですよ。パーソナルストーリーも含まれますが...。

  けっしてむつかしくはないのです。ストーリーテリングを知らないひとはかえって早いですよ。あっというまに語れるようになる。文字を介してテキストを介して...というしばりがないからです。その自由は語り手として確保しておきたいなぁと思います。

  今日は会社の行事なんですが つい朝出がけに書いてしまいました。当分おやすみしようとおもいましたのに。まめっこひとつさん それからメールをくださったYさんありがとうございました。語りとおなじようにまなざしがこたえてくださると勇気がわきます。




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   図書館のストーリーテリングからはじめたストーリーテラーは日本にどれだけいるでしょう? 図書館でまた他の場所でストーリーテリングを聴き、やってみたいけどわたしにできるかしら…と不安を覚えながら講習を受けたストーリーテラーたち、このブログを読んでくださる語り手(ストーリーテラー)のほとんどが最初の一歩はそこからはじめたのではないでしょうか?

 “図書館においてのストーリーテリング”がはじまったのは戦後 数名の方がアメリカの図書館でおこなわれているストーリーテリングの種子を日本に持ち帰ったことからはじまります。そのとき本を暗記して語るというスタイルができあがったのです。現在、空気は変わっていますが、当初図書館のストーリーテリングは子どもを本にみちびくための橋渡し的なやくわりとされていたようです。

   ストーリーテリングを日本語にすると“語り”ですが、この語りとストーリーテリングはピッタリかさなるのではなく、ズレがあります。なぜなら“語り”はもともと古代、人類の黎明から口承(肉声によって口から耳に伝えられたもの)であり、一方図書館におけるストーリーテリングは書承(本に書かれた文字によって伝えられた)によるからです。広義の意味でのストーリーテリング(語り)は世界中ひとのいるところならどこにでもありました。人間の原初的な発動であり、うたと同様最古の芸能であり、祭祀にも欠かせないものであったのでしょう。キリスト教、仏教等の教えもキリストや釈迦が亡くなってしばらくは口伝によって伝えられたのでした。

   日本でその語り≒ストーリーテリングと図書館におけるストーリーテリングが混在してきたことでいくつかの誤解が生じました。……..けれども 今はそのことで語りのジャンルがひろがり、豊かになったことやそれとともにかつてのように一族の選ばれたものの栄えある役目ではなく、望むひとすべてがたのしめるものとなったことを喜びましょう。すでに語り手≒ストーリーテラーにとって書承のものがたりははずすことのできないアイテムです。

   さりながらと思うのです。いつまでもお仕着せのことば、本の文字そのまま、あるいは副詞をとりかえたり、はしょってみじかくしたり ことばをやさしくしたりという手軽な再話でお茶をにごしているだけでは物足りないと思いませんか? この春、思うことがあって会を辞しましたが、ストーリーテラーはストーリークリエイターであるという櫻井美紀さんの提唱は実に的を得ていると今も思います。

   
   語り手(ストーリーテラー)とはあらゆる意味で真に創造的なものです。コピーアンドペーストから遠く隔たったものです。霊感によってものがたりを織り出し、聴き手の魂に響かせる....それはたとえばあたらしい口承の語りであるかもしれない...高齢者はたくさんの豊かな記憶を持っていてそれを譲り受けるのにはもう時間がありません。それはもしかしたら記憶やものごとに触発された創作のものがたりかもしれない....それはたとえば歴史の闇に光を差し込ませたものがたりかもしれない....それは神話にあたらしい光を投げかけたものがたりかもしれない....それは内なるあたらしいコラボかもしれない....それはあなたの魂の奥処からこぼれる光のような旋律のようなものがたりであるかもしれない.....

   孵ったばかりの鳥のひなは最初に見たものを親鳥と思い込みます。これを刷り込みというのですが、ストーリーテリングは本に書かれたものがたりを暗記するものだというのも、刷り込みなのかもしれません。わたしは少なくとも4人のモノが書ける語り手を知っています。小説は書く、ものがたりは書く。それでも才能溢れるその語り手たちはまだ自分のことばで自分のものがたりを語ってはいないようです。.....わたしは待ちどに待っています。

  
   どの語り(ストーリーテリング)も然りです。どの立場をとるもよし。楽しみましょう。....それでも、わたしはあたらしい語り手たち、児童書の伝播者、書承の昔話の”伝承者”を越え、語りの本質に気づき刷り込みを排し大いなる豊饒の森に身を投じようとする語り手たちの到来を待っています。冒険者たち、探検者たちを待っています。語りとは実に斬新でなにもかも包含する自由と大きな可能性を持つものなのですから。


   基礎講座は全員が二期にすすみますが、そのなかにわたしはエメラルド色に輝くやはらかな芽、可能性のひとつを感じてたのしみにしています。まったくあたらしい可能性のひとつがひらいてゆくかもしれないのです。それを見守りながら、わたしもまた 新しい可能性に向かってゆきたい。

   今日、わたしは胸をうつ語りをひとつ聴きました。その方の語りを聴いたのはひさしぶりで直感的に”なにかあったに違いない!”と感じました。そこで後でそっと聞いてみると、その語り手さんは大病に罹り半年の闘いを終えて戻ってこられたのだそうです。その方の絶望や悲しみ、生命への想い、周囲の方々の愛が語りを聖別したのでしょうか。やはらかな声、しみいる深い語りでした。

   もしかしたらわたしは文字で語りすぎたのかもしれません。これからはもっとものがたりをとおして語ってゆきましょう。忘れ去られた神々のために語りましょう。自らの運命を昂然と担って戦った英雄のことを語りましょう。修羅の巷で一輪の花をささげもつように愛をつらぬいたひとのものがたりを語りましょう。わたしの声とわたしの人生を器にしてものがたりで満たしましょう。溢れてこぼれて月のひかり星のひかりにものがたりがふるえるように。



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