遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。

 



......読み聞かせやストーリーテリングで、「今日はうけた!!」とか「うけるはなし知らない?」あるいは「朝だからたのしいお話がいい。。」ということばをよく耳にします。「つつじの娘」や「わたしがちいさかったときに」のヒロシマの作文を語ったりすると「朝からそんな深刻なおはなし!?」とびっくりされることもあります。

   そんなこんなで参加型とかたのしいお話を比較的によく語った時期がありました。けれどもどうも全力投球でこどもたちにわたしている気がしなくて、自分でもナレが出てきた気がしたのでした。そこで中学での真剣勝負の語りがはじまってから、小学校の朝のおはなしをあらためて見直し全力で手渡すことにしたのです。

   その結果がはからずもあっけなく今週わかりました。小学校の先生方がはじめて前年度のお話し会のアンケートと子どもたちの感想をあつめてくださったのです。6年生のアンケート結果.......数字は票数です。学年67名の子どもたち 複数回答もありです。

雪女 (語り) 39
ありがとうフォルカー先生 23
ストライプ  20
あたまにかきの木 12
すみれ島  9
魔法のハンカチ(語り) 7
以下省略

   「ありがとうフォルカー先生」はLD(学習障害)だった作者がフォルカー先生に出会い、字を読み書きすることができるようになるという実話です。「すみれ島」は特攻隊員と島のこどもたちの心の交流を描いた絵本、「ストライプ」は女の子がしまもようになってしまうファンタジー、「あたまにかきの木」は日本の昔話、「魔法のハンカチ」は水色のハンカチがプールになるファンタジー、「雪女」は絵本ではなく小泉八雲作平平井呈一訳.......

    たいへんバラエティーに富んでいますが、比較的に重厚な作品が支持されていると思いませんか? 学年によっても選択の基準はちがいますが、ウケを狙う必要はないように思います。子どもたちの魂の栄養になるものがたり、自分が心から伝えたい、語りたいものがたりを声にのせて手渡す、それでいいのだと思いませんか?.....わたしが語ったのは「雪女」でした。子どもたちの感想から...

   雪女は本もないのにほんとうに想像してしまうくらいすごかったです。雪女の語りはすごく心に響きました。一番心に残ったのは雪女です。本なしで心をこめて読んでくださったので絵などがなくても内容がわかりました。声の特ちょうで寒さを表したり...していてとても....こわかったです....

   子どもたちがそんな風に感じていたなんて、語っているときはわかりませんでした。目には見えなくても子どもの心のなかはとても豊かで繊細に揺れ動いているのですね。そして、やはらかい心はどんなものがたりでもしなやかにしっかりと受け止めてくれる。事実ほど強いものはない、けれど子どもたちは現実世界からはるか遠いものがたりをも、全身で捉えて想像してくれました。どんなにうれしく、励みになったかわかりません。

   もっともっと、自分を研ぎ澄まして、語ってゆきたい、ものがたりを子どもたちに届けたい。....語り手のわたしが時代の波に浚われてはならない、現実の嵐に翻弄されてはならない。.....子どもたちのことばをたぐりよせたぐりよせ、それをたよりに、今わたしはいつ明けるとも知れぬ闇の中、泡立つ海を漂っています。
   


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    ”優れたストーリーテラー”ということばで検索してみると.....
シェークスピア、ディケンズ、サマセット・モームなどの作家、劇作家......
あるいは、ジョージ・ルーカス、スピルバーグ、ゴダールなどの映画監督、日本では夏目漱石、村上春樹などの作家のほかに、手塚治虫、藤子A不二夫、浦沢直樹などの漫画家、そして宮崎駿監督の名前がでてきます。びっくりしましたか?

    さらに「優れたスピーカー、コミュニケーターは優れたストーリーテラーである」ということばも出てきます。オバマはなぜ勝利したか....オバマの父祖からのパーソナルストーリー、それに重ねられたこれからのアメリカのストーリーがアメリカの人々の心に届いたのだ...とは言えないでしょうか?シーザーやチャーチル、ケネディやキング牧師も優れたスピーカー(ストーリーテラー)でした。優れたストーリーテラーはひとの心をつかみ、揺さ振り、そして人々を行動に駆り立てます。

    本から物語を暗記してさらさら語るのがストーリーテラー? ストーリーテラーはただそれだけではないようです。



    それでは最初にストーリーについて考えてみましょう。ストーリーではなにか”事件”が起こります。起きたことで変化が生まれる....ストーリーは”変化”を語るものといってもいいでしょう。ひとの心の変化、自然や共同体の変化がどうして起きたのか、変化したあとどうなったか、クライマックスに向かってものがたりははしります。

    ディケンズのクリスマスキャロルを思い出してください。強欲な自分のことしか考えないスクルージは最後に穏やかで情け深い人間に”チェンジ”します。いったいなにがきっかけだったのか?スクルージは過去・現在・未来を覗き見たのでしたね。このあいだ聞いた尾松純子さんの語り”ある地主さんのはなし”でも業突く張りでどうしようもない金持ちボブ・チャードンが全財産を村びとや病院や孤児院に施し、最後は無一文で死ぬはなしでした。チャードンはなぜ変化したのか。死んだことでなにが変わったのか....

スクルージ....強欲⇒善良・親切 不幸⇒本人とまわりのひとびとの幸福
チャードン....強欲で金持ち⇒親切で貧乏 不幸⇒村びとたちの幸福

    昔話を考えて見ましょう。
シンデレラ....お嬢さま⇒灰かぶり⇒おひめさま 不幸⇒本人と王子さまの幸福
白雪姫....お后⇒魔女 死⇒蘇生 幸福⇒不幸
三枚のお札....やさしいおばぁさん⇒やまんば⇒大男⇒豆っつぶ 危機⇒安全
こぶとりじいさん....こぶ⇒なくなる 
めでたしめでたしで終わることが多いですね。そして本格昔話では必ず魔法などの不思議な力が働いています。

    映画ではどうかな....
スターウォーズは神話を土台に構築されたことで有名ですが、表向きは貴種流離譚....ルークの成長の物語....その実、父と息子の物語。隠れた主人公といえるのがルークの父であるアナキンであり
少年⇒光のジェダイの騎士⇒闇のダースベーダー⇒回心・死が映画の縦糸になっているように思います。




    宮崎駿監督の作品では、主人公の存在が周囲を変えてゆく(もちろん主人公も変わるが)たとえば「風の谷のナウシカ」では、ナウシカのことばと行動でオームの戦闘色が変わる、隣国の王子また女王の意識が変わってゆく、ひとびとが変わってゆく....伝説が成就する、が感動的に語られます。漫画なども含めてもっと掘り下げてみたいのですが、もう銀行に行かなくてはならないのでかいつまんで....


    ストーリーテラーとはものがたりを語るもの、”変化”を語るもの、あるいは変化を予言するものであります。作家や映画の脚本家、あるいは映画監督とはたいしたものです。変化を最大限に伝えるために想像の翼をひろげ、たいせつなシーンは筆を惜しみません。起承転結、序破急にのっとり、クライマックスに向けてエピソードを積み重ねてゆきます。優れた絵本もそうですね。

    語り手(ストーリーテラー)にはふたつのチャレンジがあります。ひとつは作家として再話すること、お気づきの方もありましょうが、昔話には、構造がしっかりしていないもの、日記のように、朝おきました、歯をみがきました。。。。。とメリハリもないままで進んでゆくお話も多いのです。それはそれでよいとして粒だてるところは粒たて、省くところは省き、構造を組み立てる。そして一歩踏み込んで、作家としてものがたりを創造する。

    もうひとつのチャレンジはものがたりを音声と身体などで伝える努力(あまりつかいたくないのですが、世間ではよく表現を呼びます)に係わります。ところで、演説家にはストーリーテラーにくらべてメリットがあるのをご存知ですか?演説家は夢のなかに、事実を織り交ぜて語ることができるのです。事実ほど強いもの、響くものはありません。わたしの語りでも事実を語るパーソナルストーリーは技術もへったくれもなく、賭け値なしで受け入れていただけます。

    しかし、ストーリーテラーはほとんどの場合ウソを、ウソといわないまでも古き昔のこと、現実とはほど遠い、神話や昔話や魔法や文学を語ります。しかしながら、ここで逆転が起こる、ウソを語りながら、ストーリーテラーは過酷な現実や事実のはるか向こうにある、ありえるかもしれない、あり得べきほんとうの世界を語ることができるのです。なんというパラドックスでしょう!

    それは事実でないかもしれないが”真実”です。ストーリーテラーということばにはもうひとつ意味があるのを知っていますか? それは”ウソつき”という意味なんですね。いかにウソ...虚構を事実よりも事実らしく、ひとの心に響く『真実』として語るか、これこそ語り手(ストーリーテラー)の醍醐味であり、真骨頂です。そこに向かっていく道の目印のひとつが先だって書いた語りの評価の項目であるとわたしは思っております。

    いままでの人生で得た知恵、人々との出会い、夢や理想のすべてをかけ、ありとあらゆる技術を駆使して語り手(ストーリーテラー)は聴き手の心に忍び入り、伏線を張り、クライマックスに向けて、エピソードを配置し、徐々に盛上げてゆきます、聴き手が主人公と一体となる、そしてカタルシス!!(このカタルシスはさまざまです。大笑いの落ちあり、涙あり、あぁよかったの安堵あり---)

    『優れたストーリーテラー』とはなんでしょうか?それは小説であれ、漫画であれ、アニメであれ、ひとびとにものがたりを想像させ、信じさせ、泣かせ、笑わせ、揺り動かし、そののちひとびとに何らかの行動を起こさせる.....

     赤い羽根の募金箱に思い切って500円硬貨を入れさせたり、ニューオーリンズにジャズを聴きに行かせたり、別れたひとに手紙を書かせたり、もしかしたら詩を書かせ、もしかしたら女優になりたい、あるいは政治家に漫画家になりたいと一念発起させ.....そして心動かされたその日、遠くはるかなうつくしいなにかを夢見たり、だれにたいしてもやさしいことばをかけたくなったり....なにがしかの”変化”を起こさせる、優れたストーリーテラーとは、そういうひとを指すのではないでしょうか?



    わたしは書きながら考えます、書いたあと考え、他の語り手の語りを聞いて考え、自分で語ってまた考えます。ですから、最初書いたものとどんどん変化...し細密に豊かになってゆく(と思います)。この拙文もそうだといいですね、そしてひとつぐらいはあなたの心にストンと落ちて、素晴らしいコミュニケーター、ストーリーテラーになるお手伝いができたら...。興味のある方はどうぞまたぶらっとのぞいてみてください。調わないまでも、ここで手をやすめて、銀行までひとっぱしり。。。。。



バラク・オバマ民主党党大会での演説
ケネディ大統領就任演説 ビデオ

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   県立図書館で”おおきなおはなし会”がありました。毎年4月にひらかれます。午前・午後の二回、45分ずつです。毎年50人以上のお客様が見えます、どしゃぶりのなか、20名のお客さまがきてくださいました。わたしは「たんぽぽ、ぽん」の担当でした。

   昨夜、娘たちを動員して、たんぽぽを9本、わたぼうしを1本つくり、草もつくり、午前中おそろいの若草色のTシャツをみんなの分用意して、ランウェイなみのパフォーマンス....ランウェイというのは先週終わったアメリカのデザイナー発掘プロジェクト番組で、デザイナーが与えられた課題を一日半でつくりあげ、ショウをするのですが、本番ギリギリまで裾まつったり手直ししたり...。

   わたしたちも客入りギリギリまでリハーサルしながらみんなでつくりました。たんぽぽが咲いて、綿毛になって、飛んでいって、夏が来て、秋がきて、冬がきて、またたんぽぽが咲くという参加型のちいさなおはなしです。カタリカタリのSさんのてぶくろ人形を発展させたものです。おはなし会はとてもおもしろかった。来年はもっと愉しんで、聴き手のみなさんを巻き込んでワイワイやりたいねと反省会。....来年忘れないようにね。

   会場で撮った写真にまたオーブが写っていました。



ちなみに私は写っていません....

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   新年度です。幼稚園におはなし会のうちあわせに行きました。こちらの幼稚園はたしか6年目になります。園長先生も交代なさいましたが、こうしてつづけさせていただくのはとてもうれしいです。

   副園長が「今年もよろしくおねがいします。先生のやりたいこと、先生の持っているものすべてをぶっつけてください」とおっしゃってくださって、心も身体も熱くなりました。そこまでいってくださる、そのことばに答えよう、まどうことなく思い切り子どもたちにひらいてわたしてゆこうと思いました。先生方との打ち合わせ内容です。

   4歳児
①7月、 手遊び、人形やパネルをつかっておはなしに親しむ
②11月  参加型のおはなし、日本のおはなし、世界のおはなし
③3月  親子おはなし会 おはなしのたいせつさを若いおかあさんに伝える
     おかあさんが子ども抱っこして参加、親子でできるたのしいゲーム
     おはなし

   5歳児
①6月  親子おはなし会 全員参加 手あそび、親子っていいなぁと思うようなおはなし 水のおはなし ことばのたいせつさをつたえる
②10月  戸外で...木や動物のおはなし
③2月  民話、参加型のおはなし

  
  先生方からのご意見もたくさん出て、背中がぞくぞくするような興奮がありました。うれしい、うれしいです。提案をいただくと、工夫したり考えたりして前に進めます。そのほか事前にものがたりのタイトルがほしい、(語ってみて、つぎのクラスで換えてもかまわない)10分前にきてください との要望がありました。読まれてます。。。わたしは当日の朝、ものがたりを決めることが多いのです。それから過去に何を語ったか、クラスによって違うので混乱してしまいます。先生方にも愉しんでいただきたくて、あたらしいものを持ってゆこうとしていたのですが、何回聴いても愉しいのでそれはかまいません、とのことでした。
日数にして年間9回、お話し会としては30分×15回になります。

  小学校は12回、中学校は20回くらい?カタリカタリは毎回おはなし会、Tの会デイケアなどいれますと年間70回くらいになるわけで....わくわくします。仕事が引退できたら、近くの養護学校や保育園の子どもたちのところにも行きたいのですが、仕事と両立しながら、社会とかかわりながらがいいのでしょうね。今年はあたらしいものがたりやあたらしい試みに手を染めたく、そのためにも、衝動とインスピレーションで生きてるわたしには、もっともむつかしい計画性という自己改革にとりくまなくては....そちらのほうが心配です。

  きのう車を運転しながら”つつじの娘”と”ボブ・チャードンの話”を語ってみました。つつじの娘は『山を抜け、山を越えての小夜バージョン』、ボブ・チャードンはだいぶ整ってきました。ちいジェーンとボブの微笑ましい台詞を入れると15分くらい、うちに帰ってテキストの編集をしました。中学校のおはなし会にあわせて9分バージョンで語れるか絞りに絞ってみようと思います。あぁ、創作もしたい。次回はストーリーについて考えてみましょうね。





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さて、いよいよ語りの評価について考えます。まずは、朗読とはなにか?語りとはなにか改めて考えてみました。Oの会を主宰する渡辺知明さんのサイトから

朗読とは
(1)おもに文学作品をテキストにして
(2)読み手と聞き手との双方の作品鑑賞のために
(3)作品の内容を理解しつつ味わえるように
(4)声に出してよむことである

では語りとはなにか?北九州語りべの会、とのしげをさんのサイトから

「語り」という行為の始まりは、「祈る、呪う(まじなう)、唄う」などと同じ目的と働きがありました。その語源をさかのぼると「魂をゆさぶり、魂と交流し、魂を鎮める」という意味に行き着きます。語りを聞いて育った子どもたちは親世代が語りに託した贈り物を受け取ると共に、親世代にならって今度は自分たちが次の世代へ贈ろうと考え、知恵を寄せ集めます。この営みは「再話」という形の語りとして、古い昔話も現代社会によみがえり魂と魂が交流しあえるのです。 

では、語りについてとのしげをさんのことばにつけたし、朗読にならいまとめてみましょう。

語りとは
(1)①神話、昔話、説話、伝説の再話、
   ②語り手自身そして縁あるひとびとのパーソナルストーリー
   ③文学、誌、童話、ファンタジーなどのオリジナル作品
   ④絵本や文学作品をそのままあるいは語りやすく再話 
   などのなかから語り手(ストーリーテラー)が心から伝えたいものがたりを
(2)魂の交流のためにあるいは語り手と聴き手の楽しみのために
(3)語り手があるいは聴き手も参加し声にだして語るものである。(語りの伝統にのっとり、歌ったり、楽器を奏でる場合もある)

  つぎに、語りの評価内容を考えてみます。「えっ評価ですって!?」「語りはそれぞれの語り手のもの、評価なんておこがましい」という声が聴こえてきます。語り手は10年、20年と語りをかさねてゆくうちに次第に味がでてくる、そうして熟成を待つのが一番かもしれません。語りは魂の交流....それは単に語り手と聴き手の交流だけではなく、叡智との、古代の先達との、それぞれの人生を真剣に生きたひとびととの、文学作品の作者との魂の交流であり、語り手はそれをつなぐ役目、あるいは媒体とわたしは考えています。そのような役目を担うために、語り手はおのが魂を鍛え、澄ませてゆく必要があります。

  さりながら、ここで不可思議なことが起こります。語ることが語り手そのものを変えてゆく、深化させるのです。魂から生じる語り...その相互作用といいましょうか、語りについて深く考え、語りを重ねることで魂そのものが目覚めてゆくのです。意識して取り組むことと、時の流れに身をまかせるのでは到達点はおなじかもしれないが、かかる時間が大幅に変わる....わたしはそう考えます。まだおおざっぱな項目だけですが、細かいことはこれから実際に自分の語りやほかの語り手の語りを聴かせていただき考えをまとめることで、”評価と感動が一致する点”をさぐっていきたいと思います。

   技術については、『上手い下手ではない、心に響けばいい』とお伝えしました。今でも上手い下手は本質的な問題ではないと思っておりますが、体操の富田選手の”美しさを求めているが、確固たる技術と余裕がないと美しさは出せない”ということばを紹介しておきます。すべてが届けるための、扉をひらくためのステップと思います。ご意見もあるでしょう、どうぞコメントあるいはメッセージをお送りください。


基礎点
語り手の身体、おもに発声についての評価
1 声の通り(最後列で聞き取れるか)
2 声の張り
3 骨導音と気導音のバランス
4 滑舌
5 アクセント
6 自然に無理なく、身体がゆるんでいるか

構成点
おもに”ものがたり”についての評価
1 テーマが明確に伝えられているか
2 エピソードが主題に添いクライマックスにむかって適切に組み立てられているか
3 キャラクターの魅力
4 ものがたりの勢い
5 効果的な台詞
6 語彙の選択は妥当か


技術点
表現についての評価
1 語りだしと〆の工夫
2 間
3 抑揚
4 緩急
5 声の大小
6 リズム
7 強調
8 転調
9 台詞 人物の語りわけ
10 オノマトペ
11 ものがたり全体の流れ
12 聴き手との交流

加点条項
語りを前向きに捉え地平をひろげる努力をしているかについての評価
1 ものがたりの独創性
2 あたらしいものに向かっているか
3 古いものを掘り起こしているか
4 楽器の導入
5 歌の導入
6 即興性はどうか、パフォーマンスとしての耀きはあるか

参考

ことば・言葉・コトバ

北九州語りべの会

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   ものごとのよしあしとか美醜とかを決めるときに一定の基準を設けることが必要になります。基準がないと正しい公平な評価はできないし、また基準は選手が自分自身を高めてゆくよすがにもなります。神ならぬ人間がすることですから、問題もあります。ここでは評価基準、フィギュアについては採点基準について考えてゆきたいと思います。

   シングルスケートの場合 ISU(国際スケート連盟)の採点基準を簡単に説明します。

  1 技術点
    各規定要素の基礎点+GOE   
   ①基礎点 算出基準 ジャンプ=回転数 その他=レベル
    例ダブルアクセル(演技前半で跳んだ場合3.50 後半3.85 )
     トリプルアクセル (前半8.20 後半9.02 )
   ②GOE 0をベースにして各要素(ジャンプ、スピン、ステップなど)のできばえに-3から+3をつける
    -の場合は具体的だが+の場合はやや?抽象的である
    例 ジャンプの両足着氷 -1あるいは-2

  2 構成点
   ①スケーティングのスキル、要素のつなぎ、実行力、振り付け、曲の解釈
    の5項目について採点する
    例 女子の場合フリーはすべて1.6です

  3 ディダクション(減点)
    例 転倒 1回 -1

  4 違反行為・無効要素
    例 シングルのフリースケーティングにおいて、2回転(W)アクセルは3回までしか挑戦してはならない。3回転以上のジャンプに関して、同じ踏切で同じ回転数のものは、2つを2回までしか挑戦できない。.....そういう理由から跳べるジャンプの種類が限られているキム・ヨナさんはWアクセルを3回跳ぶのでしょう。  


  さて、公正な採点がなされるはずなのに、観客の見た目と実際の判定=点数に差が感じられるのはなぜでしょうか。

  ひとつはスポーツが政治的なものであること、そしてすべからく政治の影にマナーならぬマネーがからんでいるからではないでしょうか。
トリノオリンピックの前の採点基準の改定は、本命である日本選手を勝たせたくないアメリカロシアの思惑があったといわれます。(残念ながらフィギュアに限ったことではなく、スキーのジャンプ競技がかつての栄光から突如転落したことも記憶にありますね)

  ジャンプの得点があがった。一見チャレンジする安藤美姫さん、浅田真央さんに有利に見えますが、4回転ジャンプをして、転倒すると減点1だけではなく、基礎点が3回転に落とされてしまう。2回転で手堅くまとめた方が点数が高くなる!! より早く、より高く、よりうつくしくという競技の理念からは離れていってしまいますね。転倒しないまでも、見た目にはわからないほんの少しの回転不足をとりグレードを下げ、そのうえGOEも下げる。

  ふたつにはGOEの基準が曖昧なので恣意的な加点減点がしやすいのです。今回の国別対抗戦で浅田真央さんのトリプルアクセル+ダブルトゥーループが減点されて4点、カナダのパトリック・チャン選手のダブルアクセルは加点され5.1点、転倒したトリプルアクセルは4.82点!でした。さて、どちらの技術が高くそして美しかったでしょうか。おなじカナダのロシェット選手への加点も目立ちました。浅田真央さんが4位に終わった世界選手権で韓国のキムヨナ選手は歴代最高点207.71をたたき出しましたが 果たしてその内容はいかがなものだったでしょう。興味のある方は動画と採点内容を見比べてみてください。

   わたしは国別対抗を画像で見ただけで深く揺り動かされたのですが、会場に実際に行った方々は、真央さんの演技のときだけ別次元だったと口々にいっておられます。会場は静まりかえり、そしてどよめきが沸きあがったと.....あの場にいられてしあわせだったと....。採点された結果は201.87でした。しかし、現在はすばらしい演技、感動を呼び起こす演技と採点結果とは必ずしも一致しないのです。個人的にわたしは見たものの魂が揺り動かされる演技の向うに、選手の生き方がほの見えるような気がしてなりませんし、浅田真央さんは天才の名に相応しいと思います。同じ時代を生きる他のスケーターや後進に大きな営業を与えフィギュアスケートを変えてゆくでしょう。

   さて、ほんとうに書きたかったのは語りのことなんですが、仕事に行かなくてはならないので、さっとまとめます。語りもまた真髄は聴き手の心、その奥の魂にふれ、扉をたたき、揺り動かすことにあります。魂しずめ、魂振るいなんですね。....評価って違うんじゃないの? そのとおりです。けれども ひとの心を打つために身体の力、声の力や、技術や構成力は必要だとは思いませんか? 

   浅田真央さんのコーチ、タラソワさんは真央ちゃんがどんなにハードに練習するか、練習が好きか語っていました。耳がイタイです。よりひとの心に響く語りを学ぶために、今どこにいるか語り手自身が知るために、基準を考えるのは無駄ではないように思います。わたしはひそかに、それをつくってみようと思います。

参考 

フィギュアスケート採点方法
フィギュアスケート資料室
おかしなフィギュアスケートをなんとかしたい。


※ オリンピック前なのに採点基準の改正が行われるようです。ジャンプのルッツ、フリップ、トゥループのトゥの付き方について来季は減点対象とされるようです。真央さんのフリップはトゥだけでなく、エッジがほとんど氷の面についているので減点対象とされる懸念‥。回転不足の減点は緩和される、これはいいことですが、来季からは加点や減点の裁量をジャッジに委ねるそうです。全体としてはあまりいいニュースとは思えません。ルールは作るひとの胸三寸、運用するひとの胸三寸で、どうにでもなります。審判の氏名と国籍の開示は当然のことではないでしょうか。ISUのやることはたいへん興味深いものがありますが、すべてが真央さんを磨くためにあるのだと信じ、しかしより公正な採点を求める声はつたえてゆきたいと思います。


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   今日は中学校のおはなし会のはず...でした、わたしはなぜか、尾松さんが語った6月の薔薇.......”ボブ・チャードンの話”を中学1年生に語りたくてたまらなくなりました。40分の長さでは朝子どもたちに語るわけにはいかないので14分くらいにしました。ものがたりは胸のなかに入っていましたから、再話をまとめるのに1時間.....。即興でいける!!

   8:00、PCに打ち終えた!!ジャケットだけ着替えて中学に車を走らせると......メンバーはだれもいません。また やってしもうた...どうやら来週だったようです。先週はまちがえて1時間早く入ってしまったし、さながらパドックの4歳馬みたいですね。語りたい一心です。

   きのう この物語を語ることはないでしょうと書いたばっかりなのに.....どんな心境の変化なのか.......自分の気持ちながらサッパリわかりません。ともあれ来週まで 練習できる時間ができました。12歳の子どもたちの反応がたのしみです。




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....尾松さんの語りの会♪(感想は下記に...)が終わったあと、フィギュアの国別対抗戦、浅田真央さんの最後の”仮面舞踏会”が見たくて鎌田の電気屋に走ったのです。でも閉店したあとで、きのう動画で見ました。浅田真央さんの会心の演技、花が開いたような笑顔がうれしかった。女子フィギュアの歴史にない男子なみの高難度のプログラムとの格闘、中傷めいたこともあり、辛いこともあった今シーズンの最後は、ショートもフリーもエキシビジョンも、その才能と努力、フィギュアスケートの真髄を見せてくれるものでした。なにに心打たれるというのだろう、うつくしさに? 努力に? それとも舞い降りた神に? そのすべてに? リンクにそしてわたしの心に光降りしきるようでした。なぜかわかりませんが震えました、泣いてしまいました。さまざまな障害も真央さんの成長のために必要だったのだとさえ思いました。

....終わったあと真央さんはキスクラで「タチアナ、タチアナ」と叫んでいました。ロシアで実況していたタラソワコーチは真央さんの演技中はひとことも解説しなかったそうです。そして”タチアナ!タチアナ!”と叫ぶ真央さんを見たとき、
”oh my dear! You're great, beauty!!!”と言ったそうです。ショートプログラムでトリプルアクセルを跳ぶという驚くべき提案をしたのはタラソワコーチとか。信頼で強く結ばれた師弟愛ですね。また、真央さんの仮面舞踏会が終わったとき、客席のみならず各国の選手席もスタンディングオーベーションだったそうです。

 オリンピックを控えた来シーズン、相変わらず不可解な採点(今大会もジャッジのひとりがまことに奇妙な採点をしています)、他国やその他からの足をすくおうとする動きがあるかもしれません、関連した国内マスコミの摩訶不思議な追随も心配です。しかし苦しみながら大きな峠を越えた真央さんは来シーズンも他の選手ではなく自分を超えるチャレンジ、フィギュアスケートの常識を超え、地平をひろげるチャレンジをタラソワコーチとともに続けることでしょう。
 
 日本の観客は各国の選手に惜しみなく温かい拍手を送りました、フランスのジュベール選手は「日本のファンこそ真のフィギュアファンだ。」と言ったそうです。日本人としてフィギュアファンとしてうれしい限りです。その日本のフィギュア界にこの稀有な存在の誕生があったことを歓び、たいせつに見守っていきたいと思います。

 大会動画

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.....久が原の駅前でお花を買いました。薔薇のないお花屋さんでした。白のフリージア、白とピンクと真っ赤なガーベラ、青い麦を10本ずつ、フリージアの甘い香りを抱いて礼拝堂へ....

....尾松さんのこめかみが汗にしとどに光るのを、目の下が汗でダイヤモンドのように煌くのをうつくしい...と思いました。豊かな声を深々と受けとめ、ちいさいジェーンの声がなんて愛らしいのだろうと聴いていました。尾松さんはことばから入る語り手なのだとふと思いました。

....そうして、ごうつくだった地主のチャードンが愛娘ちい(さい)ジェーンの願いにこたえ、人助けに金や財産を湯水のように狂気のように費やしはじめたころから、わたしはものがたりの世界に没入し手に汗にぎり、チャードンの行動に一喜一憂しながら聴き入って、涙を滲ませながらチャードンとともアンダーボーン村にいたのです。それは尾松さんの入魂の語りでした。尾松さんの気持ちの高まりがものがたりの世界に聴き手をいざなってくれたのです。

....わたしはつい2日前、カタリカタリの例会で、語り手は奥深いところで客観性を失ってはならないと伝えたばかりでした。ものがたりに自ら感動し語りながら泣いてしまいそうになるメンバーを戒めたのです。....けれども、尾松さんの涙をこらえて語るその熱い想いがものがたりとともにわたしをひどく揺り動かしていました。わたしは打ちのめされる語りを聴きたいと願っていて、その願いはたしかにかなったのです。聴き手の魂をゆさぶるのであれば、泣いてもいい。語り手としての自分の矜持と聴き手としての立場は違ったっていいのだと思いました。

....語られたのは「六月のバラのように」ファージョン作、”しんせつな地主さんより”です。...エリナー・ファージョンは20代のはじめ、もっとも愛した作家のひとりでした。なかでも「ムギの王さま」が好きでした。.....けれど夢見る頃に扉を閉ざし、人生の激しい波濤に飛び込んだあと、ながらくひもとくこともなく本棚のガラス戸の向うで埃をかむっていました。しんせつな地主さんはそのなかの作品のひとつです。

....無慈悲で金の亡者だったチャードンの施しは6月の薔薇のような、貧しい村娘ジェーン・フラワーに出あったときからはじまります。妻に迎えたジェーンは赤子を残して亡くなりました。残されたチャードンはちいさいジェーンの盲目的で純粋な信頼にこたえたいと思いました。「親切ないいおとうちゃん、」という賛辞を聞くためにチャードンはお金を落とした村の子に1ペニーを恵み、村のひとたちに施しをつづけ、それはたったひとりちいジェーンが残された時のために家屋敷を売って孤児院に匿名で寄付し無一物になったあともつづいたのでした。

  チャードンは最初なぜかわからぬ不安におののきながら、最後のほうははまるで一刻も早く自由になりたいかのように、莫大な資産を施し続けます。すべてを捧げつくしてチャードンは無一文で死にました。けれども残されたちいジェーンは孤児院に入れられることはありませんでした。アンダーボーン村52軒すべての家がちいジェーンの家庭になったのでした、チャードンはすべてを失いましたがアンダーボーン村をまるごとちいジェーンに残したのです。

  わたしはたくさん考えました。尾松さんはムギと王さまのなかから今までにいくつかのものがたりを語っています。サンフェアリーアン、ボタンインコ....なぜだろう、なぜ今、今このものがたりなのだろう。もうひとつの「レメルとツィパ」はぼんやり者のレメルがやはりぼんやり者のツィパと結婚し、字が読めないためにだまされ幾度も大金を失いながら、ツィパと愛し合い幸福に暮らすというものがたりです。二作とも家族というもの、人生の幸福とはなにかを強く訴えるものがたりでもあります。

  レメルは文字を覚えることを棄て、御者としてひとびとの暮らしに役立ち、ひとびとに愛され家族とともに幸福に暮らします。チャードンは財産と生命を失い、愛娘に多くの家族を残します....両方とも喪失と獲得のものがたりです。尾松さんはどんな想いでこれらのものがたりを語ったのだろう.....今、語りたいものがたりだったのに違いない....そしてこれらのものがたりを聴き手に贈りたいと思って語られたのだろうか......

  それは、一歩踏み出した、人生への肯定の語りでした。ほんとうにたいせつなものはなにか、財産でなく、学問でもないと明確に言い切り、ひとの心のつながりを正面に据えた骨太の語りでした。それは尾松さんの聴き手への愛であったかもしれません。けれど同時にわたしは幸福と棄てることの関わりをものがたりから受け取ったのです。それはより良く生きるための極意のものがたりでもありました。

  翻訳の文字にできるだけ忠実に語って、これだけのものがたりの力をひきだし聴き手のこころを揺り動かす。それは熱い想いと活字を霊肉そなえたものにするという熟達のための惜しみない努力あってのことでしょう。そしてなにより尾松さんがひとの幸福をそういうものだと信じていたから、魂に響いたのだと思います。尾松さんの語りのなかにいる見捨てられ、あの日立ち尽くした幼な子は、氷の心を熱く溶かすまでに村中のひとと、愛するおとうをしあわせにするまでに成長しました。

.....どんなに感動したにしても、わたし自身はこのふたつのものがたりを語ることはないだろうと思います。少なくとも今のところは.....それは、わたしのものがたりとは違うからです。ほんとうに語りたいものがたりはその語り手の送ってきた人生と、目的、”今”と密接に深く結びついています。ぽんとそこらから持ってきて語れないことはない。しかし、人生で磨かれた、涙や歓びの結晶から溢れたものがたりでなくては伝えられないものがある。わたしもまた、方法とものがたりは違えど、わたしの想い、熱いこころと弛まぬ努力を尽くして、聴いてくださる方々にものがたりを届けたいと切に思いました。

  久が原はとても遠い、けれど行ってよかった。尾松純子さんは熱くて、シャイな、素晴らしい語り手です。胸の奥から湧き上がる、そして聴き手の胸の奥の扉を叩くものがたりをありがとうございました。どうか語り手のみなさま、わたしに湧き上がるものがたりを聴かせてください。




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    車検のため、車のそうじをしたら、トランクに海辺のパラソルが一本、傘が三本、折りたたみが二本、杖が三本、ブーツが二足、運動靴が二足、夏の靴が一足、サンダルが二足積んでありました。これだけあれば傘も履物も10年は大丈夫。そのうえ中田選手引退の日のスポーツ紙数種、手袋、マントやストールまで レジュメ、ファイル、テキスト!! 車にはなんてたくさんのモノと思い出が詰まっていたことでしょう。

    デンマークのストーリーテラー・ベリットさん来日の記念小誌が車のすみに挟まっていました。ベリットさんが再話した「林檎の木」というちいさなきらきらしたものがたりをわたしはすっかり忘れていたのです。来日の際、明日館で語ってくださったロバの王子のおはなしも、まざまざ思い出しました。両方とも語ったことがあるのに、ちかごろはとんと語っていません。

    講談社の50年前のうつくしい絵本のシリーズ、ゴールド版が8冊ありました。第一線の画家、文学者が子どもたちに精魂こめて贈ったシリーズです。子どもだからという安易さや媚のない、これからを担う人に最上のものを渡すのだという静かな自負を感じさせる絵本です。

    PC上では消去した、語り手たちの会・育成担当時の企画書のファイルもありました。 方針と三本の柱、色分けし細かく立てたスケジュールを淡々と目で追いました。夜も寝ないで練ったプログラム、よくぞこんな細かい作業をしたものだと思います。「秋黄昏て....」主演のひとりだった芝居の脚本、真っ黒になるほど鉛筆で書き込んである脚本は、やはり棄てられませんでした。

    ....ここまでくるのになんてたくさんのものに向かい、ひとと会い、なんてたくさんのものを累々と棄て、別れてきたのでしょう。そして今があるのです、どうかほんとうにたいせつなものは失っていませんように。ほんとうにたいせつな出会いを反古にしてはいませんように。

    ペットボトルを片付け、領収書を整理し、処分するものをまとめて、中学校の朝のおはなし会にでかけたら、朝の廊下はとても静か、もう終わってしまったのかと先生におたずねしたら、怪訝な顔、まだ7:30 1時間も早かったのです。新年度は1年生から3年生まで範囲がひろがります。どんなものがたりを届けよう、瑞々しい年齢にふさわしい、けれど迎合しない、まっすぐ目を見て渡したいものがたりを選んでゆきたいと思います。

    愛車が車検から戻ってきたら、バスタオルや石鹸をつめた温泉バック、敷物や折りたたみ椅子を収納したピクニックセット、寝袋とグランドシートを詰めた野宿セットをトランクに積んで、春の終わり、夏の初めを楽しみましょう。草原に砂の上に、木陰に横たわって青い空を抱きしめたい。くさぐさの憂いや悩みはあれど、厚い雨雲の上にはいつも青空がひろがっています。




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   脚本を数名で朗読する、ものがたりを登場人物の配役をして数名で語る、文学作品を朗読劇にする、この三つのどこが違うかというと、実際やってみてほとんど差はないように思います。それらを限りなく推し進めてゆくと芝居になるわけで、それだったら半端はやめて芝居にしてしまったほうがおもしろい....とこれが偽らざる感想ですが、脚色、装置、出演者数、稽古時間、費用の関係で比較的に簡単なカタチ(朗読劇)になるのかもしれません。集団でひとつのことをするのは実にたのしいものです。打ち上げはお祭、打ち上げのために公演があるといってもいいくらい! 語りとなるとそうはいきません。精一杯やったあとの静かな満ち足りた気持ち...夕闇の澄んだ群青の空のような....しんしんとした気持ちがあるだけです。

   ふたりで語るタンデムは別にして語りは本来語り手ひとりと聴き手とのあいだで交わされるものです。ですから語り手はふつう、ものがたりの選択、脚色(再話)、構成、舞台設定、音楽、効果、ナレーション、登場人物、そのうえ製作、衣裳、ステージの手配、飲み物、食べ物の手配をトータルでするのです。リサイタルの当日はスタッフの方に手伝っていただきます。スタッフがいてはじめてできるのですね。うーーん、考えてみると三回のリサイタル、よくやったなと思います。なにも知らない、怖いものなしの時代でした。


   さて、またまた脱線してしまいました。芝居の場合は役つくりのためにさまざまなプロセスがあります。自分で役にちかづくほかに、サブテキストあり、相手役とのインプロあり、演出家からの示唆があり、....稽古を重ねてちかづいてゆく。ひとりの仕事でなく共同作業です。語りの場合、ほかの語り手さんはどうなのでしょう。わたしは再話にしろ創作にしろ、まずテキストを起こします。それからイメージする....そして....イメージのとおり語ってみる....ものがたりが固まったらあまり練習はしない。その都度インスピレーションに任せて語る。


   ものがたりをまるごと伝えよう....という方法だったのですが、朗読劇のワークショップに参加してあきらかに変わってきました。どこがというと登場人物に寄り添うようになった。以前はもっとも共鳴しやすい主人公、たとえば雪女とかのその台詞に命かけていたのですが、今は登場人物のそれぞれにフォーカスしています。「つくる」というのではないですね。ある登場人物に寄り添って寄り添ってゆく。するとその登場人物の目的とか隠された思いが見えてくる、相手役も違った角度で見えてくる。すると今度は相手役に寄り添ってみる。この繰り返し。これってなんだろう....自分との対話のように思えるのです。


   もちろん、ものがたりの選択から、自分との対話です。万華鏡の色とりどりの切片が華麗な華となるように、人間のひとりひとりは、わたしというものは世界を映す鏡です。主人公のひとりひとりがわたし自身のなにかを背負っている。登場人物の目的に向かう想いが感情が行動がものがたりを動かす。それぞれの目的と障害がからみあう。そしてラストの山場にむかってゆく。獲得か、喪失か、。。。。。不思議なんですが獲得と喪失は背中合わせのことが多い。獲得したとき失っている。雪女でいえば真実を知る=獲得 しかし永遠におゆきは去ってしまう。紅梅では一生に一度の想い人との逢瀬=別れです。とても日本的展開です。


   しかし、このときなにかが立ち上がる....いとうつくしきものが.....ものがたりは雪崩れてそこにむかってゆく。聴き手とのうねるような応酬とともにものがたりを生きてゆくのですが、最終的にはやはり語り手の指先、語り手の声によって導かれる、細い細い峠道、断崖絶壁の際の小道をようやく上ってきて眼前に一瞬白神山地の全容、あるいは日本海、あるいは一面の花畑を見るようなものなんですね。稀有な一瞬。


   語り ってほんとうにおもしろいと思うんですよ。語り手はひとりで、ただし聴き手の力を借りてそこにたどり着くのだもの。まだまだ力足らず、語る体力 というのかな、おさえておさえてひっぱってひっぱって渾身の力で山場に持ってゆく体力が足りない。せいぜいが20分、30分以上をひとりでもたせる、聴き手を眠らせず、飽きさせず、ストーリーでひっぱってゆきたい。むつかしい。でもやってみたい。おおぜいでひとつのものがたりをするのもいいのだけれど、語りという総合的な芸をね、音楽から演出から自分の手で、一度は後悔のカケラもなく、やってみたいなぁと思うのです。



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   新聞を読まない暮らしはどんな味気ないものだろうと思いましたが、物足りない気がしたのは一日だけで、あとはさっぱりしたものでした。テレビもNHKのほかは見ないようにしていましたが、ゆうべフジテレビで松本清張「駅路」を...ひさしぶりに食い入るように見てしまいました。いいドラマでした。

   まず、原作...松本清張原作の映画やドラマはなぜ役者さんが生き生きといい演技をするのでしょう。点と線、古くは鬼畜や張り込み(わたしは加藤剛 八千草薫主演1970版が忘れがたいです。)砂の器(これも加藤剛)など名作ですね。ドラマの骨格が明確で時代や社会と登場人物のかかわりが密接であり、主人公の目的がリアルであるので役に没入しやすいのかもしれません。

   なぜか脚本もいいんですね。原作から触発されるものが多いのでしょう。今回は向田邦子さんでしたが、端役にいたるまでくっきり台詞が造形されていました。役者さんたちが原作と脚本と演出に応えアンサンブルがみごとでした。女優陣では、失踪した夫の妍高い妻を演じた十朱幸代さん、ひさびさに拝見しましたが目線のうごき、取り繕っていたのが豹変するシーン、さすが大女優の貫禄でした。ヒロインの従姉を演じた木村多江さん、取調べ室で犯行を告白するシーン、横顔のみの相手のいない独白が凄絶でした。ヒロインの深津絵里さんをうつくしいと思ったのははじめてです。どこかなまなましい女優さんだと感じていたのですが、目千両ですね。なにも動作をしないときに光る不思議な役者さんです。


   刑事呼野を演じた役所広司さんはもちろん素晴らしかったのですが、終盤すこし溢れ過ぎたな...と思いました。定年後失踪する銀行員、小塚を演じた石坂浩二さん、ほとんど後姿だけなんですが、よかった。最後の佐藤春夫の詩 ”よきひとよ” の朗読は深かったです。姫さまのおかげで脚光を浴びたのに姫君浅丘ルリ子さんを棄てて、若い妻と人生の日常の幸福をとった...という、これは勝手な思い込みかもしれませんが、どこかで許しがたく思っていました。それが、役に重なる.....けれど、そうした我執を底によどませながら、自分の人生の夢をどうしてもかなえたいという主人公の情念、秋の終わりの空のように寒々と透いた情念をフィルムに焼付け、見る者の心にも焼き付けるのはなかなかできるものではありません。そのほか脇役ひとりひとりに実在感がありました。演出は北の国から...の杉本成道さんでした。


    原作、脚本、役者、演出  そして、最後に時代なんですね。昭和に今焦点があたっておりますが、あのなつかしい昭和....薄暗くすすけた、けれど耀きと希望が残っていたあの時代、....ユニクロはあったのだろうか 100均はあったのだろうか....アナログの仕舞いのまだモノに手触りがあった、一枚のセーター、一本の鉛筆にも固有のたったひとつのイキサツ(ストーリー)があった、もう帰らない昭和が、ドラマの背景にあるのでした。今はモノにストーリーがない、あったにしてもストーリー性が薄い時代なのかもしれません。


   わたしは語り手ですから、なんでも語りとむすびつけて考える習い性です。語りにはドラマと、ドラマでないものがあります。わたしはドラマを語ることが好きなのですが、その場合主人公の目的と目的をさえぎる障害をどう乗り越えてゆくかがテーマになります。たとえば、「駅路」では主人公の刑事・呼野の目的は失踪した男、小塚の探索です。小塚の生き方その謎が呼野を駆り立て、障害をひとつひとつクリヤ-してゆくことでその男小塚が胸の底深く長年抱いていた人生の目的が見えてくる.....これが圧巻です。彼は定年後ゴーギャンのように家庭をすて社会をすて自分の人生のためだけに生きたいと望みました.....刑事には娘がいます。その娘は妻子ある男を愛しその男が亡くなったことで苦しんでいました。その娘と小塚の相手である深津絵里が重なります。こうして呼野の探索は人生の探索になってゆきます。


   語りがテレビドラマや演劇と異なるのは、脚色、ナレーション、役者、演出、効果、音楽を基本的にすべてひとりでこなすのだということです。(ひょっとして宣伝や集客も)そこが語りの醍醐味ですが、そのために多くの登場人物の目的と障害が重奏してからみあうような展開まで語るのは不可能...せいぜい3名くらいでしょうか...になります。

    障害が社会的背景と結びついているとある意味かたりやすくなる....でもそれだけじゃつまらない、主人公が最終的にはうちなる障害を超えてゆく.....”自分の人生と和解してゆくこと”がわたしの語りの最近のテーマです。死と生そして愛、それが聴き手のみなさんの人生、わたし自身の人生とかさなったならそんな幸福なことはありません.....。


   あれほど練習をしなかったのが、このごろ語らないではいられなくなりました。野原で語る、部屋で語る....草原で突然主人公の隠された気持ちに気づいてぎょっとしたりします。主人公が生きて歩き出すのです。語るたびに光と陰影がはっきりしてゆきます。


......
   さて、リセットのためのおおそうじをまたもしていて、本棚の上に埃まみれの折口信夫著「死者の書」をみつけました。欲望にさからえない弱いわたしは、そうじをさておいて今読み終えたのですが、本を読んでひさびさに慄きました。語ることばが見つかりません。





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   シャーさんというのはパキスタンの青年である。彫の深い浅黒い顔、すこぶる美形である。奥様は日本人だがこちらも美しさではひけをとらない。航空会社の客室乗務員だったそうだ。それがパキスタンで家族で土産物店をひらいていたジャハンさんと知り合って、彼は彼女のために日本にわたったのだそうだ。

   おさだまりのリストラで仕事を失い職さがしにきたふたりと会ったのは二月のことだった。ゆっくり話す時間もなかったが、新宿から帰った駅前でばったり出くわしていっしょにお茶を飲んだ。生まれた子どもと里帰りをするのに、飛行機ではなく、海路陸路から行くのだという。シャーもわたしとおなじで飛行機が苦手らしい。

   飛行機なんて今はバスみたいなもの....のはずだが、離陸のときはいつも、なんで飛行機なんぞに乗ったのだろうと後悔する。これは40年前金沢にプロペラ機で行ったときの恐怖が骨身に沁みたのだ。気流がわるく飛行機はガタガタと揺れ、翼のビスもビリビリ震動していた。怖かった!!死のうとして行ったのに飛行機が落ちることが心配なんてお笑いである.....ずいぶんと昔”月の公園”というパーソナルストーリーで語ったが、そのとき穴水の公園に忘れてきたものがあって、その薄青いほのかなものを取りに行かなくては、いつか、いつかと思っている。

   すっかり脱線してしまった。大阪から船で上海まで行きそこからバスでパキスタンまでわずか6時間だそうだ。中国とパキスタンは密接な関係らしくヴィザが要らないのだという。パキスタンはインドやイランとも軒を接しているのだそうで顔立ちはイランのひとにもインドの人にも似ている...眉間にポッチリ白毫があれば仏像みたい。土産店の写真を見せてもらった。りっぱな店構えでパシュミナストールや絨毯、それに宝飾品が並んでいる。パキスタンは宝石の国でもあるらしい。

   水晶はパワーがありますね...といったらイスラム教ではターコイズと○○ジェドが霊的な力のある石とか...パキスタンにシャーマンはいる? と聴いたら 子どもの頃はたくさんいた、今はすこし...と言う。病気を治したり、導きをしたりするとか...楽器を用いて自分の意識を飛ばすことも共通でシャーマンはかつては世界のあちこちで日常目にするものであったようだ。今度昔話をしてね...といったらにっこり微笑ってうなづいた。

   シャーさんはとても上等な方だと思う。上等というのは地位やお金があるというのではない。知識や教養があればというのでもない。魂のなかに静かな湖を持っている....そんな感じのひとである。ジム爺(林檎の木の)も上等のひとだ。自分のことばかり考えるのではなく視る目を持っていて、視線の中にものみながはいいている。。。。見えないものも視ている....そういうひと。

   このごろ身体が静かになってざわざわしなくなった。心はあいかわらずあわてふためくことがあるのだが、身体がしっかりしずまっているから、ゆっくり納まるところに治まってくれる。見栄えとか気にしなくなったし、とても楽である。ゆっくり静かに深い呼吸をして、ゆっくり話をして、あたりを見回し季節を愉しもう。白鳥が飛んでゆく....桜が散る....さざなみに夕陽が映える.....








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夜櫻  


   ビウエラレッスンの帰り道....先生のお宅のそばでライトアップされた櫻を見た。



月と櫻......なぜ月は写真に撮るとあんなにちいさくなるのだろう...







月となにか....




光の反射? 水戸先生のドイツ演奏旅行....ケルンの大聖堂でとった写真だけ。オーブが写っていたそうだ....そんな話をしたあとなので....














今年の櫻はひときわうつくしい...美しすぎてこわいほど....



住民票をとりにいったあと、草地で語ってみる....小鳥がさえずり....おたまじゃくしはぬるまった水溜りでうごめき ぺんぺん草は風にゆれる.....林檎の木




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.....一昨日は一歩も家を出ませんでした。きのう、うちあわせで外に出たとき、満開の桜のあまりのうつくしさに泣いてしまいました。今年の櫻はうつくしい....。わたしは櫻がすきなのですが、数年前までは櫻の季節、外に出ることができませんでした。なぜか苦しくて.....

.....鳥がさざめいています。満開の櫻...舞い上がり、舞い落ち、散りしだかれる、花、花....このように美しくせつないもにがあるでしょうか.....ほのかな香り....揺れるはなびら.....この世のものとも思えぬ霞のような櫻並木.....早く蘂の雨よふれ、はやく青葉となれ...と思いつつ、櫻を、櫻とともにいってしまうひいやりした春を思うのです。

   きのうデイケアに行きました。昨年夏以来の高齢者のみなさんから、先生、別人みたい、若返った...といわれて自力整体を伝授しました。先日は昔手伝ってくださったKさんとHさんからきれいになったといわれ、酵素玄米を紹介しました。これは間違いないとご紹介できるものがあるのはうれしいです。

   けれども、まだわたしはブレることが多いのです。軸、センターが確立していないからでしょうね。ことに古代史観について、なにか読むたびにふらふらしてしまいます。きのうある古代史研究家にお会いしてそのことを指摘されました。とりあえず竹内文書を軸にして...先代旧事本紀、旧事本紀、帝紀を読んだらとのことでした。古事記については戦前出版されたものがよいそうです。絶版の聖典という本を薦められました。

   ...蘇我と物部との戦いは実は漢字をとるか神代文字をとるかという戦いでもあったそうです。古神道は物部まで...といわれますが、物部とて十種の神宝とともに天降ってきたわけで(物部の始祖はニギハヤヒ)....わたしはそのあたりで混乱するのです。タタリは仏教伝来によるものです。しかし禊祓いも伝来したもので、もともとの古神道には祓いの観念がなかったと読んだ記憶があります。

   そういったら出典をあきらかにしなさい..といわれました。書かれたものはすべてが正しいわけではありません。読んで、なにを正しいと判断するかは直勘によります。古神道とはなにか、縄文に....さかのぼるとはどこまで?....やはり現場に足を運ぶことしかないなぁ....六月には奈良方面に行くのですが、古事記研究会に働きかけて大神神社に行くことも決まりました。お神楽なども見せていただけるそうですが、実地に勉強するのはお金がかかる...ここが問題です。真実の歴史が突然遺跡から発掘されないかしら。。。死海写本のように

   その方はオオクニヌシとは職名であるとおっしゃいました。スサノオもオオクニヌシ、トクガワイエヤスもオオクニヌシなのだそうです。天地をつなぐ役目なが必要です。統治ではなく、治す...シルスとは天の声をひとに伝え、ひとの声を天に伝える....という意味なのだそうです。すると天はこれと決まった器にそれを託すのでしょうか....。しかし、これはわたしが語り手に持っているイメージと重なるのです。語り手は天地のつなぎ目、我..ガを入れてはならない....

   最後にその方はこういいました。「気をつけてくださいね。結び目になることと憑依されて語るとは根本的に違うのですよ」.....客観的視野は持ち続けるということでしょうか。ガはとるとしてもカラになった自分に乗り移られるなということ? シャーマンとしての語りとは器としての自分を差し出すことと違うのか....わたしは違わないと思うのですが、次回、お会いしたときに聞いてみましょう。

   いってしまえば、古代は空気も水も大地も食べ物もひとの心もピュアだったし、添加物も農薬も二酸化硫黄もなかった、タタリもないのだから、禊祓いも必要ないわけです。しかし今を生きるわたしたちには身も心もデトックス、浄化が必要ですね。それはよりよくより健康に生きるために必要なことだし、語る器になるために不可欠のことです。

   ともかく、先に進もう。よく考えて。


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