遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



......は→コチラです。

かわいい!ですねぇ.....放送日がたのしみです。

女子フィギュアスケートの歴史を変えた選手・浅田真央さんとこのかわいい真央ちゃんのギャップにくらくらします。気をつけて韓国に遠征してください。無事おわるまでなんとなく心配.....ロシアであたらしいショートプログラム......こちらはもっと楽しみです。

    

浅田真央7年間の軌跡 中京テレビは→コチラ

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    アンドレ・ジイドは自分の小説をレシ(récit)、ソチ(sotie)、ロマン(roman)の三種に分類しました。レシは回想 日記など一人称の伝統的な小説、ソチは風刺性のあるもの ロマンは大河小説のようなものでしょうか。漫画を論じるにも分類があると便利ですね。

    しかし、ここでむつかしいことに気づきました。ひとりを主人公にしたものがたりにも長編もあれば短編もあります。連作短編の長編もある....たとえば”綿の国星””ポーシリーズ”

    ここでは単発のもの、前後編を短編、3回以上の連載について長編、単なる個人史の段階を越えて、集団や時代、更には人類全体を視野におさめた歴史を描いたものを大河(連載)とします。

    内容について喜劇的ストーリー、コミカルなハッピーエンドで終わるものをコメディ、「不幸や悲惨な出来事を題材とし、人間や人生を悲壮さ・崇高さの面からとらえ、受難とそれへの闘いの過程を厳粛に表現したもの...大辞林」をロマンとします。(ドラマとどちらがいいでしょう、ドラマのほうがリアルになりますね)

    ジャンルについて 1 恋愛 2 ファミリー(親子や家族をテーマにしたもの 3 学園 4 ファンタジー 5 SF 6 心理(トラウマなどを扱ったもの)7 スピリチュアル 8 怪奇 9 芸道 10 歴史 11 社会派  とします。

たとえば、「スターレッド」はSF大河ロマン......「日出る処の天子」は歴史大河ロマン......「柳の木」はスピリチュアルファミリー短編ロマン?

    こんなことを考えたのも萩尾望都さんの作品は ウラが見えない....それだけ創造的ということなんですが.....そのうえジャンルが広大です。少女まんが史をわたしは簡単に考えすぎていました。......さまざまな作品を反芻しているうちに 気がついたのですが まんがの根っ子には”癒し”がある......語りとおなじでした。娯楽というものの根っ子はすべからくそうなのでしょうね。作者(語り部)はものがたりをつむぎながら 自らを癒してゆく.....読者(聴き手)はそのものがたりをうけとめて 味わい ともに生きることで自らを癒してゆくのではないでしょうか......少女まんがの場合 それは岡田史子、西谷祥子のあたりからはじまったのです。「私」を意識すると 孤独と向き合う闇の夜がはじまる......

    あとがきみたいになってしまいました。それでは本編はもうすこしお待ちくださいね。



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バンクーバーでキム・ヨナさんの有り得ない点数を見たあとの”鐘”

   

月の光

MURMURさんの別館で浅田真央さんのビデオを見ていました。......一番涙がでるのは二年前のシーズン.....です......わたしの場合は。.....静謐、清らかさ、純粋さが信じがたいことに生身の人間に宿っている.....それは奇跡のように思われます。

......いつもにこにこ微笑んでいた少女は目に見えない圧力や悪意のようなものにさらされるようになりました。オリンピックや選手権で正当な評価を受けないばかりか、(フィギュアファンは真央さんを支持しても)、国内でマスコミは浅田真央さんが本来うけるべき賞賛をしませんでした。

浅田真央というアスリートのすばらしさは、そうした内外の闇にさらされても 客観的にみつめ 損なわれないことにあります。......いいえ 浅田真央さんがどんなに苦しんだか たぶん わたしたちは知らないのでしょう。昨年のシーズンはじめの不振は、国内でのいじめにもにたマスコミの対応にあったと解説している方がありました。

その内外からの評価という価値基準を浅田真央さんは「自分を超える」というなにものにも左右されない価値基準に換えた.......だから、バンクーバーの銀メダルの涙は自分が完璧な演技をできなかったという まさに自分自身に向けた涙であり その真摯さがわたしたちの胸をうったのです。

他者との比較とか毀誉褒貶のことばで自分を評価したり、おとしめたりしない......ひたすら 今の自分を超えようとし続ける......それはむつかしい、そして潔い。

......あぁ なんだか がんばれそうです。6/12、「弥陀ヶ原心中」と「仏蘭西窓から..」 静謐、うつくしさ、きよらかさ......を語りにこめたいと思います。

MURMUR別館は→コチラ

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   縄文の神について考えていました。仏教伝来以前、それより昔、天津神(アマテラスオオカミの御一統)以前の神、それ以前、日本を治めた国津神よりもっと昔の.....精霊があまねく自然におわした頃のはるかな記憶が、わたしたち日本人の魂の奥底に地底の水脈のごとく今も脈々と流れているように思います。それは日本の縄文時代---狩猟採集文化が世界的にみても例を見ない長いものだったことに起因しているのでしょうか。

  「昔話の死と誕生」を読み返して気になったところを、まとめておきます。

1 狩猟採集文化の宇宙像
  自然=神 意識と無意識がつながっている、生と死がつながっている、霊的なものと肉体(実存) 自然と人間 見えるものと見えないものがつながっている、円環をなす一元的宇宙像

2 農耕牧畜文化の宇宙像
  自然界と人間界が並列している、神々の崩壊 自然は異界となり始祖神は異界の魔となる。→自然神に代わる人格神・キリスト・仏陀の登場によりひとびとは神を得る。生と死 人間と自然 霊と肉体 光と闇が対立する人間中心の二元的宇宙像

3 科学技術文化の宇宙像
  自然は物質、素材となる、人間も物質であるという意識を持つが、創造力により神に近い存在と自らを考え、素材としての自然を破壊する。自然の否定 神の否定 霊の否定 

4 きたるべき第四の宇宙像
  科学技術文化の行き詰まり→霊と肉体(実存)自然と人間の調和 全体性の回復

第四の宇宙像 あたらしい文化の出発に際して 重要な役割を果たすのは狩猟採集の宇宙像ではないか.....松居友さんはこのように語りかけます。....わたしたちは、人間の原点だった狩猟採集文明の宇宙像を吟味し復活させ、さらに農耕牧畜文化と科学技術文化の中で異界に押し込まれたものを回復させ、そのうえにそれらを包括したより大きな宇宙像を生み出し、その宇宙像を基にして、あたらしい文化の創造に着手しなければならない。

もっとも重要な鍵は、昔話をはじめとして実はすべての芸術や哲学や宗教が絶えず語り続けてきたように ”生”と”死”である。

......この本が書かれたのは1988年のことでした。それから20年あまり、たしかにあたらしい息吹は感じます。医療についても近代医学だけでなく、さまざまな代替医療が取り入られるようになりました。一時は科学的でないと排斥されたスピリチュアルなことがオーラの泉などから社会的に市民権を得るようになりました。地球を癒そうという動きが起こりました。

    けれども いいことばかりではありません。お金や利権と深く結びついた宗教、科学の衣をまとったカルト的スピリチュアリズムが跋扈しています。本来 地球・自然は”やさしく” ”癒して”あげるものではありませんでした。物質と科学の文明はますます行き詰まり、人類は自らの生き残りのために方向転換をやむなくされたのですが それだけでなく わたしたちの血のなかに潜んでいる太古の畏怖...喜び....二元的な相対立する宇宙観ではなくつながっている包括的な宇宙観が自らを癒しながら 鎖をほどきながら 目覚めようとしている.....と見ることもできます。文明のもとは個々のひとの内省であり、つなぎゆく手であるような気がしています。

    とすれば10年前の語りはじめに、語りについて 「ひとの魂の奥底に流れる共通の意識のとびらをたたくこと」 と定義したのは間違ってはおらず わたしもまた原点により深く回帰するときがきたのかな....と気持ちをあたらしくしました。
   

 

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    「白い霧の物語」をはじめて見たときの衝撃は一種独特のものでした。那羅原伝説と題されたものがたりはわずか26Pでしたが、濃密さがハンパではなくて、二時間の映画を見たような気分になりました。はるか時を超えてまや姫のさまよう那羅原の白い霧に封じ」こめられたようでした。精緻な絵 斬新な構図は44年の年月を経ても古びてはいません。ヒロインは星百合子さんに似ているような気がします。

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     あすなひろしさんは商業デザインをしていたそうです。そのせいか扉絵が実にシャープ、映画のポスターのようでした。タイトルのレタリングも独特でした。職人わざといえるのはこの方くらいと思うほど、こだわりをもって仕事をなさっていたようです。花と十字架、しろがねの雪はなかよしの増刊でA4サイズなのですが 大胆な構図と精緻で丹念な描線は息を呑むほどうつくしい。

     水野英子さんとの共作 ミルタの森は覚えているのですが、無いところを見ると捨ててしまったのでしょう。惜しいことをしました。あの頃は水野英子さんの熱狂的なファンでしたから、たとえあすなさんでも共作がゆるせなかったのでしょう。ビビデバビデブー 水色の花も捨てたみたいです。乙女心というのは過ぎ去ってしまうとよくわからないものです。

     あすなさんは叙情性のゆたかな少女漫画とともに青年誌にはハードボイルドも書きました。また人情ものも味わい深かった。ラメのスゥちゃんという一杯飲み屋のおばちゃんを描いた読みきりもよかった。市井の生きているひとを描ける漫画家でした。

     少女漫画においては圧倒的な画力で叙情的な恋とコミカルなコメディを書き分け、後続の漫画家たちに大きな影響を与えました。モノガタリのモチーフをつくったのです。.....たとえば 冬の水車....逃れてきた兵士が少女を助けて撃ち殺されるというものがたり.....このモチーフは数年後 後述する飛鳥幸子さんが「フレデリカの朝」でリメイクしますし、ほかにもこのかたちを踏襲した漫画家が2.3人はいます。

     また、文学の漫画化にもセンスがあって 絵物語では「悲しみよこんにちわ」「黒猫」など他の漫画家の絵物語とは一線を画していました。漫画では「嵐が丘」を堂々ジュニアコンパクトの創刊号に書きました。「赤と黒」それからもうすこしあったような気がします。男性作家全般に言えることですが、構築力とか背景 メカなどに優れている反面 登場人物がどうしても地味になってしまうという欠点があります。それが後年 男性誌に活動の場をうつすことにつながったのではないかと思うのです。


     あすなひろしさんは2001年3月肺がんで逝去されました。追悼ウェブサイトがあります。一部が復刊されたようです。

追悼ウェブサイトは→コチラ






所有している作品


1964 白い霧の物語 花と十字架 妖精の白い花  さざんかの咲くころ 冬の水車 しろがねの雪 雪のはなびら おとうの貝 コレットの白ばら むらさきのゆめ わたしのジャック キャシーといっしょに! 秋風のうた 星空のかなたに (全4回) クリスマスばんざい! リムのおっちょこちょい ブローニュの少女 さようなら王子さま 1967 嵐が丘  拝啓ジュリーです! リリオム 1968 恋のサンモリッツ 300000KM/sec 「三つの恋の物語」リリオム サマーフィールドから来た少年 北極光 (全3回) 赤と黒 (全2回) 1969その日、ノースビルは雪 悲しみよこんにちは 黒猫 ビリー・タムタムは空へ! 1971 寒いから早く殺して  以上 雑誌からはずしたもの 嵐が丘(ジュニアコンパクト)赤と黒 三つの物語(りぼんコミック)は本のまま 単行本 サマーフィールド(虫プロ商事)




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ヴォーグ7月号は5/28 発売 

渡辺三津子ブログは→http://www.vogue.co.jp/blog/mitsuko-watanabe/2010-02/2010-05-21 

真央ちゃんはモード系の衣装よりリンクの上が似合っていますね...

仮面舞踏会は→コチラ

見ていると泣けてしまいます。

なつかしいみどりさんの声 思い通りにならないので干されてしまった伊藤みどりさんの解説をもう一度!!



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    岡田史子が群青を切り裂く彗星のようにあらわれたとき、漫画を描いていたもので嫉妬しないものがあったろうか.....岡田史子はらくらくと文字の呪縛を超え コマについての暗黙のしばりも超え 絵柄さえ脱ぎ捨て ペンをわりばしにかえさせした。そして 見るものたちを瑞瑞しく綺羅綺羅しいコトバのコダマする迷宮に置き去りにし 囚われたわたしたちをひそかにわらっていたのかもしれない。......けれども自ら用意周到に張り巡らした虹色にきらめく蜘蛛の糸の迷宮に岡田史子自身もとらわれ、たいせつなものはなにかを見失ったような気がしてならないのだ......。

    才能というのは不思議なものだ。拙い才を血の滲むような努力と うつくしいものに向かってゆこうとする身の程を知らない歓びでもって磨きぬいてゆくものがいる。デビュー当時山岸涼子はヘタだった。実際 恥ずかしいくらいヘタだった。 今の色彩の洗練をだれが予想しただろう。伽藍のごとく構築されたものがたりをだれが予想しただろう。

    岡田史子の項垂れるヘルマプロディトスや阿修羅を視ると、わたしは今でも戦慄する 焦燥に駆られる 暗い灰色の不安にゆびさきまで染まりそうになる。......ヘルマプロディトスも阿修羅もほかの人物も永遠に呪縛から逃れられはしない......岡田史子はかろやかに蝶のように飛翔してゆくように思われたのに ものがたりからひとつだに糸口は見つからないのだった。書くこととはなんだろう 語るとはなんだろう...自らを縛める呪縛からひとつずつ鎖をはがすように自由にしてゆくことではなかろうか.....まず自分を....そして読者を聴き手を。.....岡田史子にとって漫画とはいったいなんだったのだろう.....おそらく試すことであり....ひとつのステップに過ぎなかったのだろう。

    それにしても なんとうつくしいこの残骸.......日に灼かれガラスのように結晶化した白い骨..... 春の夢の、希みの哀しみの残骸.......けれども 此処からはじまったのかも知れないのだ。......そこにあるのは見えない吐息......見えないけれど立ちのぼるかげろい......聴こえない音楽。

    耳を閉じ 眼を瞑り 受け継いだひとたちが それぞれのコトバにして解きはなし手渡していったとしたら....これこそ再生......  55歳で逝ってしまったあなたの若き日の贄はたしかに受け取られたのです。


所有している作品 すべてCOM ファニィ から
1967 太陽と骸骨のような少年 フライハイトと白い骨 最終ページが行方不明だったので、前のページを最終ページとして発表された。夏 ポーヴレド 天国の花 1968 ガラス玉 サンルームのひるさがり 春のふしぎ いずみよいずみ 胸をだき 首をかしげるヘルマプロディトス 赤い蔓草 PART1 赤い蔓草 PART2 1969 夢の中の宮殿 ピグマリオン 死んでしまった手首 阿修羅王 前編 死んでしまった手首 阿修羅王 後編  愛の神話 - 絵物語。連載作。私の絵本 イマジネイション 邪悪のジャック 死んでしまったルシィ ほんのすこしの水 PART1  ほんのすこしの水 PART2 1970 墓地へゆく道 トッコ・さみしい心 いとしのアンジェリカ

岡田史子の好きな漫画家 手塚治虫 水野英子 西谷祥子 大島弓子
影響を受けた漫画家 永島慎二
好きな文学作品 チボー家のジャック 楡家のひとびと

ウィキペディアは→コチラ

岡田史子インタビューは→コチラ
2005年10月30日 1000の昼と夜に書いたこと

........岡田さんが漫画を書くようになったのは「人間はいつか死ぬのに、どうして生きていかなくちゃならないんだろう」という疑問に取り憑かれて、それを漫画にぶつけて、読者に問いかけたのだそうだ。その根底に12歳で母上をなくされた深い喪失感があったという。なぜ生きるか、なぜここにいなくてはならないか.....この不条理この不可解な世界を耐え忍ばなければいけないということ.....永遠の謎 .答のない命題を岡田さんはいともやすやすと漫画紙上にのせてしまった。もちろん それまでだって 試みをした漫画家はいたのだけれど 岡田さんはその象徴性 美 難解さにおいて神話そのものだったのだ。

 わたしは同じ世代だった。そしてわたしは岡田史子という漫画家を正視できなかった。その世界が美しすぎて 痛ましくて 答えがでないとわかりきっているのに.....夢に溺れている感じがして.....どこにも逃げる場所など在りはしないのだ 汚れたってここで生きるしかない......とどこかで思いつつ 羨ましかった。破滅さえも。途中までしか知らないがわたしの知っている岡田史子の作品にハッピーエンドはない。


 「喪失感を埋めてくれる人を探し求めて、漫画を発表していたのです。、だけども、誰もいなかった。わたしががそういう人を求めているということに気づいた人さえいなかったから。」岡田さんはのちにそう語っている。1990年岡田さんはペンを折った。そしてクリスチャンになって 4月3日亡くなった。晩年は穏やかな顔をなさっていた。求めていたものを 手にされたのだと思う。

 なぜここに岡田さんのことを書いたのかといえば....わたしは絵が書けなくてついには断念したのだけれど漫画家になることを夢みていた。.....あきらめたのち長いことかかってペンのかわりのものをみつけた。わたしが声に託して語りをしているのは、そういうわけなのである。なぜ生きているのか....なぜここにいなくてはならないのか......それをずっと問いかけたかった  わたしのものがたりを伝えたかった  語りをしているときは ここにいることを許されていると確かに感じとることができたから。

 そして今は .自分も他のすべてのひとびともここにいることに意味がある.....(どんなに悲惨な状況であったとしても) と信じている。そしてよきこと美しきことのためなにかを生すことができると信じてもいる。アートとか芸術をわたしはフェルメールやダヴィンチの...はるかな高みにある世界のことと思っていた。そうではなくてごくふつうのひとたちが自分を回復するための試みなのだと気付いたのはおとといの電車のなかだった   歌うこと 踊ること 弾くこと 奏でること  創ること 芝居をすること 描くこと  書くこと  わたしたちの語りもそういうものなのだ。自分を知ること  この世の秘儀を知ること 復活と甦りの試み。

 成熟とは受けとめること 逃げないこと この手に世界の闇の一部をひきうけなお あかりを灯そうとすること。しかしわたしは愛惜する。薄青い闇のなかでかすかな苦痛と予兆に眉根を寄せながらなおまどろんでいたあの頃 岡田史子という漫画家が光芒を放ち 夏樹が未だ生きていて 日本がまだ若く わたしたちの足音が建築さなかの新宿の地下通路に響いていたあの頃のこと。



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    少女まんが中興の祖、西谷祥子は水野英子が「白いトロイカ」を執筆中 アシスタントをしていたそうです。好きな漫画家は石森章太郎 水野英子。

    はじめての連載「リンゴの並木道」1965

......ジェーンは都会から家族と父の赴任地に移り住みます。芳しいりんごの並木道でジェーンは印象的な少年ビルに出会います。けれどジェーンが心を惹かれたビルはなぜか村のひとたちからつまはじきにされていました。村の名士の息子 ロバートはジェーンと友人になりたがっていたました。彼には車椅子の妹アンナがいました、ある日ロバートはジェーンとビルが親しげにしているのを見て嫉妬し 「これ以上家族を不幸にするな」とビルを追い出してしまいました。

    ビルがアンナを故意にかたわにしたのだというのです。その夜ジェーンの家にアンナが自分の足でやってきました。なんとアンナは立つことができたのです。「みんなわたしが悪いの、ビルを助けて!!」アンナの怪我はビルのせいではありませんでした。アンナは二年前から立つことができていたのですが、ビルを失いたくないばかりに歩けない振りをしていたのです。やがて、ビルは発見され ビルがアンナを見守りつづけ、愛していることをジェーンは知るのでした。

   西谷祥子の連載まんがにはシリアスなものと軽いコメディタッチのものがあります。けれども テーマは双方とも主人公のあるいは青春群像の成長です。彼等はあるときは喜び ある時は悲しみ おとなへの階段を上ってゆきます。家出、罪、あるいは死によってものがたりは展開します。「献身」も大きなテーマです。特徴的なのは、地の語りの文章がなく、ふきだしのない心情的なモノローグが多いことです。手紙も多用されます。

   白鳥の歌 バレー漫画

.......でも いちばん好きなのは一番目の世界よ そこでは あたしはあたしにもどるの ほんとのあたしになっちゃうのよ.....「ジェシカの世界」より

   短編は喪失のものがたりが多い。主人公の心の成長はあるのですが それとひきかえにたいせつなものを失うのです。それが長編より一層リアルになります、たとえば「風花」では....たしか友人の裏切りによって「愛」を失うという少女向きとは思えないすじでした。「わたぼうし」では、儚げな難病の少女が死にます。「いしだたみ」では日本画の大家であった父が亡くなり、少女が京都で芸妓をしているという腹違いの姉に遺産をわけようと 出向くのですが 姉たるひとは凛として お嬢さんにはお嬢さんの世界がある、自分はこの世界に生きてゆくと伝えるのでした。姉妹の名乗りもできなかった妹のモノローグ.......ねえさん......京の街はさびしいいしだたみがどこまでもつづく街ですね.....

   絶大な支持を得た「マリィ・ルゥ」はアメリカのジュニア小説にヒントを得たのではないでしょうか。その頃、プロムのドレスやデートに少女たちは胸をときめかせました。つづいて「レモンとさくらんぼ」「われら劣等性」「ジュンの結婚」などでは日本の青春群像が比較的リアルに描かれています。西谷祥子は学園漫画の扉をひらき、無国籍まんがと揶揄されまばゆいばかりの虚構の世界から等身大の日本の少女少女たちが活躍するようになりました。西谷祥子は少女たちを熱狂させ、多いときは月に3000枚の原稿を書いたそうです。もうひとつ見逃せないのは「ポーの一族」や「風と木の詩」以前に、「学生たちの道」ですでに少年を主人公にしていたことです。「ジェシカの世界」でも青年ハリーの目線でものがたりは語られています。

   レモンとさくらんぼ 「学園もの・群像もの」というジャンルをつくった

    わたしは西谷さんの短編がこよなく好きでした。そこには”ゆらぎ” ”諦念” ”無常” がありました。ひとが生きてゆくうえで失ってゆくものへの切ないまでの想いがありました。読者や出版社に媚びない西谷さんの思いと力のこもったものを短編で受け取れたことはしあわせだったと思います。多作さゆえもあって、作風から”あやうさのような””香りのような”ものが消えたあと わたしは西谷祥子のファンであることから遠ざかりました。それは西谷さんが漫画上で飛鳥幸子が自分の絵を模倣していると非難なさったころとかさなるかもしれません。

   岡田史子が西谷祥子のアシスタントをしていたのは1966年頃でしょうか。オリビア 白ばら物語 いしだたみ わたぼうし を描いた 西谷祥子がもっとも充実していた年ではなかったかと思います。そして翌1967年岡田史子はCOM2月号で衝撃的なデビューを飾ります。タイトルは「太陽と骸骨のような少年」西谷祥子の存在が岡田史子の作品にどの程度影響を与えたのか、それ以前の作品を読んでいないのでわかりませんが 岡田史子の登場は既存の漫画家にとっても、コアなファンにとってもノヴァに等しいものでした。


所有作品

長編 リンゴの並木道(別マ総集編)  白鳥の歌(別マ総集編) マリィルウ  白ばら物語 レモンとさくらんぼ  ジルとMr.ライオン 学生たちの道  ジェシカの世界 ギャングとお嬢さん ジュンの結婚 われら劣等性 花びら日記 すべて雑誌からはずしたオリジナル
   
短編 (風花  オリビア いしだたみ  わたぼうし クレアお嬢さん 行ってしまった小鳥  夏ものがたり  金色のジェニィ ぎんなんの涙 麻巳の湖)以上 まちがって燃してしまいました。一生の不覚です。 のこっているのは朝顔さんのみ
      
西谷祥子ファンクラブは→コチラ
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       セシリア

    水野英子は1939年の生まれ、手塚治虫の漫画に驚愕し漫画家を志したといいます。....少女まんが史上に燦然と輝く水野英子は伝説のトキワ荘の住人でもありました。トキワ荘に住んでいたのは手塚治虫 寺田ヒロオ 石森章太郎 赤塚不二夫 藤子不二雄 水野英子 鈴木伸一 森安なおや よこたとくお つげ義春 .......多くが鬼籍に入られました。

    水野英子は少女小説の匂いを色濃く受け継いだ母子、友情、バレーものなど揺籃期の少女漫画から近代の少女漫画の扉を開いた先駆者です。最初の長編 「銀の花びら」には長編手塚治虫の絵の影響が見られますが、北欧神話などからインスパイヤされたと思われる「星のたてごと」で華麗な水野英子のスタイルがほぼ完成.....のちにつづく少女漫画家に多くの影響を与えました。出版社からの要請もあったようですが、再話者でもありました。「白いトロイカ」には原作(映画があると、水野英子のアシスタントをした方から聞いたことがあります。「ローマの休日」「奇跡のひと」は映画からの描きおこし、「セシリア」はネイサンの”ジェニィの肖像”をモチーフにしたものです。映画もあったかもしれません。

    わたしが水野英子さんの熱烈なファンになったのは「白いトロイカ」(1964年連載開始)の頃です。このものがたりはロシア革命(実態とは異なる)を縦糸に農奴の娘ロタ(実は皇帝に刃向かい殺された貴族フョードル伯の娘ロザリンダ)とロタを愛する貴族のレオ、コザックのアドリアンの恋を横糸に織り成した歴史ロマンでありました。水野英子こそは 少女まんがに男と女の”愛”を描いた最初の漫画家でした。さながら運命の糸に結ばれたふたりは自分たちの運命をうたがうことなく一途に求め合うのです。

    ロザリンダを愛するレオは金髪、皇帝を狙う黒い鷹・アドリアンは黒髪.....この構図は木原としえの「エメラルドの海賊」を思い起こさせます。少女をめぐる黒髪のナイーブな青年と麗しい金髪の若者、ふたりの青年の間には信頼と尊敬があります。皇帝の台詞に....「ロザリンダは幸せな娘よのう...このように男らしい男たちから愛されるとは....」とありますが、これは読んでいる少女たちの夢でもありました。ロザリンダのようにうつくしくありたい、強い男たちに愛されたい....というほのかな夢.....。

    もし「白いトロイカ」がなければ、「ベルサイユのばら」の存在もなかったのでは....と思うのです。というのも池田理代子さんは貸本漫画でデビューしたのですが、「祖国に愛を」1973年........構図が「白いトロイカ」そっくりでドレスの模様だけがマーブル模様になっていました。

     当時は絵柄を真似することはそうとがめだてされることではありませんでした。ロシア革命→フランス革命 黒い鷹→黒い盗賊 ロザリーの髪型は髪をおろしたロザリンダにとても似ています。インスピレーションを受けたのかもしれませんが、それは「ベルサイユのばら」の価値を損ねるものではなく、水野英子が多くの少女漫画家に影響を及ぼす華麗さ、ストーリーテラーとしての力、開拓者精神をもっていたことにほかなりません。

     もうひとつ1967年の「ブロードウェイの星」をとりあげて見ましょう。....少女・ステファニア・ロウがスターへの階段を上ってゆくものがたり.....母親は娘の夢のため身を粉にして過労で亡くなりスゥはひとり夢を抱いてブロードウェイに向かいます。そこでスゥは自分の出生の秘密、白人と黒人のハーフであることを知ります。演出家ノーマンはスゥと友人でスターをめざすジーンに”熾火”の演技をするように命じます。黒人の大プロデューサークラウンはスゥが自分の娘であったことを知り、ミュージカル「マリー」の主役に抜擢します。

     スゥは断り、オーデションを受けなおし、自分の力で役を勝ち取ります。マリーは混血の少女のものがたり.....役つくりに悩んだスゥは南部で肌を黒く縫って 黒人の苦しみを知り みごとに期待にこたえます。熾火のエチュード、ドレスが届けられるところ、姿を変えて役をつかむところなど 身内すずえは「ガラスの仮面」のヒントを得たのではないでしょうか。
    
    水野英子は”麗わしのサブリナ”をベースにした「すてきなコーラ」で少女まんがにおけるラブコメを確立、ハロードク ビーナスの夢 赤毛のスカーレットと描きつづけ 「ブロードウェイの星」で人種問題、「ファイヤー!」「シモンの夏」で60年代のロック世代、70年代のヒッピーの風俗を描き、自らも未婚の母になりました。ジャンルとしては①神話、伝説 から想を得たもの ②映画の再話によるラブコメディあるいはドラマ ③ 60年~70年代のアメリカをベースにした創作 ④ その他.....今までの少女漫画家になくジャンルを問わない作家でした。こうして振り返ると水野英子は神話・ファンタジーから一気にアメリカのポップカルチャーに飛んで行ったようです。わたしは事故で片腕を失った青年が日本アルプスを縦走する....その途中で見た幻影と山へのぼったことで再生してゆく「旅」という作品がすきです。テーマは一貫して”愛”男と女の恋を少女漫画にとりいれた漫画家でした。今 気がついたのですが 終盤になって 作品の向こうに”母性”が見えるようになったように思います。水野英子の人生にリンクしたものがたりをもっと見たかったなぁと思います。

        川の向こうの家  少年は盲目になるのも間近となったある日 貯めたお金を握り締めて川向こうにわたります。川向こうには娼婦館があって 少年はそこにいる水色の眼の娼婦マドレーヌに会いたかったのです。マドレーヌは川のあちらであこがれていたときとは違って見えました.......梳いてない髪 眼の周りのしわ....けれど その眼はうつくしく.....


少女漫画の中興の祖、西谷祥子も好きな漫画家に水野英子をあげています。水野英子は画力も文章力もありましたが、どちらかといえば視覚的な漫画家でした。水野英子の少女漫画におけるヒロインの「生」はプリミティブで骨太。運命に翻弄されながら原初の力強さを失っていません。考えるというよりは本能や感覚に従って生きるタイプです。

  .....西谷祥子にしてはじめて少女まんがの主人公の少女は、あるいは少年は人生にたじろぎ おぼろげながら「生」とはなにか考えるのです。主体としての自分から客体としての自分、視点の転換が起こります。ことばをかえれば西谷祥子は少女漫画に文学性を吹き込んだ漫画家です。その影響を受けた岡田史子がいて、萩尾望都は岡田から多大のインスピレーションを受け 少女まんがはサブカルとして絢爛たる花園となったのです。

        星のたてごと
    
所有作品 

長編...「銀の花びら」「星のたてごと」以上単行本「すてきなコーラ」「白いトロイカ」「セシリア(総集編)」「ハロー、ドク」「グラナダの聖母」「ハニーハニーのすてきな冒険」「ブロードウェイの星」「ビーナスの夢」「赤毛のスカーレット」「ファイアー」連載された雑誌からはずしとじたもの

短編....「ふたつの太陽」少女フレンド版 「ガラスの天使」「月とベニスと白いばら」「エリの窓」「トゥオネラの白鳥」「にれ屋敷」「三つの愛の物語」「川の向こうの家」「10月のセラフィーヌ」「エレクトラ」「シモンの夏」「旅」「ローマの休日」「奇跡のひと」その他ぶーけ コンパクト 別セブンティーン収録作品本のまま所蔵
そのほか 紫色のドレス他 絵物語多数。そのうち画像をUPします。

.....次回は西谷祥子、つぎに岡田史子 萩尾望都 大島弓子 山岸涼子を本流として あすなひろし、牧美也子、武田京子、八代まさこ 樹村みのり 飛鳥幸子諸氏のことも書いてゆきたいと思います。

水野英子の部屋は

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※少女漫画史① 男性作家と母物の時代はあとで書きます。



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     日本オリンピック委員会は浅田真央さんをJOCスポーツ最優勝賞の受賞者に決めました。まことにめでたいです。浅田真央さん! がんばった甲斐がありましたね....絶えざる努力もそして涙もむだではなかった......国や組織からたくさんの表彰がありましたが、一番の喝采はおかあさんからのもの......そして、あちこちのかたすみで息をつめ、祈るような想いで浅田真央さんをみつめていた名もないファンの応援だったと思います。わたしたちもあなたといっしょに生きていました。

     その他の受賞者は....優秀賞 高橋大輔(フィギュアスケート、関大大学院)古賀淳也(水泳、稲泳会)内村航平(体操、日体大)上野順恵(柔道、三井住友海上)▽新人賞 羽生結弦(フィギュアスケート、宮城・東北高)村上佳菜子(フィギュアスケート、愛知・中京大中京高)▽特別功労賞 村上幸史(陸上、スズキ浜松AC)小平奈緒(スピードスケート、相沢病院)穂積雅子、田畑真紀(以上スピードスケート、ダイチ)▽トップアスリートサポート賞最優秀団体賞 日本電産サンキョー


(日本の新聞ではない)毎日新聞の記事は→コチラ

産経スポーツの記事は→コチラ

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........ひさびさに明るいニュースです。

    文部科学省は10日、東京都内のホテルでバンクーバー冬季五輪の成績優秀者への顕彰、表彰式を行い、フィギュアスケート女子銀メダルの浅田真央さんが代表して「誠に光栄に思います。表彰を励みに今後も好成績を残せるように日々精進してまいります」と謝辞を述べました。タチアナ・タラソワコーチもスポーツ功労者として表彰されました。

    もうひとつ、ISUはルールの改正を行い、ジャンプ、4回転やトリプルアクセルの基礎点があがりました。トリプルアクセルは0.3点だったかな.....キムヨナさんはTOP選手で唯一ダブルアクセルを3回プログラムに入れていました。それに大幅な加点がされていたのですが、ダブルアクセルは2回しかできなくなりました。加点幅も少なくなりました。ジャッジの匿名性排除はロシアの反対でできませんでした。

    100%満足のいく改正ではありませんが、これで実力と順位が今までよりはリンクするようになるでしょう。2010世界選手権、バンクーバーオリンピックの結果、多くのクレームがISU に寄せられたこと、このままにしてはフィギュアスケートが競技として成り立たなくなること、選手たちが難しい技に取り組むより安易に点をとる方向にいってしまう危険性などから、今回の改正になったと思われます。ジャッジの匿名性排除と「芸術性」という曖昧で個人的な感覚でどうともなり、不正ジャッジの温床ともなる部分をどのように位置づけ、採点するかは残された課題です。

    けれども、たとえば、007の狙え 撃て! バチンのようなプログラム が芸術性が高いと評価されるにしても、これまでのありえない高得点は不可能になるでしょう。2009-2010年のシーズンはフィギュア界の汚点として長く後世に語り伝えられることになるでしょう。 桜子さん 感謝

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   御柱祭で死者とのニュースに驚きました。御柱祭は諏訪大社の最大の行事で申と寅の年におこなわれます。この御柱祭の起源について今までいろいろな意見がありました。

   そのひとつが結界説

   古事記の有名なエピソード・国譲り....アマテラスを長とする高天原の神々が、最初に葦原中つ国を統一したオオクニヌシに支配権を譲るように迫るというものがたり。 

.......高天原から、最初はアメノホヒ、次にアマワカヒコが国譲りの交渉役に遣わされますした。ところが、どちらもオオクニヌシに従ってしまって、高天原に帰ってきません。そこでタケミカヅチとアマノトリフネ{日本書紀ではフツヌシ)が遣わされ、稲佐の浜に剣を突き立てて国譲りを迫るのです。

   オオクニヌシは、ふたりの息子に聞いてくれといいます。すると、釣りに出ていたコトシロヌシは承諾し海に飛び込んでしまいました、もうひとりの息子、タケミナカタは反対します。戦ったあげくタケミカズチに負けて追われたタケミナカタ(大国主命の息子)は逃げ込んだ諏訪で、この地から出ないことを条件にゆるされました。


   その結界を張ったのが御柱祭の由来というのです。....アマツカミとクニツカミとの葛藤....けれども、もっと有力な説もあります。タケミナカタがくるまで諏訪を治めていたのはモレヤ神の末裔守矢氏で、タケミナカタと守矢氏は戦い、この諏訪版国ゆずりではタケミナカタが勝つのですが、守矢氏は諏訪大社の初代神官として残ります。その守矢氏の子孫の方が御柱祭の柱はミシャグチ神の依り代であるとおっしゃっているそうです。(守矢氏と物部の守屋との関連をいうひともいます。)モリヤ神とミシャグチ神はおなじというひともいますがあとで調べてみたいと思います。

   もうひとつ近年言われているのが、ソロモン王が杉の木を高い山から切って神殿をつくったその故事から、イスラエル起源という説です。つまり12氏族のうち失われた10氏族の一部が日本に流れてきた....そのひとびとがはじめた儀式....というのです。イスラエルの北王国は紀元前722年にアッシリアにより滅ぼされてその後消息が知れませんでした。それゆえ失われた10氏族というのですが.....たかだか紀元前1000年くらいではありませんか。それに木を切って柱にするのはごくあたりまえのことなのじゃないかと思うのです。ゆえにわたしは二番目の説をとることにします。依り代が一番しっくりきます。

   そこで 唐突ですが天皇制ってなんだろうという素朴な疑問が浮かびました。ヤマト朝廷の祖ニニギにしたって、その前に天降った物部氏の祖ニギハヤヒにしたって天からくだった(海からわたって来た)ひとたち........アメリカがくるずっとずっと前から、韓国や中国の心配をするまでもなく、もともと日本は乗っ取られていたといえないこともない。それにしても思いやり予算じゃないけれど、ネーミングの力はすごい。もとは海を渡ってきたただの”ひと”なのに、天孫族とか天津神とかいうとなんだか神々しく思えてきます。

   さて、先住民族エミシやハヤトはヤマトに滅ぼされましたが(アテルイやミカボシカガセオのように)一部が貴族の家来となり武士として力をつけました。するとかなりおおざっぱな言い方だが 武士こそもともとのヒノモト・日本の血を濃くひいていることになる。神はいずくにおわすのでしょう。日本人とは、いったいなにものなのなんでしょう。そしてもうひとつ....依り代を立てることでふたり死者が出た.....これはなにを意味しているのでしょう。......それとも!? ヤマト朝廷のルーツそのものが10氏族とか......? なにをもって侵略というのかな。謎は深まるばかり....。

   




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献杯のことばは→コチラ

先日 お葬式でとてもうつくしい心に沁みる弔辞を聴かせていただきました。市井のひとの弔辞は空気に溶けるように消えてしまいますが、心に響くのは愛...なのですね、逝ってしまったひとの深い愛があって、身近にいて故人の闇も光も見てきたひとの愛惜の思いがある.....言葉には尽くせぬ思い、悔いもすこしはあるのだろう....それをいっぱいの感謝に換えたとき深い感動が生まれます。

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はじめて見たタモリをわたしは忘れられません。イグアナとか歌謡曲分析講座とか最初のころは破天荒におもしろかった。そのタモリを世に出したのが赤塚さんでした。

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とても疲れていました。ひとの闇と向きあって、怒りをもつと 取り込まれてしまうのだと.....今 気がつきました。仕事には落とし穴がたくさんあって、さらりと流すところは流さないとつらくなる。この写真を見ていたら....なぜかわからないけれど、涙があふれとてもしずかな気持ちになりました。ありがとう......

ネイティブアメリカンの方たちは日本人に似ていますね.....セージを炊いてもらったとき、紫のセージがひろがっているのを夢に見ました。ほのかな香りにつつまれて静謐で心満ち足りていました。セージなど見たこともないのにあとでネットでみたら夢とそっくりでした。



大きな写真は→コチラ



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