遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。

 



  年長さんのおはなし会、結局 ウルマと漁師とチャラーナを語ってみる。妖怪とおばあさんも...その他クラスによって三つ目は変えた。ケーキのろうそくを持っていったらみんな喜んだ。

うぐいす組 +ライフストーリーから すこしむつかしかった

つばめ組  +魔法のオレンジの木 コカのカメのリクエストが多かった。

ひばり組  +旅行のおはなし

妖怪とおばあさんは参加型にしてみる。ひばり組では子どもたちはけらけら笑っていた。ウルマと漁師とチャラーナは5歳児にはすこしむつかしいようだ。自分の再話にもうすこし変えてみようと思う。子どもたちはおはなし会をとても楽しみにしている由、ひとりの子はおはなし会を聞きたいからといって歯医者の予定を変えた由、さぁもっと楽しいもっと良いものにしなくては....今日はクラスの差がありすぎた。

  きのうのことだが ルイと昼間いっしょにお昼ねをしたところ 夢を見た。地震だ!ぐらぐら揺れだして これは大きいぞ..たいへんだ! と思う間もあればこそ 家が傾きだす。床が斜めになりわたしは投げ出される。すると今度は反転してねじれるように家は倒壊する。土埃のたちこめるなか わたしはようよう 家の残骸から這い出す。だれか家のなかに残っているものは...火が出たらどうしよう....お位牌は 通帳は 写真は ...というところで目が覚めた。パソコンのことも膨大な語り関係のファイル つくったり再話したものがたりの数々のことも忘れていた。保存を考えなくてはならない。

  知人が亡くなった。もうひとりの知人が交通事故で相手を死なせてしまった。




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  日常のなかではひとは持てる力をフルに出す必要はない。慣れ親しんだ仕事 慣れ親しんだひとびとのあいだでは 自動機械のようにからだもあたまも動いていくからだ。心のドアセキュリティのレベルは低く維持され わたしたちは考えることもなく苦もなく一日を終えることだってできる。

  旅をすると時間が濃密になる。おなじ24時間が3倍にも4倍にも広がる。いつもは閉じている感覚のすべてがまだ見ぬ風の匂いや風景やひとびとを感じてひらく。見るもの聞くものに幼な子のように好奇心が外へ向って満ち溢れる。そのせいで こどもの時のように一日が長いのだろうか。旅はまた出会いである。風物と出会う ひとと出会う そして自分と出会う。

  サンジミアーノがわたしにとって特別な町なのは 美しい田園風景のためでもワインのためでもない。サンジミアーノの閑散としたバールでおばさんが淹れてくれたイタリア旅行中でいちばん熱くて美味しいカフェラテとおばさんの気さくな笑顔、そして石を積んだ門のところに座っていたおじいさんが ビューティフル!とわたしの手を握って微笑みかけたから その日の青い空と笑顔がいっしょになってサンジミアーノのことを思うたびにあたたかくなるのだ。

  フィレンツェが忘れられないのも 疲れきって花の寺院の階段に座り込んで眺めたラピスラズリのように青く青い夕暮れの空のせいでも ウフツィー美術館のせいでも その近くで安く買えた上等の皮のコートのせいでもなく ホテルから脱け出してマーケットに行った帰り迷子になって 道を尋ねたときの 学生さんやどこかの奥さんや店のおばさんのとびきりの親切と笑顔のせいなのだ。

  若いとき ずいぶんとひとり旅をした。北陸のちいさな町の駅舎で お茶を売っていたおじさんや 峠で道を案内してくれたおじさん お金をなくして払えなくなったとき 働かせてくれ 過分に給料をくださった宿のひと たくさんのひとととわたしは出会い そのひとたちは人生にたいせつなことをたくさん教えてくれた。

  同様に 考えられない悪意や作為とであうこともあった。今では笑い話だがミラノの靴屋ではわざと全く違う靴を箱にいれられたし (もちろん 片言の英語で談判し取り替えてもらった) カメラ屋でもいやなことがあって 「あなたは親切ではない。(ベニスの商人の)シャイロックだ!」と下手な英語できりかえしついでに日本語でばぁか!と棄て台詞も置いてきた。

  旅の恥は....というくらいだから 観光客は観光地に住むひとたちにとって必ずしもいい存在ではないだろう。よそものにこころを開くひとばかりでないこともわかる。だが 旅人にあってはそこで であうひと かわすことばが その土地の印象につながるすべてなのだ。古来 洋の東西をとわず まれびと(客人)を手厚くもてなして大きな御礼をいただくという昔話が語られてきた。つめたくあしらった家では理不尽と思われるほど不幸になる。これにはどんな意味が隠されているのだろう。

  道を尋ねると その土地柄があらかた見える。姫路で道がわからなくなったときは4人目でようやく教えてもらえた。京都では最後の晩 あとは帰るばかりとお金を遣い果たしてから 夜行バスのチケットを落としてしまったことに気づき それからは悪夢そのものだった。警察に行けどどこに行けどとりあってはくれなくて わたしは真夜中ひとりで東山を越え 妹の紹介してくれたホテルに向かい 一晩の宿とそれからお金も借りることができた。そのせいだけではないが わたしは今でも奈良のほうがずっと好きである。京都では品のよいやさしさの奥になにかひやりした冷たいものがあって、それは関東者には粗雑なことばよりよほどガツンときいた。

  今回の宮島行きはさまざまな問題を抱えていたので屈託なく楽しめるものでもなかった。が、それを差し引いても ちかごろこんなにへこんだ旅もない。とくに自分に向けられたというのでもない いわれのない不可解な悪意のような拒絶のような感情に4度であって....これはなんなのだろうと戸惑った。自分はよそ者だと思い知らされた。すべてではなくもみじ饅頭の藤い屋の売り子さんやJRの売店のおねえさんもとても気持ちのいい対応だったし、ヒロシマでもちんちん電車の車掌さん 新幹線口の鞄屋のおじさんの一歩踏み込んだ親切はとてもうれしかったが 宮島で感じた海のなかで突然冷たい流れにあたったような心臓にぞくりとくる意識の流れのようなものは傷のように残っている。

  神の島のあれは怒りを体現した女性たちなのか..と思ってもみるが 仕事というのはすればいいものではない。帳場に座っていれば 受付にいれば お茶を運べばいいというものではない。気持ちがこもっていないのは当世仕方がないが、その朝夫と喧嘩しようとなにがあろうと 接客業としてプライドのある仕事をしてほしいと思う。


  自分の心のセキュリティのレベルを自在にコントロールできたらどんなにいいだろう。よいものを受け取るときはいちばん低くして感動したり喜んだり共有したり思い切りして 負の感情を受け取るときはレベルを高くし 自分が傷つかないように防御できたら...そんなに都合よくできるはずはない。語り手として数年きて 以前よりアンテナが鋭敏になったような気がする。ひとの気持ちをいいものもそうでないものも よりはっきりと受け取るようになった。ことばでもだが ことば以前のオーラのようなもので感じるような気がする。

  ものがたりを差し出すときは こころを開かなくては聞き手にはいっていかないから セキュリティレベルをひくくひくくする。その感覚を覚えてから仕事上でも前よりひとと話がしやすくなった。けれどもそれはまた どうすればひとのこころに届くかということとつながっているから その力を武器としてつかってしまうこともある。

  娘と今回の旅のことをのぞみの車中で話し合っていたとき「おかあさん 仕事の上で 会話によって相手を傷つけることもあるのじゃない?」と言われた。そういうこともあるだろうと思う。傷つけないで傷つかないでいられたらいいが、わたしも戦士のはしくれだから自分のたいせつなものを守るためにはしかたがない。たまに痛いことがあっても傷ついても それを軽く 受けとめられるだけ強くなりたいと思う。

  昔 読んだ本に 「疲れた旅人がいたら 一杯の水を持っていっておやりなさい。そこに人生の真実があるのだから」とあった。一杯の水を笑顔でわたせるひとになりたい。
 

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  カラスと原爆ドーム

  27日 広島に着いた。チンチン電車に乗って原爆ドームに向う。白いシャツの若い車掌さんの笑顔がやさしかった。




  平和公園を歩いて広島記念資料館東館に入る。1Fでは戦前からの広島の歴史が写真とともに淡々と述べられている。広島高等師範から全国の中学校に夢ふくらませて若い教師たちが巣立っていったこと、それとともに広島が軍港としても帝国の要衝であったことをわたしたちは知る。戦争末期 イタリア、ドイツの降伏を受け 日本の中枢のひとたちがひそかに戦争の終結をにらみ策を練っていたことをわたしたちは知る、そして原爆がもともとドイツの開発を恐れ開発されたのにも関わらず 当初から狙いは日本であったことも わたしたちは知る。アメリカがソ連をけん制し 国内に向けては多額の開発費の口実に戦勝を勝ち取るがため、また研究のため すでに資源も底をつき 死に体であった日本に あえて原爆を投下したことをわたしたちは知る。



  その日 快晴であったことがヒロシマの運命を決めた。爆心地は病院の上空600Mであった。そのとき 爆心近くの地表は3000度に達し 爆風でコンクリートの建物も吹き飛んだ。ひとびとは生きたまま 蒸発し 生きたまま 焼かれた。




  地下の展示室で 生き残ったひとたちが描いた絵を見た。祖母を見捨てて逃げた少年の数十年にわたる悔恨に息をのむ。トマトが食べたくて死んだこどものふくれあがった顔 抱いたこどもを守るようにまっくろになって死んだ母親、行方不明の夫が家に戻り三人のわが子を抱きしめた夢を見て 死んだことをさとった妻 妻が燃え盛る家の下敷きになったところを 誰かが大きなのこぎりを貸してくれたおかげで助けることができた話 それはわたしたちに起きたかもしれない 起こるかもしれないものがたりだった。息が詰まって 涙が苦くて外に出る。ひとびとが炎にまかれ 熱さ苦しさのあまり 飛び込んだ川のおもてに ときおり降る雨がちいさな波紋をつくっていた。

  わたしはひとびとが逃げた比治山にのぼり 真ん中から燃える樹の残像を見たかった。ヒロシマ市街を眺めたかった。また多くのひとたちが収容された似の島にもいきたかったが 今日はもうなにもはいりそうもない。 献火にむかい どうかみなさまのかわりに語らせてくださいと祈る。娘と駅に戻り 安芸の宮島に向った。


 平和公園の盛りの薔薇  




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厳島神社祓い殿 祀られておわすは三柱の女神

  古事記の定本というのはないらしい。「序ことば 枕ことば 韻律 繰り帰しなどからみて 語られていたものを書き写したのが古事記として今に残っているのだろう」と三浦先生はおっしゃった。また書かれた文字は 和漢語であるという。以前に学者の再話より文学者の再話のほうがイメージがわくといったが 書きことばと語りことばはおのずから違うから 韻律やくりかえしのことばなどを考慮しながら 今につうじる美しいことばで語り手自身が再話するのが本道だろう。そこに飛躍があってもいいとおもう。

  奉納の語り公演ではさまざまなことを感じ、また想ったけれど もっとも心に残ったのは実は実行委員会の閉会のことばであった。「わたしたちは惟神・かんながらの道を行きたい」というその意味は自然の法則にのっとった 神の御心にそった暮らしということであろうし かんながらということばが神道からでているにしても それは特定の宗教をさすものではないと思う。たとえばホピなどのネイティブアメリカンやアイヌやアボリジニなど...自分が暮らすために必要なこと以上のものを求めなかったひとびとが信じ 実践していた生き方と重なるように思うのだ。

  すこしずつ 語りの源流に向って遡っているような気がする。 こころの奥底から聞こえてくる呼び声がひとしきり高まったような 踏みしめる足もとの確かさが増してくるような手ごたえを感じている。

  朝 娘を大宮まで送り その足で自治医大に向う。もう診察は終っていた。たいへんよくなっているとのこと。真性の緑内障ではなかった。わたしは1月の手術に若干の問題があったのではないかと感じている。次回は6/6となった。



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  朝6:00、始発ののぞみに乗る。娘とちいさなふたり旅である。時速300キロのスピードのせいか ブランコをこいで空の近くから滑空するときのようにおなかのあたりがスースーする。10:00には広島に到着。路面電車で平和記念資料館に向かう。このことは家に帰ってから述べ 写真もUPしたい。

 ゲストハウス菊がわ

  夕刻 宮島にフェリーは着いた。宿で懐石料理をいただく。こじんまりしているがすみずみまで気の配られた宿だった。料理はすこぶる美味しかった。9:00厳島神社祓い殿にていよいよ 奉納の語りがはじまる。夜気のなかをどこからともなくりょうりょうと篠笛の音が聞こえる。幽玄の音は次第に高まる。つぎに古事記の解説が三浦先生からあった。第一部はアマテラスとスサノオの神生みのお話だった。





 続いて第二部 語りが始まると同時に波がザァーと曳いた。ウミサチヒコとヤマサチヒコのおはなし。オオヤマツミの神はニニギノミコトにふたりの娘を贈る。ところがニニギは醜いイワナガヒメを送り返してしまう。恥をかいたオオヤマツミの神は言う「あなたの命が石のように長く続くようにとイワナガヒメを送り、木の花のように栄える ようにとコノハナノサクヤヒメを送ったのに、あなたはイワナガヒメを拒絶してしまった。 あなたの命は、咲いては枯れる花のようにはかないものになるだろう」こうしてスメラギノミコトのいのちは限りあるものとなってしまった。

 ニニギノミコトはコノハナノサクヤヒメと一夜の契りをかわす。しかし一夜で子をさずかったことをニニギは疑ったため サクヤヒメはニニギの子であることを証明するために産屋に火を放つ。炎のなかで無事に生まれたのはホデリノミコト(ウミサチヒコ)、ホスセリノミコト ホオリノミコト(ヤマサチヒコ)の三人の皇子である。ホオリはホデリの無理難題をわだつみの神のたすけによってきりぬける。しかしホオリは娶った わだつみの神の娘トヨタマヒメの出産を産屋のすきまから見て わにである本性をみてあとじさる。恥じ入ったトヨタマヒメは子を残し 海に去り 妹のタマヨリヒメを送る。

 語りが佳境に入るにつれ雨音は次第に高まる。波の音、風の音 鳥の囀りが古事記のものがたりとひとつになり ひとびとはただ聞き入っていた。櫻井先生が扇をかざし 神の御歌を詠じるとき不思議にお顔がいや上半身が光を帯びる。ライトが扇に反射しているのだろうかと思いながらも わたしはことばに尽くせぬ霊妙な場にいるのだと感じた。終わったそのとき 今まで聞こえることのなかった波音がザザーン、ザザーンと三度響いた。あたかも海の神・わだつみがたしかに受け取ったと答えてくださったようでわたしは思わず祈った。神保さんは背筋が震えたそうである。帰り迎えにきてくださった宿のご亭主に神様がおでましになりましたよと伝えると「この島は神の島であり 神とともに生きているのですから なにが起きてもも驚くことはありません」とおっしゃった。






  夜 宿で櫻井先生 三浦先生 君川さん とスタッフの席に呼んでいただく。三浦先生になぜ古事記の三段で兄妹の恋が多いか質問したところ 櫻井先生が「気がつかなかった?今日のアマテラス スサノオのおはなしも兄妹婚だったのよ」とおっしゃり ....そういえばアマテラスは剣を口に砕き スサノオは玉を砕き神生みをする。気がつかなかったことに愕然とする。三浦先生のお話ではイザナギ イザナミ アダムとイブも兄妹婚だそうだ。インカ帝国の皇帝も代々兄妹婚だった記憶が....そういえばイシスとオシリスも...

  28日は千畳閣にて 宮司さん 三浦先生のレクチャー 君川さんの語りがあった。湿った風がびょうびょうと千畳閣を吹き抜ける。聞き手はカメのように座布団を背中にくくりつけ 寒さを凌いでいる。わたしは別行動の娘のことも気になってそうそうに退散した。



  朝の散歩の風景、それから 千畳閣を脱け出して歩いた古径...

  

  海の道に潮が満ちる。

  

  朝まだきの町屋 昼間 食べたこの店の冷やしぜんざいはたいそう美味しかった。..が、ウェイトレスさんも空前絶後だった。



古径の石垣 厳島は植物の繁茂の勢いが強いように感じる。



厳島は島全体が神なのだそうだ。いたるところに鹿がいる。路地をたぬきが走りぬける。



これは古径の途中 工房の入り口にかけてあった面。鹿の意匠か。

  
 
  白い花 なまえは知らない。山の上から見た遠景。

  町屋の通り 祓い殿で多くの仲間たちと旧交をあたためた。厳島神社祓い殿の張り詰めた空気のなかで 原生林の息吹にふれることで どのように古事記を語ってゆくか およその方向が決まった。 安芸の宮島に渡ることはもうないだろうと思う。

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  朝8時過ぎに出て 帰ったのは6時をまわっていた。待合室は座る席がないほどいっぱいだった。担当のA先生はとても丁寧に説明してくださり好感が持てたし 信頼できる先生だと確信できた。お昼も食べないで患者さんを診てもう二時半になっていたのでお気の毒で、持っていたお弁当をさしあげると 「はじめてだ...」とつぶやいて遠慮しないで気持ちよく受け取ってくださってうれしかった。 

  炭の粉が目に入ったとかいう単純な問題ではなかったのだ。真性の緑内障なら失明して隻眼になってしまうが、そうならないための治療をしてきたし 検査の結果も良かったので原因はわからないという。もうひとつ手術した眼内レンズの膜が癒着して排水孔をふさいだということも考えられるのでレーザーでちいさい孔を開けることになった。そして最後の検査で眼圧がほぼ正常に戻った。

  まだ安心はできない。月曜にもう一度検査することになった。....伝えるということが苦手なひともいる。夫は自分の真情をあかすことなど滅多にない。根堀葉堀聞かないと 今日起きたこともわからない。炭の粉と聞いて信じたわたしも考えがなかった。4日間のダメージがあまりないといいのだけれど 元に戻ればいいのだけれど。

  もっと 寄り添わなくてはだめなのだ。わたしはどうすればいいのだろう。夫は夫、わたしはわたしと棲み分けて 自分のすべきことをしていればいい状態ではなさそうだ。息子たちの自覚を促して 父を支えてゆくように 社員ひとりひとりがそれぞれの職責を自ら果たして行くように そうするには一歩踏み出せばいいのか 引き下がればいいのか どうしたらいいのか。

  語りの奥深い森に いざ踏み込もうとした矢先のこと....

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  板倉で夜勤をしてから 炭が目に入って痛いといっていた夫が 朝近所の病院に行くという。そのとき 偶然今日自治医大に予約してあったことを思い出した。転院について納得が行かないので担当の医師に交渉して入れてもらった予約だった。ところが わたしはWさんに頼まれておはなし会に行く約束をしてしまっていた。一度断ったので今回は断れない..と思い受けたのだ。

  それで 信頼できる社員さんに夫と同道してもらい 病院にも経過を伝え わたしはおはなし会にでかけた。6.7人が集まっていた。不思議なことにみなどこかで会ったような気がするのである。「お会いしたことありませんか?」と訊ねてみたが知らないという。

  自己紹介のつもりでライフストーリーを語った。みなさん身を乗り出して聞いてくださったのだが、それが、つぎつぎと集まった方々も体験談を話しだした。なかには物慣れた方もいて おはなしもおもしろく聞いていたのだが、だんだん疲れて聞くのが辛くなってきた。なぜだろうと聞きながらたぐっていくと そのお話は聞き手に同じ結論を持つことを要求しているのだ。...夫をたいせつにすることが家庭にしあわせを導く 不満を持たず 夫を満たそうと努める

....ここにきて鈍感なわたしもようやく気がついた。これはただのおはなし会ではない、なにかの勧誘なのではないか。そして世間話とライフストーリーの違いについても思いをめぐらしていた。伝えたいだけでは違うのだ。語り方についていえば 日記のように時間軸にそってづらづら話が続いていく。ひとに教訓なり感想なり押し付けようとする。....そうであってはならない。ある洗練が必要だ。余分なものを削ぎ落とし、焦点をしぼること。エピソードを厳選すること。そして、聞き手のこころにある決まった感想を導きだそうとしないでそっとものがたりを手渡すこと。

  それぞれ あたたかくとても感じのいい方たちだったけれど わたしはなにか腑に落ちないものを感じて帰った。途中で夫の下着やなにか求めたのは さっきの話が気になったのかもしれない。仕事を終って さぁ出かけなくてはと慌しく ホテルやチケットの準備をしていると 夫からTELがあった。眼圧が二倍になっていて 明日も病院に行かなければならないという。原因は不明だという。

  これはなにかの符合かもしれないとドキリとした。わたしは自分の痛みにかまけて充分に夫の面倒をみていたとはいえなかった。夫は無口であまり語らない。こどもたちのこと わたしのからだのこと さまざま心配していたのかもしれないと胸がいたかった。とりあえず 25日の出発は取りやめた。夫をとるか 語りを採るかなどという短絡な考え方はもとよりするつもりはない。いちばんたいせつなものはよくわかっている。

  

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  …..そういえば山の神は女だった。それが後代になって 山の神がおかみさん 女房の別称になったのだろう。若いころ、山が好きな友人から「山の神は女だから 登山者のうち 若い男がおしっこをすると喜ぶが 女のひとはかならずそのまえにひとこと 断らなくてはいけない」と聞いたことがある。

  余談だが 山の中でトイレをすることを 男は鉄砲を撃ちにいく 女は花をつみにいく という。それを教えてくれたのはガールスカウトのリーダーだった岸野さんだった。岸野さんは ユーモアがあって ひとのいやがることを黙々とするひとだった。日に焼けて浅黒い顔と満ち溢れるばかりの笑顔を思い出す。わたしはどうやら 10代の頃は男性に惹かれるより 女という性を超越する女性に惹かれる傾向があったようだ。18の年だった。ガールスカウト埼玉第五団を正リーダーとして引き継いでほしいという岸野リーダーの気持ちには応えられなくて とても苦しかった戸隠の夜 営火のあとふたりで闇のなかで見つめていた ルビーのように息づき耀いていた残り火の色が忘れられない。

  民俗学を興したのは柳田国男さんと聞いたが 昔 遠野物語を読んだときは 男が道に迷って それはうつくしい女人とであったという 白い霧のような伝説がこころに焼きついただけで あまりおもしろいものだとは思わなかった。今になって もうすこし民俗学をかじってみたいと思う。「妹の力」「柳田国男と折口信夫」は今 いちばん読みたい本である。

  以前に昔話が神話の末裔ではなく 神話は神とひとの 昔話はひとからひとへのものがたりであるという考えもあると書いたことがある。そうとう乱暴にいえば 柳田さんは昔話を神話がすがたをかえたものと考えているようだ。わたしは基本的にはそういう流れでそのなかにあたかも大河のように さまざまな地のものがたりを受け入れて混沌と流れてきたのではないかと感じている。

  いったい 昔話のあの単純化 象徴性 暗喩隠喩 はなぜなのか。それに世界中にあれだけの似たような話がある不思議 ただ伝播したというだけではすまされぬ なにか玄妙なはたらきがあるような気がする。神話でもワタリガラス(大鴉)は世界中のあちこちの神話に創世するもの ひとを援けるものとしてすがたをあらわしている。北欧神話 チェロキーやアイヌの神話 日本でも熊野のヤタのカラス それからワタリカラスがいないはずのネパールでも 神話に出てくるそうだ。星野道夫さんはそこに目をとめたところでグリズリーに襲われ亡くなった。

  なにを伝えるためのものがたりであったろう….こころの美しいひとが栄え いじわるだったり ひとに手を貸さなかったひとが報復されるとい昔話の図式になにが見えるだろう。それらのことをグローバルな 視野で見ようとするのはたいせつなことだが まず自分の生まれた国の文化 歴史を知ることが先ではないか。 自国の文化や歴史を知らないと海外に出て異国のひとびとと話したとき 敬意をもって迎えられないとも聞いたことがある。

  遅ればせながら 今までより もうすこし体系的に日本のことを学んでいきたいと思う。時間がもうすこしあれば...という気持ちを宥めながら。





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  とりあえず 恐怖の内視鏡検査はおわった。先に終った方がよろめきながらドアから出てきたので少々固くなってしまった。内部は赤くてでこぼこして穴があいていた。ごめんねとかわいそうなおなかにこころのなかであやまって 目をつむった。薬は一段強いパリセットになった。「チョコでは潰瘍は治りません」と女医さんに釘をさされた。

  待合室で柳田国男著 日本の伝説 と中川裕著 アイヌの物語世界 を読む。
日本の伝説は少年(少女もはいっている)むけに書かれていてとてもわかりやすい。柳田さんの子どもたちや日本のゆかしい風土、伝承に寄せる想いが伝わってくる。姥というが老女のことではなく、日本全国に伝わっている姥神にはいつも若者...子どもが対になっていると言うようなことが書かれていた。姥神は山の神である。そして太子さま、お大師さまが水を湧かせてくれる伝説が日本中にあるが それは 大子...もともと山の神なのだそうだ。仏教伝来とともに 日本の野山の神々は名前を変えて..変えられていったのである。解説を池田弥三郎さんが書いている。

 要旨 昔話は言語をたいせつにし 「むかしむかし」 「めでたしめでたし」のように地方地方でことばはことなるが 言語をゆるがせにできない構造になっている。一方 伝説は 言語をはしょってしまおうとかまわない 言語のおくにひそむものがたいせつなのである。昔話は文芸であり 伝説は信仰に近いといえる。ところが近年「民話」ということばがあちこちで使われるようになった。「民話」ということばは昔話と伝説をいっしょくたにしたのだが 学問上のことばではない。
柳田国男がせっかく分類したものが ついえてしまった。


  昔話もそのおくにひそんでいるものがたいせつだとわたしは思うのだが 「民話」という言葉の使い方については曖昧だったと思う。昔話は本格昔話や動物昔話など明確なイメージがあるのだが なにかしら民話というと 色話とか世間話とかこう判別しがたいものを雑多に抱え込んでいる気配がある。柳田さんに敬意を表して また曖昧さを断ち切るためにも ブログのなかの民話ということばを わたしが使っているものについては置き換えた。

  そして思い出したのは 一番はじめに語った伝承が(あ やっぱり民話って便利なことばです)昔話ではなくて 権現堂堤の伝説だったということだ。池田弥三郎さんがいうように 伝説が信仰に近いとすれば わたしの語りが透けてみえてくる。その向こうにあるのは祈りである。以前は語りについてアートとか芸術とかいうのを聞くとこそばゆかった。語りはもっと生活や生きることのすぐ近くにあるものだと思っていたし 芸術とはもっと光かがやくたとえばミケランジェロのピエタのように不滅のものだと思っていた。

  いったい 芸能というものは芝居でも歌でもほかのものでもその場でたちあがり 閃光をはなち またたくまに消えてゆく。どんなにひとのこころをとらえようと 記憶のなかでしだいに霞んでしまう。ビデオやCDにとっても 所詮それは香りのないドライフラワーのようなものだ。その場を輝かせている奏者・役者・語り手と観衆・聞き手のあいだの緊密な連動 ともに生き呼吸しいっしょにつくりあげているそれがないのだもの...それでも 今は 語りはまぎれなく 神と人の世に捧げられし芸だと思っているのだが。
 
  いよいよ あさっては櫻井先生の安芸の宮島での語り公演である。明日の夜
夜行バスでたとう。そうすれば 朝から 広島を見ることができるだろう。仕事でへとへとである。わたしはほんとうは仕事がすきではないようだ。

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  きのうはおはなし会のあとで ばりばり仕事をした。労務費の振込み F機械への質問状の修正送付 文書ファイリングシステム導入のためのフォルダー構築案作成 エーシーの定款作成 議事録の印刷 三の会会費請求のお手紙作成ならびに会費徴収ルールを決めた。朝食も昼食もとらず あっというまに時間がたってしまった。やはり 会社にいなければだめだと思う。こどもか会社かどちらかをとるということではない。

  さよなら公演のチケットが届いた。衣桁も届いているらしい。どちらも郵便局や運送会社に保留になっている。今日あたりアマゾンから本も数冊届く。神保康子さんとヒロシマでおちあうことになった。金曜日にはでかける。先生はもっと早くおでかけになるのだろう。どうか安芸の宮島の公演・奉納演芸が神々のご守護とお導きのもとにおこなわれますように。海の宮につどうひとびとのうえに言の葉が光のように降りそそぎますように。

  「ストーリーテラーたち」からエリザベス・エリスのことば

.....いまでも ストーリーテリングの不思議な力を十分にわかってはいません。どのようにその力が起こるかわからないんですね。わたしが知っているのはその力をどう導くかということです。ですから、その不思議な力が生じるとき、わたしはいつもその力がもうやってこないのではないかと不安にかられます。でも、いつもやってくるんですよね。


  そのとおりなのだ。不思議な力はとつぜん わたしにも降りかかる。...わたしの手は小刻みにふるえ すこしひかりを放っているようにも見える。そのとき わたしは語ることを祝福されていることを知るのだ。あとは自分を無にして ものがたりが生まれるのを見ていればよい。己を器にし充たされるのを待てばよい。


  今日は胃の内視鏡検査 おなかがすきました。



  

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  5年2組の教室にはまだ5.6人しかいなかった。校庭でジョギングをしているらしい。三々五々あつまってきた子どもたちをまえに わたしは白雪姫の継母の「鏡よ鏡....」をやってみる。そこで昔話の継母が二度目のおかあさんを意味しているのではなく 母親のなかにある子どもをいつくしみ育てる気持ちと子どもの成長をとめたいという気持ちをあらわしているという説があるのだと 子どもたちに昔話についてレクチャーした。子どもたちは目をまるくして聞いていた。

  今日語る 魔法のオレンジの木には かぁさんはほんとのかぁさんじゃない♪という歌が入っている。余計なことかもしれないが 再婚した家庭の子がいたら...傷つくかもしれないと思ったのだ。子どもたちはしんとして聞いていた。

  つぎに「ストーリーテラーたち」を読んだためか、急遽予定を変えて わたしの小学校時代の思い出をはなした。クラスメートのFさんのおもいでだった。それは いじめに加わらなくても 黙っているだけで いじめに加担してしまったとても 痛い思い出である。泣いている子もいた。

  重たい石炭バケツや長いふたり机は先生も共通の思い出なのだろう、うなづきながら聞いてくださった担任の先生が おわったあと わたしの話した50年前の浦和本太小学校のものがたりが子どもたちのこころをかすめて ひとりひとり気づいたり感じたりしたことでしょうとおっしゃってくださったのが、ちょうど今朝読んだ ドナルドさんのことばと重なって背中を押してくださったように感じた。これからは 臆せずに学校でもライフストーリーを語ってゆこうと思った。

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  ストーリーテラーたちを読む。「ドナルド・ディビィスのことばから」

 わたしは人生経験にもとづく話を創造して語ります。それらのお話は聞き手の人生をかすめた特定の人物や場所を思い起こさせるのです。主人公はいますが 彼らは特に立派なことをやったひとびとではなく わたしの人生のある場所で わたしとひと時を過ごしたひとたちです....わたしたちは 毎日毎日 さまざまな体験をつんで生きています。ユニークなこと 平凡なこと そしていやなことは早く忘れたいと思います。というのはそんなこと 今までだれも経験したはずはないし 誰にもわかってもらえないと思うからです。...しかしストーリーテリングの魅力の大部分はわたしたちに 誰にでもある人間的な体験を見直すきっかけとなることなのです。したがってわたしの話がおもしろくあってほしいと思いますが それ以上に聞き手がお話とともに自分の人生を生き直せるように 聞き手のこころの真ん中に届けたいと思います。

 ひとびとはわたしに 牧師をやめて専任のストーリーテラーになるのはいつか...とよく聞きます。しかし わたし自身はずっとストーリーテラーだったと思っています。ストーリーテリングは達成すべき目標というよりは むしろ わたしがあるべき姿になろうとする手段なのです。ストーリーテリングはお金を稼ぐためにやっていることではありません。そうではなく わたしが生きているかぎり やるべきことなのです。

 ストーリーテリングは、わたしという存在を解釈し成長させてくれます。しかし しばらくするとわたしは沈黙し ストーリーテリングをさらに生かすなにかをする必要に駆られます。わたしにとって ストーリーテリングは生活のなかから生まれ、人生を導いてくれるものです。とはいえ 生活の糧そのものではありません。しかし、どんなことがあっても 語りの活動から身をひくことはないでしょう。


 まだ分厚い本の全部を読み終わってはいないのだが、このドナルドさんのことばはストーリーテリング..語りの一面そして本質をよく言い当てていると思う。チェロキーインディアンの伝説も語りであるし ライフストーリーも語りである。どちらにしても ものがたりやものがたりのなかの登場人物に語り手がいのちを吹き込み、語り手も 聞き手も物語を生きる 生き直しにつながるということにかわりはないと思う。

 そしてドナルドさんが語り わたしもまた語ってゆくように 語りは語り手自身が人生の目標に到達するための指針ともなり得るのだ。それは幾ばくかのお金や名誉を得るよりもっともっと 多くの報酬である。 竜が守る金貨や宝石に匹敵する宝 ごほうびのようなものだと思う。

 さて 朝のおはなし会にでかけましょう。


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  妻も母も振り捨てて 一昼夜 古事記に没頭してしまった。まよわの皇子 軽の皇子と衣通姫の戀など 古事記の下巻は美しくも狂おしい人間もようである。いちばん気になるものがたりのファイルが消えてしまって 焦る。

パソコンのデスクトップのアイコンが208にもなってしまっていたので 整理する。ブルーの空に色とりどりの積み木を散らかしたようだった。これでよくわかるねといわれるが フォルダに格納するよりはすっとわかりやすい。そういうあたまの構造なのだろう。だが おかげで古事記のファイルをみつけることができた。

 リサと息子と三人でデニーズで話しあう。フルーツとアイスクリームと冷凍食品を大量に購入する。わたしとしては学者さんの古事記より 小説家の再話のほうがずっとイメージがわくように思う。テキストを語りやすい自分のことばになおしてみる。それから 語ってみてかわってくる。

  とても美しい古事記を書かれている小説家の方に問い合わせたところ、朗読のときはその都度連絡がほしいとおっしゃるのでとまどっている。語りは朗読ではないことを説明したがわかっていただけただろうか。再話も文学作品には違いなかろうが 古事記をひろめたいと思う気持ちはおなじなのだ。利を得るためにしているのではない。

  それでは 語り手の語りはどうか? 再話でなく まったくのオリジナルを語ったときは知的財産(産業財産.著作権)になるのだろうか?そも 知的財産とはだれのためにあるのかといえば 作者や考案者のためにあるのではないと 倉持氏は言っていた。国民のためにあるのだそうだ。よきものは ひとりじめにしないで 公にしてほしい それが国民のためになる ただし 本物か偽者かわからないと国民が損をする それが本来の中心理念だとのこと。なんとなくわかるようなわからないような...である。剽窃かどうかは 真似をされたと思うほうが 証明しなくてはならない。いつどこでどのように..そして いつ剽窃者?が作品を見たかも証明しなければならないのだそうだ。

  ウィルスバスターも2002のままだったので ダウンロードしたのだが 他社のも古いバージョンのもファイアウォールをアンインストールした後 シリアルナンバーを入れるようにと出た、シリアルナンバーなど 覚えているはずもない。さぁ 困った。



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風が  


 風がすっぽりと包むとき、それは古い物語が吹いてきたと思えばいい
(星野道夫さんのことば)

 仕事を休んで 語り三昧 わたりがらすの伝説 隼別皇子と雌鳥皇女 くもばあちゃん 魔法のオレンジの木など語ってみる。 午後秩父の叔父から写真がとどく。わたしのために古い写真を焼き増ししてくれたのだ。叔父の結婚写真を見ると 亡くなった父とは違ってそれこそ 水もしたたる男振りだった。なかには戸籍謄本もあった。達筆で もっと調べてゆきたいと書いてある。叔父は本気だ。わたしこそひるんでいるではないか。父の十三回忌の供養のためにも一族の歴史をまとめよう。

 できることなら ネーティブアメリカン (インディアンやイヌイットハワイに元からいる方々)やそれからアボリジニ アイヌ そうしたかって狩猟民族だった民族の語り手の語るものがたりを聞きたい。むかし あるところでなに族かわからないが ネーティブアメリカンの方がものがたりを語るのを聞いたことがある。意味はわからなかったが なにかうつくしいきよらかなものがたちのぼって 涙がこぼれた。語り手たちの会でも いつかそうした語り手を呼んではくれないだろうか。

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   メーリングリストの方向がすこし軌道修正されそうで ほっとしている。MLにはメリットが多くあるが そのメリットがそのままデメリットになる。顔が見えず 聲も聞こえぬまま 気分で議論が走ってしまうおそれがないとはいえない。使い方に共通のルールがもてれば 運営委員会にかかわらず MLは力となろう。けれども たいせつなことは 実際に会って ことばやこころをつくして語り合って 気持ちを共有して前にすすむことだと思う。

   ゆうべ 語り手たちの会の末吉正子さんが再話された「クモばあちゃん」を自分のことばになおしてみた。年長さんのおはなし会に語らせていただきたくてはじめたのだが 楽しくて楽しくて わくわくしてしまう。もうひとつは ジプシーの昔話から 櫻井先生が語られた「ウルマと魔鳥チャランガ」の話を あと環境をテーマにした創作をと思ったが 間に合うかどうかわからない。

   はじめての小学校の4年生には まどみちおさんの詩 手遊び 水のおはなし ジャックとどろぼうを考えている 5年生には 参加型からひとつ 古事記から冒険物語をひとつ 魔法のオレンジの木 6年生には 芦刈 と 水のお話

   26日中央公民館のおかあさん方の会では なにを語ろう。「杜松の木の物語」などどうだろう 子どもの自立と母性について 話し合いの種になるかもしれない。

   夏物語は延期することにした。師と仰ぐ櫻井先生に聞いていただきたいので8月では時間がとれないのだ。かわりに富山の神保康子さんの七夕のおはなし会に行くことになった。ライブは9月 エリザベートの命日のちかくと思っている。マチネはコーヒーとグッディーズのケーキ、ソワレはワインで。9月なら黒のドレスが着られる!内容は エリザベート 一本の樹 ともうひとつ あと覚悟して小噺 おかあさんの会で度胸ためしに語ってみる。ツボで笑ってもらえなかったら 蒼ざめてしまいそう。

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