遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



   そぼ降る雨が舗道を濡らしています。わたしは雨に閉じ込められて....いいえ今ちょっと閉じこもり...どこにも行きたくない病に罹って息たえだえ..です。今 熱い皇帝茶と香ばしいさつま芋のお菓子が届きました。料理の上手な娘たちと暮らすのってほんとにしあわせです。

   なにもしないわけじゃありません....ラプンツェルの再話をテキストにした....ハッピーストーリーっていいですね。それから”たまゆらの記”の歌詞をつくりました。ひらめいたタイトルでしたがなぜたまゆらかよくよくわかりました。つかのま、煌き消えてゆく人も、戀も...だからこそ....というテーマにしたい。.....そこでただの”女”でもつまらないし、渚...というのも昔のスナックの名前みたいでなんでしょう? 長谷の卿の運命のお相手は”たまゆら”と名付けました。ものがたりは今晩考えよう....そして語ってみようと思います。

   TELをかけてきた友人が世話物を語りたいというので資料をあつめています。「あなたのイメージは豪奢・・・スケールの大きい...ヨーロッパの王宮もの」といわれて「へー...豪奢に見える...あなたはわたしの実体を知らない、わたしだって世話物すきだしーー」と言いました。でも早く生まれすぎた、自分にもひとにも求めすぎたエリザヴェートのものがたりは語りたいですね。ハプスブルグ家の栄光と終焉、夫婦と親子の問題を搦めて...これは大作になる。

   古事記と伊勢物語の勉強もつづけていてます。間口から言ったらこんな間口の広ーーいなんでも語る欲の深い語り手はそうはいないかも。こんにゃく問答もコカノカメもママだぁいすきも語ります。....けれど分岐点が近づいています。春はそういう季節なのでしょうね。そしてどんなものにもどんなことにもいつかは終わりがきます。....まさにたまゆら。

 どんなに寒くったって春はまぢかにきていますよ もうすこしの辛抱。


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 お城といえばダンルース城 タイトルとは関係ありませんが、一度行きたいお城です。



    娘が取り寄せた三冊の本はみなおもしろそうでした。仕事から帰って包みをみつけたわたしは”ずっとお城に住んでいる”を手にとってストーブの前に座り込み読みはじめ、ものがたりにひきこまれ夕食後読み終えました。

    これから読む方のたのしみのためにものがたりは申しませんが、それからずっと感じていることを書いてみます。ものがたりと直接は関係ありません。

    ひとは行動の97%を無意識によって支配されている....という本を読みました。深層意識(無意識)とはなにか 潜在意識とはなにか....

.....ユングは人間の意識を氷山に例え説明しました。

.....普段、私たちが意識している顕在意識は、氷山にたとえれば、海の上に顔を出している部分にしかすぎない。そして海中に沈んでいる部分、つまり意識の大部分が無意識によって構成されている。さらに、この無意識の部分は、生まれてから現在に至るまでの個人的な経験から構成された個人的無意識と、そのさらに奥深くに広がる集合無意識とから構成されている。......

集合無意識とは、個人の経験の領域を超えた人類に共通の無意識領域のことを言います。この集合的無意識が語りにとても深く結びついている...さらにと私はおもっていますが、それはさておいて....

個人的な潜在意識とは、生まれてから、見たり、聞いたり、触ったり、嗅いだり、味わったりした五官の情報と、思ったり、考えたり、話したり、読んだり、書いたりした経験やそれらに付随して発生した喜び、怒り、哀しみ、愛や恐怖等の感情をも含めた全ての記憶を感覚的印象情報として・・無形の波動として蓄えている広大なイメージの貯蔵庫....なのです。


   潜在意識とはイメージのあつまり理路整然としていないカオス....幼児からの小暗い豊穣の記憶の森のようなもの....かもしれません。(ここで語り手であるあなたは気がつかれたことでしょう。個人的な無意識というものも深く語りとかかわっています。あなたは自分の無意識界から”なにか”をひきずりだして語りの核にしていませんか。)都市に住み、PCを操るわたしたちがそのような目に見えないものに支配されているのは不思議ですね。....無意識界でひとは肉体的にも心理的にも自分自身を傷つけないように護っています。ひとは本質的に”変わりたくないもの”ではないかとわたしは感じることがあります。

   だから、潜在意識は豊穣ですが、自分を閉じ込める塔でもあります。ラプンツェルの塔は案外そんなものかもしれません。自分をひらいてゆく、塔を出てゆくためには大きなエナジーが必要です。それは王子さまからの愛であったり、夢やあこがれや、誰かのための愛ではないでしょうか。

   破綻や失敗・肉体の痛み・苦しみ・悲しみから護るために、やめよう、このままなにもせずにいようと塔は囁きつつげます。その呪縛をやぶるのが自分に言い聞かせることばであったり、イメージトレーニングであったりするのではないか....アスリートやスーパーモデルなどのイメージトレーニングはそういう意味があるのかもしれません。自分の限界を超えてゆくには潜在意識を手懐けることが必要ということなのでしょう。

   けれどもいわゆる成功への鍵としてとはべつに潜在意識の呪縛を超える力は働くのではないか。たとえばチェ・ゲバラやマリーテレサや...近くはパレスチナの子どもを守るPLOのひとびと、そして大勢の母たち、父たち...自分の人生を全うする想いと他者を活かし他者をたのしませ、他者をすこしでも闇から遠ざけようとする想いが重なっているひとたちに自分を超える力がはたらくのではないか....とわたしは思うのです。

   わたしたち....わたしと子どもたちはどうやらお城のなかにすんでいます。けれども語りのため、中学や小学校の子どもたちのため、そして会社の社員さんたちのためなら軟弱なこの心と身体は、塔から出てゆくことができるのでしょう。.....語りとは語り手の無意識界から生まれ、聴き手の個人的な無意識の領域と集合的無意識界に”響かせる”ものです。しだいに語り手自身を鍛えてくれるのかもしれません。



.....わたしたち幸福よね....

ずっとお城で暮らしてる



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   中学校での語り、昨日は4回目でした。教室に入る前、押しつぶされそうで、できることなら逃げ出したかった。....あんたは強い。心臓に剛毛が生えていると百戦錬磨の母にいわしめたこのわたしが?.....まだまだかわいいものです。

 この木はぶな

即興で語りました。

樫の木のものがたり→子どもの原爆詩→ガザの子どもたちのこと

ピタリチャイムとともに終わりました。
1年生の教室は4階にあります。階段を降りながら足が震えました。

前日は小学校5年生でした。”かしの木のものがたり”と”ほうすけのひよこ”を語りました。それからガザのこともすこし.....ガザの子どもたちのためにほんのすこしなにかができたかもしれません。

次週は小学校6年生に”雪女”中学一年生に”ラプンツェル”を語ります、ラプンツェルは初版をベースにします。

「おばあさん、洋服がちいさくなってしまったの」

というバージョンです。グリム兄弟は版をかさねるごとに

1 性的な表現を削る

2 女性を受動的に

書き換えていったといいます。ラプンツェルは塔の上から森の向うを夢見ます。森の向うにはなにがあったでしょうか?

ラプンツェルが塔の上で歌う歌ができました。”森の向うに...”
”雪女”は生と死、人の世界に下りてきたひとでないもの、母でありファム・ファタルでもあります。子どもだから...と手加減せずに、うつくしい雪女を語りたいと思います。

 ラプンツェルの塔
....



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    鉄腕アトムがもともとは女の子だったって知っていましたか?  わたしはまったく知りませんでした。アトムのブーツが赤いのは女の子だからなのだそうです。う~ん それを知ってうなづけるところがありました。アトムがなぜ好きだったのか...アトムが完全無欠のヒーローだったらあんなに好きにはならなかっただろう...と思うのです。アトムはつよい正義の味方でしたが繊細でやはらかでした。そしてアトムはじっさいよく壊れました。アトムは最初1万馬力だったはず、それがうろ覚えですが、史上最大のロボットの巻のとき、プル-ト-に敗れて壊れ、天馬博士が改造してしまい10万馬力になるのです。10万馬力になってもアトムは不完全でした。ロボットでありながら人間のこころを持っていたアトムはヒーローでありながらいつも揺らいでいました。

鉄腕アトムの裏話

   
    わたしはエロティシズムとはただ即物的肉体的なものではないと思います。...と申しますか、それ以前の予感のような気配のような匂いのようなあわいにあるもののように感じそこに惹かれます。手塚漫画のなかにエロティシズムがあると指摘される方がいます。わたしもう思うのです。(とくに初期の作品)手塚さんは宝塚を子どものころごらんになったそうですが、その影響もあるのでしょうね。リボンの騎士のサファイヤは女と生まれながら勇敢な王子として生きなければなりませんでした。そして王子でありながら、隣国の王子に恋心を抱きます。そこにはひそかなエロティシズムがありました。

    そして後年、山岸涼子、萩尾望都、大島弓子にであったとき、つよく惹かれる作品にはいつもひそかなエロティシズムを感じていたのだと気がついて今驚いています。ポーの一族、日出る処の天子、野イバラ荘園、ミモザ館でつかまえて、7月7日に、海にいるのは....えとせとら....エロティシズムは美と限りなくむすびついています。生の極みでありながら死と限りなくちかいものです。しかし竹宮恵子さんの風と木の詩の裸形や即物的表現にはついてゆけませんでした。エロティシズムは秘してこそなおにじみ出るものだと思うのです。

私的大島弓子論(8年くらい前に書いたものです)

    男とか女とか超えたところに、青いもの、未分化なもの、爛漫たる成熟の翳にある死にその匂いがあります。そして異形のもの...未成熟な青さや欠けたもの、喪われたものなかにそれはあります。禁忌を侵そうとするときそれは生まれます。それはある種の羞恥とむすびついています。太陽の下で堂々と行われることにはないようです。本能のなせるわざでしょうか。子どものころヨイトマケを歌う丸山明宏さんという歌手に惹き付けられた記憶がありますが。それは見てはならぬものを見るような羞恥をともなった感覚でした。まだ美輪さんと三島さんの関係も知りませんでしたから、それは直感だったのだと思います。今の美輪さんを拝見して(以前同じ飛行機に乗り合わせました)エロティシズムは感じませんが、荒地の魔女やモロの声はすごいなぁと思います。台詞の声にあれだけの情報を含ませられる方はいらっしゃいません。


三輪さんのことば

ある三島論


    さて、語りを聞いてエロティシズムを感じたことはありますか? じつはわたしはいまだかってないのですね。わたしが聞いた語りは清く正しくうつくしくそして楽しく愉快に...の範疇のおはなしがほとんどでしたし民話の色話はエロティズムをわたしは感じませんでした。学校での読み聞かせや児童書ではかなり徹底的に排除していますね。そのなかでつつじの娘は異質です。聴いているとき、とくに女子の目がひたむきになりきらきらと熱を帯びてくるように思います。思春期の子どもたちにもっと戀のものがたりを語っていいのではと感じることがあります。

    
    雪女はその底にエロティシズムを湛えています。お雪自身は侵されざる存在であり死であると同時に愛であるのですから...。そして子どもを生み、また無機的な存在=死に回帰してゆくのですから。子どもたちは果たしてどのように聞いていたのでしょう。あやうさを、想いだけではどうにもならぬこともあるのだということ感じ取ってくれたでしょうか? もう一捌けほのかな色を付け加えてもよかったかなと思います。


    おとなに戀のものがたりを語る時すら、今までは無意識のうちに避けてきた、あえて透明な静謐なものにしてしまったな...という想いがあるのです。弥陀ヶ原心中は情交のない心中なのですが、それって深いエロティシズムとして語れないことはない。しかしそれを雪に封じ込めるように清らかに語ってきてしまった。(と思っている).....こんなことを書くのも今、染殿の后...異形、変身、の恋物語....のことであたまがいっぱいなのです。聴き手がおとなであるときも慣習に従って避けてきたことを、この際正面切ってことばにしたものか、それとも秘して秘して伝えたものか悩んでいるのでした。


   子どもたちにたいしてもメディアが漫画や映像において即物的な見るに耐えない画像や情報を流しているこのときに、語りのなかで自主規制することはないのではないか....上質の叙情性やほのかなエロティシズムは子どもたちが生きてゆくうえで、とてもとても必要ではないかと思ったりもしています。自分自身を守る、相手の身体や立場を思いやる気持ちともつがってゆくように思います。もっとも感受性の高い子どもたちは語り手が心配するよりもっと先をいっているかもしれません。この項はまだ語りつくせないのであとでまた書こうと思います。






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...ガザ、とりあえず爆撃がやみました。1000人以上が亡くなり、100000人が住む家を失いました。けれども、どうも不思議....爆撃がはじまったのはブッシュさんが大統領として死に体だったとき、爆撃が終わったのはオバマさん就任とほぼおなじ、これはなにを意味する?

   今回の爆撃は実質的な大統領不在のときをねらったのではないかと思われます。オバマさんはガザ爆撃について質問を受けた時、大統領はひとりだからと言明をさけています。イスラエルと米国は一心同体だから密約があったのでは...米国はイスラエルに武器の無償供与をしている、そのお金は政府が軍需産業に支払っている....アメリカが引き起こした世界不況の遠因は超多額の軍事費にある.....軍需産業が基幹産業という恥ずべき構図がなくならないかぎり、世界の平和も安定もない。とくに共和党政権のとき、アメリカは戦争をつくり出します。情けないことにそのアメリカの片棒をかついでいるのがわが日本なのですが、日本にほかの道はないのでしょうか?

   ひとのつくった世は思ったよりずっと悲惨で汚いです。苦しんでいる人、泣いている人が今日もいる、お金のためにひとや動物を殺したり苦しめたりすることを平気でするひとがほんとうにいる。そしてなによりかなしいのはわたしたちが生きている、しあわせであるということは他のひとびと、他の生きもののしあわせやいのちの犠牲のうえにあるというまぎれもない事実のゆえなのです。経済や政治をとおしてわたしたちはまさに世界のひとのいのち、動物のいのちとつながっています。このまま行くと30年後には絶滅するというホッキョクグマのいのち、ガザで殺された子どもたちのいのちはわたしたちと無関係ではありません。文明社会で罪のないものなどいはしないのです。

    それだからこそ、うつくしいものがたり、やさしいものがたり、たのしいものがたり、まことのものがたり、光みちるものがたりを語り継いでゆくのでしょうけれど。生きるいたみがあるからものがたりは耀きを持つのでしょうけれど。

    
    先日のつづきを書きます。役者にはふたとおりあります。役を自分にひきよせる、役になりきる....ジョニー・デップさんはたいへん好きな役者さんですが、わたしにはなりきりタイプ...というより憑依型のように見えます。海賊、ジャック・スパロウはまさに伝説として存在していますね。どちらにしても無から有は生じません。役者のなかにその役に呼応する核のようなものがある、それを人為的に拡大したり、人為的でなく延長拡大したりするのではないかと思います。人為的に拡大する方法論がさまざまな演技メソッドといえるでしょう。

    役そのものになってしまう。だから役者なんですね。語りもおなじ、ものがたりと自分のあいだにスキマがないほうがいい、歌もそう...シンガーソングアンドライターの歌が聴くひとをひきつけるのは歌が歌手そのものだから。....そのスキマを埋めてゆくのがプロの技術ともいえます。けれども芯がなくて表現だけが突出してしまうと身も蓋もなくなってしまいます。スカスカなんですもの。この”芯”てなんだと思いますか?  わたしはそのひとの”いのち”のように思うのです。いのちってなんだろう.....魂....そしてつながろうとする心のありよう....聴き手と、遠い祖先と、おおいなるものと、おさないものや動物たちと.........かなしみ、よろこび、いのり、あこがれ.....そういうものがものがたりや役から透けてきて響いてくる。ものがたりのなかでランプの芯のように燃えている。

    いい歌やいい語りを聴くと過去やはるかな世界や光や闇と自分もつながってゆきませんか? 先日、秦基博さんの復刻アルバムを聴いていて、わたしは泣きたくなりました。ひかりが舞い降りてくる...かなしみとともに。....「プール」という曲でした。初期につくった曲だそうです。けれども表現の力もUPしていました。魂も技術も両方必要です。....しかしどちらがたいせつかといえばそれはあきらかですね。
   
    わたしたちは生活のなかで仕事をしながら語っています。なかにはありあまる時間のある方、語りにあらかたの時間を捧げられる方もおられましょうけれど。表現の技術の一端は拡大と細部にあります。拡大というのはときに広い場所で長い時間そして長い期間にわたっておおぜいのひとに聞かせる、魅せるための技術、細部とは綾のような襞のようなもの、繊細さ。そして多くは身体にかかっています。焦らないで生活のなかですこしずつゆたかにしてゆきましょう。それは喜びとなるでしょう。しかしながらわたしたちはプロの方に負けないものを持っています。それは....らしさではなく、真実。日々の暮らしのなかで泣いて笑って怒って....揺れながらそれでもあなたのなかにすっくりとあるもの。それが伝えられたらものがたりはきっと聴き手の心に響くことでしょう。



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.....幼稚園のおはなし会が終わりました。あぁ、よかった! 今日はなんとか及第点です。いつも当日の朝、だしものを決めるのですが、今回はめずらしく考えました。迷いがあったのでしょうね。結局三日間、試行錯誤しながら内容をかえてゆきました。あたらしいおはなしや日本の昔話をとりいれました。こんなに四苦八苦したことは今までありませんでした。

  なにか腑に落ちない感じがあってそれがなんだったのか今は理解できます。ひとつは『水のおはなし』を語ることについてでした。水のおはなしを環境問題やからだの問題としてだけでなく、ことばの問題として捉えるとき、賛否両論があることは知っていました。その危惧からしばらく語っていなかったのですが、ひさしぶりに語ってみて、わたし自身が信じているにせよ、仮に社会的に100%の信頼を得ていないとしたら語るのはどうだろう...とそれが一抹の不安になっていのでした。

  もうひとつ、語り手としてものがたりを伝えたいという気持ちからすこし離れ、楽しませようという方向に傾いてゲームや手遊びの比重が増えていました。はっきりいえばウケねらいです。今日は手遊びを最後にして、みっつのものがたりを語りました。ほんとうにつたえたいものがたりを心をこめて語る...その原点に戻ろうと思います。心から語りたいものがたりがみつからなかったらつくればよいのだと思います。眠っているものがたりを揺り起こすのです。

  そして最後に体調がはなはだよろしくなかった。人は生き物ですからどうしてもからだのコンデションとメンタルなものの両方に左右されてしまいます。けれど、体調が芳しくないとものがたりも花ひらきません。光が降り注ぎません。いつもは3クラス連続なので、多少不全でもどんどんテンションがあがってゆきますが、おやこおはなし会は一日一クラス一発勝負、自分でそこまで気持ちを高めてゆくことが必要です。けれど心身が不調だと上がりきらない。いつも最上のものを手渡してゆくためには....体調管理も必要なのでした。

  どこからか薄墨色の雲が湧いて自分を信じる気持ちが翳るような日もあります。そんな日はあたたまってゆっくりやすむ、あしたはあしたの風が吹く。風のなか、また歩きだす。


 

  

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   夕べ、シンガーソングライター秦基博さんのライブをWOWOWで観ました。大ファンの娘は...ぜんぜん違う..インディーズの頃の方が良かった...とぶつぶつ言っています。秦さんの声については以前にも書きましたが、風の歌、木々の歌...のような不思議に胸に響く声なのでした。

   ライブも終盤になってデビューの頃の歌、自作の歌....アサガクルマエニ、ぼくらをつなぐものになったとき、あきらかに声が変わりました。ただ開いて声を出しているように聴こえたのが、ふたつに引き裂かれたような...といったらいいでしょうか....深い底から湧き出るような声と天に向かって祈るような声と両方聴こえるのです。秦さん自身とつながっている....そんな感じの声でした。光と闇が見えます。闇があってこそ光は輝かしい....青春の痛みと甘やかさが伝わってきて震えました。.....語りだな....と思いました。


   我が家は半端なく寒いので家のなかでダウンジャケットを着ています。友人の家にある薪ストーブが欲しいのですが今年は無理のようです。エアコンのようにただ温かいだけでなく燃える炎を見ていたい、身も心も温まりたい。生命のゆらぎのような赤い熾火が遙かな遠い世界にいざなってくれるような気がしませんか。夕べは二階に上がるのも寒くて..リビングで眠ってしまいました。明け方、夢を見ました。なつかしい方が我が家を訪ねてみえて、フローリングの床に座っています。部屋の隅で埃にまみれていた自動ピアノが円形の巨大なグランドピアノになって部屋の中央に鎮座しています。その方は白い指さきですーっと床を撫で、「おそうじなさればきれいなおうちなのに...」と言いました。

   目が醒めると身体が寒さで強張っていたのでお風呂であたたまることにしました。あぁいい気持ちです。湯船に浸かって発声練習をはじめました。低い声から高い声へ幾度も行き来して調整します。低い声が出にくいので丁寧に発声していると、突然語りたくなって”染殿のお后”を語りました。構想しかできていなくて途中でとまっていたのに、物語の最後まで行きました。うたっているとことばがついてきて、わたしの”染殿の后...さくらひらひら”が生まれました。

   わたしはとてもこのものがたりが語りたかったのだ...と気がつきました。ひとにはそれぞれ”テーマ”があります。朗読ワークショップのメインテーマは”献身”だったように思います。つばめの、王子の、パトラッシュの献身、ごんぎつねも龍の子たろうもそうですね。....わたしのテーマのひとつは”戀”です。プラトニックな戀だけでなく肉身とともに燃え上がる戀....そして女が生きる...ということ....。おさだおばちゃん、おとうちゃまのこと、雪女、弥陀ヶ原心中、芦刈、名草姫、マグダラのマリア、両腕に白い花をいっぱい、立ってゐる木、....さまざまなジャンル、さまざまな出典ですか背骨のように一本通っているのは精一杯生きた女のものがたりだということです。ちいさな子どもたちに語るときは、子どものように飛び撥ねますし、中学生に語るときは、隠れた名作をものがたりとして伝えてゆきたい、縄文の語りを呼び起こしたいと思いますが、それだけでは生きてゆけません。

   女としてのわたしとつながっているものがたりを語ってゆきたい...母として、人間としての深奥に女のわたしがいるからです。一挙にいけそうな気がします。懸案だった”エリザヴェート””イシスのものがたり”.....葵の上、以茶のものがたり.....たのしみになってきました。


   

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   藤沢周平の短編集を眠い目をこすりながらどうにか読み終えて、ふと目が覚めたとき、わたしは自分のスタイルがわかった。それまでなかったわけではないが、意識することでスタイルとなった....のだった。即興の語りのためのさまざまな試みを重ねてきてヒントを実践してきて、今日はじめてあぁこれがわたしのスタイルだと思った。つくる...のでもなく、らしい...のでもない、借り物ではない...。

   そしていよいよここからはじまるのだった。即興だから制限は皆無である。文学から、伝説から、和モノから海をわたったあらゆる文明のきらきらしい所産に至るまで語ることは可能になる。数千年まえから現代まで、なにか文章の断片でも言い伝えでも拠り所となる核があってそれがわたしを突き動かすのであれば、年間にいくつでもあたらしいものがたりを語ることができる。

   それはおそらくわたし独自のスタイルである。ダレの真似でもない。そしてわたしはそのスタイルが気にいっている。スタイルは石のように固まったものではなく、水のようにカタチを変えてゆくものだ。水であることはやめないけれども。変化し続けること、バージョンアップすることはスタイルの条件のひとつだと思う。今日 わたしは旅立ちをひとりで祝うことにしよう。丸木舟に乗って大海に漕ぎ出すのだ。満天の星が耀く海へ、日が昇り日が沈む海へ、宝物を波底に隠し持っている海へ、嵐の日もやってくる....けれどこの舟は魔法の舟なのである。

   ガザですでに930人のひとびとが生命を失った。930の青い空、笑顔、涙、よろこび、かなしみ、希望、夢...930のものがたりが終わってしまった。世界中の為政者、政治家、経営者、メディアのひとたち、文筆家 世界の運行に影響力あるひとたちにつよい想像力があればいいのに。


   

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   今日は中学校のおはなし会です。
朝 起きて2回語ってみました。ものがたりはすでに心のなかにあります。暗記ではなくて即興でものがたりを語ります。

   1年4組でした。ティンシャを三度鳴らしました。澄んだ響きが教室に波紋を描くようにひろがっていきます。ドキドキしました。ものがたりのなかにはいるともうなにもなくなりました。両手が小刻みに震えていました。足も震えていました。わたしは自分が集中していることを知りました。

   700本の杉苗を植えたけんじゅう、なわのおびをしめていつも口をあけてわらっているけんじゅう、杉苗の緑の芯が天をさしてすっくり伸びています....雨の日透きとおったしずくを落とす杉の梢、晴れる日 新鮮な空気を吐く杉の梢...林のなかでもずのように笑う子どもたち....宮沢賢治の書いたものがたりです。
   
   今日 わたしはずっと澄んだ青い空のしたであかるい緑の杉林にいるようでした。けんじゅうといっしょにただわらっているようでした。とてもやすらかでしあわせでした。たった10分の語りでこんなしあわせをいただけるなんて...。再来週も一本の木のものがたりです。ヒロシマのものがたりですが、ガザの子どもたちのためにも語ります。

   きのう筑波山に行きました。氷の枝がきらきらダイヤモンドのように耀いていました。筑波山神社のご神体はイザナギ、イザナミの神さまです。ご門を守っているのは左が...ヤマトタケルノミコト、右はわかりません。バクダンというソフトボールのように大きいまん丸のたこ焼きを売っていました。アツアツの中身はウィンナやホタテやうずらのたまごなどなど アツアツをフーフー食べました。馴染みのお店で熱いお茶をいただいてあったまりました。

   おみくじをひいたら、勉学に励め このあいだひいたおみくじにも「方向性をまちがえずに学びなさい」とありました。神さまからのメッセージです。今年は真剣に語りについて、日本について学びます。

   ところで筑波山とともに東京を守っているといわれる山をご存知ですか?...そうです、高尾山....このごろパワースポットとしてたくさんの登山者がお山を登ることで有名ですね。妊娠したおかあさんたちもよく登っているそうですが、その高尾山を守る会の名を虔十の会というそうです。http://kenju.tamaliver.jp/c2417.html

   国交省は高尾山に圏央道をつくろうとしているのですが、そうすると水脈が絶たれ、植生も変わってしまうそうです。山のいのちが弱くなってしまうのです。虔十の会となづけたひとの気持ちがよくわかりますね。けんじゅう公園林はみんなの力で残りました。でも高尾山の何万年もかけて出来た自然....壊すのはあっという間、そして壊してしまうともう元には戻らないのです。


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  イスラエル軍は10日、パレスチナ自治区ガザで軍事作戦を続行、ガザの救急当局者によると、パレスチナ人死者は計801人、負傷者は3300人に達したそうです。ガザではもう食料が尽きかかっています。おろおろ歩くしかないのでしょうか。デモ終点の六本木三河台公園に向かいましたが電車は止まってしまうし迷子になるしで辿りつけませんでした。

   イスラエルのガザ侵攻に対して世界中でデモが起きています。ロンドンでは数万人規模、フランス、スウェーデン それこそ世界中で.....アメリカでも5千人 1万人規模で、イスラエル国内でも大規模な抗議デモがありました。テルアビブのデモでは、イスラエル全土から駆けつけた人々、約1万人(!)が参加。イスラエルの人口は700万弱、日本でいえば18万人(!!)が参加した勘定になります。しかし日本のマスメディアでは報道されません。昨日のデモ東京の参加者は1500人.大阪では500人....この少なさはなんだろう....ガザがどんな悲惨な状況下にあるか報道がされていないのではないでしょうか?それとも日本人は不感症?

  三河台のあと代官山まで物語シアターの公演に行きました。会場は昔ご縁があった山○晃彦さんが指導なさっている劇団ひまわりの劇場だったので感無量でした。こちらも”幸福の王子”は終わっていました。ホールは観客でいっぱい、2日間4回の公演はすべて満員御礼とのことでした。”ラブレター”は潮騒、足音、雑踏、車の音など効果音が入っていてラジオドラマが彷彿としました。手振りや仕草もすこし入っていました。前後に歌も入りました。....白蘭の手紙では泣かされてしまいました。情感の増幅、台詞の巧みさもさすがプロで、わたしたちがワークショップで”ラブレター”の一部をしたときとは際立って違いました。観客を楽しませる、感動させる、物語シアターは堀井先生の志と潔さで今後もっと発展してゆくだろうと思います。

   ひとは意識する、しないに関わらずそれぞれ目指すことやそのための方法を持っています。語り基礎講座で参加者のみなさんに役者さんたちがなさる語りや朗読を聴くことで、(逆に)わたしたちがめざすものがなにか見えてくるでしょう....と申し上げたことを思い出します。それぞれの方がさまざまな方法があることに気がつかれたと思います。そしてご自分がどのような語りを目指したいか、よりクリアーになったならうれしいと思います。

  わたしは演劇から多くを学ばせていただきました。身体と心と感覚の一体化、韻、空間の意識、イメージと響き、くせをとること...けれど以前書いたようにそろそろ立ち位置をより明確にしようと考えます。さまざまなテクニックを知ったうえでなお”つくり”や過剰は排したいのです。語りは肉声で伝わる場所が似つかわしい。魂の響きそのまま躍動そのまま揺らぎそのまま伝えられればいい。モノ=カタリです。添加物は要りません。トマティスを受けてなおさらそのように感じるようになりました。目指すものはわたしの”表現”ではありません。たとえ 道中そのように見えたとしても。

  10人ほど仲間たちが来ていました。終演後みなさんでお食事をしました。若い方がほとんどですが、気持ちのいい方ばかりで、その楽しかったこと...落ち込んでいたわたしにも生きる力がわいてきました。澄んだ満月が空にありました。今日の満月は一年中で一番地球に近いのだそうです。同じ月がガザの街も照らしていることでしょう。一日に3時間だけ爆撃がやむのだそうです。どうかせめてやすらかな眠りを...と祈りましょう。



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国連決議にもかかわらず
イスラエルはガザへの攻撃をやめません。

きのうイスラエルの兵士がパレスチナの
ひとたちを一軒の家に押し込めました。

そしてその家は爆撃されたくさんのひとが
亡くなりました。半分は子どもです。

空っ風が冷たくて わたしはデモに行かなかった。
情けないなぁ。。。。

染殿の后...を語りにしていたのですが 
落ち着かなくてそんな気になりません。

これから六本木まで行こうと思います。



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   やはりガザの子どもたちと日本のわたしたちは強くつながっているのでした。

NPO法人パレスチナ子どものキャンペーン




アメリカの海外援助の実に1/3はイスラエル向けです。イスラエルはアメリカの援助で武器を買っています。そしてアメリカに逆らえない日本.....そのお金は日本の銀行や郵便貯金から行っているのだそうです。わたしたちのお金がガザの子どもたちを殺すのに役立っているのです。

きくちゆみさんの日記です。
マスコミが伝えようとしない真実がそこにあります。


【ガザに光を! 即時停戦を求める ピースパレード&シンポジウム】

翻訳者であり語り手の見方 池田香代子さん(世界がもし100人の村だったら)もトークリレーに出ます。

■開催日:2009年1月10日(土)

■プレイベント
13:00上映会『パレスチナ1948NAKBA』(監督 広河隆一)
     場所:増上寺 慈雲閣(都営三田線「御成門」駅から徒歩3分)
     共催:浄土宗平和協会  (詳細計画中)

■ピースパレード
15:30 「芝公園23号地」集合(東京タワーのふもと)
16:00 出発、パレード開始
17:30 「六本木三河台公園」にてパレード終了

■シンポジウム
【時間】 18:30〜20:30 
【会場】 聖アンデレ教会(港区芝公園3-6-18 東京メトロ日比谷線「神谷町」駅から徒歩10分)
【内容】・トークリレー 
    池田 香代子さん(『世界がもし100人の村だったら』再話者)
    広河 隆一さん(ジャーナリスト) 
    パレスチナに関わるNGOのアピール 他
    現地の声(電話録音) 予定

■ 主催: 1・10 ガザに光を! ピースパレード実行委員会
■ 呼びかけ団体:特定非営利活動法人アーユス仏教国際協力ネットワーク、社団法人アムネスティ・インターナショナル日本、特定非営利活動法人日本国際ボランティアセンター(JVC)、日本山妙法寺、日本聖公会東京教区「エルサレム教区協働委員会」、日本パレスチナ医療協会、日本YWCA、特定非営利活動法人パレスチナ子どものキャンペーン、パレスチナの子供の里親運動、ピースボート、平和をつくり出す宗教者ネット、『1コマ』サポーターズ


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スピークアウト&デモ:イスラエルは占領とガザ侵攻をやめろ!
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日時:1月11日(日)
14時開場/14時30分開始(14時から映像上映あり)
16時45分終了(デモ出発は17時00分)

場所:四谷地域センター・多目的ホール(12階)
地下鉄丸ノ内線「新宿御苑前」駅より徒歩5分(四谷方向に向かってまっ
すぐ歩き、右手/新宿区内藤町87番地)

■アピール:
阿部浩己さん(国際人権法/神奈川大学法科大学院教授) 
鵜飼哲さん(ティーチイン沖縄/一橋大学教員) 
小倉利丸さん(ピープルズプラン研究所/富山大学経済学部教員) 

■リレーアピール: 
国富建治さん(新しい反安保行動をつくる実行委員会) 
杉原浩司さん(核とミサイル防衛にNO!キャンペーン) 
園良太さん(憲法カフェ)
北林岳彦さん ほか 
※当日の飛び入りアピールも受け付けます。

■デモ:四谷地域センターを出発し、新宿方向に向けてデモを行います。


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   12月27日、イスラエルはパレスチナ自治区ガザに空爆を開始しました。過激派ハマスを壊滅させるためです。ガザでパレシチナ人702人が亡くなりました。そのうち220人以上が子どもという報道があります。あけて1月、イスラエル軍は3日夜、ついにガザへの“地上作戦”を開始しました。作戦の直前、イスラエルはガザの電気供給を完全に止め、暗闇となった内部に午後8時過ぎ、兵士や戦闘車両が突入したということです。きのうは避難所である小学校が爆撃を受けました。国連で禁止決議案が出たあの恐ろしいクラスター爆弾も使われています。

   子どもの声はあたりを明るくしおとなを元気にしてくれます。けれども子どもの泣く声ほど悲しいものはありません。このたびの戦いで命を失くした子だけでなく、家を失い、親や兄弟や友だち学校を失くした子もたくさんいるでしょう。足や腕や目を失った子もいるでしょう。その子たちの泣く声が聴こえるようです。

   1948年、イスラエルは建国を果たしました。初代首相ベングリオンは世界中に散らばったイスラエル人に呼びかけ、彷徨えるひとびとは世界中から歓喜してイスラエルにやってきました。けれどもそこに住んでいたパレスチナのひとびとは土地を失いました。パレスチナ自治区との国境ではしばしばトラブルが起きました。エルサレムがキリスト教、ユダヤ教、回教の聖地であることも軋轢の大きな原因です。アメリカは建国以来イスラエルを支援しました。なぜならアメリカの経済界を牛耳っているひとのなかにユダヤの人々が多いからです。そしてイスラエルはジリジリとその領土を増やしていきました。400年以上ゆたかに実っていたオリーブ畑も接収されました。高い塀は留まることを知らずどこまでも伸びてゆきます。

   さて、日本にイスラエルの12支族のうちレビ族がやってきたのではないかという説は根強くあります。もうひとつのブログにも書いたことがありますが、伊勢神宮の元宮、籠神社のご神体はマナイの壷ですし、伊勢神宮の参道の灯篭にダビデの星が刻まれていることを知っているは多いことでしょう。伊勢神社だけでなく諏訪大社の御柱祭をはじめとする御祭も日本とイスラエルの深い関わりを感じさせるものです。また平安京は中国を経由して帰化した秦氏がつくったとされますがエルサレム(平安の都)とつくりが似通っているそうです。京都の今の紋章六弁の花ですし、祇園祭のギオンはシオンがなまったものという説がありその日はノアがシナイ山にたどりついた日でした。...当時の駐日イスラエル大使コーヘンさんは四国の剣山や諏訪神社などイスラエルの痕跡のある地を歩かれたと聞きました。

   ベングリオンが世界中に号令を発したにもかかわらず答えなかった国があったそうです。それは日本でした。深い関わりがあったのに呼びかけに応えなかったのはイスラエルのひとびとが日本にすっかり同化してしまったからではないかと講師は話していました。

   .....わたしはイラクの空爆の時、メールをあちこちに打ち抗議デモに参加しました。けれどなにをしてもむだだとあきらめていました。日本政府はアメリカに追従する考えしか持っていないのです。わたしができることは子どもたちに、戦下にも思いやりややさしさがあった...というものがたりを語ることしかないと思っていました。けれどガザで起きている戦禍、ガザで苦しんでいるひとびとは決してわたしたちと無縁ではないのです。もしガザで起きていることを見過ごすなら、わたしたちの子どもたちが理不尽な目に遭ったとき、声をあげて正義や優しさを求めることができるでしょうか。教室で子どもたちに語るとき、まっすぐ前を視ることができるでしょうか。

   それでイスラエル大使館に手紙を送ることにします。”どうか民間人を爆撃するのはやめてください。子どもたちを殺さないでください”わたしのなかにも縄文や南方の血どうようイスラエルの血も流れているかもしれません。それにも増して宗教、国家を超えてひとのありようはひとつだと思います。



イスラエル大使館 住所:〒102 -0084. 東京都千代田区二番町3. (FAX)03-3264-0792
駐日イスラエル特命全権大使 ニシム・ベンシトリット様

 ガザ地上侵攻



追記
*署名の仕方 (銀子さんより)

 署名サイト
 

上記ページを開き、画面下の「Click Here to Sign petition」ボタンをクリックして下さい。Name(名前、ローマ字)、Email Address(メールアドレス)の2項目を入力し、「Preview Your Signature」をクリック。次の画面で「Approve Signature」をクリックすれば完了です
署名サイトには、コメント欄があります。

Stop! GAZA!とか

Help! Caza's children PLEASE!!とか。

中学英語レベルで構いません。

麻生太郎首相[首相官邸](FAX)03-3581-3883
   [国会事務所]  (FAX)03-3501-7528
首相官邸「ご意見募集」 http://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken.html
中曽根弘文外相           (FAX)03-3592-2424
小沢一郎(民主党代表)       (FAX)03-3503-0096
鉢呂吉雄(民主党ネクスト外相)   (FAX)03-3593-7272
犬塚直史(民主党ネクスト外務副大臣)(FAX)03-5512-2318
志位和夫(共産党委員長)      (FAX)03-3508-3735
福島瑞穂(社民党党首)       (FAX)03-3500-4640
田中康夫(新党日本代表)      (FAX)03-5512-2416
太田昭宏(公明党代表)       (FAX)03-3592-1019
綿貫民輔(国民新党代表)      (FAX)03-3504-2569


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