遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



 

カフェは マスター次第   チェーン店なら店長次第

お店が 客を 選ぶ    つまりマスターが選ぶのです。

タカピーなお客も コアなお客も  賑やかな おばさま連も

ひとり 静寂を楽しみたい客も。

ですから  マスターとの相性かな。

もちろん コーヒーさえ飲めれば   煙草が喫えればという

客は別ですよ。

わたしにとって カフェは より自分になれる場所

異空間とつながる場所

ものがたりが降ってくる場所

 

 

アメリ   茨城   佳き魔女のお店

寧   埼玉  昔はもっとよかった

美術館のなかにある パッキンの辻口シェフの店    金沢

定峰峠のカフェ    埼玉   山のなかで迷子になってたどり着いたカフェ

 

カフェが好きでしたので ずいぶんと 廻りました。

カフェ行脚もいたしましたが……

今は 自然 半自然のなかで  ティータイム や ランチ  がいいですね。

どうも 人なかが 苦手のようです。

ひとの声   想念がざわめくので…  空になれない……

大昔  浦和駅ちかく 麦     という喫茶店があった。

あれは いい店だった。 低く クラシック音楽

窓際に 列車の座席のように並ぶ シート

夕暮れになるとテーブルにランプのあかり

旅をしました。

横浜   ダウンビート もよかった。明け方まで トリップした。

 

仕方なく チェーン店に入るときは

上島   星乃   珈琲館   ドトール  の順

スタバ は入りたいと思いません。

東武に乗るとき テイクアウトすることはあるけれど。



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きょうは もうひとつの公園に 行きました。

 

 

ひとときの我が家   花飾りが表札です 

三週間まえ  桜舞い散る  木の下   今日はレンゲが咲いている

カーターホフの赤いばらを口遊む   もはや ものがたりは変貌している

 

 



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意識をひろげると…………  陶酔

 

そよぐ葉のよろこびが 草の匂いが 飛び込んでくるのです。

春はうつくしい  この世はうつくしい



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朝   ハナは松の木の下生えの草の上に大儀そうに身を投げ出していた。おなかがピンク色に腫れ上がっていた。お乳が張って痛いのだろう。わたしを見ると小さくないた。

わたしはハナに語りかけた。最初声に出して.....それから心で......

ハナ つらいね  くるしいね   いたいね   かわいそうなハナ......

入っておいで .....  いっしょにいよう

事務所に入って   ほんの5分もたたないうち   気がつくと  ハナはおずおず   入ってきたのだった。驚いた。うれしかった。そして   このとき わたしは 確信したのだった。

きのう ハナは ほんとうに  わたしに助けを求めにきたのだと。心で通じ合えるのだと。闇の左手のゲンリー.アイとエストラーベンのように。

これから  なにが 起こるのだろう   ハナともっと 近づけるだろうか....

死者の声を聴くことができるだろうか    草木のこころも。

満月は近い。

今日は 生きている  身近なひとたちのこころに近づくための試みをした。

それは いっしょに食事をし  いっしょに夜 働くこと。

今 現場 に  いる。



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先日 仕事先で 正良さんの息子さんから 聴いた おはなしです。正義の戦争なんて ない。 としみじみ思います。

学徒出陣     ○○正良

わたしは大正9年1月5日埼玉県で生まれました。医者を志し 慶応で学んでいましたが 戦況が著しくわるくなった 昭和18年 学徒出陣で 動員されました。10月21日明治神宮で開かれた学徒七万人の行進のあと 衛生兵としてビルマにわたりました。

戦地にはすでに 医薬品も食糧もありませんでした。暑いので 怪我をすると すぐ腐ってしまいます。麻酔もないので 頭をぶん殴って 気絶させ 日本刀で切断 肉が縮んで骨が出るので もう一度骨を切り 皮で包み 鉄板を焼いて 傷口に押し付け消毒しました。現地の村には 医者がいなかったので お灸やハリ 薬草の知恵が役立ち 村人に喜ばれました。

 

それで 命が助かったようなものです。昭和20年8月 戦争に負け 武装解除され 米軍の捕虜となったとき 村の酋長が 「マーサはわるくない」と 弁護してくれたのです。

米軍も何千人もの捕虜を食べさせるのはたいへんです。日本兵の捕虜は飛行場に一列に並ばされました。向こうの端までたどり着いたやつは助けてやる といって逃げる日本兵の後ろからいっせいに機関銃で銃撃するんです。みんな生きて日本に帰りたい 死にモノ狂いで走る ひとを押しのけて走る その背中をダダダダダ ゲームのように打ちまくる….. 地獄でした。滑走路に日本兵をならべて戦車でひき殺す そういうことをアメリカは平気でやった。でも 戦後 責任は問われなかった。

学徒出陣で お国のためにと戦地へわたり やっと終戦まで生きぬいた仲間たちが無残に殺されるのを わたしはこの目で見ていました。あとで知ったのですが アメリカは学校を出ている兵隊はヨーロッパ戦線に送り 程度のわるいのをアジアに送ったそうです。ソ連もそうだった…. アジア蔑視です。

 

わたしは最後の船でやっと帰ってこられました。



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よく行く事務所にその猫がきたのは 去年の春のはじめでした。灰色と白の小柄なメス猫で まだ一年もたっていないようでした。

いじめられたのか 臆病で馴れず えさやミルクをあげても シューシュー威嚇するのでした。ハナと名づけました。

夏 子猫が三匹生まれ 一匹 真っ黒な猫をもらいました。それが黒猫あーちゃんで 今は立派な風貌となり アーサー・アーチボルト卿と呼んでいます。

昨年大きなトラ猫に迫られ 逃げ回っていましたが 妊娠して10日前くらいに子猫を生んだようでした。目はらんらんとし 母は強しと缶詰や牛乳をかっては かげながら応援していました。子猫の里親も確保しました。

今朝のことです。

ハナがいつもとは違う入り口から入ってきました。すこしずつなれて 事務所のなかまでくるようになっていたのです。

缶詰と牛乳をあげましたが 出ていこうとしない .... 変だな ....

ハナ 赤ちゃんをまってるひとがいるんだよ かわいがってくれるひとだよ だから 安心してね おおきくなったら 子どもたち もらっていいかな .... と話かけたとき .... なんか変だな とまた 思った。 

やってみようかな 猫だって きっと 通じる ....

あがりかまちのコンクリの石段にすわって  2メートルほど離れたところにいる ハナのこころに想いを送った。

赤ちゃんが と いっている カラスが と いっている。

ハナが先にたって あるきはじめた 肩越しに振り返る。 モノがいっぱい積まれた迷路のような倉庫 いっしょうけんめい あとを

追うが 足のわるい年寄りのわたしには 入れないところがたくさんあって.....

ふと 見ると 業務用のもう使われてない 冷蔵庫のはしで 啼いている。

高さ 3m とてもそこまで 行けない。

戻ると ハナもついてきた....

ハナ あかちゃん いなくなっちゃたんだね かわいそうなハナ つらいね つらいね なにもできなくてごめんね と謝った。

すこしして.....

倉庫の隅の段にハナがいた。ものかげで見えないけれど なんともいえない哀しい声をあげながら なにか 食べているようだった。

ふわふわした黒と白のちっちゃなあたま 舐めるように 咥えるように ....

あんな 悲しい声を聴くのは はじめてだった。

ハナは 床下で子どもを産んだ。つらいお産だった。かわいいわが子を 守ろう 隠そうと一匹ずつくわえて 冷蔵庫のうえに

隠した。 こどもたちがおおきくなってきて ちょっと安心したスキに カラスが襲った。

 

ハナは まだ 泣いている。声も枯れて まだ 泣いている。

胸がしめつけられるような声だ。 ひとは泣く でも 猫も泣くんだ 慟哭するんだ 

生き物はみな おなじだ

ハナ おまえは死んだ子どもを助けてほしくて わたしにシグナルを送っていたんだね

あきらめて 食べたんだね いとしんでいとしんで育てたこどもを 泣きながら食べたんだね。

 

 



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 周囲にウガンダのひと スリランカ フィリピン のひとがいる。四人とも男性です。

共通するのは 実によく働く 日本人の2倍近く働くこと。

今日は ウガンダのカシムの話をします。カシムは真っ黒です。50代だけど とても若く見える。

 ... 何かの理由で壊れてしまった気の毒でどうしようもない日本人をつかって仕事をしていて わたしはいつもカシムはえらいなぁ 申し訳ないなぁと思っています。

彼はイスラムなので 豚肉は食べません。豚肉を料理したフライパンでつくった料理も食べません。ラマダンのときは昼間 どんなに暑くても飲まず食わず 日が沈んでからは飲んでも食べてもいいそうです。

彼には妻が5人います。いや いたというべきか.... ひとりは母国ウガンダに 4人は日本人です。子どもは6人いて みな アメリカンスクールに出して 留学させています。

一番 上の子は英国で医師をしているそうです。

4人 妻がいるといっても ハーレムではありません。結婚してキャンセル(離婚)して結婚してキャンセルしてを繰り返しているのです。

カシムのすごいところは 離婚して はいさよなら ではないこと みんな 友だちとしてつきあっている 一番最初の奥さんからも1日に何度も電話がかかってきます。

そして 離婚しても 妻たちは 生活保護も母子手当ても受けないでやってゆくこと そういうの恥ずかしいでしょ とカシムは言います。

もうすぐ 三番目の奥さんとキャンセルして 四番目の奥さんと結婚する そのときは結婚式に読んでくれるというのでたのしみにしているのですが

三番目の奥さんは納得しているそうです だって紙一枚じゃないの ぜんぜん変わらないよ とカシムはカラカラ笑うのです。

四番目の奥さんとももう20年 一回も結婚したことないひとなので かわいそうだから結婚するのだそうです。

そして 結婚式の段取りをしてるのが 一番目の妻との子である英国のお医者さんだそうで... おおらかというか はちゃめちゃ というか....

 

そのカシムに 担当直入に 幽霊はイスラムにもいるか? と訊いたら

カシムは 夜 電気を全部つけて テレビつけて リビングで 寝ているというのです。

どうして?  さびしくてたまらないですね 戦争のこと たくさんでてくるから こわいから 暗くしない

と言ってました。どうも 戦争で けっこう 殺したりも 死ぬめにもあっているらしい。

 

話はかわるけど スリランカのクマラさんも 言ってた ...  内戦で ... 骨がゴロゴロ  10年以上前イランからきた アリも言ってた。日本にくるまえ 

軍隊にいたって ... それから フィリピンからきた ジャイメさんのおとうさんは どうやら 元日本兵らしい...

戦争や死ととなりあわせで生きてたひとが 日本に働きにくる..... 日本のこの平和は なんてありがたいんだろう。

 

さて 元にもどって カシムが言うには 国に帰って みんなが集まるとき 子どもに死んだ人がのりうつって 子どもの口を借りて

しゃべるんだそうです それがとても怖い と言っていた。日本でも 最初の奥さんのおかあさんのお骨をお寺にあづけっぱなしに

していて ウガンダから帰って お墓に納めたとき カシムは 足がなぜだか動かなくなって お墓のある山に登れなくなって

すごく怖くて 車に戻って 震えていたそうです。ほっておいたから おかあさんが怒ってる そう聴かされたカシムは なんとか

山にのぼり お線香をあげて お祈りしたら 気持ち悪いのが パタっと止まったそうです。

 

まぁ どこでも おなじようなものですね。

わたしは なんども 亡くなった方を見ましたし 感じましたし 語るときは なにかが 降ってきます。

カシムは 子どもは あたまがわるいから 憑依されるんだといった たしかにそうなんだけど 降ってくるひとは せこくない

こびない 無我になれるひと だって思いたいですね ほんとのことはわからないけれど。

 



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友が倒れてから ブログが書けませんでした。四月七日  意識を飛ばしてみました。病院のCPUで意識不明の友へと。

薄暗い黄昏のようななか 向こう岸に煙るように白い櫻並木が続いていた。………ちゃん さようなら...   澄み透るような声が聴こえた ...

ここにいて.... わたしは泣きながら 手を伸ばした。でも なんにも触れなかった。

翌日 八日 日曜日 メールで 昨夜 亡くなったと知らされました。

料亭のおかみ 働き者で姑さんの面倒をよく見て 周囲に気配りを絶やさぬひとでした。

奈良裕之さんやknobさんとコラボして 縄文の神語りを許されたのも 友のおかげです。

縁あって 巡り会えた..... この縁を どうやって  つないでゆこうか 思案しました。わたしにできることは  友のような 優しいやり方はできないけれど   ひとが生きてゆく  荒波を 渡ってゆく   その後押しをすること   そして 友が  .....ちゃんしかできない語りと 涙し 笑い いっしょに踊った 語りを 続けてゆくこと。

亡くなったあと  友は 幾度か   わたしを訪れました。しだいに 気配が 淡くなってゆくのです。  今は まだ  涙.....  パヴァーヌを聴きながら ......

 

 



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