遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



    空の異変について書くひとがふえています。地震雲では? 温暖化のせい? と考えるひとがふえています。

    それでは....地震雲って いったいなぁに??

A 中越地震を震源地で体験したひとがこのように書いています。


『地震雲の形態は大きく分けて3種類と思っています。42年前の新潟地震の時には午前中から全天に見事なうろこ雲が出ていました。また中越地震の1週間前には長野から新潟にかけて全天を二分する分厚い直線状の雲が現われ、境目に球状の雲が20個以上等間隔に並んでいました。また、余震が頻発している時期にはやはり全天に漣状の雲が見られました。少なくともこの3種類は地震雲ではないかと思われます。細い直線状、放射状、地面から上空に立ち上がる細い雲などは地震雲ではないような印象を持っています。空を半分以上覆い尽くす、という条件が必要ではないかと思っていますが、科学的根拠はありません。』

その方のサイトの写真は→コチラ

B 最近はこのような見方も多いです。→コチラ

雲のかたちと地震までの時間の統計をまとめている動画(→コチラ)がありました。

① 地震2週間前  スジ雲出現
② 地震1週間前  波状 放射状雲出現
③ 地震3日前頃  直立型 竜巻状雲出現
④ 直前      塊の雲出現.....するようだと推理しています。



C ......ところでこれらの雲は日本中で毎日のように観察されています。

   



地震雲掲示板は→コチラ

四川省大地震前日 日本で見られた地震雲は→コチラ

四川省で地震の10分前見られた虹色の雲は→コチラ

D さて、ほんとうのところはどうなんでしょう?

   すこし怖いおはなしがあります。アメリカのアラスカにHAARPという軍事施設があるのをご存知ですか? 簡単に言うと、HAARPというのは、電磁波を発信する事によって地震発生装置にもなる施設で、アラスカに大きいのがひとつ、日本の京都にもひとつ、世界のあちこちにあるようです。気象人工衛星をつかうことにより自由に世界の気象に干渉できる......つまり異常気象の原因のひとつと言われているのです。

   アラスカHAARP

   さて、HAARPを機能させるために、アルミ粒をばらまく必要があるらしく、イオン化した雲が虹色に光ってみえるのだそうです。彩雲なんて喜んでいられないわけです。実はわたしは今月はじめて、その虹色の雲を見ました。おわかりのことと思います。それもケムトレイルです。

ケムトレイル・気象操作掲示板は→コチラ

HAARPを見張っているサイトがありますので見てください。それからHAARPについてのリンクを貼っておきます。

HAARPについて→コチラ 

核より怖い物理学兵器HAARPについて→コチラ 

HAARP見張りサイトは→コチラ
翻訳サイトは→コチラ  

    にわかには信じられない方もおいででしょう。.....がよく観察すると目に見えてくることもあるでしょう。自然現象としての地震雲もあったのでしょうが現在はなんらかの操作がされていると見るのが妥当ではないかと、実際にケムトレイルを目視して思います。


    これからは一日一度は”上を向いて歩こう♪” 空はよろこびだけでなく陰謀も教えてくれます。情報も教えてくれます。危険を予知できるかもしれません。選挙のまえはなにが起こるかわかりません。空を見て観察して、チェックして、できたら写真もとってください。









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   すっかりごぶさたしてしまいました。先日から身体が急に開きはじめて、身体と対話することがPCに向かうよりおもしろくなってしまいました。大掃除を開始した故か、仕事や家の状況が音を立てて動きはじめてもいました。

   あしたからワークショップで留守にしますので、とり急ぎお伝えしたいことをUPいたします。


   4年前 ミクシィをはじめたとき、どなたからかいただいたメールを、なぜか肌身離さず 持ち歩いておりました。まとめてみます。

① 呼吸は循環力、バランスをとるためのエネルギーそのものである。
② エネルギー⇒音霊おとだま⇒言霊ことたま
③ 声=身体に振動・共鳴する
  健康体と病がある場合では、共鳴する程度が違う
  心や感情が不安定な場合も共鳴が乏しくなる
④ 健全な魂、心、身体にエネルギー=声が共鳴するとき、程よい倍音成分が含まれた本当の声になる。
⑤ そのために心をリラックスさせ、身体をゆるませることが必要である。
  (ゆるみの会得がないと共鳴しない)
⑥ 即興は古代のひとたちがカミオロシの儀と称していたものと通じるのではないか。
⑦ 自分をなにものかにゆだね、通路として解放する。

   以上のなかで⑥と⑦はわたしの思いそのままだったのですが、そこにいたる③④⑤がよくわかりませんでした。わたしが....語りをはじめて10年のあいだ盲目的感覚的に求めていたのは”たくさんの糸を束ねたような声”でした。求める気持ちが強ければしだいにちかづいてゆけるものです。4年前、求める声が”倍音”であることに気づきました。そこで天音さんに会いに行ったのです。

   1年前 トマティスの聴覚検査で③に気づき、自分の声のなかで身体と共鳴できない部分が足...とくに右、そして首すなわち、不自由さや違和感を感じている身体の箇所であることを知りました。そして自力整体.....いまは名称がちがいます.......をはじめて1年半......⑤の身体をゆるませることがどういうことかわかったのです。

   このところ、手足の末端、そして手足を重点的にゆるめていました。すべての関節が呼応し連動しています。手首⇒足首 肩甲骨⇒股関節 右足首どうよう右手首の可動域がちいさく、右肩甲骨が埋もれ骨盤もおかしい......こうして次第に左右差に気づいたわたしは、重点的に首、肩甲骨、肩をほぐしていました。それとどうじにインナーマッスルを刺激しほぐすために身体にねじりと振動を加えました。意識を持ったことで、ぐっと変わりはじめたのに驚きました。

   肩のラインが左が高かったのが、一挙に水平になりました。首も垂直に近くなりました。からだがゆるむととともに声がかわったように思います。ゆとりがうまれ、まだまだですが声に振動が感じられるようになりました。”たくさんの糸を束ねたような声”に近づいてゆけるのではと、はじめて実感と歓びが湧いてきたのです。なによりじぶんのからだにふれ、確認し変化を実感できる、身体と向かいあって身体の声を聴くのはとてもたのしかった。

   食、睡眠、聴くこと、感じること、五官のすべてで身体とつながってゆきたい.....心と身体のとどこおり、こごなり、よどみ、束縛から自由になりたい.....そのとき響きはより豊かに深くあえかになると.....確信しています。






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......きのう、友人タエコさんのおうちで開かれたコンサートに行きました。雨もよい、緑の高台のおうち.....タエコさんと真っ黒で大きなシグルスが迎えてくれました。

 シグルスは一見”パスカヴィル家の犬”ですが、とても人間が好きなのです。 
 

   コンサートはもうはじまっていました。余分な力のまったく入っていないやさしさそのものの声、そしてギター、ソファに座って1分もたたないうちに涙が溢れてとまりませんでした。うたっている福井つよきさんの声、そしてギターの音色......が光そのものだったからです。

   すべてがよくなるためのプロセス....大いなるものへいたるプロセス....もういらなくなったもの、あなたのなかにあるもの.....感謝して手放そう....そのままのあなたで.....とつよきさんはうたいます。それから即興のピアノ.....風のそよぎ、森を打つ雨の音、小鳥の声がひとつになります。ピアノのしらべは水のようにせせらぎ、流れ、たゆたい、わたしを抱いて、岸辺につれてゆきます。......BUNさんのカリンバとのセッション、カリンバの曲ライジング......前半わたしは滂沱の涙をとめるすべを知りませんでした。ハンカチもないのに。

   後半は一転していっしょにうたいます。あーーという音から、ありがとうの合唱.......あとで考えましたらこれは倍音のワークショップでもあったような......そしてあなたはすばらしい......かんたん、かんたんという歌。みんなの声がとても心地よかった.....コンサートが終わったらお食事タイム。

   オクラとトマトのおかかサラダ、胡瓜といりこのあっさりサラダ、揚げサバの甘酢〆、かぼちゃとルバーブのサラダ、にんじんととろろ昆布のサラダ、とろろ、しいたけ、お揚げ、にんじんの特製タレでいただくお蕎麦.......
スイーツは梅ゼリー、ケーキ、タエコさんお手製のパンプキンプディング......美味しゅうございました。



   わたしはつよきさんに訊きました。「今のまま、そのままで.....すべてがよくなるためのプロセス........それはうつくしい考えです。でも、わたしはチベットやウィグルのひとたちの苦しみ、隠され知らされない欺瞞を書かないではいられないのです」.....と。するとつよきさんはいいました。「あなたが今、書きたいことを書いてください」......なんだかほっとしました。ですからみなさま、わたしは書ききるまでもうすこし、悲しみや苦しみ、欺瞞、横暴も書いてゆきます。聴いてください。

   もうひとつ尋ねました。「わたしは語り手です。たしかにひとはあかるいたのしい、、元気がでるものがすきなのでしょう、でもわたしはたのしいものがたりだけでなく悲しいものがたりも語る......語りたいから、そして悲しいものがたりで癒されるひともいるからなのですが......それでいいでしょうか?」 するとつよきさんはいいました。「......たくさんのことを乗り越えてきたあなたの声には力がある。つたえるひとはだから試練を多く与えられるのです。その声を信じてください。どんなものがたりでもいいのです.....」

   あぁ、そうだった...とわたしは思い出しました。ものがたりでなくて、ことばでなくて、ひびきを伝える....そうだった。なぜ、わすれてしまうのだろう.....今、語りたいものがたりを語ろう、わたしが充ちてゆくとともにものがたりはかわってゆくだろう、このまま行けばいいのだ........不思議なコンサート、会うべくしてあった方々でした。なにかが帳の向うに透けてみえます。ピアノを聴いているとき見えたのは白くかがやく光....しだいに強くかがやく光でした。そのひとのつかうことばがそのひとの世界となる.....とつよきさんはいいました。




   ひとりひとりがみずからのひかりのあかしびとなのだと思います。そのひかりが煌々とかがやくとき、世界はかわってゆくでしょう。きのう、わたしは信じることができました、ゆくさきの未来に不安もなく、恐れもなく。すべてはよくなるためのプロセス、世界はうつくしい。.....かんたん、かんたん、うまくいく、かならず。


 左がつよきさん、右がBUNさんです。

福井幹さんのHPは→コチラ

BUNさんのHPは→コチラ




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........先日、”高瀬舟”をさがしていたら、少年少女日本文学全集全24巻のうちの第一巻にありました。

執筆者が森鴎外、島崎藤村、国木田独歩、二葉亭四迷、徳富蘆花.....この全集が発刊されたのは1962年(昭和37年)......昔の子どもはむつかしい本を読んでいたんですね。さて、昔、子どもだったわたしはなぜか、国木田独歩が好きだったのです。中学一年のときの人生の目標は”非凡なる凡人”......その後の紆余曲折はさておき、漱石、芥川、森鴎外、下村湖人.....なみいる文豪、児童文学者をさておいて、なぜ 国木田独歩なのだろう.....と読み返してみたのです。

    すると.....心地いいんですね。文体のリズム、風が吹きわたるような自然描写.....地味な短編ばかりなのですが、登場人物がまっすぐ、自然体でてらいがなくて、実にいい感じ.....12歳のわたしはけっこう見る目があったみたい。読んでいて思い出したのは江戸末期、明治のはじめに日本を訪れた外国人のことばでした。森鴎外や夏目漱石は西洋の洗礼を受けている。ふたりとも留学していたはず......そこには”かれ”と”われ”とのあいだの峻別みたいなものがある。

    国木田独歩にはそれがない。かれはかれ、われはわれなんだけれど、ひとつの輪のなかにいる、そして読んでいるわたしも共感というおおきなふところのなかでかれらとともにいる.....テーマや設定がじゃなくてものがたり世界がとても日本的、ゆるされて在る幸福感を感じるのでした。

    さて、きのうもう一冊 手にした本のなかに”伊勢物語”にまつわる本がありました。業平は恋をしてはならぬ高貴な女人に恋をして、傷心のあまり武蔵の国まできて彷徨いました。みよし野とは...今の入間、川越あたりであったろうといわれています。業平は立派な屋敷に泊めてもらいます。その家には年頃の娘がいました。


みよし野のたのむの雁もひたぶるに 君が方にぞ寄ると鳴くなる


    これは娘の母のうたです。このたのむの雁について折口信夫の弟子である西角井正慶氏は「たのむとは秋の収穫......たのむの雁とか成女戒をさずけてくれるひとである」と言っています。すなわち娘の母は娘を女にしてもらう儀式を京からきた貴なるひとに頼んだのです。

    また 昔は高貴な客人に一夜 娘をさしだす習慣もあったようです。え...?何て野蛮なの? 娘がかわいそう....と考えないでくださいね。客というのはまれびと.....神の代役.....神の一夜妻になることでした。そして、日本の性はなんとも自由なおおらかなものであったようです。平安時代の文化は恋愛の文化でありましたし、現代も性の乱れと言われますが先祖がえりに過ぎないのかもしれません。

    さて 朝もあかるくなってきました。強引にまとめましょう、国木田独歩、在原業平、その心は..........縄文回帰。もっと自由におおらかに。もっとも自由恋愛のほうはわたしはもういいです。男の方はひとりいれば充分にすぎます。






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  雲を透いて見えた日食


......きのう、テレビ朝日が一歩踏み込んだ報道をしていました。きのうのブログに書いた『年次改革要望書』に触れ、日本政府があこぎなアメリカの要求に唯々諾々と従い日本を事実上切り売りしてきたこと、日本のささやかな要求にアメリカは耳を貸さなかったことを番組のなかで伝えたのです。

   日本の要求とは牛肉輸入にあたっての全頭検査とか、日本の有機野菜をアメリカに売るためのJAS規格の変更を求めるなどのかわいいものなのでした。日本は車や電化製品を売るために、アメリカの農作物を買っています。....というか大豆とかとうもろこしについては依存しています。中国の食物をわたしたちは警戒しますが、アメリカの農作物には警戒していないひとが多い。ところが、これが実はこわいのです。

   残留農薬の問題があります。そして遺伝子組み換え作物、この遺伝子組み換え作物の種子をつくっているのが”モンセール社”、この会社は悪名高い枯葉剤をつくった会社でもあります。遺伝子組み換え作物は地上にないツクリモノの作物なんです。たとえば虫を寄せ付けないように農薬を撒き散らすとうもろこし....のようなものをつくっています。だから人体にどのような危険性があるかわからないし生態系にどんな影響を及ぼすかわからない、リスクの高いものなんです。ヨーロッパでは全面禁止ですが、日本はそうではありません。表示も曖昧です。

   残留農薬の問題も含めて、日本政府は車や電化製品を売るために、国民の健康をないがしろにしているのです。グリーンピースに連絡すると、トゥルーフードガイド....遺伝子組み換え作物を使用している食品をチェックするパンフレットを送ってくれますよ。 家族の健康は自分の手で守りましょう。

グリーンピースは→コチラ



   さて、浦沢直樹さんのプルートー第八巻(最終巻)を読みました。浦沢さんはバガボンドの井上雄彦さんとならぶ日本を代表する漫画家で、今までもモンスターやニ十世紀少年などの骨太な、問題意識のある作品を世に問うてきました。その浦沢直樹さんが万を持して、手塚治虫氏の鉄腕アトムのシリーズのなかで一番の傑作「地上最大のロボット」をリメイクするというのですから、ファンは色めきたちました。

   わたしは実は3.40年前のA4版の鉄腕アトムのシリーズをまだ持っているほどのファンですから、プルートーが出版されるのを、一抹の危惧を抱きつつ、たのしみにしていました。7巻のイプシロンのときもJRのなかで思わず涙をこぼしました。ノース2号のときもひそかに泣きました。....けれども、けれども、8巻を読むと危惧が現実になっていました。

   浦沢直樹という漫画家は、イメージと作品世界の構想力において素晴らしい漫画家です。メッセージ性もある。しかしたぶんやさしい方なのでしょうね。登場人物に撞着してしまうきらいがありはしないか、エピソードをつめこみすぎるサービス精神がありすぎはしないか......結果、作品は客観性のコントロールを失い、エピソードの収拾をかろうじて支えても、ラストに向かってエネルギーがたかまり収束し、おさまるところにおさまるという読者の望む場所に着地しないまま終わってしまいます.....エンディングがウイークポイントなのです。

   今は昔、小松左京さんが、作品を書くとき、中盤イメージの奔流にたずなを必死でひきしぼる、それが力仕事なのだと....そうしないとものがたりが拡散してしまうとおっしゃっていたことがあります。小松左京さんは短編の名手でありました。長編の「復活の日」は情緒に流れすぎた、「果てしなき流れの果てに」が傑作だと私見では思っております。

   さて、「プルートー」ではどこが手塚さんと違っていたかというとアトムがまるで違っていた。アトムはロボットの少年というより生身の少女のようでした。見た目が人間そのままであったせいもあるのでしょうが、ロボットの持つ人間とは別の意味の有限性、無機的なかろやかさがなく湿り気をおびていた。それはいい意味もあるのですが、ものがたりを本質から変えるものではなかったでしょうか。

   ゲジヒトが最後ちかくまで狂言まわしをつとめ、ノース2号、イプシロンとともにうつくしい旋律、崇高で心あらわれるエピソードをかさねた.......アメリカとイラクを模したトラキアと.....の構図もわるくなかった。......が、なぜか権力側がせこくて厚みをかいていたために、あまりにも人間的で崇高なロボットたちとの対比がかみあわず....かといって、プルートーの性格付けもウェットで、原作のロボット競技会形式はかたちだけだったので、結局不消化というか、読者はクライマックスに達することなく、ものがたりに置いていかれてしまった。

   なんだか、すこし残念です。ものがたりというのは途中もたいせつなのですがエンディングが決まらないと、こう欲求不満が残ってしまう、カタルシスはたいせつです。「語り」でもそうなのですが、大作には語り手自身のパワーが必要です。客観性、制御力、持続力.....途中エピソードの山の高さを考慮しつつ.体力気力を残してエンディングに突入。8合目あたりが急所です。潜在的ポテンシャルを高めてゆくしかないのだろうなと思います。

   けれどもプルートーには楽しませてもらいました.....なぜタイトルロールがプルートーなのか、ゲジヒトでもよかったんじゃないかな....という気がしないでもないですが、次の巻を待つ期待感、こころのたかぶりは10代の頃に帰ったようでした。そして20世紀少年でもそうなのですが、浦沢直樹さんには時代性がある、今世界で動いていること、問題をキャッチしてものがたりに投影してゆく気概があります。今のこれを掬い取るってこわいことでもあるのですよね。掬い取りようを間違えると瞬時に古くなる、いわゆる陳腐化してしまう.....歴史は動き続けているから。だから古典的なものに今を投影させるほうが楽なのですが、浦沢さんはリスクを犯しても果敢にチャレンジなさる.....敬服します。浦沢直樹さん ありがとうございました。

   さて、わたしも、プルートーと遺伝子組み換え作物と語りの三題話、ムリムリエンディングに突入します。アメリカと日本の関係は、民主党に政権がうつったにしても目だった変化はないのではないか.....とわたしは危惧しています。なにしろ太平洋戦争以前、開国のときからアメリカ?は日本の首根っこを押さえてきたのですから、今後中国からの搾取に切りかえるにしても、日本を骨までしゃぶり尽くすまでは放さないでしょう、どんなあざとい手段をつかっても。

   納得のいくラスト大団円は期待できそうもなく、そうなると遺伝子組み換え作物もポストハーベストでベトベトな作物も当分日本にやってくるわけで、それぞれの家庭、それぞれの個別のエピソードで対応するしかないわけです。私自身は国産品愛用→地産費消→自家栽培.....→菜食(飼料はもろあぶないです)というようにゆっくりたのしみながら変えていこうと思います。

   語り手はものがたりを生きています。けれども、それぞれの人生のものがたりを生きることで、逃れようのないエンディングに向かっていくことで、わたしたちは誰しも ストーリーテラーなのかもしれません。納得のいくものがたりを生きて語ってゆきたい...ものです。





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   2006年9月13日の夜10時過ぎ、京急電車内で痴漢容疑で植草教授が逮捕された衝撃的事件を覚えていますか? 申し訳ないことに当時私もマスコミ報道を信じて”忙しすぎてストレスがたまったのか、それにしても破廉恥な....”と思っていました。植草元教授は一貫して無実を主張し続けました。全く声も姿も見えない“被害者”女子高生は証言台に立つこともなく、2006年の事件で被害届を出したのは婦人警官。被害者証言や検察側目撃証言の多数の矛盾点や植草被告の無罪を証明する弁護側証人の証言内容が十分に検討された形跡もありません。とても奇妙な事件です。一流の経済学者であった植草さんが実は陥れられ、罪を着せられマスコミから抹殺されたと信じるひとは多いのです。

  植草一秀氏

植草さんはなぜ嵌められたか?

アメリカの日本経済支配のシナリオ

①1991年 外圧による大店法改正(大規模小売店舗立地法改定)によって従来の駅前商店街は急速に衰退し、日本全土の郊外風景は一変した。郵便局と同様に、駅前商店街と言うのは地域の文化共同体(コミュニティ)を堅固に形成していた。ところが資本進出の自由化だけを突出的に優先したこの悪法によって、日本全土の安全な地域コミュニティは壊滅的に衰退した。

②1993年 宮沢・クリントン会談で『年次改革要望書』(アメリカの対日経済占領のための一方的な命令書)合意。

③1998年年1月 ノーパンしゃぶしゃぶ事件が発覚し、外国金融資本の侵食に抵抗し日本を守っていた大蔵省長岡グループは一掃される。これが悲劇のはじまり。外資に当然刺されたと見える。

④1998年4月に外為法の大幅改正(規制緩和) 

⑤1998年6月には、総理府の外局に金融庁(当時の金融監督庁)が設置され、大蔵省より銀行の検査・監督機能が引き剥がされ、アメリカ財務局支局化する。

⑥1998年10月  長銀が一時国有化(12月には日債銀も)その後亡国的条件で売却。

⑦2001年 小泉政権登場、年次改革要望書をつぎつぎに具現化したことによって、日本の良いところは軒並み破壊される。一般国民の生活苦が実感となり始める。

⑧2002年から2004年 小泉政権は人為的な円下落政策を行い、外国投資家に低い値段で日本の優良資産を買い叩かせた。この時期に行われた異常な「ドル買い=円売り」という為替介入は、外国資本による日本収奪計画を手引きするためのものであり小泉・竹中構造改革路線とは、アメリカによる大掛かりな日本市場改変作業そのものである。小泉純一郎と竹中平蔵氏は日本の市場を破壊した。

⑨2003年4月 りそな国有化(植草事件の元凶)

⑩2006年1月 三菱東京UFJ銀行誕生(日本民族資本がデビッド・ロックフェラーの傘下になる。

⑪2008年3月 新生銀行は何と株主への配当原資としてなけなしの本店すら売却されて、きれいさっぱりユダヤ金融資本に食いつぶされた。


以上のことに小泉政権がどう関わったか?このブログの”小泉純一郎というひと”その①、その②に記してあります。

竹中平蔵氏


植草さんがしたこと

当時植草さんは教授であり著名な経済学者であり有識者としてマスコミに出演していました。そして小泉・竹中構造改革や郵政民営化について、裏に米国の対日占領プログラムの意図があることに初期から気づき警鐘をならしていました。

2005年3月16日植草さんは『新・植草レポート』で

①りそな救済劇の小泉・竹中インサイダー疑惑を追及。
②米国資本が郵政公社の所有する350兆円の国民資金を獲得する意図を有していることも言及。植草さんは郵政公社の所有する、この膨大な国民資金を獲得することによって、米国の日本占領政策はほぼ完了するのであると、はっきりと断言している。

2006年6月25日 宮崎学・直言に「失われた5年-小泉政権・負の総決算(4)」寄稿
2006年7月21日 「失われた5年-小泉政権・負の総決算(5)」
2006年9月1日  ビデオニュースドットコム丸激トーク・オン・ディマンド第283回に出演。小泉・竹中政権にりそなインサイダー疑惑を含めて痛烈な経済政策批判を浴びせる。

2006年9月6日  「失われた5年-小泉政権・負の総決算(6) 」寄稿。

2006年9月13日の夜10時過ぎ、夕刊フジと新連載の打ち合わせ後帰宅途中京急電車内で痴漢容疑で逮捕される

    植草さんのような影響力の大きい一流の経済学者が、小泉竹中・自公政権が推進する売国的国策を見抜き、テレビや書籍などを通じて世間にその危険性を知らせ始めたら、......政権側はどうなるでしょう。説得力ある語法で政権の悪を証明したとき、世論に飛び火し、政権がつぶれ、目的が達成できない恐れがあります。愚かな民衆は騙せても騙せないひともいる。アメリカや大企業の代理人である小泉竹中両氏にとって、植草氏は天敵でした。植草事件の真相にはこのような国策レベルの暗く大きな背景が存在するのです。

さて、この話にはつづきがあります。

6月21日 対談集“売国者たちの末路”を出版。
6月25日 上告棄却され、懲役4ヶ月の実刑確定。ちかく収監されそうです。総選挙への影響.....小泉・竹中両氏の国民と国への犯罪があきらかにされるのを恐れるためではないかといわれています。


    植草さんは卑劣な手段で公に発言することを封じられましたが、小泉自公政権のもとでは実に多くのひとが不審な死を遂げ永遠に口をふさがれています。植草さん自身も”何度も自殺を考えたが絶対に自殺はしない。もし、そういうことがあれば(自分は)殺されたのです”というようなことを語っておられます。わたしたち市井のブロガーにとっても、自由にものをいうことに一抹の不安を覚える そんな暗い世の中はいやですね。植草事件の真実を書き続けたブロガーのなかには警察から呼び出しを何度も受けたひともいるとのこと......外国や大企業や官僚のための政府ではなく、国民のための政府にしたいものです。
風よ吹け。山よ動け。

    けれど それまでにはたくさんの画策があるでしょう。自公政権・一部の官僚にとって政権交代は死活問題。せっかくつくりあげた集金システム、天下りシステムがなくなるかもしれない。過去の売国的所業、インサイダー取引が明るみに出て罪に問われるかもしれないのです。西川さん、竹中さんもさぞ心配なことでしょう。それは、必死になるわけです。

    マスコミ、テレビや新聞の報道はどうか鵜呑みにしないでください。じっくり読んで聴いて考えてください。このブログのリンク先の情報とあわせて検証することをお勧めします。マスコミのなかにはまだ志のある方もほんの少しおりますが、タハラさんとか変なアメリカ人とかアヤシスギル人物ばかりです。

    そしてもし政権が代わっても、任せきりにしてはだめです。大事な国、かけがえのない国、ふるさと日本とわたしたちの資産をゆだねるのですから....。わたしたちがひとのよいおろかな国民であることをやめなければ、彼らはいつまでも国民からむしり、たかり続けるのです。わたしたちが太平洋戦争前夜の日本の国民について、大本営や国策にどうしてあんな簡単に騙されてしまったんだろうと思うおなじことを、未来の日本人はわたしたちについて考えるに違いありません。なんであんなにかんたんに騙されちゃったんだろう.......


    最後に植草事件と根っこがおなじノーパンしゃぶしゃぶ事件について.....これはほんとうに深い問題だったのだとしみじみわかりました。外資は下ネタでひとを陥れるのがお好きのようです。マスコミが飛びつく、大騒ぎするからでしょうか。日本人もなめられたものですね。

    さて、当時、大蔵省には伝説的な優れた官僚がいました。この人は、東大法学部を主席で卒業、大蔵省若手のトップであり、最後まで、銀行をつぶすことに反対したそうです。つまり日本経済を最前線で「外資から」守っていたのです。そのころ、竹中が暗躍しており、銀行をつぶすべきだという、虚偽学派の説を唱えていたといいます。

そしてそのために引き起こされたのが、「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」でした。あれを仕掛けたのは、外資だったのです。「ノーパンしゃぶしゃぶ報道」というのは、優秀な大蔵官僚を攻撃して日本の銀行を守らせないようにするための「地雷」。あれで、当時の大蔵省の優れた官僚の人達は、みんな、何ヶ月も謹慎処分に
され、この「日本を守っていた優秀な大蔵官僚」もそのわなにはまりました。

そしてその後に、大蔵省を退職しています。このとき、優れた人材は大量に辞めている。彼らはもし、どこかに行こうと思えば、引く手あまたでした。そしてその優れた人が、その後どこに勤めたかというと米国の軍需産業のカーライルグループの東京支店だそうです。 元次官は今 どうなさっているでしょうか? 彼を追い落としたひとりが例のあの日銀総裁を拒絶された武藤敏郎なんですよ。

つまり、米国がマスコミを通じて仕掛けた「ノーパンしゃぶしゃぶ」報道は、日本を守っていた官僚を駆逐。そしてその後の、一千兆円という銀行を外資に売り渡す突破口になったのです。つまりあのとき、日本人の大多数は、大蔵官僚をたたいて喜んでいたのですが、実は、自分たちを影で守ってくれていた人達を罰して喜んでいたのでした。 わぁっと叫びだしたくなりますね。

日本のメディアは腐ってるのだろうか なぜなにも報道しなかったのだろうか??こんな大事なことを......だいぶお金をばらまいたようだから金に目がくらんだのだろうか? 小泉劇場のときとおなじように........もし知っていたらプラカード持って大蔵省に応援に行ったのに......なにも知らないって悲しい......

ノーパンしゃぶしゃぶ接待の真相



  著作 知られざる真実 → コチラ

阿修羅その他より

小野寺光一の政治経済の真実

りそな疑惑

りそなインサイダー 消されたひとびと

船井幸雄ブログ

りそな銀行竹中インサイダー疑惑

付録上記サイトより転載<りそなに関するインサイダー取引疑惑の発言>

→りそなに関する基本方針を定める立場にいた竹中平蔵氏は、りそなの国有化の直前に、株価が下落過程にあるときに突然、閣僚懇談会で「絶対に投資信託を買うべきだ。絶対に儲かる。私は買う」と発言した。つまりインサイダー取引を自らやっているのだ。

<実は優良銀行だったりそな銀行>
りそな銀行は、優良な銀行であった。りそなホールデイングスは2002年の3月に自己資本比率は、8.73%。優良企業である。

<無理やりに国有化へ>
これがあっという間に竹中の経理上の解釈の勝手な変更により無理やり、国有化に追い込まれていく。

<小泉政権は、巨大な株価操縦か>
小泉政権は、金融危機なる風説を流布して株式を売りあおり、国家ぐるみの「株価操縦」「風説の流布」を行っていたという。

<りそな処理の過程で死んだ有能な会計士>
その過程で、一人の有能な会計士が死を迎えた。自殺だったのかそれとも誰かに殺されたのか、どちらにしてもこのりそな事件に巻き込まれている。



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身体のゆがみにきづく・なおす

ひきつづき阿部さんのワークショップ 2日目 14名参加 ビジター5名

① 足指 骨盤のエクササイズ
② 姿勢の確認 調整
③ あなた・わたしのゲーム2種
④ スクエアに歩く 各自前のひととの間隔をキープするゲーム
⑤ hoをサークルで発声 意識をひらく 聴く 自分の声を聴く
⑥ 天真五相 母音とumの発声
⑦ 鈴木メソッド
⑧ 高瀬舟の輪読
⑨ 阿部さんの実演

    テーマはきのうにつづき
A自分の身体を知る(強いからだは自由なからだ)
B意識をひらく
C発声・母音
D身体に起きたことを発声する

 2日 特別参加のふゆきちゃん 女の子生後6ヶ月と阿部さん


   ワークショップの集大成としての輪読は考えさせられることが多かった。一概に声がよければというものではない。過剰と不足とどちらがいいかといえば、不足よりは過剰のほうがよいのかもしれない。情景の見える読みはあまりなかった。これはなぜだろうと思うに、課題である句読点を自分でかんがえる、息継ぎの直後の段落のはじめは必ず高低を変える..という約束事に気をとられイメージまであたまがまわらなかったためからかもしれない。

   しかし課題が高度に過ぎたのか、一部でもできたひとはごくわずかだった。おもしろいと思ったのは、若手でやる気があってそこばくの野心を持っているひとの読み...というのは似ているのだった。そして、わたしはそれがきらいではなかった。そののぞみがきらきらとものがたりに精彩を放っている....しかしそれはまたあきらかにものがたりにとっては余分で....もしはずしてしまったら あとになにが残るだろうとも考えた。

   また、自分の世界を持っていて、誠実にものがたりにむきあった読みをしているひともいて、それはそれで好感がもてた。自力整体にとりくんでいるメンバーの声が格段によくなったのに驚き、読み聞かせの講師をはじめたメンバーがうまくなったのに驚いた。ステージはひとをつくる。ともかく 語りも読みも読み手をうつしだしてしまう鏡である。

   わたしは阿部さんの課題にしたがって喜助の台詞の出だしを読んだ。句読点、声の高低、視線の遠近、時間、身体で感じたことをことばにしようとしたが、弟が血まみれで苦しんでいる修羅場はタフでなければ無理である。最後は気を抜いた。阿部さんからお褒めのことはいただいたが、それが限定つきであることも承知している。わたしとしてははじめから終わりまで身体で感じたままを語る....のはむつかしいと思っている.....なぜなら語り手の身がもたない。それに聴いているひともきついと思う。ついでにいうなら、その身体の感覚というのが登場人物の時間経過とともに変わっているはずだし、あえて押し殺すときだってあるのではないか......

   ものがたりを生きる.....語り手にとってそれがいちばん楽しいし、聴き手のみなさまにもものがたりを生きていただく近道である。ときどきいらっしゃる「やってるわたしがステキ..」がすきな方々は、もろもろのものを貼り付けて ひとつのコラージュをつくりあげ、”やった感を”求めるのであるが、語りにしろ、読みにしろ、実態は実にシンプル、ものがたりと読み手・語り手まるのままなのである。そうでない道もあるにはあるが、すべてをなげうった長い長い修練と努力が必要なのだ。常人にできることではない。

   ものがたりを生きるにあたって、身体で感じることはたいせつだが、それがすべてではない。要所要所でつかえればいい....とわたしは感じている。身体を鍛えることはだいじだが、歩けないから語れない....というものでもない。ものがたりを語るのは”ひと”である。その精神と身体と感覚と魂....とでもって語る、背後には人生....勇気と夢、希望と絶望、かなしみとよろこび.....がある。そしてわたしたちは遺産を受け継ぎ受け渡すものであり、宇宙とつながるものである。そのすべてのつながりを持って語るのである。

   畢竟 それはつけたすことではなく、余分なものを削ぎとることで近づけるとわたしは思う。その余分なものに気づくためにワークショップはあるといっても過言ではない。


    今回のワークショップで私が突きつけられたことは三つある。
1 仕事をとるか、カタリをとるか
2 指導者としてどうするか
3 語り手としてこのままでいいのか


   ワークショップは仕事の修羅場のさなかにあった。わたしはひとの手を借りてなんとかできることはすべてしたけれど、いつもそういうわけにはいくまいと思う。あしたはいつ終わるかわからない....という覚悟を持って臨もうと決めた。8/1から3日にわたるワークショップは指導者としての実践のワークショップである。得ることはあるだろう。こうしてみたい、あぁしてみたいという試案はいくつかある。みながついてきてくれるのであれば。ともあれ、できるところまで行く。

   阿部さんの語りは阿部さんの、堀井さんの朗読は堀井さんの......壌さんのは壌さんのもの......わたしにはわたしの方法がある......もういいではないか.......いただいたものはありがたく糧にしてわたしはわたしの語りをしよう。やっている実感がほしいのではない、生きた証とかそういうのでもない......己と宇宙、他者と自分がとけあって 永遠が見える一瞬.........かつていたところ、憧憬とイタイほどのなつかしさ.....かぎりなくゼロに近い一瞬に惹かれる。......子どもたちの笑顔や高齢者のあったかい手や、それだけではなくて。

   ものがたりの真髄をつかみとる、棄てるところは棄て去る、そのエッセンスが自分のうちなるものとひびき、遙かななにかとひびきあい。聴き手のうちなるものに響いたときにゆるされる一瞬がある。


 振り向いて 刀を振り下ろし つぎなる相手を声でたおす
「ア」「カキクエバカネガナルナリホウリュウジ」



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    夏はワークショップの季節....毎夏、どのワークショップに参加しようかと考えるのは悩ましいよろこびです。皮切りのカタリカタリのワークショップは劇団クナウカの阿部さんにおいでいただきました。昨年語り基礎講座に2日間講師をお願いして以来です。阿部さんは日本の役者さんにはまだめずらしい、身体で感じたことをことばにする、観客に身体で感じさせる役者さんです。よく見かける貼り付け、雰囲気、顔芸とは縁のないストイックな.....とさえ感じる役者さんです。1年ぶりの阿部さんはますますパワーアップしていました。


①まっすぐ立つエクササイズ
②身体の歪みを知る、正しいからだの感覚を知るエクササイズ
③脱力のエクササイズ

阿部さんは正しい姿勢はたいせつだといいます。大地から天にむかってまっすぐ”気”が立ちのぼることでステージ上で大きく見え、また声もよく出ます。

④重心を移動させるエクササイズ 3種

丹田から胸のあいだに重心を移動させることで音の高低を変えます。

⑤丹田を圧迫し発声するエクササイズ
⑥胸式、腹式呼吸
⑦円形になり 開き 周囲の声を聴き 自分の声を聴き クレッシェンド・クライマックス・デクレッシェンドのエクササイズ(死にそうでした。。)
⑧鈴木メソッドから  こればかりはやってみないとわかりません。

休憩をはさんで
3名の語りについてダメ出し.....
阿部さんがテキストを読むと ものがたりがパノラマのように変化します。自由にもっと自在に、先入観にしばられないで、身体で感じるままに声に出す。

阿部さんによる王女メディアの台詞......今回は身体が引き裂かれるようでした。阿部さん自身は距離とからだの痛み、かなしみをあらかじめ設定しているとのことでした。

    
   Yさんのあかちゃん ふゆきちゃんも特別参加、おもしろくてわらいころげながらあっという間の4時間でした。そのなかでポイントは

A ひらく →聴くことでひらく 客観性を持つことでひらく
B 脱力  演技とは脱力のバリエーション
C ことばを発する対象を明確にする なにをしたいか
D 聴き手に身体で感じさせる 身体の状態はどうか 
E 前に飛ばす感覚を意識する。うちに込めると”やった気”になる、前に出す、内にこめるのバランス
F ことばの音楽性 ...日本語の単調さをどのようにしてやぶるか
  止めることを怖れない、ひっかかるところは止まっていい
  どこが大事かの取捨選択、スピードと間で聴き手をコントロールする
  呼吸をあえてはずす
  読み手(語り手)がどう(身体で)感じているか 技術でなく感覚でひらき揺さぶられるままに 声にだす (すべてわたしが感じたことです 阿部さんの指導とおりかはわかりません)

   参加者はそれぞれ得たものが多かったようです。わたしは10ヶ月前に比べて身体の平衡が飛躍的に向上、跳躍も可能になったことがうれしかった。課題は山です。もういちど発声を、持続力を、心と身体と声の関連性を考えること、もっと自由を あらゆるバリエーションを そして内と外のバランス。



   この日はビジネスにとっても大事な日でした。阿部さんとカタリカタリメンバーとのお食事会のあと、三組の来客とうちあわせ.....。どこまでつうじるか押せるだけ押してみました。そのうちの一組、相手は大手企業の男性4人、うち3人は地位ある方です 負けて元々と思いました。.....わたしの理屈は心情的、超法規的理屈でした、但しそれを論理的に明確にお話した。.....もちろん感情はオフにした。実際は契約をすでに交わしていたのですから、向うの言いなりになってもおかしくはなかった。ところが、通用してしまったんですね、こちらの意志とおりの決着、分離発注、2/3白紙撤回となったのです。900万円が契約外となりました。やってみるものだなぁ 言ってみるものだなぁ と思いました。

   ことばはおもしろい......今日は仕事のうえで、幾人かと心を通わせられた......わたし、ようやくいくらか成長したかもしれません......まだまだこれからです。





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   梅雨もあけて青空が目に眩しい夏の到来です。みなさま、いかがお過ごしですか? わたしはお部屋の模様替えをサウナ的熱暑のなかで敢行し......窓際で早朝の空を眺めつつPCに向かっています。空を鳥が横切っていきました。


   今日はデラネイの先住民族デネ族に起こったことをお話しましょう。カナダには多くの先住民族がいました。アメリカでは過去、実に5000万人の先住民族が殺されたと聴きましたが、逃亡してカナダにわたったひとびともいたようです。わたしは語り手としていつか、英雄クレージーホースの一生を語りたいと夢見ています。

   それはさておき、自然の恵み溢れるデラネイには幸か不幸かウラル鉱山があります。日本のヒロシマ、ナガサキに落とされた原爆はこのポートラジウム、エルドラド鉱山から採掘されたウランがひそかに運ばれつくられました。いつのことでしょうか、デラネイのデネ族の祈祷者(シャーマン)がこんな預言をしました。

.........「青白いひとびとがほらあなに入って、石をもって出てきた。その石を細長いものに載せた.......自分たちによく似たひとびとがたくさん焼け死んだ。ほらあなに近づくな、水を飲むな」......ホピ族の預言ににていますね。.......けれども、ひとびとはこの預言を信じませんでした。

    彼らの多くはほらあなに入って、ウラン採掘の仕事に従事しました。......そして、癌が多発したのです。長老の多くが亡くなりました。デネ族の村は「未亡人の村」として知られるようになったそうです。.......おかしい?....と思ったひとびとに、アメリカのナバホ族のフィル・ハルシオが助言しました。ナボホのひとびともウラン採掘の仕事に従事したことから何千人ものひとびとが亡くなったのです。ナバホのひとびとは連邦政府に働きかけ、2005年、連邦政府はナバホの土地でウランを採ることを禁じナボホ続に補償をしました。

    デネ族のひとびともカナダ政府に働きかけました。......しかしカナダ政府がようやく出したポートラジウム最終報告では、癌と鉱山労働の因果関係は認められなかったのです。700万ドルかけたその調査は茶番でした。なぜなら担当したのは、ウラン採掘権を持つ会社の関連会社だったのです。

    のちにポートラジウムで測定したところ、1000マイクロレム、20分後には4000マイクロレムの数値が出ました。......一時は採算がとれないと閉鎖されたポート・ラジウムは石油高騰によって、息を吹き返しました。採掘権を買い取った会社によって再開されようとしています。世界中で245箇所もの原発が計画されているからです。........この結果は10年後、20年後、30年後にはっきりします。

    お金や物欲が幸福とつながると信じるひとがいます。彼らは直接ほらあなに入ることはありません、知らないひと、先住民族や日本でもあすの暮らしにことかくひとを使います(日本でも今、まさに被爆者が増加しています).....生命は赤ん坊からもうすぐ旅だとうとする老人まで、たった一度しか与えられないたいせつなもの......それを奪う権利は誰にもありません。


    デネ族のひとびとは”預言”が真実であることを知りました、そして彼らは原爆で殺された34万の死者に謝罪をするために日本を訪れました。カナダでポートラジウムをテーマにしたビデオが制作されNHK/BSで放送されました。このビデオをつくったのは2007年まで日本に住んでいた方でひとりでも多くの日本のひとに見てもらいたいと語られたそうです。



カナダ....ナハニ国立公園...ナハニはデネ族のことばで精神という意味だそうです。



    前々回、聖地が核で穢される.....を書いたあと、日本でも縄文の聖地が核で穢されていると伝えてくれた方がいます。.......わたしの知るかぎりではよく訪れる茨城県の東海村.....青森の六ヶ所村の再処理施設、福島原発がそうです。調べてみたら、日本中でもっともっと多いことでしょう.....。この意味することはなんでしょう.....単に過疎の問題でしょうか?


    東海村では巨額のお金をかけて実験炉の解体作業をしています。これから寿命のくる原発がたくさんあるようです。原発は火力や水力と違って止めることができません。昼でも夜でもおなじように電力を供給し続けるのです。アル・ゴアの”不都合な真実”と原油高が原発ラッシュを生みました、アル・ゴアは自身が核産業の会社を経営しておりました。

    原発は未来に向かっても、大きなリスクを持ち続けます、いつかわたしたちが子孫から、資源を浪費したうえに未来に禍根を残した、間違った選択をしてしまった先祖として糾弾されることがないように祈り、すこしでもそのリスクを減らすために行動したいと思います。それでは....うつくしく、暑い夏の一日、今日もがんばってまいりましょう。

    


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......日曜日、娘たちと買い物をしたり、遠くの町の公園に行ったりしました。車のなかで、長女が「おかあさん なぜ 外に出ると ぼーっとしているの」と訊くのです。そんな風に見えるのかしら?........考えているうちにはっとしました。ひとたび外に出ると、さまざまな情報や刺激が飛び込んできます。わたしはその処理に追われていて、それがぼーっとしているように見えるのではないか.....

   たとえば、さきほどボタンを買いに行った手芸品店で、わたしは隣にいたご夫婦の存在を強く感じていました。おふたりが家のリビングにいるようす、日頃の生活振りが垣間見えたような気がした。.....店員さんの応対の声音に、親切だけでない、おもしろがっているようす、かすかな傍若無人さを感じたりもしました。

   人間ばかりではありません。シャッターの降りた店、お寺の鐘つき堂、古びた会所の暖簾.....通りすがりの景色から伝わってくるものがある、余分なものはろ過する、或いは無意識のうちに危険を感じてシャットアウトする.......ときに深く味わう。そういう操作をわたしたちは無意識のうちにしているのではないか.....

   そして、10日前、彗星の探索者・木内鶴彦さんの講演会で訊いたことを思い出しました。木内さんは一度病院で死亡の確認をされて、30分後蘇生した方です。その30分のあいだに木内さんは過去・未来にわたる膨大な場、膨大な時間のながれにふれたそうです。木内さんは「人間には、ありとあらゆる生き物が地球で心地よく生きてゆくための調整をする役目があった」と言いました。そして「生き物にもすべてのモノにも意識があり、テレパシー能力がある。人間だけがその能力を失ってしまった」と....。

   以上のことから、わたしが推論したのはこんなことです。.....想像力とはなにもないところから生まれるのではなく、人間が本来持っている感応力と深く関わっているのではないか.......外部から目に見えないある情報や刺激をうけとることでイマジネーションの翼が広がるのではないか.....なぜといって想像力の高いひとでいて感受性の低いひとをわたしは知りません。

   とすると語り手としてのわたしが拠って立っている場所が見えてきます。目に見えないモノ...との交感、交流......(意識を)”ひらく”こと。そういえば演劇のワークショップなどで最初にするのが ”ひらく”ためのエクササイズです。わたしがひらいてきた語りのためのワークショップでもそうでした。ひとがかって他の生き物やモノの意識を感じ取ることができたとすれば、あらゆるひとに能力とそれをひろげるチャンスがある。しかしなかには、先祖がえりのように感応力が鋭い子どもが生まれます。

   打てば響くように理解してゆくひとがいるのは、そういうことかもしれません。いくらことばをつらねても、思わぬところで立ちどまるひともいる、理解されないこともある.....それぞれの資質によって、どこをどう押してゆくか考える余地がまだあります。けれども、根本はそのひとの意識です、学ぶにしても、伝えるにしても。なにを目指しているのか? ということ。 深追いはやめよう、”自分の特性、資質を信じること、充実させること、方法と場は違っても志を同じくするひとたちとゆるやかな輪をつくることにシフトをうつす時がきた”と感じた一日でした。

   そして思うのです。ひとがかつて持っていた感応力、想像力を取り戻すことが、地球をよみがえらせる原動力になるのではないか......他の生き物..動物たち、木や草や花々.....虐げられているひとびと......地球.....そして宇宙..........それらの意識を感じる、受け取る......その一部である自分を感じる........そうしたら生活は変わるはず、思いは変わるはず........わたしは語り手には、そこに聴き手をいざなう....使命があるのではと思います。みなさまは......どう思われますか?.......古語、カツ、ウツ→カタル、ウタウの真義は魂フリ 魂シズメ.....魂を生き生きと甦らせること。ここに円環が、螺旋が出現します。






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   幼稚園のおはなし会の前はなぜか眠れないのです。なんとなくふわふわと過ごし、お風呂のなかで新作の参加型”そんなに急いでどこゆくの?”をやってみました。これは以前カタリカタリでOさんがやってくれたのを、変えたものなのですが、どちらにしても”本番でできあがる””本番でしかできない”ので、そう思ったら度胸もつきました。

   朝になって中学のおはなし会に語る、伯爵の天使 のテキストを確認しておこうと思ったらない!! はじめからテキストなしだったんだ.....出掛けにつくりました。わたしは聴くことで覚え、入力することで確認し 語りでひとやま越えます。その繰り返しでものがたりは色彩あざやかにより精緻になってゆく....

   ”伯爵の天使”は娘のススメで語ったのですが、驚いたことに中一のクラスの女の子が3.4人泣いていました。中学生の心にヒットするものがたりがあるのかな....と思いました。今日はいろあいをくっきり、台詞をなりきって語りました。そのほうが響くものがたりもあります。ものがたりのまんなかで語っていました。たった7.8分でも集中して凝縮して伝えることはできる....うれしい確認でした。

   幼稚園で2クラス語りました。各30分ずつです。おはなしみっつと手袋人形でした。”そんなに急いでどこゆくの?” 新幹線と競争して自転車のペダルをみんなでこぎます。あ、ふわりと自転車が浮かび上がった。 そのとたんわぁっとどよめきと歓声が上がった!! みんな 空を飛んだのです。 ライブの醍醐味ってこういうところでしょうか!! 最初は おはなしのなかで自転車のペダルをいっせいにコグなんて全然考えていなかった....おはなしが生きはじめるとなにかが起きます、生まれます。

   跳んで撥ねて気持のいいアセをかいて図書館に行きました。なんだ...ちっとも膝がイタクないではありませんか! 今日は11月の星のおはなし会の演目を決めます、みな語ったあとでした。”サイパンの青い灯、赤い灯”を語りました。満天の星空に飛び交うB29の青い灯赤い灯.....しばしの沈黙のあと......

   ほかの演目と違いすぎる.....おとなの会でやったほうが.....子どもたちにはしあわせな気持で帰ってほしい......、予測していた反応でした。わたしも語れる、とは思っていなかった......でも思わず口からことばがでていました。
「わたしは語り手は、ものがたりにことよせて真実をたいせつなことを伝えるのだと思っています。たのしい、やさしい、おもしろいばかりが語りではありません」

   帰ろうとしたとき図書館の方から呼び止められました。.....すみませんでした。......いろいろあって万感の思いにその方は.......。わたしは一石を投じたかっただけかもしれない.....ものがたりをつぎからつぎまるごと呑み込むように暗記して語る。....グリム、ルンペンシュツルツヘン、昔話のかずかず....過去もたいせつですが、それだけ?....今もあたらしいものがたりは生まれている。語られなければならないものがたりがある......と思うのです。

   語り手はカナリア.....時代の空気を肌で感じるはず.....であり、夢見です。今 何が起こっているか、起ころうとしているか、........語り手は.......。わたしはあきらめがわるいので、次回はもっとやはらかな反戦、あるいは環境破壊についてのものがたりを持ってゆこうと思います。星のおはなし会は語り手(ストーリーテラー)があつまるおはなし会ではありません、一般のおとなもくるおはなし会、千載一遇のチャンス!! プロパガンダではなく、たのしませ、あるいは泣かせて....ものがたりにことよせて真実を語りたい。


付記
......もちろん、かならずしも事実=真実ではありません。ファンタジーや神話、昔話......あらゆるものがたりが真実を内包しますし、ウソ虚構のものがたりから真-マコト-を伝えるのも語り手です。
......一方で、世界が滅びにむかっているさなか....淡々とものがたりを歌いつづける.....それもすごいことだなぁ....と思う日もまたあります。



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  グランド・キャニオン

    フォーコーナーズを知っていますか? アメリカ南西部、ユタ、アリゾナ、ニューメキシコ、コロラドの四つの州がひとつに交差しているフォー・コーナーズは、コロラド高原といわれる荒涼たる砂漠と、グランド・キャニオンなどの巨大な渓谷に囲まれ、長い間、そこに住むホピやナバホ・インディアンたちによって、聖地として守られてきた土地でした。

    ここはアメリカ大陸の背骨であり、心臓部ともいわれ、またヒマラヤなどと同様に地球の自然エネルギーの震源地であり、もしここが破壊されたら、全地球的な規模の変動が起きてしまうと、ナバホやホピなどのネイティブアメリカンのひとびとによって信じられてきたのです。

    だからこそ、とりわけホピは、この土地はグレート・スピリット(偉大なる精霊)から与えられた土地であり、また地球上のすべての生命のための聖地であるとして、遥かなる歴史の曙から、この大地の番人としてここを管理してきたのでした。

   ところが、フォー・コーナーズ地域は現在、アメリカの原子力司令部ともいわれるロスアラモスを配した、いわばアメリカ合衆国の核開発の心臓部に変貌してしまっているのです。

   フォア・コーナーズは膨大な量の石炭、石油、そして地球最大規模のウラニウムのベルト地帯といわれ、とくにアメリカのウラン資源のほとんどがその大地の下にあります。核兵器であれ、原子力発電であれ、核開発の原点はウラン鉱石の採掘から始まり、その原点の採掘からすでに被爆者が生み出されています。国家的犠牲地区という名称で、ホピやナバホを被爆させながら、多国籍企業によって開発が押し進められてきました。

   いまや、聖地は巨大な核廃棄物の処理場に変わり果ててしまいました。わたしたち日本人にとってもひとごとではありません。日本の原子力発電の燃料のウランの何パーセントかは、この聖地から採られたものが使われています。 つまり私たちも、全ての生命の根源とされるホピの聖地を破壊し、平和利用という名でそれらを消費しているのです。
(阿修羅 より要約)

   今 新疆自治区(東トルキスタン)で暴動がおきています。詳しくはコチラ  中国の圧制に立ち上がったたくさんの方が亡くなられたようです。新疆ウイグル自治区にはさまざまな問題がありますが、なかでもひどいのが核による被害です。

   ロプノールをご存知ですか? 井上靖さんの”楼蘭”シルクロードのあるところです。新疆ウイグル自治区ではロプノール核実験場の付近を中心に、1964年から46回の中国による核実験が行われており、放射能汚染による地域住民の健康状態や、農作物への被害が指摘されています。研究者の推計によると同地域で19万人が死亡しており、健康被害者は129万人とも言われていますが 。このうち75万人が亡くなったとも言われています。 詳しくはコチラ

   ロプノールはチベットにも隣接しています。チベット四川省にも中国の核開発の中心となる研究所がありました。そしてチベットは仏教の聖地です。なぜ、アメリカや中国は聖地を核で穢すのか.....ひとが少ないということもあるでしょう。けれどもっと深い理由もありそうです。最初に資源ありき、その資源を奪い、あまつさえ、ひとびとの信仰の源.....祈りと力の源を破壊する.....わたしは、そこが聖地だから....それも目的なのではないかと思うのです。......しかし、考えてみてください。 これらの聖地は地球にとっても中枢でありますから、その地になされた核実験という暴虐は地球にとってもダメージになるのではないでしょうか? もしかしてアメリカや中国の指導者たちは恐ろしいほど、想像力に欠けている!?........彼らは幼いころ、ものがたりを聴いて育ったのでしょうか? ものがたりの本を読んだでしょうか?

   日本政府はなにをしているのでしょう。いたずらにアメリカ、中国の機嫌をとることに終始して、マスコミも大国の横暴の報道をしません。なにも知らされずに、チベットやウィグル自治区や、ホピやナバホのひとたちは被爆しました。黙っていればいずれわたしたちの上にも地球の異変という禍がふりかかってくるでしょう。




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     ひさしぶりにお芝居を観にゆきました。池袋は想い出の多いところです。メトロポリタン口を降りると、いろとりどりの紗が風にのって目のまえを過ぎってゆき、わたしはそっとふれて風に放し、舞い上がって空に溶けてゆくのを見送りました。メトロポリタンホテルでお土産にジュレを買いました。右手には芸術劇場、左手には3日間、LTTAのワークショップで通った勤労者センター......。曲がりくねった道をゆくとスタジオPがありました。

     「死んだ女」.......中央に棺、電信柱、街灯.....死んだ女に所縁のある6人の男たちがつぎつぎにあらわれ、男の人生、女の人生がうかびあがってまいります。意表をつく展開、リズム、色彩、登場人物のステータス(その場面の力関係)がめまぐるしく入れ替わり、徒党を組んだり孤立したり、人間関係もさまざまに変化します。それはまさしく、演劇的空間でした。

      わたしは舞台を見ながらぼんやりと......芝居は台詞でつづられるのにかかわらず、......コミュニケーションが成り立たない、わかちあえない、”個人の孤独”、その孤独が一瞬でもいい、埋められ、充たされる至福を描くものが多い...なぁと思っていました。”動物園物語””耳””かもめ””彼女の場合”......わたしが揺さぶられた芝居はたいてい、そうでした。そして、それはみな小さな場所で観た芝居でした。

      もちろん、それだけではありません、大劇場で目くるめく演劇的な展開に目を奪われ、歌や踊りに身をゆだね、楽しむ芝居もあります。そうなんだけれども、わたしの場合長く残るのは隔絶された個の「人間」の救い、あるいはレクイエムなのでした。事件がおきる、エピソードの積み重ねのなかで隠されていたさまざまなことが明るみに出てゆく。破綻があり、激情があり、あるいは覚醒があり、モノガタリは終わる、そして予兆がある、希望がある、どんな悲劇的な結末であっても。.......
芝居の原点はエネルギーではないでしょうか。そのエネルギーが観るものを揺さぶる......


     ひるがえって語りはどうなのだろう......今年になって語った、”紅梅”、”林檎の木”は元が文学であるからかもしれません。コミュニケーションの不足、行き違い、誤解が生んだものがたりともみえるのです。終盤、”紅梅で”は誤解が溶けカタルシスが生まれます。”林檎の木”では見かけのカタルシスがあるのですが、主人公のアシャーストに真の覚醒が生まれないために、そこからより暗い深淵が現出する.......という入れ子のカタチになっています。

     もっとふるいものがたりはどうだろう.....”空と海と大地の物語”とか”コカのカメ”.....神話と昔話、それはとてもシンプルな構造です。事件が起こる、パノラマのようにものがたりが展開する、勇気によって愛によって、努力によって、助けによって問題は解決する、そしてある種のオチがあり、その後を予感させながら.....大団円。ものがたりはエネルギーそのもの。

     芝居も語りもものがたりです。芝居は登場人物の台詞のやりとり その確執で展開しますが「語り」では大きく二つに分けられます。①全知の「語り手」による「語り」、②「私」が語る一人称の「語り」ですが、たいてい①ですね。地の文が「語り手」の語りで、そのなかに台詞が散りばめられる、芝居の場合、演出者が陰の神なんですね。芝居もモノガタリなのですが役割分担がされている。だから、演出者の意思と個々の役者のコンビネーションそして観客がひとつになったとき、圧倒的な空間が生まれます。けれども 役者のベクトルがあっちこっちだったりすると面白いには違いないが拡散してしまいます。


     きのうのお芝居は個性的な役者さんが揃っていたのですが、その個性が強すぎて消しあっていたようにも見えました。元夫 元恋人 元初恋の男 弟 息子 がいるのですが 夫や息子、エキセントリックな弟のほうが存在感が希薄なのです。駅の売店で毎朝、毎晩死んだ女からスポ日と牛乳を買っていたゆきずりの男が一番リアルでその男の生活まで見えて不思議でした。描かれ方が一番丁寧....作者に愛されていたのかもしれません。

    視覚聴覚を刺激する各種の効果とか饒舌な台詞から産み出される演劇的空間.......それはある種あそびの部分も含めた空間です、わたしはたぶん.....作者であり演出家である阿藤さんのいいたいことのひとつは元夫の台詞

「......きのうより、今日より、あしたがよくなっていくと思えた頃はよかったなぁ........もしかすると人類は今まで経験していない、暗い悲しい恐ろしい時代を今 迎えるのかもしれない......」

に要約されていたのではなかったかと思うのです。最後のシーンで死んだ女が火葬された灰のなかから咲いた丈高い一本のひまわりの花が”予兆”を感じさせてくれます。

     わたしはJRに揺られ芝居の余韻にひたりながら語りはひとりのしごとだけれど、よりシンプルにストレートに、ひとの孤独と再生、古代のエネルギー、地球の今と未来を語ってゆけるかも知れない.....と考えるともなく考えていました。つらつら書くうちにまとまりがなくなってしまいましたが、最後にひとつ感じたのは静寂でした。間とはべつに台詞のなかに静寂が必要だ....と感じたのでした。




      


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   ロイター通信が 「米カリフォルニア州の財政非常事態宣言」を報じました。

内容はコチラ

    しかし「本当の深刻な問題は、これから始まる」…と言います。というのも、今月末(7月28日)に、カリフォルニア州の発行した州債券の大口返済の期日が到来するものの、それが不渡りになる可能性が非常に高くなってきているからです。(稲田さんMマガジンより抜粋)


    そして、それは単にカリフォルニア州にとどまりません。カリフォルニア州人口は全米第1位、国として考えれば経済規模は世界で8位に相当、立派な大国レベルです。また債権は連邦政府が直接債務保証する形で発行されています。以上のことからカリフォルニア州のデフォルト(債務不履行)は アメリカのデフォルトにつながるだろうというひともいます。元外務省官僚、現國際戦略情報研究所所長原田武夫さんもそのひとりです。

詳細はコチラ....浅川嘉富さんのコラム「カリフォルニア州の財政破綻が引き起こすアメリカのデフォルト(債務不履行)宣言」
        
                 
原田武夫國際戦略情報研究所HP





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    原田さんはアメリカの切り札、アメロ(新通貨)発行が近いのではないかと述べています。アメリカの債務不履行、国家的な詐欺が行われるのでしょうか。8月に訪れるおおきな動きとはこれなのでしょうか。もし、そうならば、再々 お伝えしたように 日本の所有する米国債は紙切れ同然、日本経済も世界経済も混沌と化すでしょう。現在の株価は見せかけという人が多いのです。いずれは通らねばならない道としても、もうすこし時間がほしい気がします。これほどのニュースでも、日本のマスコミはあてにならないので、どうぞ推移を見守ってください。



   ひたひたと押し寄せる波




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    みなさま、おはようございます。こちらは雨が降っています。夫も長男も仕事に行きました。とても静かな時間です。きのう TELで友人ふたりと話しました。9/26に所沢で語りの会があるとか.....3年間研究セミナーで苦楽をともにした仲間たちの”今”が聴けるかもしれない。それはとてもたのしみです。

    きのう、中学校ではじめて”サイパンの青い灯、赤い灯”を語りました。このはなしは、17歳の時、戦時下のサイパンにわたった女性から実際に聴いたことを語りにしたものです。

    65年前の6月17日、アメリカ軍迎撃のため向かった、日本の機動部隊はマレーシア沖開戦で大敗を喫し、艦載機400器を失い、大本営はサイパン島を放棄しました。島のかたちがかわるほど米軍の爆撃を受け、補給路を立たれたサイパンの部隊は水、食糧、医薬品もなく最後まで戦いつづけ、負傷したものは自決。7月 9日 サイパン陥落。兵士30000人、現地の方多数、邦人民間人10000人が亡くなりました。そこで起こったことは筆舌に尽くしがたいことでした。引き上げ船に乗ることができたひとびとにも過酷な運命が待っていました。

    つらいおはなしですから、客観的に淡々と語りました。中学2年生の子どもたちはじっと聴いていました。.....憲法前文とまどみちおさんの詩でしめました。終わったあと、語れたという安堵感とこれでよかったのかなぁ....という気持ちがありました。その日は例会で、反省と打ち合わせのあと、司会の方が語ってほしい...とふってくださったので、語ってみました。聴いてくれたのは13名くらい、わたしよりも年若いおかあさんたちです。

    それはさっきの語りとはまったく違うものになっていました。聞き手にもよるのでしょうね......もともと一人称の語りなのですが、わたしは”そのひと”になって語っていました。.......7分にも満たない語りですが何人か泣いてくださった。.......これがわたしの語りかもしれない。投入する、没入する、それでいいかもしれない、とふと思いました。

    夕べのともだちとの会話で...「あなたの語りはものがたりというよりエネルギーだ」と聞いてそうなのかもしれないと思いました。「ものがたりは覚えてないのだが、強い印象がある」....というようなことはほかの方から聞いたことがあり、それは語り手として未熟なのだろうと思っていたのです。.....というのもわたしは、すきな語り手さんの語るものがたりは鮮明に覚えていて、すぐに語ることができるからです。

    たぶん、イタコやユタのような質があるのだろうな...と思います。それも語り手の本質のひとつでありましょう.....もうかっこつけないで、そろそろガードをとっぱらってできるかもしれません。客観性という内側のガード、なんと思われるだろうという外向きのガードがいままでありました.....すこしずつはずしていこうと思います。

    さて、太平洋戦争もまた、資源、権益、国益のためのたたかいでありました。太平洋戦争に負けたことで、日本は内実アメリカの支配のもとに65年あったわけです。.....実際にわたしがほんとうに気づいたのはごく最近のことなのですが......たしかに見かけの繁栄はあった.....アメリカ型のしあわせ.....車が一家に二台もあって、電化製品が溢れていて、明るいダイニングキッチン、冷蔵庫には冷凍食品がいっぱい、それは今の日本でそうめずらしい家ではありません。しかし家庭崩壊、子どもたちの無気力、多くの問題も生まれました。しあわせになったかどうかは別にしても、地球が支えられなくなったことはたしかです。

    わたしたちは98%リユースリサイクルの江戸という時代、文化を持っていました、日本の農業は山と一体化した循環型農業であったそうです。.....そろそろ日本のほんとうの資産、日本の文化と知恵にめざめてもいいころです。その文化は津波のように押し寄せてきた欧米文明の底に、まだ連綿と息づいています。

    さて、はなしをふたたび戻しましょう。まつたにみよこさんの著書のなかにも、戦争にまつわる”現代の民話”がありました。.....村中のカラスが南方に行った村の若いものたちの死をとむらうためにでかけていった話、息子が魂となって母のところに戻ってきた話、もうすこしたつと戦争の民話は直接の当事者のかたがたから聴けなくなってしまいます。(サイパンの青い灯、赤い灯のおばあちゃまは83歳でした)

    このブログを読んでくださる語り手のみなさま、あなたのまわりにきっとまだ、戦争の思い出を胸に抱いて生きている方々がおられます。.....どうか行ってはなしを聴いてあげてください。その方から受け取ってさしあげてください。そして保存してのちの方々につたえてつないでいってください、市井のあたりまえのひとびとのそれはほんとうの民話です。どこの国もひとも力でもって、他の国や他のひとびとを苦しめてはいけないのだ....とそんな心が自然にわいてくるものがたりです。

    

    



    

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