亀戸のあたりは子どもが多い。江東区は子を持つ親にとって暮らしやすい場所らしい。子どもたちをみると元気がでてくる。だが 線量も決して低くはないようなのが気になった。線量計は持参しなかったが のども耳も痛かった。
ようやく たどりつくと もうみな語り終わっていた。もっとも9人しかいなかった。なにを語ろうかと思ったが 竜神 にした。わたしが語り手たちの会で学んだのは代弁と創作の語りであったから。それは4.22の ディープブルーとはすこし違っていた。終わったあとで あんなおとぎばなしのようなあまい結末でいいのだろうか.....という感想を聴いたとき わたしは思わず口からことばがほとばしるようにでてしまった。
おかあさんたちは 絶望的な気持ちを抱きながら 日々すこしでも安全な食べ物を家族のためにもとめている 何人ものおかあさんが ディープブルーを聴いて泣き 生きる希望がわいてきた といってくれたこと ...... すこしでもまわりをあかるくするために語りたいと思っていること。今 はこれが精一杯であるけれど これから否が応でも フクシマで それから 周辺で 恐ろしいことが起きてゆく ヒロシマナガサキについで語り継いでいかなくてはならないということ。わたしたちは生き方を変えることを迫られ ことに語り部は今こそたちあがってゆくべきときなのだと......
いま おもうと 汗顔のいたりだが とうとうと述べたててしまった.....大事が起きたとき 平常心で淡々といままでとかわらずに生きてゆくこともひとつの見識だと思うし もっと話し合いたかったとも思う。しかし これでよかったのだという気持ちを感じてもいる。自分の信じる道をいけばよいのだ.......それにしても みんな あまりにもフクシマの実情 首都圏の実情を知らない。語り部が真実を求めないで どうするのだとあえていいたく思う。そのつらい現実を認めることからあたらしい希望への一歩はひらけてゆくはずなのだ。
一方 わたし自身についていえば 「聴き手によってものがたりはかわる......それぞれの今でしか ひとはうけとれない」にしても それにしても もっとひとの心の扉をたたく語り部に精進しなくてだめなのだ.....場のちから 聴き手のちからにたよらない圧倒的な愛 圧倒的なイメージ力がまだない。
6月13日 恵美さんとの高尾での語りの会にむけて なすべきことをしようと思う。そして7月に長野で語りの会をひらこうと思う。
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