遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。

 



   雨のしずくがぽたぽた窓の外の叩きを打っている。...見えないそらには重く濃灰色の雲が垂れ込めているのだろう......けれども わたしは月光を感じている。厚い雲を突き抜けた空の高みに皓々と照る月がみえる。雲海が真白なひかりをおび しんしんと輝いている。無音の静寂が支配する虚空にわたしは..いて 月の光をあびている.。

   ようやく...ようやく...透いたリボンがくるくるほどけながらつらなりつながってたいせつなものをゆるやかにむすんでゆく。死んでしまった長啼鳥の躯は石榴の樹下 あやめの下に埋められ、カラの鳥かごは雨に打たれていても...来年 真白の花々は瑞々しく 石榴は紅い実をこぼすだろう....求められる処で語ろう....求められる処で頒かちあおう....ともにひらきあって ひびきあって 歌い 語ろう...満月の真昼野で...

   

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   夫に連れ添って 自治医大病院に行く。雨という予報だったが そらは黄ばんでほのあかるい。「今日はもうかったなぁ..」と夫がいう。雨なれば土木の仕事はできない...月ずえの30日 一日余分に仕事ができたこと...幾許か売り上げが伸びたことを夫はよろこんでいるのだ。

   症状は安定しているようだった。次回の予約をして帰ろうとすると運転してきた息子と連絡がとれない...待ちどに待ったがいっこう連絡がとれないので JRで帰ることにしてタクシィに乗った。夫は電車が嫌いでわたしの具合がわるかろうとなにがなんでも車で行きたがった。...新4号線に乗ると早いのだが わたしは飛ばすのが苦手で一般道をとろとろ走る...場合によっては二時間かかった。..本当にあなたはわがまま...そういってつきあってきたのだが 空いた座席に寄りかかって...「今度は電車でもいいよ」...と言う。....昨日の病院のことも思い出しこのひとは身体でわかれば 素直なひとなのだ...といまさら思う。もっと寄り添って そっと寄り添って行こうと思う。

   長い待ち時間 大学病院の玄関のベンチを借りて友人にTELした...行き場所のない想いの丈をだれかに聴いてもらいたくて....話したとて変わることでもなくて 受け入れがたいものがただただ薄日に照らされて目の前に晒されるだけなのだ....が..黙って頷いてもらえば ひとあし ひとあし 踏み出すことはできる。にがくていとしいせつないやるせない想いの丈をさぁら さぁら とりどりの薄絹のように肩からすべらして 青草のうえにふり捨てていけるような気がする。

   夕方 ガレージでふっと息をついてシートに凭れると...雨が降ってきた。ぱらぱら しとしと ぽつぽつ ほとほと....ガレージのスレートに 黒い鉄フェンスに 櫻並木の緑に 樋から落ちて砂利のうえに 幾万幾千の雨粒が落ちて撥ねてそれぞれの末期の声をあげている...一瞬の生 一瞬のかがやきが倍音となってわたしの五官に沁みとおる。五月闇に盲いたわたしの...。



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   会社に行く。会計事務所 Mさん来社。会社としての要求事項を伝える。リーダー会議で語りかける。しばらく身動きができなかったのが  凍っていたみずうみがゆるみ音を立て水しぶきをあげて 川を奔り出したようだ。実情を知ること そして自分の心を知ることが...たとえそれがつらくても..自分を一歩進ませることになる...。

   この2ヶ月さまざまな方とはなした。身体と心と魂のどの分野でどの深度で話せるか...また それがどこにかえってくるか...浅い海のエメラルドグリーンから深海の漆黒のグラディエーションのように感じるのだった。...現象面から語るほかないのだが...黎明から日没...そしてその果てにいたるさまざまないろあいもまた見える。メールよりは電話...電話より実際に話すほうがいい。想いは光となって文字に宿る..と聞いたことがあるが、音になったことばはまっすぐ心にひびく...だがもっとあざやかに端的に身体が語る...にじみ出るニュアンス...身体の奥から脈々とそのひとの今のありようが...耳をすませば伝わってくる。...閉ざしている扉の向こうからほろほろとこぼれ落ちる....そして それが わたしの今に呼びかける。

   この世界は自己の認識以外のなにものでもない。...どう見えるかどう感じるかはそれぞれのひとの視力にかかっている...身体的な視力と..そして魂の視力...彼岸を見る 見えざるモノを見る 第三の目....(かっては多くの見者がいた) こころは 身体的な視力にとらわれ勝ちだ。...だから迷う。愛やプライドが目にみえるものに左右される。

   まだ 迷っているが 霧はすこしずつ晴れてくる。晴れるにつれ その変化に応じるように具体的な呼びかけもくる。

   わたしはひとびととそれからおおいなるものとつながってゆきたい。その便(よすが)がわたしには語りなのだ。...絵をもってするひともいよう...歌をもってまた写真で...農法で...パンを焼くことで...気づいたひとはこころみる....まだ気づかぬひとも知らず知らず求めている...日常のなかにこそかっていた場所...おおいなるゆるされた場所にいたる階段はある。

   しかし語りには 『場』 が必要である。つながる場 つたえる場が....日常のなかのハレの場が...どこで語るか....だれにむかって....。

   高めてゆくために研鑽することは必要だ。...だが語りのほんとうの場は狭いサークルのなかにあるわけではない。語り手は同好のサークルの外をめざす。ひとの海をめざす....幼稚園や学校や...そしてもっとふつうの巷のひとびとにむかって....それが語り手のもともとのすがたである。想いはさまざまであろう...しかし わたしはそうした志を持つひとびとといきたい。

   

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   ひとのことばには力がある。愛のこもったことばには力がある...「あなたは天才だからやめてはいけない」...そのひとことにわたしは腹の底から笑い、泣きそうになり ついでに目が覚めた。.... わたしは到底天才ではないし、古くからのたいせつな友はどん底やけっぱちのわたしを気遣って言ってくれたのだ。けれど...心を澄ませ、無にしてかたれば なにかが降りていらっしゃる...つなぐことができるではないか。それだから語りつづけてきたのではなかったか.....それが核心であることを忘れてはいけない。ゆらゆらたちのぼるこころの朧に 気をとられてはならない。その奥の想念...真我と意識を結ぶこと....

   そうなると 不思議なことにオファーもきたりするし...事態は展開する。学ぶべきところは学び 闘うべきところは闘い...最善を尽くそう。



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   天城のやまに抱かれるごとき草地 狩野川の瀬音が絶え間なく寄せる草地にて焚き火を囲んだライブがあった。竹あかりは薄闇に滲むよう...焚き火の火はあかあか燃え上がった。

   田所さんのゆびさきからバラフォンのひびきが夕暮れの空気にとけていった。二時間にわたるライブだった。....夜の野外でのライブははじめてで 胸は不安と期待で震えたり振るえたりした。...田所さんのあとをついでゲームと参加型から入った。....

   野外でのライブの留意点は声の拡散である。中世における路傍の語り手たちが楽器をつかい歌を散りばめ語ったのは...音や声の届きやすさもあったのではないかとあらためて思った。セッティング上で一方ないし二方を自然のがけや幔幕その他で封じるのも 効果があるかもしれない。日本の伝統芸能は野外で行われることが多かったから 和の発声は口をすぼめ 声の拡散を防いだ。意味より音の響きに重きをおいたから それでよかったのだろうが 現代の語りにおいてはどうだろう...もっと身体を共鳴板にするような鍛錬が必要なのだろうか。

   一方夜間の野外となるとそれにアイコンタクトが適わぬことが加わる。視覚が閉ざされた状態で語れるかどうか...二つ目のものがたりで試みたが たいそう心もとなかった。アイコンタクトがないと語ることはむつかしい。焚き火と竹あかりでは語り手は聴き手の顔が見えず 聴き手も語り手の顔が見えない。十人程度の少人数で焚き火を囲むか...対面式のセッティングでは 照明をつかうかであろうと思う。

   内容については一年生がふたりいたので 戦争の話や恋物語はひかえた。夏などは百物語など...怖いおはなしも聴きたい...という意見があった。

   ライブが終われば..天城の自然のうつくしさに心を奪われた。空をゆうゆう舞う鳶..緑したたるぶなや姫沙羅...狩野川のせせらぎ...田所さんの天城こどもネットワークの活動の多彩さ...子どもが自然から楽しみ学ぶようおとなたちがしっかり手を組んで支えているようすに感嘆した。そのなかの一環として語りはある。

   語りが目的ではない...より良いより豊かな生へのひとつのベクトルが語りであって憲法も自然の植生も自然医学もみなつながっているのだと思う...自分が生まれてきた目的のためにも次世代のためにもやりたいこと、できること、しなくてはいけないことがまだたくさんある。明け方まで語りあい それでもたりずに天城の森の木漏れ日のしたで語りあったにもかかわらず わたしはより深く混迷のなかにいる。

  中央に見えるのはツリーハウス

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   天城の焚き火を囲むライブはもう明日に迫ってしまった。ライブのまえはなんとなし落ち着かない。田所さんと成り行きで...語りましょう...という段取りになっているので、なにも練習していないし...あたらしいものがたりをふたつくらい...と思っているが さて語れるかわからない。それでもなにかが生まれるかもしれない。あたらしい出会いと発見があるかもしれない...あってほしい...となにがし心は逸る。


....わたしは電話をかけるのが苦手でギリギリの瀬戸際にならないとかけられない。今日 よんどころない事情で中村鶴城さんの奥さまとおはなししたことはひどく心に沁みた。胸が熱くなって泣きそうになった。...これで歩いてゆけると思った。だが そのあとかかってきた電話の答はとうにわかってはいた...が痛かった。このところわたしたちの行く手には暗雲が垂れこめている。....自分の道をゆくだけなら技量と心を磨くだけならなんのこともない...。だが、みんなでともに行こうとするのはほんとうにたいへんである。

  歩き出したひと 実績をすでに上げたひとは如何ようにもできよう...たとえ自己完結であったとしても、自己実現のためだけだとしても、それをとやかく言うつもりはない。誰もが自己の責任においてしていることであって、学ぼうとすればいくらでも学ぶ方法とすべはあるのだから、お膳立てする必要もないのかもしれない。....ロマンティックな思い込みに過ぎないのかもしれない。...だが ロマンティックな思い込みからでいい...ともに舟に乗り込むひとがいてくれたら....

  
  A小学校の年間スケジュールが決まる。...夏のワークショップについてどのコースに行くかほぼ決まる。わたしの持っているささやかなものを手渡してゆくための準備にとりかからなくては...もう時間がない。

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    思い切ればそれが力になる。堰を切ったように動き始める。パナックとの交渉、資金移動....これで来月20日までの資金繰りがついた。一年以上支払いが滞っている顧客に内容証明を2通送る、支払い3か所を済ませる。顔の痣が悪性腫瘍となり5年闘病生活を送っていた従弟に会いにゆき、オファーを送る。彼は大手企業の営業部長まで勤めた...飛ぶ鳥落とす勢いの漢..おとこ..だった。それが立ち上げた事業に失敗し病に倒れた。

    ビウエラレッスン 水戸茂雄先生に今日も話すことができなかった。だが、13日のふたつのライブ 鶴城さんの琵琶と今さんのヴァイオリンを聞いて思いついたことをワタシノビウエラに生かせないか...という問いかけは的中した。琵琶に西洋音階はできないがバイオリンやビウエラは日本の音階ができなくはない。

    日々のいのちのつづりと語ることはつながっている。縒り合せた糸のように....生きる力は語る力...語る力は生きる力...語りたいものがたりが突然 あらわれる。....なにが語りたいか...どちらに行こうとわたしの本然がしているのかうっすらと見えてくる。

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   わたしの息子はゲーマーである。仕事の合間に野試合や公式戦に出る。彼の言によれば 日本には彼と同じキャラ遣いが10000人いるだろうが 自分はその十指に入るだろうというのだ。闘ゲイで販売されている試合のビデオだかDVDには彼の試合も映っているそうだ。...その遣い手のなかでTOPは知らぬひとはいない日本の国技の頂点を極めたひとの息子だそうだ。...その戦い振りたるや戦略もなにもあったものではなく 打つ手がことごとく当たる...確立的にあり得ない直観力の持ち主であるそうだ。

   息子の力を喉から手が出るほどほしいわたしは 「あなたのその力 現実に生かせないの?」と訊いた。すると息子は「おかあさん ゲーマーの力はリアルな能力とは正反対の力だよ」とちいさく嗤った。「...でも、たまにいる。両方とも凄い奴」...わたしは頷いた。ある種の感覚が鋭いということは生活者の能力の妨げになりやすいことを知っていたからである。...感覚が鋭くなったせいか それとも寄る年波のせいかわたしのリアルな能力はひたすら下降の一途を辿っている。

   時間の管理も金銭の管理も家庭の管理も手にあまる。わたしにはマネージャーか秘書が必要だ。このごろは会社に行くのが苦痛でならない。...それは現実的な能力が削がれるとは別に ひとの心を感知する能力に長けてきたせいもある。会社に充満している空気をいたいほど感じる、そこにある悪意を感じるからでもあるのだが 立ち向かうほどの気力は今無い。...つまりそれに拮抗する最大の力であるひらかれた寛大な心持ちにはなれないということなのだ。

   ひとの未来やひとの善性を信じられる...それはすなわち自分の信じてきたもの信じているものの裏打ちがあってのことである。....わたしは今自分自身が信じられず よって他者もこの世界の未来も信じられない...という暗闇のなかにいる。...ここから脱しない、光明がみつからないと語ることもできない...。さぁ...先に進むことはできるだろうか。

   ひとつわかっていることがある。...ひとの心の闇...マイナスに向かう思念やそのあらわれであることばから善きものは生まれない。光に影が生じることはあれど 暗きから光は生まれない...自分の周辺を明るく照らすことがひとの本来のすがたである。...それを忘れずにいよう。今は身動きできなくても 必ずちいさな明かしをかざせる時はくるだろう。リアルな能力に欠けても 現実的な能力(ちから)を持つ人と手を組むことはできるだろうと思う。そして 必要なとき瞬時に他の次元にアクセスできる能力も決して無駄な能力(ちから)ではない...神は不要なちから(能力)をお与えになるはずがない...と思うのだ。...それが重荷になるとしたら それに見合う霊的なちから(体力)が足りないということなのだろう。

   絶望に打ちひしがれそうになりながら わたしは思う。ひとの為したることは良きこともわろきこともことごとく己に帰る。...足らざるわたしは知らずしてまた知ってなお 他者に尊大であったことがあるかもしれず また悪を為したこともあるやも知れぬ。...だが数多の子どもたちの笑顔や輝く瞳...お年寄りの腹を抱えた笑い声...リアルなまたウェブでの多くの友との打ち解けた出会い そして安寧のうちに送った幾多のひとびと...を思いだすとき 無駄な人生ではなかったと...これまで幾たびも乗り越えてきたように 峠を越えることで 一層道が開けると信じて行きたい。



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大きな欅の木のしたのおはなし会...

10:00にうかがい あたらしい園長先生と歓談 それから1時間40分 3クラスに語る 園庭の太陽のしたで 風に吹かれて ...。

   風はなんていってるの?...と子どもたちにたずねると 手をあげた子が「おおきくなってねってうたってる」ってこたえた...「あかちゃんがぐっすりねむれるようにこもりうた うたってるんだよ」....「涼しくしてくれるの」....「寒いときには温かい風であたためてくれる」.... 



  わたしは殺されたこどものことは考えるまい こわれたぬいぐるみのようにあつかわれたちいさなからだ、孤独と恐怖におびえるちいさな魂のことは考えるまい。なかまはずれにされる子どものことも 虐待される子どものことも 子どものからだを砕くクラスター爆弾のことも どこかの国が子どもに危険な薬を売っていることも ...どんなに悲しくても 怒りが煮えたぎっても 口にするまい。
   
   わたしにできることはものがたりを語ること たいせつなこと うつくしいことを響かせること 子どもたちの目の奥の輝きにむけて かって子どもだった魂にむけて ふるくてあたらしくてまことにみちたものがたりを語りつづけること。橋をかけること。
死んだ子のために....これから生まれてくる子のために....

すこしおやすみします。



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   NPOとはNon Profit Organization の略語で「非営利組織」つまり、利益を目的としない組織のことをいう。非営利といっても活動資金を捻出するために販売したりお金を稼ぐのはかまわない。出た利益を役員で分配してはいけないという意味で非営利というのである。

   NPOとは社会のさまざまな課題に対して、自らやるべきことを発見して行動しようとする思いや志を持った個人が集まり、行動し、実現しようとする組織や団体をいう。個人であればボランティア、組織として法人格を持つとNPOになる。

   NPO法人格を取得するメリットとしてはまず組織としてさまざまな契約を結んだり、財産を保有したりすることが可能となる。また、権利・義務関係や団体の責任が明確化されるので、組織としての安定が図られるとともに、対外的にも社会的信用が高まり、寄付や助成が受けやすい。最大のメリットは社会的な信用であろう。一方、適正な会計処理や情報公開など、法人として法的ルールに従った運営や責任が義務づけられ事務処理は煩雑となるかもしれない。

   NPO法人格を取得することは その組織に所属するメンバーのひとりひとりに信用が増すことを意味する。地平がひろがり 可能性は高まる。


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    インスピレーションのない....は芸術ではない...ということばを最近ふたりの方から聞いた。ひとりは鶴城さんだが もうひとりが思い出せない。...語りでもなんでも...前回がよかったからとなぞってしまうと そこで終わる。一回性のいさぎよさ 過去の栄光などなんの役にも立たず よい語りを..感動させよう...うまく語ろう...と思ったら瞬時に自我の世界だ。

    インスピレーション...霊感とはなにか...ひらめきであり、直感である。また ここではないどこかからのメッセージと捉えることもできよう。...つまり インスピレーションを得るということは..すでに日常から離れたどこかとつながっているということである。....だから自分の力以上のことができる。インスピレーションとは為そうとすることに潜在意識がカタチを与えようとする創造の一瞬でもある。 芸術のみならず科学の世界でも大いなる発見をもたらしたのは霊感であった。万有引力の法則も相対性理論も地動説も目に見える日常だけを見る眼であるなら到達しようがない、 直感...インスピレーションが導いたものであろう。

    芸 芸術 芸能については 先だって思うことを書いたが 芸術的語りとはなんだろう。芸術のような語りでいいのか...それとも...ではどうやって...?.芸術とは此処に縛られたわたしたちを束の間 おおいなる かってわたしたちがいたかもしれない場所につれてゆこうとする試みである...とわたしは考える。語り手はつなぎ目(ノルウェイの語り手ベリットさんによれば)..になる...媒介者になり得る、天と地をつなぐことができる...どうやって....カラの器になることで...聴き手の奥処の結晶...アルカディアの記憶を持つ魂をウツことで...そして聴き手とともに響きあう。

    だが...わたしは芸術ということばはあまり使いたくはないのだ。嘗てそれはあたりまえのことだった。ひとびとは木や草 川や山にやどるものを知って崇めた...恩寵を喪った人間がどんなに脆く危ういか知っていた...天とつながることが今より容易で たぶん今より不幸せではなかった。...そこに戻るだけのことなのだから。....
    

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   鶴城さんの小公演があたたかくなごやかで真摯で力あるものだったのは鶴城さんのお人柄 会場 聴き手 そして会場さがしに奔走したスタッフの努力の賜物だった。鶴城さんはいい語りと演奏のときは背筋にビリビリくるそうで 13日もそうだったらしい。わたしは自分の我..ガ..がなくなるときは手がブルブル震えるが 楽器の奏者の手が震えてはたいへんである。...おはなししていると共通の想い うなづきあうことがあって 自分の方向性は間違ってはいないのかな...とうれしかった。

   いい語りはひとの心を結ぶ。つなぐ。なにかうつくしいもの 永久(とわ)なるものにつなぐ。あの日集まった方々は良い時を持たれた。..その日のために多くの時間と労力を費やしたスタッフの方々は参加者の笑顔にほっとし、また いっしょにひとつのことを成し遂げたことにひとしおの喜びを感じられただろう。自分のためだけでなく 他者のために時間を費やしそのことに果を求めないひとにさいわいあらんことを...

   スタッフのみなさん ほんとうにありがとうございました。これからも手をつないで それぞれの持つかがやきをよせあって たのしく心躍るさまざまな取り組みができますように....光あるところには陰もできるけれど 光と陰があってひとつなのだと思う。ひとりひとりがなないろといろにかがやけば陰さえもうつくしいグラディエーションを奏でることだろう。

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    名残惜しくもあったが 講座が終わって早々にわたしは白金高輪に急いだ。その活動に心服している今さんとミヤベさんの集まりに参加する予定になっていたのだ。 若い人たちが6割年配者4割の集まりだった。

    最初にクリスタルボールの演奏があった。そして武満徹に師事していた今さんの曲「幽」がヴァイオリンで演奏された。西洋楽器のヴァイオリンに...長い一音...そして間...という和の作法で作曲された曲を奏させたのである。目の前で若いが力のあるヴァイオリニストが奏でる高音とかすれ...和の音でいうさわり...を聴く。震える。思わず自分の身体を自分で抱きしめる。それは鶴城さんのならいで言えば 透徹した悲の曲だった。

    今さんは「音によって変性した空間を感じてください」という。響きが凝縮している空間は密度が濃く結晶化しそうである。きらきらと尖った結晶がきしりながら犇めきあっている。こうしてことばに代えてはいるが 音とは響きとはことばに代えがたいものだ。感じるものだ。....鶴城さんのあたたかな光と力にみちた空間、今さんの透いて冷たい硬質の空間、......では、語りで空間を変性できるだろうか。

    つぎにホーメイを聴いた。ホーメィとは 口腔の構造を変える 頭蓋骨に響かせることで倍音を発生させる。ホーメィ..だみ声..浪花節の声 スグット 笛のような高音 カルグラ..低い音の三つがある。本来低音は腰で聞く..高音は高いところで聴くのだそうだが ホーメィの低音は聴き手の腰にグヮンとくる。

    響きには霊性をひきだす力がある。語る奏する聴くひとの意識を変え 一音で見えない世界を引き寄せる力がある。13日 ふたつのコンサートから得たものがシンクロする。まったくちがう状況からおなじこと 一音の韻き..の力を伝えようとしている。...



...若干 改稿しましたので 一音の韻き その1をもう一度読んでいただけたら うれしいです。

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   昨日 語り手たちの会連続講座「語りの歴史」で中村鶴城さんの琵琶語りがあった。わたしが鶴城さんを知ったのは4年くらい前のことだと思う。鶴城さんは平曲..平家物語のような悲劇語りのみ語ることに疑問を持ち 魂振り...生命を生き生き輝かせるような語り..光明の語りを目指し 聖フランチェスコはじめ空海、ヤマトタケルなどを創作し取り組んでこられた。鶴城さんの「アッシジの聖フランチェスコ」を聴いたのは2004年の8月のことだ。今日聞いた鶴城さんの「空海」はあの日の語りよりずっと開いていたし澄んでいて 鶴城さんの声と琵琶の音は光のうねりのように身体の細胞のひとつひとつに韻いた。 いつまでもそのなかに浸っていたかった。

   しかし 時は至りわたしたちはあたたかい光の波動のなかから再び此の岸に打ち寄せられる。満足とまだ光のなかにいたい切なさのまじったちいさな吐息をついたあとで鶴城さんに3つ質問をした。

1 「昔 芸能はみな神とひとの対話、祈りでした。現在 語り手や奏者は人の前で奏し語りますが 天と地をむすぶやくわりだった奏者・語り手は 聴き手とともに天と地を結ぶのでしょうか。奏者・語り手は聴き手 観衆をいざなう役目を持つと考えてよいのでしょうか」
2 「鶴城さんは光明の語りとして 聖フランチェスコや良寛 ヤマトタケルなど聖雄聖者を選んでいらっしゃいますが オリジナルの物語をつくろうとはお思いになりませんか」
3 「パブロ・カザルス に心酔していらっしゃるのになぜ楽琵琶(演奏のみで伝える)でなく語り琵琶(語りを主に伝える)をなさっているのでしょう?」


   鶴城さんは目を輝かせ 身を乗り出すようにして 1 に対して「それは30年のあいだ、ずっと考えつづけてきたもっともたいせつなことです。」と言った。....「最初の頃は天に向かって語っていたのですが つい最近...聴き手の中の神...宇宙といってもいいですが....に向かって語るようになりました。2については「なぜかわからないがそういうなりゆきになってしまうのです。たとえば空海を語ろうとすると 所縁のある寺に住まうとかつながりが自然に生まれるのです」...3については..「本当は今でもクラシックのほうが好きですが 琵琶語りをするのは自分の役目を果たすということのように感じています」....わたしが待っていたのはたぶんそのことばだった。

   薩摩琵琶はほぼ垂直に立てて弾く...弦楽器の起源は弓である、目的は弓をブルンブルンと震わせ 語り手の意識を無にする..と書いたことがある。鶴城さんは我 ガ を無くす 真我になることだと言った。日本の芸能には型がある。型の真髄は自分の我..ガ...を無くすことがなのだ...よく(芸が)枯れてきた...というが それは生臭い執着 驕り 上手く見せたい 負けたくない などという小さな我..ガを削って真我...大いなるものに生かされ 大いなるものと一蓮托生である本来の我になるということなのである。

   天と地をつなげるの謂いは 聴き手のうちにある神性に働きかけ響かせること すなわち臼田甚五郎のいう語るの本意 魂をカツ...響かせる...につながるのではあるまいか。6年前研究セミナーに入るとき書いたレポートにユングのことばを借りて 「語りとは聴き手の集団的無意識に働きかけること」だと書いた。そのとき書けなかったことば、ほんとうに書きたかったことばを今書けることをわたしはしあわせに思う。...鶴城さんがすべて終わったあと 聴き手であるわたしたちに深々と床に額がつくほど一礼されたのは わたしたちのなかにある神性に頭を下げられたのだと思う。..そこに天に語るのも聴き手に語るのもおなじであるということの真意を見た想いがした。

   わたしは鶴城さんを知って以来 いつか光明の語りを語りたいと願い....ひそかにそれを語り手としての目標にしてきた。2004年 アッシジの聖フランチェスコ と同じ頃 8月28日に開いたリサイタル「夏物語」の最初のタイトルは 「天の語り、地の語り」だった ...身の程知らずにも鎮魂の語りと光明の語りをもろともに語りたかったのだ。....だが 当時はまだ鎮魂の語りしか語れなかった。いつか語りたいと願い背を押されるように切迫した想いでいた鎮魂の語り「立ってゐる木」「秩父事件」 を今年2/17になんとか語り終えた。...それをしおに光明の語りに一歩踏み出すはずだったのに 三ヶ月も過ぎてまだからっぽでなにを語ったらいいかわからない。過去の語りへの心残りもある...今はちょうど迷いの時だったのである。

   質問したかったことがあとふたつあって チケットの申し込みと同時に鶴城さんにうかがった。...「悲の語り..は語り手の意識が変われば光明の語りになるのではないでしょうか.」..鶴城さんの答えは...「語り手が昇華しひかりのひとになるなら悲劇語りも光明の語りになります...わたしは悲劇語りをかってのように否定的に考えてはいません。聴く人によっては光明の語りがまだ届きにくい 悲劇語りのカタルシスが必要なひともいます。」

   迷いの雲が晴れた。..天の語り・光明の語りをするためには 語り手の器が清くおおらかでなければならない....鶴城さんはじめ わたしの尊敬する方々はそれぞれ自分の役目 使命を自覚して生命と行いとことばを合致させて生きていらっしゃる。まだまだのわたしだけれども 語りや仕事をとおしてすこしでも変わっていけたら 光明の語りも 悲の語りもいつかおなじように語れる日がくる...自分の課題を役目を果たすこともできよう。それを信じて...細かいことは考えるまい ゆだねてゆだねてゆこう。



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   勝子おばさんの見舞いに...福島に行った。準社員さんの火事見舞いが表向きの理由だった。勝子叔母さんは夫の家の本家の叔母さんで 闘病生活を続けていた。叔母さんの一生は我慢の一生だった。夫である叔父さんは弁はたったが好き放題に生き 家にはお金も入れず影に飲み屋の女性がいた。なさぬ仲の息子の嫁とは折り合いがわるく 叔母さんは家を出てアパート住まいをしひとりで暮らしを立てていた。

   色白で痩せ型 若い頃は美貌であったろう叔母さんは料理の腕も半端ではなかった。はじめて本家に行ったとき 突然の訪いだったのに 出された料理は料亭並の美味しさだった。新鮮な秋刀魚を叩いて青紫蘇でくるんで揚げた団子 茄子の味噌いびり..あっという間に出てくる料理は美しくしつらえられて その味とともに今でも忘れられない。

   婿養子を迎えたあと時はずれにできた跡取り(叔父さん)がいざこざのもとだった。姉夫婦を分家にだしたがうまくいかなかった。分家に出た母は祖父の血をひいて火のような気性の美しいひとだったそうだ。母は夫と自分と子どもたち二人分の料理を山の中腹の本家から勝子叔母さんに運ばせていたらしい。饐えていると米びつを投げられたこともあったという。その母は早くに亡くなり 婿養子の父は涙の乾く間もなく二度目の妻を迎えたから 事実上血筋のつながらぬものに財産を分けなくてはならなかった。そして さまざまなことがあった。言葉に尽くせぬことがあった。

   苦しくて 眠れぬ夜がつづいて 叔母さんはある夜夫の残していった煙草に火をつけて吸ってみたという。..すると不思議に眠りにつくことができたという...勝子おばさん、好きなひとがいながら家長である父に従い 逝った姉の夫に嫁いだ母、母の亡くなったあと妻に納まった義理の母...それぞれの女たちの一生を思うとき 胸が締め付けられる。...女たちは夫を当てにはしなかった...時には自分を捨て ときには闘って家を子どもを守った、自分のたいせつなものを守るために 蹴落とすものもあっただろう 綺麗ごとではなかったのだ...生きることは。

   帰りぎわ おばさんはしいたけと夫の好きなたらの芽をつつんでくれた。「おばさん またくるね よくなってね」というと 「...もう 良くはならないいだよ..」と細い声がした。「良くならなくたって 今よりわるくならなければいいのよ...」わたしは細くてすべらかな叔母さんの手をつつみこむように言った。「...そうだね...わるくならなければいいんだね...」気丈な叔母さんは涙ぐんでいた。...わたしは...またこよう..叔母さんの話を聴いて胸に収めよう。

   埼玉に住んではいるが わたしは相馬の森家の嫁なのだ..とまるで新しい発見のようにわたしは思った。気丈でやさしくて男に負けない器量の嫁になろう。



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