勝子おばさんの見舞いに...福島に行った。準社員さんの火事見舞いが表向きの理由だった。勝子叔母さんは夫の家の本家の叔母さんで 闘病生活を続けていた。叔母さんの一生は我慢の一生だった。夫である叔父さんは弁はたったが好き放題に生き 家にはお金も入れず影に飲み屋の女性がいた。なさぬ仲の息子の嫁とは折り合いがわるく 叔母さんは家を出てアパート住まいをしひとりで暮らしを立てていた。
色白で痩せ型 若い頃は美貌であったろう叔母さんは料理の腕も半端ではなかった。はじめて本家に行ったとき 突然の訪いだったのに 出された料理は料亭並の美味しさだった。新鮮な秋刀魚を叩いて青紫蘇でくるんで揚げた団子 茄子の味噌いびり..あっという間に出てくる料理は美しくしつらえられて その味とともに今でも忘れられない。
婿養子を迎えたあと時はずれにできた跡取り(叔父さん)がいざこざのもとだった。姉夫婦を分家にだしたがうまくいかなかった。分家に出た母は祖父の血をひいて火のような気性の美しいひとだったそうだ。母は夫と自分と子どもたち二人分の料理を山の中腹の本家から勝子叔母さんに運ばせていたらしい。饐えていると米びつを投げられたこともあったという。その母は早くに亡くなり 婿養子の父は涙の乾く間もなく二度目の妻を迎えたから 事実上血筋のつながらぬものに財産を分けなくてはならなかった。そして さまざまなことがあった。言葉に尽くせぬことがあった。
苦しくて 眠れぬ夜がつづいて 叔母さんはある夜夫の残していった煙草に火をつけて吸ってみたという。..すると不思議に眠りにつくことができたという...勝子おばさん、好きなひとがいながら家長である父に従い 逝った姉の夫に嫁いだ母、母の亡くなったあと妻に納まった義理の母...それぞれの女たちの一生を思うとき 胸が締め付けられる。...女たちは夫を当てにはしなかった...時には自分を捨て ときには闘って家を子どもを守った、自分のたいせつなものを守るために 蹴落とすものもあっただろう 綺麗ごとではなかったのだ...生きることは。
帰りぎわ おばさんはしいたけと夫の好きなたらの芽をつつんでくれた。「おばさん またくるね よくなってね」というと 「...もう 良くはならないいだよ..」と細い声がした。「良くならなくたって 今よりわるくならなければいいのよ...」わたしは細くてすべらかな叔母さんの手をつつみこむように言った。「...そうだね...わるくならなければいいんだね...」気丈な叔母さんは涙ぐんでいた。...わたしは...またこよう..叔母さんの話を聴いて胸に収めよう。
埼玉に住んではいるが わたしは相馬の森家の嫁なのだ..とまるで新しい発見のようにわたしは思った。気丈でやさしくて男に負けない器量の嫁になろう。
| Trackback ( 0 )
|