遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



  デヴィッド・アーモンドの「肩甲骨は翼のなごり」を読みました。正統を継ぐファンタジーのように思われました。わたしは良きファンタジーを神話の嫡出子のように考えています。表面に書かれるできごとはさまざまですが、根底に流れるのが生と死、甦り....愛による救済...であるからです。 これからお読みになる方のために詳しく書くことは避けますが、個の救いが世界の救いにつながってゆく同じ作者の「火を喰う男」はそのようなものがたりでした。

  心を打つものがたり(ドラマや映画を含めて)の底にはある普遍のテーマが流れていることが多いように思います。「薔薇のない花屋」は最近ではおもしろいドラマでしたが、主人公のふたりの青年、見捨てられお互い同士しか頼むものもない「名も無き戦士」である、陽と陰といってもいいふたりが「涙」を取り戻すシーンが印象的でした。凍り付いていた涙の「雫」は溢れる愛情を受けとめたとき、流れたのです。それも「甦り」にほかなりません。

  父と子、魂の遍歴、男と女のありよう、(日本などでは滅びもまたテーマのひとつです) 神話にはさまざまなテーマが含まれていて、その最も大きなテーマが光と闇のたたかいであり、生と死であるわけですが、テレビや映画だけでなく、アニメ、漫画、ゲームなどのサブカルチャーにもいわば本家取りというほど、色濃く反映しているのは、それらのテーマがひとの琴線に触れるからではないでしょうか?ひとの奥底に埋もれている忘れてはならないたいせつなものを揺さぶるのでしょう。

  さて、今日はハタモトヒロというシンガーの歌をはじめて聞きました。不思議な声でした。風が木の枝をきしらせるような声 体がリラックスするような心地よい声、五官にひびく、骨を震わせるような声...歌詞はいらない メロディラインだけでいい声 倍音が多く含まれていると思いました。



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  ついにくつしたがなくなりました。一昨日までは色違いでもなんでもとりあえず手当てができたのですが、きのうから素足でお仕事、素足デストーリーテリング、スッピンでワークショップ、数年前まで日曜も休日もなく、31日フル稼働 そのうえ夜勤という労働基本法無視が年度末の公共事業の状況でした。往時の盛況にくらべれば….売上半減ではありますが、それでも年度末の忙しさは格別です。

  そのなかできのうはビウエラレッスン、わたしのビウエラがなぜポツン、ポツンなのかようやくわかりました。一音弾いては確認、一音弾いては響きを確認していたのです。つまりミ、ファ、レ、ミ、ファ、ソ、と弾いていた…..語りでいえば、む、か、し、む、か、し、。ビウエラの演奏も呼吸、語りと同じ!! それに気づいたとき なにかがひろがりました。息を吐きながら弾く….だからフレーズがある。歌いながら弾くのはとても自然なことなのです。なれないとむつかしいけれど…..演奏も想いやメッセージを声ではなく音にのせて手わたす....語りと同じなんだ…..なぜ気がつかなかったのだろう….

  今日はやまもとのりこさんのW.S 風さんと演劇集団ポップコーンのひとたちも参加してくれました。やまもとさんはひとりひとりの疑問に答え、ひとりひとりの発声の注意点を指摘してくれました。ポップコーンのひとたちは日頃体育館で活動しているので口跡はうつくしいし、アクセントも美しい、やまもとさんのおはなしでは体育館でマイクなしがいちばん役者さんの発声に負荷がかかるのだそうです。(..戸外はもっときついかも)カタリカタリは情感に頼りすぎているかもしれない、仲間うちで気心が知れているから足りないものがあっても伝わってしまう….そこに頼りすぎているかもしれないと思いました。もっと発声をきっちりやりたい…..と思いました。

  声はのりものです。そこにおのずと乗るものがある、そして乗せたいものがある。やまもとさんは努力でつくれるものがテクニックだといいました。乗せやすくするのがテクニックといってもいいでしょう。呼吸の強さがあります。口腔内の反響があります。横隔膜や骨盤底があります。発声のメカニズムを知り駆使できるようにする、それは身体の鍛え+テクニックです。その他に語りやすい場所や環境というものがあります。ひろさや反響、会場の雰囲気、(語り手が)聴き手をよく知っているかどうか、聴き手の年齢層その他のさまざまなレヴェルというものがあり、その障害を乗り越えるのもテクニック=努力の部分があるでしょう。天性だけではないということ、努力で補えると知るのはいいですね。

   それでは、おのずと乗るものはなにか……ワークショップのあとお食事会で、いちばんてぢかに発声を変えるのはなにかと問うたとき「それはあなたの人生」とやまもとさんは笑いにまぎらせて言いました。悲しみや喜びをどれだけ味わってきたか、どうやって人生と戦い、また抱きしめてきたか、他者への想い、夢やのぞみ 純粋さ したたかさ 固さ やはらかさ そうした私たち自身の「今」が声には乗ります。それも素敵なことですね。わたしたちの声は唯一無二のあなただけの、わたしだけのものなのです。その声を磨いてゆきたいと思います。

   こんなことを申したあとでなんですが、それでもわたしはコンサートに味方の聞き手がほしい。尾松さんからきてくださるとおてがみをいただきました。どきどきします。尾松さんは素晴らしい語り手であると同時に素晴らしい聴き手です。できたばかりの「わたしのディアドラ」を語ったとき、聴いてくださった尾松さんのお顔を今もありありと覚えています。どんなに力をいただいたことでしょう。


   きのう水戸先生が「大それたことを語るのだから….」とおっしゃいました。自分の息子さえ救えないわたしにマグダラのマリアが語れるのか、イエス・キリストが語れるのか、こわくなるときがあります。テキストは日日かわってゆき、練習するいとまもなく、23日はもうすぐそこです。聴き手のみなさまのお力をお借りしてはだかで語るしか、やはりないようです。



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    きのうのやまもとのりこさんのワークショップは素晴らしかったです。すべての参加者に同じことが通じたとは思いませんがそれぞれの参加者ひとりひとりが、自分がこうだと思い込んでいたことが実は違っていたかもしれないことに気づき、またこれでよかったのだと背を押されたと思うのです。やまもとさんはご自身を先生ではなく伴走者である、いはばアスリートのトレーナーであると言います。やまもとさんがプロだなぁと感じるのは参加者を見て、参加者ひとりひとりに何が必要か知ろうとし、できるかぎりの助言を、身体をとおして伝えようとすることです。そのために人数は大切な要素です。30名では30名なりのことができますが、16名から18名がいいかな...上級では8名くらいがおもしろいでしょうね。

    今回の参加者は演劇畑から6.7名、語りから10名、読み聞かせから1名でした。腹式呼吸についてさまざまな考えがあるがわたしは腹筋を鍛える必要は感じませんと明言され、身体の構造上から発声のメカニズムを伝えてくださったのは語り手たちの会と同様でしたが、今回は専門の演劇畑からの参加者もあってか、ことに最後の五分が圧巻でした。

    芝居とか語りをするうえでもっとも必要なことが語られました。最近見た演劇のなかから、ある女優さんにふれられ、全身がピンクに染まるような演技、そしてそれが真っ白になるような演技と賞されました。わたしは目に見えるような気がしました。

    いくつかのいい質問がありました。たとえば仁王さまの声をだすときどうしたらいいのでしょう....答は仁王さまになればいいのです....ノドガイタクなってしまうのですが....それはなりきっていないからです。身体の内側からおきることを大事にする....それがことばを変える....つくるのではないということです....そのために身体の外側の障害になることをとりのぞく....ヒントはたくさんあります。気づいて...気づいたら....どうするか...次回はどうなるでしょう....参加者はどう変わってゆくでしょう。...そしてわたしは....。



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   ビウエラレッスン 水戸先生とわたしの演奏の違いは?と訊いたら先生はわたしの真似とご自分の続けて弾いてくれました。「ホラ、あなたのはポキンポキン切れてしまうでしょう? 余裕がないよね」「....では、どうすれば先生の演奏に近づけることができあすか?」一瞬待って 先生はいいました。

   「音を聴くのです。音が響く...それを聴いてから次の音を弾く」
そうか、語りとおなじだな...と思いました。ことばが聴き手の心に響くのを感じてからつぎのことばを語る..勝手に進まない。...それから音を聴きながら弾いてみました。さっきとはずいぶん違います。

    こんなことだったのか...実に簡単な自明のことなのにまったくわからなかった...弾くことばかりに気をとられていました。やにわに「先生 プロってなんでしょうか?」と訊くと「わたしはプロですが??」「そうです、先生はプロフェッショナルにとって一番大切なことはなんだと思われますか?」「わたしは演奏家ですから、聴いてくれるひとに感動してもらうことです。」

    MHKの番組でイチロウ選手はプロフェッショナルとは圧倒することだと言いました。将棋の羽生さんは揺るぎないひとだといいました。みなさんに共通するのは持続する情熱、ほんとうにたいせつなものを信じつづけ、たゆみない努力を日々続ける、今日よりも明日、明日よりもその先と続けることのように思います。

    一日10分の練習ができない自分をわたしは恥ずかしく思います。これから30分、いや10分でもいい、真摯といえる努力を続けてゆけば、残された時間のなかでどこまでか行けるような気がしました。




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