遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。

 



   このごろ フィギュアスケートのファンに対して「ルールをとやかくいわないで楽しんだほうがいい」「素人がさわいでいる」のような論調をたまたま見るのですが、黒猫さんのブログに興味深い記事がありました。黒猫ちゃん かわいいです。

   はだかの王様のものがたりを知っていますか? 「王様ははだかだ」と真実を言ったのは 博士でも識者でもおとなでもありませんでした。

記事は→コチラ

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    いよいよゴールデンウィークの幕開けです。みなさまは温泉? キャンプ? おうちでまったり? どのように過ごされますか?

.......開票が終わって 議会で市長にモノ申した議員二名 あえなく討ち死。みんなの党公認候補トップ当選でした。地方の選挙は地縁血縁なんですね。米屋、梨屋、蕎麦屋などなど地元の名士が多く立っています。新住民はまとまらないようです。地元に密着した選挙、いわゆるどぶ板選挙が有効なのかな....日ごろの活動が必ずしも投票数に結びつきません。合併した一市三町のうち 旧町長が陣頭指揮をとり 危機感もあって町民一丸となったある町が前議員全員当選を果たしました。

   市と町の議員比は17:17 内々は決まっているという議長も数字上は町が団結すればどうなるかわかりません。町の議員さんは市の議員さんも市の職員の対応も親切がちょっとばかしたりないね...と言ってました。旧市の関係者は町の議員はのんびりしているからついていけるだろうか....と囁いています。

   新市はどうなってゆくのでしょう。けれど どんなにみごとな議会運営をしたところで、議員がくまなく発言したところで 市政には清廉さとともにぬくもりも必要です。一部のひとたちが恣意的に市政を動かすことのないように見守りたいと思います。

   語り部としては今回の合併をおおきなチャンスと捉え、さまざまなグループと交流しつつ、地域のひとたちになにを手渡してゆけるか、あたらしい視野で行動を起こしてゆこうと思います。参加人数があつまれば 8月に

君のいた夏、いない夏
「戦争を語り継ぐ」.....井上ひさし追悼企画

を立ち上げたいと思っています。

   きのう アマゾンから本が届きました。リールの子どもたちの載ったケルト神話......それから マクドナルドさんの5分間で語れる話。切り紙をする女が気になったので取り寄せたのですが 再話してもうすこし膨らませたらおもしろいものになると思いました。訳によるものがたりは、なかには名訳もありますが、得てして生硬になりがちです。ことばをとりかえたり いいまわしを替えたり ほんのすこしの努力で 響きがよくなったり ものがたりのすじがわかりやすくなったり それもたのしみのひとつです。




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    朝 BSで石川さゆりさんが歌っていました。石川さゆりさんは好きな歌手のひとりです。歌にものがたりを感じさせてくれる歌手.....声に響きのある歌手が好きです。


    そのさゆりさんが亡くなられた作曲家 三木たかしさんについて こんなことを言っておられました。「......先生は上手く歌おうとするな それより歌と向き合いなさいと言われました。これがわたしの歌....と決め込まないで.....たくさんの歌があるのだから どんどん歌ってゆきなさいと.......」

    歌も語り(ストーリーテリング)も変らないなぁと思います。上手くないたいとは思わない。心に響く語り部でありたいと思います。怖しずにチャレンジ トライをつづけたいと思います。ようやく昔話を語れる年になったかなぁ......

    きのう 会った方が4/1の桜会から 家のなかでなにかというと「生きるのはよういじゃぁねぇなぁ」ということばが飛び交うようになった...とわらいながらおっしゃいました。そのお宅の流行語になったのは”おさだおばちゃん”のせりふです。

    生きるのはよういじゃあねぇ でも生きてゆかねばなりません。あれから わたしは変りました。一歩も二歩も踏み出し 車も代金のカタに持ってきてしまうし 大の男をはっしはっしと投げ飛ばすごとく叱咤しております。もちろん勇気付けてもおります。風に逆らって疾走するような爽快感と一抹のさびしさ.....と。生きているあいだに夢にたどりつけるだろうか.....きっとたどり着く、この手につかむ、みんなで手を組んで進んでゆく.....残りはだれかがやってくれる......

    朝花はいい歌でした......



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『キス・アンド・クライ』(ニコライ・モロゾフ)転載

........スケート選手として成功するには、日本人であることの良さを残しつつ、同時に日本人離れした部分を併せ持つようにしなければならない、ということだ。私はこれを「脳を手術する」と言っているが、残すべき日本人らしさと捨てるべき日本人らしさが存在するのだ。

残すべき日本人らしさとは.....スケートに対する献身的な姿勢だ。学ぶことに貪欲で、日々のトレーニングから実によく多くのことを吸収しようと努める姿は、感動的であるとさえ言っていい。.....私は、文化という側面では日本は30年先を進んでいると感じている。人々は勤勉でありながらおごったところはまるでなく、つねに他者を尊重し、周囲への感謝の気持ちを忘れない。.....シャイで、礼儀正しい日本の選手たちに悪い印象を覚える者は、皆無だろう。

だが、シャイで礼儀正しい日本のスケーターたちが、氷上でも同じようにふるまってしまったら、表彰台の一番高いところに立つ可能性は決して高くない。育ってきた文化の影響が悪い方向に出て、他の文化圏出身のジャッジには、あたかも自信なく滑っているように見えるからだ。実際、私の目にも、何か罪悪感でも抱きながら滑っているようにさえ見えることがあった。

そのような演技では、満場の観衆を魅了することなどとうていかなわない。技術的には劣っていても、自らを魅せることに長けた、自信に充ち溢れたスケーティングを披露できる選手を相手にしたら、簡単に敗れてしまうだろう。

捨てるべき日本人らしさとは.....私がまず取り組んだのは、高橋大輔や安藤美姫の中に自信を築き上げ、もっと自由で開放的な人間にすることだった。 .......生まれながらにしてスケートの才能を授かった者は、リンク外でよりも、氷上でこそその本領を発揮し、もっとも魅力的な存在でなければならない。いくらリンク外では朗らかで、表情豊であっても、氷の上に立ったときにそうした面が出せなければ、スケート選手として失格だ。

たとえば美姫は、リンク外ではいつも笑顔で、とても気遣いのある温かい女性だ。でも彼女が初めて私のもとに来たとき、演技中の姿からはその人柄を感じ取ることができなかった。リンク外での自分をそのまま出せれば、もっと生き生きとした美しい演技ができるはずだった。 大輔もまた、素晴らしい素質の持ち主だったが、演技の面では物足りなさを否定できなかった。芸術的で感情的な表現をしたいという意志はあるのに、彼のシャイな性格がそれを妨げていたのだ。

誤解を恐れずに言えば、スケーターとしての成功を収めるためには、「自分を売る」ことにうまくなる必要がある。スキルや特徴があることは大前提だが、それを最大限に活かして、自らの魅力を増すことに利用すべきなのだ。

荒川静香や浅田真央にも同じことが言える。彼女たちは特別な才能に恵まれており、たとえば静香の柔軟性は他の選手たちにはない大きな特徴であるのに、彼女は上手に「売る」ことができなかった。プロに転向した今、静香は自分を魅せることに習熟したが、競技選手時代には、ただ持っているにとどまった。今のところ、真央も同じ状況にある。

世界中のコーチの間で、日本人でもっとも表現力があると評価されている選手は村主章枝だが、それは彼女が「自分を売る」ことに長けているからに他ならない。「売る」という言葉に対して、日本人はネガティブな印象を持つようだが、銀盤の上においてはそうではない。その先入観を取り除くことが、日本人選手を指導する際に必要な「日本人らしさを捨てる」.....手術なのである。


.............

......「自分を売ること」という表現はかつて日本人の美徳とほど遠いところにありました。ことばを換えると"スキルを最大限に生かし自分の魅力をアッピールすることを恥じるな"ということなのでしょうか。自らを差し出すことを恐れてはならないとわたしも思います。おおきなステージほど踏み出さないと開かないと観客 聴き手には伝わらない。けれども 高橋大輔の”道”があれほど魅力的だったのは自分を売ることを躊躇わなかっただけではない、高橋大輔の内面が変わったからではないでしょうか。およそ芸というものにはすべて内面が出る。そのパーソナリティが見るひとには見えます。自分を売る=魅せる表現は一歩間違うと品の無さにつうじます。

......「静香は自分を魅せることに習熟したが、競技選手時代には、ただ持っているにとどまった。今のところ、真央も同じ状況にある。」
.....浅田真央が魅力的でないとでも......浅田真央の魅力は魅せようとしないことにあるような気がわたしにはします。浅田真央は”そのもの” になる力を持っています。つくるのではなく魅せるのではなく、”鐘”も”仮面舞踏会”もシーズンの最後には音楽そのもの、プログラムの精神そのものになっています。

   作曲家中村洋子さんのブログに.....

......技を出さずに、氷面を滑走している時の彼女の肩には、音楽の拍子とピッタリと一致した、小刻みな動きが見られました。これが、観客を飽きさせず、彼女と一体となって、「4分間」を楽しませる原動力であると、思います。演技する浅田真央さんの呼吸と、観客の呼吸とが、一致するのです。観客も、自分自身が演技しているように思ってくるのです。
これが、芸、あるは芸術、技でしょう。これは、音楽や舞台芸術でも、同じです。.......

とあります。「演技する浅田真央さんの呼吸と観客の呼吸が一致する」”観客も演技する”というより、観客もその音楽を、プログラムを、浅田真央とともに”生きる”のです。これこそ たぐいまれな表現者ができること.....ひとびとは観るだけより 自分も感じたい 喜びたい 泣きたい 輝かしい一瞬をともに生きたいのです。呼吸ーー息ーー生きるなのだそうですが...とても含蓄がありますね。

    役者の演技で、語り部の語りで、あるいはその他のあらゆる芸で........観客、聴き手がおなじ呼吸をする ものがたりのなかに呼吸して 同時に自らのいのちを生きている。ときに実人生よりくっきり輝いて生きている。それができる役者や語り部.....踊り手、歌い手はほんものです。浅田真央さんはそれができる氷上の舞姫......鍛え上げた身体、磨きぬいた技術 そして.....透明なこころがその奇跡を可能にするのです。

    浅田真央さんの演技を見て浄められたような気がするのは 惹かれずにおれないのはわたしたちがずっとずぅーっと昔にいたところを思い出させるから.....のような気がしてなりません。光のような凝縮した一瞬です。魅せるではなく存在する、ともに生きる....ありがとう........。


音楽の大福帳は→コチラ

    





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   EUがゴールドマン・サックスに対し訴訟を起こしているという記事をご紹介します。
記事は→コチラ

その訴訟理由は先日噴火したアイスランドのエイヤフィアトラヨークトル火山なんです。火山とゴールドマン・サックスとの関係とはどのような物なのでしょうか?


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......などとこのごろ よく目にしますが うんうんとうなづきたくなる日でした。きのうにひきつづき 今日 10軒 営業をしました。1軒は一度うかがったところでした。9軒ははじめてうかがうところ、そのうち4人の社長さんは面識があります。会合でご一緒したのです。

   一緒に飯を食う、酒を飲む....これはしごく大事なことなんですね。ものを食うというのは本性をさらけだすことでもある....おさとも知れる 人柄も見える。そこでお互いに腹を見せ合うのだとよくわかりました。なんかこう通じ合うものができているのです。仕事の話もスムーズに運びます。

   腹に一物ある....これもそのひとから発する波動でわかる。はいっていかないんですね。やはらかいなかに拒絶の壁を感じるひとがふたりいました。

   そのひとのストーリーのなかに飛び込むことができる、あるいはこちらのストーリーのなかに呼び込む これが成功の鍵 うまくいけば前者のほうが心地よい。とってもハッピーにことが運びます。10軒のうち2軒 手ごたえがありました。あとは今後の営業次第.....反対に2軒はむつかしい。たぶんだめだろうと思いますがあきらめるつもりもありません。

   グループを率いてゆくのは同じ夢を追いかけること ひとつのものがたりにみなを巻き込んでゆくことじゃないのかな.....とも感じました。カリスマ性ってそういうものなのでしょう。それには自分自身が確固としたビジョン 静かに燃えるものを持っていなければなりません。醒めない夢 褪せない望みを。そしてできるなら透徹したまなざしを。

   


   

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    子ども手当申請の受け付けが市区町村で始まり、役所の窓口には「大量申請」の問題も起きている。兵庫県尼崎市では22日、50代とみられる韓国籍の男性が窓口を訪れ、妻の母国・タイで「子供554人と養子縁組している」と説明し、手当を申請しようとした。外国人の申請に必要な送金記録や、面会を証明するためのパスポートも持参していたという。厚生労働省が「孤児50人と養子縁組した外国人には支給しない」と例示していたため、尼崎市はその場で同省に照会、受け付けないことを決めた。

    証明書類偽造のリスク 暴力団の介在 などの危険性がある子ども手当....趣旨はわかるが、とりあえず日本に住む子ども あるいは日本人の子どもに限定するのはどうしていけないのだろう。 参議院選挙の目玉とはいえども 考え直す勇気、しっかり取り決めをする勇気も必要ではないか!?



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桜子さんがコメント欄で紹介してくれたユーチューブが消されてしまいました。そこで....

ニコニコ動画:フジテレビフィギュアスケート報道暗黒の歴史前編は→コチ

右下の....をクリックすると画面のコメントは消えます。
あるいは上級者モードにしてみてください。
たしかにあらためて見ていると いじめのようにしか聴こえない。浅田真央さんよく我慢しているという気持ちになります。天下のテレビ局がここまでやる.....

後編は→コチラ
うーーむ 音声や解説の捏造もはっきりわかるし 日本の国旗掲揚シーンはないのに韓国の国旗掲揚はしている。映像を並べるとはっきりわかる。フジテレビは謎のテレビ局ですね。


ISU国際ジャッジ藤森さんのコメントは→コチラ
6:13くらいからラストまで....。

フィギュアスケーターⅡは→コチラ   最強戦士 不死鳥MAO!!

やっぱり載せます。
元ネタアンサイクロペディア:スケーティングは→コチラ

キャラ紹介がおもしろい。



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    三年一組の教室で「やっぱり 森さん!!」先生と思わず抱き合うところでした。A小学校の特別支援学級のご担当だったA先生との再会です。わたしは二年間クラスにうかがいました。なつかしい子どもたち....どうしているでしょう.....天使みたいな知的障害の子どもたち、最初のうちは見ているのが苦しかった情緒傷害の子どもたち.....けれどもしだいになじんでおはなしを聴いてくれ いっしょにゲームを楽しむようになったのでした。

    特別支援学級の子どもたちにはもっとてつだってあげられることがあるような気がします。.....気持ちと身体をしずめるのにアレクサンダーテクニークはとても有効でした。脱力と集中 そこにもっと光をあててみたかった。ことばの感覚.....がときにユニークでおもしろく ことばをつかってもっとなにかできそうな気がしたのでした。

......ともかく 今日は3年1組のおはなし会です。タイトルは六羽の白鳥
......王様が狩の途中 深い森で迷子になり どうしても出口がみつかりません。すると魔女が「自分の娘と結婚するなら出口を教えよう。さもないとお前はさまよったあげく、この森で死ぬことになる。」というのです。王様は命が惜しかったので約束とおり、魔女の娘を后にしました。けれども后に何か恐ろしいものを感じて 前妻の子どもたち 6人の王子と妹姫を遠く深い森の中のお城に隠すのでした。その城には王でさえ精霊のくれた糸だまがないとたどり着けないのです。糸だまをころがすところころころがって王を子どもたちのいる城に案内するのでした。

   たびたび王のすがたが見えなくなることに気づいた后は家来を問い詰め、糸だまを手にいれると 6枚のちいさなシャツを縫って森の奥のお城に向かいました。そして父王と思って駆け寄ってきた王子たちにシャツを投げかけると、王子たちはたちまち白鳥に姿を変えられ なきながら飛び去っていきました。........妹が一言もしゃべらず笑いもしないという禁忌をまもり ゆうぜん菊で六枚のシャツをぬうことでしか兄王子たちの魔法はとけないのです。

   妹姫は木にのぼり ひたすらシャツを縫い続けますが とうとうある日 この国を治める王の家来に見つかってしまいます。王は娘の清らかなうつくしさに驚き、口もきけず笑いもしないこの娘を愛し、后にしました。けれども王の母はそれを喜びませんでした。后に男の子が生まれると赤子を隠し 后の口に血を塗って 「后は魔女だ、赤子を食ってしまった」と訴えるのです。王は后をかばいましたがふたりめの子どもがおなじことになったときかばいきれず とうとう后は火あぶりにされることになりました。

   刑場にひかれてゆくとき后は日夜ぬいつづけたゆうぜん菊のシャツをかかえていました。薪の山に火がつけられそうになたっとき 六羽のまっしろな白鳥が后をまもるようにまわりを飛びました.....后は持っていたシャツを投げました。シャツが白鳥にふれるやいなや白鳥は王子にすがたを変えました。けれども六番目の王子だけは左の肩からつばさが生えていました......

   このものがたりによく似た話にケルトの”リールの白鳥”という恐ろしくもうつくしいものがたりがあります。キリスト教に侵食されるまえの原話を知ることができたら.......ダユーのイスの物語もそうなのですが、どこかに古いかたちのものがたりが残っていないかと思います。古事記どうよう インスピレーションで組み立てるしかないのかもしれません。




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日曜日 晴れわたった空、青いそら 瀬織津姫にいざなわれるようにたどりつきました。


     

林檎の木(ゴールズワージー)のミーガン....風が黒いスカートをまとわりつかせ、くしゃくしゃの黒い帽子を風になびかせ 青い空を背景にくっきり立ったミーガンが目に浮かぶような草原でした。



土手を越えると一面の菜の花が風にゆれていました。ひばりがさえずり ちょうが花々にたわむれていました。.....たんぽぽ からすのえんどう ふじばかま いぬふぐり....

     

お弁当は新たまねぎを炊き込んだおむすび、ハムとチーズとトマト、レタスそしてゆで卵のフィリングのサンドウィッチ.....娘たちは散歩に出かけ、わたしは”林檎の木”を語りました.....なんという夢心地 いったい自分はなにをしたのだろう....どうして こんなに急に うつくしさの、同情の、あるいはただ春のとりこになってしまったのだろう.....アシャーストは心のうちに満ち溢れる、このあたらしい春の感情と獏とした不安につつまれ.....

     

名残を惜しみつつ、土手をあとにすると奇妙な森 蔦のからまった巨木がありました。近づいてみるとそれは....八幡神社の森だったのです。

     

森は鬱蒼と小暗く....表にまわり 鳥居をくぐって参拝しましたが、あまり感じませんでした....ところが参道をかえるとき そこここで響くのです。なにかに呼ばれるように近づくと木が呼びかけているのでした。杉や...銀杏.....わたしは数本の木に祈りました。手をかるくあてて交流しました。なかには涙がでてくる木もありました。



お社は荒れておりました。かえりみるひとはそう多くはないのでしょうか。日本中の鎮守の森がお社が荒廃しているように思います。なかにはしっかりおまもりくださっているところもありますけれど........ひとの心が荒むのとそれは無縁ではないような気がいたします。




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   亡くなってもう18年になりますね。尾崎さんを知らない娘が生前のフィルムを見て「どこかマイケルに似ているね」といいました。尾崎さんは”愛”と”正義”と”真実”を歌いつづけました。聴いているコチラが恥ずかしくなるほど ストレートにまっすぐに.....。ただストレートなだけでなくこまやかな描写 こまやかな歌唱には臨場感があって 聴いているわたしたちはいつしか黄昏の街に佇んでいるのです。

   きれいごとの歌は星の数ほどありますが ストレートにそれもうつくしく響く歌は少なくなりました。自作の詞...ことば 自作の旋律と 卓越した歌唱 ひとの魂に飛び込むようなかほどの歌い手はそうそうはあらわれないと思います。

   わたしも昔は、はだかんぼの語り....心に突き刺さってくる語り と言われたものですが すっかりソフィストケイトされてしまったようです。今 尾崎豊さんが生きていたら どんな歌を聴かせてくれるだろう....

   ”黄昏れゆく街で” ”Forget me not”が好きでした。

   

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         子ども読書の日

      

      

     終わったあとで記念に撮った写真にオーブが写っていました。

オーブについてはデジカメでしかとれない、空中のほこりとかも言われますが、今まで写ったオーブはティンシャを鳴らしたあと、神楽などの神事 神社などの写真でしたので、ただそれだけではないような気もします。今日で休会しますので 図書館行事への参加はこれが最後になりました。

子どもたちにというよりはあつまってくださったおかあさんおとうさんに語りました。
......

おかあさんうさぎとちいさいバーニィのおはなし.......

........

「おかあさんはぼくにどんな子になってもらいたいの」

「バーニィはバーニィのままでいいの」

「おかあさんはバーニィがだいすきなんですもの」


.....バーニィはこれからおおきくなって....ひとりであるいてゆく.......おかあさんはずっとずぅーっと バーニィを見守っているわ........さぁ バーニィ こっちへおいで おかあさんはちいさいバーニィをだっこしました。ふたりはタンポポの野原でおひさまにつつまれて とてもしあわせでした。)





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  くせと個性は違うと思うのです。ひとは生まれつきそのひとだけの輝く個性を持っています。双子だからって性格はおなじではありませんね。

  くせは生活のなかで後天的についたものです。靴の底の減り方左右違いませんか? 利き手、利き足?がありますが、わたしの場合は身体の右側が固いのです。戦闘的な性格のひとはそうなりやすいと読んでなるほどと...思いました。先日 ベッドのなかで右手のこぶしを握り締めて寝ていることに気がついて びっくりしました。寝ているあいだもリラックスするどころか戦っている!? これはまずい。当然のように身体の具合がわるく しばらく夜眠れていなかったのです。

  身体の柔軟性は筋肉のやはらかさだけでなく、”筋膜”の存在を知ることがたいせつのように思います。筋膜はボンレスハムを包んでいるネットのように筋肉を包んで骨格につながっていて、生活の仕方、身体の使い方で次第に固定されてしまうのです。この筋膜をはがす方法に”ロルフィング”というのがあるのですが、残念ながら安くありません。

  そこで わたしは二年前から友人家族とともに自力整体をならっています。筋膜をはがすのはただ身体の柔軟性を増すだけではありません。張付いている筋膜から骨格をはがし 自由にすることで 声がかわってくるのではないかと思います。倍音は身体の骨格や内臓と共鳴することによるので倍音が出しやすくなるのです。語り(ストーリーテリング)は身体と心と魂でするのですからこれはわたしの語り部修行でもあります。おまけに筋肉にリンパ液などが浸透しやすくなり血液の流れもよくなります。

  自力整体というより今はバレーのエクササイズや他の先生の筋肉ほぐしをとりいれた穂積式というものになっているのですが、気がつくことは身体の左右差です。そして気がつくことから身体は目覚めはじめます。はじめた当初 わたしのひざは固まっていてまっすぐ伸ばすこともできませんでした。眠る際もひざの下に布団を入れねばならず、夜中に何度も起きました。足を伸ばすたびに ポキリとひざから音がしてひどく痛みました。

  それが 週に一度のあつまりで身体の筋肉をほぐしていくうちに、二年経った今 足はまっすぐ伸ばせるようになり、屈伸のやはらかさは息子を驚かせるようになりました。四肢からはじまって 体幹の重要性にようやく気づき 毎日かかさず身体と向き合っています。

浅田真央さんが身体のくせをリセットするエクササイズをしているというニュースと真央さんのうつくしいポジションに触発され 娘は3週間でY字バランスができるようになりました。......わたしは....まだまだですが二年後にはできるようになりたいです、Y字バランス!!。身体のくせ.....ゆがみは生活からくるのです。そして....不思議なことに身体のくせをなおしてゆくと....心も変ってゆくのです。とらわれからはずれて次第に自由になってゆく。

ロルフィングとは→コチラ




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    週刊朝日のことはお話しましたが、今度は産経新聞です。

テレ東、アイスショウ真央転倒を偽装は→コチラ

テレビ東京の島田昌幸社長(65)は23日の定例会見で「あくまでショーなので問題はない。選手の妙技を見てほしかった」と説明した。

差し替えのことを報道するのはかまわない。しかしそれをするならフジテレビの音声や解説の編集、日の丸掲揚シーンの故意のカット.....のほうがよほど問題です。ショウではなく競技の録画放送で意図的にされたことなのですから....。まず そちらを報道してください。フジテレビの捏造についてネットで騒がれたので その報復というか狙ったというか、姑息な報道です。産経新聞についてはいろいろありますので これから検証してゆこうかと思います。

アイスショウを見た人の感想:愛される女王浅田真央は→コチラ



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    一昨日の記事が誤解を招く内容であったかもしれません。つい 櫻井美紀さんの足跡をたどる際 力が入ってしまいました。テキストによる語り、ストーリーテリングの即興性について補足しておきますね。

    わたし自身 テキストとおりきっちり語るものがたりがいくつもあります。ラフカディオ・ハーンの雪女、うば桜など 松谷みよ子さんのさるのひとりごととか月の夜さらしなどのものがたり それから大旅行とか......あとでつくづくわかったのが それらのものがたりは語り部の目線で書かれたものなんですね。ラフカディオ・ハーンは節子夫人に....もっと語ってください あなたのことばで....と頼み 節子夫人の語る昔話にヒントを得て本を出しました。松谷みよ子さんはご自身語られました。大旅行は...父親が語るおはなしでしたね。今はもっと語り手目線の本が数多く出ています。それから手記 実際にあったものがたり....戦争体験なのどもそのまま語りやすいのです。ひとの肉声が感じられるからでしょうか。

あとはコメントに書いたことをまとめてみます。

........語り...ストーリーテリングとは一回性のもの。その日の天候 あつまるひとびと ストーリーテラーのコンディションなどによって そのつど ものがたりはかわってゆきます。まったく即興のものがたりというのは 一回性においてもっとも純粋ですが とどめおくことができません。

    本のなかにとても語りたいものがたりとの幸福な出会いがあるのなら、テキストとおり きっちり覚えるのも大切なことです。即興性はそのようなテキストとおりのものがたりにも生まれます。思わずその場の力でことばがかわってしまうことがある、それだけでなく 抑揚や声の大小やありとあらゆるものが、聴き手にこころをひらくことで変ってゆくはずです。自分のなかに生まれる即興性をおそれないでください。文字のひとつひとつにこだわらなくて大丈夫、それはあなたがストーリーテラー(語り部)であるしるしなのです。

    そして、できるだけ たくさん よい語りで出会われますように.....よきものがたりは聴くだけで語れると気づかれるでしょう。ちいさなものがたりから試してみてください。それは即興の回路をひらくきっかけになるかもしれません。


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