遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



   朝 本町小のおはなし会があった。予定がはっきりしなかったので プログラムを考えておらず 朝 ノートを見ていままでのおはなしを確認して決めた。今の語りの予定では一クラスを二年に一度しか回れない。それで語る内容も決まってしまう。学年で語るおはなしをおおよそ統一しているので それも語り手としては若干のストレスになる。おなじおはなしばかりつづけて語っていると飽きてしまうからだ。ほんとうは その日の風のいろとか 聞き手のみなさんの顔色とか、季節とか その日の匂いのようなもので おはなしを決められたらいいのにと思う。

   4年生は2クラス?3クラス?  夏がきたことから「わたしがちいさかったときに」を語ることに決める。..それからと考えて コカのカメを最初に持ってくる。子どもたちは 最初 恥ずかしそうにしていたが いっしょに手拍子をして歌ってくれ 楽しんだ。 ...60年前の戦争のことを話したとき 戦争があったことを知らない子がいて驚いた。まっすぐなまなざしが魂のこもった目がわたしを見つめている。このために語っているのだ。1クラスで3人の子どもの魂に刻印を残せたらそれでいい。

   自分の語りについてこれでいいのだろうか この語り方で? というかすかな不安がつきまとって離れない。3年前ディアドラのとき かけつけてくれた役者で友人のjunさんがわたしの語りの魅力はひとことでいうなら 不安定さにある...といった。それはいかにも的を得ていた。ディアドラのときは テキストが前日まとまったばかりでもあったのだが 揺らぎという 意味でも未熟...という意味でもわたしの語りは不安定であったと思う。 わたしはそこから すくなくとも 未熟さからは脱却したかった。この三年の努力が実ったかどうかはさだかではないが 人生のうえでいくつか峠を越えたことから 断固としてまた決然としてきたことはたしかであろうと思う。...不安定な魅力にかわるものを果たして得たのか ずっと聞いてくださった方にしかわかるまい。

   それでも これがいまのわたしの語りなのだ...と思う。悩んでも仕方がないではないか。このまま進むしかないのだから...。今日はおはなし会のあと 電車でいった夫の後を追って 栃木の病院に行く。戻ってから事務所でしごとをして また夫とともに板倉に行く。一日200キロを走ったことになる。病院での託宣はわかってはいても衝撃で すこし無口になった夫にこころを添わせていた。こうして 寄り添って生きてゆこう。ふたりしての目指すもののために...そうしてわたしは もうひとつわたしの目指すもののために耳を澄ませ 心を澄ませ 目を見開いていよう。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




    朝 おはなし会 午後から板倉打ち合わせ 加須によってお誕生日のルイと対面 だっこして 夜宝塚へ行く。和央ようかさんと相手役の花総さんのお別れ公演なので 披露宴なみの盛装でいったら駅の階段で何度もスカートの裾を踏んでしまった。

    スペイン内戦、報道カメラマンが内戦の真実を伝えようとする。彼は「あなたと同じものを見たい」といってくれた女性劇作家とスペインで戀に落ちる。 自らを根無し草(デラシネ)と自嘲していた彼だが スペイン人におまえたちは外からきて写真をうつしまた帰ってゆく人間だと詰られ 最後は銃をとってともに闘い 死んでしまうというおはなし。

    よくできているのだが 内戦のどろどろを宝塚的小綺麗さでやるのは無理がある。宝塚は歌舞伎とおなじ「型」の芸なのだ。男役がどうすれば端正に美しく、女役がどうすればたおやかに美しく見えるか 極限まで考えられている。それはジャニーズのみなさん方の比ではない。 和央さんときたら8等身どころではないし、決めの立ち姿の一瞬一瞬が目を見張るように美しい。しぐさのひとつひとつ髪をかきあげる 視線をそらす 肩をそびやかす...そして手の表情がこよなく美しい。花総さんもこれほどうつくしいひとはそうは出ないだろうと思われる娘役なので、できればこのような中途半端なりアルな話ではなく大ロマンで終ってほしかった。

    宝塚でリアルな芝居をすると嘘っぽく見えるのだが うそにうそをかさねたような大悲恋はぜんぜん嘘には見えない。不思議な空間である。これはテレビやDVDなどの映像ではだめで 実際の舞台でしか起きないのは観客の夢を見たいという強い欲望も介在しているのかもしれない。テレビでは等身大のスターだが 板にあがったときのオーラのすさまじさは後光が射しているといってもいいくらいだ。美の美 なんの役にも立たない美 ただ観る者に日常の憂さや疲れを忘れさせ また歩き出す力を与えてくれるという大衆芸能の原点。語りだって高尚な芸術があってもよいが 見るひとがしあわせになる 猥雑な笑い話だってもっと復活してもいいのだと思う。

    いろいろ書いたがわたしが和央さんを好きなのはじつはその聲にある。男役なのにソプラノ のびやかな澄んだ聲がどこまでもどこまでひろがってゆく。空や風を感じる聲。

    ウソの嘘については また後日 考えてみたい。




    
    

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




    小学校,6年生の朝のおはなし会でライフストーリーとつつじの娘を語る。ライフストーリーは「父の思い出」のバリエーション。トークもまじえて戀について。まっすぐな目がいくつか...このお話は女の子の心に迫るようだ。終ってもしんと物音がしなかった。※もうすこしことばを吟味する。 まつたにさんの文体がでてしまうが 語りを重ねてゆくうちにかわってゆけるだろう。

    校長先生ならびにA学級の担任(小沢先生の民話の会に入っていた方だった)と打ち合わせをして 9月から別途A学級ではじめることになった。わたしとしては一方的に語るのではなく いっしょに遊ぶ 簡単なエクスサイズをしてゆくかたちで様子を見ながら進めたいとおはなしする。

    さぁ 勉強しよう、簡単なカリキュラムを立てよう。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




  朝 おはなし会 今日は5年生だった。視聴覚室にはいると とてもおだやかでやはらかな雰囲気 水のおはなしの写真が見つからなかったのでひさしぶりにほうすけを語った。おんちょろちょろと ほうすけ それからわたしがちいさかったときにから一編 最後に まどみちおさんの詩 たんぽぽ学級の子どもたち5人もいっしょだった。ときおりひとりごとを話している子がひとりいたが いつもよりずっと集中していたとのこと。校長先生はほうすけに感銘をうけたご様子だった。

  終ったあと お茶をいただきながら校長先生から泥かぶらの話をうかがう。真山美保さんの戯曲で50年のあいだに10000回上演された名作である。村中からいじめられ 泥かぶらというあだ名をつけられ果敢に立ち向かっていた少女が村を訪れた老僧にさとされ くるしくても笑顔に徹することでかわってゆくというものがたりらしい。検索していたら 絶賛の嵐のなかでこれはいじめを容認するものがたりではないかという指摘もあって なるほどそういう見方もあるのかと思った。

  かなしいことではあるが いじめというものは人間があるかぎり無くならない。前回は手白のさると小学校の思い出 きょうはほうすけのひよこがそれぞれいじめが介在するものがたりだった。偶然だが苛められたほうは黙って去ってゆく。これも容認することになるだろうか..こうした話を語ると子どもたちの目の中にときどき はっとしたようすが浮かぶ。

  子どもたちはどのように受けとめているのだろう。ものがたりを生きていじめられている側に感情移入し共感すれば 知らずにしているいじめにもっと敏感にならないだろうか。芝居や物語や本を受けとめることはさまざまな立場 さまざまな考え方、自分以外のひとの痛みや喜びを知ることではないか。わたしはそのことに自分の解釈をさしはさまず 淡々と差出し語ればいいのだと今は思っている。

  ともに楽しめればそれがよいのだけれど たんぽぽ学級はたんぽぽ学級でもっとできることがあるのではないかと校長先生に提案させていただく。景色はまた変わってゆくだろう。




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 
朝まだき

  夜行バスで早朝高山に着いた。薄もやのなかに咲く桐の花が美しかった。やがて空が明るくなる。快晴だ。初夏の明るい日差し 汗ばむ肌に心地よい緑陰の風。きのうのことを考えていた。いっしょに力をあわせリサイクル社会を築こうという夢を欺かれたような気がして わたしは悔しくてならなかったのだ。そして 夫に対しても なぜもっと機械メーカーにものを言わないのか腹を立てていた。

 木
 
 夢からさめてまどろむ花々


  つきあってみてわかったことだが 大手のメーカーだから小回りはきかないし 情けないくらい上下 系列会社との連携が弱い。上層部は保身のことばかりとわたしには見える。

  しかしたとえどんな無礼な物言いをされたとしても 怒ってしまっては先に進まない。どちらかがばかになるしかあるまい。こちらのいう本質的な問題とあちらのいうマニュアルや契約の問題がかみ合うはずはない。どのように理解しあえるかだ。



  ポイントは能力25K/h それにかかわる補償の問題 許可の問題 H社が本気で販売を継続する意思があるか 担当の営業がこの機械の能力 特徴 他社とのコスト比較など まったく知らない。関東地区のTOPも実はほとんど知らないのでは先行き暗い。値段の面では競合他社と比較にはならない。しかし初号機でやめられてしまいほうりだされては 夢をかけてきたわたしたちは裏切られたも同然だ。

たんぽぽの綿毛が露に濡れていた

  きのう 話し合いが長引いたため 時間がいっぱいで古事記のテキストを持たずにでてきてしまった。セミナーのあいまに テキストを手直ししようと思っていたのだが...なにもかも忘れて ゆっくりして 力を取り戻そう。木曜日はべりットさんの林檎の木と水のおはなし それから もうひとつの予定 今度こそわたしを空にしてものがたりが満ちるように....語りの場にたくさんの目に見えないが輝く糸が結ばれるように。

コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )




  A小での朝のおはなし会がスタートした。校長先生の紹介のあと 手遊び コカのカメ 手白の猿 ライフストーリー 内容は子どもたちのようすを見ながら決めた。あとでうかがったところによれば障害のある子たちも数人いたとのことではじめはひとこと合いの手を入れたりする子もいてざわざわしていたが 手白のさるから 集中してきて あとはまっすぐ ものがたりのなかにはいってくれた。意識はしていなかったが自分の手に視線を落としたところ細かく震えているのが見えた。 語りの神さまが降りていらっしゃった、だいじょうぶだとほっとした。

  とはいっても より良いものにする余地はまだまだある。わたしは心を充分に開ききってはいない。もっともっと子どもたちを抱きしめるように語りたい。終ったあと一杯お茶をいただきながら 校長先生とおはなしした。「こどもたちのようすを見て話を決めたのですか」...(たぶんライフストーリーのことをおっしゃっているのだと思う)と言われたのでそうですと答えた。4年生は問題がさまざまある学年なのですとおっしゃった。

  手をさしだして 底上げしてやらなくてはならない子どもたちと標準の線まで到達している子どもたちが半々だそうだ。お部屋にはいって子どもたちと会ったとき感じた 無気力な感じと細い細い針金を張り巡らしたような感じ あれはなんだろう...回を重ねてどう変わってゆくだろうか。神さま お力をお貸しください。こちらからは 縦列ではなく 半円形に座ってほしいとお願いした。そうすればアイコンタクトが行き届く。部屋はがらんととても広い。もうすこし様子を見て 場合によってはもっと狭い部屋のほうがいいかもしれない。「ものがたりを聞くこともたいせつですがほんとうは子どもたちに語ってほしいのです。そのためにわたしをつかってほしいのです」とお願いする。それは秋以降の課題となる。

  月末の支払い等 月が替わってからばたばた済ませて 昼過ぎ娘と千川に行く。池袋から有楽町線で二つ目の駅だ。途中 ふたりの方に道をきいたら とても親切に教えてくださった。帰り地下鉄の切符を娘が失くしてしまったが 駅員さんはにっこりそのまま出してくれた。東京もすてたものじゃない なんだかうれしかった。広島在住の篠笛の奏者Sさんは宮島のひとびとはよそ者を受け入れようとする気が薄いとおっしゃっていたそうだ。あの違和感もあながち気のせいではないらしい。

  語りの世界と会報が届く。語りの世界に自分の書いた原稿が載るのは4度目だが 活字になっているのも見るのは不思議な感じがする。 語りを聞くこと 語ることからカタルシス(浄化)が起こるというこのブログに書いたものをまとめた原稿であったが よく見たら間違いがひとつあった。現場からの報告の記事を拝見するとこころが熱くなる。わたしももっと先に進もうと力が湧いてくる。

  3日、4日は口承文芸の学会があるとのことで 櫻井先生から運営委員会のほうにできるだけ参加するようにとの連絡がきているのだが、急遽 明日高山に発つことになった。参加できなくてほんとうに残念である。ネットができる設備のある宿だといいのだが そうでないときはブログはおやすみさせていただきます。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )