遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



   結論から言ってしまうと 今まで受けてきたすべてのセミナー ワークショップのなかの白眉でした。body mind sense Spirituality の四つの柱 が明確であったこと 語りとは如何なるものか どんなに楽しく笑いに満ち そして力あるものか そのような語りを語るためのポイントとなるエクササイズ それをするための語り手自身を開くエクササイズが実に効果的に配されていたのです。

   しかし それは意図してあったのではなかったようです。今回のメンバーは早くに開いていたこと そしてウィムさんのことばを借りれば 衝動 直観に導かれエクササイズをその場で展開しているようでした。ウィムさん自身のパーソナルストーリーが語られたのもそうした展開であったようです。それは闇から光への...ものがたりでした。ウィムさんはいいます。「すべてのものがたりに闇がある。それをどう越えて光にたどりつくかがものがたりである」

   わたしにとっても実に多くの意味を持つワークショップとなりました。..衝動や直観によってやむにやまれずしてきたこと 書き続けてきたことにはじめて光が射しこみ 意味と使命を理解することができたのです。参加メンバーがワークショップを知ったきっかけのおよそ半分がミクシィだったのも驚きで コミュのひとたちと実際に出会えたことはわたしにとって大きな力となりました。

   テーマを掲げましょう。1 光と闇について 2 娯楽性について 3 来るべき未来に語り手ができること これらのことをこの場で また語りルネサンスで考えてゆこうと思います。あしたから いいえ今日から RADAのワークショップ6日間がはじまります。気づくために そしてそれをわかちあうために。

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   7月27日 吉祥寺第一ホテル2F喫茶室で ウィムさん karinさん(ウィムさんのパートナー)おぎやんさん(笛の奏者) 語り手たちの会櫻井美紀さんと森の 5名で1時半から3時間のあいだ和やかに且つ熱のこもった歓談をしました。


   ウィムさんは思ったより若くて背が高くて とてもユーモア のある方でした。 わたしは6つ質問をしました。

1 オランダでのストーリーテリングの現状 語りは学校のカリキュラム に入っていますか?

ウィムさん 今から3.40年前までは入っていましたが  その後数学 地理 歴史 科学などの能力を伸ばすためという名目ではずされました。今後復活される可能性があります。

2 ストーリーテリングは医療行為として認められていますか?

ウィムさん 医師がカウンセリングの一環としてストーリーテリングをつかうことはありますがストーリーテラーが医療に直接関わることはあり ません。

3 オランダの語り手はどのようなものがたりをどのように 語りますか?

ウィムさん まったくさまざまです。昔話を語るひとも現代もの を語るひともいます。また文学をそのまま語る場合も自分 のことばで語る場合もあります。

4 ストーリーテリングに演劇的要素を取り込んでいますか?
(ウィムさんのパフォーマンスの写真を見せていただいて 演劇的なものを感じたので)

ウィムさん はい ストーリーテリングは歌うこと、踊ることとも深いかかわりがあります。 演劇も.... (この項 途中から話が飛んでしまったので あとで 確認します)

5 語りの起源を考えたとき わたしはストーリーテリングは天とつながる ...ものと考えています。今回のちらしに語りは魂にあたらしい生命を あたえるものと書いていらっしゃいますが ウィムさんはどのようにお考えでしょうか?

ウィムさん 語りは神とコネクトすることです。わたしは呼吸を とてもたいせつだと考えています。8.9歳の子どもたち はそれまで持っていた自然な呼吸法をちょうどその頃 失ってしまいます。そのため 恐れなどの感情を持つようになります。自然な呼吸を失わないように教育をすべき だと思います。 語り手にとっても呼吸はとてもたいせつです。ワーク ショップで伝えたいと思います。

luca  呼吸、そしてbody mind sense そのうえのものを ひとつにして語ることは語り手としてのわたしの課題 でもありますのでとてもうれしく思います。もっとも本質的なスピリチュアルなこと 天とつながる... ということについて日本の語りのシーンでそこまで考える ひとはまだ少ないのです。 ほとんどがmind で止まっています。

ウィムさん そのためにわたしが来たのでしょう。

6 語りのメッセージ性 娯楽性とについて このふたつを融合させることも課題なのですが....

アミューズメントの重要性についてウィムさんはひとつの寓話を話してくれました。このことについては 別のところで書いてみたいと思います。

   その夜 早稲田で19;00から開かれたレクチャーもたいへん興味深いものでした。本質的には同じでも東西ではアプローチの違いがあきらかに違います。このことについてはワークショップ(7/29日まで)終了後 ルネサンスのほうで書いてみたいと思います。






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   きのう西荻窪の「音や金時」でオランダのストーリーテラーウィムさんのライブがあったのですが行くことができませんでした。ウィムさんについては2.3日後に書かせていただこうと思いますが「語りはひとびとの心を揺り動かし 企業に変革をもたらし 山をも動かします。それはひとびとを魅了し 新しい生命を魂に吹き込むのです」とおっしゃられていることから ”魂振り”の語りをおっしゃっているのだなと期待しております。

   ところでメディアではあきらかにされないことが考えられない速度でわたしたちに迫ってきています。それは地球のこと ひいてはわたしたちの文明 生命 しあわせ 子どもたちの未来にかかわることです。

   異常気象についてはみなさんも感じていらっしゃると思いますが、最近、M6を超える地震が急激に増加しています。 南太平洋バヌアツでM6.3地震。スマトラ北部でM6.3地震。 アリューシャン半島でM6.5の地震。 ソロモン海ノブーゲンビル島でM6,1の地震。 南太平洋フィジーでM6.4の地震。 南米チリ海岸部でM6.1の地震。 カリフォルニア北部の海岸部で3回の連続地震発生。 ニュージーランド中央部で3回の連続地震発生。 イエロー・ストーンで群発地震発生。 6月3日にM6.4の地震が発生した南西部雲南省では4日までに、1000回近い余震が発生。日本でも中越沖地震が起きました。12万人以上が家屋崩壊のためにホームレスになったということです。

   一方記録的な高温がフランス イタリア ドイツなどヨーロッパの穀倉地帯を襲っています。あのアイスランドで25度Cを記録しました。そして、より衝撃的なのは、ロシアの秘密情報機関経由の最新情報です。10年旱魃がつづいたオースチラリアの現状はたいへんなもので 地域によっては コップ一杯の水しか身体を拭くのに許されないそうです。とうもろこしにいたっては昨年は9割減で農民の自殺も相次いでいます。そのため豪州政府は今後数カ月のうちに大規模の降雨がなければ、オーストラリア国民の約半分(約1千百万人)を国外脱出させる方針を固め、米国政府などとの間で秘密交渉にはいったと言われます。

   中国政府民政部はつい先頃、2007年になってから自国民が洪水や地震で被災した人たちの総計が2億人を突破したことを明らかにしました。 災害の被災者の総数が2億人、これはとんでもない数字です。かりにこれが日本であれば、約2500万人にのぼる人たちが災害の被災者になったことを意味するのです。まさにいまや地球全体が未曾有の事態に突入したのです。

   世界各地で 動物たちの大量死が報告されています。アラスカ州南東部で厚さ1500mの氷河のほとんどが氷解 このため、地殻が急激に隆起し始めているとのことです。さらには北極の氷の減少で、地球の自転自体がわずかながら速くなっていることが確認されたそうです。

   
   今 起こっていることはわたしたちの文明が 地球を崩壊してしまうのだということを意味しています。....方法を間違えていたのです。母なる地球はもう耐えられない...それは 地球上に生きる動物 植物 そしてわたしたち人間が生存の危機に瀕しているということにほかなりません。ホピをはじめ ネイティブアメリカンの伝説や予言....またひそやかに巷で語られていた終末論が今現実味を帯びてきたのです。もちろん 希望はまだたくさんありますし ひとの生と死のようにひとつの文明の終焉はあたらしい文明の夜明けにほかなりません。 その場に居合わせたということは個人的な...家族のしあわせへの不安を別にすれば 感慨深いものがあります。

   わたしは思うのです。わたしたち語り手は カナリアたる語り手は今なにをすべきなのか なにを語るべきなのか  なにをどこに向かって響かせるのか.....ブログ「語りルネサンス」を立ち上げた目的はじつはその探求でもあったのですが....事態は思ったよりずっと早く進んでいるようです。
   それでは みなさん 今日もよい一日を! とびきりの元気を 笑顔を ものがたりをまわりにひとたちに贈ってください。




   


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   今度は日本的用法のセンスについて....センスがいいというのはそのひとらしさがある....思いがけない色彩や素材の使い方をしている 全体のバランスがいい 人目をひく...クールである スッキリしている などさまざまな見方があります。

   ところで日本人の感性には独特のものがあると感じていらっしゃる方は多いと思います。たとえば色彩....日本人が識別できる色は2000色と聞いたことがあります。これは破格な数なのだそうです。そして日本の伝統的な色彩には蘇芳すおう色 縹はなだ色 臙脂えんじ 御納戸茶おなんど 滅赤けしあか 利休鼠りきゅうねずみ など美しい名前がついていますが よく見ると決して彩度の高い澄んだ色ばかりではない むしろ濁りのある深みのある色が多いのです。

   伝統芸能においては 障り ということばをよく聞きます。こぶしの利いた聞かせどころをいうのですが 浪曲などまさに障りなんですね。三味線でもわざと音を濁らせる装置をつける...つまり日本人はクリアーな音より 障りのある音が好きなのだそうです。田中角栄首相が庶民に人気があったのはあのだみ声のせいではないかと分析する学者もいるそうです。

   この障り 現代の語りにもっと取り入れられないかなぁとわたしは思います。一見 ダサかったり 泥臭かったり するなかに心の琴線に響くものがある そんな語りです。 こんなことをおはなしするのも ブログ「語りルネサンス」のカスタマイズ (既製のテンプレートをつかわないで 好みの色彩や画像をつかう)をしたときに色彩で3時間悩んだのですね。

   センス良く...とクールに決めるとスッキリはするが 味がなくなってしまう とっかかりがなくなる。そういえば アマゾンやヤフーなどのサイトは決してセンスがよくはないのですね。これってかなり高等なテクニックではないかと思うのです。ねらう客層や業種にもよるのでしょうが 障りがあると心にひっかかかるわけです。センスの良いサイトをつくるのが目的ではなく お客さまを呼ぶ 買ってもらうことが目的のわけですから。

   さて お気づきかもしれませんが 客観的にわかりやすく広い視野で....遠い森遠い声で今めざしているのはそこです。語りルネサンスでは 今自分が実際に考え着手していること 語りの原点について深く を重点に書こうと思います。(7/20のテーマは霊眼..ひがん...をひらくです)どうかご参加ください。ミクシィでは楽しくやわやわ実験的な試みをしてまいります。ご参加いただければうれしいです。

   ところで 語り手たちの会のホームページは あらたに別の業者さんに頼むことになりました。8月にはUPすると思いますので どうぞおたのしみに....


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   朝 テーブルの上の月見草を見て驚きました。萎れたはずの月見草が咲いている!?生き返ったの??...よく見てもっと驚きました。咲いていたのはあたらしい花  花瓶の水だけで5センチも茎が伸び すこし淡い色になっていましたが ほんのり黄色のはなびらのあえかなうつくしさ......見ているあいだに一輪がしおれていき よく見ると つぎのつぼみがすでに膨らんでいるのです。

   カメラが見つからないのでお見せできないのが残念ですが 生命のちからって想像を絶するところがありますね。さてセンスというと日本語では 趣味がいい 洒落ているよいう意味で使われることが多いようです。けれども英語ではもっとさまざまな意味があります。

1 感覚(機能) 《五感の一つ》
2 (漠然とした)感じ,気持ち
3〈…という〉感じ,意識
4 (美・方向などに対する本能的な)センス,勘,判断能力
5 (知的・道徳的な)感覚,観念,認識
6 正気,意識
7 思慮,分別,常識

  どうやらsenseとは人間の持つ勘のようなもの 目に見えないものを感知する能力 ことに正しいものや美しいものへのアンテナ...のような意味がるようです。わたしは語り手としての修行のなかでこのsenseを磨くことがとてもたいせつだと感じています。

  文字を離れて自分のことばで語るというのは 即興で語るとは一概に言えませんね。作者のある文学作品などは作者への敬意をあらわすためにもそうそうにことばを変えるべきではないと思います。もちろん目で読むことを前提に書かれたものを耳で聞かせようとしたとき違和感があることがありますから 作者の伝えたいことを伝えるためにすこしことばを変えることは許されるのでは...と思ってはいます。
 
  自分のことばで語る...それは生きたことば そして自分の身体と心と魂をとおったことば...という意味ではないでしょうか。そしてそれはつなげる つながる...という意味でもあります。ものがたりが外側にあるのではなく自分とつながっていること ....そしてそのほかのものとつながっていること。語り手は自分のちからで語るのではなく そとから無限の力を引き出して語るのではないでしょうか?

  自分とつながる...それは身体的にいえば 氷のように冷たい水..と語るとき 自分の身体でその水を感じていることです。それは深い森の暗い洞窟から湧き出る水でしょうか...それともさらさら流れる雪解け水でしょうか...その水を身体で感じて語るとき はじめて聴き手は氷のように冷たい水を感じることができるのです。

  心とつながる....語り手はものがたりを語るとき そのものがたりを生きています。暗い森で迷子になった少女の気持ちを語るとき 語り手は知らず知らず幼いころの母と離れたときの不安な記憶をひきだして語ります。...そして深い森の出口 光さす道が見えたとき 語り手は自分の心のひきだしからなにをひきだすのでしょう....おなじものがたりを語ってもそれぞれいろあいも異なり印象も異なるのはそれぞれの語り手がこころの奥底から そしてそこからつながる無限の世界からくみだすものが違う..そのせいかも知れません。

  どのような人生を語り手が送ってきたか そうして今自分と世界とどのようにつながっているか ものがたりは森の澄んだ泉のように正直に写すのです。若いときには若々しい魅力があります。けれども豊かな人生経験をつみ なおそのうえに生き生きした感性を持つ熟年 老年の語り手こそ語りの醍醐味を味あわせてくれるのではないでしょうか。

  古来 語りは一族のなかで長老や特別のものがつかさどっていたものでもありました。さぁ われわれもこれからです。魂とつながる...については語りルネサンスに書いてみようと思います。もうすこし書きたいことがあるのですが 会社から呼び出しのTELがきました。みなさんの今日がたのしく充実した一日でありますように.....


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