昨日、カウンセリングを受けた。わたしは行動的であると思われているが、実際はそうでなく、自分のなかに行動を妨げるものがある、なにかしようとするときストッパーが働くことを感じていたので、それを取り除きたかったからである。電車のなかでどういうときにストッパーが働くか考えているとき、ひとつは”金銭にまつわること”であるのに気がついた。
ビジネス上では売掛金の回収に熱心に取り組むのであるが、自分の暮らしのなかではもらうこと、払うことの諸手続きがひどく苦手である。払うほうは催促されれば払えるのだが、もらうについてはこちらの自由なので、12000円の例の給付金の請求手続きはまだしていないし、4年前の入院保険金の請求手続き、昨年の満期保険金の請求手続き、6年前の貸し金の取立てもそのまま......
お金がありあまっているわけではない、が、どうしてもできない。これはどうしてだろう?.....もうひとつ、金銭をサービスやなんらかの行動の対価としてもらうことに抵抗がある、......母に昔言われたことがある。「正当なお金をいただくことは恥ずかしいことでもなんでもない、あたりまえのことなのよ」 それでも意を決しないとできなかった。
............
カウンセリングの前に、心のふたつのありよう、分析心、反応心について説明があった。前者が意識的自覚的であるのに対して、後者は過去の意識化されない記憶から無意識的な反応として引き起こされる心の動きである。人間はあらゆる記憶を所有している、母の胎内にいるとき、麻酔を受けているときでさえ、視覚的な聴覚的なあらゆる記憶が細胞に記憶される。.....たとえば自転車で転んでけがをしたとしよう、そのときサイレンの音が聴こえた、目の前にころがった自転車、砂利.....すると、サイレンの音を聴いただけで、自転車や砂利道を見ただけでそのときの痛みなどの記憶がよみがえり、反応し、行動してしまう...。
もう一度自覚的に経験することでトラウマを解消でき無自覚な行動パターンから脱却できる....というのである。このメカニズムは前に何度も聞いたことがあった.....どこだっただろう......カウンセリングがはじまった。......幼児期の記憶、子ども時代の記憶が墨絵のように浮かんでくる。.......そのうちのひとつ......父と母のいさかい...それは半分はお金、半分は子どもの教育方針だった。毎月21日の給料日、当時は振込みではなく現金支給だった。父は給料袋を神棚にあげておく。全額は入っていない....うちでは母も教師として働いていたから、父は自分の趣味そのほかにお金を費やすことができたのである。必要経費や小遣いを差し引いた金額を母が納得すれば受け取る.....納得しなければ給料袋はそのまま神棚.....父は小出しにふやすこともあったようだ.....つまり神さまが調停役だったのだ。
理性で考えたとき、母が正しいのである。だが愛情問題があって、心情としてはわたしは父に味方したかった。ここに葛藤があったのか...と思い当たる。金銭についての言い争いは聴くに堪えなかった。金銭への忌避的感情、払うこともらうことへの葛藤は愛とも重ねあわされて、わたしはいまだにそれをひきづっているのかもしれない。
記憶のなかでわたしはいつも待っていた。母が勤め先の学校から帰るのを待っていた。小三ですでにごはんを焚き、おかずをつくり 弟妹に食べさせていた。かまどから石油コンロに進化した時代だった。マッチで火をつけるのが怖かった。片手でマッチを持ち、片手でスゥイッチをひねることができなかった。マッチをするとバーナーにさしかけて点火する、マッチを何本もむだにしてコンロに火をつけるのだった。
わたしは4人兄弟の長女だった。わたしの心のなかには小さな天秤があって母の一挙手ごとに声を聴くたびに、天秤はかりは揺れるのだった。おかあさんはわたしをすき、妹がすき、弟がすき、おかあさんはわたしをきらい、アイシテル、アイシテナイ......それは不断のストレスに違いなかった。たのしいこともたくさんあったけれど.......。年を経て母とのことはもう決着はついた、感情のバランスシート上でマイナスはない....と思っていたが、それは意識下のことに過ぎなかったようだ。
もうひとつわかったことがある。幼いころのわたしのそばにはいつも異世界があった....見えない世界がたそがれのようにたゆとうていて、とつぜんまえぶれもなく日のあたるこちら現実とのあいだに、昏い暗いどこまでもひろがる深いあなにつづく通路が裂け目のようにあらわれる......だからおさないわたしはかたときも安心していられなかった.....それが感受性によるものなのかわたしにはよくわからない......けれども、現実とそうでない世界のふたつの重荷を背負い、だれも助けてくれる者もなく、話すこともできず、よく生きられたなと思う。......つかのま忘れさせてくれるのが本であり、ものがたりであった。わたしはものがたりのなかに没入した、それは身をまもるシェルターともなったが、現実やたそがれの世界を翻訳し、体験し、生きてゆくすべを学ばせてくれたようにも思うのだ。
なにが見えますか?.......つぎに見えたのは山の斜面、枯葉がちりじりに細かくなっている、やがて土に戻るだろう、白っぽいものが見えた、骨だと思った。.......いつのまにかわたしは今生の記憶からもっとむかしに飛んでしまったらしい.......なにが見えますか....洞穴が見える......わたしはわたしたちは追っ手から逃げていた、だが連れとはぐれてしまったのだ......わたしは湿った洞穴の壁に身を寄せる、声が聴こえる、光が見える....だれか捕まった....足がすくんで動けなかった......見殺しにした.....山を下りよう、なんとか生き延びよう、だが動けなかった......洞穴から空が見える森の木立に切り取られた群青の空.....あぁ...と思った。トマティスのとき、セッションのとき いつもあらわれるブルー、黒い闇のなかにそこだけぽっかりと群青.....あの映像はここからきたのか......やがて溶暗
カウンセリングのあいだこの世の時間はとまっている、気がつくと午後の陽射しは消えて窓のそとはくらくなっていた。みっつの人生を通り抜けてわたしはくたくただった。意識されたことでわたしは変わるだろうか、どうだろうか.....トラウマの解消にはいくつかの方法がある。わたしはダリ(あなたの名前は出さないと約束したのだけれど今日一度だけ....)から受けたバランスセアラピー......あの伊豆の語りの祭の夜のこと、あなたの掌の重さぬくもりで癒された.....あれはたぶん父のこと......そうしてそれからわたしは一歩踏み出せるようになった.....
身体からトラウマを癒すことは可能である。自力整体を受けた1年半のあいだに5人はあんなにも変わったではないか....あかるくかるく......それはとてもよい方法のように思える。.......そして語り......ものがたりを語る、聴き手に聴いてもらう、それもまたセッションなのである。語り手はみずからを癒す......象徴として語られるモノガタリによって、そしてもっと直截的なものがたり、あるいはパ-ソナルストーリーによって....。
もちろん、それは語り手のみに起こるのではない、聞き手もまたモノガタリによって追体験する。ものがたりはあらゆる人間にとって普遍的なものであるゆえに。毎回、すべてのひとが....というわけではないにしても。これがカタルシスの本義かもしれない。人は過去のものがたりをひきずってそのうえにものがたりをかさねてゆく。こだまのようなリフレイン.....かすかに響くせつない旋律をひかりで溶かしてゆけるなら、あたらしいものがたりはもっとたやすいものになるだろう。
カウンセリングは正直辛かった。もっと負担にあらない方法があると.....わたしは思う。
| Trackback ( 0 )
|