遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。

 



小泉さんのしたことを項目別に書いてみます。



1 格差の拡大 
  (最近の調査で日本は先進国のなかで、格差がアメリカと並んで一位となったようです)

2004年  労働者派遣法改正

    これによって建設業の派遣が延長されただけでなく、製造業でも派遣業が許可になりました。経団連、外資系株主の圧力によるアメリカ型の経営手法の踏襲です。”パートタイマーと無職のどちらがいいか”だと宮内義彦・規制改革・民間開放推進会議議長 オリックス会長は言いました。

    派遣労働者は食べるだけで一杯の低賃金、ある日突然仕事を失い、しかも失業保険も受けられない、失業すれば住む場所もない状況下に置かれています。しかし、企業にとってこれほど楽な雇用形態はありません。秋葉原無差別殺傷犯、加藤智大はトヨタ系列関東自動車の日研総業の派遣社員でした。わたしにはアメリカのイラク帰還兵がだぶってみえます。貧富の差を拡大させる→軍隊からのリクルート。


2 アメリカ支援のイラク派兵と有事関連法案

2003年3月 アメリカのイラクに対する武力行使支持を表明
2003年6月 有時関連三法案(有事法制)成立。
2003年7月 イラク特措法成立。
2004年1月 陸上自衛隊をイラク南部のサマーワへ派遣
2005年6月 国民保護法が成立


    イラクに派遣された自衛官が35名 亡くなったことはあまり知られていません。マスコミが報道しないからです。死因は病死、自殺、その他の理由です。その他の理由とはなんでしょうか? 日本は後方支援とはいえ、罪もないイラクのひとびと100万人の殺戮に手を貸したことになります。「国民保護法」とはなにか? 有事(戦争・テロ)において国民が自衛隊の邪魔をしないようにすること。民間防衛が目的のように思えます。

3 小泉さんの功績といわれる不良債権処理とは
 

小泉以前
    1985から1991年のバブル時代、多くの企業が銀行からの借り入れをして不動産投機に手を出しました。不良債権とはバブルのとき膨れあがった銀行の貸出債権が、バブル崩壊後 回収不能となったもので、その総額は約70兆円。
国際的な金融不安を引き起こすことを防ぎ、日本のメガバンクが国際市場から締め出されることを防ぐために、公的資金が投入されることになったのです。

①公的資金注入
    公的資金をつかうため国民の納得と理解を得ることが必要でした。そのためのショック療法として山一証券と北海道拓殖銀行をつぶし、日本長期信用銀行を国有化するという荒療治にでたのです。


②投入した公的資金60兆円の回収
2002年9月 小泉改造内閣が発足。金融大臣を竹中平蔵に兼務させる。

    小泉さんは考えを同じくする慶応大学の教授、竹中平蔵氏を金融大臣とします。そして、ふたりは絶大な国民の支持を背景に、「アメリカの要望にしたがう」「日本をアメリカと同様の資本至上主義の国にする」ための現実的な施策をつぎつぎに実行していくことになるのです。

    「どうやって投入した公的資金を回収するか?」「どうやって企業業績を回復させ、経済全体を好転させるか?」この難問に対して竹中氏がとった方策が「ゼロ金利政策」でした。小泉内閣が胸を張る「不良債権の処理を完了させた」ということの実態は、「国民の預金金利収入50兆円を取り上げて、その50兆円で銀行の不良債権を一掃した。」ということ、何のことはない、日本国民に銀行や企業のツケを全部押しつけただけなのです。こうして日本の金融システムは守られました。日本国民の生活はべつとして....自殺も増えましたね。

    そのつぎに起こったのはなんでしょうか。低金利下で不良債権の処理を強制した結果、ますます株と土地が暴落。そのうえ、銀行の持ち株解消を行い、大量に株が放出され、株価も下落に拍車がかかり、外資が日本の企業や資産の買収に走りました。日本たたき売りです。


4 日本たたき売り

    アメリカ政府は自民党政府にたいして毎年「年次改革要望書」を突きつけ、実行させてきました。それによって、持株会社の解禁、NTTの分離・分割、金融監督庁の設置、企業における時価会計の導入、大規模小売店舗法の廃止、BIS規制、三角合併の解禁、郵政民営化などが要求されたのです。

    小泉さん竹中さんのコンビは歴代の首相蔵相のなかでで最もアメリカにとって優等生でした。日本の資金は、低金利政策の下でアメリカに流れるように仕組まれ、日本の低金利のお金でアメリカの企業や証券会社が、日本の企業や資産を買い漁るという、奇怪な自損行為がおきました。ダイエー、西武、カツラで有名なアデランスにいたるまで、すでに日本の主要企業の約四割は外資に乗っ取られたとされています。

    一方、2003年、2004年の2年間で何と3368億ドル、日本円で約35兆円のアメリカ国債を日本は購入しています。この結果、アメリカは大統領選挙(ブッシュ)の前に、低金利、株高、好景気になりました。日本の銀行や企業、保険会社は主に外国ファンドに資金を委ねています。銀行が米国市場に持ち出しているといわれている国民の約150兆円の年金や預金は、株の暴落が訪れると50兆~70兆円になり、さらにドルの暴落で40兆~50兆円にまで減ってしまうといわれています。

    そんなばかなと思われるでしょうが、アメリカでは今年すでに50行の地方銀行がつぶれているそうです。アメリカは経済崩壊の崩壊は時間の問題といわれ、デフォルトにそなえ、北アメリカ南アメリカをひとつにする、アメロという金兌換紙幣に替える準備をしているといいます。そうなると米国債は紙切れ同然 400兆といわれる国と民間の米資産はどうなるでしょう。


5 なぜ靖国参拝にこだわったか

   小泉さんは首相就任前、靖国参拝をしなかったといいます。ではなぜ、首相になってから、執拗に繰り返したのか。首相靖国神社参拝のおかげで、中国、韓国からは首脳会談拒否までされ 孤立を招きました。アメリカは日本と中国や韓国が仲良くすることを望んでいません。そのあたりに鍵があるように思います。(アメリカ議会で日本を反中、反韓にすることがアメリカの国益にかなうと述べられた記事がありました)



   これから日本は否応なく正念場をむかえることになりそうです。日本国民はどうなるでしょう? 小泉さんは引退して海外で暮らすとおっしゃっていましたが、対岸の火事のように眺めていられるのでしょうか? わたしたちはこれからどうしたらいいでしょう。小泉さんは少しのイタミを我慢せよといいました。構造改革のあとバラ色の未来が待っていると......。こうして見ると小泉さんが見ていたのはアメリカと大企業であって、日本の未来や日本のわたしたちではなかったことがよくわかります。自戒をこめて書きました。わたしは小泉さんのアメリカのイラク爆撃指示まで小泉さんを信じていました。自分のおろかさが身に沁みます。郵政民営化に反対した議員もいたのでしたね。

    東京平和映画祭のあと、チベット問題、パレスチナのこと、ベトナムのこと、グローバリゼーション、そしてわが日本のことを調べたり考えたりして書いてまいりました。事態はかなり絶望的です。しかしまだ遅くはない、なにが問題なのかわかれば、変えてゆくチャンスはあります。今起こっていることは日本の今、日本のあした、地球の今、地球の未来そして自分の暮らしをみつめるいいチャンスとも考えられます。これからどうするか、どんな可能性があるか? これから書いていきたいと思います。みなさまはチベットやパレスチナそして日本に起こっていることの原因はなんだと思われますか? 根っこはひとつです。


崖っぷちオヤジ

小泉規制緩和以来の犯罪性

大和心



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    昨日、カウンセリングを受けた。わたしは行動的であると思われているが、実際はそうでなく、自分のなかに行動を妨げるものがある、なにかしようとするときストッパーが働くことを感じていたので、それを取り除きたかったからである。電車のなかでどういうときにストッパーが働くか考えているとき、ひとつは”金銭にまつわること”であるのに気がついた。

    ビジネス上では売掛金の回収に熱心に取り組むのであるが、自分の暮らしのなかではもらうこと、払うことの諸手続きがひどく苦手である。払うほうは催促されれば払えるのだが、もらうについてはこちらの自由なので、12000円の例の給付金の請求手続きはまだしていないし、4年前の入院保険金の請求手続き、昨年の満期保険金の請求手続き、6年前の貸し金の取立てもそのまま......

    お金がありあまっているわけではない、が、どうしてもできない。これはどうしてだろう?.....もうひとつ、金銭をサービスやなんらかの行動の対価としてもらうことに抵抗がある、......母に昔言われたことがある。「正当なお金をいただくことは恥ずかしいことでもなんでもない、あたりまえのことなのよ」 それでも意を決しないとできなかった。

............

    カウンセリングの前に、心のふたつのありよう、分析心、反応心について説明があった。前者が意識的自覚的であるのに対して、後者は過去の意識化されない記憶から無意識的な反応として引き起こされる心の動きである。人間はあらゆる記憶を所有している、母の胎内にいるとき、麻酔を受けているときでさえ、視覚的な聴覚的なあらゆる記憶が細胞に記憶される。.....たとえば自転車で転んでけがをしたとしよう、そのときサイレンの音が聴こえた、目の前にころがった自転車、砂利.....すると、サイレンの音を聴いただけで、自転車や砂利道を見ただけでそのときの痛みなどの記憶がよみがえり、反応し、行動してしまう...。


    もう一度自覚的に経験することでトラウマを解消でき無自覚な行動パターンから脱却できる....というのである。このメカニズムは前に何度も聞いたことがあった.....どこだっただろう......カウンセリングがはじまった。......幼児期の記憶、子ども時代の記憶が墨絵のように浮かんでくる。.......そのうちのひとつ......父と母のいさかい...それは半分はお金、半分は子どもの教育方針だった。毎月21日の給料日、当時は振込みではなく現金支給だった。父は給料袋を神棚にあげておく。全額は入っていない....うちでは母も教師として働いていたから、父は自分の趣味そのほかにお金を費やすことができたのである。必要経費や小遣いを差し引いた金額を母が納得すれば受け取る.....納得しなければ給料袋はそのまま神棚.....父は小出しにふやすこともあったようだ.....つまり神さまが調停役だったのだ。

    理性で考えたとき、母が正しいのである。だが愛情問題があって、心情としてはわたしは父に味方したかった。ここに葛藤があったのか...と思い当たる。金銭についての言い争いは聴くに堪えなかった。金銭への忌避的感情、払うこともらうことへの葛藤は愛とも重ねあわされて、わたしはいまだにそれをひきづっているのかもしれない。

    記憶のなかでわたしはいつも待っていた。母が勤め先の学校から帰るのを待っていた。小三ですでにごはんを焚き、おかずをつくり 弟妹に食べさせていた。かまどから石油コンロに進化した時代だった。マッチで火をつけるのが怖かった。片手でマッチを持ち、片手でスゥイッチをひねることができなかった。マッチをするとバーナーにさしかけて点火する、マッチを何本もむだにしてコンロに火をつけるのだった。

    わたしは4人兄弟の長女だった。わたしの心のなかには小さな天秤があって母の一挙手ごとに声を聴くたびに、天秤はかりは揺れるのだった。おかあさんはわたしをすき、妹がすき、弟がすき、おかあさんはわたしをきらい、アイシテル、アイシテナイ......それは不断のストレスに違いなかった。たのしいこともたくさんあったけれど.......。年を経て母とのことはもう決着はついた、感情のバランスシート上でマイナスはない....と思っていたが、それは意識下のことに過ぎなかったようだ。

    もうひとつわかったことがある。幼いころのわたしのそばにはいつも異世界があった....見えない世界がたそがれのようにたゆとうていて、とつぜんまえぶれもなく日のあたるこちら現実とのあいだに、昏い暗いどこまでもひろがる深いあなにつづく通路が裂け目のようにあらわれる......だからおさないわたしはかたときも安心していられなかった.....それが感受性によるものなのかわたしにはよくわからない......けれども、現実とそうでない世界のふたつの重荷を背負い、だれも助けてくれる者もなく、話すこともできず、よく生きられたなと思う。......つかのま忘れさせてくれるのが本であり、ものがたりであった。わたしはものがたりのなかに没入した、それは身をまもるシェルターともなったが、現実やたそがれの世界を翻訳し、体験し、生きてゆくすべを学ばせてくれたようにも思うのだ。

   なにが見えますか?.......つぎに見えたのは山の斜面、枯葉がちりじりに細かくなっている、やがて土に戻るだろう、白っぽいものが見えた、骨だと思った。.......いつのまにかわたしは今生の記憶からもっとむかしに飛んでしまったらしい.......なにが見えますか....洞穴が見える......わたしはわたしたちは追っ手から逃げていた、だが連れとはぐれてしまったのだ......わたしは湿った洞穴の壁に身を寄せる、声が聴こえる、光が見える....だれか捕まった....足がすくんで動けなかった......見殺しにした.....山を下りよう、なんとか生き延びよう、だが動けなかった......洞穴から空が見える森の木立に切り取られた群青の空.....あぁ...と思った。トマティスのとき、セッションのとき いつもあらわれるブルー、黒い闇のなかにそこだけぽっかりと群青.....あの映像はここからきたのか......やがて溶暗

    カウンセリングのあいだこの世の時間はとまっている、気がつくと午後の陽射しは消えて窓のそとはくらくなっていた。みっつの人生を通り抜けてわたしはくたくただった。意識されたことでわたしは変わるだろうか、どうだろうか.....トラウマの解消にはいくつかの方法がある。わたしはダリ(あなたの名前は出さないと約束したのだけれど今日一度だけ....)から受けたバランスセアラピー......あの伊豆の語りの祭の夜のこと、あなたの掌の重さぬくもりで癒された.....あれはたぶん父のこと......そうしてそれからわたしは一歩踏み出せるようになった.....


    身体からトラウマを癒すことは可能である。自力整体を受けた1年半のあいだに5人はあんなにも変わったではないか....あかるくかるく......それはとてもよい方法のように思える。.......そして語り......ものがたりを語る、聴き手に聴いてもらう、それもまたセッションなのである。語り手はみずからを癒す......象徴として語られるモノガタリによって、そしてもっと直截的なものがたり、あるいはパ-ソナルストーリーによって....。

    もちろん、それは語り手のみに起こるのではない、聞き手もまたモノガタリによって追体験する。ものがたりはあらゆる人間にとって普遍的なものであるゆえに。毎回、すべてのひとが....というわけではないにしても。これがカタルシスの本義かもしれない。人は過去のものがたりをひきずってそのうえにものがたりをかさねてゆく。こだまのようなリフレイン.....かすかに響くせつない旋律をひかりで溶かしてゆけるなら、あたらしいものがたりはもっとたやすいものになるだろう。
  
    カウンセリングは正直辛かった。もっと負担にあらない方法があると.....わたしは思う。







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   「小泉さんがしたことはなんだったのか」調べてゆくうちにわたしの心は疑問でふくれあがってゆきました。なぜあんなことができたのだろう?  国民の味方の振りをして、不良債権処理を国民の資産でしてしまう手際のよさ、日本を売り払い、今も売り尽くそうとしている執念はどこからくるのだろう? (西川社長にこだわって、麻生首相を押さえ込む理由もすこしわかりました。)国民を欺き、国を売り 日本の将来におおきな傷をつけることが日本人にどうしてできるのだろう? 

    小泉さんには今までの政治家にないイメージがありました.....希望を感じました。わたし自身、内閣発足時にはこのひとはきっとやってくれると信じ、メールマガジンをとっていたのです。あれは幻影だったのだろうか、すべてがウソだったのだろうか。 小泉さんの出自や経歴をたどってみました。

その1 ルーツ



   小泉さんの父・小泉(旧姓鮫島)純也は鹿児島県加世田市万世町小松原の朝鮮人部落出身。鮫島純也は小泉又次郎の妾腹の娘芳江との駆け落ちその後許されて娘婿となる。又次郎の秘書となってから貴族院議員又次郎の後継となり1952年初当選。その後は改進党に所属し、保守合同後は岸派。60年安保改定の際に、与党代表質問し、賛成演説。この時「安保男」のニックネームが付けられた。 この間、朝鮮人の帰国事業、地上の楽園計画の初代会長。第3次池田改造内閣と第1次佐藤榮作内閣の二期連続で防衛庁長官に就任。


   
   小泉さんの祖父(小泉純也さんの妻の父)・又次郎は由兵衛の次男で、政治家を志し改進党に入党。神奈川県会議員、横須賀市議、市会議長を経て衆議院議員。その後、浜口雄幸内閣と第2次若槻禮次郎内閣時の逓信大臣に就任。逓信相時代、「電信電話設備の民営化」に取り組んでいる。1941.12.1の「開戦止む無し」を決議した第4回御前会議に厚相として出席。その後、大東亜戦争の真っ只中の1944年、内閣顧問に就任。刺青を身体に入れていたことからイレズミの叉さんと呼ばれた。

父と子(純也と純一郎)

   小泉さんの曽祖父・由兵衛は、神奈川県横浜市金沢区大道でとび職を生業としていたが、軍港として栄え始めた横須賀に移住し、海軍の軍艦に石炭や砲弾、食料を積み込む港湾荷役労働者の手配師となる。小泉組を創設するや横須賀一の請負組となり、仲仕衆の親分としてその名が轟くようになる。つまり、軍(この場合海軍)と密着し、戦争とともに成長した政商。
 
以上のことから小泉さんが政治家として三代目であり
① 親米
② 朝鮮半島との深い関わり
③ 郵政民営化
などの根がすでに祖父曽祖父からあったことに驚かされます。

ではつぎに本人の経歴について


 神奈川県立横須賀高校卒
 レイプ事件を起こしロンドン大学に遊学
 慶應義塾大学経済学部卒

1969(昭和44)年 衆議院議員選挙 落選
1972(昭和47)年12月10日 第33回総選挙衆議院議員初当選
1978(昭和53)年1月 宮本佳代子と結婚(媒酌、福田赳夫夫妻)
1979(昭和54)年 大蔵政務次官
1980(昭和55)年 自民党財政部会長
1986(昭和61)年 衆議院大蔵常任委員長
1983(昭和58)年 離婚
1988(昭和63)年 厚生大臣(竹下登改造内閣)
1989(平成元)年 厚生大臣(宇野宗佑内閣)
1989年 自民党全国組織委員長
自民党医療基本問題調査会長
自民党筆頭副幹事長
1992(平成4)年郵政大臣(宮沢喜一改造内閣)
1994(平成6)年5月16日 政策集団「グループ・新世紀」結成
1995(平成7)年9月22日 自民党党総裁公選
 落選(87票獲得 当選・橋本龍太郎304票)
1996(平成8)厚生大臣(第2次橋本龍太郎内閣)
1997(平成9)年厚生大臣(第2次橋本龍太郎改造内閣)
1998(平成10)年7月24日 党総裁選で落選
「清和会」(森派)会長
2000(平成12)年 懲罰委員会理事
2001(平成13)年4月24日 党総裁選に立候補
第20代自民党総裁に選出される(298票獲得 橋本龍太郎155 麻生太郎31)

   このときキングメーカーとなった田中真紀子さんは、なぜ小泉さんを推し旧田中派・経世会会長である橋本龍太郎氏の敵となったのか? それは父田中角栄に造反した竹下派⇒橋本派への恨みからだと言われています。(当初 真紀子さんの絶大な人気によって橋本氏を押さえ首相の座についた小泉さんは真紀子さんを切り捨て、人気が下がります。その直後 真紀子さんの秘書給与疑惑が起きるのは偶然にしても 興味深いです。)

2001(平成13)年9月11日 アメリカ自作自演ツインタワー崩壊
直前 日本の米国債購入増える
2002(平成14)年 電撃的北朝鮮訪問
2003(平成15)年 73歳定年制により 中曽根、宮沢両元大臣を追い落とす

   小泉さんは自民党ではじめてメディア戦略をはじめた首相です。経世会=抵抗勢力・守旧勢力と位置づけたマスコミ操作により、わたしたちのほとんどが小泉さんに拍手喝采をしました。橋本龍太郎元首相はアメリカで「できることなら米国債を売りたい」と発言しました。田中元首相以来、経世会はアメリカ追随から脱却しようとしていたのです。けれども、当然それはアメリカの望むものではありませんでした。

アメリカ政府と日本政府が相互に交わしている「年次改革要望書2003年」
 『米国政府は、2007年4月の郵政民営化を目標に、小泉首相が竹中経済 財政 金融担当大臣に簡保、郵貯を含む郵政3事業の民営化プランを、 2004年秋までに作成するよう指示したことを特筆する。』


    そして小泉さん・旧岸派・清和会にとって、経世会は仇敵です。郵政は経世会の利権の温床であり、特定郵便局は集票マシーンでした。「自民党をぶっ壊す」と叫んだ小泉さんがほんとうに潰したかったのは経世会だったのではないでしょうか?郵政民営化とはなにか? 「特定郵便局そして経世会の弱体化、ついでにアメリカの要請に応え345兆円をゴールドマンサックス証券にひきわたし、ご褒美もいただく」小泉さんにとって一石二鳥のしごとだったのです。

    自分たちの利権のためもありましょうが、アメリカの意にはならなかった橋本龍太郎元首相のことをわたしは思わずにはおられません。郵政民営化するにあたって橋本元首相は目の上のたんこぶだったに違いありません。

   
2004(平成16)年7月 橋本龍太郎元総理大臣 日本歯科医師連盟(日歯連)からの一億円献金疑惑浮上、平成研究会の会長を辞任し、同派から離脱。 2005年8月 衆院解散後、総選挙不出馬=政界引退を表明。
2005(平成17)年9月 郵政総選挙
2006(平成18)年7月1日 橋本元首相、東京都新宿区の国立国際医療センターで敗血症性ショックによる多臓器不全のため68歳で死去。


2006(平成18)年  商法改正・外国企業による外国株のとの交換方式での日本企業買収が可能となる。(日本の株価は実質より安いため優良企業の多くに外資が入っている)商法改正については小泉さん、竹中さん、のほかにオリックス・宮内氏が深く関与という情報。

    今回、鳩山さんがやめることになった例の簡保施設、オリックス売渡しとつながるのが興味深いですね。ご褒美とも考えられます。郵政民営化はまだ完全に終わっていません。郵貯350兆はスイスの銀行からアメリカの民間会社ゴールドマン・サックスに移されすでにその多くでいつ暴落するかわからない米国債が買われ、アメリカの火の車を支え、戦費にもなってしまいました。

    今後の展開として「ゆうちょ銀行」と「かんぽ生命」の株式の上場をし、それぞれ半分以上、ゴールドマン・サックスが経営支配権を持つまで買わせるシナリオがあるのではといわれています。これにて郵貯民営化が完成するのです。西川社長は郵貯民営化に最初から参画し内容を熟知していますから、シナリオに欠かすことはできません。それが小泉さんが西川社長にこだわり画策した理由でしょうか。


    小泉さんのルーツから経歴をとおして見てまいりました。就任後 ただちに行った北朝鮮行き、空白の10分、経世会狩り、長老追い落とし、郵政民営化、商法改正、アメリカの野望と日本売り ....。これが小泉劇場のより真実に近いストーリーです。そのなかに小泉純一郎という政治家のビジョンや志は幾許かはあったのでしょうか。それにしてもわたしたちは愚かでした。この国のひとびとが営々とたくわえてきたものがむだに流れ出してしまいました。

    この8年間のあいだにもうひとつ起こったことといえば、マスコミが権力のお目付け役という自らの使命を放棄したことです。それだけでなく旗振り役さえ努めた。小泉さんの「構造改革」という欺瞞をみずから国民に宣伝した。力と金に屈した。日本のマスコミはすでに”死に体”です。ジャーナリズムとはなにか?関係の方々はもういちど深く考えていただきたいと思います。

    この状態のなかでわたしたちができることはなにか? 真実を語るひとの小さな声に気づき、自分の目で見、耳で聞き、真実を見極めなくてはなりません。そのうえで考え、手をつなぎ行動する。沈黙から行動へ、祈りとともに行動へ。それしかわたしたちの暮らしとわたしたちの子どもたちの未来をあかるくする手立てはないのです。次回は不良債権処理についてお伝えしたいと思います。    


 小泉純一郎ウィキペディア


小泉純一郎の出自考


かんぽ叩き売り


現代の政商

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    みなさま お元気ですか? あと3回.....と思いながら、だんだんしんどくなってきました。

わたしのとても好きなケルンコンサートいっしょに聴いてください。

ケルンコンサートⅠ


















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ソロモンブラザースビル
     
   わたしたちはウソをつくことはいけないと子どものころから教わってきました。だから国や社会の公器である新聞それにテレビがウソをつくなんて考えもしませんでした。けれども今は、信じる確かなものが社会に歴然とあるという状況ではないようです、アメリカ国民の80%は911についての政府発表を信じていないという調査結果があります。

資料1

   911の真相を知るために、ブッシュ大統領の家系はヒントになるかもしれません。祖父プレスコット・ブッシュはナチの会社を経営して金持ちになりました。繁栄はブッシュ一族に受け継がれ、兵器産業に投資されました。ファミリーが所有するカーライル・ミサイルはイラク戦争で使われました。レーガン政権の副大統領、そしてその後大統領になったパパブッシュはサダム・フセインに武器を送り資金を供給し、彼が細菌戦の菌株のイラクへの輸送を許可したことで、イラン軍やクルド人に化学兵器で攻撃を加える力をこの国に与えました。そして息子ジョージ・ブッシュは43代アメリカ大統領になったのです。 ビンラディン家とブッシュ家は仲がよかったと言われます。けれどもこうした情報をマスコミは流しませんでした。


リンク
   

    あの日 2001年9月11日 4時47分ツインタワーが崩壊したあと BBCの生放送で女性アナウンサーがマイクを手に叫びました。「たった今 報告がきました。サイモンブラザースビルが倒壊しました」アナウンサーは続けて三度さけびました。サイモンブラザースビルはツインタワーが崩壊したあと、爆撃も火災もなくたった5.5秒で崩壊したビルです。

    けれども、その時アナウンサーのうしろの窓にサイモンブラザースビルはまだなんの損傷もなく建っていたのです。ビルが崩壊したのはその20分後のことでした。これはなにを意味しているのでしょう? 911に疑問を持ったひとは大勢います。ビル爆破倒壊の専門家であるバン・ロメロもそのひとりです。バン・ロメロは「貿易センタービルの倒壊は爆弾によるものだろう」と考えました。

    米政府の公式見解は「ジェット燃料の爆破」ですが、実験の結果 ジェット燃料の爆破では鉄骨が溶けるという1500度には遠く及ばない600度くらいしかならないのです。そしてそのうえに爆弾説を補強する新たな研究が発表されました。貿易センタービルの近くで、倒壊10分後、翌日、1週間後に採取された、合計4つのサンプルを検査したところ、酸化鉄とアルミニウム粉末の化合物である「サーマイト」の一種である「ナノ構造スーパーサーマイト」(nanostructured super-thermite)が、すべてのサンプルから検出されたのです。(Scientists find active 'super-thermite' in WTC dust)


    スーパーサーマイトは、爆弾として使われるため、国防総省によって輸出入や扱い業者が限定されていますが、そのスーパーサーマイトがすべてのサンプルから見つかったことから、やはり貿易センタービルは爆弾によって爆破倒壊した可能性が高いと考えられるそうです。ではだれが....?  なんの理由で.....? こののちテロ許すまじ、という論調と愛国心がマスコミによって鼓舞され、大量破壊兵器を持つテロ国家、悪の枢軸とブッシュはイラクを名指しで非難、ついに爆撃したのでした。

    その後、イラクに大量破壊兵器がないことが証明されました。米政府はなぜ ウソを重ねたのでしょう。そしてマスコミは追随したのでしょう。バン・ロメロはじめ研究者たちは圧力を受けたり大学を追われたりしたのでしょう。下のビデオのなかの文書で「第二のパールハーバーが必要だ」という記述があります。911はパールハーバー? 結果 アメリカはイラクの原油の原油を手中におさめ、イラクの子ども、女性、男性100万人が亡くなりました。今では信じやすいひとびとや国をのぞいてあれはアメリカのブッシュ、チェイニー、ラムズフェルドのたくらんだ自作自演だったと思っているひとが多いようです。


911については ペンタゴンのあまりにちいさな穴、飛行機の破片や部品がひとつも見つからないこと、犯人とされたサウジアラビア人が6人生きて他の場所にいたことなどなど奇妙な点が多々あります。お時間のある方はどうぞごらんください。



911ルースチェンジ

つづき2/4 

3/4 

4/4 




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戦争はなぜ起こるか?

イラクの子ども(日本の給水車のまえで)

紛争とは敵対する戦力が武力を行使して争うこと
戦争とは国家が自国の安全を守るため、または軍事力を用いてさまざまな目的を達成しようとする行為


わたしは語り手であると同時にごくふつうの主婦です。おそらくこのブログを読んでくださる方のなかに、語り手であったり主婦であったるする方は多いことでしょう。政治のことはよくわからないしあまりかかわりたくない.....というスタンスの方も多いでしょう。けれども、7日にわたり、このブログを読んでくださった方はお気づきのことと思います。民族間の反目に見える紛争や戦争、正義の戦いといわれるものの陰に見えるのは経済すなわち資源でありお金であることに。

イラク戦争の目的は豊富なイラクの原油だった。オバマはなぜただちにイラクから撤退しないのでしょう? アフガニスタンに派兵したのでしょう? イラク侵攻を正当にした理由である
①大量破壊兵器、
②アルカイダとの関係

がなかったことをアメリカは認めた。それならなぜ、イラクの油田を返し、賠償金を払おうとしないのでしょう? 同じ理由がベネズエラへの介入、そしてアメリカが次にねらうのがイランと言われています。オバマになっても対外的な方針は変わらないのです。

中国が独立国であったチベットに軍隊を進め、僧侶やひとびとを殺し、ことばや文化を奪うわけは? 原油、豊富な希少鉱物、薬草、水でした。トルキスタンのひとたちの出生率は日本の1/10、中国政府はトルキスタンを消滅させようとしています。

   イスラエルの目的はなにか? ガザ沖の豊富な埋蔵量のガス田、ヨルダン川やパレスチナの湧き水、そして土地です。さまざまな法律をつくりパレスチナを分断し、オリーブ畑にパレスチナのひとびとが入れないようにし土地を奪い、最終的にイスラエル人が入植するのです。

パレスチナの子ども

    国家の欲望、他者を押しつぶしても土地や資源を奪い取ろうという野望。

しかしそれはその国民のほんとうの気持なのでしょうか? ごくふつうのアメリカ人は石油の利権のかわりにイラクの三歳の少女の殺戮を、一家皆殺しをほんとうに願っているでしょうか?
ごくふつうの中国人はトルキスタンのひとたちの弾圧、種を絶とうとほんとうにしているのでしょうか?
歴史上長年のあいだ迫害された“ユダヤ人”がほんとうにパレシチナの罪もないひとを殺し、土地を奪うことに賛成しているのでしょうか?

    わたしたち日本人の大多数はアメリカの傘の下にもぐりこむことと引き換えにアメリカの豊かな暮らしを支え、イラクやアフガニスタンのわたしたちとおなじように、家族のしあわせを願って生きているごくふつうのひとびとの生活を破壊し、殺し傷つけることを望んだでしょうか?

    どこか間違っています。戦争やそれによる富、お金を望むのはごく一部の人たちではないのか、権力の近くに利を貪るひとがいるのではないか.....

チベットの子ども

    アメリカや中国や日本の政府が共通して意図的にしていることがあります。それは世論操作です。マスコミによって誤った情報を流し、真実の情報は伏せて、ある種の気分を作り出す......政府は国民が真実を知ることを望みません。いや、真実を知ることがこわいのです。

    冬の戦士のひとりは言いました。「マスコミに騙された」アメリカのマスコミは911の報復、愛国心を訴え続けました。中国ではネットが禁止になりました。なぜなら、ネットの情報には規制がなく、ひとびとは自由に世界中から国のつくられた報道からは得られない真実の断片を得ることができる、それが民衆の怒りや決起につながることを恐れているからです。中国で自由主義経済を享楽しているのは共産党の特権階級で、多くの農民は苦しんでいます。

    日本のマスコミの実態もそう誉めたものではありません。三大新聞は御用新聞(それぞれ主は違いますが)と化し、記者はヨコタテと呼ばれています。横に書かれた記者クラブでの発表を縦の新聞記事にするだけなのです。それだけでなく金主の意向には逆らえませんから金主の意向に沿った報道をするのです。テレビもお笑いやスポーツに国民の関心をあつめ、三面記事に終始し肝心なものから目を背けさせあるいは意図的にある情報を流したりします。

    わたしたちが知らされないニュースは山のようにある、わたしたち日本人は知ることもなく隔離されたつかのまの平和をむさぼっているのです。たとえば6/3 13兆円のアメリカ国際の所持でつかまった日本人(?)について詳細な報道がされないのはなぜか?

    個人が13兆円という小国家の国家予算に匹敵する債権を持つことがあるでしょうか? それは日本政府がなんらかの目的のために持ち出させたとしか思えません。なんのために?


① アメリカに頼まれて
② いよいよ自公連立政権の命運もあぶないので選挙資金に

という考え方があるようですが、みなさんはどう思われますか?  これからマスコミはどんな決着をつけるでしょう? それともヒトノウワサも75日に任せるのでしょうか?


    
    このように見てゆきますと、戦争は国が起こすものですが、国民が真実から目をそらされ、自らの政府をひとりあるきさせ、自由気ままな行動をさせるために起きるのではないかということに気づくのです。......かつて太平洋戦争がそうだったように........わたしたちは知らず知らずあやつられているのではないか.........国による戦争を放棄した世界で唯一の日本国憲法、世界の希望である9条を変えてしまおうといううねりがまるであたりまえのように起きているのは奥にどんなねらい、どんな目的があるのでしょう......


    さて、真実こそ力です。知ること、そして見過ごさないこと、自分の目で見てたしかめ、考えること、行動すること、手をつなぐこと。 今 世界はたかだか10000人の人間に支配されているという考えがあります。人類は今 どれだけいるの?  68億?  この地球をたった10000人の自由にさせていいのでしょうか? 世界中のひとたちがいっしょになって ぷっと吹けば 吹き飛んでしまうでしょう。

    「わたしたちの地球、わたしたちの未来、子どもたちの未来」をおろかで私欲にまみれた一部の政治家や実業家に売り渡されないように、ごくふつうのひとたちがいよいよ目覚めるときがきたのではないでしょうか。そうしないともう間に合わないかもしれない.....写真の子どもたちがどうかみな生きて元気でいますように、祈らずにはおれません。






 東トルキスタンの子ども

東トルキスタンの人々に平和と自由を 失われた1000万の命
 
チベットの女性の人権

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今日は100万人のキャンドルナイト 闇とひかり
 

   グローバリズム(globalism)とは、(globe)即ち地球主義とも呼ばれ、地球を1つの共同体と考えます。それはうつくしい考えのように見えますが、実際はどうでしょうか?  グローバリゼーションのもたらしたものには大きく3つあるように思います。

①経済のグローバル化
②文化のグローバル化
③国の垣根を越えた組織の誕生


    経済のグローバル化には大きな落とし穴がありました。金融のグローバル化によりアメリカのサブプライム問題は野火のように世界中を巻き込み、今世界は大恐慌の予感に震撼しています。発展途上国は借金返済のため、伝統的食料の生産を棄て先進国向けの単一な栽培を余儀なくされました。多国籍企業の世界経済に占める割合はあがり、それは必ずしも、よいことではありません。競争に負けた国内産業は衰退し、労働者の賃金の低下や失業がもたらされます。他国の企業の進出や、投資家による投資によって、国内で得られた利益が国外へと流出します。
最終的に世界は2割の支配者層、8割の貧困層に分かれるという説があります。   

   日本では国際的分業論によって産業は空洞化し、市場には安い中国製品があふれています。農業が衰退し、食料自給率はじわじわ下がり続けています。いまや食料問題も国家間の戦略になっているというのに。アルゼンチン、中国、オーストラリアで深刻な旱魃が進んでいます。アメリカでは農地が砂漠化、水を地中からくみ出しているのですが、あと10年で水は無くなってしまうそうです。水だけでなく地球が何千年、何万年かかって蓄えた富を人類はわずか100年で食い尽くしてしまうのです。子孫たちは将来、わたしたちの世代をなんと呼ぶでしょう。

   文化の面では、欧米化、アメリカ化、日本化、中国化などがすすみ、多様な豊かな文化は衰退してゆきます。国境を越えたNGOなどの組織、またネットによる情報の共有化は大きな可能性を含んでいますが、まだ世界を動かす強力な力にはなり得ていないように思います。


みなさまはこのままグローバル化が進むことについてどう思われますか?
グローバリゼーションで恩恵を受けるのはだれだと思われますか
 .......

    わたしは語りはちいさな場所がふさわしい......というK先生のことばを思い出すのです。 今のままグローバル化を野放しにするのは、とても危険のように感じます。それは怪獣を田園に放すようなものです。ひととひとのつながりを大事にせず、経済性、お金だけを追求する世界企業や市場経済は世界に混乱をもたらすだけではないか.......より過酷な資源争奪戦、弱肉強食の果てに崩壊がおとずれるのではないか

    ことに食において、グローバリゼーションにはおおきな落とし穴があります。ブルーベリー200g輸入するのに2800CCのジェット燃料がかかりますが、国境を越えると無税になる。しかし国内では6割の税金がかかる。だからキャベツ1個 中国から輸入しないで地元で買えば、エアコン12時間分、CO2の削減になります。玉ねぎをアメリカから買わないで地元で買えば、4時間分の節約になります。(NHK)

    フランスの飲料水が日本のものと同じくらいの値段で売っているのも燃料が安いからなのです。これは不公平だと思いませんか?そして資源のムダだと思いませんか?  消費者や生産者は公平な取引(同じような税金)を求めて国に働きかけるべきだし、身土不二、医食同源とも言われるように食料は地産地消がのぞましい。そのためにどうしたらいいか、個人がひとりひとり考えるべきときなのではないでしょうか?

    おおきな世界がひとつになる、ひとつの秩序を持つことは必要です。おおきな世界がひとつになるためには、どうしたらいいか? 大国のエゴ、大国への追随をなくさなければなりません。そのためにどの国でも国民が政府をしっかりチェックする必要があります。それが真の民度、真の文化というものではないでしょうか? 

    ひとつ確かなことは、わたしたちは望む望まないにかかわらず、世界とつながっているということです。食べ物や衣服はもちろんのこと、ガソリンの値段、光熱費など生きてゆくために不可欠なことが世界の国々の決定や国際情勢によって変動します。受け取ることばかりではありません。知らないうちに税金や年金や預貯金を、戦争のため、大勢のひとを殺すためにつかわれる、そんなことは許してはならないし、それを黙って許せば、いつかわたしたちのうえに子どもたちのうえにおなじ運命がおとずれないとも限らないのです。

    そしておおきな世界とどうように、もっとちいさな社会、コミュニティ、目で見える 手をつなげる 語り合えるゆるやかな共同体の再生が求められているような気がわたしはしてなりません。家庭、そしてちいさなコミュニティが機能してはじめて、根っこのあるグローバル化ができるのではないでしょうか。とりあえず、野菜やお芋を家族でつくってみよう、地元でのつながりを、そしてネットをとおした同じ思いのひととのつながりを深めよう、それがわたしの”ひとつの世界”を見なおすための第一歩です。



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.... 2008年3月13日から16日まで、全米労働大学でイラク帰還兵士による証言集会“冬の兵士”が開かれました。多くのイラク帰還兵が集まりましたが、アメリカのメディアではほとんど取り上げられませんでした。




ジェイソン・ウオッシュバーンの証言

「ジェイソン・ウオッシュバーンです。海兵隊の伍長で、4年間に3回イラクに派遣されました、派兵のたび、交戦規定(相手の確認、軍事目標)が変わりました、振り向くたびに交戦規定が変わっている。

ある女性が通りかかり、大きな袋を持っていた、こちらに向かってくるように見えたので、私たちは、MK19銃をぶっ放した、粉塵が収まると、その袋には食料品がいっぱい詰まっていただけだと分った、我々に食料を持ってきた女性を粉々にしたのです。

暗黙の了解のもとで奨励されていたことがあった。証拠として残すための武器やシャベルを持っていくことです、爆弾を埋めるために使われるシャベルを持っていき、市民を間違って射殺した時、それを死体の上に置けば、武装勢力だったと言える、友人が言ったように、イラク人がシャベルや重そうな袋を持っていたら、撃っていいと決められていた、だから、シャベルや武器を車に積み、市民を殺害した時に死体の上に置き、交戦規則に従い、掘っていたから撃った、と言うのです」


カミロ・メヒアの証言

「息子と車にいた父親の首を機関銃で打ち落としました、首の無い死体のそばに人が立っていたが、その表情やどんな人だったかが思い出せません、人から死体のそばに立っていたのは彼の息子で子供だったと聞きました。

父親の首を落とされた息子の顔を記憶から消し去ったり、イラク人の死体と写真をとるのは、人間性を喪失しないとできないことです、戦争は人間性を奪うのです。

我々の世代は、100万人のイラク人が死に、500万人が難民となり、米兵は4千人死亡、6万人近く負傷、しかも我々は精神的病気、心的外傷後ストレス障害を抱えて帰還した。

戦争はこの国の一つの世代をまるごと非人間化し、イラクをまるごと破壊した、我々の人間性を取り戻すため、イラクから軍隊の無条件即時撤退を要求する、すべての帰還兵に福利厚生を要求し、イラクの人々が自ら国を再建するため補償することを要求します。」


ジェフ・ミラードの証言

「軍ではイラク人やアフガニスタン人に限らず、自分たち以外の人間をハッジと呼びます。

2005年の夏、42歩兵師団の作戦地域の交通管制地区で銃撃がありました、それはイラクで毎日起きています、スピードを出して来る車があり、機関銃手が脅威と判断し、50口径の銃弾を200発撃ちました、母親、父親、子供二人を殺し、男の子は4才、女の子は3才でした。夕方、将軍に対する報告会で、担当官がこの件を説明しました、その時、司令官のロシェル大佐が、部下の方を向いて、ハッジの馬鹿が運転を知っていたら、こんなクソみたいなことは起きなかった、と言った、周りは将校や下士官たちばかりで、私が一番下の階級でした、誰も抗議しません、首をかしげるものもおらず、全員がそのとおりだと思った、ハッジの馬鹿のせいで、こんなクソみたいなことが起きた、信じられませんでした、でも本当なんです、このことが忘れられませんでした。

ハッジという言葉が聞こえるたびに、あたりを見渡しました。あの射撃手は、このことを一生背おって生きていく、あの日、皆殺しにされたイラク人家族、それをロシェル大佐は考えない、こんな人種差別と、非人間化が、戦争の最高司令官に始まり、最下層の兵士まで浸透している。ハッジとは、聖地であるメッカを巡礼したイスラム教徒のことで、地元の人にとっては尊敬すべき人を指す言葉です。それをアメリカ軍は軽蔑すべき人という意味で使いました。アメリカ軍のイラク占領政策の根底には差別感情がありました。」


マイケル・デュークの証言

「私はマイケル・デュークと申します。海兵隊第一大隊、武器小隊に属し、2004年6月から12月までイラクに派遣されました。2004年10月末、僕の中隊はファルージャの基地近くにある イラク訓練センターに転進した。二回目のファルージャ侵攻・亡霊の怒り作戦のためでした。

ある日 大隊の法務官が全員を招集した。彼は大隊で軍法の最高権限を持つ人物だった。従軍記者がいないことを確かめて法務官はファルージャの交戦規定を指示した。「何が敵対的行為か、これから最も階級が低い兵卒にも、判断をまかせる」ということだった。

また「発砲偵察」という戦術を奨励した。この戦術では家や建物に踏み込むとき、危険や不安を感じたらどんな攻撃をしても良いと許可された。これで僕たちのやり方が本当に大きく変わった。それまでは、攻撃の段階的拡大とやり方で、厳しい条件の下で武器を使った。しかし今すべての住民が敵対しているとみなす。

法務官は最後にこんな質問をした。
「海兵隊の諸君 武器を持つ人間がいたらどうしますか?」誰かが声を上げた。銃を撃つ?
「違う、発砲し威圧することと射殺することは別だ。もう一度質問する。武器を持つ人間を見たら?」
「殺す!」
「双眼鏡を持つ人は?」
「殺す!」
「携帯電話を持つ人は?」
「殺す!」
「何も持たず、敵対行為が無くても、走っている人、逃げる人は何か画策しているとみなし、殺せ。白旗を掲げ命令に従ったとしても、罠とみなし殺せ。」

ファルージャで僕たちは、その交戦規定に従い最初の三日間特に激しい戦闘が続いた。ブルドーザーと戦車を使って家屋を一つ一つひき潰し、瓦礫の上を歩いた。戦闘が始まって数日後に町は静かになった。僕たちは家屋の中に隠れた。数時間から一日二日も隠れたので退屈し癇癪を起こし、やっちまおうぜと、人間は撃ちつくしたから、犬や猫や鶏など動くものは何でも撃った。

道に放置されている死体に名前をつけている隊員がいた。腐乱のランディ、胴体トニー、道に横たわる死体の頭を標的に銃の照準を調整する隊員もいた。狙いをつけて撃ち、左にそれるなら照準を調整してまた撃った。みんなでモスクの屋根にいた時、前日占拠したばかりのモスクで、陽がさしていた。さほど遠くないところに家があり、その地下室に家族全員が隠れていたようで、男数人と女数人、たくさんの子供たちが出てきて、手を振ったので、武器を持たないことを知らせようとしているのだ、と思ったが、隊員の一人がそれを見て発砲した。

彼らはみんな逃げもう見ることはなかった。いろんな家に入り込み、そこにあったアルバムの家や近所の写真を見た。今の状態と写真を比べ僕たちは大笑いした。
街の下水システムが爆弾で破壊され下水が道路にあふれ出ていた。その下水に死体がいっぱい溜まり、恐ろしい光景だった......

私は良いことをしたくて軍隊に入った。人々の役に立ちたかった。イラクでそれができると思った。私は若すぎて、浅はかで、間違っていた。何かあったことで僕が大きく変わったというつもりはありません。自分がしたいと思っていたことができたこともあったし、誇りを感じたこともあったが、みんなやるしかないからしていた。正しいことも間違ったことも、命令されれば、やるしかなかった。」


マイク・ロビンソンの証言

「2003年6月20日、強制捜査の任務につき、機関銃を持ってビルの中で仲間を援護している時、IED=手製爆弾が仕掛けてあり、足を吹き飛ばされ帰国することになった、帰国して市民生活を再開したが、怒りの発作がおきて、妻とは殴り合いの喧嘩をして、数回逮捕されそうになり、離婚した、職も失った、怒りの発作が起きて、仕事が続かない、家も失った、妻が出て行き家賃が払えなかった、友人を回り、路上やどこにでも寝た。車にいるときに、路上の人を銃撃する幻覚を見る。

銃撃し、自分にだけに爆弾の音が聞こえる、これは何だろうね?あたりは血の海で血しぶきがかかる、
毎日死ぬことばかり考えていた、頭はどう自殺しようかという考えでいっぱいだった、去年の1月19日、私の誕生日、一人ぼっちだったから、酒場で飲んで酔っ払い、....銃で頭を吹き飛ばそうと思いながら歩いていると、女友達のエリザベスから電話があり、励ましてくれたので、自殺しないですんだ。それから3才の娘と会い、エリザベスの娘だが、彼女が私の生きる理由になった。サラは、3才だが、この子がいるから生きることができた。
この子がいなければとっくに死んでいた。..........」



   戦争とは侵略されるほうだけでなく、侵略の手足となって使われる兵士たちにも大きな傷を残すのでした。心を持った人間なら、あたりまえのこと....18歳やそこらぼ青年たちが見たこと、したこと、そしてそれを語ってくれたことは映画をみていたひとの心を打ちました。心的外傷後ストレス障害は治ることがないそうです。........大学奨学金が貰える、職業訓練になり、各種給付金もある、家が持てて友人ができると言って兵士を募集します。大学に行きたい、仕事がない、どちらかといえば貧しい人が兵士になる、されるのでしょう。

    兵士を募集するときは、いいことばかり宣伝します。市民を殺す、虐待するという事実は言いません。現実には兵士にも目を失ったり、手足を失ったり、生活できなくなってホームレスになる人、幻覚に襲われ苦しむひとも大勢います。......そしてそれは明日の日本のすがたかもしれない......若い人のなかで正規雇用者が減っているという実態、そして日本の軍事予算は世界第五位(2007)という現実。

  
   わたしたち日本人にとって、もっとつらいこと、正視しなければならないことがあります。“アメリカの莫大な戦費を支えていたのは実は日本だった”というまぎれもない事実です。

日本は自衛隊を派遣するばかりでなく、米国債を買うことで、アメリカのイラク戦争を支えていた........(911の前とファルージャ大攻撃の直前に米国債の購入額が増加しているのは偶然とは思えません。)100万から160万人といわれるイラクの死者、(そのうち70%は女子どもでした)そして500万人の家をうしなったひとたちに対して、どんな顔ができるというのでしょう。

   語り手とはなんだろう.......知らなかったといいながら、先日書いたように自分のお金(預貯金、年金、税金)が国の予算としてつかわれ、アメリカの派兵を支え、イラクの子どもたちが町を家を壊され、血を流し、殺され、苦しんでいる.....間接的にひとびとを苦しめることに加担している。それでも日本の子どもたちに、愛や平和を語れるのだろうか.......”せかいいちうつくしいぼくの村”の読み聞かせができるのだろうか?......被害者のような顔で”わたしがちいさかったときに”を語れるのだろうか? 
わたしにとっては深刻なジレンマでした。でも、あなたにつたえられて すこしほっとしています。


シリーズ 冬の兵士 良心の告発

イラク戦争がどういうものだったか片鱗を見ることができます。

勇気のある方はどうぞ

ファルージャ白りん剤 ボロくずのように見える写真を見てください。

ファルージャ

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   覚えていますか? 2002年10月25日、一人の政治家が亡くなりました。衆議院議員、故・石井紘基さんです。石井紘基さんの娘さん、ターニャさんからおはなしをうかがいました。



   石井紘基さんの政治家としての原点は若き日に留学して見たソビエト連邦の厳しい現実だったそうです。6年の留学を終わって石井紘基さんはソビエト連邦の崩壊を予言します。その予言は20年後に現実となりました。しかし、帰国した石井紘基さんの目には、資本主義自由経済であるはずの日本が、ソ連と二重写しに見えるのです。ソビエトは債務超過で崩壊しました。日本の国家経済の内情、債務残高も惨憺たるものでした。

「このままでは日本も崩壊する」

 ソ連の二の舞への危機感が石井紘基を突き動かしました。国会議員の権利である国政調査権を駆使して自ら資料を集め、

①一般会計のほかに各省庁で自由裁量でつかえる特別会計があること
②特別会計が国の予算の実態であること
③3000もの特殊法人があること
 利権の仕組みは官僚+政治家
 特殊法人ファミリー企業が巨額の黒字=国民のお金 国家=赤字
 会計検査院はファミリー企業に手が出せない
④国民の年金や預貯金が知らないうちにつかわれていること→特別会計360兆円
⑤日本のGDPの多く(平成19年度では62%)が実は国官地方自治体であること。
⑥国民を政、官、財がよってたかって食い物にしていること
 ごまかし、詐欺、責任がない、やりたい放題

など、多くを突き止め、国会で激しく追及したのです。
石井議員は国会のバクダン男と呼ばれるようになりました。

   暗殺される前に石井議員は「日本がひっくり変えるほどの情報を入手」したと言ったそうです。その日、石井議員は国会で質問することになっていました。石井議員を襲った暴漢は石井議員の指も切り落としていました。その手がしっかりカバンを握って離さなかったからでは....といわれています。カバンの中にはその日、国会で質問するための資料が入っていたのです。タクシーの運転手が「犯人がカバンの中身を見ていた」といいましたが、報道もされず、裁判でも言及されませんでした。

石井議員は殺される少し前に予感のように見える手紙を友人に書いています。


 「.......これにより、不都合なひとはたくさんいますから、身辺には注意しますが身に危険があることは覚悟しています。身を挺して戦わなければならないのが歴史的仕事なのでしょう...... それにしても、こんな国のために身を挺する必要があるのかと思うこともあります。......日本よ 滅びるなかれ......」


   石井議員が殺されたのは金銭トラブルと報道されました。2004年、6月18日東京地裁は、伊藤白水(はくすい)被告(50)に対し、求刑通り無期懲役を言い渡しました。裁判官は、「被告の供述は荒唐無稽(むけい)で全く信用できない。遺憾ながら犯行動機の詳細について解明するのは困難だ」と述べました。そして伊藤被告はその後 裁判での供述はうそだった、ひとから頼まれたと語っています。
ほんとうは、だれが石井議員を殺したのか、藪のなかです。石井議員は国のために国民にために戦いました。一方犯人は石井議員がいなくなったことで得をする人間であるに違いありません。


日本経済の現状

一般会計歳入53.6兆円残り借金 歳出83.8兆円
このうち21兆円が国債償還と利払い
小泉政権5年間で200兆円 借金が増えています。小泉政権の構造改革とはいったいなんだったのでしょうか?

国の収入と支出一般会計(財務省HP)

公債残高(財務省HP)実際は国の借金はすでに1000兆円を越しているといわれる


日本病の正体 

石井こうき
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   みなさま おげんきですか? わたしはこのブログのほかに三ヶ所書く場所を持っています。ミクシーで実のあるコメントをいただき いろいろ思うことがありました。どうやら わたしは スピリチュアル....というのは 不思議なものでも特別なものでもなく 現実ととなりあって存在する.....と思っていたのでした。 なぜなら子どものときから ときおり ありえないものを聴いたり、気配を感じたりしていたからです。

    語り手をしているのも 語りそのものがモノガタリ (見えないモノを語るもの)だから ポンとそちらに飛んでしまう時がある....それで 語ってきたのです。  現実感覚とスピリチュアルな感覚とくらべると、 スピリチュアル....なものにはある圧倒的な感覚があります。 現実感覚が外からの刺激なのに対して内とどこかが 強烈につながるんです。現実よりリアルです。そういう感覚って特別だと思われるようですね。

    けれども、スピリチュアル....それは、なにもオーラの泉にあるのではなく、ヒーリングスペースにあるのではなく、だれでももっている回路のようなものではないでしょうか。。こんなことは現実にあるはずない、その思い込みが回路を閉ざしている。 だれだって あるのじゃないでしょうか? 虫の知らせとか.... 此処はなんかヤダナという感覚.....反対に清らかな気も。語りや舞台関係の方にはそうした感覚の方 多いのではないでしょうか。


    ........スピリチュアルと日常生活はかつて密実一体のものでした。onlyじゃないのです、まるごとでひとつ.... 木や川すべてが神だった。生活が祈りだった。身体、感覚、魂はひとつだった。そこから溢れることたま.....だから800年まえの日本人は『ハナ』というだけで、その花のいろ、かおり、そのハナのすべてを伝えることができたのでしょう。

    その”ひびき”をいくらかでも取り戻すために、わたしは、身体と心と感覚の一体化を 学びました。......RADAのニクラウスさんは 心(mind)はspiritual につながるといいました。 その意味が今 じわじわとわかってきたように 思います。 語り....は語り手本人をまるごと映す。 だから 語りを学ぶことは即自分をみがくことだ.... と思ってきました。

    そうでもあるのだけど それだけでもない.... と今 思うのです。 自分をひろげて 世界とつなげて そのうつくしさをイタミを喜びを感じて....
心と魂と身体が器から溢れるように、行動する.....そこから、語りもまた 生まれてくるのだと。現実のちいさな一部として、自分の一部として、語られるものとしてものがたりはあるのじゃなくて、生きること...とものがたりがひとつなのだと....そういうふうに感じたのです。

    現実世界は混沌としていて それこそ在り得ないことばかりです。経済の破綻 グローバル化が世界中をまきこんでゆく 農薬でたった40年で大地は干からび、湖も干からびてゆく ガソリン 鉱物 食糧 水資源の争奪戦がはじまっている 5歳の子どもがばくだんを抱いて殺される 兵士はだまされ傷つき殺され 兵士に女や子どもが殺される 国はウソをつき、ひとの財産をかすめとり、ひとびとを 金のために 虫けらのように殺す。 わたしたちは なぜか それを受け入れている.....

    刷り込まれているんですね。しかたがないじゃない...... だって これが現実だもの.....そして子どもたちにはそのようなものは見せない、子どもたちも世界のイタミを知らないで育ちます。食べ物がどうやってつくられるのか、肉を食べるのはどういうことか、チョコレートがどんな労働の果に日本のスーパーに並ぶのか。 (子どもたちが多く過酷な労働を強いられているのです)

  .... 在り得ないことやモノが存在することを知っている、感じるという立場には多くのデメリットもありますがもうひとつメリットがあります。それは他の生き物やモノに『共感』できる感覚 を持っていることです。地球やひとのイタミに敏感だということ。



   ......語り手はきれいごと、別世界のこと、昔のことだけを語るのではない、うつくしいものがたりやさしいものがたりを語るときでさえ、ものがたりとつながっているだけでなく、天とつながっているだけでなく、聴き手とつながっているだけでなく 現在と 地球の今と あらゆる美とともに あらゆるイタミや汚濁、悲しみともつながっているのだ そして希望とつながっているのだ.....そうありたいとつよくつよく思いました。つなぎ目としてものがたりのうつわにものがたりとひとつになって観ていたいと思いました。

    それが三日間 11本の映画から世界の今 を観て友人たちとコメントを交わして感じたことです。世界や日本で現実におきていることに目をつぶらない、まず自分が変わろう、ちいさな場所でちいさなことでいい、行動を起こそう。そうしないと子どもたちにあしたがありません。わたしたちの明日さえもうあぶない。結論を先に書いてしまいましたが、すこしずつ 地球の世界の日本の 今 を書いてゆきます。信じられないことばかりかもしれません。


    夕べルイのところに行ってあそびました。
男の子なので、ディケイドとかヒーローもののおもちゃばかり.... 最初はヒーローの剣におもちゃの機関銃で 応戦していましたが..... 殺されるのにもつかれたので.....

「かばさんと冒険にいこう」とさそいました。 ルイとカバとキリンのぬいぐるみ それにジャビット ジャングルの河をダンボールの舟で下ります。 とちゅうにスフィンクス(パパ)がエプロン かけて待ってます。

なぞなぞ
「庭にいる鳥は?」

「ヒントは?」

「ニワ にいるトリ」

「にわとり!!」

首尾よくこたえて 闇の国に白いオオタカ が抱いているダイヤモンドの卵をもらいに行く 。暗い部屋・常闇の国.....1回目はこわくて戻ってきました、二度目は!!

ルイは女王に剣を授けられ騎士ルイ卿に.... そして悪魔ルシフェルの魔法で石にされた ひとびとを助けに、くろがねの山に 青い花をさがしに向かいました...... 彼はひとびとを助けるために寝室でお布団と格闘しました。


わたしが帰るとき 三歳のルイは直立不動で.....

「ありがとう おかげで きょうは たのしかった」

ご褒美をありがとう ルイ....バーバ がんばっちゃうよ.....




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    東京平和映画祭、三日間で10本の映画を観て、6人のお話を聴きました。真実の重さや質だけでなく、どうしても語り手として聴いてしまうのはサガですね。3つ選ぶとしたら、
    「花はどこへいった」
    「雪の下の炎」
    「冬の兵士」

    やはり日本の監督、それも女性の撮った映画が身に沁みました。リズムと湿度、風土にあった感覚が関わっているように思います、語り手としても大きな学びでした。とてもとても伝えたいこと、聴いてもらいたいことをつたえるにはどうしたいいか....ということです。論理的に段階的に.....証言を重ねる......エピソードをまじえて笑いとともに....提案しながら.....語りかけ問いかけながら.....さまざまな方法があります。個人的には客観性のある視点で淡々と静かに風景やひとびとの表情やことばを紹介してくださるのが 主張や警告や呼びかけよりも身に沁みました。歌と静寂と微笑みは1000の雄弁より勝りました。

   「花はどこへいった」は坂田雅子さんが夫グレッグを肝臓癌で亡くしたあと、死の原因がベトナムで浴びた枯葉剤ではなかったかと示唆され、愛するひとがなぜ死んだか知るためにベトナムに旅だつものがたりです。

    米軍はゲリラの隠れ場所を無くすためそして、食料の補給を経つため森に野に川に大量の枯葉剤....エージェントオレンジをまきました。翌日木はすべて枯れました。しかしそこで枯葉剤を浴びたベトナムとアメリカの兵士、そしてベトナムのひとたちはそののち、業苦にあえぐことになるのです。たくさんの目の見えない、手足のない、脊髄損傷の赤ちゃんが生まれました。枯葉剤=ダイオキシンは遺伝子をかく乱するのです。

    ダイオキシンは大地と遺伝子に沈み込み、祖父母が浴びた第三世代の子どもたちも被害にあい、家族のなかに2人、3人の障害児を抱える家族もいました。自分の身のまわりのこともできない子ども.....それは貧困を意味しました。雅子さんは、あたまのふたつある子どものところに行こうと案内されます。

    クアンチ省カムニア村はエージェントオレンジが大量に何度も散布されたところです。人口5673人のうち障害児が158人います。ズエン(男の子、8歳)....が生まれたとき、おかあさんは赤ちゃんを見せてもらえませんでした。7日後、家で赤ちゃんとはじめて対面したときおかあさんは気絶し、2日間泣き明かしたそうです。赤ちゃんはイーイーイーとうめき声をあげ続けました。今もおかあさんはズエンにつきっきりで世話をしています、姉のヒエン...12歳は母のかわりに父をたすけ農作業をして、ごはんもつくります。そして時間があるとズエンとあそびます。

    「たいへんでしょう?」と通訳が訊くとヒエンははにかむように首をふって「ズエンがだいすきなの」といいます。貧しいけれど一家の顔は狭い暗い家のなかはほのかに光をおびているようでしたベトナムには戻ってきた元アメリカ兵が建てた支援センター(フレンドシップセンター)があります。元兵士はひかれるようにベトナムに戻ってきました。彼はここで戦ったのに、人々のことは知りませんでした。受け入れてくれるだろうか?彼は罪悪感と不安でいっぱいでした。

    街で若者が声をかけてきました。彼は勇気を出して前にベトナムに来たことを告げました。......「それじゃ 敵じゃないか」....「....ようこそ」若者は彼を抱きしめました。かつての敵同士、被害者と加害者が、いまは寄り添って家族のように生きているのです。雅子さんはグレッグが亡くなるすこし前の夜、語ったことを思い出しました。.....僕たちはひとりじゃない....みな宇宙とつながっている.....。

    わたしは3日間 涙をずいぶんとこぼしたけれど、この映画ほど泣いた映画はありません。雅子さんに許可をいただいていつか語らせていただきたい....と思っています。








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    ひさびさに参宮橋オリンピックセンターに行きました。2年前の8月語り手たちの会で”身体と心をひらくワークショップ”を開いて以来です。(カテゴリー、ワークショップにあります)歩道橋のわきに泰山木の大木があるのですが、直径30センチもある五弁の白い花が天にむかって咲いていました。芳香がただよってきます。道路際のフェンスの向うにはどくだみの花がけなげにちいさな白い花を空に向けて咲かせています。花弁の数こそちがえ、いろもかたちも黄のめしべもよく似ているのに気がついて、なんだかうれしくなりました。

     


    今日は東京平和映画祭の初日です。4本の映画を見ました。そのうち二本のドキュメンタリーを紹介します。

「雪の下の炎」
    2006年、イタリア・トリノで死を覚悟したハンストがありました。「チベットを弾圧している中国でオリンピックを開かないでほしい」というハンガーストライキでした。IOC副委員長マリオ氏が二度訪れハンストをやめるよう説得、イタリア政府が声明を出すという約束をしたので、13日目にハンストは終わりました。しかしイタリア政府は約束を反古にし声明を出さなかったのです。このハンストをしたひとりが老僧パルデンさんでした。
   
    パルデンさんは28歳のとき、中国政府に捕えられました。チベットはもともと独立国でしたが1959年中国が侵攻したのです。「チベットはチベット人のもの」といっただけで、ダライ・ラマの写真を持っているだけで捕えられ、巨大な監獄に作りかえられたダプチ僧院にたくさんのチベット人が収容されました。そこでは日常的に拷問が行われていました。

    裸でさかさまにつるされる、ガラスの破片のうえに膝まずくかされる、電気棒を口に入れられる(パルデンさんは歯を失いました)かずかずの暴行を受け、脱獄し、ふたたびつかまり、パルデンさんは33年のあいだ、獄中にいました。中国政府がチベットの人たちを拷問で痛めつけるのは、意志を打ち砕き別人に改修するためです。自分の考えを棄て中国を認めると釈放されます。最後まで自分の意志を棄てなかったパルデンさんがチベット1992年釈放されたのは、支援する海外のひとたちが中国政府にパルデンさんの釈放を何度も何度も要求したからでした。

    僧侶はうそをつくことができません。当時15000人から10000人いた僧侶は今600人から300人しかいないそうです。信仰を棄てるまで解放されないのですから残りの僧侶、尼僧はどうなったのでしょう。ぜんぶで120万人のひとが殺され、自殺し、餓死により亡くなりました。10万人のひとが極寒のヒマラヤを越え、ネパールを経てインドへ逃れました。チベットは自治区になり、今では漢民族の方が多いそうです。ひとつのうつくしい国、日本人によくにたひとびとが平和に暮らしていた国が消滅したのです。


    なぜだと思われますか?  チベットには油田があります。豊かな鉱物資源、薬草の宝庫であり、きよらかで豊かな水があります。中国政府はそれを奪ったのです。次に狙っているのがウィグル自治区で着々と準備を進めているそうです。

    パルデンさんは信仰を棄てなかったから祈ることも許されなかったがダライ・ラマを信じていたから過酷な獄中の生活を耐えられたのだといいます。のどがカラカラに乾いていたとき、獄中の仲間が「水がほしい」と言いました。水などありません、看守はくれません。パルデンさんは舌で歯茎を刺激し、唾液をだして、水のかわりに仲間に口移しで飲ませました。そのひとは「もし、君がこの苦難を乗り越えたらチベットのために闘ってくれ」と言い残し亡くなったそうです。パルデンさんは、今も非業の死を遂げたたくさんのチベットのひとのために闘いつづけています。

 パルデンさん



     「レインボー」
     昨年11月からのイスラエルのガザ攻撃を覚えていらっしゃいますか? この映画は2004年、イスラエルのラファ攻撃の記録です。この攻撃にイスラエルがつけた名前をレインボー作戦といいます。たくさんのものがたりが生まれました。


.......屋上の鳩にエサをあたえに行った妹アスマと弟アフマニ、三分後爆撃の音がしました。いそいでふたりを見にいくとアフマニの頭は割れていた、ちいさなアスマも目と頭を貫通されて眠るように息絶えていました。イスラエル兵が向うの建物から狙い打ちしたのです。

     飴を買いに行った5歳の娘ラワーンは撃たれて死にました。生後二箇月で妻が亡くなり、男手ひとつで育てた愛しい娘、毎夜うでのなかで眠ったラワーン、父は眠ることができなくなりました。家は破壊尽くされ、ありとあらゆる思い出の品、生活道具が散乱しています。イスラエルは自爆テロやロケット弾による砲撃を理由にパレスチナ自治区を攻撃します。でもロケット弾で死んだイスラエル人はわずか5人です。パレスチナのひとびとがどれだけ殺されたでしょう? 

     イスラエルは国連決議を無視し、パレスチナ自治区を分断し、8Mもの壁で囲い、検問所をもうけ自由に行き来ができないようにしています。パレスチナ人は自分のオリーブ畑を耕すこともできません、学校にも病院にも働きに行くことすらもできない日があります。オリーブ油を売ることさえ多くの障害を乗り越えなくてはできません。イスラエルは港、空港、道路、ガス、電気、お金 すべてのライフラインを押さえています。自爆テロのことばかりがパレスチナと思われかちですが、現地に滞在した塾の先生森沢典子さんによればハマスのひとたちは日頃、パン屋であったり先生であったりするふつうの若者なのだそうです。アメリカのODAの80%がイスラエルへの武器無償供与、最新の武器が雨霰とふりそそぐなかで、閉じ込められた彼らはいったいどうすればいいのでしょう。


     イスラエルのパレスチナ爆撃のほんとうの理由はなに?  

ひとつには2000年にガザ沖で発見された豊富なガス田があるからだといわれます。もうひとつはパレスチナの豊かな水です。チベットもパレスチナも同じですね。それだけでなく世界中で紛争が生まれるところにはすべて資源、お金の問題があると著述家田中 優さんはいいます。力のある国が力づくでお金になる資源を奪い、国を奪い ひとびとの暮らしを奪う.....

    そして悲しいことに、はるか彼方のわたしたちもその無体な仕打ちに加担しています。日本政府が中国やイスラエルの所業を黙認することで、イスラエル支援企業のものやサービスにお金を払うことで......微力でもなにかやれることはないか......わたしはもう、スタバでコーヒーを飲みません、マクドナルドにも行かない。爽健美茶やコーラも飲まない、中国製の食べ物も衣料品も買わない、ユニクロやしまむらにも行かないことにしました。チベットやイスラエルのひとたちがあたりまえの権利を行使できるようになるまでは。

    チベットでは青い青い空に風が吹きわたっていました。パレスチナの花咲き乱れる庭にも風は吹きわたっていました。希望があるからこそ人は生きられる。チベットやパレスチナのひとびとに希望を.....そしてわたしたちにも世界がいつか、必ずよくなるという希望を......


イスラエル支援企業一覧














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.......松谷みよ子さんの現代の民話を読みました。みなさまもご存知のように松谷みよ子さんは奥深い文学的な再話をすることで民話にあたらしい生命をあたえ、また現代の民話を多く紹介なさった方です。わたしは昔話を多く語る語り手ではありませんが松谷さんの再話はとても好きでいくつか語っています。ももいろお月さん、月の夜さらし、つつじの娘そしてさるのひとりごと......今、気がついたのですが ”月”のイメージが強いですね。.....つつじの娘も若者が峠で娘を待ち伏せする最後のシーンを語るとき.......わたしは若者の隠れる岩と峠をひた走る娘.....を月が煌々と空から照らしている光景を鳥瞰して見ています。...そういえば昨夜の月はうつくしかった、身に沁みる月でした。

それでは、”現代の民話”から三点にしぼって紹介したいと思います。

    イギリスの作家フィリパ・ピアス(とても好きな作家です)の創作ノートには「わたしはものがたりの着想というものは、実は誕生以前の経験から生じるものなのではないかと考えるようになったのです。」.........この文を読んだとき松谷さんは、「そうなのね、わたしもよ」と思ったそうです。ひとは意識して現代の民話を語るのではなく、ものがたりの元型はすでに魂にきざまれているということをおっしゃっているのでしょう。ユングの個人的な無意識、集合的な無意識と通じます。人間の脊髄のひとつひとつには300年の記憶が埋め込まれているという方もおります。そのうえにわたしは付け加えたいのです。聴き手もまた誕生以前の記憶とともにものがたりを聴くのだということを、語り手のことばが魂の奥底あるいは無意識の奥底に眠っている記憶を呼び起こすこともあるのだということを。

   松谷さんはこうも言います「いうなれば能舞台はそのまま現世とあの世ではあるまいか」アニミズムの世界、ついこのあいだまで、日本人の死生観とはそういうものだったと民俗学者の方から聞きました。あの世はこの世のなかに、すぐとなりにあるものだった。あの世とこの世は混在していた......悪い霊....神を追い出し、よき霊.....神を招来する田遊びが田楽→猿楽→能楽となっていったのですから、能には日本の死生観が色濃くあらわれるのでしょう。この死と生、あるいは過去と現在が舞台上になんの大道具、舞台装置もなくあらわされることにヨーロッパの演劇は大いに刺激を受けたそうです。ものがたりもまた過去と現在を自由に行き来するものですね。

   もっとも興味深かったのは、松谷さんが口承の民話が書承となる文献となる、あるいは文芸化される、それがまた語りとして語られ伝説となる.....「昔話というものがずっと口承一本で現在に至ったわけではない、口承と書承をいったりきたりしているのだ」ということを野村純一教授との対談の一部を抜粋して書いているところでした。

   松谷さん自身のことばから
「私たちは現代に生きているとはいえ、見聞きする範囲はおのずから限られている。文字化されたもの、映像化されたものから、”現代の民話”の種をつかみとり、あらたなる伝説を創り上げる、それはあってよいことなのだと思ったのである......私たちは勇気を持って、現代の民話、現代の伝説に取り組みたいと思う」


   わたしもまたこの文章を読んで勇気をいただきました。なぜ松谷さんの再話した民話が語りたいという魅力を持っているかもわかったように思います。松谷さんは文献のなかから、あるいは巷のひとびとの証言から、ものがたりの種を拾い出し、自分の体と魂をとおしてあらたなモノガタリを創りだした。その種はすでに松谷さんの内部に存在したものと呼応して甦ったともいえるのでしょう。

   それは語りにおいてわたしが目指していることと不思議にしっくりとかさなりました。わたしは書承の物語を暗記して語ることもありますし、文献をあつめあらたなものがたりとして語ることもあります。書承のものがたりにおいても体と魂をとおす、ことばを変えれば体内で再話しているのです、そこにあらゆる記憶がわたしのなかの情報が付け加えられるのですからそうした意味では変わらないのです。書承の民話、書承の物語を暗記して語るのと、文献から自分で文芸化したものを語るのとどこが違うかと強いていえば、インスピレーションがわきやすい、物語はあるところまでおのずから生成をやめない.....ということでしょうか。

   では、なぜ文献からあたらしい物語を創り出そうとするのか、文芸化したものを語ろうとするのかといえば、ミケランジェロがいったように、そこにあるもの、(ミケランジェロのことばを借りれば神がそこに置かれたものを)彫りだすことをしたいのだ....と思うのです。ことばを替えれば語りの場合眠っているものがたりをもう語ることができないひとの換わりに甦らせかたるのですが、そこにもうひとつの喜びもあります。創造のよろこび.....我がするのではない、しかし我しかできない創造のよろこび......あたらしいものがたりが生まれ、語られ、聴き手の心に届く.......そこで癒されるの聴き手ばかりではなく、また語り手ばかりではないことをわたしは知っています。


   ひとりひとりの語り手はそうしたものがたりをうちに秘めているのです。あなただけしかよみがえらせることができないものがたりを........そうして、それが、わたしがみなさまにこうして夜な夜な語りかけている意味でもあるのです。いよいよ、これからだ! 老いにむかいつつあるわたしも、喜びとともに、拙いながらあたらしいものがたり、あたらしい神話の種をひろいあつめ、育て、生成を見守り、語りつづけたいと思います。神話、中世の伝説、事実からの口承(パーソナルストーリー、戦争のこと、歴史のなかから )そして創作童話.....どうぞ...よかったらごいっしょに。




最後にウィキペディアから民話とはなにか整理しておきます。

.......民話とは、民衆の生活のなかから生まれ、民衆によって口承(口伝えで伝承)されてきた説話のこと。そのルーツは神話にあると言われる。
民話は、内容や形式によって、大きく「昔話」「伝説」「世間話」に分けられる。

#昔話

「むかし」という確かではない時や「あるところに」という不明な場所を用い、本当にあったかどうかは知らないけれどという心持ちで語り継がれる話 。

#伝説
ある特定の人物や時、場所と深く結びつき、少しは信じてほしいという心持ちを含んで、説明的に語り継がれる話。弘法大師や源義経など歴史上著名な人物が伝説の主人公となることも多い。古代の人物にまつわるときはしばしば神話と区別しがたい。

#世間話
自らが主人公としてキツネに化かされたという類の話。近隣の人や親族、親戚が主人公である場合もある。実話や体験談のかたちで口承される。


フィリパ・ピアス



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..........今年五月、最後の無頼派といわれた天才棋士藤沢秀行さんが亡くなりました。秀行(しゅうこう)さんは、飲む、打つ、買うという放蕩三昧の明け暮れのなかで棋聖戦を六連覇し、66歳で史上最高齢で王座をかちとりました。それだけでなく、胃癌、悪性リンパ種、前立腺癌、いずれも末期と診断されながら、いつのまにかがん細胞が消えてしまったというエピソードの持ち主です。その破天荒な生き方は多くのファンに愛されました。

    ご冥福を祈りつつ、今日は著書”野たれ死に”棋界の米長名人との対談”勝負の極北”から秀行さんのことばを紹介しようと思います。碁や盤面を語りに置きかえるとそのまま、語り手への贈ることばとなるように思います。

     --------------      ---------------



    「碁は芸なのだと私は思う。芸に勝ち負けはない。素晴らしいか拙いか、人の心を動かすかどうか、という格の違いはあるけれど。.......碁には、恐ろしいほど自分が出る。個性、生き方、碁に対する姿勢など、その人のすべてが凝縮されて盤面にあらわれてしまう。」

......いかがでしょうか。語りにもものがたりの向うに語り手がみえます。知識、修練だけでなく、生き方、ひととなり、語りになにを求めているか、すべてが見えてしまう。ひとまえで裸になるようなものだと思います。語りのしくみがそうなってもいるのです。ただ立て板に水のようにものがたりを述べるのでなく、自分の魂と身体をとおったことばがひとのこころに響くのですから....。役者もそうである....とよくいいますが、まとっているものがよけいにあるように思うのです。


......それではひとの心を動かす碁をするために秀行さんはどうすればいいと語っているでしょう。


「日々、これ戦い、毎日の一瞬一瞬の積み重ねが、良くも悪くも、私の碁、私の芸を作り上げてきたのだ。どの芸事でも同じだと思うが、一定以上のレヴェルに達することはもちろん、そのレヴェルを維持するにも、実にたいへんな努力が必要になる。努力をしなければ、腕が落ち、さらに上を目指そうとしたら、それこそ粉骨砕身の努力をしなければならない。そうやって日頃から一心不乱に勉強していると、天からなにか降ってくることがある」

「芸のレヴェルを高めるためには、芸の修行だけではだめだとも思った。人間自体のレヴェルやスケールをアップしなくては芸は育たない。宮本武蔵は絵をやり、彫刻をやり、庭もやっていたそうです。剣だけではなかった。碁だけ、将棋だけ、ひとつだけしかやらずに強くなっていくのはむつかしいのだと思います」

「.......棋譜を見て、穴があったら入りたいほど恥ずかしくなるのは、「勝ちたい」という自分のだらしなさが感じられるときだ。碁は正直だから、ある譜全体やある一手にそれは如実にあらわれる。隠すことができない......勝ち負けは後から自然についてくるものではないか....こだわるべきは自分にしか打てない碁を打つことなのだ......今どんな芸ができるのか、それがすべてなのである。終わりのない芸の道は厳しい。そして、だからこそ、おもしろい。」


.......秀行さんは教えを乞われれば、誰にでもわけ隔てなく同じように教えました。秀行塾と呼ばれる全く無償の研究会からは、大竹英男、林海峰、石田芳夫、加藤正夫、武宮正樹、小林光一、趙 治勲という碁界のキラ星が巣立っただけでなく、中国、韓国の碁のレヴェルアップにも秀行さんの遠征が大きく関与したといわれています。....秀行はなにを考えているのか、教えて強くなった若手に負けてタイトルを取られたら損をするだけじゃないか...と嘲笑されても、それ以上に強くなっていけばいいと笑ったといいます。

   このあたりは胸をうつのです。なぜなら実際に秀行さんは教えた若手にタイトルを奪われ七連覇ならなかったのですから....。そしておなじことをかつてわたしもある方に申し上げたことがあったから......なおそのうえに教えながら心胆震え上がるような語りを聴いたことから、正直どこまで伝えるのか教えるのか、悩んだこともないわけではなかったから.......お金と時間をかけて学んだことを無償でみな教えて自分を越える語り手を育てようというのか........なんとちいさい心もちだったことでしょう。

    ですが三年前RADAで考えが変わりはじめ、昨年本気で思いました。知っていることはすべてわたそう、手放そう。.......わたしが考えた語りの学びのシステムがどこかでつかわれていると友人が心配して連絡をくれました。語り全体のレヴェルが上がるならいいのです。このブログも自分自身の気づきのため、そして語りの魅力にとりつかれて同じ無限の森を歩いているひとのために書いています。...どこまでいけることでしょう。

   
   秀行さんはほんとうに碁がすきだったのだと思います。こうして秀行さんのことばを書いてきて秀行さんの強さや弱さ、ことばのうらにあるものも見えてきたように思います。いままで秀行さんの立派なことばかり書いてきましたが、3年も家に帰らず、中野や江古田の女性にも子を産ませた夫を支えたのは妻のモトさんでした。最後に秀行さんのひとこと、


「バカになって本物になる。」


藤沢秀行

野たれ死に

勝負の極北
    

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時の鐘


.......日曜日、友人たちと川越...NHK朝ドラマ、つばさの街....にいきました。目的は観光にあらず、酵素玄米の講習会です。旧254と254のバイパスを間違えて、彷徨いました。254といっても地元のひとには通用しません、川越街道という昔ながらの名がとおっていました。

   川越の由来は川越氏が治めていたせいですが、名のとおり、川の多い町です。入間川、新河岸川、不老川、高麗川....そして太田道灌が築いた川越城址のお堀....その昔小江戸と称せられた川越は美味しい名店がたくさんあります。講習会のあと、なつかしのカフェレストラン、”小麦市場”へ....

   ランチをたのんで、一目見てはっとして、一口食べてぎょっとしました。......美味しいけれど......「シェフ 替わりましたか?」訊いてみると、やはりそうでした。美味しいのです、標準以上だと思います......けれど美味しい...と絶妙な...のあいだには大きな川が流れています。”冴え”というのか透徹した....というのか、常ならざる、見て、食べて感動を呼び起こす一皿というものがあります。それをあらしめるのはもちろん、ワザ....そしてその底に自分に妥協をゆるさない気持。

  
   語りや読み聞かせもそうなのでしょう。ワザを支えるのは”これでよし”としない想念.....楽しければいいじゃないとか、みな違うけどそこがいいのよねとかの気持では到達できないレベルがあるのです。プロだからとかボランティアだからというのではありません。個々人の思いの持ちよう、それは他者がとやかくいうことではないけれど、自分の今を越えようとする意志をひとは感じる。それがアスリートや歌手でなく、一介の主婦だとしても川を越えようというその意志はまわりのひとを熱くします。わたしはそういうひとを知っていることをうれしく思い、自分もそうありたいと願います。

   

.....小麦市場のシェフの神がかり的スウイーツやサラダがもう食べられないのかと、意気消沈して歩いていた川越の街には素敵なカフェが何軒かありました。和菓子、うなぎ、豆腐、美味しいもの満載の街です。おからドーナツ、芋羊羹をおみやげに買いました。菓子屋横丁には昔の駄菓子屋さんのラムネやス昆布、紙せっけんもありました。

  NHK効果か、夕暮れ時になっても人の流れが耐えません。車で観光に来る方のために街中には有料駐車場がいくつかあります。バスでまわるのも一興です。入間川を夕陽が染めていました。昼間の熱暑とは打って変わった涼しい風に吹かれてわたしたちは川越をあとにしました。


 カフェエレバート(トイレはないそうです)
ほかにも一軒屋の名物カフェ”バチャンガ” ベーグルカフェ、カフェtricycleなどなど....

蔵の街川越散歩




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