遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



   この本大好きの小松崎先生の国語の授業に出席しました。今日はスペシャル....20名の生徒(相当古い6年生です)と参観の父兄たちで50~60名の参加者でした。わたしは生徒に入れてもらいました。

   今日の課題は安房直子さんの”きつねの窓”でした。

.......ぼくは鉄砲を持ってでかけました。慣れ親しんだ山のはずなのに、青いガラスのような空の下のうすあおい草原に出てしまいます。そこにはききょうが一面に咲いていて、おそろしいほどうつくしいのでした.....ザザーっと草が動いてぼくはそこに白い子狐を見ました。ダンと撃たなかったのは、巣をみつけて母きつねをしとめようと思ったからです。ところが、子きつねの姿は見えなくなり、ちいさな染物屋がみつかりました。ぼくはその染物やの店員がさっきの子狐だとわかったのですが、ここは知らないふりをすることにしました。

   最初は店員=子きつねをばかにしていたのですが、母狐が鉄砲でダンと撃たれたこと、子きつねがひとりぼっちであることを知ってぼくの心もことばつかいもかわってゆきます。おやゆびとひとさしゆびをききょうでつくった青い染料で染めて、そのゆびでひし形の窓をつくってのぞくと、いいものが見える...と子きつねはいいました。僕はのぞいてみました。すると白いふさふさした尻尾の母きつねが見えました。

   ぼくもゆびを染めてもらい、代金の換わりに鉄砲をわたしました。もう惜しくはなかったのです。ゆびで窓をつくってみると、なつかしいもう二度と会うことのない少女が見えました。もういちど覗くと、火事で焼けてしまったなつかしい家の庭が見えました。子どもの声が聴こえました。ひとりはぼく、ひとりは死んでしまった妹の声でした。....もうすこしでおかあさんの声が聴こえるような気がしましたが、ぼくはだらりと腕をおろしてしまいます。

   そして山小屋に帰るといつもの習慣とおり、手をあらってしまったのです。ぼくはもういちど、きつねにゆびを染めてもらおうと思いましたが、もうきつねにあうことはありませんでした。(記憶から書いたので細部がちがっていたらごめんなさい)



   小松崎先生はふたりの方が読んだあと、聴いてどう感じたかひとりひとりに話させました。わたしは....ぼくはいったいいくつなのだろう、20代前半ともみえるし、老年にさしかかったところ...という見方もできるのではないか....このものがたりはぼくにとって忘れられないあるトラウマのようなもの....少女や妹、母を思い起こさせ、受け止める、再生のものがたりのように思います.....のようなことを言ったように思います。(あとで結論を先にいうなんて授業の展開上いやな生徒だったのではと反省しました)

   つぎに小松崎先生はこのものがたりを3つにわけましょうといいました。最初の4行、終わりの6行、そして真ん中部分です。前後は現実、真ん中は非現実.....「これは物語のよくつかわれる形式のひとつです」と先生は言いました。浦島太郎、見るなの屋敷....などたしかに思い当たるものがたりは多いですね。

   そのつぎに”ぼく”の心の変化を描いているシーン、ことばを抜き出させました。....たしかにぼくの心は変わってゆくのでした。そしてその転換点は子きつねの母が鉄砲で撃たれて死んだ...子きつねもそして自分もひとりぼっちであるそれを知ってからだと思います。ものがたりは”変化”を語るのだとすこし前に書きましたが、プロの作家は実にたくみにその変化をエピソードをつみかさねながら語ってゆくのでした。

   最後に”ぼく”はほんとうに無意識に手をあらったのだろうか、それとも意識的に洗ったのだろうかという問いかけがありました。....さまざまな意見が出ました。まったく無意識にという意見が圧倒的に多かったのです。.....ひとは無意識につき動かされて生きています。わたしは ”ぼく”は無意識のなかで 手を洗うことをあえて選んだのだと思います。なぜならなつかしいおかあさんの姿をゆびの窓でぼくは見ようとはしなかったのでしたから。ゆびの窓から見える世界は過去、そしてあの世とつながっているのですから。

   しかし 感想にしろ、解釈にしろひとつとして間違いはないのだとも思いました。小松崎先生は退職され、わたしたちはとうに卒業し文科省の指導要領に準拠する必要はありません。テストはもうありません。答はひとつではないのです。そいて感想や解釈はそのひとの今.......(環境、生き方、感情、知識など)と深く関っているのですね。(わたしは一刻も早くなにかを清算し生き直したいのだと自分でも気がつかなかった自分に気づきました)。

   わたしの友人Mさんはは安房直子さんのものがたりをよく語っていました。わたしは当時 なにがよいのかよくわかりませんでした。今度の授業のなかで安房さんがこの世とあの世のつながりをよくご存知の方だったのだとようやく気がつきました。...そしてやさしい方だったのですね....。


   ものかたりの究極のテーマは生と死そして再生といわれます。人間の真実は時代をへても変わらないのですから、テーマも変わりません。ストーリーテラーの腕の見せ所はそこにどのように到達するか、聴き手や読者が食いつきやすいように、心を動かされるように、さまざまな意匠、ことば、シチュエーション、登場人物で織り成してゆくそのあたりにあるのだと思います。もちろんその深奥に作家、語り手もろもろのストーリーテラーのなかに燃えている火があるのですが......

   読み語りということばがあります。読み聞かせ....と読み語りのあいだにはどんな違いがあるのでしょうね。朗読でも語るひとはいる、語り手にも語らないひとはいる.......読み聞かせ、朗読、語り、そうした分類よりたいせつなのは、取り組む方向ではないでしょうか。読み手や語り手によってことばが届く場所が違うとわたしは思うのです。

   朗読にしても語りにしても文字をとおしてことばを発声する、句読点やスペースに区切られた文字をそのまま音声化したことばを聴くと粗いざらざらした感じがわたしにはします。そうすると情景もなにも見えなくなる。さらには聴くことさえ苦痛になる。 一方文字の縛りを取り去ったことば、魂=身体からそのまま発せられることばには、息吹そのまま生命そのまま乗ってくる.......だからすーっと聴き手の奥底まで入り込む.........それはとても贅沢なしあわせなことなのでした。

    ずいぶんと気がつかせていただいた1日でした。小松崎先生 この本だいすきの地元スタッフのみなさん ありがとうございました。最後に安房直子さんの”やさしいたんぽぽ”を先生は読んでくださった.....なまりのある素朴なとつとつとした声で.....わたしは恥ずかしげもなく涙をぼろぼろこぼしながら聴きました。





   

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    これはさきほど書いた鶏が先か卵が先かの付記です。わたしが中島梓さんを知ったのは少女漫画をとおしてでした。当時はいわゆる花の24年組、萩尾望都、山岸涼子、竹宮恵子が意気ようようと時代を切りひらいていました。中島梓さんはそれらの漫画家の優れた評論を書きました。当時中島梓=栗本薫と少女漫画をむすびつけたものはそれによって中島さんが有名になったやおいでした。

    いわゆるやおいについて、その起源は1975年の沢田研二主演のテレビドラマ...「悪魔のようなあいつ」だといわれます。その「悪魔のようなあいつ」に触発され書かれた作品が「真夜中の天使」1979年であって そこからやおいやボーイズラブが少女たちのあいだにブームとなったと言われています。

    しかし、その先鞭を切ったようにも言われる萩尾望都「11月のギムナジウム」1971年「トーマの心臓」1974年 は外見はそのように見えても決していわゆるボーイズラブのものがたりではありませんでした。.....内面世界を補佐するものとしての少女漫画のあり方から、当初少女漫画における「少年愛」とは、手垢にまみれた既製の男女関係の枠組から自由に、「純粋な関係性」のみをとりだそうとした試み....(藤本由香里boy'slobe)だったのです。

    それが変質したのは竹宮恵子”風と木の詩”1976年でした。河合隼雄は少女の内界を見事に描いている」と評し、上野千鶴子は「少年愛漫画の金字塔」と言いました。しかし当時のわたしの目には見るに耐えないものとしてうつりました。”ある拒絶される愛”として出発せざるを得ない「少年愛」が、異性愛が 陥りがちな安直なパターンを廃して、「緊張感と葛藤」を維持するための装置であるったにしても(竹宮恵子・木原敏江両氏も中島梓との鼎談(『美少年学入 門』)、性愛をことこまかに描くことに、どんな必然性があるのかわからなかったのです。

    ひととひととの魂の交流を描くにあたって、わたしがもっとも感銘を受けたひとつがアーシュラ・ル・グインの闇の左手です。地球人の主人公アイは文明を超えて異星人エストラーベンとある目的を持って道行きをするのですが、彼(彼女)は男性でも女性でもありませんでした。そこにはゆらめくような情動の向こうに結晶のような精神的な愛がありました。人種を超え、性差を超え、ひとはいかにして魂の餓えを癒すようなコミュニケーション、愛を成就させ得るか....それは永遠のテーマです。肉のみの試みは真に癒されることがありません。ひとたび満たされた器は欲望によってまたカラになる。乞愛はとどまることを知らない無間地獄....です。ですからラブストーリーは結婚か死によってしか終わらない。

   究極の関係性、あるいはものがたりに不可欠なものが”障害”です。男性同士で交わす愛情は歴史の一時期、恥ずべきものではありませんでしたが、やおいの生まれた頃は忌避されるとはいわないまでも認知されることではありませんでした。しかし社会的にとりあげられることでゲイ、ホモセクシュアル、少年愛すべてタブーではなくなってしまった、不倫が文化になりあたりまえのことになって、禁断の甘さを失い、それ以前に婚前交渉があたりまえになり、表面的には身分差別もなく、韓国ドラマで多用される兄妹愛、不治の病、記憶喪失などの使い古されたシチュエーションをのぞき恋愛における障害はなくなってしまったのです。

   しかしながら真の関係性のドラマはまだまだ成り立つとわたしは思っています。ここで突然語りの話になります。ひと昔ふた昔まえ村々の炉端、おひまち、おなごしや男衆のあつまりで語られた80%は色話だったと聞いたことがあります。男女間のむつごとは労働に明け暮れる日々の最も大きな関心事であり娯楽であったことでしょう。ひとびとはかなりおおらかに性を謳歌していたふしがあります。明治以降、性はどのように扱われたか、暗闇でひっそり、あるいは悪所で処理するものになりさがりました。


   語りがおとなのたのしみから、子ども向けのストーリーテリングになり、性的なものはおのずと避けられ、おとなのための語りの会でも、一部役者さんの語りを除けば性的なシチュエーションは注意深く排除されることになりました。たとえば”つつじの娘”において、娘は5つ山を越えた村のわかものを恋い慕って通うのですが、その表現は 「夜も寝ないで語り合う日がつづいて、わかものはしだいにやせ、かおいろもあおざめていった」松谷みよ子....とされています。そのような飛躍があるために魔物ではないふつうの娘が聴き手には魔物に聴こえてしまうこともあるようです。それでも、つつじの娘....を語る語り手は多く、高学年の少女たちは目を見開いて聞き入ります。


    さて、ふたたび”やおい”あるいはボーイズラブに戻ります。やおいとは成長を忌避、女性性を拒否して、少年として男を愛したいという少女の内面の欲求のあらわれという説が有力だそうです。昔、若い世代には若い衆宿?というものがあった..と亡くなった叔母から聞いたことがあります。少女から一人前の女性への橋渡しはどのようにおこなわれたのでしょう。......今、徐々に中学校での読み聞かせやストーリーテリングの動きがあるようですが、絵本だけでなくもっと語られていいものがたりがあるのではないかと思うのです。愛することはとてもたいせつなことです。それは自らの男性性、女性性を自覚し、いとおしむことからはじまります。

   わたし自身は今、おとなのための語りに、自然に性が語られていいのではないかと思っています。隠すから隠微になる、興味本位にすると品位は下がる、さりげなくふつうに語ればいい、性をふつうに語ってはじめて、その奥にある男と女の関係性、ひととひとの真も伝わるのではないかと思っています。緊張感を維持するにはさまざまな技法があるのではないでしょうか。もちろん目的は性そのものではなく、性描写をつまびらかにすることではありません。

   筆が足らず、まとまりのない話になってしまいました。中島梓さんのことから、この春 とりくんできた、「さくらひらひら」「たまゆらの紀」など性の彼方にあるひととひととの係わりについて語ったものがたりとつながって思わず書いてしまいました。でも、これでよかった、いつかは書かなくてはならなかったとすこしほっとしています。そして、少女漫画の歴史を変えた”11月のギムナジウム”(萩尾望都)が有志によってアニメ化されたとき、エーリクの母親役をやらせていただいた、そこに語り手としての原点があったのかもしれない、と今思いついた次第です。中島梓さんに心から感謝します。あわせて遅ればせながら米澤嘉博さん(コミケット二代目代表)のご冥福を心からお祈り申しあげます。
(原田さん お元気でしょうか)




闇の左手 光は暗闇の左手、暗闇は光の右手。生と死。(男と女)ふたつはひとつ。


やおいとは

やおいウィキペディア

風と木の詩

トーマの心臓

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   作家であり評論家であった栗本薫(中島梓)さんが亡くなりました。わたしはグインサーガは10巻あたりで離脱、読んだ小説はたぶんキャバレーと真夜中の天使だけでファンではありませんでした。多作のせいだけではない、ある種の粗雑さがわたしには合わなかったのかもしれません。

   ですが、同時代を生きた中島梓さんが亡くなられたことに衝撃を感じています。戦士の死という趣があります。乳癌、すい臓癌になっても書き続けた栗本薫さんにとって、書き続けることに意味があったのだと思います。「文学における物語性の復権」を標榜した中島梓さんは デビュー前から少女漫画の熱烈なファンでした。オリジナリティを重視せず いわば再話の作家でした。少女漫画から影響を受け...たしか特に竹宮恵子さんのファンだったと思います。.....漫画に影響を受けた作品を書かれたし、グインサーガにもあちこちで見たなつかしいものがちりばめられていたように思います。

   アクティブな作家でした。小説以外でも演劇、音楽 心踊るままに手を伸ばし、それがまた小説に影響を及ぼしました。個人的には作家としてより評論家としての中島梓さんに興味がありました。その方面でもっと活躍してほしかった。

   わたしはこのところ ものがたりが先か、それとも語り手(ストーリーテラー)が先か考えていたのです。ふつうの感覚ならまず ”ものがたりありき”なのでしょう。しかし、語り手はすでにものがたりを内抱する....ものがたりを生むのは語り手なのだ....と思いました。もちろんそのことはものがたりが語り手のモノという意味ではありません。幾度も幾度も書いているように語り手は橋でありつなぎ目です。

   語り手はものがたりを伝えるのでなく、ものがたりのなかのいわば光を、”響きとして”伝えるのだと思っています。光は闇があってはじめて存在します。ものがたりは汲めども汲めどもわきあがってきて、語り手、ストーリーテラーをときに苦しくさえします。ひとりひとりの語り手は、だれもその跡を継ぐことなどできない唯一無二の存在なのです。ひとりの語り手(ストーリーテラー)の死はいくつものものがたりが孵らずに土に帰してしまうことに等しい....。けれど それはもちろん意味がないことではない。30年たって文庫が本屋から消えうせたにしても、語られたものがたりが表層の記憶から忘れ去られたにしても、その時代、その場所で幾多のひと、あるいは数名のひとの魂を熱くさせたことは消え去りはしないのです。栗本薫さんはもぎれもなくストーリーテラーのひとりでした。

   ”茨木伝説”をテキストにしました。小説とは違い、語るにあたっては、時間という制約がありますから、わたしはひとつのものがたりを15分から17分くらいにまとめるようにしてきました。けれども茨木はそれでは充分に語りつくせませんでした。前回の”林檎の木”といい、2回、3回にわけて語ることも視野に入れようと思います。カナダの語り手 キャシーのものがたりは3回にわけて語られましたが、待つ時間がとても豊かであった記憶があります。語りたい.....という思いにつき動かされ支えられて”今”があります。この時代のなかで置かれた環境のなかで、それは贅沢に過ぎると思いながら、今日も午後会社を休んでカタリカタリに行きます。


......小説のこと、ご子息のこと、心残りがあったことと思います。あなたは十二分に戦い、傷つき なお書きつづけた....悩める少女たちに手を差し伸べました.....中島梓さんのご冥福を心からお祈り申しあげます。





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   昨年から折を見ては日帰りの旅を続けていた常陸に一泊旅行に行きました。なぜかは知らねど、心誘われるのです。

   イシが浜はとても好きな海岸です。砂浜に座ってパラソルの下で空と海を眺めていましたが、幼な心がうずいて波打ち際に走り波に遊んでもらいました。波が引くとき、隙をついてきらきら耀く貝のかけらを拾うのですが、結局着衣も靴もずぶ濡れになってしまいました。草原では草のうえにまろび大地に接吻...春の匂い、あまやかな草の匂い....しだいに野生に帰ってゆくみたい....。ここ常陸は縄文のひとびとが多く棲んだところです。



   「薔薇の木」という可愛いカフェに今度こそ入ろうと思ったのですが、庭にひっそり花が咲くばかり、閉まっていました。このところ不況をもろにかぶって、個人の経営している素敵なお店がつぎつぎに消えてゆきます。チェーン店だけになったらどんなに味気ないことでしょう。その日、とても美味しいお店を見つけたのがせめてもの喜びでした。磯ごはん、値段も手ごろでこれが実に美味でした。そのお店の創作料理だそうです。




   泊まったのは海辺の萩屋という旅館でした。部屋に入ると一望のもとに太平洋が見渡せ、歓声があがりました。和洋の調理法をとりまぜた地魚を堪能しました。この旅館も料理といい風呂といい、創意工夫のある旅館でした。

   ......そして部屋に帰ったわたしたちは、水平線上に赤い月が昇るのを見ました。今日は満月だったのです。海上に月の道が耀いています。ライトを消し潮騒を聴きながら末娘の二十歳を20本のろうそくを灯して祝いました。夜、わたしは玉石のサウナにこもって語り続けました。お風呂は澄み通ったセルリアンブルー、誰もいません。




   朝、4時45分ごろ、ほのかにすみれ色に染まった空に赤い太陽が昇りました。日輪はぐんぐん昇りやがて黄金に耀き、波の上に煌くひとすじの道ができます。見るひとの胸までも一直線に届くようです。日輪に向かって七度深呼吸をしました。太陽のエナジーが腹中に入り、脊髄が震えました。

   ちいさな旅から戻れば戦いがはじまります。語りつづけることができるか、それさえわかりません。けれども...ひとの人生、時代の嵐に翻弄されながら創意と気概で乗り越えてゆこうとする、あり得べきものに向かってゆこうとする試みこそが、それぞれの”ものがたり”.....なにを逡巡することがありましょうか。

   

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........きのうM先生のところにレッスンに行きました。Yundi Liさんのピアノについて話しました。先生は「一音一音をたいせつにしているから響きがうつくしいのだ」というようなことをおっしゃいました。....そうか! とわたしは思いました。同じ幻想即興曲を素人の方が演奏しているのを聴くと音が濁っているのです。

   一音一音を粒だてるのは地道な日々の修練に身を捧げてはじめてできることなのです。先生の演奏の音色も一音一音がうつくしいです。わたしは恥ずかしく思いました。わたしはただ音を出しているだけ.....。それで進歩がないんですね。レッスンのたびに「やめます」と今日こそは言おうと決心してゆくのですが、先生から教わることはとても深くて、ほんとうにこの方だけは師だと思える、もうすこしがんばろうと思うのです。.......実はきのう叱られました。『どうして自分からやってみようとしないの、調律でも演奏でも、どうしてやってみてそれから「先生 これで どうですか?」って訊けないの?』

   わたしは返すことばがありませんでした。演奏は人間性そのものだ....と先生はおっしゃいました。語りもそうです....とわたしはいいました。困難...を越えれば、幸福しかない...というようなこともポツリ 帰り際におっしゃいました。困難を越えることを楽しめばいい...とわたしは思います。楽しむには重すぎる困難もあるけれど...。

   朝、尾崎豊のバラード を聴きました。美しい声....一音一音のひびきがなんてクリアーで煌いていることでしょう....そして情念にまかせてうたっているように見えて、歌が表現のうえでもみごとにひとつのストーリーとして構築されていることに驚きました。...わたしは今まで好きで聴いていながら気がつかなかったのです。以前にわたしたちが伝えたいものはことば..ではなくて....一音ではなくて....と書いたことがあります。それはそうなのですが、一音をことばをたいせつにすることで ものがたりはより耀くのかもしれないと思いました。

   .....ちいさな朝のひかりに......一音一音をたいせつにして歌ってみました。....するといつもよりくっきりと風景が見えてきたのです。




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    ピアノはお好きでしょうか? もしよかったら ふたつの幻想即興曲をお聴きください。

Yundi Li

Valentina Igoshina
同じ楽譜で弾いても、表情はまったく違いますね。どんな感想を持たれましたか?

いつもなら、これいいなぁ....心に響くなぁ....でおしまいにんしてしまうかもしれません。演奏は優劣ではなくひとりひとりの好みの問題ですけれど、今日は休日ですからもうすこし深く味わってみてはいかがでしょう。

どこに心を惹かれたのか....
曲の構築力はどうだったか.....
タッチは....
メリハリは....
音色は....
叙情性は....

光のようでしたか? それとも水のようでしたか?


つづきとお約束したこわい物語は今夜.....



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