(新) 日本の黒い霧

日本航空123便ジャンボジェット機墜落事故の真相、その他の未解決事件、改竄された歴史について考える。

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JAL123便墜落事故-真相を追う-31年目の真実

2016-08-12 16:14:27 | JAL123便墜落事故
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読者の皆様へ

本日は日航機123便が御巣鷹の尾根に墜落し、多数の乗客乗員がお亡くなりになった日です。520名の乗客乗員の他、軍関係者を中心に知られざる多くの命が失われたことが、これまでの調査により判明しています。

墜落推定時刻は18時56分。僅かでよいので、この時刻にお心を御巣鷹の尾根に向けてください。そして二度とこのようなことが繰り返されないようお祈りください。

どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

ブログ「(新)日本の黒い霧」
管理人 日月土
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31年前の8月12日、私は小型バイクに乗り東京から長野県松本方面に向かい甲州街道を北上していました。夜少し暗くなり始めた頃に目的地に到着したところ、出会った知人からいきなり「日航機が行方不明になったようだ」と告げられました。その晩、知人宅のテレビで事の成り行きを見守ることになるのですが、その時は多く方々と同じように、たいへんな事故が起きたものだと思っていました。


■今でも忘れられない異質な報道
テレビでは、番組中に流れるテロップや臨時ニュースなどで行方不明機の墜落地点が段々と特定されていくのですが、その時に墜落予測場所が2転3転し、情報が錯綜していたのをはっきりと覚えています。日航機関連情報が相次いで報じられる中、今でも忘れることのできない異質なニューステロップが流されました。

「日航機の救助に向かおうとしていた自衛隊員が射殺された」

後にこの報道は誤報として否定されるのですが、救助に向かった自衛隊員が何で射殺されなければならないのか、誤報だとしてもあまりに突飛な話であり、こんな誤報がなされること自体が当時の私には理解不能でした。


■南相木小学校に集結していた自衛隊
同機墜落後も多くの生存者がいたことを証言されたM氏ですが、実はもう一つ重大な事実を証言されています。テレビ報道では未だに墜落地点が判明していなかった頃、M氏はバイクで通りかかった長野県側の南相木小学校のグランドに、自衛隊の部隊が集結しているのを目撃しています。


図1:南相木小学校の位置関係
   (赤:南相木小学校、青:墜落現場、楕円:予想主戦場)


写真1:南相木小学校正門

M氏が現場を目指して南相木村の林道終点地点から入山したのが午後9時頃ですから、自衛隊の集結を目撃したのはそれより前ということになります。まさに一般報道で墜落地点が不明だと大騒ぎしていた頃です。そして、何より不思議なのが、南相木小学校への部隊展開については、公式記録に残されていないことです。

墜落地点も分からない状況下でそこそこの規模の部隊を展開するのは、普通では考えにくいことです。もっとも、この証言だけではその部隊が日航機の救助が目的だったかどうかも分かりませんが。少なくとも、自衛隊は南相木村の山間部に関わる何か重大な情報を掴んでいたことだけは類推できます。

本ブログでは米国軍・旧ソ連軍が123便事件に絡み現地に展開し、ごく短時間ではあっても交戦状態が発生しただろうとの説をとっています(詳しくは過去記事をお読みください)。そして、その主戦場となったのは、墜落地点(御巣鷹の尾根)の西側に続く南相木村の山間地域であり、現在は山ごと土砂が取り除かれ、大規模地下施設である東京電力神流川揚水発電所の一施設である南相木ダムとなっている一帯と推定しています。


写真2:現地で回収した米国U-2偵察機の破片


写真3:現地で回収した旧ソ連Mig-25の破片
    米ソ共に当時の高等戦略機を配置している。この早い展開は
    事前に日航機撃墜計画を探知していたからこそ可能だった?


南相木小の非公式展開部隊は、当初から救助目的などではなく、これら初期戦闘行動に呼応したものであると解釈するのが、最も合理的な説明なのではないかと思われます。


■偽装自衛隊員と生存者への殺戮行為

123便事件関連記事を書いていて、最も気が滅入るのが生存者に対する非道な行為の数々です。その詳細は「闇夜に蠢く者ーM氏の証言」中に示唆されているだけでなく、M氏の証言を裏付けるように、実際に墜落現場で軍用毒ガス瓶を回収していることが全てを物語っています。


写真4:現地で回収した軍用毒ガス瓶

ここで、昨年の記事「あれから30年、真実が語られる時」に掲載した墜落現場での救出作業中の写真を再掲します


写真5:昨年掲載した写真

ここに映っている自衛隊員の襟元に注目してください。


写真6:全員襟のエッジが張っており、襟章が縫い付けられている。

隊服は全員同じように見えます。ところが、次の写真7を見ると、写真5と少し違うことに気がつきます。


写真7:別の隊員の写真

ここでまた襟元に注目します。


写真8:襟元の比較

①の人物は写真6と同じように襟のエッジが張り、襟章が確認できます。②の人物については襟元の確認はできませんが、肩の位置といい、袖の長さといい、服装自体が全く身体に合っていないのがわかります。この隊員は普段からこんな不格好な隊服を着用していたのでしょうか?③の人物については襟章がなく、左側(向かって右側)のエッジが湾曲しているように見えます。


写真9:子供を抱え上げる隊員

写真9は、抱えられた子供がこの時生きていたのではないかとネット上で騒がれたものですが、隊員の襟元に注目すると、襟章はなくエッジのたわみもはっきりと確認できます。


写真10:陸上自衛隊正規品のジャンパー襟元

ここで、全く同じ隊服ではありませんが、比較のために陸上自衛隊正規支給品のジャンパー(写真10)の襟元を見てみます。襟がたわまないよう、襟の裏にしっかりと縫製がなされています。念のため服飾の専門家に、これら以外の写真を含む現場隊員の隊服を見ていただいたところ、明らかに、他と比べ粗雑な縫製の隊服を着た隊員が混じっているとのコメントをいただきました。

これはどういうことでしょうか?私は、あまりに急な出来事だったため、偽装自衛隊員へ正規品の支給が間に合わず、サイズの確認もままならないまま、粗雑な急造品が宛がわれたのだと推測しています。また、隊服が異なる者同士が集団で行動していることから、正規の隊服を着ていたとしても、それが必ずしも正規の自衛隊員であるとは限らないことを意味すると捉えています。

偽装自衛隊員については、123便事件について鋭い分析を著した角田四郎氏の「疑惑」(1993 早稲田出版)に、「大きな石の裏に、着替が詰められた袋が10数人分隠すように置かれていた」という著者本人の証言とも符号します。

では、昼間に堂々と現れたこの偽装自衛隊員は悲惨な墜落現場で何をしていたのか?これについては、M氏の証言に現れた暗視スコープを着用した(見た目)自衛隊員の集団とほぼ同じ目的であっただろうと推察されます。すなわち

 (1)不都合な破片の回収と隠蔽
 (2)生存者(事件の目撃者)の抹殺

の2点です。認めたくないことでありますが、上記写真が撮影されてることから分かるように、既にマスコミや地元警察、消防団など大人数が現場で活動している最中、彼らは目立たぬよう不都合品の回収や、生存者の抹殺を行っていたと考えられるのです。そうであればこそ、最初は7人と報道された生存者が、最終的に4人となったことにも合点がいきます。そして、その4人(全員女性)は、みな地元消防団員によって発見されています。衆人環視の中でおそらく彼らも手を下せなかったと考えれば、極めて辻褄の合う話です。


写真11:救出された川上慶子さん(当時12歳)。
     彼女の周りに写っているほとんどは上野村消防団や機動隊員であり
     (偽装)自衛隊員ではない

写真5、7を見れば分かるように、この自衛隊員たちは、右の胸ポケットに隊服が肩からずれ落ちるほど、重く厚みのある長方形様の何かを忍ばせています。私の信頼する筋からは、それが「反応型炭素菌カプセル」との情報を得ていますが、本当に炭素菌かどうかは確認する術がありません。しかし、反応型の有毒物である可能性は極めて高いと考えられます。反応型とは、使用者に害が及ばないよう、また証拠にならないよう、単体ではそれぞれ無害のA剤、B剤を、人体に投入する直前に反応させ、毒物として使用するというものです。

彼らは一人の生存者(事件の目撃者)も残したくなかったはずですから。


■なぜ生存者(事件の目撃者)を抹殺しなければならなかったのか?

常識的に物事を考えるならば、衆人環視の下でリスクを犯してまで生存者を殺戮するなどあり得ないことです。これを逆に考えると、リスクを犯してでも生存者が見たものを絶対に世に出してはならないとする、隠蔽側の強い意志を感じます。

それでは、「世に出してはならぬ秘事」とはいったい何だったのか?日本国内における米ソの軍事衝突?日本政府、警察や正規自衛隊を超越する闇組織(コードネーム「クロカモ」)の存在?それもあるのでしょうが、ここまでやる理由としてはまだまだ弱いと言えます。

私はすでにその答に辿り着いていますが、事件から31年経過した今でもその情報を全て開示するのは時期尚早であると考えています。もったいぶってるようで申し訳ありませんが、その答に至るに必要な予備知識を本ブログ伝えていきますので、ぜひ今後もご愛読のほどをお願い申し上げます。

どうしても答の片鱗が知りたい方は下の写真12をよく見てください。墜落現場で回収した物の一つで、以前にも掲載したのですが、彼らが隠さなければならない何かの意味が、全てこの中に集約しています。


写真12:墜落現場回収物


 * * *


本文で偽装自衛隊員という言い方をしましたが、ならば自衛隊は無罪であると言ってる訳ではありません。特別権限を有する超法規組織の言いなりとなり、この世の非道に手を貸したのは隠しようのない事実だからです。日本国民を守るという当初の誓いはいったいどこに消えてしまったのでしょうか?

冒頭で「射殺された自衛隊員」報道に触れましたが、私は、この話が事実であり、そしてこの隊員こそ命を掛けて国民を守ろうとした本物の自衛隊員であると信じたいです。123便事件から31年が経過しましたが、今からでも遅くありません。真実を国民に伝えて欲しい。真実を語り許しを求めるならば、私はその方を全力で守りたいと思っています。



大君の千代よぶたづの一声に御池の鴨も夢さますらむ (昭和十年 貞明皇后)


遠つ祖霊の始りの地より
管理人 日月土
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お詫びと予告

2016-08-11 23:36:25 | JAL123便墜落事故
現在、時計は8月11日の午後11時35分を指しています。

明日は8月12日、このブログの発信の動機となったJAL123便事件が発生した日です。

多忙のため、ブログの更新が止まっていたことを読者の皆様にお詫びするとともに、明日12日、事件から31年目のメッセージを発信することを予告します。

遠つ祖霊の始りの地より
管理人 日月土
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梅雨の朝

2016-06-23 19:03:12 | 連絡用記事
(この記事は連絡用です)


陽の光雲間に見ゆる梅雨の朝これぞ大和の民心なりけり
(35.682122, 139.762411)

人よ地上の神となれ

遠つ祖霊の始りの地より
管理人 日月土
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イギリス下院議員殺害事件について

2016-06-20 23:54:44 | 日記
※6/22に追記があります

EU残留を支持する英国の女性下院議員であるジョー・コックス氏が52歳の男、トーマス・メアに殺害されるというショッキングな事件がありました。

出典:BBCニュース
http://www.bbc.com/news/uk-england-36565801
------------------- begin ---------------------------
Jo Cox MP death: Thomas Mair charged with murder
(ジョー・コックス下院議員の死:殺人の罪でトーマス・メアを追訴)

18 June 2016
(2016年6月18日)



A man is appearing in court charged with murder in connection with the shooting and stabbing of Labour MP Jo Cox.
(男は労働党下院議員ジョー・コックス氏への銃撃と刺殺に関る殺人罪で法廷に現れた)

(以下略)
-------------------- end ----------------------------

国際軍事評論家のB氏より連絡があり、この男の名前(Thomas Mair)に注意するよう促されました。当然ながら男の名前は本名ではなく、短いながら恐ろしいメッセージが含まれているとのこと。

そう言われて私も気が付きました。ここに世界最高レベルの国際謀略機関の関与が示唆されているからです。私もこの機関に関る人物と面識があり、それにについてはあまり詳しく書くわけにはいきません。ただ言えるのは、この事件が英国とEUの関係だけには留まらない、世界戦略上の大きな計画を示唆しているということだけです。

B氏によると、桝添東京都知事の辞任もこの世界計画の一環であり、これはまだ警告レベルで、今後は日本の政界中枢にスキャンダルが及ぶようになるだろうと推測しています。

また、この時期、東京文化会館で行われている英国ロイヤルバレエ団の演目(http://www.nbs.or.jp/)にも注意です。「ロミオとジュリエット」・「ジゼル」どちらもうら若き乙女の悲恋の物語。両者の違いは、ロミオは命を落としアルブレヒトは一命を取りとめていること。ここには、日本に対し再び日英同盟(アングロサクソン陣営)へ回帰することを促すラブコールと同時に、裏切りには死を以って当たるという強いメッセージが込められてます。補足しますが、西洋社会においては、演劇やオペラ、バレエ公演の場は、一方で外交の場であり、演題・様式にメッセージを託すことが日常的に行われています。

ジュリエットとジゼル、そしてジョー・コックス氏。いずれも女性で悲惨な死を迎えています。

今週23日の講演会でもこの問題に急遽触れるとのことです。

6月23日B氏講演会情報


遠い祖霊の始りの地より
管理人 日月土
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改ざんの日本史-長崎原爆投下の真実(1)

2016-06-18 16:53:15 | 改ざんの日本史
今回の記事は1冊のタネ本を元に展開します。まずその本を紹介します。著者は元米軍情報部に勤務していた経験があり、多くの非公開文書を目にしたことから、戦争の真実に疑問を持ち、今回の調査に至ったと述べています。


図1:「原爆と秘密結社」
    デイビッド・J・ディオニシ(著), 平和教育協会(訳), 成甲書房 2015

この本の前半は著者が調べ上げた米国内の秘密結社の情報が記されています。その中には陰謀論の世界ではおなじみの「スカル・アンド・ボーンズ」「ボヘミアの森」「フリーメーソン」「イルミナティ」などが紹介されていますが、作者の考えでは、それらはその時代や場所でその都度使われる名称であり、それら組織の総体は「死の血盟団(Brotherhood of Death)」であると捉えています。もちろん当事者がその名を名乗っている訳ではなく、便宜上彼らのことをそう呼ぶという意味でこの名称が使われています。

死の血盟団の根幹は悪魔崇拝であり、悪魔と同化することでこの世を支配する力と最高の知性が得られると信じられており、彼らの最大の敵はキリスト教またはキリスト教信者であると教えられています。

また、これまでの二度の世界大戦は彼らが仕組んだものであり、三度目の世界大戦を起こすことで、彼ら「賢者たち」の支配する世界統一政府をこの世にもたらすことが究極の目標として掲げられ、広島、長崎に原子爆弾を投下させたのも彼らが企図したものであると結論付けています。


■長崎原爆投下の不可思議

秘密結社の話などは聞き飽きた方も多いでしょうが、この本の最も秀逸な部分は、長崎に投下されたファットマン(Fat Man)の原爆報道の矛盾点を徹底的に解明している点でしょう。以下、それらを箇条書きにて紹介します。

原爆投下機「ボックスカー (Bock's Car)」に関する矛盾
(1)投下機は北九州の小倉に向かい上空を3回も旋回した末、長崎に進路を向けた
(2)当日の小倉の天候は投下不能になるような悪天候ではなかった
(3)予備燃料600ガロンが給油されておらず、爆弾投下後、出発基地のテニソンには戻れず沖縄にほぼ燃料が空の状態で緊急着陸した
(4)沖縄の米軍基地は同機の緊急着陸の呼びかけに全く応じなかった
(5)サポートに付くはずの救難捜索機に帰還命令が出されていた
(6)同乗取材するはずだった、原爆報道で有名な記者ウィリアム・ローレンスがなぜか乗り遅れた

着弾地点に関する矛盾
(7)爆撃目標と考えられる三菱造船所からなぜか4.6kmも離れた市街地に投下された
(8)気象観測機は出動しており、命中誤差はせいぜい150m程度だった
(9)浦上天主堂の倒壊具合から、爆心地は現在の認定位置から北寄り、現在の平和公園の辺りだったと認められる
(10)米軍発表の写真では浦上天主堂の倒壊した壁が修正されている
(11)浦上天主堂の壁が一部残っていることから、猛烈な爆風が横から当たっていることがわかる。つまり、上空での爆破ではなく地表に近い点で爆破していることが読み取れる。

■長崎は初めからターゲットだった

同機は北九州を3度も旋回したにも拘わらず、投下命令は下されずに長崎に向かいます。定説では、北九州への原爆投下予定だったはずが悪天候のため長崎に変更されたと言われてますが、(2)の事実により当日の天候に問題はなく、当初から長崎が原爆投下地点と決められていた節が感じ取れます。わざわざ3旋回を繰り返したのは、何も知らされていない乗組員に、当初の爆撃目標が北九州であることを印象付けるためだったのでしょうか?

■ボックスカーは墜落するはずだった?

北九州上空での旋回の謎は(3)~(6)の事実を見れば氷解します。燃料の少ない同機をわざわざ何度も旋回させている。そこには任務終了後にボックスカーを燃料不足により東シナ海に墜落させる意図が見え隠れします。証拠隠滅?では何のために?著者の調査によると(6)の記者、ウィリアム・ローレンスは死の血盟団の一員であり、それゆえ民間人記者でありながら重要機密であるはずの原爆投下作戦にフリーパスで参加することができたとしています。狙いはもちろん、原爆投下後の米国内プロパガンダ、現在の米国が主張する「戦争終結に原爆は必要だった」という世論を形成するためです。一つの強力な定説を作り上げるのに、実機乗組員の証言はむしろ邪魔になると考えられます。

ここで昨年の本ブログ記事「旧陸軍士官が語った歴史の真実(2) 」と微妙に符合する点が浮かび上がってきます。同記事では、広島の原爆投下機が投下後に山口県内の山中に墜落したとしています。T氏は爆風による損傷が原因と見ていましたが、もしかしたら、初めから同機に投下後に墜落する仕掛けがなされていた可能性も否定できません。事実、投下機が墜落消滅した後に、架空のエノラゲイ号がデッチ上げられ、戦後の原爆に関する世論が作られていったのは誰の目にも明らかなことです。ただし、広島の場合は少々都合が悪いことに海上でなく陸上に墜落してしまいました。ここで最も不思議な疑問が湧いてきます。破片を回収し戦時広報に利用できるはずなのに、日本はなぜそれに沈黙したのか?という点です。


■原爆は浦上天主堂を狙って落とされた?

本書のクライマックスは、なぜ長崎の市街地に原爆が落とされたのか、その理由を伝えることにあります。結論を先に述べれば、その理由とは、

「戦後、天皇の神格化が解かれることになれば、多くの日本国民がキリスト教徒に改宗するであろう。死の血盟団の天敵であるキリスト教の普及を阻止するには、日本のカトリック宗の聖地である長崎、それも浦上天主堂を破壊し、その信者を抹殺しなければならなかった」

というものです。

後で解説しますが、正直なところ、この理由は、数ある理由の一つではあっても、中核となる理由ではないと私は思っています。それはともかく、(9)~(11)の部分は非常に重要であり、同書の挿絵が非常に小さく見づらいため、本記事でその部分を改めてなぞっていきたいと思います。


図2:浦上天主堂の当時の位置関係(平面)
   同書によると当時の浦上天主堂は現在より少し平和公園寄りだった
   (クリックで拡大)


図3:浦上天主堂の平面図
   太線は原爆投下後も倒壊を免れた部分。石像が目印


図4:原爆投下直後の浦上天主堂
   この写真は修正されていないもの。石像の位置に注意
   (出典:英文原著 Atomic Bomb Secrets、Kindle 版より)


上記図2~4を見てください。著者はこの位置関係からおかしなことに気づきます。図4の写真からも柱の上の石造を含む南側壁面が残されているのが分かりますが、南壁が残ったのは、天主堂正面に作られた頑丈な鐘塔が爆風を遮ったからだと考えられます(図5)


図5:鐘塔が爆風から南側壁面を守った

すると、爆心地は天主堂の北西よりやや南寄りということになりますが、図2の位置関係から分かるように、公式には爆心地は天主堂の南西ということになっています。公式爆心地が正しいとすると、爆心地に向いている南壁が残り、その影となる北壁が倒壊するという非常に奇妙な説明になります。

これに加え、日本人カメラマンの林重夫氏とそのスタッフが撮影し、公式記録とされている原爆投下後の天主堂の写真は図6のようになります。


図6:林重夫氏が撮影した天主堂の写真
   鐘塔寄りの石像と壁が消えている
   (出典:英文原著 Atomic Bomb Secrets、Kindle 版より)

写真の撮影角度が違うものの、図4と比べると図6は明らかに南壁の残骸部分に修正が施されていることが分かります。

以上の映像分析、およびその他の資料分析により、著者は実際の爆心地は公式爆心地より200m前後北の地点、現在の平和公園内、それも平和記念像の辺りだろうと結論付けてます。また、図4のように、天主堂の一部の壁が鐘塔の影となりきれいに残っていることから、爆風は横方向から、少なくとも公表されている仕様の上空570m前後の爆発とは考えられず、かなり地表に近い高度で爆発したとしています。そして、図6その他の公式映像記録から、意図的に爆心位置の改ざんが行われたことも指摘しています。

著者の調査によると、本来の爆撃ターゲットと言われている三菱(造船所)はフリーメーソン員のグラバーによって創業支援された企業であり、死の血盟団が企図した原爆攻撃の対象になるはずもなく、初めから、爆撃誤差範囲を大きく逸脱した4.6km北方の浦上天主堂を狙って正確に爆撃が遂行されたのだと、最終結論を導いています。その目的は本節の冒頭に記した通りです。


■爆心位置改ざんの意図を考察する(1)

同書でスッキリしないのは、なぜ爆心位置が改ざんされたのか、その説明にいま一つ説得力が欠けている点にあると思います。浦上天主堂の破壊とキリスト教信者の抹殺が目的なら、その目的は既に十分達成されており、わずか200m程度の爆心地の違いを必死に隠蔽する理由がわかりません。

それが理由だとはっきり書かれてはいませんが、現在の平和公園のある高台は原爆投下時は長崎刑務所浦上刑務支所の敷地であり、公式記録には無いものの、連合軍の捕虜も30名程度いたと著者は調べ上げています。連合軍の原爆が連合軍捕虜の収監されている刑務所に投下されたのでは明らかにまずい、それなら爆心地を少しずらしてしまえということなのでしょうか?市街地のどこに投下されても捕虜の爆死は確定的であり、改ざんが露呈すればむしろ藪蛇となるリスクをわざわざ負うものでしょうか?

そもそも、現在10億人以上もいるカトリック信者を敵視しているなら、長崎の2万人の信者を狙ったという理由も弱い気がします。仮に長崎が被爆せず、布教が進み日本のキリスト教徒が2~3000万人になっても(現在は100万人前後)、既に世界の大宗教であるカトリック信者の数に比べればものの数ではありません。原爆を投下してまで、その目的を遂行する理由が果たしてあったのでしょうか。

この点に関しては、著者と直接に議論を詰める必要があると思っています。


■爆心位置改ざんの意図を考察する(2)

現地に行けば分かることですが、平和公園はそこだけ高台になっています。先に述べたように戦中は刑務所がそこに設置されていました。以下に垂直方向の位置関係を図に書き起こしてみました。現地の記憶と地図を頼りにしてますので若干不正確であることはお許しください。


図7:浦上天主堂の当時の位置関係(高低)
   平和公園の下には刑務所の地下室跡なども保存されており
   戦前からここが高台であったことが分かる。天主堂は真横

長崎に行かれた方ならばお分かりの通り、長崎は南北に伸びた入り江に東西から急峻な山裾が迫っている、いわゆるすり鉢上の地形をしています。平地は非常に少なく、現在のJR長崎駅や周辺市街地は埋立地の上に建設されています。そんな中にあって、旧市街地の真中に小高く聳える平和公園(旧刑務所跡)の高台には何か違和感を感じます。

図7のようにこの高台に2,3階立ての庁舎が建っていたとすると、その屋上からからは狭い旧長崎市街が一望に見渡せると思われます。天主堂は東側に少し坂を上ったところにあり、高台の上の建物からは2基の鐘塔に挟まれた正面入り口がほぼ真横に見える位置にあったと推測されます。

何を言いたいのか?、仮に旧庁舎の屋上に原爆が設置され爆発したとしましょう。その仮説をベースとすることにより多くの事象が説明可能となることに気が付きます。以下、この仮説に基づいて論を進めます。

 (A)ボックスカーに搭載されていた原爆ファットマンはダミーであった。
   タイミングを合わせ地上に設置された原爆を起爆させた。

戦争相手の日本がこれから起爆させる原爆を予め手にしていたなど、戦争当事者としてはあってはならないことです。当然ながら、乗組員にはその事実は一切知らされないはずです。また、万が一乗組員や関係者に気が付かれる危険を回避するため、任務遂行後に同機を墜落させるように仕組んだと考えられます。

 (B)そのため、天主堂は北西側の真横から爆風を受けたように倒壊した

これは図4のようにそのまま記録に残っていることなので解説の必要はないでしょう。

 (C)地上起爆であることは絶対に気が付かれてはならないことだった。

マンハッタン計画の原爆実験記録によると、爆破の際に地表方向に高さ数メートルの穴ができたとあります。地上で起爆させればその痕跡は確実に地表に現れるはずですから、地上起爆を隠すためには爆心地の改ざんが絶対的に必要となります。

この他、当時の気圧感応式の起爆装置に狙った高度で確実に起爆させるだけの精度がなかったことも考えられます。安全装置はあるでしょうから、装置を外した投下直後に投下機材に現場離脱するだけの適正な退避時間を与えられるかが大事になります。感度が高過ぎれば早くに爆破し投下機を傷つけ地上への殺傷力も減衰します。しかし、感度を落とせば最悪不発ということもあり得ます。効果を確実にするには地上爆破、それも高い位置での爆破が一番確実だと考えられます。

以上の内、(C)の要素こそ最も重要であり、爆心地改ざんに関して地上爆破説に勝る仮説は今のところ考え付きません。どうして戦争中の日本国内に、敵国である米国の原爆があるんだと思われるのは尤もな話ですが、それについても同書の中にヒントになる記述が幾つか見当たります。

 (X)三菱とフリーメーソンの関係(上記既出)
 (Y)徳川家と死の血盟団との関係
 (Z)北朝鮮おける日本の原爆開発の実体

以前から本ブログでも指摘してるように、裏の裏に潜む秘密結社の活動を国家の枠組みで捉えること自体が無意味だと気が付かれるべきです。その中で(Y)の、日本の影の経済支配者である徳川家と西洋秘密結社がいつの時点でつながっていたかを知ることは非常に重要です。残念ながら同書では両者に接触がある以上の情報は語られていませんが、私の推測では鎖国時代と呼ばれる徳川の治世に、欧州および米国とのコネクションはすでにあったと見ています。もっと簡単に言えば、「鎖国」などという事実は日本史上そもそもなかったのです。

また、(Z) の日本の原爆開発はたいへん進んでいたと著者は記しています。これは、米軍在籍時代に目にした極秘資料から得た結論とのことで、日本製原爆の開発拠点は現在の北朝鮮にあり、朝鮮戦争は米ソの軍事力を均衡化するため、ソ連に原爆製造技術を渡す目的で、敢えて勝ってはならない戦争として発動させたと結んでいます。ここからまた、現在の北朝鮮の核開発は、実は戦時中の旧日本軍の置き土産だと類推することができます。

以上の考察から、下記の重要な結論が導かれます。

長崎の原爆は日米秘密結社の共同作戦であった

または、世界的秘密結社の共通アジェンダであったと言うことができるでしょう。


■そして暴かれる広島・長崎の真の目的(序)

今回の記事は1話でまとめるつもりでしたが、長くなったので広島・長崎への原爆使用目的については第2話として次の記事に回したいと思います。さて、今回のおさらいですが、ディオニシ氏は長崎原爆投下の最終目的を

 「浦上天主堂の破壊と信者の抹殺」

と捉えています。私の場合はこの回答に次のような疑問を更に付け加えます

 「では、なぜ浦上天主堂は辺鄙な長崎の地に建設されたのか?」

ここが解明されない限り、原爆投下の真の理由は全く理解できないと思います。そのためには古代日本人の信仰形態がどうであったのか、また、アジアを訪れた近世のカトリック伝道師たちが、布教先でいったい何をしていたのか、それらを知る必要があります。そして、そのヒントとなる情報は、既に本ブログの他の記事で処々触れています。


 * * *


何でもかんでも結び付けるなと怒られるかもしれませんが、今回の長崎原爆の真実も、やはりあの事件とリンクします。1985年のバブル絶頂の日本、首都東京からわずか80kmしか離れていない山中で、米ソの特殊部隊と自衛隊が出動し、最終的には事故として処理されたJAL123便事件。これを多国間共同作戦と言わずして何と言いましょう。そして、その事件が起こる前の第二次大戦の最中ですら国家の枠組みを超えた大きな力が世の中を動かしていたことに改めて驚かされます。

先の5月27日オバマ米国大統領が広島を訪れましたが、その前にオバマ氏はあの方とお会いしたのでしょうか?来日する歴代米国大統領が、総理大臣、駐日米国大使、そして今上天皇よりも先に出向いて挨拶するというあのお方です。もちろん日本人ですよ。


図8:原爆ドームを背景に演説するオバマ米国大統領
   全てを知って演説しているとしたら、とんだ茶番劇だ

これまで語られてきた歴史の大嘘に、いよいよ世界の人民が気付く時がやって来ました。キリスト者の使命として長崎原爆の調査研究に当たられたディオニシ氏に敬意を表すると共に、神の祝福が氏の下にあらんことを心よりお祈り申し上げます。


遠つ祖霊の始りの地より
管理人 日月土

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