(新) 日本の黒い霧

日本航空123便ジャンボジェット機墜落事故の真相、その他の未解決事件、改竄された歴史について考える。

本日正午前、フィリピン、ビサヤ地域で地震、増え続ける犠牲者の報告

2012-02-06 20:14:29 | 日記
本日、避難先のフィリピン国中部で比較的大きな地震がありました。私は北部ルソン島に滞在しているため、実害はありません。災害犠牲者の数はこれからも増え続ける模様です。アジア極東エリアの少々不自然な地震活動を示す資料として、現地の地震報道を再掲します。


引用元:
http://www.philstar.com/nation/article.aspx?publicationsubcategoryid=63&articleid=774948


Death toll in Visayas quake continues to rise

MANILA, Philippines - More than a dozen people have been reported killed in Negros Oriental province after it was hit by a strong quake before noon today.

National Disaster Risk Reduction and Management Council chief Benito Ramos reported at past 4 p.m. today that a total of seven have been confirmed killed by the agency.

Ramos disclosed that four of the fatalities were recorded in Guihulngan City, two in Tayasan town and one more in Jimalalud.

Negros Oriental Governor Roel Degamo, however, announced in a television interview that a total of 11 people have been confirmed killed in the province. He said nine of fatalities were killed in a landslide in Barangay Planas in Guihulngan City. He added that more than 20 people remain missing.

Other reports said that at least 13 people have been confirmed killed in the quake. The reports said that majority of the fatalities were recovered in Guihulngan.

Guihulngan City Mayor Ernesto Reyes reported earlier that as many as 30 houses were buried by the quake-triggered landslide. He earlier reported that 29 people were missing.Death toll in Visayas quake continues to rise

MANILA, Philippines - More than a dozen people have been reported killed in Negros Oriental province after it was hit by a strong quake before noon today.

National Disaster Risk Reduction and Management Council chief Benito Ramos reported at past 4 p.m. today that a total of seven have been confirmed killed by the agency.

Ramos disclosed that four of the fatalities were recorded in Guihulngan City, two in Tayasan town and one more in Jimalalud.

Negros Oriental Governor Roel Degamo, however, announced in a television interview that a total of 11 people have been confirmed killed in the province. He said nine of fatalities were killed in a landslide in Barangay Planas in Guihulngan City. He added that more than 20 people remain missing.

Other reports said that at least 13 people have been confirmed killed in the quake. The reports said that majority of the fatalities were recovered in Guihulngan.

Guihulngan City Mayor Ernesto Reyes reported earlier that as many as 30 houses were buried by the quake-triggered landslide. He earlier reported that 29 people were missing.

The Philippine Institute of Volcanology and Seismology (Philvolcs) measured the earthquake at magnitude-6.9. It said the quake, which was tectonic in origin, occurred in waters off Tayasan town in Negros Oriental at 11:49 a.m. with a depth of 10 kilometers.
(フィリピン火山地震局発表、現地時間午前11:49発生、M6.9、ネグロスオリエンタルのタバサン沖、震度10km)


(以下略)

災害に遭われた皆様の被害が、少しでも軽いものであることを神に祈ります。

南の島フィリピンより
管理者 日月土
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JAL123便墜落事故−真相を追う−蘇る亡霊(16)

2011-12-20 16:21:03 | JAL123便墜落事故
この記事は、「蘇る亡霊(14)」の続編となります。日航機事件の調査を執拗に妨害されている時に気がついた、調査チームメンバーの位置特定に関する考察です。本論に入る前に前回の内容をおさらいしておきます。

 (1)携帯電話が位置特定目的の発信機として利用されているようだ。
 (2)携帯電話に盗聴機能がついている可能性もある。
 (3)日本は携帯中継局が異常に多い。通信目的以外にも利用されている?
 (4)ナノチップが体内発信機として実用化されている可能性がある。

携帯電話の発信・盗聴機能については国際軍事評論家のB氏も今や常識の範疇であると語っていました。電源オフではダメ。電池を抜くのが基本ですが、最近では電池を抜いても内臓バッテリーで送信を続ける機種もあるようなので油断ができません。

今回の記事では、特に(3)の携帯中継局の利用目的ついて、そして、(4)のナノチップについては次回以降に考察を加えたいと思います。


■周囲に妨害車両は無し。では強電磁波はどこから?

S氏との現場調査時に、クロカモ部隊の電磁パルス銃による攻撃は珍しくありませんが、それでも、相手も銃搭載車両から狙ってくるのですから、衆目の多い場所に車を退避させて攻撃車両をやり過ごす、走行のタイミングをずらすなどして、車両の接近を許さなければ回避は可能です。実際にそうやって何度も危険な状況を回避してきました。

しかし、周囲に走行車両が全く見えない状況で、電磁波測定器が異常な程高いレベルを示すことがあります。これまでの測定経験から、特定の電波塔、携帯中継局が健康に影響があると思われるほど強い電磁波を出している事実には早くから気がついています。このケースでは、その中継局から離れれば自然に電磁波レベルは減衰するのですが、高速走行中のある時、周囲に車両がないのに、10分程度強い電磁波を浴びせられ続けたことがあります。こちらも100km/h前後で走っているので、特定中継局の電磁波が原因なら、すぐにレベルは下がるはずです。ところが、多少の揺れはあるものの、いつまでも高レベルを出し続けるのに首を傾げました。

私の隣に座るS氏に至っては、その鋭敏な感覚で早くから電磁波照射を感じ取り、それが長時間続くため、徐々に苦しい面持ちに変わってきます。何とか電磁波照射区域を離脱し帰宅した後、何が起きたの二人で検討しました。起きた現象から推察する限り、それが、

 (A)高速道路沿いに設置されている携帯中継局、または電波塔や
   送電塔など高位置にあるものから連続的に照射されたもの(図1)
 (B)人工衛星を使ったもの

であろうとの結論に至りました。後に検証を進めた結果、今では(A)の方式が主流であろうと結論付けています。その理由については後で述べます。(B)はあまりに大掛かり過ぎると感じますが、全くないとも言い切れません。その理由も後日述べたいと思います。


図1:高位置からの電磁波連続照射イメージ
 A地点からB地点へと移動する車両に対し、携帯中継局から
 連続的に電磁波照射を切り替える。もしかしたら、日本に
 携帯中継局がやたら多い理由はこれなのではないか?


■強電磁波を出し続ける特定中継局

連続切り替え照射については前述しましたが、それでは常時強電磁波を発している中継局は何の目的のために存在しているのでしょうか?、以下の写真1と写真2は調査活動中に発見した、強電磁波を発する中継局および、交通信号の装置に偽装?した発信機です。なお、本記事から、参考としてGoogle Mapにおける撮影地点の座標を記載しました。


写真1:冨里市の麻賀多(まかた)神社そば(※)
    高い鉄塔で、強力な電磁波発信を観測した。
    (Google Map座標:35.760025,140.279567)


写真2:成田宗吾霊堂の正門前交差点(※)
    見えにくいが、交通信号の電柱にボックス型の発信機が
    取り付けられている
    (Google Map座標:35.760025,140.279567)

    ※調査時の動画も近々アップする予定です。ご期待ください。

どちらも、クロカモの拠点都市、千葉県成田市内と隣接の冨里市内で発見したものです。共通しているのは寺社のすぐ近くであること。寺社と何か関係あるのかと思い、成田市近辺の寺社を個別に調べたところ、かなりの確率で寺社のすぐ近く、または寺社を見下ろす位置に携帯中継局や電波塔が敷設されているのを確認しました。特に、同地域に20社存在する麻賀多神社にその傾向が強いことを発見しました。この調査に慣れてくると、地形と携帯中継局の位置関係を見定めてから、寺社の大体の存在位置が掴めるようになります。

もちろん、全ての中継局が定常的に強電磁波を出している訳ではありませんが、おそらくどの局も、それが必要なときには強電磁波を発信することができるようになっているのだと予想されます。では、何でわざわざ寺社の近くに設置するのか?その理由は私にもよくわかりません。霊能力が強いと言われる私の知人によると、そこには呪術的な意味があると言います。呪文・祈祷に代わる呪詛の現代版、それが電磁波だと言うことなのでしょうか?


写真3:このアンテナもまた麻賀多神社のそば
    (Google Map座標:35.76719,140.129916)
    
以上、我々への妨害行動とは直接関係ないとは思われるものの、なぜこのような装備を敷設しているのかたいへん気になります。このような状況をクロカモ拠点地域である成田市近郊に数多く見出したことより、少なくとも、私がクロカモと呼ぶ闇集団が、日本の古代宗教と何か密接な関係のある組織であることが垣間見えてきます。ちなみに、このエリアにあるそれなりの神社仏閣は、古墳の真上、もしくは古墳のすぐそばに建てられています。それでなくても千葉県北総台地は非常に古墳の多いエリアです。歴史学的には3世半〜7世紀紀頃が古墳の世紀であり、クロカモが古代宗教に関連するとすれば、それは大和朝廷建国の時代以前まで遡る、非常に古い秘密結社、あるいはその継承者たちであると予想されます。

2年前、このブログを書き始めた頃から、日航機事件隠蔽の背後に日本の古い秘密結社が関係してると指摘してきましたが、その理由の一つがここ、成田にあるのです。成田を調べていくと、これまで度々本事件との関与を指摘してきた旧帝国陸軍・徳川家だけでなく、現天皇家との関係までもが見えてきます。極めて核心に近い話となりますので、成田の秘密については、別の記事で続編を記したいと思います。


写真4:成田近郊の寺社調査の時に待ち伏せしていた成田公安車両。
    電磁パルス銃搭載車であり、後方から私たちを狙ってきた。
    成田公安は一般警察から独立したクロカモ専属部隊とみな
    してよいだろう。ナンバーは「成田800 き5011」
    (Google Map座標:35.76719,140.129916)


■究極の嫌がらせ、パラメトリックサウンド

読者の皆様は「集団ストーカー」という言葉をご存知でしょうか?詳しくは検索等で調べていただきたいのですが、簡単に言えば、ハイテク機器などを駆使した非殺傷手段を用い、個人に対して組織的に嫌がらせを仕掛け、社会的・精神的にその個人を抹殺するという、非常に悪質で陰湿なストーキングの行為者のことです。

私を含め、日航機事件調査チームのメンバーはまさに巨大な集団ストーカーの監視を受けている訳ですが、私たちの他にも、企業や暴力団、権力機構(警察・公安・自衛隊など)から集団ストーキング行為を受け、それにも負けず闘っている人々がいます。その内の一人、Y氏とお会いし、お話を聞く機会がありました。Y氏の場合は、職場で不正を発見しそれを上役に報告したところ、その後、様々な嫌がらせを受けるようになったと言います。これは私の想像も含みますが、職場の小さな不正と見えた事柄が、実は暴力団や権力機構に繋がる大きな不正の一端であった場合、集団ストーキングとして闇組織の介入を招くようです。

Y氏の話の中で最も関心を引いたのが、「パラメトリックサウンド(Parametric Sound)」という技術を用いた嫌がらせ方法です。複数方向から波形の異なる超音波を対象者の頭部に向けて照射し、頭蓋骨で音声波形を合成させます。すると、それが骨振動音として対象者の聴覚に伝わりますので、周囲に誰もいなくても話し声が聞こえるようになります(図2)。


図2:パラメトリックサウンドの発生原理(イメージ)

この技術のターゲットとされたY氏は、やがて、一人で部屋に居ても、一人で車を運転していても常時人の声が聞こえるようになります。その中身たるや、「お前まだ生きてるの?」、「死んでしまえ」などと気の滅入る様な言葉ばかりだと言います。初めは自分の頭がおかしくなったと思ったそうですが、研究熱心なY氏は、自分で海外の文献を調べ、それがパラメトリックサウンド(以下PMSと記述)という技術を応用した嫌がらせであることを発見します。そして、自分に照射されている超音波波形の捕捉にも成功し、その波形図を私も見せていただきました。さらに、会見中も断続的にPMSを当てられているということで、目の前で超音波を可聴音に変換する実験(図3)を披露してくださいました。


図3:パラメトリックサウンドの可聴音合成実験
   PMSの原理が正しければ、波形同位相の交差位置で音声合成が可能。
   実験により現実に行われていることが確認できた。プレートの向き
   から照射方向もある程度限定できる

プラスチックのプレートを空中にかざして数秒後、「うぉ〜うぁ」という言葉とも言えない不思議な大音響がプレートから鳴り響きました。それも一度だけでなく、かざす位置を時々変えながら何度も再現することができます。Y氏によると、頭蓋骨からわずかに位置がずれているので、明瞭な音声の再現には至らないが、自分の耳にはちゃんと人の声として聞こえるといいます。


■携帯中継局:超音波発信機としても利用されている?

Y氏のお話の場合、ストーカー行為者の道義的な非道さはまさに論外ですが、同時に、この技術を個人に適用する場合に何が必要かと考えた時、用意すべき社会インフラの規模の大きさに愕然としました。

Y氏の場合、お住まいは中京方面ですが、居住地内やその近辺でのみそれが起こるならまだわかります。Y氏専属のストーカー部隊が常駐で張り付いているとみなせるからです。しかし、Y氏によると、会見のための移動中の車の中だけでなく、関東地方に到着し、私との会見中でさえも、断続的にPMSを照射され続けていたと言います。そして、それを私も実験で確認しました。移動中に不審な後続車両はなかったと言いますし、また会見場所の周囲に怪しい人物はいなかったので、少なくとも中京・東海・関東に渡る広範囲にPMSの発信装置がすでに完備されているということになります。

ここで前段の携帯中継局と話がつながります。このような超音波発信機が取り付けられる可能性があるとすれば、それは前述(A)の送電線の支柱、携帯中継局、各種電波塔しか考えられません。(B)の人工衛星については、宇宙空間からの超音波振動は考えられないので、ここでは無視してよいでしょう。また、これだけの規模のものを後から個別に設置するのはなかなか大変ですし、その目的を疑われる原因にもなります。そうだとすれば、1990年代の中頃から急速に普及を始めた携帯電話、その普及の勢いを利用して一気に、非殺傷兵器としての電磁波発信機、および超音波発信機を整備していったとは考えられないでしょうか?私は、携帯電話やPHSが普及する以前にこれらの非殺傷兵器の技術が完成しており、その完成時期を待って携帯電話の販売が促進されたと考えています。だとすれば、東芝や京セラのような携帯機器メーカー(家電メーカー)、NTTやAUのような通信事業者(*1)、許認可権を持つ総務省(旧自治省)など、みんなグルであったと言うことができます。もちろん、その兵器の恩恵を受ける、警察庁(公安)や自衛隊も含めることもできます。この構図はまさに、日航機事件の組織的な隠蔽工作を働くクロカモの支配関係に当てはまるのではないでしょうか。

PMSについて最後に1点だけ補足します。私が同席した図3の実験では、頭部からわずか10数cm程度離れた位置で、もう正確な音声は合成されませんでした。頭蓋骨とプラスチックプレートの物理構造的な違いも考慮しないといけませんが、PMSは正確に位相を合わさないと狙い通りの音声化ができない可能性があります。つまり、常に、ほぼ誤差のない精度でY氏の頭部に焦点を合わせる必要があるだろうと推測されるのです。高速移動中の車両においても頭部に焦点を合わせ続ける技術。私は、Y氏の頭部には確実にナノチップが埋め込まれているであろうと確信するのです。、


*1 通信事業者:PHS通信事業者の「アステル」は確か東京電力資本でした。PHS方式は狭い間隔で数多くのアンテナを設置しなくてはならず、当初からインフラ整備の上で不利が言われていましたが、なぜ、NTTや東電はPHSを推進したのでしょう?データ通信能力の高さが宣伝文句でしたが、結局、現在の携帯電話方式でデータの高速通信が可能になると、もはやそのメリットもなくなりました。1970年の万博で早くも携帯電話のプロトタイプを開発したNTTが、その程度の技術予測ができなかったとは到底思えません。穿った見方とお断りしますが、日本におけるPHS事業の本来の目的とは、多目的中継局の大量設置にあったのではないでしょうか?


 * * *

終末の世になると、狐付き、神懸かりが多く現れるといいます。「スピリチュアル」という言葉が広く使用されるようになり、超自然な存在と対話する不思議な能力を持つという人が、スピリチュアル系の雑誌、書籍で紹介されるようになりました。私は、自分が信仰者であることもあり、その全てを疑うつもりはないのですが、中には、本記事で紹介したPMSにより、人為的に創作された神の声を聞かされている人もいるだろうと想定しています。そして、安易に予言・預言に傾倒することを自ら戒めるようにしています。神の真意とは己の行動を通してこの世に発現するものであり、奇跡的な事象や、神懸かり的な言動として現れることは、極めて少ないと私は考えます。ましてや、PMSなるものの存在を知ってしまった今においてはなおさらです。

ET CUM PROPRIAS OVES EMISERIT ANTE EAS VADIT ET OVES ILLUM SEQUUNTUR QUIA SCIUNT VOCEM EIUS ALIENUM AUTEM NON SEQUUNTUR SED FUGIENT AB EO QUIA NON NOVERUNT VOCEM ALIENORUM
自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。ほかの者たちの声を知らないからである。
(ヨハネの福音書 第10章4,5節)


南の島フィリピンより
管理者 日月土
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木下黄太さんを応援します。

2011-12-16 20:54:23 | 日記
福島原発の真実を精力的に啓蒙されている木下さんが、ご自身のブログ『放射能防御プロジェクト 木下黄太のブログ「福島第一原発を考えます」』で次のような意志を表明されました。

-----------------------(転載:ここから)-------------------------
新しい国を造る覚悟をもって、闘う事を考えています。あなたは、闘ってくれるのでしょうか。

冷温停止状態を臆面もなく宣言するこの国の在り方を許容できないと考える僕がいます。徹底してこの国の崩壊を許してはなりません。新たな国造りまで、僕らの視野に入っておかないと、もはやなにもできないと思います。一緒に闘える同志が本当にどのくらいいるのかが、一番大切と思っています。

あなたは、闘ってくれるのでしょうか。

-----------------------(転載:ここまで)-------------------------

木下さん、一緒に闘いましょう。私は1985年の日航機事件の解明をきっかけに、この国の背後に潜む大きな黒い霧の存在を知りました。彼らは福島の事故と無関係ではありません。今、この霧が私たちの祖国を完全に闇の中に葬り去ろうとしています。闘う勇気だけでなく、寛容と慈愛を以って、私はこの国に新たな光を差し込みたいと願っています。

また、私のブログの読者様にもお願いがあります。木下さんのご意志にご賛同される方は、ぜひお持ちのHP、ブログ上で同志である旨を宣言されてください。



AIT EGO VOX CLAMANTIS IN DESERTO DIRIGITE VIAM DOMINI SICUT DIXIT ESAIAS PROPHETA
ヨハネは、預言者イザヤの言葉を用いて言った。「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。『主の道をまっすぐにせよ』と。」
(四八音の福音書 第1章23節)


南の島フィリピンより
管理者 日月土
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2011年晩秋 日本一時帰国レポート

2011-12-10 16:28:31 | 日記
先月(11月)下旬から今月の初めまで、所要のため日本に帰国しました。

内部被曝を極力低減するため、今回は、東日本へは一切立ち寄らず、食事もフィリピンから持参の物を中心に、西日本山系の飲料水と、地元の農産物と確認できるものを時折買い求めて空腹を凌ぎました。とは言っても、付き合い上の外食は全部断りきれないので、「大丈夫かなぁ」と思いつつ、出された肉・魚に箸を伸ばすこともありました。

メニューに気をつけていたこともあり、とりあえず、九州・四国で食べたものでは、ほとんどダメージを感じませんでした。私の場合、ある程度放射能汚染されたものを食べると、頭部の特定箇所に痛みを覚えるので、それが汚染センサーの代わりになっています。むしろ、食事よりも、移動で使った新幹線車内の汚染度合いがひどかった。頭痛と鼻のつまり、喉の痛みが降車後数10分近く続きました。一方、ローカルの一般特急の場合にはそのような体調の変化は起こりません。

今回の帰国では、日本西部がどれくらい放射能汚染されているか気がかりだったのですが、空気・食品に関しては九州・四国はまだ何とかなるとの感触を掴みました。ただし、汚染瓦礫の地方での焼却や、汚染食材・物資の流通が進むとそれもどうなるか分かりません。何よりも、福島からの放射能漏洩がいつ収束するか全く目処がたたないのが、最大の気がかりです。


■久々に神社へ参拝

所要の合間を縫って、フィリピン戦慰霊の報告のため、大分の宇佐八幡を参拝しました。宇佐はかつて旧海軍航空隊の基地があった土地で、神風特攻隊やレイテ海戦とも縁が深いと聞き及んでいます。現在の酷く穢された日本を英霊の皆様がどう思われるか、内心忸怩たるものがありましたが、それでも祖国であることには変わりありません。どうか、この地で我々を最後まで見守っていただけますようにと、神前でお願い申し上げました。


写真1:宇佐八幡(奥宮)


なお、入国当初から再び監視行動を受けることになりましたが、この辺のことはいくら書いても頭のおかしい人の誇大妄想にしか聞こえないと思いますので、そういう事実があったとだけ記します。1985年に起きた日航機事件は、国体の本質を揺るがす大事件でありますが、今現在、福島放射能汚染の現実を鑑みるにつけ、もうこの国の国体が事実上崩壊していることは、私のブログを読んでくださる皆様ならとっくに認識されていることでしょう。

この非常時に日航機事件を蒸し返すことの意義については、日々考えさせられるものがあります。帰国中、私の頭上に超低空で出現する自衛隊ヘリを見ながら私はこう思いました。

「あなたたち、そんなことをしている場合か?」

私が日航機事件の真実のほぼ全貌を掴み、その証拠を握っているのは間違いないのですが、それをこのブログで公開したところで、また阻止されたところで、今日本で始まりつつある悲劇に比べればもはや取るに足らない問題のような気もします。

私が、それでも日航機事件を書き続ける理由はただ一つです。罪なき犠牲者、同胞達を事故という形でこの世から葬り去ろうとした。それを全て為政者のせいにするのは簡単ですが、その為政者を許したのは結局私たちです。同じ日本人としてその贖罪を果たすことは一生の義務だと思うからです。福島の悲劇の原型が日航機事件の中に全て見出せます。


* * *

フィリピン帰国直後、被曝処置を施しました。被曝量が少なかったせいか、好転反応も穏やかでした。同国産の白米と天然フルーツを頬張りながら、安心して食事ができる喜びと恵みを、神とフィリピン国民の皆様に感謝しました。


NAM ET QUI CERTAT IN AGONE NON CORONATUR NISI LEGITIME CERTAVERIT
LABORANTEM AGRICOLAM OPORTET PRIMUM DE FRUCTIBUS ACCIPERE
INTELLEGE QUAE DICO DABIT ENIM TIBI DOMINUS IN OMNIBUS INTELLECTUM
また、競技に参加する者は、規則に従って競技をしないならば、栄冠を受けることができません。
労苦している農夫こそ、最初に収穫の分け前にあずかるべきです。
わたしの言うことをよく考えてみなさい。主は、あなたがすべてのことを理解できるようにしてくださるからです。
(テモテへの手紙2 第2章5-7節)


南の島フィリピンより
管理者 日月土
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太平洋戦争戦没者慰霊のご報告−そして日本の黒い霧

2011-11-19 23:24:45 | 日記
ここ数週間、フィリピンに在住しているこの時を利用して、連合軍・日本軍合わせて35万人余、現地居住民を含めれば100万人を超える犠牲者を出した、太平洋戦争時の比国内激戦地を戦没者慰霊のため訪問しました。今回の記事は自ら撮影した写真を中心に、慰霊の記録としてご報告させていただきます。また、フィリピンと日本、連合国(米国)について簡単な考察を加えてみました。

※フィリピン戦線全般に関する一般的な歴史的経緯について、詳細はこちらをご覧ください(Wikipedia「 フィリピンの戦い」)


■バターン・カパス=ルソン島「死の行進」

※一般的な歴史的経緯について、詳細はこちらをご覧ください(Wikipedia「バターン死の行進」)


写真1:カパスにある平和モニュメント
収容所のあるカパスまで、米軍、比軍の捕虜を歩かせる間に、不足する食料、炎天下における長距離の行進で、多くの捕虜が倒れたという。ただし、現地を知る私としては、ルソン島の夏の日差しはそこそこ強いが、日本のように多湿ではないため、仮に摂氏40度近くても日本のように汗が噴出し意識が朦朧とするようなことはない。しかも、現地の古老の話では昔のルソンは、今みたいに暑くなかったという。30度を超える日の方が珍しかったとも聞く。乾いた空気の下では摂氏30度も過ごしやすい気温となる。フィリピンでは米軍を解放軍と認識するプロパガンダが行き届いているため、この「死の行進」にもかなり誇張が含まれていると思われる。かといって傷病兵など犠牲者が全くなかった訳ではないだろう。戦争とは事後の戦史編纂まで含めてその一環なのであろうから。


写真2:旧マバラカット海軍航空隊基地付近から望むアラヤット山
マバラカット基地は、関行男大尉率いる太平洋戦争最初の神風特攻隊の出撃基地となった。平野部に忽然とそびえるアラヤット山は、基地に帰還する航空機の目印になったという。この美しく悠然とした山は、現地でも神の住まう山として崇敬されている。最初の神風特攻隊長となった関行男大尉の銅像もこの地に建造されていた。


■リモン峠=レイテ島「リモン峠の戦い」

※一般的な歴史的経緯について、詳細はこちらをご覧ください(Wikipedia「レイテ島の戦い」)


写真3:戦後、日本人により建立された慰霊碑。
リモン峠にはこのような慰霊碑が多く建てられ、ここで行われた激しい戦いと、残された遺族・関係者の悲痛な思いを偲ばせる。ちなみに、私(日月土)の祖父は徴兵されレイテ島で亡くなった。語学(英語・独語)が達者な人だったと聞かされているで、おそらくこの地に移動してきた通信隊に所属していたと想像される。全ての戦没者及び我が亡き祖父に合掌。


■タクロバン=レイテ島「アメリカ軍上陸」

※一般的な歴史的経緯について、詳細はこちらをご覧ください(Wikipedia「レイテ島の戦い」)


写真4:タクロバンにある日本人戦没者慰霊碑
現地でたまたまお世話になった方のお母様が、戦争中のことを覚えておられるので話を伺った。「日本の兵隊がいた頃はたいへんだった。日本兵にはひどい目にもあった。戦闘が始まるとみんな山の中に逃げた。戦闘中は米が作れないので、食べ物がなくて辛かった。」等々。思わずこちらが「日本人が皆さんを苦しめたのなら、謝ります。ごめんなさい。」と伝えたところ、彼女は「いいえ、あれは戦争だったのよ。」と笑って答えてくれた。まるで、慰霊に訪れた私が慰霊されたかのような、心安らぐ瞬間だったことは生涯記憶に留めたい。彼女の言葉を胸に、美しい湾岸沿いに建てられた慰霊碑を訪れ、平和を祈った。


写真5:マッカサーの再上陸モニュメント
タクロバンはアメリカ軍の上陸地点。"I Shall Return(私は必ず戻ってくる)"で有名なマッカーサーがかつての植民地に再上陸したのもこの地点だ。フィリピンでは、マッカーサー上陸の日(10月20日)を「解放の日」と呼んでいるが、それについて私はかなり異論がある。まず、マッカーサーの父(アーサー)がフィリピンで行った激しい植民地弾圧と、日本によるフィリピン独立運動の支援という歴史的事実が忘れられている。そして、日本の独立支援運動が突如中止にされたこと、マッカーサー父子が後に在日米国大使館付の武官に就任したこと。国際軍事評論家のB氏によると、なんと、マッカーサー(子、ダグラス)のは日露戦争の際に観戦武官として日本海軍の艦船に乗船していたという。マッカサーと日本の付き合いは、第2次大戦後が初めてではなく、それよりかなり前に深い所で始まっていたのである。ちなみに、マッカーサー家が英国貴族の血脈であり、家族内にロスチャイルド家との繋がりがあることには注意を喚起したい。また、本人がフリーメーソンの一員であることは陰謀論の世界ではもはや常識となっている。


■スリガオ海峡=レイテ島・ミンダナオ島「スリガオ海戦」

※一般的な歴史的経緯について、詳細はこちらをご覧ください(Wikipedia 「レイテ沖海戦」)


写真6:スリガオ海峡
レイテ島南東部、アナハワンの海岸からスリガオ海峡を臨む。海峡の向こうに見えるのはミンダナオ島北部に連なるディグナット島。潮が速くこんな狭い所で艦隊同士が戦闘をしたというのがちょっと信じられなかった。国際軍事評論家B氏によると、この戦闘不向きの海峡を敢えて攻めることこそが、敵の裏を掻く日本海軍の作戦だったのだが、連合国軍は日本海軍の作戦を読みきっており、むしろ海峡の速い潮流と潮の高低差を上手く利用した魚雷艇攻撃により、日本軍を撃破したとのこと。この海戦で西村艦隊、志摩艦隊の若く優秀な海兵たちが数多く戦死し、日本海軍にとって大きな痛手となった。合掌。


■ダバオ=ミンダナオ島「フィリピン諸島戦、後期の戦闘」

※一般的な歴史的経緯について、詳細はこちらをご覧ください(Wikipedia「ミンダナオ島の戦い」)


写真7:ダバオ郊外ミンタルの墓地にて
フィリピン戦の後期には連合国軍がミンダナオ島に上陸開始、ここダバオでは日本軍が連合軍の攻撃を受け2ヶ月間防衛を続けたが、やがて後退へ。慰霊碑は、ダバオ郊外のミンタルにある現地の洋式墓地の中に幾つも建立されていた。赤道に程近い、南国の照り付ける強く明るい日差しが、かえって、ここで起きた戦闘の激しさとご遺族の深い悲しみを対比させる。


図1:今回の慰霊先の見取り図


■フィリピンの戦いと日本の黒い霧

B氏よると、フィリピン戦には軍事常識的に考えると不思議な点が幾つかあるといいます。まず、米国海軍はもとより陸軍参謀本部もフィリピンへの上陸ではなく、台湾に進攻し日本軍を叩き、フィリピン駐留軍を孤立させ日本本土を攻めるべきだと主張していたのに対し(その方が犠牲も消耗も少ない)、マッカーサーはフィリピン進攻に強くこだわったていたとのことです。海軍提督ミニッツとの個人的な確執や、「(かつて自分が在任していた)フィリピン国民との約束」という理由がまるで美談のように語られていますが、果たして軍の指揮官がそんな情緒的な理由で上層部の指示する作戦にそこまで抗う必要があったのでしょうか?

また、太平洋戦史でよく話題になる栗田艦隊「謎の反転」ですが、歴史に「もしも」は禁物とはいえ、もしも、栗田艦隊が反転せずレイテ島に向かっていれば、海上戦が不得手なマッカーサー率いる上陸艦隊は大打撃を受けていただろうし、マッカーサーの生死も危うかっただろうと言われています。太平洋戦史は栗田艦隊の判断一つで明らかに変わっていたはずなのです。世界の海戦史のほとんどを研究したというB氏も、「栗田艦隊の反転理由だけは未だに分からない」と言っています。これだけでも怪しい話ですが、敗戦後、どん底の経済状況の中、栗田艦隊関係者がどこからか資金援助を受け、現在の栗田工業を設立したのは有名な話です。このように考えると、1981年、栗田工業の社長子息がフランスで起こした猟奇事件も歴史の闇と何か関連があるように思えてなりません。ちなみに、その社長はこのブログで何度も取り上げている疑惑の企業「伊藤忠商事」からの出向社長です。(参考:パリ人肉事件)

翻って陸軍関係の話題ですが、フィリピン国内では、どこに行っても旧帝国陸軍の隠し財宝の話が話題になります。いわゆる山下財宝、M資金などの話の元になっている噂です。地元の人に聞く典型的な話は、「日本軍に借り出され、港から物資を輸送。山に穴を掘り、それを隠した後で殺され同じ場所に埋められた。その後、地元民を殺した一般兵士も上官に殺され、やはり同じ場所に埋められた。」というものです。何だか武田信玄の芸者舞台に似た話です。話を冷静に聞くと、少なくとも
 ・何かを運び込んで埋めていた。
 ・従軍労働後に殺された人(地元民・日本兵)がいる。
というのは事実のようです。私の居住する地域では、旧陸軍の敷設した立派な舗装道路が山岳部に残っているし、その近辺で実際に金塊を掘り当てた人物もいます。また、身内が日本兵に殺されたということで、今でも日本を憎んでいる一家があり、日本人の一人歩きを注意されることもあります。以上を総合して私が現地で受ける印象、それは「帝国陸軍は本当にここで戦争をしていたのだろうか?」というものです(*1)。同時に、マッカーサーがフィリピン占領に固執した事情と、フィリピン国内に帝国陸軍が隠した「何か」とは密接な関係があるのではないかという疑いが強まります。

さて、これまでに私が会った、ある歴史研究家の調査によると、戦前に存在した日比友好協会(これが正式名称かどうか自信がありません)の日本人会長は紀州徳川家直系の人物だったと言います。時系列的には、当時フィリピンの実質的支配者であったマッカーサー家と日本の徳川家がこの時点で極めて親密な関係であった可能性が伺えるのです。これを裏付けるように、敗戦後、日本に駐留したマッカーサーが採用した日本人秘書が、まさにこの徳川家の人物の子息(養子)であり、元陸軍情報部の仕官でもあった人物と聞いています。またその実の親は西部グループの生みの親で、政治家・実業家の堤康次郎であるとも聞き及んでいます。当然ながら堤義明氏や堤清二氏とも異母兄弟の関係ですが、康次郎には庶子が多くその多くが政財界に養子に出されているため、小泉純一郎、安部普三、麻生太郎、鳩山由紀夫など、近年の総理経験者、当然その親の代・祖父の代ともどこかで血が繋がっていると考えられています。裏が取れている情報ではないので断定はしませんが、現代史にご興味がある方はぜひ調べてみてください。もしも、こうした話が事実ならば、

  ロスチャイルド家−マッカーサー家−徳川家−堤家→日本政財界
      (フリーメーソン)

が一線で繋がることになり、太平洋戦争は特定の一族が定めた出来レースであった疑いが極めて強くなるばかりでなく、現在に至るまで日本の政財界(軍)がこれらの一族=旧華族ネットワークに支配されている構図が見えてきます。そして、その旧華族の長と呼ぶべき徳川家(主に尾張徳川)こそが、私が本ブログの日航機123便関連記事で「クロカモ」と呼ぶ、日本の闇組織の中核グループの一つであるだろうと、確信しているのです。徳川は死んでいない。というより、明治維新そのものが、初めから英米西欧諸国、薩長連合と結んだ壮大な茶番であった可能性すらあるのです。我々はそろそろ、作家司馬遼太郎氏が作り上げた虚構の現代史「司馬史観」から離れなければならないようです。


写真8:徳川の隠れ里、愛知県新城市

ここまで、フィリピンを巡る日本と米国の関係を中心に述べてきましたが、この国の政治に最大の影響力を持つ彼の国については敢えてまだ触れていません。フィリピンが最大の資金源であり、現アキノ政権を事実上の支配下に置く国家。その国家こそ、ここフィリピンにおいて日米の密約を取り持ち、日航機事件の最高機密をもコントロールする隠れた影響力を有する国家(または機関)であることが段々と分かってきました。この慰霊報告を書き上げたところで、そろそろその正体を明かす時がやってきたようです。


*1 戦争をしていたのか?:日本人帰還兵、小野田寛郎氏の話も謎が多い。現地フィリピンでは、農作物や家畜を盗み、村の婦女子を暴行する厄介者として長く迷惑がられていたと聞く。徹底抗戦を心に決め密林に篭り、日本人青年の説得に応じて姿を現したとする日本の報道とあまりに違う。日本では本人の決断で現地軍に投降したことになっているが、こちらではあまりの狼藉振りにフィリピン軍がとうとう身柄を拘束し、日本政府に引き取らせたという事になっている。どちらが真実なのか?本人は旧陸軍中野学校で訓練を受けた工作員。後のインタビューで、ラジオを自作し戦争が終わったことも、新幹線が開通したこともみんな知っていたという。事物を冷徹に判断すべき工作員が「母国は米国の傀儡だから帰りたくない、反撃を待つ」を理由に果たして現地に30年近くも留まるだろうか?日本帰還後、そんなに時間を置かず結婚相手を見つけ、半年後には兄弟のいるブラジルに移住したというのも、ちょっと考えると出来すぎた話だ。同じくグアム島からの帰還兵、横井庄一氏の場合も帰国後すぐに結婚相手を見つけている。まるで宛がわれたかのように。私は、小野田氏の場合は特に、戦後も現地で戦争とは直接関係のない何らかの特殊任務を継続していたのだろうと疑っている。


 * * *

以上、慰霊のご報告と共に、フィリピン諸島における戦争で日本陸海軍・マッカーサー上陸軍が取った奇妙な行動とその関係性を推察してみました。私が強く思うのは、もしもそのような疑念が事実であったとしたら、あの戦争における英霊の皆様の死は何だったのか?私の祖父の死はいったい何だったのか?という、率直な疑問です。それだけでも祖霊に対する大きな裏切りなのですが、仮にそれを除いても、戦後の日本は、123便事件では罪無き民間人紛争犠牲者を事故死であると嘘で誤魔化し、今回の福島原発事件では、国土を著しく穢し、国民の健康や生命まで損なおうとしています。この慰霊旅行中、私は本当に英霊の皆様の子孫として恥ずかしかった。何でこんな国になってしまったのか。私は、墓標の前でお詫びの言葉を告げると共に、母国日本のために、たとえ微力であっても、自分のできることをやり遂げますと、神々そして英霊の皆様に誓ったのです。


        奉歌

ひふみゆら、ひふみゆらゆら、ひふみゆらゆら。

かけまくも、かしこけれども、歌たてまつる。
御まへに、歌たてまつる。弥栄み歌を。
世を救ふ、大みゐわざぞ。みことかしこし。
まさに今、神のみことを、このみみに聞く。
三千世界、救ふみわざぞ。言ただし行かな。
大神の、しきます島の、八十島やさか。
天かけり、地かける神も、みひかりに伏す。

堪へに堪へし、三千年の、イワトひらけぬ。
したたみも、いはひもとほり、神に仕へむ。
大稜威、あぎとふ魚も、ひれ伏し集ふ。
かむながら、みことの朝を、みたみすこやかに。
神の子ぞ。みたみぞ今の、この幸になく。
国原は、大波うちて、みふみを拝す。
天もなく、地もなく今を、みことに生きん。

大みつげ、八百万神も、勇みたつべし。
天地の、光となりて、みふで湧き出づ。
一つ血の、みたみの血今、湧きて止まらず。
大みこと、身によみがえる、遠つ祖神の血。
すでに吾れ、あるなし神の、辺にこそ生きん。
高鳴るは、吾か祖の血か、みつげ尊し。
吾れあらじ、神々にして、祈らせ給ふ。

天地も、極まり泣かん、この時にして。
かつてなき、大みつげなり、たたで止むべき。
天地も、極まりここに、御代生れ来ん。
大き日の、陽にとけ呼ばん、くにひらく道。
みことのり、今ぞ輝き、イワトひらけん。
宮柱、太しき建てて、神のまにまに。
抱き参らせ、大御心に、今ぞこたへむ。

言いむけ、まつろはしめし、みことかしこし。
ただ涙、せきあへず吾は、御まへに伏す。
ささげたる、生命ぞ今を、神と生まれます。
大まへに、伏すもかしこし、祈る術なし。
今はただ、いのちの限り、太道伝へむを。
祈りつつ、限りつくさん、みたみなり吾れ。
いのち越え、大きいのちに、生きさせ給へ。

ひたすらに、みことかしこみ、今日に生き来し。
言霊の、言高らかに、太陽にとけな。
天に叫び、吾れにむちうち、今日に生き来し。
あらしとなり、あまかけりなば、この心癒えむか
走りつつ、今海出づる、大き月に呼ぶ。
みみかくし、生命と生れて、遠つ祖神さか。
神々の、智は弥栄え、此処に吾れたつ。

みたみ皆、死すてふことの、ありてあるべき。
あな爽け、みたみ栄あり、神ともに行く。
さあれ吾の、生命尊し、吾を拝みぬ。
みづくとも、苔むすとても、生きて仕へん。
いゆくべし、曲の曲こと、断たで止むべき。
かへりごと、高ら白さんと、今日も死を行く。

追ひ追ひて、山の尾ことに、まつろはさんぞ。
追ひはらひ、川の瀬ことに、曲なごめなん。
みことなれば、天の壁立つ、極み行かなん。
と心の、雄たけび天も、高く鳴るべし。
まさ言を、まさ言として、知らしめ給へ。
たな肱に、水泡かきたり、御稲そだてんを。
むか股に、ひぢかきよせて、たなつつくらむ。

狭田長田、ところせきまで、実のらせ給へ。
神々の、血潮とならん、ことに生き行く。
言さやぐ、民ことむけて、神にささげん。
にぎてかけ、共に歌はば、イワトひらけん。
大き日に、真向ひ呼ばん、神の御名を。
道端の、花の白きに、祈る人あり。
拍手の、ひびきて中今の、大きよろこび。

悔ゆるなく、御まへに伏し、祝詞申すも。
祝詞せば、誰か和し居り、波の寄す如。
のりと申す、わが魂に、呼ぶ何かあり。
御まへに、額づきあれば、波の音きこゆ。
悔ゆるなき、一日ありけり、夕月に歩す。
曇りなく、今を祝詞す、幸はへたまへ。
奉る、歌きこし召せ、幸はへ給へ。

ひふみよい、むなやここたり、ももちよろづう。

(日月神示 黄金の巻 第四十四帖より)


MEMORIA IUSTI CUM LAUDIBUS ET NOMEN IMPIORUM PUTRESCET
SAPIENS CORDE PRAECEPTA SUSCIPIET STULTUS CAEDITUR LABIIS
QUI AMBULAT SIMPLICITER AMBULAT CONFIDENTER QUI AUTEM DEPRAVAT VIAS SUAS MANIFESTUS ERIT
QUI ANNUIT OCULO DABIT DOLOREM STULTUS LABIIS VERBERABITUR
VENA VITAE OS IUSTI ET OS IMPIORUM OPERIET INIQUITATEM
ODIUM SUSCITAT RIXAS ET UNIVERSA DELICTA OPERIT CARITAS
神に従う人の名は祝福され 神に逆らう者の名は朽ちる。
知恵ある心は戒めを受け入れ 無知な唇は滅びに落とされる。
完全な道を歩む人は安らかに歩む。道を曲げれば知られずには済まない。
嘲りのまなざしは人を苦しめる。無知な唇は滅びに落とされる。
神に従う人の口は命の源 神に逆らう者の口は不法を隠す。
憎しみはいさかいを引き起こす。愛はすべての罪を覆う。
(箴言 第10章7-12節)


南の島 フィリピンより
管理者 日月土
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