遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。

 



  3月が終るのは 2月や4月や5月とは異なる感慨がある。年度が替わることもあるし 4月の声とともに景色や気候が変わることもあるけれど 4月1日が誕生日...そしてなにがし その前後に事件が起こり大きな節目になりがちだということが一番のもとなのだ。

  なにか起こってほしいなどと 努々思ってはいないのに できごとは突然ドスンと音を立てて空から落ちてくる。あとはあたふた まるで 巣穴の中に水を注ぎ込まれた蟻たちのように右往左往するばかりだ。

  今日という今日は精魂尽き果て あとはどうともなれ...という無責任なほど明るい真っ白な気分でいる。というのも とりあえず夫も家族も会社も問題は内蔵しながらも 今は大過なく動いているからだ。そして このたびは 私自身の心身に故障があるので動きようにも動けない。

  昨日 広大な江東処理場を歩き回ったせいで 今日は膝が立たない。31日だ、晦日だ、やることがいっぱい!でも ま、いいか みたいな....それと敗北感...夕べ4人の子どもたちと猫の親子みたいにリビングでぬくぬく過ごした。 待ってろよ 任せておけよ と不良息子たちは言う 末っ子は小学校は辛いことばかりだったと泣き出す..ね、やるだけやった?つもりでも わたしは母として 子どもに必要な最低限のことしてやったとは言えないのかもしれない。


  65歳 定年延長に向けて給与体系の見直し 共通の給与 固定給(年齢給+)育児給 部門別付加給(A資格能力などB部門の特性など) 部門としての達成給そして個人の達成給 それに伴って 社員さんたちを伸ばすための公平な分配のための評価基準が必要だ。

  営業部とリサイクル部と...責任者を育てることをしなくては...特許申請をしなくては....たくさんの折衝  たくさんの努力が必要だ。..セラピーとしての語りの確立、そして語り手としての自分を育てること。子どもと仕事と語りとどれを棄てることもできない。内容を取捨選択する。密度を濃くする。なにがいちばん大切なことか もう一度考える。鏡に映してみる。

 午後 重いからだをひきずって 会社で仕事 労務士 それから行政書士事務所のKさんと打合せ 経営革新計画の作成に取り組んだ。なんとか3月中に仕上げたいと思ったが 販売売上計画と資金調達 資金返済計画で立ち往生。


  某社のプレーイングマネージャーとかいう 少し偉いひとが来て 言いたいことを言って帰って行った。保身のことしか考えない...相手の立場など そう考えていなさそうな人だった。こちらの立場は ビジネスアリーナの休憩室で部長に伝えてある。いずれ決着をつけ 言うべきことは言わなくてはならない。それにしてもアリーナの件 どうかやらせてくれと向こうから言ったのに資金も出させてくれと言ったのに 手伝ってあげたでしょうというのには 開いた口がふさがらんかった。
  

 
  

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夢の島にある江東処理場は広大な施設だった。

 
高い塔 塵灰や薬品などの処理施設 東京都に住むひとびとの生活から出たありとあらゆる塵芥を処理している。



その一角で工事をしている。3月末までの工期なので工事写真を撮りにきたのだ。


 
処理場は閑散としているが いるのは人間ばかりではない。猫たちが住み着いている。なかなか風格がある。フォークリフトの上で昼寝をしていた若い猫たちは逃げてしまった。



隣が夢の島マリーナ、ヨットが停泊している。不思議な眺めだ。



ひとがつくりだすものに美しいものはあるけれど 暮らしやそこから出るものは ほとんどがゴミや塵になる。醜悪なものだと思っていた。写真に残そうなどとは思っていなかった。けれども暮らしと自然が滲んでとけてゆくあたりには優しい景色がある。予兆のような夕景。

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竹林に水仙が一株咲いていた。




朽ちてゆく 時間をかけて自然に還ってゆく。 まどろんで滅びにむかう廃屋には言い知れぬ静謐があった。 魅惑があった。 薄曇の鈍い光のなかで 拒みもせず かといって迎えてくれるはずもなく 侵しがたくそこにあった。
                           
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死に絶えているのではない。微かに息づいている。追憶に耽っているのだろうか。いや かって家のなかにこだましていたこどもたちのくすくす笑う声 おはようやおやすみなさいの輪唱 もとうに忘れてしまったのだ。この家で赤子は生まれただろう。金襴緞子の花嫁が手をひかれてこの門をくぐったこともあろう。死によって清められたこともあるだろう。そこここの翳にただようかそけき余韻にひそかに微笑んでいるようだった。



椿は地に還る。草も葉も枯れてひととせで土に帰る。だが この屋敷は朽ち果てるまでの時は許されず 聲もなく取り壊されて つるりとしたマンションかアパートが立つのだろう。
いったい 滅びが美しいのはなぜだろう。 わたしは櫻が咲くのを待っているのではないのだとふと思った。わたしは 櫻が散りゆくのを待っているのだ。だから 櫻が咲ききるまでのこの時期が一年中でもっとも 狂おしい。

冷たいゆびさきが冷たい櫻の花片のように目蓋を塞ぐこの季節が、死者たちが戻ってくるこの季節が。

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  語りが予定調和的な居心地のよい 温かい 愉しい 楽しい 笑い転げるだけのものだったら わたしはとうにやめていただろう。時間はそんなに許されてはいないのだから もっと馥郁とした もっとみずみずしい もっと痛くて熱くて 生きている実感を感じられる そう 戀のようなものに身を任せていただろう。魂を揺さぶられ 魂を揺さぶるものだから まだこうしてつづけているのだ。語りに戀をしていたのかもしれない。

  揺さぶってほしい。嫉妬するほどの語りが聞きたい。いい語りを聞いたときは拍手などおきない。ただ呆然と魂は彼方の岸に打ち上げられるだけだ。そういう語りをだれか聞かせてください。

  わたしはなにをどう語りたい!?いつか芝居畑の方に あなたの語りには無駄なことばがひとつもない と言われたことがある。それはわたしにとって 確かな手ごたえだった。シムノンのように極限までことばを彫琢したいと目指していたから...いつかナイフのように切り裂くことばで語りたかった。

  場所がほしい。聞き手に切っ先を突きつけるように語れる場所が。炎のように氷のように 一切忖度しないで 顔をうかがわないで まっすぐ ことばを ものがたりを手わたす場所が。。デイケアや学校で語る それはとてもたいせつにしているのだけれど それだけでは窒息してしまいそうだ。ぬるま湯に浸かっていたら かえるのように死んでしまう 

  車を走らせていた。櫻咲くまえの緑したたるまえの まだみすぼらしい風景だった。曇り空の背景に辛夷や木蓮は染みのように見えた。廃屋が 褪せた紅椿が老残の化粧のような廃屋が そこにいるだけで語りかけているではないか。わたしはなにをしているのだろう。ことばがことばがいのちがいのちが 

  まだ語られていないものがたりを生むのはわたし ことばに命を吹き込むのはわたし 渡良瀬で語ればいい...風と空が聞いてくれる。  ブログでは伝えられない。



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  朗読・ろうどくというブログがありました。真摯に朗読に取り組んでいて とても素敵なブログでしたが 3月いっぱいで閉めてしまわれるそうです。お疲れさまでした。外はしのつく雨です 咲き初めたばかりの櫻が打たれています。傘をさしかけてあげたいけれど 傘は一本しかありません。

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  櫻井先生の厳島神社・奉納語りの参加申し込みをする。台風という禊をいただいて延びたのだから 当日は 目の覚めるような美しい日となるだろう。

  セミナーの友人のプレゼントのラム酒入りチョコレート、芳醇でなめらかでまたとないチョコレートだった! わたしはチョコレートがだいすきで 欠かしたことがないのである。どこのチョコレートかしらとシンプルな包装紙をためつすがめつしていたら裏にグレーでびっしり印刷されている。フェアトレード!のチョコ?ちょうど二年前の独文学者池田香代子さんを囲む会のレポートを ぜひ読んでください。

  フェアトレードカンパニーは、途上国の立場の弱い生産者を支援し、自然農法や現地の伝統技術を活かした製品を公正な価格で輸入販売し、環境と人に配慮した持続可能な交易を実践している。500円切手を下記に送ると通販カタログ「ピ-プル・ツリー」が送られてくるそうだ。

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         仲間たち 

  年に一度の同窓会だった。みんなに会いたい気持ちとすこしの不安がカクテルになって ふわふわした気分で池袋の自由学園、明日館に向う。去年の同窓会のすこし苦かった思い出がよぎる。立つのが辛いのでグリーン車に乗り 他にひともいないので低い声で語ってみる。まだなにを語るか決まらない。どちらも15分かかってしまう。

  会場につくと ちょうど休憩になるあたりだった。櫻井先生 片岡先生 藤田さん 曲田さん講師の面々が見えていた。おはなしがはじまった。みな自然でやはらかくておもしろかった。今井さんや清水さんの語りにわたしは笑い転げた。越前琵琶をされた方もいて興味深かった。わたしも弾き語りをしたくて ギターではロマ(ジプシー)の話しかできないし 近ごろは和物の方が多いからなにか邦楽の弾けそうな楽器はないかと気に懸けていたのだ。

 竹内さん 村田さん 村山さんのは聞くことができなくて残念だった。事前になにを語るか聞いて楽しみにしていたから。みんな腕をあげた。素敵だった。わたしは仲間たちを誇りに思う。綺羅星のような語りを外の方にもお聞かせしたいと思う。

 わたしは最後にライフストーリーを語った。山深い秩父の祖父と祖母と父の物語 父の人生を それから戦争で亡くなった正志さんと忠治さんのことを。15分で入れ子の構造にするのは無理があったかも知れない。けれど 非戦の思いを語りにするには そうするしかなかったように思う。こなれていないから 決して上等のできではなかったが 25分から30分にして 語りこんでいけば落ち着くようにも思う。

  帰り 偶然 池袋で知人に会って駅の喫茶でお茶を飲み語り合った。電車の中から家に帰ったあとまで しんと充たされて 想いがひたひたと溢れそうであふれない やすらかな時間が続いている。この気持ちはどこからくるのだろう。....わたしは今日 4人の亡くなられた方々の死を想いを語った、鎮魂の語りをしたのだった。そういえば ライフストーリーを語ったあとは いつも安寧のなかにいるのだった。

  次回はわたしたち ファンタジーグループが幹事になる。セミオープンにして知人を呼んでもよいことになったので 研究セミナーの仲間たちの語りをまわりの人に聴いてもらいたいと思う。

  
明日館の桜の前でさようなら また会いましょう

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  早く目覚めたので 五説経を読み直して見る。愛別離苦 勧善懲悪 もうすこし 今の語りにできないだろうか 照手という名は衣通姫につながる 信徳丸が継母の呪いで カサ病みになり親に棄てられ物乞いをしながら 巡礼する。今は表面上 街中に物乞いはいないから どうすれば若いひとに伝わるだろう。イメージで? 語り手が強いイメージを持てば伝わるだろうか。

  子どものころ おこもさんが門付けにきた。おさだおばちゃんは握り飯をわたしたり小銭をくれたりしていた。歩いていても 顔中できものだらけの子どもの手をひいた貧しげな母親が所帯道具をふろしきに包んで歩いていたりした。そこにはある超越した近寄りがたいものがあって 幼いわたしは夜 うなされたりしたのだが、昔は洋の東西を問わず 旅人や乞食には神が宿っているという信仰に近いものがあったのだ。だから 旅のひとを篤くもてなした家やひとに幸いがもたらされるという話がたくさん残っている。

  今は牛や豚や鶏を屠殺するところを子どもは知らない。乞食も知らない。見せしめの刑罰も当然知らない。ひとが病で死ぬところすらあまり知らない。すべては見えない闇のなかで行われる。現代の生活はうわべは清潔でうとましいことなどないように見える。良し悪しは別にしてそれは幸福なことだろうか。だからひとの心の奥底で闇が蔓延するのではなかろうか。

  生も死も聖も穢れも罪も罰も ひとの生きることに関わるすべてを人は知るべきではあるまいか。 五説経を読みながらこんなことを思っていた。できようならば せめて語りで眼前にこの世の光と闇をひろげてみよう、美しいもの清いものばかりでなく。闇があるからこそ光は耀く。

  

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  明け方まで背中から頭のてっぺんまで痛みが響いて ギブアップ!!米雄さんのところで 潰瘍の薬をもらう。二年ぶりである。それから病院のはしごS整形で両膝に注射 がまっすぐ伸ばせない、膝がつかない O脚になってるとのこと マズイ! ヤバイ! 
  友人からサプリメントの紹介のメールが届く。末娘がチョコレートを買ってきてくれる。さぁ さぁ なんとかしなくては 立ち上がらなくては。「立て!立て!立つんだ!」久喜座の演出Sさんの声が耳にこだまする。

  生活を変えてみよう。ポイントを決めよう。全部やり終えるまでからだが長持ちするよう もっと大事にしよう。毎年気が早い御陵公園の桜が三分咲き あすは中落し堀川沿いの桜並木もほころびはじめるだろう。

  青い空のむこうのみなさま あちらでも 桜は咲くのでしょうか。臈たけた桜の古木が靄をまとって彼岸の岸辺にどこまでも影を落としているのが見えます。明け方 ここに見えたのはあなたですか。些細なことに呻吟して 臥しているわたしに手をふれてくださったのでしょうか。

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           会社の庭の白椿

  ようやく 夕方車ででかけたら 小学校裏の路地で 「あっ 森さんだ 森さん!」と明るい声がした。思わず 車を停めて手を振った。「こんいちは! 元気!? また 会おうね」お話をしてあげた いっしょに遊んだ子どものひとりにちがいない。

  あ わたしは もう 悪いことはできないんだ と思った。道にゴミも棄てられないし 信号無視もできない 税金もちゃんと払わなくては まっすぐ 前を見て うじうじしないで歩くんだ。あの弾んだ澄んだ声にかけて。たくさんの子どもたちにかけて。元気がでた。

  でも 夜は いたくて 眠れない。

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  今日は痛くて一日寝ていた。夕方になって寝床の右手の低い箪笥に積んであった本に手をのばす。本棚はリビングにあって わたしの部屋にはない。箪笥三つに詰め込んでいるが溢れだして部屋を侵食している。開いたのは「青空のむこう」という本だ。装丁に惹かれて買ったがたぶんロマンティックな 少女向けの本だろうと読んではいなかった。

  読み口は甘かったが それは死後の世界のものがたりだった。事故で死んだ少年ハリーは死者の国 黄金色の夕陽の国にいる。死んだ日に姉になげつけたことばが気になって 青空の向こうに行けない。ハリーは禁じられた生者の国へ脱け出す。生者の国ではすでに数週間の刻が過ぎ去っていた。ハリーは渾身の力を振り絞って姉にメッセージを伝える。心残りはなくなった。青空の向こうは混沌の海 ハリーは思い切って飛び込む、ふたたび生れかわるために。

  草は萌え 緑したたり 花々が咲き誇る季節がくる 夏がきて 秋が来て 花は枯れ 草の実は地に落ち 木々の葉も散りはて 寒々とした冬がくる。しかし 冬のあいだに 地に落ちた種は根を張り 木々の芽はふくらみ やがてくる春を待っているのだ。年は過ぎ 風景は跡形もなく変わっていっても 自然の営みは変わることはない。

  ひともおなじこと 生命は死で終るのではない。死とは冬のように実は豊かなものなのではないか。生は死 死は生 大昔のひとたちはたぶんそれを知っていたのではなかろうか。ケルトの戦士たちは死を恐れなかった。ネイティブアメリカンも恐れなかった。きのう ブログを書きながら 死を忌避しようとしたことから 人間は自然と袂を別ったのではないかと感じた。

  わたしも死ぬことは怖い。未知なる冒険だから。けれど一番怖いのは死ぬ前に やるべきことが終っていないことだ。魂の不滅を固く信じていても....というのは自分でも体験したし 数名の近しいひとの死に立ち会って不思議なことを体験したからなのだが....このわたしという試みは一回限りだと知っている。あの世には自分の魂のほかなにひとつ持ってはいけないのだ。熟した実が落ちるように 枯葉が新しい芽に押されて落ちるように 為すべきことを終え 感謝のことばを伝え 思い残すことなく行けたらどんなにいいだろう。

  もう一冊は塩野七海さんの「緋色のベネツィア」だった。塩野さんの簡潔な文体が気持ちよい。ベネツィアの落日の頃 トルコやハプスブルグ家が鬩ぎあっていたころの物語。死んだあとはすこしのあいだ どこにでもゆけるそうだ。空が飛べたらもういちどベネツィアが見たい。洋上に忽然とあらわれた虹の都 その美しさに息をのんだアドリア海の真珠 ベネツィア。

  そのあとCSSをつかってブログのカスタマイズをしてみる。タイトルの画像がUPしない。フォントやカラーも ビルダーでやるようには思うようにならないが ともかくこれですこし自分の部屋らしくなった。

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  カリスマと人身掌握 緻密な計画 神のごとき決断 カエサルはすべての男の女であり すべての女の男であると言わしめた 歴史上でも英雄の中の英雄だった。

  カエサルの演説はひとびとを熱狂させたという。ことばの力を知り尽くしていたカエサルには「サイは投げられた」のほかにも「来た!見た!勝った!」などの名文句がある。「生きた 書いた 愛した」と言い残したのはスタンダールだったが カエサルのことばが下敷きにあったのかもしれない。

  わたしの墓碑銘だったら 歩いた 転んだ 歩きつづけた....かな 生きた しゃべった 語った ...かな 歩くのは遅かったが 8ヶ月でおしゃべりをはじめ 朝早くから小鳥が囀るように歌ったり話したりしていたそうだ。

  さて、カエサルこそ ローマ帝国の基礎をつくったのだが わたしはきのう間違った歴史を書いてしまったらしい。ガリアとは今のフランスのあたりで 陸のケルトと呼ばれる。陸のケルトはカエサルによりローマに吸収されていった。一方島のケルトはアイルランドなどで細々と命脈を保ちつづけ キリスト教布教のあと 追いやられた妖精たちは森の奥の暗がりで息をひそめて時を待つよりなかったのである。

  昨今のファンタジーの隆盛は 森や文学の異端のなかに追いやられていたケルト・妖精の復権といえなくもない。ケルトの文化は森から生まれた。キリスト教に吸収されるまでケルトの宗教は多神教でありそうした神々と人間の仲立ちをしたのが森の賢者ドルイド僧(樫を知る者)だった。ドルイド僧は聖なる森の樫のやどり木に神託を聞いた。

  古代では森は子宮を象徴し生命のみなもとであると同時に また死への入り口でもあった。洋の東西を問わず ものがたりは自然 なかでも森から生まれている。ケルト人も魂と物質の不滅、輪廻転生を信じていた。キリスト教、仏教、イスラム教などの一神教が興ったのはおおまかに言ってBC500頃からAC500位だろうか。それまで ひとびとは太陽 風 森 海 川 などすべてのものに神が宿ると信じ 土着の神々を信仰していた。

  ひとびとは天災、疫病、飢饉などを恐れた。一神教は ときには荒ぶる古代の神々・自然から 人間を救ったのだろうか。しかしながら 自然を惧れ敬う気持ちが薄れ 経済や娯楽のための道具に貶め 征服しようとしたことから 人間が堕落し ひいては環境破壊を招き 人類の存亡にかかっていることも事実である。

  わたしたち語り手は森の力の復権を荷うものでもあるのではないか、疲れすさんだ心を癒す 甦らせる 生と死の不思議を解き明かす ほんの少しの力を持っているのではないか。世界中で100万の語り手が自分のまわりをほのかに照らせば それはひとりの英雄 カエサルに匹敵する力 世界を変えるとよもす力になるのではないかと わたしは夢みる。だからこそ 心ある語り手をひとりでも多くと 夢見る。

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  「賽は投げられた」と云ったのはカエサル 極めて魅力的な男である。クレオパトラならずとも惚れてしまうだろう。勇猛果敢 勝負師 切れ味のいい頭脳 弁舌の巧みさ。元老院が制止するのを振り切って「賽は投げられた」と叫びルビコン川を渡った。

 今日 結婚式の招待状を投函した。一ヶ月悩んだあげくのことである。賽は投げられた。果たして結婚式まで漕ぎつけられるか 波乱を含んで事態は推移する。運命と努力の如何によっては瓦解してしまうかもしれない。とにかく努力しましょう。ことばは尽くした。が、だれかが言ったことばが心をよぎる。「霊的なことはことばでは解決しない。かえってこんがらがってどうしようもなくなる。ただ祈るだけです」

祈りとは 自分の心を相手の心に重ね合わせ、想いをつなぎ合わせる
祈りとは感謝と謝罪
祈りとは神さまとのコミュニケーション
祈りとは自分が恐れているものと向かい合うこと
祈りとは、 ことばを並べたものではありません。祈りとは、心がことばにのせられたものです

ネイティブアメリカンの聖なる言の葉
たいようが のぼってくる ひがしへ
   さむさの やってくる きたへ
   ひかりの もたらされる みなみへ
   たいようが しずみゆく にしへ
   ちちなる たいようの ために
   ははなる ちきゅうの ために
     
正しくないことのためには祈れない あるべきものに あるべきすがたにと祈ればそれでいいのだろう。ほんとうに愛していれば そのように願い 祈れるだろう。
ところで カエサルは祈っただろうか。
カエサルは56歳で死んだ。芭蕉も56歳で死んだ。そろそろ なにかを掴んでもいい頃だ。たとえ凡人としても。


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 きのう 惣とリサちゃんを動員して招待状発送準備。あとは仕事関係だけまでこぎつけた。住所を調べるのにあちこちTELして便りが滞っていた親類の消息も聞けた。絆というものは手間隙かけてだいじにしないと細くほそくなって 絶えてしまう。結婚式が出席してくださるそれぞれの一族 友人たちとひとつ結び目をつくればそれはいいことだと思う。ルイがいるのを理由に お中日というのにぼたもちひとつつくらなかった。昼はデリバリーのピザ、夜は秩父のお蕎麦。

 潰瘍がよろしくないし 歩くのがおおごとなので 気力もいささか萎えている。からだとこころは縒り綯わされた糸のようだ。25日、明日館の研究セミナーの同窓会にはいくつもりだが 10分の語りを持ってゆくことになっている。10分というのはなかなかむつかしい。なぜだかわからないがわたしの語りのひとコマはたいてい7分 15分 30分なのだ。ものがたりはあきらめて 10分で水野家四代を語ってみることにする。

 朝 まりがニョッキのトマトスープ仕立てをつくってくれる。美味しくて胃のことなんか考えないで食べてしまった。末娘はさんざんファッションショーをしたあげくライブに出かけた。それにしても この脱力感はなんだろう。3月はどうも鬼門である。たまにどん底まで落ちてみようか。眠くて 眠くて....布団にもぐりこむ? どこかへ行ってしまう? ホテルの一室 整えられた冷たい真っ白なベッド 深海の眠り。

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  ブログをはじめて もうすぐ3ヶ月。
不思議だなと思う。1000の昼のときとは 温度や湿度が違うのね。ブログは客観的に書けるのだが 乾いている感じがする。

 便利だけど すこしつまらない。 さぁ どうしよう。飽きたらやめてもいい..なんてことはないか。

1 ブログを変えてみる

2 1000の昼の続編を書く

3 ジャンルにあわせて書く

4 創作に専念する

5 生きることに専念する

6 語りに集中する

 ブログは読んでくださるみなさまとわたしをつなぐ。でも 1000の昼の時よりもっとさみしい感じがする。ブログはわたしのエナジーの隘路でもある、捌け口でもある。あしあとであり さきをてらすあかりでもある。

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