遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。

 

手紙  


HIKOさんへ

   朝 学校にいきました。おはなし会があったのです。なにを語ろうか朝の三時に決まりました。理由はわからないのですが 7月に同じ学年にしたのとは ことなる内容になりました。ホールに集まっている子どもたちに原爆の子らから作文をひとつ語りました。それから原爆詩から原爆で子どもを亡くしたおかあさんの詩を語りました。おかあさんが子どもの名を呼びます。……それまで集中してまっすぐこちらに向かってきた子どもたちに今考えると そのとき微妙な変化があったように思います。

   憲法のおはなし、子どもたちを現実に帰すためにまどみちおさんの詩 それから なぜかわからないけれど ジャックと泥棒 子どもたちが犬や猫になって参加する語りです。….最後に動物たちが大きな声でどろぼうをおどろかすのですが いままでにないことがおこりました。ワンワン ニャンニャンの声はほとんど聞こえなかったのです。かわりにわぁーっという揺るがすような喚声…怒声に近いような…..わたしはあっけにとられました。なぜだろう…と考えていましたが 校長先生とお茶をいただいているときにわかりました。

   そのクラスは家庭的なさまざまな事情を抱えた子どもが多いこと まだその年齢では 受け止めがたい感情のるつぼ、修羅場があったかもしれないこと うちに鬱積した思いがあのような声になったのだろうか….わたしは胸がいたかったです。…….なにかわたしにできることはないだろうか…..演劇的エクササイズなどをつかって心をひらき コミュニケーションをひろげるようなことができないだろうか…….校長先生にご提案させていただきました。

  それでおはなしとはべつに時間がいただけることになりました。30分×3回 どれだけのことができるかわからないけれど こころがひろがるような ひとつになるようなプログラムを組んでみようと思います。RADAの指導者講習やLTTAで学んだことが役にたつときだと思います。ものがたりを語ること….そのむこうにあるものはひとが生き生きと生きること ひととひとがつながり 過去と今と未来がつながること もし障害があるとすれば ひとがみずからをまた切れたつながりを修復してゆくための気づきを感じ取ってもらうことのように思うのです。語ることを超えてわたしはそのためにできることをわたしにできるかぎりのことを尽くしてしてゆきたい。

  さみしい子どものために 抱えられる以上の重さを背負ってしまった子どものために 泣くことさえできない子どものために どうやって自分の気持ちを伝えたらいいかわからない子どものために.....わたし自身が悩み 惑い 迷ってきたみちのりから そんな風に思うのです。できるなら わずかでもいいから いっときの安らぎに終わってもいいから役にたちたい……その願いがひとつずつかなってゆくことにわたしは胸の底からこみあげてくる喜びをおさえることができません。

   あなたのまわりにいつも爽やかな風が吹くように 太陽が輝くように 月がやさしく照らすように たくさんのひとたちとほんとうの出会いができるように あなたの秘かなのぞみがかなうように祈っています。…….理にあうのぞみはいつかかならずかなうことをわたしは知っています。.....


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マグダラのマリアを語るために読んだグノーシス派の福音書ならびにその他文献によると....原初 キリスト教は口伝...語りで伝えられたのだ。4.5世紀に新約聖書 マタイ マルコ ルカ ヨハネの四つの福音書が正典とされ 数多あった福音書のかずかずは異端として葬られた。....しかしながらイエスの教えの本質的なものはむしろ異端とされるトマスやマリアまたフィリポの福音書のなかにあるような気がしてならない。

  トマスの福音書にはイエス自身の114のことばが記されている。そのうち44がアグラファ(他の福音書にはない独自のことば)である。イエスは人間を罪から救う救済者として降臨したのではなく人間に霊的な知識を与える導き手として来た、神性は人間の内部に存在し人間は霊的に覚醒することによって神と合一し得る存在である、記されていることばは宇宙の星々のように美しい。神の家は教会にあるわけでなく、神は天上にのみおわすのでなく ひとの魂にあってそこから天につながっているのである。そのうえ当時としては考えられぬほど女性を対等に扱っていることもうかがえるのだった。

  こうした考え方はイエスよりもっと以前からあったのではなかろうか。わたしは仏教のことはわからないのだが ギリシャ的な考え方とも通じるし古神道の「ひとは神の分け御霊を持っている」という考え方にも通じるように思う。その神性にむかってことばを響かせてゆきたい。わたしの語り手としての原点であった語りということばの古語「カツ」魂に響かせるということの意味が外に向かい内に向かいやっとまるごとのものになりわたしのなかでようやくひとつの円環をなしたように思う...そして、それに伴ってわたし自身のテーマも明確になっていった。
 

....シュタイナーによればひとは7年周期で階段をのぼるのだそうだ。語り手になって7年 春のリサイタルから半年...ようやくひとつの扉が開いたようだ。月耀く夜空と呼応するようなひさびさのクリアーな意識がうれしかった。出会ったみなさま 本を著し世界の秘密を紐解いてくださった著者のみなさま 語りを聞くことで鍛えてくださったみなさま 支えてくれた家族、社員さんほんとうにありがとうございました。そして次第に難解?になり、「語り」という区分からとんでもない方向に走ってきたこのブログを読み続けてくださったみなさま ほんとうにありがとうございました。やっとスタートラインに立てた...そんな感じがします。


※グノーシス派  キリスト教..だけでなく知ることによって神に到達できるという考え方
※とんでもない方向  途中から神....宇宙についての考察がふえましたのは宗教ということではなく 語り・芸能の起源を考えていったときにどうしても そこにいかざるを得なかったという事情によります。ものがたり...とはモノ 異界霊界を語るものであり 鎮魂から発しました。 芸能の原点は魂振い 魂鎮めであり 神降ろしでもありました。
生と死 死と再生についての考察も同じ理由によります。神話や昔話を読み解くときストレートにまた思いもかけぬところにそれらのテーマは繰り返されています。語りとは実に深いもの、楽しい語りも悲しい語りも 鎮め 癒し ひとを生き生きと甦らせる力に充ちています。

 

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   生きるとは果てのない旅のようなものだ………出会うためにわたしたちは生きている。いのちといのちが出会い一瞬スパークを放ち虚空を照らし消える。そしてふたたび 闇を往く旅がはじまる。車窓に見知らぬ街の風景がフラッシュバックのように点滅して消え去ってゆくようになにもかも通り過ぎてゆく。

   それでもわたしたちはいのちといのちの出会いをかさねながら 飽くことなく歩きつづける。日々細胞は死してまた再生を繰り返す、肉体は眠りと目覚めという緊張と弛緩を幾千と繰り返しながら終焉に向かってゆく。すなわち生体としての身体は緩慢な生と死をくりかえしながらほろびに向かってゆく。いのちとは生から死へとやみのなかをなげかけたひかりの矢のようなものである。

    ほろびこそかぎりなき慰撫 まったき開放なのだ。けれどもハムレットの台詞のように死は眠りに過ぎぬなら 死にさえも終わりがある、黎明があらたな再生、よみがえりが…はじまるのだ。個々の人間の死と再生のドラマはより長い時のサイクルによって民族の歴史においても文明においても もっと広大な宇宙の生成においても繰り返されている。

 
   星間物質から時満ちて恒星が生まれ ながいときを経て時至りノヴァを起こし四散する。やがてふたたび恒星の残滓と星間物質があつまってあたらしい恒星が誕生する。神話で語られつづけてきたのも死と再生……のドラマである。神々の黄昏……いかなる強い力を誇る神であろうと終焉がありそしてふたたび あたらしい神々が生まれる。 オーディンもオシリスも....オシリスの生と死はナイルの氾濫とその氾濫によって豊かな大地が実りをもたらす意味が籠められているそうだ。

   肉体は滅びてもひとの魂は輪廻転生をかさねてゆく。今あるわたしの生はたくさんのたくさんのいのちのうえにかさねられているのだ。なぜか過去生はわたしたちに封印されているけれど、そこに刻まれた傷が今の生に影響を与えることがあるようだ。遠い山からこだまするやまびこのように過去は現在の生に響く。

   きのう...ヒプノセッションを受けた。ヒプノセッションとは催眠状態で今の人生に強い影響を与えている過去世にさかのぼり追体験しそのトラウマを癒すという試みである。二回のセッションを受けた。それは思いがけない驚くべき体験だった。受ける前日 クムランということばが頭のなかで響いていたが、閉じ込められていた潜在意識がほころびはじめたのかも知れなかった。クムランとはエッセネ派の修行の場であったのだ。

   信じる信じないは別として大きな気づきがあったことはたしかである。....過去 キリスト教に惹かれていたことがあった....けれども どうしてもどうしても洗礼を受けることができなかった...その意味が今わかったように思う。トラウマのキーワードは裏切りと嫉妬であるようだった。わたしは自分をほんとうには信じてこなかった。そしてひとを信じようとしながら 心底信じきることもなかったのかもしれない。魂の旅はつづいている。


   

   

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  あたらしい動きをつくりたい…と田所さんから話があったのは春もまだ浅い頃でした。静岡に住む田所さんと品川で会って意気投合し NPOのこと 野外ライブのことなどで出会いをかさねるうちに まずは地元近い三島でおとなのための語りの会をひらこうということになったのです。そののち 末吉さんが賛同してくれ 夏の夜 三人であぁでもない こうでもないと駅中のカフェではなしあい グループ名を末吉さんの発案で『語り組・カリャックヒャリャック』としました。(カリャックヒャリャックとはゲール語で魔女だそうです)

  語り手は個性の強いひとが多いので10人いれば語りへの想いも10とおりあります。そこで しばりは少なくし 口承の語り文化を愛好者だけでなく一般に広くひろめることを目的とし、パフォーマンスとしての語りをめざすひとの集まりとしました。田所さんの熱意に三島のおにぎりカフェ「丸平」さんがこたえてくれその第一回のおはなし会が11月4日 の日曜日 国の有形文化財「丸平・蔵」にて共催のかたちで開かれることになりました。地元の方々のみでなく 語り手のみなさまにも一石を投じられる試みになるよう願っております。

 わたし個人としましても ようすをみたうえで 三島の方々の懐をお借りし 第二回以降 実験的な試みをしてゆきたいと願っております。興味のある方がおられましたら 田所さんあるいは森までご連絡ください。それぞれの地で語り手たちが 学校や図書館だけではないあたらしい語りの場を模索しているのではと思います。語り手たちの会が伸びてゆこうとする語り手の話し合う場を、技量をUPするための場を提供できますよう 願っています。

 昨日のNPO準備委員会に参加された方のすべてが 多忙にもかかわらずなんらかのかたちでNPO法人格取得に関与する意思表示をしてくださったことに深い喜びを感じています。櫻井代表の先見と片岡副代表の度量 田所さんの努力 参加くださったみなさまのあたたかさに深く感謝いたします。…..なにかがはじまる…そんな予感が勇気と力をあたえてくれます。


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   JR王子駅ちかく北とぴあでひらかれた運営委員会は3;30 からそのままNPO法人格取得のための準備会となりました。 集まった理事候補ならびにオブザーバー参加者 現運営委員は12名 そして有望超強力新人 登場 Nさんという青年はなんと語り手たちの会の新しいホームページからNPO法人化を知り駆けつけてくれたのでした。Nさんはその場で入会され強力なメンバーとなりました。

   NPO法人格取得の意味について再度田所さんから説明がありましたが、素朴な疑問のかずかず(会費が増えるのではないか 活動が制限されるのではないか なぜ今のままではいけないのかetc)が出席者から出され 推進してきたわたしたちは 会員のみなさまにまだまだNPO法人について その意義が浸透していないこと 理解を深める必要があることを知らされたのです。その場にいた方々は 文字ではなく生きたことばでものがたりを伝えてゆくというこの会が30年かけて 進めてきたことを継承しなお一層ひろめてゆくためにNPO法人化が必要であることを徐々に理解してくださったようです。

   社会にかかわってゆく、公益につくす組織である以上 NPO法人化は避けて通ることのできない時代や社会の要請です。NPO法人化した組織のアンケート調査によれば、法人格を取得するために話し合うことから意識が目覚め活動が活発になることそして社会からの信頼度が大きくUPすることが最大のメリットとされています。身近な例では東京子ども図書館が財団法人となり 社会から厚い信頼を寄せられているように 法人格を持つことは社会的に大きな信頼を寄せられそれはひとりひとりの会員にも及ぶことに出席したみなさまは理解を深めていただいたのではと思います。外部からの目でそのことに言及してくれたNさんの意見も大きいものでした。


   理事候補者も 現運営委員も あたらしい風をはこんできたひとたちも それぞれの立場から忌憚のない意見を言ってくださいました。このことは かならずや 語り手たちの会の行く手にひかりを投げかける ことでしょう。 まずは素朴な疑問にこたえるQ&Aを会報にはさみこみ 会員のみなさまのより深い理解と賛同を得ることになりました。第二回の準備会 臨時総会の日程も決まりました。理事と幹事 そして賛同者の申し出がありました。まだ締め切りではなく みなさまのより多くの参加をお待ちしております。あたらしい船出のために。

   次回は9月30日  シンポジウムのあと 17;30からとなります。



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   「語りのことを書いて」とリクエストをいただいたことがあります。....けれども語りをもっと知ろうとすればするほどに深い森に誘われてゆくのです。わたしは生きているうちには到底知りえない奥深い森のふしぎに あっちの実をつまみ こちらの羊歯をかざし 花をつみ 湖水のまえにたたずみ 大地によこたわって木々の間からみえる群青のそら 星辰をみあげるばかり....

   身体ってなんてふしぎなんだろう。 外筋肉 内筋肉 筋膜 関節 頭蓋 仙骨 神経系 免疫系 内分泌系 循環器系 消化器代謝糸 大脳 間脳 中脳 橋 延髄 前頭前野 小指 瞳孔 内耳 海馬....

   心ってなんてふしぎなんだろう。 共感覚 エンパシー テレパシー トラウマ 愛 嫉妬 勇気 プライド コンプレックス 自己犠牲 羞恥心 猜疑心 罪悪感 連帯感 

   魂ってなんてふしぎなんだろう 神性 輪廻転生 前世 再生 浄化 魂魄 精霊 レテの河 黄泉 常若の国 天 生 死

 
  身体はとりあえず見ることができます。もっとも肝心なところは見えないのですが、レントゲンや断面写真や体内にカメラを入れることで 内部にそれらがあることを知ることはできます。心は見えません。けれども自分の心の動き他者の心の動きで心があることをわたしたちは知っています。

  ところが 魂はなかなかむつかしい。霊的な体験をしたひとに見えない存在がたしかにあることを伝えるのはむつかしくはありません。けれども一般的には前世とか 輪廻とか言われても そんな昔のこと覚えていませんもの、無理な話かもしれません。ちょっと不思議なんですけれど 科学者 物理学者 医者 芸術家には霊的なものを信じるひとが意外に多いのです。いつかご紹介しようと思います。

  さて 身体は心とつながっています。
「身体ではなくマインドなんだよ。硬い筋肉の中に感じられるものは、マインドに蓄積した緊張なんだ。」....これはトレガー・アプローチを考えたミルトン・トレガー博士のことばですが ホリスティック医療の分野の方々には自明のことのようですね。....そして 心はスピリチュアルななにかとつながっています。わたしたちひとりひとりの魂の履歴はさまざまですが 遡ってゆくとおなじみなもとにたどりつくでしょう。

  若いころ わたしは個性とは病そのものだと思っていました。いまではすこし違います。もともとの個性とは虹のいろあいのようにそれぞれうつくしい色のようなものだったのでしょう。けれどもすこしずつゆがみ、よどみ、にごりが生まれました。たとえば身体の一部にゆがみが生じる....長時間にわたるゆがみの状態は、筋膜(筋肉組織を包んでいる膜)を縮めさせてねじれを生じさせ、その部分の血液やリンパ液の循環を悪くさせしまいコリや痛みとして現れ、骨格をゆがませ全身に及んでしまいます。

  わたしが膝を痛めたのもそうした身体のゆがみが原因だったようです。病院にはいくつかいきましたが よくはなりませんでした。画期的に変わったのはひとつはマッサージによる筋膜(筋肉組織を包んでいるレース状の膜)の開放でした。今でも自分でできるマッサージをつづけています。もうひとつは スピリチュアルなエナジーによる開放でした。心の状態の改善で身体は改善する。霊的なエナジーで心と身体の状態は改善する。このことはわたしのなかで確信となっています。

  身体のゆがみは見てとれます。けれども 心や魂のねじれ・にごりはことばには顕れますし 行動にも現れますが目に見えません。.......本人が気がつくかどうかも問題ですね。 こころや魂にも なぜかわからないけれど止めたいけれど思わずそうなってしまうというパターンがあるのではないでしょうか。...たとえばうまくいきそうになるとぶち壊したくなるとかパニックに陥ると逃げ出すとか...。行動や感情を鎖のように固定し動かしてしまう要因はなんでしょう? 今生でのトラウマだけなのか、それとも前世に遡るのか そも性格とはなんなのか 21日に体験してみようと計画しています。


  ひとが豊かにしあわせに暮らすには 身体だけでなく心や魂のにごりを消してゆくことなのかなぁとこのごろ感じるようになりました。その三つは連動し響きあっているのだから どこに向かって行ってもいいような気がしませんか? からだやこころや魂が喜ぶことをすればいい....ひとつずつ。

ワークショップでのアレクサンダーテクニークや自立整体も緊張を解くことです。気持ちよかったですね。身体の緊張を解くことが心の緊張を解くことにつながります。笑いもそうですね。
 
  さて 身体 心 魂 のピラミッド構造において 語りはどこに働きかけるのでしょうか? 語りはどこから発するのでしょうか?

  

♪yukiさんのF.Fプレリュード


この曲を聴いていたら 無性に語りたくなって困りました。最初 書きたいことはどこかにいってしまい まったくべつのことになってしまいました。途中で消えてしまったし今日は滅法時間がかかりました。




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  奇跡のような光景です。

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   虫の音が聴こえます。庭からも 道路からも すぐ近く深夜の事務所の隅からも....。秋の虫たちはものも食べず 露も啜らず 羽を震わせ生命のかぎりシンフォニーを奏でているのでしょう。...やがて恍惚のうちに息絶えるのでしょうか。明け方近く虫の音は已みました。

   朝 情緒障害児のクラスに行きました。持っていったのはボールと新聞紙。デイケアにも語り手たちの会のワークショプにも持っていったピンクのすこしいびつなボールです。100均で買ったので文句はいえません。それにこのボール コミュニケーションをしやすくするというたいした働きをするのです。

   ボールをまわしているうちに 子どもたちの中にあるものが見えてきます。失語 やさしさ 語彙能力 好奇心 爆発 何が好きか だれが好きか 私を受け入れてくれているか。それから新聞紙であそびます。つながれない..と聞いていたのですが ふたりでするゲームに集中 熱中 10分で終わるはずのゲームに30分近くかかりました。最後におはなし...ところが新聞をつかったおはなしに集中しないのです。....最後輪になってさよならをしたとき 最初自分のやり場のない気持ちのようにボールを思い切り強くぶつけてきたRくんが ...これで終わりじゃないよね...と言ってくれたことばが胸に沁みました。

   終わったあと涙ながら語られる担任の先生と手をとるように話しました。情緒障害の子どもたちのなかには知能が高いゆえにつらい子どももいます。考えることがたくさんありました。阿倍さんはお辞めになりましたが アメリカに給油サービスをするのにどれだけ多額のお金がかかるのでしょう。その一部でも日本の未来のために子どもたちのために費やしていただけないかと思います。担任の先生方の奮闘を見るにつけ専門の知識を持った先生がせめて市内の学校を巡回してくださったらと思います。

   午後浦和に用事で行った際 聴力を調べてもらいました。左耳の聴力とくに250ヘルツ以下の低音と13000hヘルツ以上の高音を聞く力が落ちていました。係の方と話して わたしは今更のように会話や音楽、語りや朗読、自然の音 それらの音や声がすべてのひとに同じように聴こえるのではないことを知ったのです。聴力や骨格、感性によっても音は違って聞こえる。わたしに聴こえる音は厳密にいえば わたしだけの音 そして聴こえる音によって 発声も変わってきます。

   視力も聴力もその他の感覚もみなそのひとの個性である。だとしたら障害などもそう捉えていいのではないか.......共感覚者というひとたちがいます。音で色を感じる 視覚で触覚を感じる ひとつの感覚で別の感覚も感じることのできるひとたちです。前に書きましたが わたしはビウエラの響きで色とカタチを感じることがあります。.....障害児と呼ばれる子どもたちはわたしたちに感じられないなにかを感じているのではないかといっしょに遊んでいるとき直感的に思いました.....ことばでつうじないことをなにかで伝えることはできないだろうか....ことばの回路をつなぐエクササイズはないのだろうか...考えることはたくさんありました。

   駅中のカフェで熱いカフェラテをのみながら柱の鏡に目をやったとき 見返すおだやかなしずかな目に驚きました。わたしはわたしがわたし自身を受け入れていることに気づき、このわたしというもの 足らざること多く思いのみ熱く なにかに急かされるように生きている 自分でさえ手を焼くこと多かりしわたしを はじめて受け入れ、いとしいと思いました。ひとはみなちがうけれど根っ子におなじ天と大地を宿している。感謝の想いに満たされて目頭が熱くなりました。....これは子どもたちからの贈り物なのでした。




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   今日 トムの会の練習日だったことをすっかり忘れていました。「1本のろうそく」を書いたものの UPに失敗して消えてしまい 泣く泣く書き直しているうちにすっかり忘れてしまったのです。この会はとても真面目な会なので10月の発表会に向かって今日が3回目の練習と講評でした。

   あわてて図書館に行くと もうみなの語りは終わっていて 講評のさなかでした。一回も練習していなかったので あぁよかった 今日はしないですんだとほっとしたのも束の間 やってね と代表に促されました。せっけんもタオルも着替えもないまま 温泉に行くような心もとない気分で ステージに上がり語りました。

   可もなく不可もなし...と思っていたところ 長年の友人が ポツリ 魂の語り..だね。今回はお客を呼ばないつもりだったけど、声をかけてたくさんのひとに来てもらいたい 聞いてもらいたい.. と言ってくれたのです。いつも正直すぎるほど イタイこともキビシイことも批評してくれる得がたい友でしたから 驚きとともにうれしかったです。

   思えば、わたしが心の底で願っていたのは上手いではなく、素敵なではなく、プロのようなでもなく...魂の語り手...になることでした。.....たぶん気負いなく 語ったのがよかったのでしょう。次回 できるかどうかわかりません。...けれども ことばにすることで願いはかなう、ことばにはそういう力があると聞きました。それですから わたしは笑われてもいい もういちどことばにしましょう。

   魂の語り手になりたい。...そのためにもっと自分を鍛えたい。

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   9月17日 JR王子駅前北とぴあで 語り手たちの会「第一回NPO準備会」が開かれます。どんな方々が集まるでしょう、いっしょに手をたずさえて語り手たちの会のあたらしいミレニアムをむかえ 笑いあい語り合い汗を流してゆけるでしょうか、わくわくしますね。

   NPO法人化とは新しい家に引越しするようなことではありません。むしろ 耐震のために バリアフリーにするために住んでいる家のリフォームをする、それに似ています。子どもたちや社会に関わってゆく組織であるなら、時代の移り変わり、社会の変化や要請にこたえてゆくのは ごくあたりまえのことのように思うのです。たとえば 「大正ロマンティシズムを懐かしむ会」のように過ぎ去った過去にフォーカスする会なら別ですが....社会のなかで生き 子どもたちの未来やこの国の(日々生成してゆく)文化にかかわり成長してゆきたいと願うのであれば 法人化によりルールや組織を明らかにし社会に認知されようとするのは必然ではないでしょうか?たとえそのために乗り越えなくてはならない問題があるにせよ、またあるからこそ 解決し力を蓄え前に進んでゆけるのだと思います。

   先だってのワークショップの前夜 居酒屋語りの終演後の宴会で わたしはだれかれとなく友をつかまえては 「理事になって 理事になって」と鸚鵡のようにロビー活動をしておりました。 やりましょう といってくださる方 今年は忙しいけれど 来年なら...といってくださる方がいらして とてもうれしかったです。

   理事になるのは...と躊躇している方もおられると思います。理事でなくても、年に一度でも二度でも手伝ってくださる方が30人いたら...どんなに会は変わるでしょう。末端の声、意見や要望を中枢に伝えることは大事です。そして会がどのように運営されているか さまざまな企画...おはなし会、ワークショップ、講座、シンポジウムなどの計画がどのように立てられ 実行するまでにどのようなあたたかい手で支えられているか会員さんたちが知ることも大事です。

   組織とはなんでしょう....気をつけないと 恣意や薄暗い闇もまねくものですね。けれど 英雄や天才でない限り 人間がひとりでできることには限りがある、ひとは昔から組織をつくり助け合って 大きな目的を果たしてきました。1本のろうそくの炎が照らす顔は4.5人ですが 400本のろうそくに火がともったとき 光のリレーは遠くからも見ることができるでしょう。闇のなかでかがやき 見るひと聞くひとに勇気を与えることができるでしょう。

   

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   偶然重なった原稿を書き終えて ほっとしたところで大洗に向かいました。わたしのうちには ときどき海を見ないではいられない あくがれるような疼くような痛みのようなベクトルがあります。

   車で5時間 踏み入っても踏み入っても青い山を越えて 地平線まで続く舗装道路をひた走り 年々均質になってゆく街中をいくつも抜けてやがて太平洋が見えてきます。水平線にひとすじの黄のライン 真白の船がわたしのあこがれのように残照に輝きながらやがて消えてゆきます。海は空の色を写して刻々といろあいを変えてゆきます。灰緑色の海に別れを告げて帰途につきました。

   道中 家族の会話やことば遊びをして気づいたことがあります。ことばの意味により感応するタイプと響きにより感応するタイプがいるのですね。夫と二女はあきらかに響きにこたえます。...あぁそれでときどき会話がとんでもないところに飛んでしまうのだ...と十数年 数十年暮らして やっと理解できました。

   そういえば ふたりとも 明らかな直観タイプで右脳型なのです。...わたしはといいますと 直感型に見えますが よくあるイエスノー式で判断するとバランスがとれた両刀型です。かんがみるに アイデア豊富なカリスマ的開拓型経営者の夫にひとり論理的思考の左脳型の腹心がいればもっと伸びたことでしょう。

   ひるがえって おなじことばでものがたりを伝えるにしても 右脳型と左脳型と...もちろん聞き手には混在するわけですが....反応が違うだろうし もっとさまざまなアプローチが試みられてもいいのだろうと思うのです。.....聞き手参加のおはなしに応用できそうです。

   長い道中 車のなかではオヤジギャクやら川柳やら替え歌が炸裂し わたしは歌にことよせ 夫への想いを娘たちの爆笑のうちに伝えたりもしたのですが、歌の力は偉大ですね。これをもっと語りに生かせないかな....などとひさびさの休日....考えることは語りと仕事のことばかりなのでした。



あまり関係ありませんが....

付録1  性格判断テストhttp://www32.ocn.ne.jp/~emina/

     

付録2  利き脳判断テストその1


質問1.情報を入力する(理解する)際、どちらの脳を使って捉えているか?

普段自然に何も意識しないで、両手で指を組んでみてください。この時左右の親指のどちらが上に来るかで情報入力に使っている脳が判ります。

質問2.情報を出力する(表現する)際、どちらの脳を使って捉えているか?

次に、両腕で腕を組んでみてください。この時どちらの腕が上に来るかで、情報を表現する際に主に使っている脳が判ります。

質問1で右親指が上にくる人は、情報のインプット(理解)は「左脳」で行っていることが多い。           

左親指が上にくる人は、情報のインプット(理解)は「右脳」で行っていることが多い。

質問2で右腕が上にくる人は、情報のアウトプット(表現)は「左脳」で行っていることが多い。           

左腕が上にくる人は、情報のアウトプット(表現)は「右脳」で行っていることが多い。


1.右脳右脳タイプ                               

『感覚とイメージで突っ走る、天才肌タイプ』
感覚でとらえて感覚で伝えるので、本人には感覚で理解できていても、なかなか人に的確に伝わらないことが多い!?ただし右脳には優れた能力が潜んでいるので、天才肌が多い。会社では起業家社長などに多い。

2.右脳左脳タイプ             

『直感でとらえて論理的に表現、得する出世タイプ』
感覚でパッととらえて論理的に的確に伝えることができるので、得するタイプ!"出世タイプ" とも言われる。だがこのタイプの人は、意外に少なが,大企業の部長クラスに向いている。

3.左脳左脳タイプ

『論理力に優れた、賢く頼れる存在の先輩タイプ』
論理的にとらえて論理的に伝えるので、本人もまわりのひとも、物事とを的確に理解できる!ただし、堅い感じがしないでもないが。左脳左脳の人はイメージや感覚・感情を研ぎ澄ましてみるとよいでしょう。     会社では技術者、研究者に多い。

4.左脳右脳タイプ

『論理でとらえて感覚で表現する両刀使い、おちゃめタイプ』
論理的にとらえて感覚で伝えるので、本人は的確に理解できていることでも人には理解してもらいにくいかも。でもいったん理解したことが右脳によって表現する際に天才的な発明にいたることもあったりして!? 頭の中では分かっているのになかなか人に伝わらないというあなた、ひょっとしてこのタイプではないでしょうか。発明家やデザイナーなどに多い。







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台風  


....実は嵐が好きです。吹きすさぶ風 叩きつける雨 アドレナリンが体中を駆け巡り、生きてるっ!!実感がします。....実は修羅場も好きです。どうしようもなく追い詰められた状態のなかで こころを鎮めて 機を待っているときとか果断に行動し 先手必勝 想いもかけぬ奇襲 夜討ち朝駆け からめ手から強行突破なんて大好きですね。

  要は血湧き肉踊るのが好き だから語りもドラマ性のあるのが好き....なんですが 最近いまいち反応が鈍くなったような気が....。なかなか動かない...沈思黙考とかじゃないんですね。動こうとしても動きがとれない。....しなくてはならないことがどうしてもできない...どうもこの原因は年ばかりではなさそうなのです。

  トラウマとか過去生とか すなわち江原ワールド....最近 スゴイ(この言葉はつかわないようにしていて 以前片岡先生にスゴイ..なんて詩人の使うことばではありません...などと御託をならべたにもかかわらず)...スゴイ霊能者と申しあげるほかありません....にお会いしました。

  わたし自身 霊的な体験...見てしまった 聴いてしまった 感じてしまった 憑かれてしまった でもはずれた などということは数知れずあるのですが にもかかわらず オーラの世界は若干眉唾であったのです。けれども 自分が陥っている状況は 現世的な現実的な処方だけでは乗り越えることができないということがわかりました。信じたくはないが信ぜざるを得ない状況に直面したからです。

  前世を知ったことで 今のわたしが前より理解できた....つじつまがあった....謎が解けたように思います。...暗闇への恐怖とか....裏切られたと感じたとき過剰に反応してしまうこととか.....そこでもう一歩踏み出してみようかと思っています。...どうなるのでしょう。....けれどもこのままでは飛ぶことができません。魂の傷を癒さないと羽ばたけないでしょう。

  これは冒険の旅でもあります。きっと語りにも変化が生まれると思います。

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   身体の筋肉組織の神経にトラウマが刻まれる...と以前に書いたことがあります。それは英国で自然医学を学ばれた方のことばでした。わたし自身 身体のバランスを治すことでインナーチャイルドのトラウマが解消し 生きやすくなったことがありますのでそれはとても納得いくことでした。

   身体はたいせつです。ないがしろにはできません。この世で生きていく以上 身体をつかって自分の暮らしを立て 家族をしあわせにするのですから..けれども身体はいずれ 失われるものなのです。身体 心 魂 購うことのできない 真にわたしたち自身である この三つをつなぐことは 語りやその他のすべての芸能 また生活 を豊かな自然な力ある安定したものにするために とても必要なことですが なにがいっとうたいせつかといえば この生涯を終えたあとも別れることのない魂そのものでしかありません。

   それでは その魂をどうすればよりよくできるのでしょうね。 夜 このつづきを考えてみようと思います。....朝になってしまいました。 ....ひとつには自己愛から遠ざかる 自分を愛することはたいせつなことですが ちいさい自己愛に捉われない....うまくなりたい...上手だといわれたい....わたしガ わたしガ というものから 離れ 視野をひろく持つことではないでしょうか? どれだけ大きな愛をもてるか 世界に 地球に 宇宙に 道端の花に こどもたちに お年寄りに 安部さんに(これはないか!?)

   そして一番かんたんなことは 笑うこと なんだそうです。えっ そんなことで!? そう 笑うことで...。おなかの底から笑うと くよくよした考え 人へのつまらないわだかまり ちいさな悩みなんか吹き飛んでしまいますね。免疫も上がり 身体は熱くなります。さぁ 今日一日 お腹の底から何回笑えるかな....。


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....突然の秋の気配に 外にも出ないでテレビ三昧 フレンチトーストにハーブティー マーケットプライスから届いた大量の本 なんの悩みもないのなら ソファだの床だの畳だの 場所を移動しながら読書にふけるのですが 思うことありて たゆとうています。

  9月はさやけき歌を歌います。澄んだ水のさらさらせせらぎ 乾いた風のさわさわささやき 虫の音しんしんと染み入って 月は鏡のよう 深い森にわたしはいます。紡ぐすべも耕すすべも知らず 頭を垂れて座っている....精霊に誘われて奥へ奥へと踏み入るまえに 失くしたものを想っています。

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