遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。

 



   朝 気持ちのよい目覚めだった。ベッドで思い切りのびをしてみる。とても自由で満ち足りた感じがする。ベッドからファイルが落ちる。夕べ開く前に眠ってしまった これまでに書いた語りについての考察(語りの研究セミナーで書いたこと)と書き溜めたものがたり、そして仕事のファイルだ。わたしのトランクが石のように重いのは PCとこのファイルのためである。わたしは今一度自分の歩いてきた道すじを振り返り なにがこの手にあり なにが足りないか確かめたかった。

   セミナー卒業時のレポート ここから踏み出せるかどうか 殻を割れるかどうか またこれからどう歩いていくか すでにそれは予感よりもっとはっきりしたかたちで心のうちのあるのだが それらをつかむために 具体的にどうしたらよい知りたくてここに来た。

   市民芸術村は大和紡績の跡地につくられた。広大な芝生 二棟ほど残された工場はホールや半野外劇場として使われている。帰ったら写真をUPするので待っていてください。

最初にRADAの校長から挨拶があった。RADAは102年の伝統がある。日本でワークショップをはじめたのは14年前 まだだれもWSを知らなかったそうだ。①与えれば与えるほど多くを得る②誠実と才能はリンクする③同じスピリッツを持つ④サポートしあう、役者同士学びあう⑤会話を重んじる⑥身体と声と想像力がたいせつだということ⑦自信があれば想像力が働く⑧一番してはいけないことは相手の自信を失わせること。学ぶのはアレクサンダーテクニック

   ウォームアップ 息を吸う吐く 吐くときにいい顔をする ボールをつかったエクササイズ 名乗る 聞く 走る 歩く 

演技とは自分を知ることにつきる(スタニフスラスキー) 自分を知るためのエクササイズ①写真をつかったエクササイズ 写真を選ぶ なぜ選んだか ②キャシーとおなじエクササイズ ③ミラーのエクササイズ ③片足に釘のエクササイズ 相手の空間をさぐる・相手の背中にタッチする ④同時におもしろい話をして相手を引き込むエクササイズ⑤ポジションのエクササイズ 自分の動きのくせを知るエクササイズ①四方の壁にタッチして戻る②歩く 関係性 足音気配に気を配る ③仮想敵 仮想味方をつくる
  
   わかったことは周辺に気を配ると ぶつからない 速度がしだいに同じになる ボールを落とさなくなる 楽になる それからわたしのくせは相手の反応を十分キャッチしないで 先へいってしまうということ。四分の一拍くらい早いように思った。呼吸をあわせると無理がなくなる。

   物を運ぶエクササイズ ①イメージを共有する②情報を引き出す

   脱力のエクササイズ 眠ってしまうひともいた。わたしも意識が遠くなった。からだに耳をすませていると 不思議なことにひざが囁くのがわかった。イランさんがわたしの首に手をふれると 白い点が浮かんだ。ミルクにぬれたばらいろの唇 白いミルク 白い穴 

   ふたたび写真のエクササイズ 上に前にまわりにエナジーを押し出す からだが開く 背骨が伸びる ブロックが少ないため気が前にいく 生命のスパーク 刺激(内面から周囲から)五官の感覚をひらく アクション

   イランさんは言う。センス ボディ マインド の一体化 これだ!キャシーのWSで気づいたこと、わたしが欲していたもの、足りないもの。 身体と心と感覚を統合すること 感覚をもっと開く 身体にもっと聞く。

片町のアルコで五人でわいわいお食事 博多からきたT君は脚本を書いている 東京のTさんはカンパニーを持っている 同じく東京のSさんは女優 大阪のMちゃんは芸大生 演劇畑のひとは性差も年齢差もない 夢にむかって歩いている。いい出会いがあった。




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   末の支払いを忘れたのに気づき会社で手続きを済ませる。F社に土曜日の打ち合わせ議事録をFAXして夕方出立。目の前でドアがしまったので、トランクを置いて渾身の力でドアをこじ開けた。この電車に乗らないと新幹線に間に合わない。必死である。MAXときは二階だった。だがすでに日は落ちて風景もさだかせない。越後湯沢に着き乗り換えのため階段を下りようとしたとき揺れて重いトランクに引っ張られるようにわたしは空を飛んでいた。4mくらいゆうに飛んで腰から着地 轟音に客やら車掌やら集まってくる。しばらく立てなかった。手をついていたら骨折しただろうが どうやら無傷のようだ。頑丈にできているらしい。

    越後湯沢で在来特急はくたかに乗り換える。夏休みのせいか指定席も全部埋まっていた。となりに座ったのは薄いあごをした神経質そうな青年だった。景色も見えないので想像してみる。・・・彼は医者の息子である。親から期待されている。家族は両親 東京で大学生活を送っている兄、それと妹? がいる。東京で合宿かなにか大学受験のための勉強をして もしかしたら兄のワンルームマンションに泊まったかもしれない。一度くらいは秋葉原にも寄っただろう。 今から家に帰るところ たぶん恋人はいない。

    喫煙車だったのだが青年が眠っているのを確認して気兼ねしながら煙草を吸ってみる。そうわたしはちかごろたまたま煙草を嗜むチョイ悪おばさんなのだ。F機械との話し合いで怒りにかられないよう間をもたせるために一本に火をつけてからのことだ。ふと目がさめた青年は席を立った。ガラス窓にいかにも不快そうな顔が映った。魚津に着く前 声をかけてみた。「煙草 きらい?」 

 驚いたように顔をあげる。「ごめんなさいね たぶん嫌いだと思ったから遠慮し「てたのよ」 「すみません」 「勉強すき?」 「はい 自分なりに」「そうだと思った でも勉強だけじゃない勉強もある いろいろなひとがいるよね」「はい」 「東京の大学に行くの」  「そうです」 「魚津に住んでいるの」「はいそうです」「いくつ?」「19歳です」「お勉強 がんばってね」  「ありがとうございます」 話してみると礼儀正しい子だった。 おかしなおばさんから開放された青年は電車を降りて軽く会釈した。 なんだか心配になるような子だった。わたしの想像もあながち はずれてはいない気がした。

   11時 金沢駅に着く。ガラス張り鉄骨ドームの威容に驚く。31年ぶりである。タクシーの運転手さんに七の字のつく駅はないか聞いてみる。七尾という答えに 思い出す、そうだ、七尾だ。31年前 わたしは死ぬために金沢に来た。そしてなにかを失いその分すこし強くなって戻った。そしてたぶんわたしは今日 ふたたび生まれ替わるためにきたのだと不思議な因縁にはっとする。ホテルについた。荷物を整理したあと、LAN接続をする。パソコンは壊れていなかった。一週間金沢、高岡からの発信となる。

 

 



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    アルテ...昔アートについて書いたことがあったなぁ...と読み返してみたら千の昼、千の夜の2003年にこんなことを書いていた。


.....さて、語りはひとの知に訴えるものではないことが、納得されたが、ここでふたたび「カウンセリングかアート」かという観点から考えてみる。固有の体験を語る、もしくはおはなしのうえに固有の体験をのせて語るとき、語りは癒しすなわちカウンセリングになり得る。自分の裸にある秘めたものが現され、他者に受け止められるので、語り手にとって癒しとなるのだ。けれど、これは炉辺、井戸端でのおしゃべりの延長上にある。語り手によって固有の体験、物語が普遍化されるとき、はじめて聞き手にとっても癒しとなるのではないか。物語は変容する。この変容に不可欠なのが、ひとつは語り手の人間性への洞察そして世界観であり、もうひとつはアルテ(わざ)なのではあるまいか。語り手は実に癒し手になりうる。しかし知らずしてまた意図して扇動家、騙り屋にもなり得るのだ。志を高く持つことと不断にわざを磨き続けることによって、語り手は清明な水晶の柱のように、燃え上がる火柱のように、周囲を明るく照らすことさえできよう。「カウンセリングかアートか」これは末吉さんの命題、わたしにとっては「個の癒しから普遍的な癒しへ」となる。セミナーは講義そのものより、参加し、語り、他の語り手との確執、交流のなかに刺激がある。いつも終って一週間ほどは触発されたことからつぎつぎと生まれるものがあってうれしい。明日は表現のわざそして表現者が得るものについて考えてみたい。


.....このときから少しは変わってきただろうか。わたしは今は癒しのことはそうは考えない。語り手、聞き手それぞれのレヴェルでなにかが起きるのであろう。であれば 魂鎮めより魂振いが起きてほしい。癒し、鎮魂から 生きる力を呼び覚ますようなそういう語り手になりたい。その道は涯なく遠いけれども。



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   アート(芸術)について考えてみたい。最初の芸術論はプラトンの芸術模倣論と云われている。「この世の中を形造っている根元的なもの(イデアという世界)から真理を抽出し現実の世界へ模倣して表現することが芸術である」という。

   これを根底において ひとつは芸術とは生活の論理とか倫理、認識をこえた超越的なものであるという考え方があり、一方ではウィリアム・モリス等が唱えたように高尚で難解な富裕階級のものではなく「芸術は生活の中にある」という考え方がある。

   LTTA(ラーニングスルージアート)を学ぶまでわたしはどちらかといえばアート(芸術)とは前者 ミケランジェロやダビンチ、バッハやワーグナーの世界のような不可侵の大芸術のように考えていた。だが、アートをとおして学ぶということは、手元にある材料 包装紙やクレヨンや絵の具などをつかうコラージュ アボリジニ(ここでいうアボリジニとはオーストラリアに住んでいるいないではなく先住民族の謂いである)の神話を通して また各種の打楽器を用いるというような生活のなかのとても身近なことだった。

   ではアーティストとはなんだろう。アートをする者という意味なら 小学生であっても幼稚園児であってもアーティストである。アートによって生活する者という意味だろうか。それなら 素晴らしい作品を創ってもまだ売れなければアーティストではないのだろうか。見事な芸術品をつくるアボリジニはアーティストではないのか。

   アート(芸術)を定義してみよう。アートは人間が創るものである。そしてその創造とは、私たちの精神の在り方の具現である。あたまのなかのアイデアをアートとはいわない。アートは表現されたものである。表現するにあたってはからだの一部あるいは全部のコントロールを必要とする。たとえどのように高雅な世界があろうと それを表現するわざが拙ければ二級品になる。

   ここでプラトンに帰ると アーティストとは理想を求める者である、そしてそのアートの質はアーティストの精神性の質、また具現化するためのわざの質ということになる。アートとしての語りを論じるまえにコピーしたものをアート(芸術)とはいわない。語り手がアーティストたるゆえんはひとつにはこの創造性であることを確認しよう。つぎに芸術が、それを表現する人間の精神のあり方に左右されることから 飽くことなく自分の精神性を高めようわざを高めようとする意志を持ち続けることではないか?そして最後に アート(芸術)とは双方向性のものであり 観客 見る人 聞き手など受ける側との交流がないと成立しない、聞き手との交流を考えないひとりよがりの語りはたとえ(あり得ないが)技術的にどのように優れていてもアートとはいえないだろう。

   このように 理想を求め、創造性豊かな語りを 精神性と表現する技術を高める努力を不屈の意志でつづけ、聞き手との交流しながら語り ある水準に達するならそれはアートであり 語り手はアーティストといってよいのではなかろうか。アート(芸術)とは人間の生活に密接に関係したいわば実践的なものであって それゆえアーティストとはステージに立つとか金銭をいただくとかそのようなことだけではない...とわたしは今そんなふうに思う。アーティストを目指してゆきたいとてらいなく云うまでにはいたってないが、まっすぐ進んでゆきたいということなら今 ちいさな声で云えそうである。







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   キャシーとローリーのワークショップでLTTAファシリテーター養成講座で一緒だったレイさんと会った。キャシーもローリーも再会を喜んでくれ わたしたちをふたりのグルービーと紹介してくれた。LTTAについて一度聞いているせいもあり前回より深く理解ができた。またこのワークショップを企画したコウケツさん(むつかしい字で漢字が見つからない)のすぐ結果を求めないで 地元にひとを育てる種蒔きをしてゆこうという心意気のせいか とても気持ちのいい空間が生まれていた。越谷市ではすでに何年も前からLTTAの理念に近いアートから学ぶという取り組みを地元の教育関係者他に向けて始めていたのだ。

今日は参加者を生徒に見立て 三つの授業を行った。
① ストーリーテリングからスピーチを学ぶ(高校生) 
② 紙粘土の創作から数学3Dを学ぶ
③ 打楽器の演奏をとおして社会(カナダの地理)を学ぶ

    それぞれサプライズのあるエキサイティングな授業だった。終わったあとも15人のひとびとが熱心な質問をして 後片付けもしていった。ストーリーテリングについてはキャシーの語ったものがたりをグループで語ってゆくというエクササイズをしたのだが 驚いたのはたった10分のなかで技術的なことも含めて学んでゆくのである。アイコンタクト からだの位置 間とか手振り....まったく問題はないのだった。

    このワークショップが語り手にとってまた語り手をめざすひとにとってどんなに豊かなものだったか ここにいる参加者の方々は夢にも思わないだろう。キャシーは先輩から受けたメッセージとしてこのように話した。ストーリーテリングにもっともたいせつなのはものがたりではなく 語り手と聞き手の関係性である...というのである。それはいままで学んできたことである。そして語りというものが語り手の全人格的なものに起因するという恐ろしい事実もわかってはいた。だが...ここで目が洗われるように思ったのは、ことばだけでない、こころだけでない からだも含めて 語り手はまるごとすべて全器官全感覚をつかい 感じ 伝えるのだということだった。

    このことは総合的統合的学びを目指すLTTAにもつながっている。そして学ぶスタイル  言語的 数学的 空間的 身体的 他者とのつながり 自己との対話 自然 (ひとつ忘れた) デジタルから という9つの方法がもともと自分のなかにすべてあった おそらく他のひとのなかにもあるという気づきにつながっていった。家庭や社会やさまざまな環境の変化である方法が選択され ある方法は捨て置かれる。わたしはわたしのなかでなおざりにされた方法をもういちど取り戻したいと切に思った。喪われた子ども時代を取り戻すように.....全的な自分を復活させたいと強く願った。わたしにとってそれは 身体と自然から学ぶ方法を取り戻すことである。

    ローリーは あなたは深い井戸を持っている。ビジュアルアートや音楽をつかって水をくみ出すのだ という。 そして その水はどうするの? ローリー... 人生は探索の旅である...てダレカイッタヨウナキガスル さぁ わくわくしてきた...でかけよう 探しにゆこう。



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    会津語りの祭の予約ができた。ネモさん、かっちゃん、すみれちゃんとわたしの4名。実行委員長の高橋京子さんとTELでの再会をした。ふたたび実家に戻っているりさを呼んで食事をしながら話し合った。お盆があけてから 会社の仕事を覚えてもらうことになった。外見はギャルだが芯のしっかりした娘だった。F機械にTEL。浦和で友人との約束を果たす。彼女も数奇な運命をたどったひとで在日韓国人であるらしい。大戸屋で食事。今日28日は越谷にみつけたキャシーとローリーのWSである。ふたりからいただけるものをすべて吸収するつもりだ。ほんとうに日記みたいになってきた。

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    語りの祭りにいらっしゃる? われらとのさん組は 祭りの夜の枕投げを楽しみに世知辛い世をしのいでいるのでありますが、もういっぱいってほんと!? じゃらんも旅上手も10月の東鳳ホテルの予約が開けない さぁ さぁ! さぁ さぁ! きっちり片をつけなくちゃ

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    A市の団地の現場に行った。Fさんといっしょだった。歩道ブロック バリアフリー 公園の遊具撤去 駐車場工事 公園工事 舗装工事など 細かい作業が多く また作業区域も広いたいへんな現場だ。毎日 20名ものひとが働いていて すこし間違えれば 遊びが出れば たいへんなことになってしまう。

    11月の工期に間に合いますようにと祈る気持ちで現場をあとにする。その間 Fさんと経理の今後について話し合う。まず来年の4月をめどに 整備をすることに決まる。Fさんは有能なひとだが 有能でなくてもだれでもできるシステムづくりを目指すことになった。それはわたしの夢でもあった。りさちゃんとも話した。Iさんとも話した。

    会社のことで 背中をだれかに押されている感じがする。Fさんも同じ感覚があるという。およそ二ヶ月のあいだ ほぼ毎日のように夜中まで仕事をしてきた。いくつかの問題点はクリアーした。F機械に合意書の案を今日送った。呑んでもらえるかはわからない。G社からは入金があった。連絡会も営業会議も軌道にのりつつある。このちいさな会社が果たして世のために役立つ会社とならせていただけるか いよいよ正念場である。その正念場を前にわたしはWSに旅立つのだが、その一週間が語りだけではなく この世での最終ステージに進むまえの儀式のように感じている、禊のようなものである。 最終ステージとはいはば序破急の急 起承転結の結.....。



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   Oデイケアの日だった。9人の高齢者とヘルパーさんが待っていた。新しい方がふたりいたので、紹介ゲーム、どんぐりころころの手遊び それから今日の朝ごはんゲーム、ボールわたしゲーム、フレーズをど忘れして先生に聞いたいわしの開き それからおはなしをしてまたゲームをして ハイタッチして抱き合ってお別れした。

    ボールわたしゲームではみなさんの創意工夫で新バージョンができた。ボールがだんだん重くなる、そして軽くなる。どっこらしょといかにも重そうに受け取ったり、ふわりと手渡したりみんななかなかの役者である。手白のさるはいままでで最高のできだったと思う。固唾を呑んで聞き入ってくださってうれしかった。「先生 今日はほんとうに楽しかったよ、またきてね」一生懸命おはなしを聞いてくれた耳のわるいおばあさんがわたしの目をじっと見て言う。わたしもみなさんがだいすきだ。デイケアにきて遊んだり語り合ったりすると いのちがあたたまる。

   ビウエラのレッスン 一弦、二弦、三絃はひとさしゆびとなかゆびで爪弾く。四弦は拇なのだが、弦に指を置き力を抜いて三絃に落とす。それができない。どうしても力が入ってしまうのだ。こんな簡単なことがと情けなくて笑い出してしまう。力を入れるのはたやすいことなのに、力を抜くというもっと簡単そうなことがなぜできない。

   演劇のエクササイズでもそうだった。クラシックの発声でもそうだった。余分な力がはいると 芝居はくさくなるし 美しい声も出ないのだ。語りもそう、語り手にリキがはいると聞き手は疲れる。肩の力を抜かないと開かない。また うまくやろう 見せてやろう 負けたくない 褒められたいなどと余計な色気を出せばそれはそのまま聞き手に伝わる。無心になってはじめていい語りができる。そのときは目の前に聞き手がいて 語る自分もいるのだが すべて消えてしまうように思う。透徹した意識がなにかと一体になってそこにある。そういう語りは滅多にできない。6年間語ってきて 10の指に満たないと思う。

   ひと月に6回 それぞれ三話(ちょっと無理かも)語るとして年間210話 あと10年語れるとして最大2100話 一回語るごとに残りは減ってゆく。まして聞き手はおなじではなく 一期一会 たった一度しか聞いていただく機会のない方もいる。一刻一刻 刻まれる時は戻りはしない、ひとは誰も死に向かって歩いている。誰にもひとしく終わりは来る。それを思えばことばにいのちをのせないで語ることなどできようか。

   それゆえ 一回の語り ひとつのものがたりに無心になりたい。




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   今日は時間の流れ方がいつもとはちがっていた。密度が濃くなったり 粗くなったり ゆったり流れていたかと思うと 欠落したように時間が削ぎ落とされているといった具合で会社に行かないまま一日が終ってしまった。

   父と約束したプロジェクトをはじめたせいかもしれない。いまのところ三人済んだ。ところがわたしのからだもあたまも熱を帯びてぼうっとしている。ことに頸のうしろがおかしい。そのせいで時間感覚がずれているのかもしれない。

   検索していたら 思いもよらぬところでキャシーとローリーに会えることになった。わたしがラストワンである。運命を感じるといったら言い過ぎだろうか。金沢のホテルもみつけた。金沢城と兼六園近くの瀟洒なホテルで無料でパソコンができて長期ステイのためバリュープライス、探してみるものである。30年前友人とやはり兼六園の隣のちいさいが清潔なホテルに泊まったことがある。流れた時を束の間遡れるものならば....物寂しい日本海の夕暮れ 山のうえの静かな公園 そこで彷徨っているわたしのうす青い影と出会い 抱きしめてひとつになることができるものならば...レテの川をすこしはやすらかに渡ることもできように.....いや、わたしはインプロヴァイゼーションを身体にしみこませるために行くのだ、金沢へ、明日に向っていくのだ。

   ときどき 見られていることに疲れを感じる日がある。語らねばならぬのは自分のためであるし 語り同様 聞き手ならぬ読んでくださる方がいなければわたしのことばはいたづらにwebの海に沈むだけなのだが 理由のない理不尽さを感じることがあるのだ、見られることに。 ミクシーに移ったらどれだけの方がついてきてくださることやら...だがその方々こそ ともに歩いてくださる方には違いない。




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   洞昌院萩寺はその名の由来とおり 露を含んだ萩が咲き初めていた。道路がすいていたせいか お客様の出足は早かった。法事の司会は上の弟がした。わたしの視線のまっすぐ2Mさきに父の遺影があって満面の微笑を浮かべた父とわたしは向き合って座った。おとうさん...そうですね....それでいいのね。わたしは父とこころで話していた。滂沱と涙が流れては落ちた。父がかの世でなんの心配もないところにいることをわたしは理解した。父もわたしがこの世でなにに悩みなにを掴もうとしているかわかってくれていると感じた。

   そしてつないでゆくように 父からまた父がその父祖から渡され受け継いだものをつぎの世代にしっかり手渡すようにというメッセージを受け取ったように思った。読経の聲がこのように美しいと思ったのははじめてだった。堂内に満ちたひとびとに感謝の気持ちがこみあげる。

   午後から有隣倶楽部で法宴がひらかれた。宴もたけなわのころ 幾人かが立って父の思い出を語ってくださった。たとえば 戦後の食糧難のころのこと、芋をわけあった話、従妹のかつえさんが戦時中 東京まで父と出かけたとき アベックのようでときめいたこと...とつとつとした心の温まる語りには勝てないなぁと思う。ここに語りの原点がある。わたしは貧しかった父の生家のこと 生糸の暴落で家を売り払うことになったこと 解体されるまえに家がまるで泣いてでもいるように家鳴りがしたこと 苫屋の屋根の杉板が、御殿のようだった家の屋根の杉板を剥がしたものであったこと 徴兵 帰還 結婚 父が子煩悩であったこと、周囲のひとをたいせつにしたことを語った。父の勤勉を語った。花火や映画や美術や舞台 さまざまなことのてほどきを受けたこと。それが人生を楽しむことにつながっていったことを語った。そして父祖から受け継いだ水野の血  勤勉とひとをたいせつにすること、人生を楽しむすべを子どもたちや これからのひとたちに手渡してゆきたいと語った。

   下の弟が法宴の司会をし 親族代表として妹がお礼のことばをのべたがそれは心を打ついはば一編のパーソナルストーリーだった。父が亡くなるすこしまえ ささいなことから諍いをしたこと ひとことの別れのことばを伝えることもなく父は旅立ち その後の12年間のいもうとの軌跡を聞いて わたしは妹が自分と和解したこと トラウマがほどけて癒されたことを知った。父は妹の気持ちとは関わりなく妹を愛し続けていたであろうに 親から巣立つのにひとはなんという長い時間を必要とするのだろう。わたしの子どもたちが巣立ってゆく 自分のことにかまけてばかりではなく ひとの痛みにきづき 手をさしのべられるようになる ほんとうの人間に育ってゆくまで もし夫とわたしが生きておれないとしてもそれでよいのだと思った。手をさしのべ 種を蒔き 待てばよい。蒔かれた種はいつかは芽吹くだろう、花を咲かせるだろう。それがひとの世のならいである。






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    父が亡くなって明日で12年になる。暑い日だった。空いっぱいに金色の雲の波が耀く荘厳な夕焼けだった。おとうさん...まだ現界の記憶をお持ちでしょうか? 娘のことを覚えておいででしょうか? わたしは遮二無二歩いています。拳を握り締め 眦を決して歩いています。「なにをそんなきつい目をしているんだい、わらってごらん」おとうさんの聲が聴こえるような気がします。

    「もうすこしたってからね、おとうさん。みんながもっと安心して暮らせる目途がついたら 景色を見たり 楽しんだり 笑顔でわらったりできるでしょう。もうすこし 見ていてください」今日も忙しかった。子どものこととあしたのプログラムつくり 黒い靴を三足、黒い靴下を5足、礼服 黒いものばかり買い求めた。これから父の思い出をものがたりにする。

    今日 ひとつの問題が解決した。元請の元請が倒産したために支払いが止っていたのだが 値引きを求められていたので その答えを出したのだ。対手は大幅な値引きを期待していたようだが、それはことわった。わたしたちは契約とおり一生懸命 きっちり仕事を仕上げ検査にも合格した。その代金をいただくのはあたりまえのことである。けれどもたいせつなお客さまの難儀であるから 30万ほど値引きさせていただいた。こうして一歩一歩 進んでゆくのだ。



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   ネモさんと会ったのは7時半ころだった。ワンステップの急な階段を下りる。ジャズが流れる。キースのピアノに似ている。生ビールとシャンパンで乾杯する。ネモさんとわたしは年に1回 7月のちょうど今頃 牽牛と織女のように期せずして会う。互いの今を確認しあう。そしてこれから行く道を見晴るかす。

   ネモさんと話しているうちに わたしは’開く’感覚について自分がコントロールできるようになったことに気付く。そしてちかごろ多い不可思議な感覚が起きるのが無自覚のとき、コントロールがはずれた時であるのに気づく。そのときなにかが流れいるのだ。音の映像化とか 心象風景とか...。そしてなぜキャシーの存在が圧倒的なのかも知る。彼女は開ききることができる、だがたぶんコントロールしていない。わたしの語りの根本的なこともまた開くことができるということである。

   語るとき 開かないと聞き手のこころも開かない。語り手の磁場というのはどれだけ開くかにかかっているのだが、開いてしまうということは一方通行ではないのだ。それは語り手にとってリスクとなる。わたしはまだ開ききってはいない。自衛本能が自然にロックをかけているのだが、反対に実戦の場、ビジネスのうえでは全開に近い。だから取引先の社長さんたちからTELさえ怖いといわれる時がある。なぜ、全開できるようになったかといえば、タブーを切り捨てたからだ。ひとを傷つけたくないとか、いやなひとだとか言われたくない嫌われたくない気持ちはビジネスの上ではもう無い。やむにやまれずひとつの立場を選択したことで、当然失ったものもあったが それは仕方がないことなのだ。失わずして得られるものなどないのだから。

   なぜRADAか、また金沢かというと 東京のRADAは対象がプロの役者だからであり、金沢はアマチュアの劇団所属でも可であるからもあるが、生活と仕事の場を離れることで 日常の垢をこそげ落したいという気持ちがある。良いWSのプログラムを受けることは生きなおすことに近い。原初の感覚が甦ってくるのだ。そしてテキストはチェホフなのだった。

   ネモさんは今わたしとはベクトルのまったく違う局面にいた。わたしたちはそれぞれ遠いところを歩いている。でも ネモさんがひとりで薄闇のなかを歩いていることをわたしは感じることができる。それが友だと思う。webの海であったネモさん、わたしはいつもここにいます。夕べは終電乗り間違えて高崎線に乗ってしまったの。この山をそれぞれ越えたらまた会いましょう。語りの祭のまえにあえたらと願っています。

   

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   今日D氏と某社との6度目の話し合いがあった。向こうは男性5人、こちらはわたしだけ。きのうFAXで送られてきた書類にわたしは腹を立てていた。求めていたのは回答書なのに2週間かかって送られてきたのは同意書なのだ。

   わたしのあたまのなかはビジネスバージョンになっていなくて イメージや感情が雲のように湧いてくる。相手もついてくるのにたいへんだったろうと思う。LTTAの話から頭の中が切り替わって そのあとは早かった。某社は二歩も三歩も踏み出してくれて 表面上はわたしが求めたもの ここまではとても譲歩できないだろうと踏んでいたところまで寄り添ってくれた。勝利といってもいいだろう。だが、勝利の味は決して甘くはなかった。わたしが求めていたのはこんなことだったのか。たとえば、性能 たとえば保証 ほんとうにこれでよかったのか。相手に非があるとはいえ わたしはひょっとしてふたりの営業の営業としてのキャリアに結果として傷をつけてしまった。会社のためにかれらが努力してきたことは間違いないのだ。善意があったことも事実である。

   それでも、それしかなかった。某社がなにか契約以外、販売以外のたいせつなことに気がついてくれれば それでよしとしよう。このことを潮に炭化事業により踏み出せればよしとしよう。わたしは勝利の苦さを噛み締める。そして次の策を考える。


   

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   二学期最後のおはなし会 アボリジニの神話を語りたかったのだが、昨日茨城に行ったり 父の13回忌の打合せがあったりして帰りは夜中を回っていた。やりたい気持ちもあったが万全の準備をしてからと思い 今日は芦刈を語ることにした。けれども導入をかえてみた。キャシーから受け取ったことを 2.3してみた。六年生はシャイであまり動いてはくれないものだが、みんな手を打ったり歌を歌ったりしてくれた。いわしのひらきだってできそうな気がしたが、おはなしにした。


   こうしてA小の1学期のおはなし会は終了した。二学期の前に先生方と打合せをお願いした。二学期からは一歩も二歩も踏み出したい。先生といっしょにおはなし会をいいかたちにしてゆきたい。愉しんでひらいて 心響くおはなし会にしたい。


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