遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。

 



 

1月3日  浦和の蔦屋で  ポーの一族  が平台にあって つい 買ってしまいました。オムニバス連作って あまり好きではありません。なぜなら  漫画家の方向性を規定してしまうような感じがあるからです。1972年  すきとおった銀の髪ではじまったポーの一族  は第二期でフィーバーしました。繊細なうつくしいバムパネラの少年たちの耽美なファンタジーとして読者に支持されたのではないかと思います。1978年に始まった 大島弓子の綿の国星も  大きな支持を得て  連作されましたが  以降  大島さんの作風も変わりました。

残酷な天使のテーゼ  の作詞家は  萩尾望都の 残酷な神が支配する  に触発されて詩を書いたそうです。わたしのカラオケレパートリーのひとつです。少女漫画にもテーゼがあります。それは 欠落  うしなわれたものの回復。主人公たちは失われたなにかを求めつづけます。エドガーの場合は  失われた人間らしさ   人間としてのよすが  その象徴がメリーベルであり  代理としてのアラン  です。「ひとりでは 寂しすぎる」エドガーの自己愛にほかなりません。

春の夢 は グレンスミスと ランプトンの間くらいの時代設定でしょうか?  耽美なバムパネラの世界から 萩尾さんは 歴史家としての 視点を持とうとし  第二次大戦の時代を選んだのでしょうか? それとも 創作するものとしてのカナリアの直感から  第三次世界大戦前夜とも思しき今 戦時のものがたりを選んだのでしょうか?

少女漫画のテーゼとさきほど申しましたが  文学や芸能の永遠のテーマは  ひとはなぜ生きるかであり  失われたものの回復  すなわち  再生  蘇りです。そこに介在する エッセンスが 愛 であり献身です。

わたしの ポーの一族 という作品への思い入れは エドガーが 自己愛から脱して  真実に気がつくこと  愛を知ること  それがいつなのかということ。若さやいのちに拘泥し 他者のエナジーを求める ファルカやクロエというバムパネラがいて  対して老いた姿のままで居ることを選んだ老ハンナがいます。弟のために生きる少女ブランカを エドガーが見初めるのは エドガーの魂の成長への予兆のようにわたしには思えます。

エドガーにとって不死とは 賜物ではなく  業です。エドガーは ひとの生死を握るいわば残酷な神.....エドガーが 愛を知ったとき  なにものかに捧げ得たとき  その業が 終わるような気がします。失われたものの回復 すなわち トラウマの解消 、愛の成就。以前に書きましたが 萩尾作品のうち 好きなのは  秋の旅   スターレッド   そして柳の木。魂のイニシエーション。

トラウマの解消  よみがえりについて  わたしはきのう 素晴らしいアニメを見ました。それは クレヨンしんちゃんの 獏 の話でした。わたしは腹を抱えて笑い  幾度か泣きました。ひとりの少女の悪夢からの救済 をしんちゃんや 仲間や  みさえやヒロシやひまわりがシロが懸命にする。戦う これこそ愛です。 春日部バンザイ  さいたまバンザイ!!

絵柄が変わった それは瑣末のことのように思えます。ひとは変わってゆくのです。40年 年を経て  変わらないひとがありましょうか?   萩尾さんの絵は 山岸さんや大島さんと比べて 枯れていません。線はかそけき揺らぎを失い 自信に満ち  確かな筆致となったにしても。透明性は 如何せん  喪われたとしても 萩尾望都さんは 40年の間に人生で受け取ったものを見せてくれることでしょう。

 

このところいくつか 記事をUPしました。なぜかというと   体調がわるく 思うように身体が動かせないのです。それでベッドでブログを書き あとは無料スカパーの日だったのでクレヨンしんちゃんをみていました。  ブログのUPがないときって   行動を起こしてるとき  バリバリ 働いている時なんですね。あすは 森は生きている  第二回  公演のはずだったのですが 残念 メンバーが揃わないので  語りの会になりそうだし   一年のスタートはイマイチというところ。

でも あしたから 戦いがはじまる。



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 (好きな少女漫画というお題に参加しようと思ったのだが 上手くいかなかった)

 

漫画雑誌の発売日を待ち望むあの高揚感

少年誌では あしたのジョーと巨人の星がW掲載されていた少年ジャンプ!

少女誌では 水野英子の白いトロイカの頃......

 

でも とおしてみると 大島弓子しかいない。

1973 ミモザ館 から 1974 海にいるのは...

までが 漫画ファンとして純粋にしあわせな 時代だった ....

もちろん それに先立つ 萩尾望都の 1971年 雪の子 から 1972年 みつくにの娘までがあって

の大島弓子なのだけれど....

こうしてみると 少女漫画家としての みずみずしい花のような時代は ごくわずかな時間だった....

そのあと 大島弓子は セラピストを経て 哲学者になった。

 

大島弓子                                      萩尾望都

生きていた過去 1971年6月週刊セブンティーン掲載 Bitmap
雪の子
夏子の一日 1971年週刊マーガレット28号掲載 Bitmap
塔のある家
禁じられた遊び 1971年8月週週刊セブンティーン Bitmap
花嫁をひろった男
別れへの招待 1971年8月週刊マーガレット掲載 Bitmap
ジェニファの恋のお相手は
あしたのともだち 1971年別冊少女コミック10月号 Bitmap
かたっぽのふるぐつ
あひるよ空に 1971年週刊マーガレット41号掲載 Bitmap
かわいそうなママ
遠い日のイブ 1971年別冊少女フレンド12月号 Bitmap
精霊狩り
みち子がきた日 1971年週刊マーガレット49号掲載 Bitmap
モードリン
    Bitmap
小夜の縫うゆかた
    Bitmap
ケネスおじさんとふたご
    Bitmap
もうひとつの恋
    Bitmap
10月の少女たち
    Bitmap
秋の旅
    Bitmap
11月のギムナジウム
    Bitmap
白い鳥になった少女
    Bitmap
セーラ・ヒルの聖夜
パパは星になった(さよならスーパーマン) 1972年週刊セブンティーン44号掲載 Bitmap
あそび玉
さよならヘルムート 1972年週刊マーガレット6号掲載 Bitmap
みつくにの娘
3月になれば 1972年別冊少女コミック3月号掲載 Bitmap
毛糸玉にじゃれないで
さくらさくら 1972年週刊マーガレット13号掲載 Bitmap
すきとおった銀の髪(ポーの一族)
星にいく汽車 1972年週刊マーガレット22号掲載 Bitmap
ごめんあそばせ!
鳥のように 1972年別冊少女コミック5月号 Bitmap
ドアの中のわたしのむすこ
いちごの庭 1972年6月別冊少女フレンド Bitmap
3月ウサギが集団で
わたしはネプチューン 1972年別冊少女コミック7月号掲載 Bitmap
妖精の子もり
なごりの夏の 1972年週刊少女コミック8月号掲載 Bitmap
6月の声
雨の音がきこえる(ラ・レッセー・イデン) 1972年別冊少女コミック10~11月号掲載 Bitmap
ママレードちゃん
風車 1972年週刊少女コミック12月24日号掲載 Bitmap
ポーの村(ポーの一族)
    Bitmap
グレン・スミスの日記(ポーの一族)
    Bitmap
ポーの一族
    Bitmap
とってもしあわせモトちゃん
    Bitmap
ミーア
つぐみの森 1973年別冊少女コミック3月号掲載 Bitmap
メリーベルと銀のばら(ポーの一族)
ミモザ館でつかまえて 1973年週刊マーガレット12号掲載 Bitmap
小鳥の巣(ポーの一族)
ジョカへ・・・・ 1973年別冊少女コミック4・7・9月号掲載 Bitmap
キャベツ畑の遺産相続人
春休み 1973年4月少女コミック増号掲載 Bitmap
オーマイ ケセィラ セラ
花!花!ピーピー草…花! 1973年週刊マーガレット20号掲載  
季節風にのって 1973年週刊少女コミック37号掲載  
野イバラ荘園 1973年9月月刊ファニー掲載  
キララ星人応答せよ 1974年週刊マーガレット10号掲載 Bitmap
ハワードさんの新聞広告
ロジオン ロマーヌイチ ラスコーリニコフ(旧題「罪と罰」) 1974年別冊少女コミック1月~3月号掲載 Bitmap
みんなでお茶を
なずなよなずな 1974年週刊少女コミック13~18号掲載 Bitmap
ユニコーンの夢
海にいるのは・・・ 1974年別冊少女コミック7月号掲載 Bitmap
トーマの心臓

 

 

 

 

 

 

 

 



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名作漫画 ランキングに 思わず参加してみた...

 

名作は数々ありますが とっさに思い出せるのは

短編  白眼子 (山岸涼子) 少女漫画といえるかどうかわからないが 少女漫画家の作品であるということで。

     ダリアの帯 (大島弓子) ほか 多数

     秋の旅 (萩尾望都)

     フレデリカの朝 (飛鳥幸子)

     風花 (西谷祥子)

長編  日出る処の天子 (山岸涼子)

     銀の三角 (萩尾望都)

     

名作とは 構成と感動が両立する作品です。

でも 名作と 好きな漫画 は 重なるのも 重ならないものもありますね。

 

好きな漫画は 大島弓子   ミモザ館でつかまえて ジョカへ ノイバラ荘園   エトセトラ



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森川久美の「上海ロードに花吹雪」 をさがしていて 山岸涼子の 牧神の午後と白眼子を読んでしまった。二作ともひとりの男の一生のものがたりである。

時代 設定を別にして二作とも ふつうの人間とはことなる ある異能をもった男の人生が描かれている。

白眼子とは北海道に実在した霊能力者であったらしい。盲目で.....おそらく 意識を次元を超えて飛ばせることで 他者を観る巫顕だった。(巫女の場合は憑依させることが多い)

試練は人を強くさせる。
わたしのところへいろんな人々が
災難をさけてくれとやってきた。

だけど本当は
災難をさけようとしてはいけないんだ。

災難は来るときは来るんだよ。
その災難をどう受け止めるかが大事なんだ。

必要以上に幸運を望めば
すみに追いやられた小さな災難は
大きな形で戻ってくる。

幸と不幸の量は
みな等しく同じなのだから。

と 山岸涼子は白眼子に言わせているが このものがたりに真実を感じるくだりは実はそこだけではない。

たとえば 大東亜戦争で戦死した息子に会いたいという父親を息子のもとにつれていったときの 白眼子のひどい疲労 身体とひきかえに占っているという台詞 ひとをうらなったのだからガンになって当然という考え方 という白眼子のことばに真実があるのだ。

不世出の踊り手 ニジンスキーの場合も同様のことが語られる。白眼子は 光子という戦災孤児の少女の目線で語られ ニジンスキーの場合は脚本家の目線で語られるのだが 「翼あるものは腕をもてない」そのひとことに尽きる。すなわち 異能の持ち主 神と通じるものはその代償として 贄を捧げなければならない ということなのだ。すなわち ふつうの視力 日常的な生活をする能力......ゆえに天才の能力を開花させるためには彼のために日常をこなし 自由にはばたくことに専念させられる誰かが必要なのである。

ニジンスキーは当たり前の幸福を求め結婚をしたことで 翼を失いのちの人生を狂気のなかですごした。白眼子は生涯結婚することもなく ひとりの少女に慰めを見出し 病院の大部屋で死んでゆく。彼らの天才 輝きはいったいなんのためにあったのだろう。択ばれたものたちの役目はいったいなにだというのだろう。

山岸涼子は あの日出処の天子をはじめ 異能 を持つ人間をテーマに描くことがままある。山岸涼子にとって 天才とか神の恩寵を受けし者だったのだろうか。



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やはらかな筆致 ことばのうつくしさ ...... ひとのこころのひだにしみいるやさしさ さまざま ありましょうけれど わたし 今日 ひとつ 発見しました。

わたしの場合は.........。

3冊 無人島に 持って行けるとしたら あなたはどんな本を持ってゆきますか?

大島さんはたしか広辞苑と....

わたしは闇の左手....ル・グイン 雪は汚れていた .... シムノン

それから「大島弓子名作集 昭和52年 朝日ソノラマ 」当時2500円の大冊でしたが 70年代の名作をほぼ網羅しています。これに 「ほうせんかぱん」名作集 主婦の友社があれば 大島さんについてはほぼ完です。 ダリアの帯 まいにちが夏休み なども好きですが....。

なにを発見したかというと 三人のストーリーテラーに共通するのは 至上の愛......なのでした。 性差 年齢 時 罪 あらゆるハンディ あらゆる障壁を超えた愛 死をも越える愛 はるけきかなたへ向かうあこがれとまなざし......

永遠に女性的なるもの我を天上に引きよすなり......海にいるのは....でつかわれたゲーテの詩にあるように 愛するものへのまなざしをとおしてひとは天上を見るのではないか.... つかの間の光芒のなかに。

私の好きな漫画家 あとのおふたり 萩尾望都さんと山岸涼子さんにもこの視点はないように思います。.....ふたりにあるのは人間のドラマです。 山岸さんの作品では 闇の淵にあえかなひかりがある それは日出ずる処の天子や白眼子のように少女のすがたをしていたりするのですが 抱きとめる腕も胸ももちはしない あるのは孤独。萩尾望都さんの底にあるのは諦念と思うのはわたしだけでしょうか。すでにそれぞれの覚悟はできている 雪の子も 秋の旅の少年も エドガーにも 銀の三角の主人公にも 自分の運命を受け取ろう 荷うことにためらいはほとんどない、逃げようとはしない たぶん 神など信じてはいない 澄んだ朗らかささえそこにある。

大島さんにあるのは 天上へのまなざし..... そこに惹かれるのだとわかったのです。

これは最も好きな時代の最も好きな作品から感じることです。バナナ ブレッドのプディング以降についてはまた 書いてみたいと思います。

 



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すこし前 萩尾さんのなのはな と 原発三部作 プルート夫人 ウラノス伯爵 サロメ が話題になりました。萩尾さんはいわゆる社会派とは遠い存在でした。長年にわたる執筆活動のなかで 社会派といえるのは 四日市大気汚染を扱った かたっぽのふるぐつ ただ一作です。この作品はいちども再録されませんでした。.......商業誌で 原発NO というのはむつかしいことと思います。やむにやまれぬ思いで書かれたであろう萩尾望都さんに敬意を表し勇気をたたえたく思います。

なのはなは 萩尾望都さんにとって フクシマへのレクイエムなのでしょう。チェルノブイリにいるわたし フクシマの少女 .....これからフクシマがどうなるか わかっていても絶望は描けない。......なのはなで除染はできないとわかっていても。津波で流されたのか 放射能で亡くなったのか わからないひとがおおぜいいる。(フクシマではふしぎなことが起きているそうです)......津波で死んだばぁちゃんは なおの夢のなかで仏さまの掌に...... 成仏する? .....わたしも 語り ”レクイエム”のなかで 天使に抱かれて 天に上ってゆく母親を語りました。.....それがそのときの精一杯でした。 ブログをかく以外なにも手につかない状態から そのものがたりを語ったことで自分も救われ再び語りはじめたのです。

それだけでいいのだろうか...... 聴いて泣くひとはたくさんいる 読んでなくひとももっといるだろう  その涙はなにか生むのだろうか....

山岸涼子さんの原発をあつかった作品に「パエトーン」 があります。ネットで公開されていますね。 → こちら  大飯原発 六ヶ所村 原発ジプシーまででてきます。 ものがたりではなく 原発について やさしく噛み砕いて 講義 をしているようです。

「夏の寓話」ヒロシマの少女がでてくる作品 そのほかに未読ですが「中東派兵について一言」という作品があるそうです。

大島弓子さんには「 戦争は終わった 」 「禁じられた遊び」 問題作として「誕生」(若年の妊娠出産がテーマ)などがありますが 誕生をのぞいて 単行本には収録されていなようですね。この「戦争は終わった」はとてもストレートで 登場人物がみな悲惨な死をむかえます。禁じられた遊びは有名な映画の漫画化でした。

でも それだけではなかった....海にいるのは・・・七月七日に....も うらに戦争が流れているんです。海にいるのは....は第二次大戦中 夫を戦地でなくしたアリスがパンを手にするために娼婦となる .... ことからはじまったものがたりです。「七月七日に」 この作品は戦時中 おさない少女が風変わりな母と暮らすものがたり.....この母なるひとは実は母ではなく 女性でさえなかった。 愛したひとの子どもを守るために女装して育てる  いはば 究極の愛 なのですね。海にいるのは....は もそうです。  時空を越え 死をも超えた愛。

わたしは ふと 思いました。いわゆる硬派のメッセージをひとにつたえるのはむつかしい。エンターテインメントとしてつたえることで多くの人に受け入れられる。エンターティンメントをとおして ひとにつたえるということは ストレートである必要はない。原発の単語 プルトニウム シーベルトなど をつかわなくともよい。二年西組や東京大空襲のように直接 戦争の被害にあったひとの代弁の語りでなくとも よいということ。.....しっかり情報がからだにはいって 自分の体験とむすびついて それをものがたりに結晶化させるということもしかしたら なにかできるかもしれない。

少女漫画を語りにしてみたいと思ったことがあります。 海にいるのは....の主人公はアリスの客だったフランクリン先生の娘ヒルデガードとアリスの息子 商業誌の少女漫画ですから14.5歳のふたりです。このヒルデガード 大島作品には突出した個性......なんですね。それが とても不思議だったのですが ようやく きのうわかりました。主人公はヒルデガードではないのです。わたしはなんとうかつだったんだろう。......提督と少年(実は娼婦アリス)だったのではないでしょうか。海にいるのは....を設定を変えてあたらしいものがたりとして 語ってみたいと思います。 原発の問題にしても 聴いてくれるひとの生活がかわるような なんらかの行動に駆り立てるような語りをしたいと思います

 メモかわりに いそいで書いたので いまいち 意味がとおりにくいとおもいます。ごめんなさいでした。



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ツイッターの情報を見て 興味をもち 数年ぶりに 漫画雑誌を買いました。@バンチはなんと新潮社発行の月刊誌でした。なかなか見つからず 本屋の店員さんが駅構内のショップで見つけてきてくれました。なんて親切なんでしょう。

家まで待ちきれず立ち読みしました。最初の感想は 絵は大島弓子さんというより竹宮恵子さん? なんて乱暴な展開 ネームが雑....でした。 でもなんだかわからない不思議な魅力がありました。二度三度読み返すと 主人公ガブリエルの心の声がものがたりのウラをしっかりささえていることに気づきました。 思い切りのいいコマ割です。初回と言うこともあるのでしょうが 伏線が網の目のようにざくざく張り出されていました。謎を解きながら進むストーリーのようです。ネタをわらずどこまで読者をひっぱってゆけるかな いったいどんなテーマなのかな.....

ライプチヒの聖トーマス合唱団をモデルにしたような全寮制合唱団

.....ガブリエルという10歳の少年が入団してくる。その日はあたかも一人の合唱団員の葬儀の日でもあった。最高の声を獲得したとき その少年は死を賜り 天使になるという合唱団の言い伝えとおり 少年は天使になった..... 高い空から天使の梯子が合唱団の庭園に樹影を縫って差し込んでいた..... TOPクラスにはガブリエルもいれ 8人の少年がいた 先生の支持に従い ガブリエルの高く澄んだ歌声が流れる.....少年たちの驚きの顔.........

→ こちら

→ こちら

疑問がいくつか スコア(楽譜)が読めてなぜ字が読めないのか 母からの手紙の文面 兄に別れを告げる妹の奇妙なあかるさ すべて伏線かな...

いちばんの問題は コマをとおして うたごえのうつくしさがつたわってこないこと.... 表情 背景 ネームにもう一工夫がほしい きっとできるはず。

大島さん 萩尾さんは デビュー直後から際立ってネームがうまかったように記憶します。漫画は絵から受ける印象が強いけれど ものがたりに力を与えるのは「ことば」です。売野さん 台詞をあとすこし磨かれるといいなと思います。山岸さんの場合 最初はぽっきりぽっきりでした それがほんとうに変身しました。

で......次回も買ってしまいそうです。650円は高いけど。 本屋で一色まことさんが気になった.....またはまると困るな.....



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    萩尾望都氏の紫綬褒章 一少女漫画ファンとして心からうれしく思います。萩尾望都の登場ならびにその実験的果敢な試みは漫画の内包するあらゆる可能性を示唆し 少女マンガを変貌させたのみならず 少年漫画にも多大の影響を与えました。ことにSFにおいては着眼の自在さ、スケールにおいて他の追随をゆるさず 異星の歴史 風土 文化 政治 などをあますことなく構築するという男性作家顔負けの荒業を緻密な表現でやってのけました。

    紫綬褒章受賞を聞いて 一瞬 閃いたのが 山岸さん どう思ったかなということでした。わたしにとって 少女マンガとは萩尾望都さんと山岸涼子さんとそして大島弓子さんの三人に尽きるのです。 牧美也子 水野英子 西谷祥子等々の先駆者はじめ 飛鳥幸子 岡田史子 樹村みのり 矢代まさ子はじめ 忘れえぬ数多の漫画家がいるにしても 煎じ詰めれば この三人なのでした。三氏に共通するのは 少女マンガで人間の救済を試みた ということではないかとわたしは感じています。

    花の二十四年組と称されるひとたち以前 たとえば 牧美也子の場合 不幸なおいたちの少女が母とめぐりあう それにバレーがからんだりします。水野英子は自己の表現を求める 生きることの意味を求めるヒーローやヒロインを描きました。岡田史子は生の不条理と悪夢を 樹村みのりはひとの心のなかに存在する闇を描き なおかつ日常のなかにきらめくひとのやさしさを 矢代まさ子はよりそうひとびとのぬくもりと それでも癒されぬ孤独 ひとを苦しめずにおかない心の闇をも描きました。 飛鳥幸子は透徹した愛を描きつつ なにもかも笑い飛ばす強靭なセンスを持っていました。西谷祥子は青春群像といささかの毒と珠玉の短編をいくつか描きました。

    時代がすすむにつれ少女マンガは少女たちの夢やあこがれを描きながら 紗のカーテンのすきまから生のおどろおどろしさ 少女のむこうに見える女 女性という性の受ける抑圧 生のの裏側にある死というものを少女たちにほの見せるようになっていきました。 ある意味で岡田史子 矢代まさ子や西谷祥子が抱え持つ矛盾は のちの三人の母体となったようにも思うのです。

    それでは萩尾望都 山岸涼子 大島弓子 この三人が漫画をとおして したことはどんなことだったのでしょう? それは結論的にいうなら ひとの欠落をどう埋めてゆくか ということのように思います。もちろん それまでの少女マンガにも欠落 たとえば親がないこと 貧しさ 現実と夢とのギャップ などさまざまなトラウマ 障碍が設定されていました。ものがたりとは障碍がなければ存在しないのですから あたりまえといってしまえば あたりまえなのですが 貧しさの克服 切り離された親子などという問題を 援助者の出現 偶然といったものでのりこえてゆくことが ストーリーの醍醐味であったのです。最後には大団円が待っていました。

    萩尾望都に 秋の旅という初期の佳作があります。ひとりの少年が作家 モリッツ・クラインを訪れます。クライン氏が留守のため 少年ヨハンはクライン氏の妻の連れ子であるらしい少女ルイーズと話をして帰ろうとするのですが ルイーズは彼の偽名に気づき 少年が父親の別れた最初の妻の息子であることに察知するのです。

    けれど少年はルイーズの勧めを断り 父に名乗ろうとはしません。少年にとってクライン氏は敬愛する作家 父と子であるよりは 人生の先達者 先人 自分が人間としてめざすべきおおきな目標であったのでした。.....父は馬に乗り 息子を追いかけ 列車に手を差し伸べ ふたりの視線と魂は瞬間 交差します。ヨハンは ありがとう ありが...とう とつぶやき 狂気の母と弟の待つ家に帰ってゆくのでした。

    昔の漫画にあったパターンでは 息子は(娘は)父にひきとられ めでたしめでたしとなり 読者はほっと胸をなでおろし 日常に帰るはずでした。しかし 萩尾望都はそうはさせてくれません。ヨハンは気の狂った母あるいは世話をしてくれる叔母さんと弟の待つ家に帰ってゆくのです。欠落は表向き埋められません。読者はヨハンの心情を思いながら やるせなくたたずむばかりです。秋の旅 とは ヨハンの心の旅でした。自分の人生をひきうけ まえに進むための旅 イニシェーション(成長への儀式)といってもよいでしょう。読者はヨハンの旅立ちに立ち会うことで 人生の意味 喪失と獲得の秘儀を見たのです。

    .......どうやらとてもながくなりそうです。次回は 山岸涼子と大島弓子 の欠落 と其の回復について かんがえてみたいと思います。



    

    

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    埃のあるところ 数値が高いと聞きまして 日曜はそうじに明け暮れました。アメリカ製品は遠慮しておりますが ダイソン サイクロンは いいですね。鴨居からたんすのほこりあっという間に吸い込んでくれます。洗濯物はあいかわらず 内干しです。

    不要のものは捨てるようにしていますが なかなか 思うようにはまいりません。.......布がすきです。紗や織った布 語りの衣装......ケルトの伝説 ディオドラ用の衣装は片肌脱ぎの黒.....ケルヴィンの竪琴はブルーの染めのシルク、ダブルガーゼを藍で染めたギリシャ風の衣装 雪女の真白の.... 芦刈のための...... でもひとつだけ残すとしたら白麻......たどりついたのは白の麻....

    少女マンガが好きでした。揺籃期は男性の漫画家もおおく少女マンガをかいていました。手塚治虫 石森章太郎 千葉てつや あすなひろし....それから 牧美也子 わたなべまさこ .....水野英子 西谷祥子.....ときて

    岡田史子 八代まさこ 樹村みのり 萩尾望都 大島弓子 山岸涼子......あとは小粒になりました。.....文庫本ではないので保存がたいへんです。一編ずつ 透明なフィルムに入れて作家ごとにまとめています。萩尾さんは岡田史子さんや八代さんに強い影響を受けたようですが 八代さんは義姉の漫画家新城さちこさんの影響をうけていたんだなと 今日読みかえして思いました。

つまるところ 少女漫画の根っこには手塚治虫がいて 貸本屋まんがの潮流もその底に流れているわけ......昔 新界....新少女漫画界 という 貸本まんがに書く漫画家を育成するところがありました。池田理代子さんだって 貸本屋まんがに描いていたんですよ。漫画雑誌が勃興するまえ 貸本屋は町のそこここにありました。

主な漫画家のほかに 作品が気に入ってとってあるものがあります。その整理がむつかしくて どうしよう 雑誌別? アイウエオ順 と考えあぐねていて そうだ 派手目と地味目にわけてみよう.......これ うまくいきました。

派手目 一条ゆかり もりたじゅん 山本寿美香 名香智子 池田理代子 など

地味目 ささななえ 里中真智子 青池保子 大和和紀 忠津陽子 津雲むつみ など

外側で表現する? 内側で表現する? なにを大事にする?一概にいえないけれどおおまかなくくりになっているような気がします。

大島 萩尾 山岸の 三氏はバランスがいい そして 志でしょうか? うちに燃えるものの強さ 方向性 そこに技術の切磋琢磨 ことばへの感受性 がくわわって はじめて偉大な漫画家は生まれる 市井から生まれる。

    万一 なにかあったら 持って行きたい本は 闇の左手 ルグイン とシムノンの雪は汚れていた.....持ってゆきたい漫画はなんだろう......やっぱり大島さん それから山岸さんの白眼子かな.....そこはかとなく 身辺整理しているのか とわらってしまいまし....。

    少女漫画について .....三人の漫画家についてまとめなくては.....これ課題です。

    

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大キナ デンデンムシノ セナカニ ウマレタバカリノ 小サナデンデンムシガ ノツテ ヰマシタ。小サナ 小サナ スキトホルヤウナ デンデンムシデシタ。
「ボウヤ ボウヤ。モウ、アサダカラ、メヲ ダシナサイ。」ト、大キナ デンデンムシガ ヨビマシタ。
「アメハ フツテ ヰナイノ?」
「フツテ ヰナイヨ。」
「カゼハ フイテ ヰナイノ?」
「フイテ ヰナイヨ。」
「ホントウ?」
「ホントウヨ。」
「ソンナラ。」ト、ホソイ メヲ、アタマノ ウエニ ソーツト ダシマシタ。
「ボウヤノ アタマノ トコロニ 大キナ モノガ アルデセウ?」ト オカアサンガ キヽマシタ。
「ウン、コノ メニ シミル モノ コレ ナアニ」
「ミドリノ ハツパヨ。」
「ハツパ? イキテンノ」
「サウ、デモ ドウモ シヤ シナイカラ ダイヂヨウブ。」
「ア、カアチヤン、ハツパノ サキニ タマガ ヒカツテル」
「ソレハ アサツユツテ モノ。キレイデセウ」
「キレイダナア、キレイダナア、マンマルダナア。」
 スルト、アサツユハ、ハノ サキカラ ピヨイト ハナレテ プツント ヂベタヘ オチテ シマヒマシタ。
「カアチヤン、アサツユガ ニゲテツチヤツタ。」
「オツコツタノヨ。」
「マタ ハツパノ トコヘ カヘツテ クルノ」
「モウ、キマセン。アサツユハ オツコチルト コハレテ シマフノヨ。」
「フーン、ツマンナイネ、ア、シロイ ハツパガ トンデ ユク」
「アレハ ハツパヂヤ ナイコト、テフテフヨ。」
 テフテフハ、キノハノ アヒダヲ クグツテ ソラ タカク トンデ イキマシタ。テフテフガ ミエナク ナルト、コドモノ デンデンムシハ、
「アレ、ナアニ。ハツパト ハツパノ アヒダニ、トホク ミエル モノ。」ト キヽマシタ。
「ソラヨ」ト カアサンノ デンデンムシハ コタヘマシタ。
「ダレカ、ソラノ ナカニ ヰルノ?」
「サア、ソレハ カアサンモ シリマセン。」
「ソラノ ムカフニ ナニガ アルノ?」
「サア、ソレモ シリマセン。」
「フーン」小サイ デンデンムシハ、オカアサマデモ ワカラナイ フシギナ トホイ ソラヲ、ホソイ メヲ 一パイ ノバシテ イツマデモ ミテ ヰマシタ。


新美南吉は 「でんでんむしのかなしみ」 が有名ですが わたしはこのでんでんむしもとても好きです。ちいさなでんでんむしは世界には自分とちがう生きものがいっぱいることを知ります。そして一度おっこちたら コワレテシマフ ことも知ります。そして おかあさまにみわからない ふしぎなとおい空があることを知ります。ちいさなでんむしはたとえ世界が不思議なことで満ちていても......しあわせです。このものがたりはしずかなすみとおった調和に充たされています。 なぜなら でんでんむしはお母さんの背中に乗っていて 存在の重さを母にゆだね 母から掛け値なしに受け入れられているからです。

萩尾望都 の”トーマの心臓”に出てくる登場人物 には父親の喪失を持つひとが多い。”まろやかな”家庭をつくるのよ とポーシリーズのマドンナは言いますが、まろやかな家庭に育ったのはエーリクだけ。ユーリにもエーリクにも父はいない。そしてオスカーの父はほんとうの父ではありません。  これはいったいなんだろう。喪失がまずあって それを回復してゆく道のりが ものがたりでもある。つまり 傷ついた子ども愛されない子どものものがたり。インナーチャイルドのものがたりであり それらのかなしみをかかえた子どもが肩を寄せ合い お互いの傷 というか生来人間がもっている空洞を認め合い おとなへなってゆくものがたり でもあるのです。成長の痛みを描いているといってもいいかもしれません。

大島弓子 山岸涼子の作品にも 繰り返し語られるテーマですね。この傷ついた子ども はたいていの人の中にいまもいるわけで 萩尾さんや大島さん 山岸さんに根強いファンが多いのも 読むひとはそれと知らないで 似た境遇のキャラクターに同化しているのではないか。少年と少女のイニシエーションはおのずと異なります。「その後の大島弓子 萩尾望山岸涼子」では癒しについて三人に共通すること そして違いを書いてみたかったのですが こうして少しずつ書いてゆくのもいいのかもしれません。

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     『私たちは意識して言葉(セリフ)を読みます。意識的でなく無意識に画像を視覚として読みます。
マンガはこの二重性として読んで見るわけですが、「トーマの心臓」で、萩尾望都さんはこの意識と無意識を微細に融合させています。.......「物語」と少し違うところでの関心があります。そこのところで少しお話ができたら嬉しいのですが。』

      らんらんさんのコメントにわたしは固まってしまいました。わたしは意識的に漫画を読むことはあまりないからです。つまり、意識させられる(客観的に読まざるを得ない)漫画は自分にとって相性のいい漫画家ではありません。(この辺は語りにも通じる)らんらんさんはひょっとして 男性!?と思ってしまいました。

      けれども そこからあたるのもおもしろい。それで あした 語り継ぐ戦争と平和の練習があることなどわすれて、(ともかく脚本はつくりなおしたし あしたのスケジュールも組んだし あとは自分のパート「焼き場の少年」の練習だけだといいわけしつつ) トーマの心臓をひっぱりだして読んだところ すっかり ひきこまれてしまいました。

     トーマの心臓のせりふの一部 1ページ分を書き抜いてみます。

カシッ  皿に本がぶつかる音

オスカー おっと!
     なにやってんだ やめろ みんな!
先生Ⅰ  君たち! 席を立たないで!!
先生Ⅱ  席を

バチャ! 皿にスプーンがぶつかる音

生徒Ⅰ  この! なんのうらみが
生徒Ⅱ  そこにいるのがわるい!
オスカー こらーっ!やめろったら! バカ!
オスカー やめ

パシャッ オスカーの顔に飛んできた皿からスープがはね 髪と顔をぬらす

生徒Ⅰ  ......あ....
     オスカー.....あの

ズイ   オスカー 生徒Ⅰをおしのける

ガターン! 生徒たち なぐりあい
ボカ!

エーリク ひとがおとなしくしていれば このうっ
ボカ!
(小学館 フラワーコミクス)

寮を併設したギムナジウムの喧騒。せりふの奔放な生き生きしたリズム 登場人物はコマから飛び出さんばかりで 少しもじっとしていません。この臨場感に読むものは観応し 読者に考えるすきなど与えないのです。



それでは 大島弓子の 野イバラ荘園から やはり 1ページ分 抜書きしてみることにしましょう。

バンッ ドアをあける音

るか   わぁー 勉さん!! みんな!! いらっしゃあ.....
勉    しばらく るか!! またきたよ この気まぐれな妹君はふろくだ。

るか  (ひときわ青白いほお にじむような目のふち うすく笑ったそこだけがぐみのようなくちびる....どういうわけか この荘園を忌み嫌い 彼女が他のいとこたちにまじって夏季休暇を過ごすことはかつてないことだった。-----しばらく見ないうちになんてきれいになったのだろう なんて.... それまで まったく気にしてなかったことだけど....それにくらべて...わたしは くらべると なにひとつ美しくなっていないのだろう 去年とおなじょそばかすのかず 日に焼けたあから.......妹とはいえ ..こんなひとと毎日をともにしているのだったら 勉さんはわたしなぞ さぞ味気なく見えるだろう)

勉    ああ るか 芙蓉にあいてる部屋あったら
るか   ああっ あ....っ はいっ はいっ
芙蓉   クッ(笑う)  

(朝日ソノラマ)

これは冒頭の1ページですが わたしたちはすでにるかの心のなかに入り込んでいます。彼女の抱えるコンプレックス 勉さんへの想い 美しく気まぐれな従妹芙蓉への屈折した気持ち......

どちらも ほぼ同じ時代の少女漫画の傑作ですが 同じ1ページにこめる文字の量、台詞とモノローグとの占める割合 はかなりちがうように思います。後年 萩尾作品が舞台化されることが多く 大島作品が 小説家に影響を与え 映像化されることが多かったこともわかるような気がしますね。

     同時代のごくふつうの漫画は探し出さないと出てこないし わたしは自分のめがねにかなった作品しか していないので 比較のしようがないのですが この二作品は方法は違えど らんらんさんのおっしゃる台詞と画像 意識と無意識の領域を融合する作品ではないでしょうか。もちろん トーマの心臓はより感覚的 直感的であり 野イバラ荘園はことばから喚起されるものがより多かったのですが......。

     物語の世界に溶け込む・我を忘れる それこそが 漫画にせよ 小説にせよ 語りにせよ 受け取る側の醍醐味です。現実を忘れたいからひとは夢中になるのかもしれません。少なくともわたしは批評しながら読んだり聴いたり 見たりするより ものがたり世界に没頭したい。読み手をものがたりに引きずり込む 漫画家 語りべ 映像作家はそのためにしのぎを削るのです。

     受け取る側をひきつけるのは ものがたりそのものの力であり もうひとつは作者がものがたりに抱いている情熱でしょう。稿料のためだけでなく どうしても伝えたいものがあるのです。トーマの心臓連載途中で萩尾望都さんは読者にアンケートの評価が低いらしいこと このままでは連載が打ち切られてしまうかもしれないこと 応援がほしいことを漫画の中で訴えていました。

     では 読み手はものがたりからなにを受け取るのか。ただ物語の展開を待ち望んでいるだけでなく 読み手の無意識の領域でも複雑な動きがあるのではないでしょうか。深層意識の膨大な過去の記憶にヒットして 思考がうごいてゆく 読み手自身の感情の記憶 嫉妬 やるせなさ 哀しみ 葛藤 とかさなる......ものがたりは重層的にダイナミックに動いてゆく。


     らんらんさん ごめんなさい。結局 ものがたりに行き着いてしまいました。トーマの心臓 はひとりの少年が精神的な死から救われるものがたり そこには死と愛がありました。しみじみ 萩尾さんはストーリーテラーだと思います。生と死と再生 ものがたりの古からの永遠のテーマが子どもを相手にした商業誌で堂々と語られていた時代に生きたことをわたしはうれしく思います。そこには少年たちだけでなく その奥にオスカーの父 校長 またユーリ・シドという三人の男の生 愛と死そして癒しと再生が語られるのです。

     野イバラ荘園の場合は 従妹たち五人のひと夏のできごとから 一族の秘密があきらかにされ 死によってあがなわれるのですが これも やはり 生と死と愛 そして再生を内包しています。 なんだか タイトルがちょっとずれたみたいですね。ものがたり 死と愛と再生 萩尾望都 大島弓子 かな........

     



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    愛犬ケヴィンを美容院に連れて行ったあと、心配なのと所在ないのとで娘とカフェで待っておりました。ロケットカフェは居心地のいい空間。美味しいワッフルは生クリームがたっぷり カップ二杯分はゆうにある熱いカフェラテをテーブルに、本棚を物色したところ”いけちゃんとぼく”がうつくしい絵本の数々のなかにありました。

    読んで思わず泣かされてしまって 娘にわたすと 娘は読んだあと 「マリーン....だね」もうひとりの娘もそう言いました。いけちゃんとぼく まだ読んでない方は このつづき見ないでくださいね。

    いけちゃんとぼくは2006年西原理恵子さんの書いた作品

場所は日本 海辺の町。時代は昭和20年代!?ある日、ぼくはいけちゃんに出会った。いけちゃんはうれしいことがあると数がふえて、こまったことがあると小さくなってちぢまる。いつもぼくのことを見てくれてるし、ぼくが友達にいじめられて落ち込んでるとなぐさめてくれる。でも女の子となかよく遊んでるとまっかになって怒り出す。そんないけちゃんのことがぼくは大好きで――。........さようなら 私たち 人生の終わりに とても短い恋をしたの あんまりにも 短い恋だったから、私、もう一度 あいにきたの こどものころのあなたに――

    
    マリーンは1977年萩尾望都さんの書いた作品 原作・今里孝子(萩尾氏マネージャー)

エイブは6歳。父親はおらず、母親が病気になり、ろくに学校にも行けない。ある日、エイブは母親の薬を買った帰り、近所の悪童たちに薬壜を割られてしまう。路上で途方にくれる少年エイブの前に、一人の美少女が現れる。マリーンと名乗った少女は、片方のイヤリングを差し出し、これで薬を買うように言う。薬屋は高価すぎるとイヤリングをエイブに返す。真珠を配し翼をかたどった銀のイヤリングはエイブの宝物になった。

10歳のとき母親が亡くなり、エイブは雇い主だったペイトン氏に引き取られる。ペイトンの娘のディデットは何かとエイブに意地悪をするが、そんなときもマリーンはたびたびあらわれエイブを励ましてくれる。 ある日ディデットのテニスコーチとして、全英ベスト4に入った実力のあるテリー・ローブがペイトン家にやってくる。テリーはエイブの才能に目をとめ、彼をテニスクラブに誘う。1年後、強くなったエイブは他校との試合で完封勝ちする。エイブを思うように出来なくなったディデットがヒステリーを起こし、エイブは罪を着せられ追い出されそうになるが、テリーが引き取る。

テリーのコーチの元で、エイブはプロテニスプレイヤーになり、さらに強くなっていく。力任せのプレイと言われるが、金を稼ぐため必死のプレイに全米、全仏の強豪とも戦って名をあげていく。エイブはマリーンの面影を追っていた。ところが、 ある日、エイブはマリーンの正体を知る。彼女はフィールズベリ伯爵のひとり娘ですでに婚約者もいた。エイブは強いショックを受けるがついに全英チャンピオンになった。そして、彼女の婚約者ビンセント・クラークがアマチュアのテニスチャンピオンだったことから、豪華客船で開かれる結婚披露宴に招待される。

クラークの挑発で、船内のコートでエイブとクラーク プロとアマのチャンピオン対決がはじまる。炎のようなエイブのプレイ エイブが振り仰ぐとマリーンの目がエイブのプレイを凝視めていた。一瞬交わされるふたりの視線。その夜、マリーンは海の中に身を投げた。船の上にはイヤリングの片方が残っていた。

マリーンは この日 はじめてエイブに会ったのだ。そしてひと目で恋に落ち、自分が他の男のものになることを悲しんで、波間に落ちて行ったのだ。そして繰り返し繰り返し マリーンの夢が時を越えて波間からエイブのもとに訪れたのだ。追憶 追憶.....エイブは追憶の波に沈む。

セシリアは1964年水野英子さんが描いた作品 原作は映画ジェニーの肖像

きらめく星をこえ、めくるめく時をこえて二人は出会った---。 貧しい青年画家が出会ったふしぎな美少女セシリア。ロバートはその少女のデッサンを画商に持ち込み糊口をしのぐ。出会うたびに美しく成長してゆくセシリア、セシリアはロバートの希望だった。ロバートとセシリアに恋をする。画商に勧められセシリアの肖像画を描いたところ その絵は美術館に評価され引き取られ ロバートは嘱望される新進画家としてデビューした。前途洋々たるロバート。やがてセシリアの”時”とロバートの”時”は重なる…......しかしその時ジェニーはロバートの目の前で船から落ち溺死する。..........メトロポリタン美術館の片隅に今も黒衣の少女の肖像画がひっそりかざられている......その名はセシリア。

    映画 ジェニーの肖像 1947年 ネイサン原作

1938年の冬、貧しい画家のイーベン・アダムス(ジョセフ・コットン)はセントラル・パークでジェニーと名乗る可愛い少女(ジェニファー・ジョーンズ)と出合った。彼の描いた少女のスケッチは画商のマシューズ(セシル・ケラウェイ)の気に入り 彼もようやく芽が出かけた。

公園のスケート・リンクで再びジェニーに出合ったアダムスは、彼女が暫くの間ににわかに美しく成長したのにうたれ、早速その肖像画を描く事を約した。約束の日彼女は来ず、彼女の両親がいるという劇場を訪ねたアダムスは、その劇場が既に数年前に潰れて当時からジェニーは尼僧院に入れられていることを発見した。数ケ月後、消息不明だったジェニーは、成熟した女性になって突然アダムスの画室に現れた。彼は直ちに肖像画制作にかかるが、未完成のまま彼女は姿を消してしまった。

しかしモデル不在のまま完成したその画は非常な評判となり、アダムスは一躍画壇の寵児となった。ジェニーを求めて尼僧院を訪れたアダムスは、彼女が1920年ニュー・イングランドを襲った津波で溺死したことを聞いた。彼はすぐさま現場の岬へかけつけねボートを漕ぎ出したが、とたん、彼のボートも猛烈な暴風で叩き潰された。命からがら崖にはい上った彼はジェニーのボートが近づいて来るのを見、夢中で救い上げたが、襲いかかった波は二人を呑んでしまった。アダムスが気がついた時、周囲の人々は誰ひとりとしてジェニーを知らなかった。彼女は、ただアダムスの心の中だけに永久に生きている女性なのであった。


とくに セシリア マリーン いけちゃんに共通するのは ......

”時”を超えて会いにくる女性的なるもの

それは少年(青年)の成長を見守り手助けする母性的な存在

過去=未来に一瞬の恋 がありものがたりが遡ってゆく



........ものがたりがかたちを変え、時代と場所を替えても キーワードとしての「海」は残っていました。海 子宮 母 ........恋人が母性そのものとして未来の恋人の成長に手を貸してゆくという このパターンを女性が描くということに対する眩暈がわたしのなかにはあります。.....いけちゃんはひとのすがたではあらわれません。ちょっとどらえもんをおもいだしましたが かわいいひとだまみたいなかたちなんですね。いけちゃんを老いらくの恋にして だからもあるのだろうけど おばけにしちゃって増殖もするというのは西原さんの卓越したストーリーテラーとしての資質であるような気がするし 美少女・美少年にしなかったのがまさにそうなんですが ものがたりの骨格を考えるとき、セシリアなくしてマリーンはなかったし マリーンなくして いけちゃんもいなかったような気がするのです。

    たぶん西原さんはマリーンを見ているだろうな.....漫画が好きだったら 漫画界をその時代牽引していた水野英子や萩尾望都の作品に目をとおさないはずはないし、インスパイヤされるのがわるいというわけではもちろんありません。ただ 漫画ファンとしてこのような流れがあったのではないかということを明らかにしておきたいのです。

    最近 カーロ・カルーソー(自作のものがたり)のカーロに天分があることから 気持ちを投入できなかった という感想を読ませていただき 主人公の設定について いたく感じたこともありました。そういえば漫画の主人公って ふつうの子のほうが受け入れられるようですね。のび太くんとか ちびまる子ちゃんとか。そこに不可思議な力がはたらくとすれば 昔話の王道 魔法昔話を踏襲したものですし 今日 取り上げた3つのものがたりもその範疇にはいることになります。成長譚 イニシエーションと捉えることもできる。

    主人公を寝たろう・イワンのばかタイプにするか 小太郎(貴種流離譚)タイプにするか 幸福の王子(非凡だが 制約がある)タイプにするか これはもうすきずきなんですが 絵の上手なきれいなひとは ルックスの綺麗な主人公にしがちかもしれない。わたしは創作のときどうなのかな 美醜ではないけれど 秘めたうつくしさ 凛としたものを持つヒロインが多いかもしれない。主人公のアーキタイプからさぐっていく、ものがたりを組んでいくのもおもしろいかもしれません。.........少女漫画史も 大御所萩尾望都を直前にしばらく 足踏みしていますね。書きたいのは以前書いた 私的大島弓子論のつづき 萩尾さん 山岸さん 大島さんの”その後”なんですが これは力仕事になりそうです。そのうち じっくり はじめることにましょう。




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    きのう 仕事もしないで大島弓子さんの漫画 を読んでいました。サンコミクスのアンソロジー”野イバラ荘園”と”夏の終わりのト短調”だったと思います。意外にも心に残ったのは”夏の終わりの.....”でした。


① 悲劇の時代
  この間に学園ものやハッピーエンドの女王と呼ばれる時代があります。
② ロマンの時代
③ チビ猫の時代
④ 神経症の少女たちの時代
⑤ トラウマと甦りの時代

大島漫画はおおざっぱに五つにわけられるように思うのです。はじめの頃は 詩子と呼んで もう一度!! とか誕生とか もう一度生きたい とかこれでもかこれでもかというように悲劇ばかり描かれていました。

②はミモザ舘とか 野イバラ荘園 海にいるのは のように悲劇ではありますが 障害を越えて成就した”愛 ”のかたちがあります。殉愛 といってもいいでしょう。そしてそれを見つめるのは少年少女の瑞々しい瞳です。またすべて緑になる日までのようにハッピーエンドのものがたりもたくさん描かれています。 わたしが大島弓子さんに夢中になったのはこの時代でした。流麗な線 瑞々しい感性 そしてことば 大島さんの奔流のようなことばに幻惑され魅了されました。

③はご存知のとおり 一世を風靡したチビ猫のシリーズ。チビ猫は貴婦人のようなお姫様のようなスプリングフィールドになることを夢見ますが いつまでもチビ猫。少女のままでいます。

④になって少女は少女のカラを脱ぎ捨てるための痛々しい戦いをはじめるのです。 ”バナナブレッドのプディング” ”痛い棘 痛くない棘””草冠の姫””赤西瓜 黄西瓜”などなど。

そして圧巻が⑤です。 今日 読んだのは 黄昏は逢魔が刻 夏の終わりのト短調 夏休み?  なのですが 共通しているのは 長い間抱えていた心の傷 .....母親に棄てられた青年 好きだった少女に贈り物を渡せずずっと想いを胸にしまっていた初老の紳士 満たされぬその妻 憧れのひとと結婚できなかった痛みを完璧な家庭をつくることで補おうとする主婦......のトラウマの解消とあらたな旅立ちのものがたりです。そしてそこに介在し 手を貸し 見守るのが登場人物の少女の役目なのです。少女は主人公に見えて狂言回しでありあるいは語り手です。

これってすごい 少女漫画じゃないんですもの。 生と死と再生.....ものがたりの真髄がありますね。

     少女も少女のままでいつまでもいられない。萩尾望都 山岸涼子 の両氏も 少女のカラを脱ぎ捨てる葛藤を別のカタチで描きました。フロル・ベリチェリは両性具有体から変異します。萩尾さんの場合は意識的無意識的に主人公の少女が選択しているように思います。山岸さんはもっと生々しい 天人唐草 潮の音 時じくの香くの木の実 など無念にも 少女のままに固定された少女たち あるいは少女のカラを脱ぎ捨て男をとろかす蛇体のような存在になってゆく少女を描いています。

     少年が男になるための通過儀礼より もっと陰湿な奥深いものが少女の成長にはつきまとう......そのあたり 三人の変遷をより深く辿ってゆきたいと思います。




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    みなさまはコミケットをご存知でしょうか?コミケットはコミック+マーケットの造語でしょうか?世界最大の漫画ファンならびにオタクのためのイベントです。そのコミケットがなぜ生まれたか....みなさまにご紹介しようと思います。

    漫画ファンのための漫画専門誌 それがCOMのキャッチコピーでした。現代漫画の神 手塚治虫が万をじして企てたのです。(いよいよ白土三平のカムイ伝の連載がはじまろうというガロに影響を受けたようです。ガロもまた新人発掘を積極的にしていました。)

    1967年1月 創刊 わたしたち漫画ファンは一日千秋の思いで創刊号を待ちました。手塚治虫の過去現在未来をつらぬく大連載「火の鳥」スタート 実験的な石ノ森章太郎のジュンのファンタジーワールド 伝説のときわ荘ものがたり......時代が変わる予感がしました。

    COMは漫画家をめざす若いひとたちの希望でした。商業紙へのデビューの第一歩となったからです。これはという若い作家の作品を積極的に掲載したばかりでなく、ぐら・こんでは真崎守が「峠あかね」名義で漫画評論を行い、また全国規模の同人誌を組織していました。ぐら・こんはあたらしい漫画をめざし漫画家と予備軍とファンと批評家を結ぶ場所にもなりました。岡田史子や樹村みのりの作品が耳目を集めました。矢代まさこの作品もCOMや姉妹紙ファニーに多く掲載されました。

    わたしの見解では少女漫画は萩尾望都によって 本来持っていた翼をひろげたのです。そして萩尾望都とそれにつづく少女漫画家群は一時は少年漫画を凌駕し、漫画だけでなく演劇や映画、小説なども揺さぶり影響を与えました。手塚治虫・岡田史子・矢代まさこ・樹村みのりは萩尾望都がもっとも影響を受けた漫画家でした。萩尾さんの作品も「ポーチで少女が子犬と(投稿作品) 10月の少女たち(原稿依頼から)がCOMに掲載されました。


☆COMの刊行期間は、1967年1月号 から1971年12月号です。最後のほうはあまりおもしろくありませんでした。1973年に8月号として、1号だけ復刊された(1973年8月1日発行)が、その後、虫プロ商事は倒産しました。

☆萩尾望都の年譜
1969年 ルルとミミ すてきな魔法

1970年 クールキャット 爆発会社 ビアンカ ケーキケーキケーキ

1971年 ポーチで少女が子犬と ベルとマイクのお話し 雪の子 塔のある家 花嫁をひろった男 ジェニファの恋のお相手は かたっぽのふるぐつ かわいそうなママ 精霊狩り モードリン 小夜の縫うゆかた ケネスおじさんとふたご もうひとつの恋 10月の少女たち 秋の旅
白き森白い少年の笛 11月のギムナジウム セーラ・ヒルの聖夜 白い鳥になった少女

1972年 あそび玉 みつくにの娘 毛糸玉にじゃれないで すきとおった銀の髪(ポーの一族) ごめんあそばせ! ドアの中のわたしのむすこ 3月ウサギが集団で 妖精の子もり 6月の声  ママレードちゃん ポーの村(ポーの一族) グレン・スミスの日記(ポーの一族) ポーの一族 とってもしあわせモトちゃん ミーア

1972年 萩尾望都は堰を切ったように作品を発表 のちの萌芽がすでにそこにありました。COMは役割を終えたように虫プロ商事の倒産とともに姿を消します。

    グラコンはなくなり 漫画家予備軍ならびにファンは行き場を失います。グラコンの継承者はあらわれず 受け皿として 漫画大会が開かれます。漫画大会はSF大会を模して開催されたコンベンション形式の漫画イベントで入場者有料-申込みで合宿あり、内容はスライド講演・作家挨拶・パネルディスカッション・ファン賞選定・オークション・ファンジン即売。1972年7月のことでした。

    ところが 漫画大会は思わぬこと(参加者の投書)から頓挫、4回で終わりを告げ そのあとをコミケットが引き継いだのです。初回コミケットは1975年12月21日のことです。このときの代表が原田央男さん(ペンネーム 霜月高中.....11月のギムナジウム...高等中学校をもじったもの)と米澤嘉博さんでした。米澤氏は少女漫画の収集家 批評家でもありました。

    しかしながら コミケットは主催者も思わなかった変貌をとげるのです。あたらしい漫画をめざし漫画家と予備軍とファンと批評家を結ぶ場所からお祭りの場へ 大きなお金の動く場へ......一番大きな変化は...参加者が漫画を描くこと 漫画家になることから 参加する 遊ぶことへの圧倒的なシフト替えでした。同人にしてもパロディがふえ、同人誌、グッズの販売やコスプレなど文字とおり巨大なマーケット・市場になったのです。

    漫画を描きたいという情熱の中身はいったいなんでしょう? 自分のなかにあるふつふつとたぎるものを外に出したい欲求、あたらしい世界観の創出と言ったら過ぎるでしょうか。その目的が作品を世に送り出すことから すでに世に出た既存のまんがの周辺にたむろし 擬似的亜流的世界に身をゆだねることへの変換 そこにコミックマーケットの成功も逆にいえば失敗もあったのではないでしょうか。


    ひさしぶりに 真崎・守の”連作・錆びついた命” を見ました。商業紙...少年マガジン....でこれが連載できた時代にいたことをわたしはうれしく思います。(光る風も衝撃でした)今日 内山まち 千明初美 ささやななえ を読みました。新城さちこさんを読みました。漫画もまた読むひとの心を癒し揺さぶり 生きる力をよみがえらせる力を持っています。あたらしい漫画家 を待望します。


昔 漫画大会とうイベントがあったは→コチラ  


    

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花の24年組に先立つ漫画家のなかで、少女フレンド系の漫画家は絵柄が地味だったし ストーリーも華やかではなかった。それで生活派ではない? わたしは一歩引いてみていたのだが 講談社漫画賞の受賞者には興味津々だった。


里中真智子  1948年(昭和23年)生

1964年第1回講談社新人漫画賞受賞
デビュー作は銀のたてごと。これは未読だが タイトルからして水野英子とおなじである。マヤには水野英子・セシリア(1964) の影響を感じる。くらい空のはては核戦争?がテーマ。 マリアは知っているはキリスト教徒が受けた迫害をテーマにしたもの。王女エレナはここから派生したような気がする。はじめのうちはストイックで理想を追い求める作風であった。絵はあまりうまくはなかったが 作者の想いがものがたりに輝きをあたえていたように思う。

里中真智子オフィシャルサイトは→コチラ

所有作品

1964年 ピアの肖像 マリアは知っている
1965年 くらい空のはて いとしのレナ マヤ


青池保子 1948年(昭和23年)生

1960年、中学一年生の夏休みに、敬愛する少女漫画家の水野英子宅を訪問。その人柄に感銘し、大きな刺激を受ける。
1963年(昭和38年)りぼん『さよならナネット』15歳でプロデビュー。その後少女フレンドで活躍。第一回講談社新人漫画賞佳作
1976年 「イブの息子たち」で絵柄・作風がガラリと変わる。

「死の谷」は好きな作品だった。水野英子のトゥオネラの白鳥(1962)に似ている。

公式HPは→コチラ

所有作品

1964 ローラのほほえみ  ミラ  死の谷
1965 パティばんざい  月まつり  おおキャロル!
1969 青蓮の恋歌

大和和紀  1948年(昭和23年)生

1966年、『少女フレンド』(講談社)掲載の『どろぼう天使』でデビュー  しかしその前に資本漫画で書いていたらしい。デビュー作どろぼう天使はシリーズもの。どろぼうを稼業にしている少年のさまざまな出会いから生まれるドラマ。大和和紀は少女フレンド系の漫画家のなかではセンスを感じる漫画家だった。

所有作品

1966年 どろぼう天使 週刊少女フレンド37号
1967年 星空にこんばんは 増刊少女フレンド4/11号
    星空のエンゼル(扉絵・谷悠紀子) 増刊少女フレンド8/10号
1968年パリのおじょうさん 別冊少女フレンド1月号
  ふたりでお茶を 別冊少女フレンド6月号
1970年真由子の日記
KILLAなど
1976年 薔薇子爵

大和和紀作品リストは→コチラ

谷口ひとみ 1949?1950年生?

1966年、高校2年生で第四回講談社新人まんが賞に入選。受賞作エリノアはとても印象的な作品だった。みにくい少女が主人公の漫画がなかったわけではない。しかしエリノアは並外れていた。仙女の贈り物で一日だけエリノアはカミーリアに変身する。うつくしいカミーリアを愛した王子は 泉に映ったそ真実の姿エリノアを見たとき「君はみにくすぎる」とつぶやく。この瞬間 エリノアは死んだのだと思う。これを描いた作者の心象風景を考えると辛くなるような、自虐的ともいえるものがたりである。エリノアは王子を救うために生命を投げ出す。だがエリノアの死は報われない。

なぜなら王子はエリノアが変身した うつくしいカミーリアを忘れてしまう ふたりのわすれ難いきらめく結晶のような一瞬も忘れてしまうのだから。思い出に残ることもゆるされない、それは全き無である。エリノアは究極の贄をささげたのかもしれないが、だが それは真実 王子のためであったのだろうか。むしろ そのことで自分を救ったのではあるまいか。 逃げたのではあるまいか。今のわたしには エリノアにある種の不遜ささえ感じる。作者とおなじ年頃の頃は若干のわだかまりを感じながらもたいせつに思える作品であったが.....。〆のことば、エリノアは世界で一番幸福な少女だったのではないでしょうか.....それは嘘だと思う。谷口ひとみさんはそのことを知っていたと思う。ひとは傷ついても傷ついても 血を流しも 決して、決して.....。

(追記:この作品で漫画賞を受けた谷口さんは一ヵ月後睡眠薬自殺をなさったそうだ。エリノアには予兆があったのかもしれない。生きて描き続けてほしかったけれど 今はご冥福を祈るのみ。 エリノアは復刻されています。)

所有作品

エリノア (オリジナル)

忠津陽子

マーガレット系であるが 忠津さんはここに置くのがバランスがいい感じがする。初期作品はことの大和和紀に画風が似ていた。デビューは1967年 夏の日のコーラ 
毒がない.....清潔で明るい漫画。

所有作品

1967年 夏の日のコーラ とびだせリタ
1973年 ミリーただいま参上
1968年 ただいま留学中  パパとママは世界一
その他いろいろ

作品リストは→コチラ




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