遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



     夢のなか 彷徨っていました。目覚めたのが8時!! 化粧もしないで学校にすっとんでいきました。今日は3年2組です。どんぐりの手遊び 3年生も後半になると 内省的になってきます。どんぐりころころ うたわなかった男の子が 手遊びになると参加......してくれました。

     お話はきのうとおなじ お月さま 金のくさり  うしろでみていたおかあさんのお話では トントンと山姥が 戸をたたく音に 男の子が 飛び上がったそうです。子どもたち 集中しておはなしのなかに入っていましたね。このおはなしをわたしに手渡してくださった櫻井美紀先生にこころから感謝します。どれだけの子どもたちが ドキドキしながらこのおはなしを聴いてくれたことでしょう。

     あたらしい参加型のおはなしをしたかったのですが 3分しかなかったので この地方につたわる 嫁さまが狐にだまされた話 をしました。そして 最後に みんなで エイエイオー!! って掛け声をかけました。みんな 恥ずかしがらないで やってくれました。みんなー がんばれー!!負けるなー!! アイシテルヨ。


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     懐かしい ひまわり幼稚園 園舎も園庭も おとうさんおかあさん 子どもたち 卒園児 近隣のかたがたであふれていました。お弁当は完売 パンも完売。1袋 50円のクッキーとおにぎりセットを買いました。

     出番は2.30からでした。ろうそくに火を灯し 歌をうたい どんぐりをつかったゲームと歌と手遊び で笑ったあとお月さま 金のくさり......このものがたりは 故桜井先生から聴いたおはなしです。実はテキストにはまったくあたっていません。語るうちに 聴き手のみなさんの力をいただいて ものがたりはかわり 時には参加型になります。

     今日はすこし 参加型。.....というのも 子どもたちの集中度が驚くほど高く あえて参加型にしなかったのです。きっと ひまわりの子どもは.....と思ったとおりでした。一言でいえば すばらしい聴き手だったのです。ひまわり幼稚園は自由保育の幼稚園でおかあさんがたが手をたずさえてつくりました。いまでもその気風は残っています。今日は当時の園長 木村利行先生もみえて 木村さんのおとうさんと子どもの遊びの講座は満員の盛況でした。

     さて おはなし会のほうは おかあさんおふたりの民話の語りと読み聞かせがあり そのあとで”ジャックとどろぼう”をみんなで楽しみました。おとうさんもおじいさんもおばさんもおじさんも いっしょに 山をのぼり 山をくだり♪.....とても たのしかった......このおはなしも聴いておぼえました。耳から覚えたおはなしは 聴いたときのドキドキワクワクが残っています。聴いてくれるみんなを見ると おなじように どきどきわくわく しているのがわかります。ジャックがどろぼうたちをみつけたところでは 大きな男の子がヒュっと息を呑みました。ストーリーテリングの醍醐味ですね。

     帰り 自分へのごほうびに cimaiへよって キャラメルミルクをカフェでたのんで いちじくパンと塩チーズのスコーンをたのんで ......2Fでyuzuriさんとあいました。きっと 会えると思ったのです。アンティークヘンプでつくったハート型のブローチ買いました。 ”さよなら げんぱつ” と刺繍して胸につけようと思います。cimaiのおねえさんに11/10のチラシをおいていただいた お礼を言いました。ここはふるさとみたいにあったかいパン屋さん パンにひかりが.....パン屋さんはパンと笑顔で まわりをあたたかくあかるくする わたしはストーリーテリングと語りでまわりをあかるくします。

     ね ”ストーリーテリング”と”語り”はどこが違うと思いますか? わたしはおおざっぱにいって 小さい子たちとうたったりおはなしするのは ストーリーテリング。民話とか あったることとか 文学とか 歴史的な事実を語ることを”語り” とわけています。だから名刺は 表が語り部 ウラはストーリーテラー なんて欲張りなんでしょうね。今日は場のエネルギーがまわったのか とても眠たいです。12月の 9クラス連続のおはなし会は 今までの集大成 + 新作をいくつかいれて 子どもたちと冒険のたびにでかけます。




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電通 廊下 床にすべてを見る目が.....



本社玄関

六本木ヒルズもおもしろい。彼らはシルシが好きです。

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  先日 聴かせていただいた 民話の文字起こしをしています。「甘酒」 「惚れ薬」 がおわって 今 「三枚のお札」の途中です。聴かせてもらったいい語りは すぐ語れるのですが わりあい すぐ わすれます。それで 文字にとめておきます。語っていくうちにだんだん かわってゆきます。そのたび 原稿をなおしてゆきます。

    絶版になっていた本がとどきました。ひとつは 松谷みよ子さんの「茂吉の猫」 ざざんと 身内に戦慄の走るお話でした。空は妙に 静かで それがなんだか 気になって.....薄いベールがかかっていますが ケムトレイルのいたずら書きが見えません。北海道から沖縄まで まるで実験でもしているように地震が起きています。こわいですね。

    NHKの邦画を彩った女優シリーズはなかなかおもしろいですね。大原麗子 太地喜和子 賠償千恵子 とつづいて今夜は最後の夜です。わたしは このシリーズをみて 高倉健 最後の銀幕スターと呼ばれる健さんの底深さを見たように思いました。「居酒屋兆次」 の 大原麗子の衝かれたような表情 「駅」の倍賞千恵子の「サクラ」とは打って変わった女のさが 女にこんな顔させるなんて すごい俳優だな と思います。それだけではありません。 


 








大原麗子は「居酒屋兆次」のあと しばらくサヨが抜けなかったと述懐 倍賞千恵子も同じ高倉健との共演作 「遥かなる山の呼び声」......(今 気がつきました コレ カムバック シェーン! なのね)....で”倍賞千恵子さん”に戻れなくてつらかった といっているのです。

能から出たことばに役者があります。役者はもともと生きた人間の役をするものではありませんでした。神や精霊、怨霊、亡くなったひとの役をしたのです。役者の別名である俳優の俳とは人に非ずと書きます。俳人(わざびと)→俳優 女優 男優....

いい役者にはその時代を担うような業 があるような気がします。そして 時代を究極まで 身のうちに体現することで時代を超えてしまうような気がします。....じつはわたしもすこしばかり 役者をしました。素人劇団でしたが 楽の日 埼芸の座長に あんたは面白い役者だ どこかできっと役者をつづけなさい といわれました。そのときすでに劇団をやめることがわかっていたのでしょうか。わたしには知る由もありませんでしたが。

役者はほんとうにおもしろいのです。役と自分がひとつにとけあってしまう。思いもかけない自分がそこにいる。娘たちはわたしが ある役をしていたとき どんどんかわってゆくのが怖かったそうです。おかあさんはあんなに上品でやさしかったのに...?と娘たちはいいます。.....わたしはたいそう 喧嘩っ早く 戦闘的になりました。品もわるくなったようです。

でも それはもともと わたしのなかのどこかに あったものなのです。もとってどこだと思いますか? 大原麗子さんと「おはん」などで共演した石坂浩二さんは 「役者は自分のなかにないものは出せない」と断言していました。ほんとうにそうなのかな......あると思えなかった資質が身の内から むらむらとたちあがってゆく 理性とはまったく 違うところで というか 自分のあづかり知らぬところで起きてしまう あれあれ というのでもなく 本来の自分は観るものになっている。とても静かにすこし上にいる あけわたして....。入ったものがね 行きがけの駄賃にひらいたものを置いてゆくんですね。

大原麗子さん 倍賞千恵子さんの ”顔” そんなふうに見えませんか。...魅せられた顔。一回でも これをあじわってしまうと戻れなくなります。追い求めてしまう なぜなら 至福だから。魂に刻印されてしまうから。


このふたりとちがって 太地喜和子さんは映画にも出演しましたが 舞台に比重をかけた女優です。





彼女が耀きを放ったのは 遊女 娼婦 ストリッパー あるいは地母神のような女性でした。 役をするというのは器になることなんですが 日本は役者のキャラクターに乗せるのね そういうキャスティングをする。だから 役者が小粒になる。自分にあった役しかさせてもらえないからです。でも 太地さんの場合 自分の恋 をベースにしているせいもあるが 自分の器をそういうものにしてしまった ”感” があります。口にはいえない快感だったと思う。正直 わたしは 残念に思います。

語りは 20分なり 30分 ものがたりに あけわたせばいい ゆえにつづけられる。芝居のように一ヶ月も二ヶ月も占拠されていたら 日常生活は成り立ちません。 女優さんのほうが男優よりたいへんですね。小百合さんが母にならないのも 小巻さんが結婚しないのもそのせいかな。役者としての人生 人間としての人生を 両立させるには 大いなる意志の力が重要です。そして 役者・俳優とは 人間としてのふつうの幸福を賭けても 失っても悔いないものなのです。大原さん 太地さんのご冥福を祈ります。

蛇足ですが お三人ともいい声ですね。三人の声そのものが役者としてのありようを 語っています。そして 語りもね キャラに乗せるだけではつまらない あるパターンの繰り返し....でもいいのですが カラのうつわになりきることで それこそ だれの人生でも生きられる どんな物語でも引き受けられる。こんな 贅沢はない。衣装も背景も 脚本も 歌も 音楽も なにもかも自前でできてしまう ちらしなどの制作も プロデュースもトータルで......こんなおもしろいことありません。 役者は脚本(台詞)・演出との葛藤があって それから生まれるものもあるけれど 所詮はひとの構築したい世界のひとコマ 語りはね それだけのものではない と わたしは思います。




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11/22 栃木県 ケムトレイルの虹と思います。気をつけて空を見ていると見かけます。


11/23 川崎 3.11の10日前 茨城で撮影した写真に似ています。


11/23 千葉県


11/23 君津市

11/24 千葉 断層雲 赤焼けの報告ありました。埼玉も11/23 赤焼けでした。

以上 地震雲掲示板からお借りしました。

ちょっと 注意ですね。

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「日本は、当時外国の領地(植民地)であったアジアに、自信とその進むべき道への自覚をもたらし以降、日本のあとに続いて世界経済の最前線に躍り出た数多くの(アジアの)国々に希望を与えてきました」

「日本は、過去においても、現代においても、世界のリーダーであり続けます」

「このグローバル化した世界において、日本は、技術と革新の力、勤勉さと責務、強固な伝統的な価値における模範であり、これまで以上にリーダーにふさわしいのです。」

「世界は、常に日本のことを大変な名誉と誇り、そして規律を重んじる国民、歴史に裏打ちされた誇り高き伝統を持つ国民、不屈の精神、断固たる決意、そして秀でることに願望を持って、何事にも取り組む国民、知行合一、兄弟愛や友人、ゆるぎない強さと気丈さを併せ持つ国民であると認識してまいりました」 

「他の国であれば、国家を打ちのめし、国家を打ち砕き、無秩序、大混乱、そして悲嘆をもたらしたであろう事態に日本国民の皆様は、最悪の状況下でさえ静かな尊厳、自信、規律、ここの強さを以って対処されました」

→ コチラ

→ コチラ

なぜ マスコミは国賓である ブータン国王の演説のある部分を削除したのでしょう?

おわかりですね。電通会長が死去しても 日本のものでなく 在日勢力に支配されているからです。

彼らにとって日本は賛美されてはならないのです。うんざりするほどの韓国情報 寒い韓流ドラマが溢れているのはそういうわけです。日本人のテレビ離れは加速しています。(日本ばかりではありません)これでは ほんとうの友好は育ちません。

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    セルフ整体ナビゲーターのREIさんが 都合で今月お休みなので わたしたちのグループは今月二回 自主練習をしました。講師がいないので 本を片手にみんなで記憶のスミを掘り起こしながら 鳩首なんとかです。

    わたしは あるときから あまり 身体の変化 がなくなったことが気になっていました。骨盤のゆがみのチェックをしていたとき はっとしました。どうみても わたしがいちばん ひらかないというか閉じないというか。骨盤の開閉 は仙腸関節と深くかかわっています。

    そこで 仙腸関節をほぐしたり 刺激をあたえたりする 簡単なエクササイズをちょっと つづけた。....するとね 肩甲骨も変わってくるのね。身体がかるいのね。夕べも エヴァンスかけて 踊ってみた。 ま 見られたものではありませんが ターンもできるじゃありませんか。イェイ!! やったぜ♪ ハイテンションばぁさん と口さがない夫に言われました。タバコ 隠した 報復かも......

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プログラム

①はじめのうた
②おてぶし てぶし 隠していた姫りんご を手からだします。
③5色の帽子の手袋人形 だーれかな だーれかな だぁれが りんごを隠してる?
うたいながらだれが隠してるか あててもらいます。 
④おかあさんとこども むかいあわせになって
 よーそろよそろ
 ふたりでむかいあわせになって
 レモン汁レモン汁 で子どもたちをギュ おかあさんはウェストシェイプ!
⑤100曲がりのかっぱ 
⑥鬼女房 語ってしまった!!
⑦ソーディーソーディー
これ 受けましたの。おなかを抱えてガハガハ笑ってるおかあさんもおりました。
⑧11月生まれのおかあさんと子どもに ろうそく 消していただいて
⑨おわりのうた

という盛りだくさん ぎゅっと詰まったプログラムでした。

きのうのクラスでは 鬼女房はしないで
お馬はみんなぱっぱかはしる でぴょんぴょん!!

今日 子どもたち お馬していたそうです ♪

そのあとカフェでお茶しました。
わたしはモンブラン とピッツァいただきました。
社会情勢 語りのこと 語って 語って 4時間たって
かっこよく 「わたしがごちそうするわ」と立ち上がったら

財布がなかった...!!







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    イスラム教もユダヤ教も砂漠から生まれた。苛烈な自然との闘いの中で生まれた。日本の神は 山や森におわした。自然との共生のなかで 日本の文化は育まれた。

    諏訪において 最初は「石柱」が神おろしの依りしろであったとか。御柱は 自然の木である。風土にあわせて マツリは変わっていったのだろう。ミシャグジはユダヤ教由来なのか もっと古代の 神なのか まだ 勉強不足で わたしにはわからないけれど 日本のおおもとの宗教的なるものは森 山 川 自然のなかにあった。日本は多神教であった、すべからく 神であった。熊も 鮭も あなたも わたしも.......。強大な一神教ではなくて 神の息吹は あまねく存在した。わたしたちのなかに 天に おおもとに行くミチがあった。ヨシュア(イエス)も言われたように。教会にあるのではない。寺院にあるのではない。

    しだいに宗教は堕落した。天ではなく権力や金とつながったからである。

    思うのだけれど 天につながるということは 空高いところをイメージするのではないのだ。たとえば 語りであるなら 聴き手のなかにある神性にむかって 語りかけ 交流し 交感し 共鳴する。たぶん そうだと思う。いま おおもとに還ることが求められていると思う。

    諏訪に湛え神事というものがあった。7つの木に神おろしをする祭りであったが いまは廃れてしまったという。

日草たたえ (榎説)
桜たたえ
檀(まゆみ)たたえ
松たたえ
橡(とち)たたえ
岑(みね)たたえ
柳たたえ

    この神事もまた ユダヤ由来のものであろうか  そうは思えないけれど..... 諏訪七石というのもある。できれば 雪降らぬうちに 7つの木の巡礼にゆきたい。
 

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3.11 そして フクシマから世界の暗部 日本の闇が 見えてきました。一挙に白日のもとにさらしましょう。

9.11の真実 そして 123便はなぜ御巣鷹山に落ちたか ...





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→ コチラ

以下抜粋

発売中のニューズウィーク日本版11月16日号につぎのような記事があった。内部告発サイト「ウィキリークス」の創始者であるジュリアン・アサンジの運命がついに動き出した、と。レイプ容疑で逮捕されたアサンジのスウェーデンへの身柄移送を、
英高等法院は先週認めた。

事件は昨年スウェーデンで起きたが、逮捕された場所は英国だった。そしてアサンジはスウェーデン検察当局が出した「欧州共通逮捕状」は不当だとして控訴していたのだが、棄却されたのだ。

移送されれば、最終的にはアメリカに移送される可能性があると主張した。それでも英国高等法院はスウェーデンへの身柄移送を認めたのだ。

問題はここからだ。「アメリカでは連邦大陪審がウィキリークスを調査中だ。弁護団はこの日(英高等法院が移送を認めた判決を下した日)、法廷でこう訴えた。『アメリカに引き渡されると、キューバのグアンタナモ米海軍基地に収容され、死刑にされる可能性もある』」

それほどアサンジの告発は戦争国家米国にとって打撃が大きかったということだ米国の戦争犯罪を追及するということは、そこまでの覚悟がいるということである。あらためてアサンジの勇気の大きさを知らされた。アサンジを殉教者にしてはならないと思う。

以上

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→ コチラ


    オオクニヌシが大和朝廷に強引に(武力で)国を奪い取られ 兄コトシロヌシは自害し 弟タケミナカタは諏訪から出ないことを条件にゆるされた。そのとき すでに 諏訪には土着神 洩屋の神 ミシャグジが祭られていました。ミシャグジを祀る神官はタケミナカタに屈しました。ミシャグジは全国にその痕跡が残っている神です。

    けれども 諏訪大社の神事はタケミナカタとはほとんど係わりないといいます。古代神を祀る神官は名を棄て 実をとったのでしょうか。国譲りとはいったいなんだったのか? そしてミシャグジとは......。

    諏訪大社の象徴御柱は 神の依り代であり 蛇 あるいは 雷 あるいは天地弥栄 生命の象徴 男根を意味すると言います。雷は宇宙エネルギーを大地に降ろします。依り代に降りた神は つぎにシャーマン に降ります。諏訪では昔 一年限り 少年が依り座(よりまし)を務めたといいます。日本において 神の依り座となるのは 巫女が多かったのです。けれども 古代の天皇は 神の依り座でもあったようです。巫女の場合は憑依のかたちで スメラミコトの場合は 神意は夢にあらわれたかもしれません。

    上記リンク先は2010年2月11日に書いたブログ記事です。

    今回 諏訪に 行ったのは ひとつは中央構造線のことであったのだろうし ひとつは 過去に書いたように 日本とイスラエルのかかわりにもう一度目を ということかもしれない。アメリカの背後にはつねにイスラエルが介在しますが このイスラエルを現在握っているのは アシュケナージユダヤ人でありもともとのユダヤ人ではありません。 本家本元のスファラディーユダヤ人は日本に溶け込んでいる。イスラエルの葛藤が日米関係に影を落としているのではという可能性はないでしょうか?

    そして もうひとつは シャーマン 憑依の問題に気づけということではなかったかと。11月10日の語りを聴きにきてくださった方が 巫女 とおっしゃったそうですが 語り部はイタコのように憑依されて語るのではないということ。 語り部とは つなぎ目 結び目 見えないモノの入り口となる 可能なかぎり 真っ白な存在であることが望ましい それを思い出せたのは ほんとうによかったと思います。

    これから 幾度か 諏訪に通うことになりそうです。日本は本当に不思議な国です。

たとえば → コチラ

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真央さんを見て感じるのは 深層意識に働きかけるものがあるのではということ。光が降ってくるような気がする。

もうひとつ残念なのは なんだか 点数がへんだなぁ ということ。あっこちゃんも高橋くんも素敵だし 好きだけど ちょっと高すぎ・・・・・うわさによれば安藤さんが出ないので 三人の出場者を確保するために あっこちゃんの点数をあげる・・・・・

そういう駆け引きは某国や某国にまかせればいいじゃないですか。スポーツの世界 フィギュアも利権というけれど 愚直なまでに清廉であってほしいと思うのです。

真央ちゃん  

おかあさん がんばって ください。おかあさんがどんな想いで 愛娘を守ってきたか 察するにあまりあるものがあります。真央ちゃんはやさしくて強い娘です。

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     カタリカタリ語り祭り 無事に終わりました。ブログをおよみくださっている方のなかから 5名の方がきてくださった。滋賀県や茨城県や東京や 遠いところから.......思わぬところで オフ会になりました。

     お客さまも満員の盛況でした。すべての方と握手したり ことばをかわしたり ハグしたりはできなかったけれど ひととひとがつながるよろこびをいたいほど感じました。最後の 雨ニモマケズ の客席との掛け合いは 震えるような心持ちでした。

     ものがたりをお届けするのではない 「魂振い それが 語り」と身体で感じました。感想のなかに 「深層意識が動いた」 と書いてくださった方がいた そしてカタリカタリのひとりが 「わたしが語っていたのではありませんでした」 といいました。そのふたつのことばに 語りの深い真理と可能性がひそんでいます。わたしは語るとき そこにいないことがあります。わだつみと空のであうところ 星と月がりんりんと触れ合うところに たまさかいることがあります。今日まで語りについて 講釈をいろいろ述べてまいりましたが 畢竟 その名状しがたき一瞬の永遠のために語っている 語りをつたえているのかもしれません。

     打ち上げにお客さまもきていただいて なかに語りの先達もおふたりいらして メンバーにはとてもよい勉強になりました。ありがとうございます。カタリカタリのみんなにさそわれ 二次会となりました。みんなからすばらしいプレゼントがありました。わたしはメンバーのひとりひとりがだいすきです。ありがとう ここまでいっしょにいてくれて....ひとりひとりが大地と空とつながれるよう わたしは見ています。来年はファイナルステージ(の予定)です、 ついてきてください。

     お客さまのなかでわかいおかあさんが複数名 語りをしてみたい といいました。今から 語りをはじめる方の進化は早く深いでしょう。時代が求めているからです。わたしも もう終わってしまったつながり 不要の絆は未練なく絶ちましょう。道は煌煌と照らされて どこまでもつづいています。

     田中さん 奥さま みずうみの町へ もう着かれたでしょうか? みずうみを月が照らしています。ご家族の幸いをお祈りします。

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    リハーサル終わりました。夕べは娘の寝床にもぐりこんで ぐっすりやすみました。全員そろい 最後の全員のアメニモマケズ もきれいな響きになりました。当日 風の音が聴こえますように。

    全体の流れを午前 午後 二度繰り返しました。ひとりのおかあさんがひまわり幼稚園の役員のあつまりがあって 午後からしかこられなかったからです。そのおかげで修正ができました。みんな とおしでやってはじめて わたしたちがなにをつたえようとしているかわかったようです。ひとりのメンバーの述懐を聴いて わたしはほんとうにうれしく思いました。

    他所でなさっている語りの会を聴くのはとても勉強になりますが それと同時に カタリカタリの目指すもの 語りをとおしてたどりつきたいところ が見えてきます。まだまだの道程であるけれど やっと幾人かが明確にそれを観た。それはカタリカタリを来年の最終ステージに誘おうとするわたしにとってたしかなあしがかりです。わたしたちは上手な語りを目指すのではなく 語りそのものを目指すのではないのです。きてくださるお客さまと それをともにできたらどんなにしあわせなことでしょう。

    

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