遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。

 



   なんてさみしいこのゆうぐれ とどかない想いを抱いて...という歌がありました。この時期はほんとうにさみしい季節です。梢には未練気な枯れ葉....グレーと褐色のわびしい風景...心模様も寒々としておりますが、荒涼にわが身をあずけてはならないわけで...さぁ今年もあと少し....がんばれ、がんばれ。

   今日は5年2組でしたが思い描いたとおりにはいかなかった....5年生は手ごわかった...校長先生に報告したら、この学校にくると先生は最初カルチャーショックを起こすのですよ...と慰めてくださいました。あぁ まだ未熟だ。後半 語りにはいってしまいますと こっちのものなのですが、前半乗せられなかったのが残念です。次回は心してしっかりプログラムを組んでみましょう。

   ミクシィ読んでたら「プロになりたい」という勇ましいコメントあり、ステージに立ちたいというコメントもあり、すこしずつ意識が変わってゆくのだなぁと感慨深いものがありました。プロになるもボランティアとしての位置を守りたいと望むのもよしですね。どの選択もただしいのだと思います。あしたは千葉の語りの会に行ってきます。


   

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   語りはじめてしばらくのあいだ、わたしは昔話を語ることができませんでした。こんなことをいうとおかしいと思われるかもしれませんが、神話が神社に対応するように昔話はお寺に対応して、なにか湿った暗いくぐもった感じがしたのです....昔話は神話よりずっと自在に変貌し時代の波に揉まれ洗われてきました。...原初の神々が仏教の伝来によって鬼やら山姥にすがたを変えお坊さんが大きな地位を占めるようになったのです。ケルトで起こったとおなじことが日本でも起きて、訳はわからないなりにどうやらその匂いがわたしには苦手だったようです。もちろん苦手なのは語ることで昔話を聞くのはきらいではありません。

   最初に心から語れた昔話・伝説が地元に伝わる「権現堂の伝説」であったのは示唆的です。そのものがたりは父が県の役人であったころに編んだ「水にまつわる埼玉の伝説」という冊子の一章で人柱によって水害に苦しむひとびとが救われるというおそらくほんとうにあったものがたりです。それから先輩の語り手さんの語る「お月さん金のくさり」や「月の夜さらし」、「つつじの娘」のようにひとの心のなかで光と陰がせめぎあうようなものがたりがわたしの心と身体に滲み入って昔話も語れるようになりました。

   神話と昔話と伝説のなりたちには三つの考え方があるようです。ひとつは柳田国男が書いているように昔話を神話から派生したものであるという考え方、ふたつは昔話が先に生まれ神話はそのあとできたというもの、そして現在は三つ目の神話、昔話、伝説は並存したものである、昔話は神話のパロディでもあるという考え方が主流なのだそうです。柳田国男はこうも言っています。「日本にはまだ現在はしかと発見せられて居ないが、曽て自分たちの信じ伝ふる所を、時を定め場所を限り又一定の形式によつて、語り聴かせて居たといふ事実だけは確かにあつた。それと今日の所謂民間説話とは、少なくとも日本に於ては明らかに別物である」....つまり神話とは生きたことばで語られる....たぶん歌に似て韻律を伴ったものであったのでしょう。

   神話と昔話そして伝説が相互に影響し交流しあって現在のかたちになったのは想像に難くないのですが、わたしはその三つの根本はまったく違うものだと思うのです。神話は天地の成り立ちやひとの由来と道をつたえ天を讃えるものであり 昔話は娯楽であってそのなかに教訓を込めたもの 伝説は実際にあったこと、実際に生きたひとびとのものがたりであるとそんなふうに思います。今、残っている神話といわれるものがかってのかたちをどれほど留めているかわかりませんが、もともとは神話とは天意を伝えるものであり天との交流であり神事..かみごとであったのではないでしょうか。芸能のもとがそうであったように。.....

   なるたけ語りの原点に戻りたい...けれども時代を遡れば遡るほどものがたりの断片しか残っていないので自分で創作するしかないことになっていくのですね ただインスピレーションだけをたよりにして...。伝説にしても実際にこの世にあったこと 生きたひとびとを語るのですから 原点すなわち実存のひとびとに近づくにつれて創作の部分が増えてゆきます。しかしこの創作とはあらたなものを創る...というのともすこし違う、全身全霊でもって”再現”するのですね。....再現とはコピーではありません。いうなればただ一度限りの燃焼に近いものかもしれません。昔話を語られる方はおおぜいいらっしゃるのでわたしがたいせつにしてゆくべきはこのふたつなのだろうなぁと考えています。

   




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   テレビ朝日開局50周年企画のドラマ「点と線」を見ました。舞台は昭和32年、日本テレビ開局55周年の「華麗なる一族」が1960年代でしたが期せずしてふたつの局がその時代を選んだのにはわけがあるのでしょうか。昭和をあらためて考える、戦後を考えるということでしょうか。振り返ってみますと当時は気づくよしもなかったのですが東京オリンピックこそ日本の戦後の終わりだったのでしょう。

   わたしはその頃中学生でした。ドラマの画面...東京駅や地方の駅、アパートの一室や居間の佇まいから当時のことが甦ってきます。茶箪笥 ちゃぶ台 鏡のはまった洋服箪笥はどこの家にもありました....。駅名は紺色のほうろうの板に白抜きで書かれ駅舎の柱にうちつけてあり、電車の中は木製でどこでも煙草が吸えました。背もたれは座席と直角で緑の粗いビロードみたいな生地が張られていました。日本中まだ貧しく、けれども戦争への罪の意識も消えかけ 戦後のある種原始共和制のようなやさしさから過酷な経済戦争へと突き進む時期でもあったのではと思います。教育も変わりはじめていました。

   さて 思い出はそのくらいにしてまずはあらすじ.....
昭和32年、福岡市の香椎駅近くのさみしい海岸で男女の死体が発見された。亡くなった男の方は官僚、女は料亭の女中。地元警察はこの2人を服毒による心中と断定し、事件は解決したかに思えたが、一人の老刑事 鳥飼重太郎はこの男女の死に疑問を持った。それは死んだ男の所持品の中に”お一人様”と、書かれた列車車内食堂の領収書があったことからだ。「東京から2人できたはずなのになぜ”二人”ではなく”お一人様”なのか。この男女は本当に心中なのか?」ちょうどそのころ政界では一大疑獄があかるみに出ようとしていた。死んだ官僚佐々木は疑獄のカギを握る男だったのだ。

.....ドラマは実におもしろかったです。ビートたけしという役者を名優とは思いませんが、彼に嵌った役のとき狂気という閃光を放つのです。そしてその狂気がまわりの俳優にも伝播するのでしょうか。ビートたけし演じる鳥飼刑事出没するところビリビリとエナジーが高まるのがテレビの画面からも見てとれました。そういう意味では尋常な役者ではないですね。....緊張感漲るいいドラマでした。また、ワキが凄かった。これは?!というひとが端役で出演していましたね。

   そのなかで夏川結衣さん演じる犯人安田の妻....そして柳葉敏郎演じる安田がおもしろかった。鳥飼刑事と対峙する安田の妻こそ真の主役であったかもしれません。夏川さんは夫を守ろうとして鳥飼に立ち向かい嘘をつきとおす安田の妻(けれども別に隠された動機お時への復讐があります)を演じていて、追い詰められるにつれ瞳は耀き背筋はきりりと伸びてゆくのです。一度は崩おれながら、最後の力を振り絞り自分が精緻に組んだトリックに一縷の望みを賭けて追求の手をすりぬける.......。惜しむらくはその身体が豊満に過ぎ夫と夜をともにすることができない妻の苦渋が薄められてしまったことですが、それはよしとしましょう。また、事件の鍵をとくきっかけになったのが 安田の妻が同人誌に書いた随筆であり、その同人誌が謀られ殺されたお時の部屋にあったことを考えたときドラマとは人間の愛や苦しみ 欲や希望のうえに移り気な運命のまなざしが投げかけられたとき起きるのだ...としみじみ思いました。

   もうひとり影の主役がいました。それは鳥飼刑事を支える亡き妻でありました。最後のほうに写真が出てきます。つまりこれは幽明を超えた女たちの戦いでもあったのです。ドラマっておもしろいですね。....語りでこんな女の戦いが語れないでしょうか? この三日膝がいたくてあるくのが億劫だったこともあったのですがわたしとしてはのんびりふつうの暮らしをしました。本を二冊読み 買い物に行きカラオケも楽しみました。ぽっぽちゃんのお見舞いに二回行きました。テレビを見てあとははやばやと寝みました。.....でも、つまらない...生きている感じがしないのです。ほんとうに生きること いのちの充実とはどんなことなのでしょうね。わたしは欲が深いのでしょうか...。






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    R4を北上しました。ひたすらひたすら走りました。セルフのスタンドで給油してガソリン140円/Lは高いです。4号線沿線では137円から146円のあいだでした。石油のような生活必需品が投機の対象となるなんて世界は経済的怪獣に操作されている野蛮で未開の状態なんですね。

    ふしぎに神社が多いのです。4号線から参道が延びている...この参道が長いのは神域にいくまでの心と魂の調整のためなんだろうか、それとも産道ともつながるのだろうかなどと考えながら MACでピタ...ナンにエビとか包んだもの...を買って間々田の神社でひとやすみ....紅と緑の葉からこぼれる木漏れ日が美しかった。わたしは枯れ葉のクッションのうえに横たわり梢越しに青い空を眺めていました。娘が白やうすべにのさざんかのはなびらを寝ているわたしのうえに振りまきます。

    旅はつづいて宇都宮をぬける頃には山なみが手の届くところに見えます。空気もしんと冷たく澄んで東の空にはうっすら白い月....夫におみやげ...娘がみつけたスズメバチの蜂蜜漬け...を買って、ほんとうは一泊したかったのですが、古着屋さんをのぞいたりしながら帰途に着きました。夫とぽっぽちゃんのことが心配だったのです。可愛いピンクのコルベットをぽっぽのお見舞いにみつけました。アメ車にはゴージャスできらきらしい美しさがあります。あした病院かお見舞いのOKが出たら持って行きましょう。

    ...今日はわたしをささえてくれるふたりの娘とたまさか過ごす旅でした。喧嘩したり 遊んだり 歌ったり...真言...マントラの倍音声明をおしえて車のなかでやってみたりしました。箸が落ちても笑いたいとしごろ...オンコロコロセンダーリマトワリソワカに..途中でわらいころげてしまうのですが、足の裏がピクピクしてきて娘も身体があつくなったそうです。素敵なお店は車だとすっと通り過ぎてしまうのでファーストフードばかりでしたが秋の一日の旅は楽しかったです。(ローソンのつくねは美味しい、china製だけど) 

    あしたは春日部の社会保険事務所にぽっぽの保険証をとりにいきます。




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   ぽっぽちゃんは喘息で入院してしまいました。パパとママのためにそうなったのだろうと祖母のわたしは思っています。昨年からずっとつづいていた不協和音...それはふたりがあまりに若すぎたこともありましたが、それぞれの思考スタイル 行動パターンが違いすぎることも大きな原因のように思いました。話法がまったく異なることがそのなかでも突出していました。直接話法のT家、わたし以外は間接話法の我が家....わたしがストレートな話し方を隠喩暗喩によるソフィスケートされた話し方と併用して身につけてからそうはたっていないように思います。

   うちの子どもたちのある種のデリケートさはなんなのだろう....と思うことがあります。他者がたいせつ....というよりは他者からくるもの....反応から自分が傷つくことを怖れているように思うことがあります。....ですから息子のほうが必ずしも正しいとは思いませんでした。いつかお互いに理解しあえる時がくればよい、認め合い助け合って生きてゆければよい、夫とわたしのように...と願っていました。けれども旅行のあいだも連絡をとりながら 日曜日 駅まで迎えにきてくれたときには「もう いいよ。そんなに苦しいのならやめてしまっても」とつたえていたのでした。わたし自身が疲れ切ってしまったのもあったのです。

   .....それでも、それでも まだ息子はぽっぽちゃんに父親としてなにかしてやれることがあるはずだ、わたしが祖母としてしてやれることがあるはずだと土壇場では あと一度試みることを勧めてしまいながら ぽっぽが重い病気にでもならない限りともに歩いてゆくことはむつかしいだろうとも思っていたのです。太陽のようにあかるい子でしたが このごろは月のように翳を漂わせているのがいとおしく思われました。

   家族をしあわせにすることが最初のことなのだろうと思います。きのう 幼稚園で年少さんたちのまえに黒いマントであらわれて蝋燭を灯しおもしろい話をした魔女が泣くこともあるなんて子どもたちは考えないでしょうね。LTTAを受けてからわたしのおはなしはすこし換わり 注意深く子どもたちを見るように またやりとりのフォロウをしっかりするようになりました。年少さんたちとはこれから一年半、小学校によっては8年 つきあってゆくのです。...でもぽっぽのことははずうっとずっとわたしがこの世から卒業するまで見守ってゆきたいとねがっています。

   昨夜は友人からもっとパフォーマンス主体の枠をとりはずした自由なライブを関東近辺でひらこうよとTELがありました。じつはわたしもおとついから定期的に自分のパフォーマンスの場を持ちたいと考えていたので 来年の春あたりからスタートできるかもしれません。心おきなくその日が迎えられるようぽっぽとパパとママのためにわたしにはやれることがあります。これは神さまがくださったたぶんチャンスなのです。冬がおわってみずみずしく緑溢れる春がくるのがことのほか楽しみです。




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    11/4の三島の語りから18日のLTTAの終了日まで怒涛の半月でした。眠れなくて疲労困憊です。5箇所に宿泊しおおぜいの方とともに時間をすごしました。功なり名なり遂げた銀行主催旅の大学ツアーの参加者 語りを愛好するテラブレーションの参加者 あたらしい語りに向かおうという仲間と聴いてくださった方々 あたらしい教育を広めようとするスタッフと仲間たち....そのあいだに支払日 給料日 カタリカタリもありました。そして旅を終えて帰ると衝撃が待っていました。

   
   まずLTTAから……LTTAでは脳の発達の最新の理論と今後子どもたちが 生きてゆく実際の生活を基にして八つの方法と四つの段階を用いて授業を進めます。 脳科学の権威茂木先生もおっしゃっていましたが脳は体験によって発達します。新しい体験をするときシナプシスがつながります。このとき脳は実際の体験と想像による体験の差が理解できません。また感情がくわわったとき爆発的にシナプシスが伸びてゆきます。脳は単なる情報の収集より意味づけを好みます。…..語り・ストーリーテリングが有効なわけがこれでおわかりかと思います。


   最後に五年理科「めだかの発生」 算数「単位」リットル デシリットル 算数「倍数」 一年算数「時計(1日イコール24時間)」 一年生活科 のお手伝いなど アートの八つの方法をつかったLTTA模擬授業の発表がありました。 わたしたちのグループは五年算数 「Xをつかった式」にとりくみました。

模擬授業「めだかの発生」を紹介しましょう。
1導入 水のなかです 
ひとりひとりがちいさいめだかのたまごになってナレーションにあわせ発生を体現してゆきます。二日目背骨ができます。(ひとりひとり思い思いに音を出します)…目玉ができます。……心臓ができます()。くるりとひっくりかえります。14日目 たまごがわれてめだかが生まれます。そして泳ぎます。自由にすいすい…仲間たちを感じながら...

2アプリケーション
今 感じたことをひとりひとりが画用紙にクレヨンで絵に描きます。

3応用
2人でディスカッション、4人のグループになって絵を持ち寄り共通のテーマを考えます。それを静止画 またはムーブメントであらわし グループ発表をします。

4シメ
発生の段階 たまごから 成魚になるまで導入でしたことがパネルになっています。自分は今どこの段階にいるか確認します。
このように4つのステップを踏んで この授業では ムーブメント 静止画 絵を描くなどのアートをつかいました。わたしたちは生徒として参加するのですが、なにがってとても楽しいのです。 血管がどんどん伸びてゆく感じ 心臓が動き出すときの感じ たまごからとびだす開放感 とってもリアルでした。生命の誕生ばかりでなく無限性 永続性 つながり...を感じました。この授業ばかりでなく教科を超える授業が多かったです。わたしはいままでどちらかというと自分の方向性や力を信じてやってきたのですが、さまざまな真の個性のぶつかりあいやわかちあいでプロジェクトがどんどん豊かになる、また示唆されることが多いことを実感しました。こだわりをすて共同でひとつのものをつくっていくのはわくわくしました。

    二日目早めに豊洲を出て 桐生のテラブレーションに行きました。魑魅魍魎の語りで「朱雀門」を語ることになっていたのです。自分のオリジナルにしたかったのですが 時間がなくてテキスト通りで語ることにし 特急上毛号のなかでテキストに目をとおしました、相老のひなびた駅のまわりにはコンビニもありません。ようやくホテルに着くと宴会たけなわで大勢の友人と会うことができました。…..さてわたしの語りですが かなり悲惨でした。語りの神さまを降りていらっしゃらず すじを追うだけでおわってしまいものがたりを生きるどころではありませんでした、 数年前のコンサートホールにつぐ惨状で消えてしまいたかったですね。……..

   しかし ものごとにはすべて意味がある、わたしに気づくべきことがあったのでしょう。残りの人生にわたしはなにを賭けなにを求めてゆくのだろう....とラストステージを前にかんがえていました。妻として病と二人連れの夫にどう尽くすのか 母としてなにを子どもたちにわたすのか 経営者のはしくれとしてこの時代になにができるのか....みなとてもたいせつなことでした。....でもわたしは自分を知る喜びを知ってしまいました。音楽や語り、宗教や芸能の歴史 ひととのかかわりのなかで深いレヴェルで自分と向き合うこと ひとと向き合うことの喜びを知ってしまいました。それは語りを知ろうとしてはじまったことでしたが わたしは生活者として生きながらもっと未知へまた不可知の領域へ見えない世界 かってあった世界へと辿りたくてしかたがなかったのです。自分の視力と胆力ではとうてい行き着けないと知っていましたが、わたしはわたしの魂と心と身体が喜ぶこと望むこと震えることがしたかったのです。

   語り手としてなにを目指してゆくのか先生や友人の幾人かには漏らしておりましたが わたしはストーリーテラーでありたい以上にストーリーテリングやその他の方法をつかったファシリテーターとして進んでゆきたいという気持ちを今強く持っています。語り・ストーリーテリングは強い力、原初的な力を持っているのですがそれ自体では限界があり もっとひとの 子どもたちのとびらを叩くために身体的なワークや他のアートをつなげ組み合わせたらその効果は計り知れないものがあります。いまかかわっている障害児のクラスやデイケアにもLTTAはうってつけですし、LTTAに足りないものをひとつふたつ付け加えることもできるように思います。....たとえば呼吸とか....

   出発点であった語りについては創作を語ることをベースにしてゆこうと思います。カタリカタリで語った「サイパンの青い灯赤い灯」は手ごたえがありましたし 三島での語りもそうでした。創作ではことばを身体につぎ込み身体とひとつにするという作業がほとんど不要になります。….かといって創作に時間がかかるわけでもなく降りるときにはあっという間にその場でできてしまう….それは時間が足りないわたしにはうってつけですね。そしてテキストにしないでそのまま語れば即興です。

    曲がり角とはひとつの峠のいただきにいるようなものかなとも思うのです。いままでの労苦が実る いままで実は眼前にあったのに見えなかったものが見える....するとどちらをさして進むのか足の方向が決まります。9日の旅の終わりに手にしたものはあたたかく深くまた苦いものでしたが、わたしは自分のなかであたらしい希望が生まれ命が甦るのを感じています。視界には遠く山の波、雲の波がつらなっています。さぁ 歩いてゆきましょう。まずは五年一組のためのプログラムを立てましょう。....教訓もひとつ得ました、「己の精神の限界を語るな されど時間と肉体の限界を知れ」byLuca すべて引き受けてよいものでもありません。そして家族をもっともっとたいせつにしなくては...ぽっぽちゃんがいつもわらっていられるように...





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LTTA  


    LTTA第二期第一日目がはじまりました。今回の講師はカナダからきたケイトさんとコリンさんです。 とてもスリリングで゛エキサイティングな講義でした。清澄白河のホテルのパソコンは気が狂いそうなほど使い辛いので思うようにかけませんがケイトの理論がすばらしかった。LTTA ラーニングスルジアートはホリスティックに学ばせようとする試みです。今 子供たちはバラバラな知識を詰め込まれそれらを自分自身で組み立てなくてはなりません。本来数学も化学も生物や言語もすべてつながっているものですし 身体と心と感覚と知識や知能もつながっています。ひとは身体や感覚をとおして体験し学ぶものなのです。

    ホリズムは今教育の分野だけでなく医療や 科学、ビジネスなど他の分野にも広がっていて21世紀の基本的パラダイムを形成してゆくだろうといわれています。

   サンタフェの研究所で巨大なコンピューターによって雨粒や人の動きなどあらゆる動きを解析したところ非常に美しいあるパターンが浮かんできました。それはかたつむりのカラや種子が目を出すときの動きとも共通するものでした。これは複雑系という新しい学問ですが LTTAの授業をのときの子供たちの動きにもこのパターンが見られるのだそうです。そこでストーリーテリングですが、「科学にも物語性が必要である」すなわちストーリーテリングの文脈で学ぶことが必要であり、医学もまたストーリーテリングだという考え方がひろがっているのだそうです。患者は困難な旅に出た英雄であり病気にいたる前も含めてパ-ソナルヒストリーとして考える、身体的な部分だけでなく感情レヴェル..おそらくストレストラウマも含め家族構成 生き方も含めて考えるということなのでしょう。

   ビジネスにおいても経営者は物語を学ぶべきだという考えが起こっているそうです。ストーリーテリングはLTTAにおいて音楽 ムーブメント 文学にならぶドラマの一部分に過ぎませんが とても脚光をあびているようですね。...しかしコリンさんが日本の芸能のコピー性について語っていたのは耳が痛かったです。伝統芸能の型については若干誤解もあったのであとで僭越ながらレクチャーしましたが アートとはコピーではない 即興的なものであるという考えには共感しました。

   必要なときに必要な水と光をいただいてわたしは雨上がりの草花のように元気になりました。もっとたくさん伝えたいことがあるのですが今日はこれくらいで.....。


    

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   朝 地方の友人と話していたとき「イベントで東京に行って語りを聞くと根っ子がないなぁと感じるのよ」といいました。「でも 勉強して上に行こうという意欲がすごいし刺激になる、そしてわたしたちの語りの根っ子がわかるの」わたしは一瞬ことばをうしない 「そうかもしれないね。。」と答えました。

   北陸旅行で夜の闇の濃さ、朝の静寂、山あいから湧く雲 朝日を翼に受けて飛ぶ鴎 群れ咲く白菊を見たとき 自分を含めて都市の語り手の語りはなんと自然から離れてしまっているのだろうと感じたこともあったからです。

   けれども 昼間 目黒鷹番のカフェでやすんでいたとき そんなことはない、たしかに山や川、田んぼや村の神社そして伝説がまだ息づいている地方の語りは生活に根ざした大地に根ざしたものであるかもしれないけれど わたしたち都市の語り手にも根っ子はある。いや その『根っ子』を捜し求める希求こそが語りをし学ぶ原動力でもあるのではないかと思い至ったのです。

   三代つづいた生粋の江戸っ子でない限り、都市生活者はかって地方にルーツがありなんらかの事情で故郷をあとにしてきたひとびとです。年月に洗われて故郷の山河とのつながりは希薄になっていましょう。かといってアスファルトに固められ夜なおあかるくエアコンで冬暖かく夏涼しい季節感のうすい都市の暮らしで自然とつながる感覚を抱きつづけるのはやさしいことではありません。住んでいる土地に愛着を持ち風習や行事に寄り添って生きることもむつかしい、そうしたこまごまとした行事は都市では廃れ起源すら曖昧になることが多いのです。.....かようにわたしたちはある意味で根無し草かもしれません。

   さりながらひととして生まれたからには 父母、祖父母 曽祖父曾祖母そして先祖に連なる系譜をわたしたちは持っています。もっとさかのぼれば有史以前から連綿とつらなる人類の歴史の一端にわたしたちはいるわけで それをおもえば三代やそこらなんということもありません。....わたしたちのDNAには戦国時代も室町も縄文時代も刻まれているはずです。前世というものがあるならば 日本ばかりにいたわけでもない....わたしたちの膨大な無意識野にはどれだけの『根っ子』が眠っていることでしょう。

   ものがたりを拠りどころにしてそれらの圧倒的な記憶を呼び戻していくことができるのではないでしょうか。それは個としての自分、家...というものの中の自分、社会のなかの自分、歴史のなかの自分を知りつながりをあきらかにしてゆくことにもつながってゆきます。『根っ子』とはまず自分の確立でありなぜここにいるのか、なにをなすべきかの永遠の問いかけでありつながりの確認であって三次元的な空間だけをさすのではないことはいうまでもありません。

   ....語りとは癒しだけではない、楽しみだけではない もとをただせば生きるうえの智慧 より高きところからのメッセージを伝える手段でもあったわけです。...かってはそれはあたりまえのことでしたし 祭祀のなかに生活のなかにあざやかに息づいていたのだろうと思います。ゆえにこそ今もひとを癒すことが....可能なのでしょう。

   .....都市の語り手はくじけることもないし 引け目を感じることもないのだと思います。地方の語り手も同様です。 地方の語り手も都市の語り手も交流をもっとたくさんして互いの立場を知り理解しあっていけたら....それにしても都市に住むわたしたちは闇の濃さを朝もやからうかびあがる山容 谷川のせせらぎ 春のおとずれとともに一斉に咲き乱れる里の春 土地の神さまと風物や行事の切っても切れないつながりを...知る必要があるかもしれません。


   コピーアンドペーストでない語り....観念でない語り....生き生きと息づく語りをするために.....




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   夕べ 往年の名画「ロミオとジュリエット」を観ながら悶々としていました。昔あんなにおとなびてうつくしく見えたジュリエットのなんといじらしくおさないことでしょう。歳月はこんなにも見方を変えるのだ....と香箱蟹(北陸の小さな蟹)をつぎつぎと平らげながら思ったことでした。.....わたしは精神的に落ち着かないと食べ物で埋めようとする傾向があります。逆に仕事や語りに夢中のときは食事は眼中にありません。...厄介な性分です。

   落ち着かない原因は翌朝...すなわち今日のA小の知的障害、情緒障害3クラス合同のためのプログラムが決まらないことでした。...3時過ぎてままよと寝てしまい目覚めてすぐ学校に向かいました。校長先生が待っていてくださいました。14.5名の子どもたちと3人の先生と校長先生もまじえて ボールをつかったゲームをします。さまざまなヴァリエーションはデイケアやおはなし会のなかで自然とできあがったものですが、様子を見ながら ひらめきで変化させことば遊びもまじえてゆきます。

   やはり 子どもたちのようすを見ながらあぶくたった 煮え立った♪をしますが鬼になりたい子たちのためにひとりずつ4回くりかえし 腐ったあずきをゴミ箱に捨てます。最後は柳のおばけぇ~....これを2セット 子どもたちはたいそうリラックスして楽しんでいましたがヒートアップしすぎたので 横になってもらいアレクサンダーテクニークにヒントを得て脱力と身体に感謝するワークをしてみました。.....じっとしていることが苦手な子が幾人もいるのですが しだいに静かになり15分もたつとシーンとしてみなは空の上....しばらくして地上にはっきり戻します。これはたいへん重要なことなのです。

   そのあとでベリットさんから聞いた「ロバの王子」のおはなしをしました。息づかいが聞こえるほど みんなおはなしに集中してくれてわたしは鳥肌がたつようでした。情緒障害の子どもたちはおはなしを静かに聴くことが得意ではないからこんなことははじめてでした。....なぜロバの王子を語ったのか....聴いたことがある方はおわかりだと思います...昔話には深い意味があります....終わったあとシェアリングをしました。...あぶくたったの意味を先生方もはじめて知ったそうです。脊髄について説明もし 子どもたちは静かに聴いてくれました。

.......わたしは直感があたったことをうれしく思いました。わたし自身 癒しを求めていました。魂鎮めと魂振り...生き生きと生きるために模索してきて 気がつくと心理学に根ざしたワークやスピリチュアル系のワーク アートによるワーク 生理学などに根ざした療法などを受けてきたわけですが そのなかでもっとも納得がいき安全であることを確信したのがボディワークだったのです。それらのワークとストーリーテリングを組み合わせたらなにか変化が起きるだろうと思ったのですが これほどドラマティックな結果とは思いませんでした。校長先生は子どもたちのひとりひとりが自分を出していることに驚かれていました。先生方も楽しかった、発見があったとおっしゃいました。


.....でも たぶんいちばんたくさんの喜びと気づきをいただいたのはわたしです。Kちゃん Mちゃん Nちゃん Hくん Rくん Yくん みんな ほんとうにありがとう! これからも楽しみましょう。みんなでとびらを開けてゆきましょう。朝の時間と一時限をつかって デザートというより主食に近いものになったのではと思います。わたしのあたらしいもうひとつの道がようやくかたちをとりはじめました。




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   立冬も過ぎた小寒い午後、文学を語る語りの会に行きました。 なぜ、朗読ではなくて語る...のか それが明確でないと文学を語る意味はなくなります。それぞれご自分が好きでどうしても語りたい文学作品を語られたそうですが、力いっぱい語られた日本の小説の数々に....わたしは引込まれてしまいました。 翻訳ものはむつかしい....です。説明が多くなるとかえって香りのようなものが消えてしまうように思いますし 翻訳独特のことばまわしに気持ちがついてゆけないことがあるのです。

   文学作品の語りは.... 下手をすると述べて....しまう、反対に感情が過剰になるときもある またその作品の持つ語り口にあわせる必要はあるはで、語り手の力量がはっきり出ます。抑揚、アクセント、文節の区切りなど 基礎的な素養を学び地力をつけるにはとてもいいと思います。わたし自身は文学作品に手を入れることはあまりしないようにしておりますが、再話の力をつけるのにもよいですね。....しかし朗読でもそうなのですが 語りではことに完全に作りすぎると 聴き手が入っていけないように思うのです。

   茶室や能舞台は簡素で装飾がありません。観るものの想像力によって時間、空間を超える無限、夢幻の世界がひろがるのです。.....わたしはいい語りもそのようなものだと思う....いかに聴き手の心をうち聴き手の想像力をひろげ聴き手の深き淵に降り立たせ また天上に連れていけるか....世阿弥の言うように上手の先にそれはあるように思うのです。...もしかしたら一音の響きのなかにこそあるのかもしれません。もちろんこれがひとつの考え...ひとつのアプローチに過ぎないことはいうまでもありません。....圧倒的な力で奔流のようにものがたりの岸辺にいざなっていただけるならそれはそれでどんなにうれしいことでしょう。


   冬の一日、いい語りを聴いて自分の語りを考えるきっかけをいただきました。....語りたいですね...岩を穿つ一滴一滴の水のように 滔々と大地を潤す河のように....桐生のテラブレーションで語れるかどうかわかりませんが...心したいと思いました。ひとり駅のスタバでホワイトチョコカフェを飲んでいたら湯気の向こうに友人の姿があって 想いを同じくするもの同志 語りあいました。





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   能登はとりわけ因縁の深い土地のように思われます。七年前...たった一度のパーソナルストーリー「月の公園」で語ったようにわたしは自分のもっともやはらかなみずみずしい心を能登に置いてきてしまったのでした。昨年RADAで一週間金沢に滞在したとき、ワークショップのあいまに七尾まで行ったのですが...そこでわたしが30年前、真冬に降り立ったのは穴水であったことがわかったのです。...わたしはまだ公園で彷徨っているであろうわたしをいつか必ず迎えに行かねばなりません。

   今回の旅は能登半島のちょうどその七尾あたりまでの旅でした。8日 上越新幹線から越後湯沢で「はくたか4号」に乗りました。一昨年 RADAの帰り櫻井先生と落ち合って高岡の神保さんの主宰の会に語りに行かせていただいて以来です。わたしは在来線の特急がじつはかなり好きです。そこから南砺の相倉合掌部落に向かいました。村の広場に迎えにきてくれた民宿「三五郎」の....おさだおばちゃんを彷彿とあせるあるじに導かれて着いたのは三層の合掌造りの家...家の前にはこんこんときれいな水が涌いています。

   湧水に恵まれたこの地のごはんのおいしかったこと 囲炉裏で焼いた岩魚のおいしかったこと 滋味ゆたかないものつるや固豆腐、山うど。地酒もまこと身体に染み渡りました。夜 懐中電灯をたよりに五箇民謡を聞きに行きました。有名なこきりこ節は田楽から発祥し...後醍醐天皇の御霊送りのときに奏上され 五穀豊穣を祈ったとか....こきりこささらを手に狩衣姿で踊るこきりこ節に目も耳も奪われました。

   朝まだき やまあいの村を歩きました。御堂の足もとに群れ咲く白菊 山に入らせまいとするかのように乱れなびくすすき...つつじの娘が語れると思いました。そののち 金沢能楽堂に向かいます。音楽堂の総合プロデゥーサーをなさっている先生は埼玉の川口から通っておられるそうです。その説明によれば....明治時代 日本の代表的な芸能が猿楽という名ではまずいということから能楽になったとのことでした。期せずして田楽、猿楽、能楽の流れを見せていただいたわけです。それから「仏師」という狂言に大笑いして兼六園へ向かいます。兼六園では松に恒例の雪吊りが施されていました。

   疲れたわたしは同行のみなさんと別れ カフェに入りました。先客の水際立った美貌のひとがひがし町のお茶屋「華羅屋」の女将だったのです。金沢には格式の高い東のほかに主計町にも御茶屋があります。この写真は東町です。お茶屋街には風呂屋が三軒ほどあってそのうちに一軒はカフェに改造されていましたが 二軒はまだ営業していました。お姐さんたちは紺の暖簾をくぐって湯屋に行き神社やお寺さんに手をあわせ後生を願いお商売に励んだのでしょう....

   遠からぬ立山連峰にも弥陀ヶ原があるそうです..連子窓やお茶屋の磨り減った框を覗き見ると遊女の悲恋を語った...「弥陀ヶ原心中」が思われました。そのあと向かったのは能登一ノ宮気多大社です。2100年の歴史があるこの神社のうしろには入らずの森という禁断の聖域があり 3500年前のまま?なのだそうです。奥宮がある...ということはこの森そのものがご神体なのかもしれません。古い神社では山そのものがご神体であることが多いのです。この宮司さんも偶然さいたまの方でした。また、ここの巫女さんたちは他の神社とくらべてどこか違うように感じました。凛として匂やかでした。

   この日の宿はプロが選ぶ日本の宿連続一位....おもてなしの宿加賀屋です。ふかふかの座布団が二枚重ねになっていて座るとこけてしまいそうです。お部屋係の利美さんは生き生きとした笑顔のとても親切な女性でした。....けれどもわたしは民宿「三五朗」のせんべい布団と囲炉裏がなつかしかった。ほんとうのおもてなし ほんとうのサービスってなんだろう...と同行の母に問いかけましたら「真心じゃないの...あのおばちゃんには真心があったよ」というのです。...とたんにわたしはお茶屋街のちいさなお寺にかかっていたことばを思い出しました。....体温のあることばは聞くひとの心に響く....というようなことが書かれてあったのです。かたちではない体温のあるサービス かたちではない語り....。

   翌早朝 港の突端に出て思い切り声を発しました。藍色の日本海と灰色の空.....群れ飛ぶ海鳥....鳶が悠然と空を切ります。....空飛ぶ鷹にゆだねたるわが名コルマックの名の力で 君が心を引き裂かせよ♪ わたしはクレヴィンの竪琴を歌い語っていました。....からだと心と魂で語る....そのほかにもうひとつ忘れてはならないものがあるように思います。...それは自然です。...ものがたりは大地に根ざしたもの....光と闇と風と...森と山 川と谷間 水と火とひとびとが織り成すものなのではないでしょうか....やがて雲の縁が黄金に染まり 長い時が経って突如太陽が躍り出ました。一分にも満たない時間でしたが 海上にひとすじ金色の道が出現しわたしの足元の海面からはるか水平線..までどこまでもつづいていました。

気多大社 

能楽堂  

加賀屋  

茶屋街  

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   ようやく覚悟がつきました。小学校でうち合わせをして食育についてのパネルシアターを参観日にすることが決まりました。シアターゲームをとおして子どもたちの心を開いてゆく試みもはっきり決まりました。とてもむつかしいクラスを受け持っておられる担任の先生が 子どもたちの前にわたしが立つと子どもたちがピタッととしずまり おはなしに集中するようすを不思議がられたことからはじまったのです。

   ものがたりを語るだけでなくファシリテーターとしても役立たせていただきたいと思い あらたに一から学ぶつもりです。語り手としてひととして往く方向に啓示をいただいたように思います。なにかを好きだということも才能だと友人がつたえてくれました。語るということはわたしにとって賜物であると同時に召命なのかもしれない。それならつたないながら天の意...みこころ...にこたえよう。(ルネサンス記載)優柔不断で牛のように歩み遅いわたしですがようやく明確な目的と意図をもって歩き出せそうです。

   岐阜に行きまして緋色と金色の落ち葉をたくさんひろってきました。子どもたちにおみやげです。なにかつくれないかな...と思案中....。



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   三島の公演が終わりました。.....その朝 わたしは4時まで眠ることができなかったのです。.....とても疲れて傷ついてしまったわたしがいて ボロボロになっているのだけれど 強くなくては 負けてはいけないという表のわたしの影で泣くことさえ忘れていました。 いつも強い振りをしてしまう。。。体は正直だから 十二指腸潰瘍や湿疹 咳をとおして..もうやめようよ...とわたしに働きかけていたのでしょう。

   ....子どもたちの部屋をひさしぶりに掃除して...わたしは娘の部屋に娘の夢のかけらがたくさんこぼれているのに気がついたのでした。娘は自分のことをそう話しません。けれども 本、雑誌、壊れたパソコン 母であるわたしが娘に買い与えた袖をとおさないままのブラウスやセーターが雄弁に娘の気持ちを語っていました。わたしは娘にずいぶんと頼ってここまできたのだけれどその信頼を支えにここまできたのだけれど....娘のはじけてしまった夢 絶望 かすかな希望の残滓がそこにあって...わたしは泣かずにいられませんでした。

   夫の紋服が何ヶ月も畳みもされないでかかっていました。これでいいのだろうか。仕事のほかに語りを続けるのはわたしのわがままなのだろうか。胸のうちにはいつもわだかまっているシコリがあったのです。....

   
   三島の丸平カフェに着いたとき 田所さん 末吉さんがほこりだらけになって会場設定をしていました。田所さんはわたしのために咳止め用の特効薬をつくってきてくれました。わたしは熱でぼっーとしてカシミヤのマフラーをどこに落としてきたかもわかりません。さがしにいくとひとつ先の駐車場のフェンスにかけてありました。だれがひろってくれたのでしょう。蔵の入り口に友人の慶子さんから心づくしの花かごが届けられていて大輪の百合がわたしに微笑みました。修善寺の友人が目で挨拶を送ってくれました。

   続々とお客さまがお見えになり 蔵はいっぱいになりました。....そして公演がはじまりました。田所さんの長谷卿のはなし 末吉さんのコクマルカラス そして雪女 おさだおばちゃん おふたりのタンデム語りラン.....長谷卿の別バージョンをわたしも語りますのでとても興味深かったです。コクマルカラスはトム・ムーアが牢獄からカラスを逃がそうとするところがとてもすきです。.....コクマルカラスは今までの参加型とはひとあじ違っていました。そこには人生が色濃く語られていました。参加型...じっさい聴き手は語りに参加しているのですが....もっと踏み込んだ参加のかたちがさまざまなジャンルで考えられていい.....先駆者の末吉さんのあとにつづく語り手があらわれないかなぁと思います。参加型の語りは聞き手をひとつにして温かくします。

   メガネをかけた雪女はまずいかな...とはずして語りましたら聴き手のお顔が見えなかったので 後半のおさだおばちゃんはでライトをすべてつけていただきました。お顔が良く見えて聴き手のみなさまがひとつになって聞いてくださっているのがよくわかりました。笑ってくださった 泣いてくださった いっしょに生きてくださった ありがたかったです。おわったあとからっぽになってわたしは呆然としていました。おわって次の語りが始まる前にそそくさと帰られた方がいて気になったのですが、あとでスタッフの方が「おさだおばちゃんを聞いておいてきたお姑さんが急に心配になって変えられたのです」と教えてくれました。....なぜだかほっとするようにうれしかったです。その方の後姿がやさしく浮かびました。

   タンデム語りはふたりの意気がぴたりあって気持ちよかったです。子猫のランが「わかりました。 ぼく いきます!!」その声に命がこもっていました。そのことばに末吉さんの気持ちが入っていて 今のわたしに強く響きました。ランが生きることの意味を知ること、友だちである魚を食べて魚といっしょに生きる….末吉さんはこの語りをあちこちの学校でなさっているそうですが ランといっしょに悩み決断し走った子どもたちはしあわせだなと思いました。

   今回の公演で わたしはたしかになにかつかみました。一般の聴き手のみなさんはわらいたいのです。ほっとしたいのです。感動したい….泣きたい…..揺さぶられたいのです。……語り手は.自分の語りたいものを語るしかないのですが 実験的なこともとりいれながら ひとの琴線に触れるものがたり…….わたしはことにさまざまな日本のものがたりをやさしい平易な自然なことばで語ってゆくことを目指してゆきたいと思いました。ずいぶんと肩に力がはいっていたのかもしれません。
    
    いくつかの手違いがあり困っているとき 隙間に水がしみこむようにさりげなく受付や照明 扉の開け閉め 撤収などきびきびとてつだってくださった子どもネットワーク他のみなさん、ありがとうございました。田所さんの日頃の活動の豊かさ 層の厚さがわかりました。足をはこんでくださった聴き手のみなさん ありがとうございました。また、きます……あぁいうおはなしを聞かせてください….と送り出しのとき言ってくださったみなさん……わたしたちもまたきます。来年4月にお会いしましょう。

   会場のカフェと折半なので手弁当なのですが カリャックヒャリャックの魔女たちはそれぞれが宝物をみつけほうきならぬ新幹線や自家用車で家路を急ぎました。わたしはなんとか折り合いをつけ そそくさと家事をし子どもたちに今してやれることをして夫に寄り添って 仕事と語りをしてゆこうと……できるかしら……できますとも…..家族や友人に支えられ聴き手のみなさんに力をいただければなんだってできる….と思えるほんとうにしあわせな夜でした。


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   二ヶ月振りに昴の演出家永実子さんに会いました。8/29?のワークショップ以来です。永実子さんに来年度の企画 ワークショップ・講座への支援を依頼しました。昴には永実子さんヴォイストレーナーの山本さんをはじめ 素晴らしいスタッフが揃っています。

   さてワークショップや講座に参加することの意味はなんだと思いますか。.....知識を得る? テクニックを覚える?.....たしかに.....けれども、たった2時間や3時間の参加でどれだけ変われるでしょうか。 わたしは気づくことだと思うのです。....ひとつは多様な考えを知る。たとえば発声にしても十人のヴォイストレーナーがいれば十とおりの方法論があります。そのなかで自分にあった方法がみつかるはずです。もうひとつは自分を知る。....足りないところも長所も含めて自分の持っているものを理解し くせをなおし長所を伸ばしてゆくきっかけにする.....与えられる場ではなく学び方を学ぶ場所なのです。

   ワークショップ・講座の企画・運営者そして講師には責任があります。それはすべての参加者に平等に豊かなきっかけとチャンスを与えること....シェアリング.....そして過大なプレッシャーは与えないことでしょうか。

   終わったあと タイ料理屋に繰り出して美味しく 楽しい時間をすごしました。数ヶ月振りに若い役者さんたちに会ったのですが、みんないい顔をしていました。人間的にも豊かになっている子たちが多かったです。芝居はひとを磨くのだなぁとしみじみ思いました。.....語りはどうなのだろう....もし、磨かれてゆくのならその方法は間違っていないはずです。.....なぜなら芸能のおおもとはそういうものだからです。

   夫が呼んでいます....語り継ぐについては後日.....




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雪女  


    4日に三島で語るのは「雪女」と「おさだおばちゃん」....これらふたつのものがたりはわたしの原点の原点である。雪女を語ったのは7年前のこと、アサヒテレビのアナウンサースクールのカルチャークラスの発表会「九つのものがたり」をコア石響でしたのがはじめだった。もっともサリンジャーの短編集みたいなタイトルの発表会の前に教室で語ってもいる。

    雪女はテキストを覚えて語った最初のものがたりでわたしは二ヶ月のあいだ 熱に浮かされたように毎夜毎晩 語りつづけた。ストーブの前で、お風呂のなかで、空を見上げながら雪が際限なく舞い落ちる道端で語った。栃木の山奥 雑木の山が見る間に白くなってゆくのを見たとき戦慄した。...これでやっと語れると思った。家のなかで練習しているとき 空から雪が舞い落ちるのわたしはたしかに見た。肉の目でみたのかほかの目で見たのかわからないが....。

    おさだおばちゃんはそれと反対にテキストなく生まれたものがたりである。四年前 語り手たちの会研究セミナーに向かう電車のなかで宿題をしていないわたしはノートの切れ端にメモを走り書きした。裁判沙汰で遅れていったので着くとすぐに語ることになった。...ものがたりはよどみなく..破綻なく明治から平成を生きたひとりの奔放で身勝手でだけれど男気のある女の一生を語るわたしの意志とは関わりなく自ら意志持つもののように伝えていった。

    このふたつのものがたりは語ることのふしぎをまざまざと体験させてくれたのだ。....わたしが語るのではないのだということ。..語り手はゆるされて語るのだということ。イメージを明確に持てば持つほど ものがたりは生き生きと息づくのだということ。....そしてそこにすでにわたしの語るテーマのひとつがあった。母であること 妻であること 女であることの相克というべきものが。....ものがたりにはたいてい葛藤がある...その葛藤が昇華しおおもとに帰一する、あるいはなだれ込む...そこにドラマがある。

    雪女を語る語り手は多い。けれどもわたしはわたしの「雪女」がいちばん好きだ。たいていの語り手は口では言えないけれど内心そう思って語っているのではないだろうか。それは語り手の心意気というものでもあろう。フジコ・ヘミングさんが語ったことばが今も心に残っている。「....めちゃくちゃなラ・カンパネラ....だけどわたしは自分のラ・カンパネラが一番好きなのよ」....



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