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Freedom is Not Free

2014年09月11日 | 日記

 今日は9月11日。

 ニューヨークのマンハッタンの上空に浮かんだ昨夜の月は目玉焼きの大きな黄身のようであった。都会のビルの夜景は平和で、数多くあるビルの窓から明かりがこぼれ街は明るく賑やかに輝いていた。一本の水色がかった光の光線が雲を突き抜けて真っ直ぐに伸びて、夜空の遠方の闇に吸い込まれている。光線は追悼の光で、光の源は嘗てのツインタワーが聳えていたその場所である。 

 2001年9月11日の衝撃的な惨事の直後に悲しみを戦意に置くことによって、報復と言う形でテロに対する戦争が始まった。アメリカはアフガニスタンへの進行を正当なものとし、世界の国々から同意を得るに至った。この時に僕は本当に恐ろしいものを感じた。その恐怖は衝撃的なビルの崩壊映像や中東の荒野で訓練にはげむビンラディンの部隊では無く、戦争というものがこうやって(計画され)執行されるのかを生活の中で見たからである。

 

 自由を得る為には犠牲が伴う、という意味合いがあるこの文句はワシントンDCのコリアンワーメモリアルに隣接した大理石に刻まれている。アメリカは数多くの戦いを経験してきた。1776年の独立宣言は英国統治からの離脱の為の独立戦争(1775-1783)の中で宣布され、建国当時からアメリカでは戦争であったのだ。そういった経緯は FREEDOM IS NOT FREE そのものであった事を感じる。

 しかし、いつの時代からだろうか?おそらく僕が生まれた後の時代のアメリカの戦争は FREEDOM IS NOT FREE の権威が落ちてしまった気がする。それに変わるものは国益やビジネスではないかとも思う。

 911に元を発したテロとの戦いとはグローバリズムのピークではないだろうか?中を開けて見ると混乱しか存在しない。FREEDOM IS NOT FREE はアメリカを離れた。むしろアメリカが進行する貧しい小国や部族の手に渡ってしまったのかも知れない。

 9月11日は、FREEDOM IS NOT FREE を考える、そんな追悼の日でもある。

 

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