ここに一台の美しい自転車(ロードレーザー)がある。
この自転車は展示品ではあるが販売品ではい、この自転車の存在は象徴品である。
Prius x Parlee
プリウスを自転車にしたらこうなるっていう、抽象的な表現である。
いったい何が言いたいのだろうか?
それにしてもこの自転車よく出来ているなぁ...。
しかも美しい...。
素材はおそらく、カーボン?かな。
...これをプリウスに例えると言葉にしたらどう表現出来るのだろうか?
...
僕は選択の時代だと思った。
ロードレーザーは1/4世紀程昔ははクロモリパイプの全盛期でイタリアなどの工房でベテランの職人が、ラグ(パイプをつなぐ金具)をヤスリで削り、肉抜きといってそのラグに穴を開けてカッコ良くしたりするのが当時のトレンドだあった。その当時から今日まで素材が変わり、製作方法も選択が増えた。個々のパーツは洗練されて、切磋琢磨の競争が展開されてきているのが今日である。
つまり、自転車は自転車である、これに変化は無い。また、ダイヤモンドフレーム構造もその基本には変化が無い。
じゃー何が変わったのか?
部品、そして素材が変わった。人によっては進化と表現するかも知れない。
...これがプリウスの存在を形容していると思われる。
プリウスという名称は、
ジープと言えば4x4を象徴するように、ハイブリッド車を象徴する名詞になるかも知れない。
...
しかし同時に、
現在人はめまぐるしく変わる時代の変化の中で物に対する価値観を整理する時が来ているのではないだろうか?
日本の戦後のコミュニケーションの発達を見てみても、
遠方の人と人の連絡は電報や郵便であった。
やがて電話線のインフラが整う。
ファクシミリという便利な物が...。
回線インターネットが、ワイヤレスネットが、ケーブルが...。
携帯が、
スマホが、
4G?
...次はテレパシーか?(笑)
と、この半世紀の間に目まぐるしく発展した。
役者は揃ったのかもしれない、後は各自の選択だと思われる。今後自動車が更に進化しても、自動車は自動車であるならば選択幅が増えるという現象として捉える事が出来る。
人々は心理的に選択が増えると選択を拒む傾向にある。よって、皆がいいというものが(で)いい、と選択の幅を縮めてしまう。時として人々は時代に流されているーっ、て嘆くけど実は、自分で選んでいるんだなぁ。
即ちプリウスの時代というのはその現象に気付く時代だと思っている。
...
同時に展示された自転車から、
今後は、自動車から自転車への選択も有りですよ!...と言う声も聞こえる。(笑)