今週の最初に時間を作ってお墓参りに出かけてきた。
6年前の3月の事だ。僕の友人が音楽の仕事で日本に出かけていた時に、アメリカで夫の留守を守っていた彼女は突然倒れて意識を失い、そのまま還らぬ人になってしまった。彼女は今、ニューヨークの郊外の緑豊かな環境で眠っている?
時間が過ぎ去るのはあっという間だ、こうやって故人の想いを語っていると不思議と時間が過ぎ去ったという事さえ忘れてしまう。
お墓を訪れた当日の空は曇り空であった。両手を合わせて想いを送っていると額に暖かい光を感じた、雲が千切れてその隙間から太陽が光を届けてくれたのだった...。
友人が無心で墓石に水をかけている間、僕は脇に立ってその光景を眺めていた。
その墓石の上を流れる水を見ながら感じた。人の魂は水のようである、と。空の水、地の水、水は地球を(宇宙も?)循環する。人の魂も循環するのだろう、と視線を空に向けたのだった。
...
当日、彼女は僕に一つの事を教えてくれた、それは人生感である。死に対する考え方であった。
死というのは恐れるものでもなくやがて誰もが経験する否定できない運命である。それはいつ、どんな形で訪れるかは分からない。だからこそ死をを意識して暮しなさい、と。
んーん、なんか怖い?(笑)
いいえ、怖くなんかありません。こーいう事です。
人生の今の時点から未来の死を見つめて生きる生き方から、
死の時点から今を見つめて生きる生き方をしなさいと、いう事でした。
時間が過ぎるというのは現象であり、感覚である。
つまり、明日死ぬと思って今日を精一杯生きる(ろ)、という事です。
春の訪れと共に咲き誇る連翹の華、花言葉は希望である。
英語では、ゴールデンベル と呼ぶらしい。