![]() ★〈教育コミュニティづくり〉ノート ~学校・家庭・地域の連携・融合・協働、すこやかみなみネットの実践~ ★今度……というか、きょうから、この「〈教育コミュニティづくり〉ノート」を始めることにした。 「ノート」とあるが、「メモ」とどちらがいいか少し迷って、「ノート」にした。 実際は「メモ」に近いと思う。 格好をつけて「ノート」にした。 「格好」をつけなくてもよくなれば、「メモ」に戻すつもりだ。 ★何度か触れたことなのだが、先月(10月)の講演から、講演の準備の仕方を変えた。 僕の講演のテーマは、「知的で楽しい授業をめざす教師修業」か、あるいは「教育コミュニティづくり」か、このどちらかだ。 どちらにしても、10年、20年、30年……、ホンマ、気の遠くなるほどの、長いストーリーだ。 「教育コミュニティ」など、思い立ったからといってできるものではない。 だから、これまで、この「長いストーリー」に(忠実に)沿わせるカタチで、講演のプロットを組み立ててきた。 今回、これを変えた。 「長いストーリー」をいったんバラバラにした。 バラバラになったカット画面、あるいはショットを、ベタベタ並べ、プロットを組み立てていった。 で、何が変わったのか?……については、まだきちんと考察していない。(ここが、ま、僕の、人間としてのいいかげんなところだ。) 今の話に関して、結論だけ書くと、「バラバラの画面」=「ノート」ということになる。 だから、先月(10月)の講演準備過程を、ブログ化する……といえなくもない。 いえなくもないが、それでは悲しすぎる。 「講演」とは別のプロットを創出していきたいと考えている。 ★〈地域情報交換会〉(スライド№19) 平成17年(2006)7月11日、第1回地域情報交換会の開催。 イコール、すこやかみなみネット結成式。 さきほどもお話ししたように(←講演では)、「脆弱な組織」だから、地域の各団体の方々が集まってくれるかどうか心配した。 うれしいことに、全員、出席してくれた。 「これまで諸団体が集まる飲み会はあった。でも、真剣に議論する場がなかった。」 「自分たちの苦しい活動状況を伝えることができる。自分たちの願いを伝えることができる。」 緊張が前面に噴出した、実にぎこちない情報交換会だったが、諸団体の方々はたいへんよろこんでくれた。 この「情報交換会」での(隠れた)ポイントは、「教員は全員出席」ということだ。 校長、教頭、教務主任、生徒指導主任等が出席……という話はよくあるが、それでは、たぶん何も始まらないだろう。 なぜ「教員は全員出席」なのか? 粗く、2点ある。 1点目―― 日本は長いスパンで、学校教育、家庭教育、地域教育のバランスが崩れ、教育ピンチに陥っている。 そのバランスを修正するために、学校教育と社会教育(家庭・地域)が連携、融合しよう……というわけだ。 「連携・融合」というのは―― 「手伝いましょうか?」「手伝ってくれませんか?」 「分担しませんか? わたしはここまでやります。あなたはここまでやってくれませんか?」 「いっしょにやりませんか? わたしはこれをやります。あなたも同じくこれをやってくれませんか?」 「もう、いっそのこと、ここでいっしょにやりませんか?」 「いっしょに、新しく事業をはじめませんか?」 こういう関係を創りだしていくことだ。 互いの顔が見えなくてはいけない。 教育の荷を抱え込みすぎている学校教育側が、まず、顔を見せるべきだろう。 2点目―― 学校・家庭・地域のバランスがよくなれば日本の教育はまだまだよくなる。 日本の学校には力がある。 家庭もそうだ。 地域もそうだ。 ただ、今、バランスが悪いだけなのだ。 バランスがよくなれば、日本はまだまだ大丈夫だ。 逆にバランスが悪いままだと、なにをやってもなかなか効果はあがらない。 「バランスをよくするための連携事業、ネットワーク活動」という発想が大切だ。 当然、学校が抱え込んでいる(抱え込みすぎている)内容を、家庭&地域に再配分、再配置する問題にも取り組まなければいけない。 再配分、再配置の「しかけ役」は、やはり、教育の荷を多く抱えている学校側の役目だ。 この役目を果たすために、教員は地域の実力を知る必要がある。 ぼんやりしていては「地域」は見えない。 こういう地域情報交換会に参加することによって、地域のカタチが見えてくる。 念のためにいっておくと、「学校はたいへんだ。みんなで学校に行って応援しよう」式の発想は、下手をすると、学校は「学校の教育丸抱え」状態のまま据え置かれるおそれがある。 いや、学校の抱え込みがますます進行し、学校・家庭・地域のバランスがさらに悪化するおそれもある。 くわえて、「もう一度地域の人が結集するシンボルとしての学校を見直そう」(清水潔・文部科学省生涯学習政策局長)とか、「いい学校をみなで作ろうということを目指した、学校を拠点とした地域と学校の連携を深めるネットワーク活動」(金子郁容氏)式の発想も、(まわりまわって僕と同じ発想であることを願っているのだが)危険だ。 別のスライドで詳細に述べるつもりだが(←講演では)、金子氏らの「学校中心あるいは学校拠点主義」と、僕の「バランス主義」の区別はきちんとつけおく必要がある。 区別をつけておかないと、まず、まちがいなく、道を誤る。 落とし穴に落ちる。 ★関連記事 ・★10月の講演(教育コミュニティづくり)の準備をはじめた。今回は、新しい試み2点ある(^_-) ★公式ホームページへ ★WEB無人駅線ページへ |
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