★僕が八方ふさがりに陥った時、衝動的に行う、恒例の、ホームページの超ミニモデルチェンジ。 Diaryの「日付」部分に、小さく「職員室通信」と付け加えた。 思惑①=教職生活で生じた「自己の歪み」の受け入れ。 思惑②=僕の原点は「通信」。原点回帰。 ★思惑①=「自己の歪み」の受け入れについて――ま、あくまで仮説だけど。 子どもたちの卒業アルバムに「人生ひとり旅」と、毎年、毎年、書きつづける、「孤独至上主義」の僕でも、実際には、周囲の人々から、相当に、強いプレッシャーを受け、自己の輪郭(カタチ)が、いびつに変形している。 ★変形には、粗く、2種類ある。 (1)拡張。 (2)縮小。 エネルギー配分の原則にしたがえば、どこがが拡張すれば、どこかが縮小する。 教育の仕事の、ほとんどは、(1)の領域――使命感と願望(欲望)から、いびつに拡張した領域で行われてきた(と思われる)。 だから、プレッシャーがなくなると、拡張領域が消滅。 要するに、教育領域が消滅してしまう。 ま、僕の「教育」というのは、この程度のものということか? ★その教育領域の消滅にブレーキをかけるために、「職員室通信」と付け加えた。 いびつな変形を受け入れたわけだ。 思惑②=「僕の原点は『通信』」については、僕の精神的出発点が、ドーデの『風車小屋だより』だったことに関係がある。 これはこれまでも書いてきたので、今回、説明は省略する。 下記の「追補」参照。 ★画像は、こころはろばろ/スラバヤ沖/バタヴィアの沖/神社の参道。 敗戦記念日前後は、体調がパッとせず、どこの護国神社にも招魂社にも参拝できなかったので、本日、こころはろばろ/スラバヤ沖/バタヴィアの沖/神社に参拝。 息せき切って、はなむけ号(折りたたみ自転車)を押し、参道を駆け上がる。 したたる汗を拭き拭き、これからの日本が、高い志をもち、孤立を恐れず、孤立を孤高にまで高めるという決意をもって、国際社会において、各国との連携、協調関係を追究しつづけていくことを、戦没者の御霊の前で誓う。 ★追補①――ドーデの『風車小屋だより』は、パリ在住のドーデが、南仏プロバンス地方、アルル近くに買い求めた風車小屋に移り住み(←「移り住む」というのはフィクション)、そこで見聞した農民、羊飼いたちの話をパリの友人に宛てて書きつづるというスタイル。 この「スタイル」が、僕の原点(*^_^*)。 ★追補②――先の「拡張と縮小」だが、拡張領域が消滅し、縮小されたいた領域が元のカタチにもどることによって、たとえば、これまで生理的に受け付けなかった『幻化』や『容疑者の夜行列車』などが読めるようになってくる。 不思議なものだと感じている。 この「拡張と縮小」のバランスを調整しつづけることによって、自己のカタチに近づけるのではないかと思っている。 ★関連記事 ・★『谷は眠っていた』(富良野塾の記録)の倉本氏が、依然、僕に強烈な刺激を与えつづけていた ・8/15桜山招魂社。わたしが3本の鈴緒を抱えて鳴らした鈴の音が訪れる人のない深閑とした境内に響き渡る ・隣に置いた丸テーブルのメモが目に入る。「しかし、しかし」と大書してある。逆接の接続助詞「しかし」には ・海戦想望 こころはろばろ スラバヤ沖 バタヴィアの沖。突然神社に至る。右側の狛犬の土台石に「武運長」 ・ ★僕の公式ホームページへ★★★★ ★僕のWEB無人駅線ページへ |
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