職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

★僕が八方ふさがりに陥った時、衝動的に行う、恒例の、ホームページの超ミニ・モデルチェンジを実施する

2012-08-30 16:21:26 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信 教育領域の消滅にブレーキを。日付部分に「職員室通信」の文字を記入
2012
08.30


★僕が八方ふさがりに陥った時、衝動的に行う、恒例の、ホームページの超ミニモデルチェンジ。
 Diaryの「日付」部分に、小さく「職員室通信」と付け加えた。
 思惑①=教職生活で生じた「自己の歪み」の受け入れ。
 思惑②=僕の原点は「通信」。原点回帰。

★思惑①=「自己の歪み」の受け入れについて――ま、あくまで仮説だけど。
 子どもたちの卒業アルバムに「人生ひとり旅」と、毎年、毎年、書きつづける、「孤独至上主義」の僕でも、実際には、周囲の人々から、相当に、強いプレッシャーを受け、自己の輪郭(カタチ)が、いびつに変形している。

★変形には、粗く、2種類ある。
 (1)拡張。
 (2)縮小。
 エネルギー配分の原則にしたがえば、どこがが拡張すれば、どこかが縮小する。
 教育の仕事の、ほとんどは、(1)の領域――使命感と願望(欲望)から、いびつに拡張した領域で行われてきた(と思われる)。
 だから、プレッシャーがなくなると、拡張領域が消滅。
 要するに、教育領域が消滅してしまう。
 ま、僕の「教育」というのは、この程度のものということか?

★その教育領域の消滅にブレーキをかけるために、「職員室通信」と付け加えた。
 いびつな変形を受け入れたわけだ。
 思惑②=「僕の原点は『通信』」については、僕の精神的出発点が、ドーデの『風車小屋だより』だったことに関係がある。
 これはこれまでも書いてきたので、今回、説明は省略する。
 下記の「追補」参照。

★画像は、こころはろばろ/スラバヤ沖/バタヴィアの沖/神社の参道。
 敗戦記念日前後は、体調がパッとせず、どこの護国神社にも招魂社にも参拝できなかったので、本日、こころはろばろ/スラバヤ沖/バタヴィアの沖/神社に参拝。
 息せき切って、はなむけ号(折りたたみ自転車)を押し、参道を駆け上がる。
 したたる汗を拭き拭き、これからの日本が、高い志をもち、孤立を恐れず、孤立を孤高にまで高めるという決意をもって、国際社会において、各国との連携、協調関係を追究しつづけていくことを、戦没者の御霊の前で誓う。

★追補①――ドーデの『風車小屋だより』は、パリ在住のドーデが、南仏プロバンス地方、アルル近くに買い求めた風車小屋に移り住み(←「移り住む」というのはフィクション)、そこで見聞した農民、羊飼いたちの話をパリの友人に宛てて書きつづるというスタイル。
 この「スタイル」が、僕の原点(*^_^*)。

★追補②――先の「拡張と縮小」だが、拡張領域が消滅し、縮小されたいた領域が元のカタチにもどることによって、たとえば、これまで生理的に受け付けなかった『幻化』や『容疑者の夜行列車』などが読めるようになってくる。
 不思議なものだと感じている。
 この「拡張と縮小」のバランスを調整しつづけることによって、自己のカタチに近づけるのではないかと思っている。



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海戦想望 こころはろばろ スラバヤ沖 バタヴィアの沖。突然神社に至る。右側の狛犬の土台石に「武運長」


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