本日の日経新聞朝刊の第1面に、東京‘金融市長’なる聞き慣れない名称の公職に関する記事が掲載されておりました。同職の初代に前日銀副総裁の中曽宏氏が就任したとする記事です。
同記事によりますと、‘金融市長’という公職は、東京都のオリジナルではなく、イギリスの首都ロンドンの金融街、シティに設けられている‘ロード・メイヤー’を模倣したものです。シティの同職は700年ほどの歴史があるらしく、現在、第690代目となるそうです。そして、この来歴からして、東京の‘金融市長’にも、凡そ明治維新に遡る国際金融の影が垣間見られるのですが、日本国の首都である東京都に‘金融市長’を創設するとする案そのものは、小池百合子都知事が昨年末頃から言い始めたもののようです。
その主たる目的は、東京都をロンドンのシティに匹敵するほどの国際金融都市に育てることにあり、既に、ロンドンのシティとも双方の協力に関する覚書が結ばれています。そして、この政策の責任者こそ、東京‘金融市長’なのです。具体的には、設立されるプロモーション組織の長として海外を飛び回り、東京への海外の金融関連機関の誘致、海外からの投資の呼び込み、金融関係の海外要人の接待、フィンテック導入の促進…等に尽力するのが主たる任務としているようです。金融のハブ化面でのメリットが強調される反面、東京‘金融市長’には、幾つかの問題点もありそうです。
第一の問題点は、東京都が、国際金融都市化によってロンドンと同じ運命を辿ってしまうことです。現在、ロンドンの人口は既に移民系住民が50%を越えており、行政職の市長もイスラム教徒のサディク・カーン氏が勤めています。その背景には、サッチャー政権以来の‘金融ビッグ・バーン政策’とそれに付随するロンドン市の積極的な‘開放政策’があったことは想像に難くありません。金融関連を含め外資系企業が犇めくようになれば、当然に外国人の採用も増加します。その結果、首都が外国人で占められてしまう事態を招きかねないのです。
第二に、‘海外マネーの呼び込み’という表現は、一般的には、国民にアピールすべき‘良い政策’として扱われています。しかしながら、近年、その風向きは変わってきており、海外資本の導入に二の足を踏む国も増えています。何故ならば、M&Aや株式取得等を介した無制限な海外資本の受け入れは、安全保障上のリスク上昇や技術流出、あるいは、経営権の支配をもたらすからです。アメリカでは、既に中国系企業による買収案が不許可となっていますし、親中色の強いドイツでも、同様の事例が散見されるようになりました。‘海外マネーの呼び込み’は、ひとつ間違えますと、‘自国経済の海外への切り売り’になる恐れがあるのです。因みに、小池知事は、現在、金融業は日本のGDPの5%に過ぎませんが、同政策により、イギリス並みの8から10%に上げたいとする意向を示しています。しかしながら、大手邦銀を含む金融機関が既に大規模な人員削減に動いているように、AIやITの導入に適した金融部門は雇用の拡大が期待できない分野であり、活発化した金融取引によるGDPの増加は、国内の雇用機会とは連動しないのです。
さらに、第3の問題点として挙げられるのは、日本の国内経済が停滞する中、大量の海外マネーを呼び込みますと、金融市場や不動産市場、あるいは、外国為替市場等においてバブルや乱高下が起きかねない点です。実体経済と金融が乖離しますと、東京での金融取引は、健全な投資ではなく投機がその中心となりましょう(‘金融カジノ化’)。金融偏重の政策は、産業革命の発祥の地であったイギリスの産業衰退に拍車をかけましたが、日本国もまた、国内の実体経済との結びつきを欠いたマネーの流れは、産業にとりましてはマイナス要因として働く可能性があります。
また、最先端の金融テクノロジーとしてのフィンテックの導入につきましても、‘シティ・スタンダード’の日本の金融市場への拡大を意味するかもしれません。言い換えますと、表向きには東京都のイニシャチヴによる政策のように見せかけながら、その実、国際組織であるシティによる日本攻略戦略の一環なのかもしれないのです。第4の問題点は、主導権がシティ側に握られている可能性であり、この点からしますと、東京‘金融市長’とは、シティ側のメッセンジャーとなります。
最後に、民主主義の観点から見た問題点を指摘するとすれば、同職の就任は、選挙という民主的手続きを経ていない点です。‘市長’という行政分野の市長との同等性を表すタイトルを用いるならば、その任免の手続きには、都民の声が反映されて然るべきです(もっとも、同制度の母国イギリスでも選挙は実施されていないらしい…)。また、同政策が及ぼす影響の広範性に思い至りますと、都知事の決断のみを以ってかくも重要な政策が決められ、既定路線化してしまう現実に空恐ろしささえ感じます。
以上に主要な問題点を述べてきましたが、今般の東京都の動きは、ロンドンとパリを舞台とした『二都物語』ならぬ東京を加えた『三都物語』の序章なのでしょうか。この問題は、その舞台が日本国の首都東京であるだけに、都民ならず、日本国民の重要問題でもあります。移民による首都乗っ取り問題が、一般のイギリス国民のEU離脱支持の一因ともなったように、東京がロンドンとなる日は、一般の日本国民にとりましては、必ずしも歓迎すべき未来ではないように思えるのです。
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同記事によりますと、‘金融市長’という公職は、東京都のオリジナルではなく、イギリスの首都ロンドンの金融街、シティに設けられている‘ロード・メイヤー’を模倣したものです。シティの同職は700年ほどの歴史があるらしく、現在、第690代目となるそうです。そして、この来歴からして、東京の‘金融市長’にも、凡そ明治維新に遡る国際金融の影が垣間見られるのですが、日本国の首都である東京都に‘金融市長’を創設するとする案そのものは、小池百合子都知事が昨年末頃から言い始めたもののようです。
その主たる目的は、東京都をロンドンのシティに匹敵するほどの国際金融都市に育てることにあり、既に、ロンドンのシティとも双方の協力に関する覚書が結ばれています。そして、この政策の責任者こそ、東京‘金融市長’なのです。具体的には、設立されるプロモーション組織の長として海外を飛び回り、東京への海外の金融関連機関の誘致、海外からの投資の呼び込み、金融関係の海外要人の接待、フィンテック導入の促進…等に尽力するのが主たる任務としているようです。金融のハブ化面でのメリットが強調される反面、東京‘金融市長’には、幾つかの問題点もありそうです。
第一の問題点は、東京都が、国際金融都市化によってロンドンと同じ運命を辿ってしまうことです。現在、ロンドンの人口は既に移民系住民が50%を越えており、行政職の市長もイスラム教徒のサディク・カーン氏が勤めています。その背景には、サッチャー政権以来の‘金融ビッグ・バーン政策’とそれに付随するロンドン市の積極的な‘開放政策’があったことは想像に難くありません。金融関連を含め外資系企業が犇めくようになれば、当然に外国人の採用も増加します。その結果、首都が外国人で占められてしまう事態を招きかねないのです。
第二に、‘海外マネーの呼び込み’という表現は、一般的には、国民にアピールすべき‘良い政策’として扱われています。しかしながら、近年、その風向きは変わってきており、海外資本の導入に二の足を踏む国も増えています。何故ならば、M&Aや株式取得等を介した無制限な海外資本の受け入れは、安全保障上のリスク上昇や技術流出、あるいは、経営権の支配をもたらすからです。アメリカでは、既に中国系企業による買収案が不許可となっていますし、親中色の強いドイツでも、同様の事例が散見されるようになりました。‘海外マネーの呼び込み’は、ひとつ間違えますと、‘自国経済の海外への切り売り’になる恐れがあるのです。因みに、小池知事は、現在、金融業は日本のGDPの5%に過ぎませんが、同政策により、イギリス並みの8から10%に上げたいとする意向を示しています。しかしながら、大手邦銀を含む金融機関が既に大規模な人員削減に動いているように、AIやITの導入に適した金融部門は雇用の拡大が期待できない分野であり、活発化した金融取引によるGDPの増加は、国内の雇用機会とは連動しないのです。
さらに、第3の問題点として挙げられるのは、日本の国内経済が停滞する中、大量の海外マネーを呼び込みますと、金融市場や不動産市場、あるいは、外国為替市場等においてバブルや乱高下が起きかねない点です。実体経済と金融が乖離しますと、東京での金融取引は、健全な投資ではなく投機がその中心となりましょう(‘金融カジノ化’)。金融偏重の政策は、産業革命の発祥の地であったイギリスの産業衰退に拍車をかけましたが、日本国もまた、国内の実体経済との結びつきを欠いたマネーの流れは、産業にとりましてはマイナス要因として働く可能性があります。
また、最先端の金融テクノロジーとしてのフィンテックの導入につきましても、‘シティ・スタンダード’の日本の金融市場への拡大を意味するかもしれません。言い換えますと、表向きには東京都のイニシャチヴによる政策のように見せかけながら、その実、国際組織であるシティによる日本攻略戦略の一環なのかもしれないのです。第4の問題点は、主導権がシティ側に握られている可能性であり、この点からしますと、東京‘金融市長’とは、シティ側のメッセンジャーとなります。
最後に、民主主義の観点から見た問題点を指摘するとすれば、同職の就任は、選挙という民主的手続きを経ていない点です。‘市長’という行政分野の市長との同等性を表すタイトルを用いるならば、その任免の手続きには、都民の声が反映されて然るべきです(もっとも、同制度の母国イギリスでも選挙は実施されていないらしい…)。また、同政策が及ぼす影響の広範性に思い至りますと、都知事の決断のみを以ってかくも重要な政策が決められ、既定路線化してしまう現実に空恐ろしささえ感じます。
以上に主要な問題点を述べてきましたが、今般の東京都の動きは、ロンドンとパリを舞台とした『二都物語』ならぬ東京を加えた『三都物語』の序章なのでしょうか。この問題は、その舞台が日本国の首都東京であるだけに、都民ならず、日本国民の重要問題でもあります。移民による首都乗っ取り問題が、一般のイギリス国民のEU離脱支持の一因ともなったように、東京がロンドンとなる日は、一般の日本国民にとりましては、必ずしも歓迎すべき未来ではないように思えるのです。
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