‘保守政党’とは、一般的には、祖先から受け継がれてきた自国の歴史や伝統を尊重し、民族、並びに、それを中核とする国民としての纏まりを大事にする愛国的な政党とするイメージがあります。このため、国家や国民の枠組を損なうような改革や変化に対しては慎重であり、この点において革新政党とは反対の立場にあります。
伝統か革新かの対立構図は単純明快で分かりやすいのですが、経済問題に対する態度も加わって現実はより複雑ですし、今日では、最も端的なこの対立構図させ揺らいでおります。日本国内を見ても、保守主義を名乗る政党からも、革命、改革、変化といったおよそ保守らしからぬ言葉が飛び出してくるのに加えて、保守=日本という、当然視されてきた等式さえ怪しくなっているのです。
この問題を考えるに際して、イギリスの保守党の歴史は保守政党が抱える矛盾の本質をよく表しております。同国の政界は、ヴィクトリア時代を中心に19世紀中葉から20世紀初頭にかけて、保守党と自由党が二大政党制の両翼をなしていました。この時期、イギリスは、全世界に自治領や植民地を保有し、大英帝国華やかなりし時代であり、かつ、イギリスを中心とした自由貿易体制を世界大で確立した時期とも凡そ一致します。このため、両党とも、‘世界帝国’としてのイギリスを前提とした政策運営を主張しており、どちらかといえば、前者が政治的な帝国主義を志向したのに対して、後者は、穀物法制定時における両党の対立が示すように、自由貿易の促進を主張したのです。言い換えますと、この時期、保守党も、今日的な意味における国民国家という一国を枠組みとした政党ではなく、上記の保守政党のイメージにも当て嵌らないのです。
第二次世界大戦後に至ると、イギリスは、緩い独立国家の連合である英連邦の枠組を残しつつも、ユーラシア大陸の西側の海洋に位置する国民国家の一つとなります。政治的には、自由党に替って労働党が二大政党制の左の席を占めるに至り、社会・共産主義的な文脈において世界主義的な立場を主張しますが、保守党もまた、大英帝国時代から引き継がれた世界主義的な性格を引き摺っています。EU離脱問題に際して、保守党の見解が割れた理由も、同党の内部におけるナショナリズムと世界主義との混在に求めることができるかもしれません。
以上にイギリスの保守党の来し方を簡単にスケッチしてみたのですが、今日における日本国の保守政党の迷走もまた、明治以降において形成された大日本帝国の歴史が関連しているように思えます。大英帝国程の広さはないものの、日本国もまた、台湾や朝鮮半島を版図に収めた多民族を包摂する帝国でした(満州国を含めればさらに多民族となる…)。このことは、これらの地域が独立した第二次世界大戦後にあっても、日本国の保守政党、あるいは、保守主義者の中には、大日本帝国への回帰を活動目的とする人々が混在していることを意味します。韓国からの密入国者である日本ボクシング連盟の元会長山根明氏の日本国籍取得を手助けしたのは保守系の政治家であったというような事例は、冒頭で述べた保守政党のイメージからしますとあり得ないような裏切り行為ですが、保守主義者には、多民族国家としての大日本帝国の再来を夢見る人々が混じっていることを理解すれば合点が行きます。
一般の日本国民の大多数は、大日本帝国の再来を望んではいませんので、今後、保守政党の内部では、両者の立場の違いによる対立が激しくなることも予測されます。あるいは、保守政党の多数派が既に‘大日本帝国回帰派’で占められているならば、保守政党と一般国民との間の意識の違いは政府に対する不満として表出されることでしょう。政界における保守=日本という構図の崩壊は(今では、皇室にも言えるかもしれない…)、日本国の独立性にも深くかかわるのですから、一般の日本国民は、その背景をも含めて‘保守’の実像を知るべきなのではないかと思うのです。
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伝統か革新かの対立構図は単純明快で分かりやすいのですが、経済問題に対する態度も加わって現実はより複雑ですし、今日では、最も端的なこの対立構図させ揺らいでおります。日本国内を見ても、保守主義を名乗る政党からも、革命、改革、変化といったおよそ保守らしからぬ言葉が飛び出してくるのに加えて、保守=日本という、当然視されてきた等式さえ怪しくなっているのです。
この問題を考えるに際して、イギリスの保守党の歴史は保守政党が抱える矛盾の本質をよく表しております。同国の政界は、ヴィクトリア時代を中心に19世紀中葉から20世紀初頭にかけて、保守党と自由党が二大政党制の両翼をなしていました。この時期、イギリスは、全世界に自治領や植民地を保有し、大英帝国華やかなりし時代であり、かつ、イギリスを中心とした自由貿易体制を世界大で確立した時期とも凡そ一致します。このため、両党とも、‘世界帝国’としてのイギリスを前提とした政策運営を主張しており、どちらかといえば、前者が政治的な帝国主義を志向したのに対して、後者は、穀物法制定時における両党の対立が示すように、自由貿易の促進を主張したのです。言い換えますと、この時期、保守党も、今日的な意味における国民国家という一国を枠組みとした政党ではなく、上記の保守政党のイメージにも当て嵌らないのです。
第二次世界大戦後に至ると、イギリスは、緩い独立国家の連合である英連邦の枠組を残しつつも、ユーラシア大陸の西側の海洋に位置する国民国家の一つとなります。政治的には、自由党に替って労働党が二大政党制の左の席を占めるに至り、社会・共産主義的な文脈において世界主義的な立場を主張しますが、保守党もまた、大英帝国時代から引き継がれた世界主義的な性格を引き摺っています。EU離脱問題に際して、保守党の見解が割れた理由も、同党の内部におけるナショナリズムと世界主義との混在に求めることができるかもしれません。
以上にイギリスの保守党の来し方を簡単にスケッチしてみたのですが、今日における日本国の保守政党の迷走もまた、明治以降において形成された大日本帝国の歴史が関連しているように思えます。大英帝国程の広さはないものの、日本国もまた、台湾や朝鮮半島を版図に収めた多民族を包摂する帝国でした(満州国を含めればさらに多民族となる…)。このことは、これらの地域が独立した第二次世界大戦後にあっても、日本国の保守政党、あるいは、保守主義者の中には、大日本帝国への回帰を活動目的とする人々が混在していることを意味します。韓国からの密入国者である日本ボクシング連盟の元会長山根明氏の日本国籍取得を手助けしたのは保守系の政治家であったというような事例は、冒頭で述べた保守政党のイメージからしますとあり得ないような裏切り行為ですが、保守主義者には、多民族国家としての大日本帝国の再来を夢見る人々が混じっていることを理解すれば合点が行きます。
一般の日本国民の大多数は、大日本帝国の再来を望んではいませんので、今後、保守政党の内部では、両者の立場の違いによる対立が激しくなることも予測されます。あるいは、保守政党の多数派が既に‘大日本帝国回帰派’で占められているならば、保守政党と一般国民との間の意識の違いは政府に対する不満として表出されることでしょう。政界における保守=日本という構図の崩壊は(今では、皇室にも言えるかもしれない…)、日本国の独立性にも深くかかわるのですから、一般の日本国民は、その背景をも含めて‘保守’の実像を知るべきなのではないかと思うのです。
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