万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

AIは人類の知的進化を阻害する?

2018年09月24日 14時19分52秒 | 社会
今日、AIは、様々な分野での活用が期待されており、将来的には人の仕事を奪いのではないかとする懸念も広がっております。AIの登場は、人、あるいは、社会と云うものを、その根底から変えようとしているかのようです。

 AIとは、凡そ最適解を導き出すことを目的に設計されていますので、入力データが同じであれば、同一の解が示されるはずです。‘これしかない最適解’の提示、これこそが、AIが本領を発揮する場面です。仮に、AIごとに提示される解が異なれば、最早、人は、AIを信じなくなることでしょう。神の如く、人の知力では到底及びもしない判断能力がAIの‘売り’なのですから、どちらが正しいか分からない解が複数存在しては、この神話が崩壊してしまうのです。

AIの機種によって解が異なるとすれば、それは、プログラミングの優劣の結果となります。そして、AIに対する評価は、最適解が如何に現実において有用であるかによって決まりますので、AIが進歩すればするほど、最適解に到達する能力の低いAIは、その製品価値において低評価を受け、淘汰されることになりましょう。つまり、最高度の能力にまで達した時点において、AIは、はじめて唯一の解を提示し得るのです(知能におけるAIの極限までの進化…)。

一方、人の場合には、何らかの問題に直面すると、まずは、自らの知能を働かせて解決策を見出そうとします。解き難い問題の発生は、苦しいながらも人類が自らの知能を発展させるチャンスでもあるのです。加えて、一人では解決できない場合には、身の回りの誰かに相談したり、集会や会議を開いて議論を闘わせて有効な対策を練るのは、古今東西を問わず、人類社会の特性です。多様な人々が知恵を寄せ合って問題を解決する、あるいは、誰かの提案に対して他の人々が検討を加えて修正し、より善い解決策を導くと言った作業は、これまで言語能力を有する人のみが行ってきました。

ところが、人類が、AIに問題解決を託すようになれば、もはや、人々が知恵を出し合い、多様な意見を述べあう必要はなくなります。あらゆる人々の個人データを網羅して収集したビッグデータさえあれば、AIは、多様な意見が存在しなくとも、データの解析で解を出すことができるのですから。

AIに関するメディアの報道からしますと、少なくとも、その開発者やAI信奉者の人々は、その超越性においてAIを‘神’、あるいは、人工の‘超人’の出現とみなしたいようです(実際に、このレベルに達するか否かは不明…)。AIにあらゆる決定を委ねる社会が出現しますと、人は、問題解決のために思考能力を使う必要がなくなると共に、人間関係も希薄となり、多数の人々が参加する議論も意味を失います。言論の自由や闊達な議論に基礎を置く議会制民主主義も形骸化してゆくことでしょう。

かくして、知能面における人類の進化も望めなくなり、脳が退化する方向に向かうことにもなりかねないのです。それとも、過去のデータの独自解析のみで未来を決定しようとするAIに対して、人としての倫理観や価値判断の下で善き未来を築こうとする人々が反旗を翻すことで、AIによる人類支配は終焉を迎えるのでしょうか。

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